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    2025年10月31日

    エラリー・クイーン『ローマ帽子の秘密』を散策する(その2)

     (その1)ではgoogleマップを駆使してクイーン父子の動線を追う事で、「パズラーに無縁なものは何一つない」(『エラリー・クイーン パーフェクトガイド』)事を検証した。だが、実は「パズラーに無縁なもの」はちゃんと存在しているのだ。それは、論理的な推論を語るときには饒舌なエラリーが、ときおり話の腰を折るように口を突いて出てくるペダンティックな知識だ。
     エラリーの小生意気な態度から皮肉が込められている事は十分に伝わってくるのだが、何を言わんとしているかを理解している者は、父を含めて作中には誰もいないのではないか。当然ながら読者さえもがついていけない。まさにペダンティックな趣向を言葉の端々に織りこんで相手を煙に巻いている。これが「パズラーに無縁なもの」である事は明らかだろう。しかし、著者エラリー・クイーンにとっては必要不可欠な趣向だったはずだ。なぜなら、当時の彼らにとっての「パズラー」イコール「S・S・ヴァン・ダイン風のパズラー」だったからだ。

     では、〈ヴァン・ダイン風〉とはどのようなものだったか。1923年にデビュー作として出版された『ベンスン殺人事件』から引用してみよう。『ローマ帽子』も新訳なのにあわせて、『ベンスン』も新訳(日暮雅道)の文章を用いる。ちなみに探偵はファイロ・ヴァンス。ヴァンスの法律顧問を務め、小説の語り手でもあるのがヴァン・ダインだ。探偵の相棒役と著者とが同名なのにインスパイアされて、作家エラリー・クイーンは著者と探偵とを同名にした。クイーンの小説が三人称であるのとは違い、ヴァン・ダインの小説は一人称であり、ヴァンスの言葉だけなく、描写や解説をするヴァン・ダインの言葉も、ともに著者のペダンティック趣味が色濃く反映されている。(翻訳の丸括弧内は訳注である)。

    [翻訳](1章P.13)前日の午後、ヴァンスはヴォラール(印象派絵画の蒐集で知られる、パリの画商)のセザンヌ水彩画コレクション内覧会を見にケスラ−画廊へ出かけたのだが、(略)
    [翻訳](1章P.17)「このヴォラールって男だが」ヴァンスはずいぶんたってから口を開いた。「芸術を畏敬してやまないこの国に、ずいぶん気前のいいところを見せてくれたんだな。所有しているセザンヌの中でも、なかなか悪くないコレクションをこっちへ送ってくれている。きのうはそこそこ感心しつつも、なにしろケスラーに目をつけられていたから、つとめて平然と拝見したんだがね。今朝画廊が開いたらすぐに、きみに買ってきてもらいたいものにしるしをつけておいたよ」
     新訳では人名などの直後に簡潔な訳注が挿入されている。日本の読者がとまどわないようにという配慮なのだが、ペダンティック趣味の単語が多数羅列されている場合には、訳注が文章の流れの邪魔になる。あるいは、せっかく勿体ぶって書いているのに、訳注を挟む事でペダンティックな雰囲気が損なわれてしまう。そもそも本国でも「ヴォラール」を知っている人が少なかったとしたならば、わざわざ訳注を挿入する意味があったのかも疑問だ。
     いずれにしろ、著者S・S・ヴァン・ダインのペダンティックな趣向の原点は、彼が美術評論家ウィラード・ハンティントン・ライトだという事にあった。評論家としては大成しなかったライトは、美術や哲学に一家言ある事をヴァン・ダイン名義のミステリの中で表現しようとしたのだ。

    [翻訳](5章P.77) ヴァンスはものうげに言い訳した。「いやいや、ヴァン、僕は感情的に、いや、最近は言葉の使い方が間違っているほうの人間的になるつもりはないよ。テレンティウス(ローマの喜劇作家)に同調して、『私は人間だ。人間に関して私に無関係なことは何ひとつない』なんて、僕には言えないな。(略)」
     ヴァンスが常日頃とは違ってベンスンの殺人事件についての新聞記事を読みあさっているのに、ヴァン・ダインが驚きを示す場面。日国によると、テレンティウスは「古代ローマの喜劇作家。カルタゴ生まれ。」で、「私は人間だ。人間に関することは他人事とは思えない」などの名句を残したそうだ。また、ニッポニカによると、この句を「カール・マルクスが終生の信条とした」と書かれているところを見ると、単にトリビアな知識をひけらかした訳ではなさそうだ。

    [翻訳](5章P.79) (私注:地方検事マーカスに向けて)「やあ、リュクルゴス(紀元前九世紀ごろのスパルタの立法者)君」と、ヴァンスが迎え入れる。
     日国によると「古代スパルタの立法者。スパルタの国制や生活規定を定めたといわれる。伝説的な人物とする説もある。」と書かれている。古代ローマやギリシャの偉人については、僕を含めた多くの日本人にはなじみがない。だが日本人が中国の偉人を知るように欧米人にとっては当たり前のようになじみがある名前なのかもしれない。あるいは欧米の知識人しか知らない名前かもしれない(こちらの方がありそうだ)。

    [翻訳](1章P19) 東三十八丁目にあるヴァンスのアパートメント(略)は、東洋と西洋、古代と現代の稀少な美術の実例で埋め尽くされているものの、決して詰め込みすぎとはなっていない。絵画は広くルネサンス以前のイタリア美術からセザンヌやマティスまで、オリジナルの素描コレクションの中にはミケランジェロからピカソのものまで広範囲の作品がちりばめられていた。ヴァンスの集めた中国の版画は、この国随一のすばらしい個人コレクションになっており、李龍眠(北宋の画家)、李安忠(南宋の画家)、高克明(北宋の中国画家)、夏珪(南宋の山水画家)、牧𧮾(南宋の水墨画家)らの佳品が含まれている。
     美術評論家ライトの面目躍如たるところは、このようなヴァンスのアパートメントの描写に現れる。専門家や好事家でもないと理解不能な中国画家の名前がズラズラと並び、次から次へとペダンティックな知識が盛りこまれる。「決して詰め込みすぎとはなっていない」とは言うけれど、このような文章が全編にわたって続くと、度を超しているとしか言いようがない。

    [翻訳](9章P.133)「(略)マーカム――それに、いい助言ってのはどれもそうだけど、しゃれた言い回しじゃないか。…まったくね、最後に頼りになるのは忍耐――ほかにどうしようもないとき、とるべき手段は忍耐だ。(略)忍耐は”悲しみの奴隷"であり、”形を変えた苦悩への特効薬"でも、"偉大な勇者の唯一の受難"でもある。ルソーは、『忍耐は苦いが、その実は甘い』と書いている。(略)ヴェルギリウスいわく、『すべての不運は耐え忍ぶことによって告白される』。ホランティウスもこの主題で言ってるな。『難しいが、訂正の不可能なものは耐え忍ぶことによって容易になる』」
     ジャン・ジャック・ルソーはフランスの作家にして啓蒙思想家、ヴェルギリウス(ウェルギリウス)は古代ローマ最大の詩人、ホランティウス(オウィディウス)はローマ帝政初期の詩人だ。美術だけでなく美学の評論家でもあったライトは、「忍耐」について一言物申すために、くどいほどの知識をひけらかす。
    ルソー La patience est amère mais son fruit est doux.(忍耐は苦いが、その実は甘い)
    ウェルギリウス Superanda omnis fortuna ferendo est, quoth Vergil.(すべての運命(不運)は、耐え忍ぶことによって乗り越えられる)
    オウィディウス Durum! said he, sed levius fit patientia(それは厳しいが、忍耐によって軽減される)
     くどいことはくどいが、原文をきちんと引用している点は評価できる。当初想像していた以上にペダンティックな趣向を律儀に盛りこんでいる。
         ♥♠♦♣
     ではエラリー・クイーンは、この〈ヴァン・ダイン風〉をどのようにアレンジしたのだろうか。それを一箇所一箇所見ていこうと思う。幸いな事にクイーンの小説は三人称の語り手を採用しているので、ペダンティックな趣向はエラリーの会話の中にしか現れない。

    [翻訳](2章P.44)「正直に言うと」エラリー・クイーンは休みなく視線を動かしながら言った。「こっちはお愛想を返す気になれないね。愛書家の至上の楽園から急に引きずり出されたんだから。あの店主からファルコナーの貴重きわまりない初版本を売ってもらえそうになったんで、本部にいる父さんから金を借りるつもりだったんだ。(略)」
     父クイーン警視からローマ劇場に呼び出された若き自信家エラリーの初登場シーン。ブリタニカ国際大百科事典によると「フォールコナー(Falconer, William)(1732-1769)はイギリスの詩人。スコットランド出身。船員として経験したギリシア海岸での遭難を歌った長詩『難船』(1762)などで知られる。インドへの航海途上で船が難破し、三十代の若さで亡くなった。」と記載されている。つまり、知名度としては海洋文学や18世紀の詩を専門とする一部の人に限定されるようだ。このような作家の初版本は入手がかなり困難だ。美術の専門家ではない二人の若者が選んだ道は「愛書家の探偵が活躍するミステリ」だった。後にフレデリック・ダネイは書籍収集を趣味とするようになったが、すでにこの頃から愛書家の素養があったのかもしれない。

    [翻訳](2章P.61)「わかった、フリント、待機するように」
     刑事は重い足どりで歩き去った。エラリーがゆっくりと言った。「若きディオゲネスがシルクハットを見つけてくるなんて、本気で思ってたわけじゃないだろうね」
     百科事典マイペディアによると、ディオゲネスは「古代ギリシアの哲学者。キュニコス学派の代表的人物。禁欲・自足・無恥を信条とし、因習から解放された自由生活を実践。」とある。奇行が多く「裸同然の風体、公衆の面前での性交、白昼に明かりを手に〈人間はおらぬか〉とよばわった」という逸話がある。サラッと書かれているが、かなり"ヤバい"哲学者だったようだ。当のフリントは「若くたくましい私服の刑事が…」「きみの若々しい筋肉を働かせて、腹這いでシルクハットを探してもらいたい。」(P.56)と描写されるように筋肉が自慢の刑事というだけだ。奇行が過ぎる哲学者にたとえるのは行き過ぎだろう。

    [翻訳](3章P.66)「大昔の肉屋の不幸な過ちを繰り返さないように用心してもらいたいな。四十人も弟子のいた親方が、いちばん大切な包丁を探して、みんなでそこらじゅうを引っ掻きまわしたあげく、包丁ははじめから親方の口におさまってたっていう話だよ」
     どうやら出典は中国の『笑府』などの笑話集らしい。これが19世紀末〜20世紀初頭に英訳され、ジャイルズ『Chinese Anecdote(東洋笑話)』の中の「Butcher and the Knife」として紹介された。念には念を入れて劇場内を捜索した方がよいという教訓話を垂れているのだが、エラリーの皮肉もたっぷりと込められている。

    [翻訳](3章P.75) ジェス・リンチはしばらく真剣に考えてから、言い切った。「十分くらいでした。(略)ぼくが瓶を持って劇場にはいったときには、女の子がギャングのアジトでつかまって、悪者にきびしく責められる場面になってましたから、十分くらいだとわかるんです」
    「目端が利く若きヘルメスよ!」エラリーはつぶやき、急に笑顔になった。
     頼まれたジンジャエールを被害者に手渡した時刻を売り子ジェスに確認した場面。ヘルメスは「ギリシア神話の神。商業、牧畜、旅人、盗みなどをつかさどる」。ただし、逸話が多く、日国・広辞苑の語釈を読んでも今ひとつ本文の説明がつかない。マイペディアには「アポロンの牛を盗んだ話、竪琴の発明、百眼の怪物アルゴスの殺害など、その機知と抜け目なさにまつわる多様な伝承がある。」と書かれているので、売り子をヘルメスと呼んだ理由がようやくわかった。

    [翻訳](4章P.92)「ささやかな幸運にも感謝しなきゃね」エラリーは微笑した。「ひとつの過ちは二十の過ちを生む」
     小悪党"牧師"ことカザネッリに「最後に(被害者)フィールドと会ったのはいつだ」と警視が質すと、思わず「モンティ・フィールドなんて知らない」と答えてしまう。その事を指して「ささやかな幸運」と表現しているのだが、「ひとつの過ちは二十の過ちを生む」の出典は分からない。日本語の「二度あることは三度ある」という格言と同じ事を表現したのかもしれない。二十の過ちとは少し誇張が過ぎるので著者の創作の可能性もある。

    [翻訳](7章P.153)「理性を失わないでもらいたいな、平和の守護者どの(ムシュー・ル・ガルディアン・ド・ラ・ペ)」エラリーは声をあげて笑った。
     エラリーが劇場の案内係マッジ・オコンネルから重要な証言を聞き出したと知ったクイーン警視は、自分が聞いたときには話さなかったと癇癪をおこす。直後のエラリーの台詞だ。ムシュー・ル・ガルディアン・ド・ラ・ペ(Monsieur le gardien de la paix)はフランス語で、それを直訳したのが「平和の守護者どの」だ。市民が警察官に対して敬意を込めて呼びかける際の言い回しらしい。
     この場面では、エラリーが敬意と愛情を込めて父に呼びかけているのだが、同時に自らの知識をひけらしているとも言える。警察官である警視には言葉の意味は伝わっているし、同時に著者クイーンはこの表現の意味が伝わる読者に意図的な演出を行っているとも考えられる。残念ながら日本にはこのフランス語は伝わっておらず、本来ならば原註が必要なところだ。

    [翻訳](7章P.155)「父さんはあれこれ考えて手いっぱいだったけど、ぼくはソクラテスみたいに突っ立ってればよかったんだから」
     エラリーは、演繹的推理を駆使して「犯人が逃走する事無く劇場にいた」事を証明してみせる。クイーン警視は「もっとしっかり考え抜かなかった」自分を卑下するが、エラリーは珍しいことに父をやさしく慰める。
     ここで引き合いに出されるのが、おなじみのソクラテスだ。マイペディアでは「世に盛んなソフィスト流の知や徳に異を唱え、〈無知〉の自覚(〈汝自身を知れ〉)のもとに、厳密な論理と方法とをもって真の知=徳に至る道を説いた。」と書かれている。これは弟子のプラトンがソクラテスの死後に書いた数々の文章で、師ソクラテスの教えを評価したからだ。
     しかしマイペディアでは、続けて「その哲学は、ソフィストたちの多様な意見や自由な主張の展開を、ことごとく〈知・無知〉〈知るとは何か〉という抽象的・根本的な問いに収斂させてしまうものであり、現代では西欧哲学の観念論・主知主義、悪しき知性主義の伝統の祖ともいえるとの批判もなされている。」とも書かれている。『ローマ帽子』執筆当時の著者がどのように考えていたかは分からないが、この場面のエラリー(ソクラテス)は「厳密な論理と方法とで真の知に至」ろうとはするが、クイーン警視(ソフィスト)のようには汗水たらして考えていないと自虐的に言う事で、父をなぐさめている。
    (続く)

    posted by アスラン at 01:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(エラリー・クイーン) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年10月25日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(15.1.6)

    Chapter15 挿入の諸形式「@語句の挿入――andとif」より。
    15.1.6 People who were presented to him often felt a certain awkwardness, and that not entirely because they were alarmed by his reputation.
    (訳) 彼に紹介された人々はいくらか気おくれすることが多かった。しかもそれは、必ずしも彼の名声に押されたためばかりではなかった。

     さっそく訳文を手直ししよう。「彼に紹介された人々」という部分が気になる。「彼に」は英文のto himから単純に格助詞「に」を選択しているのだと思うが、これだと助詞「に」が何の格として働いているのかがハッキリしない。
    (a)主催者が人々を彼に紹介した。
    (a-1)人々が彼に(主催者に)紹介された。⇒ 彼に紹介された人々
    (a-2)人々が(主催者に)彼に紹介された。⇒ 彼に紹介された人々
    (a-3)人々が主催者に彼を紹介された。⇒ 彼を紹介された人々
    (a-4)人々が彼に拝謁した。      ⇒ 彼に拝謁した人々
     明示されてはいないが「紹介する」の主格が存在するはずなので、仮に(a)としておく。これを受動態に変換すると、(a-1)(a-2)のように助詞「に」が2つ使われる事になる。一つは能動格(能動態の主格)であり、もう一つは与格(「猫に餌を与える」)になる。さらに「主催者に」の部分を明示しないで連体修飾句に変換すると、どちらも「彼に紹介された人々」になる。こうなると「彼に」が能動格なのか与格なのかは文脈次第で、明確とは言えない。

     例えば「人々」と「彼」が対等な関係であれば、対格と与格は入れ替え可能なので「(a')主催者が彼を人々に紹介した。」と考えた上で受動態にすると(a-3)になる。さらに連体修飾句にすると「彼を紹介された人々」となり、(a-1)(a-2)のような誤解は生じない。ただし、あくまで対等な関係であれば問題はないが、後半の文章を見る限り「彼」の方が目上か、もしくは格が高い存在のようなので、入れ替え表現(a-3)はやや違和感を感じる。

     逆に王族(皇族)のような高貴な存在が相手であれば、「紹介する」ではなく「拝謁する」を使う事ができる。その場合「主催者」のような仲介は不要なので(a-4)のような表現になり、連体修飾句に変換すると「彼に拝謁した人々」になる。しかし、今度は「彼」がそれほど格上ではないのことが問題となる。この例文では「拝謁」は不自然だ。結局、(a-3)と(a-4)の間になるように「紹介」「拝謁」以外の言葉を考えて「引き合わせる」と訳す事にした。この動詞を使えば助詞「に」の重複問題を回避することができる。
    (前半の推敲訳) たいていの人は、彼と引き合わされると多少気おくれがした。

     訳文の「気おくれする」はとても良い表現だが、後半の「彼の名声に押された」は分かりにくい。これはおそらく「彼の名声に押されて気おくれした」という表現を念頭に置いて書かれたものだと思う。新明解国語辞典の「きおくれ【気後れ】」には「相手の気迫に押され―(が)した」という用例が挙げられているが、「名声に押される」という表現は不自然だ。そもそもalarmed by his raputationの訳としてしっくりこない。「彼の評判を聞いて不安になった」ぐらいがよさそうだ。

     最後の最後に挿入形式について考えていく。例文のand thatの代名詞thatは、前半のPeople … awkwardnessまでを表すから以下のような構造になっている。
    (A)People who were presented to him often felt a certain awkwardness,
    and
    (B)people who were presented to him often felt a certain awkwardness not entirely because they were alarmed by his reputation.
     (B)が挿入形式になっているのだが、because節が「Xだけではない」という部分否定になっている事から「Xが理由だが、X以外にも理由がある」という2つの部分に分かれる。それを書き下すと以下のようになる。
    (B-1)People who were presented to him often felt a certain awkwardness because they were alarmed by his reputation.
    (B-2)People who were presented to him often felt a certain awkwardness not entirely because they were alarmed by his reputation.
     このように分析すると(A)、(B-1)、(B-2)の3つの文から構文が出来ているようにみえるが、そうではない。not entirely が出てきた時点で(A)にはbecause節が含意されている事になるので、(A)と(B-1)は同一表現とみなせる。それをあえて構造として記述すると、以下のようになる。
    (A')People who were presented to him often felt a certain awkwardness because they were alarmed by his reputation,
    and
    (B-2)people who were presented to him often felt a certain awkwardness not entirely because they were alarmed by his reputation.
     この構文構造を基にして訳文の後半を推敲する。
    (後半の推敲訳) 彼の評判を聞いて不安になったからでもあるが、それだけではなかった。

     前半と後半の推敲訳をまとめる。
    (推敲訳) たいていの人は、彼と引き合わされると多少気おくれがした。彼の評判を聞いて不安になったからでもあるが、それだけではなかった。

     さらに推敲する。やはり「彼と引き合わされる」では落ち着かない。「彼に」を使った上で与格である事が伝わるように「面と向かって」という状況を追加する事にした。また、係る言葉「たいていの人は」と受ける言葉「気おくれがした」を直結した。それと、訳文では「気おくれ」を量で評価して「いくぶん気おくれする」と訳している。推敲訳でもそれを踏襲してきたが、後半で気おくれの原因が「彼の評判」とそれ以外の事だと主張しているので、量では無く質が取り沙汰されていることがわかる。最終的に以下のように推敲した。
    (推敲訳) 面と向かって彼に引き合わされると、たいていの人はある種の気おくれがした。というのも、あらかじめ彼の評判を聞いていて不安になったからだが、単にそれだけとも言えなかった。

    (参考)
    awkward 落ち着かない、きまずい
    alarm ハラハラする、不安にさせる、心配になる
    present(v.t.)
     5《文語》〈人を〉(ある人に)正式に紹介する、引き合わせる;〈人を〉(目上の人に)拝謁させる、伺候させる《to …》
     She had the honor of eing presented to the Queen. 彼女は名誉にも女王陛下の拝謁を賜った。
    posted by アスラン at 08:30| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年10月18日

    エラリー・クイーン『ローマ帽子の秘密』を散策する(その1)

     前々から『ローマ帽子の秘密』の良さがよく分からなかった。会社のクイーン好きの同僚が特にお気に入りだというのが『ローマ帽子』で、その理由が「犯人を最後の最後の一人まで理詰めで絞り込んでいくからだ」と言っていた。だが、それは2作目の『フランス白粉の秘密』にも当てはまるのではないかと思った。まさに僕のお気に入りが『フランス白粉』で、その理由が「作品のクライマックスで、犯人を最後の最後の一人まで理詰めで絞り込んでいく」からだ。『ローマ帽子』と『フランス白粉』との決定的な違いは、ミステリのスターとも言える名探偵エラリー自身が、お得意の演繹推理で絞り込んだ犯人を名指しするか否かにある。『ローマ帽子』は、名探偵の物語にとって最も重要な要件を意図的に回避しているが故に、僕にとっては致命的な欠陥を抱えた作品としか思えなかった。

     ところが角川文庫が翻訳家・越前敏弥さん主導で国名シリーズを翻訳する事になって、あらためて緻密な翻訳をベースにして「犯人を最後の最後の一人まで絞り込んでいく」プロセスを十二分に味わう事で、デビュー作の出来を見なおす事ができた。ただ、その後何回か角川文庫版を読み直したが、最後のクライマックス場面が瑕疵であるという認識を改めるまでには至らなかった。いつもなら「ネタバレ解読」と称して、飯城勇三『エラリー・クイーン パーフェクトガイド』の批評にそって作品の特徴を味わうのだが、こと『ローマ帽子』では「本作では『パズラーに無縁なもの』は何一つない」というのが最大の特徴だと飯城さんは言う。ならばネタバレうんぬんを論じてもあまり意味が無い。それよりも、作品を味わうためのトリビアにこだわった方がよさそうなので、『ローマ帽子の秘密』を散策する事にした。散策する対象は以下のとおりだ。
    原作: The Roman hat mystery (1929) by Ellery Queen
    翻訳: ローマ帽子の秘密(角川文庫) (2012年) 訳 越前敏弥・青木創
    原書: The Roman hat mystery (renewed 1957 by Ellery Queen) 1967 published by The New American Library

     舞台はマンハッタンだ。精選版日本国語大辞典(日国)によれば「アメリカ合衆国、ニューヨーク市中心部の島。また、その島を占める区。ハドソン川・イースト川・ハーレム川に囲まれる。商業・金融・芸術・文化の世界的中心地。国際連合本部、エンパイアステートビルなどがある。」と書かれている。以下に本作の舞台となるマンハッタン(島)を俯瞰する地図を示す。西側にハドソン川が流れ、ニューヨーク州とニュー・ジャージー州とを隔てている。東側には文字どおりイースト川が流れ、対岸にはロングアイランド(島)がある。ハーレム川はマンハッタン島と本土との境界を流れ、本土側にはブロンクスがある。
    地図-01.jpg
     クイーン研究家の飯城勇三さんが本作の特徴として「パズラーに無縁なものは何一つない」と書いているとおり、地図に示した場所には作中の登場人物の住居や事務所、あるいは肝心かなめの犯行現場などしか挙がっていない。観光名所は皆無と言っていい。つまり、本作は『ダ・ヴィンチ・コード』に代表されるようなツアー型ミステリーではない。何しろセントラルパークもエンパイア・ステート・ビルもほぼ素通りしているのだ。強いて言えば、犯行が行われた「ローマ劇場」(架空の劇場)がブロードウェイにあるため、目抜き通りにあたるホワイトウェイに印が集中している。しかしそれとて、主に登場人物の住所が多いし、ほとんどが普通のアパートメントだ。要するに、エラリー・クイーンと名乗る事になった従兄弟同士の若き二人は、執筆当時、パズラー(演繹推理を駆使して論理的に犯人を指し示すミステリ)を作りあげる事だけに腐心していて、作品の舞台や登場人物を読者にとって興味深いものにしようなどという「無駄な事」には一切関心を示していないのだ。

     唯一の観光名所は、犯行現場から最も離れた位置にあるブロンクス動物園(H)だ。マンハッタン島ではなく本土のブロンクスにある動物園で、1899年に開園している。この場所だけは「パズラーに無縁なもの」かもしれない。事件解決の見通しがついて上機嫌のクイーン警視が、召使いジューナを連れて英気を養う場面が以下のように描かれている。
    [翻訳](20章P.423) 警視は含み笑いをした。「それはもう過去の話だ、トマス。きのうはジューナとふたりでブロンクス動物園へ行って、われらが同胞たる動物たちと楽しい四時間を過ごしたよ」

     ちなみに動物園に連れて行ってもらう召使いジューナは「少年」というイメージだが、実はこの時には立派に成人している。
    [翻訳](8章P.170) ジューナは、エラリーが大学に行ってしまったためにリチャード・クイーンがひどく孤独を感じていたころ、この家に迎え入れられた。その明るい十九歳の少年は、親の顔を知らずに育ち、苗字の必要性など一度として感じたことがなかった。
     つまり、高等遊民的ではあるが今やまがいなりにもミステリ作家になっているエラリーの年齢を考慮するかぎり、クイーン家に「迎え入れられた」時に19歳だった少年(少年?)は20代前半ぐらいにはなっているはずだ。少年どころか立派な成人男子だろう。

     サウスブロンクスに、被害者モンティ・フィールドの従者であるチャールズ・マイクルズのアパートメント(E)がある。
    [翻訳](9章P.199)「どこに住んでいるんだね」マイクルズがブロンクスの東百四十六丁目の番地を言う。
     特にどうという事もない場所だが、従者にしては住み込みではなくマンハッタンにも住んでいない。前科がある事からひっそりと暮らしている事を著者が仄めかしているのかもしれない。

     フィールドの事務所(C)もブロードウェイの劇場街からはずいぶん離れている。
    [翻訳](2章P.57)「それから、ヘス」警視は別の刑事につづけて指示を出した。「チェンバーズ通り五十一にある、この男の事務所へ行って、こちらから連絡するまで待機してくれ。(略)」
     チェンバーズ通りはニューヨークの官公庁街にある。通りの向かい側にはツイード裁判所(1881年完成)がある。弁護士という職業柄、官公庁街に事務所をかまえるのは理にかなっているかもしれない。しかし周辺には、サンプソン地方検事が在籍するニューヨーク市地方検事局や、クイーン警視が奉職するニューヨーク市警まである。裏社会とつながりがあり彼自身も犯罪組織の黒幕であると当局から目を付けられている人物の事務所が、こんな目と鼻の先にあるとは大胆不敵きわまりない。

     実業界の大立て者フランクリン・アイヴズ‐ポープの邸宅はリバーサイド・ドライブにある。
    [翻訳](11章P.248) 十時半に、警視とエラリーはリヴァーサイド・ドライブにあるアイヴズ‐ポープ邸の大きな正門を押しあけた。(略)それは四方八方に張りだした巨大な邸宅で、道路からかなりはずれた広大な芝地にそびえ立っている。
     リバーサイド・ドライブとは、ハドソン川の川岸に沿った通りの事だ。地図に印を付けたように北端(F)から南端(G)まで続く。さすがに電子辞書では引っかかってこなかったのでCopilotに聞いてみたところ、「歴史的かつ風光明媚な街路」との事。通りの西側(河畔という事か)にリバーサイドパークが広がっている。ハドソン川の眺望が美しく、夕暮れ時の景色は特に人気があるようだ。重要なのは「かつては『百万長者の通り』とも呼ばれ、ギルデッド・エイジ(19世紀末〜20世紀初頭)の富裕層の居住地として知られていた」という点だ。まさに大事業家にして大富豪の邸宅が建てられていてもおかしくはない。どのあたりにあるのかは特定できないが、アイヴズ-ポープ邸で娘のフランシスに話を聞きに行った帰り道の様子が書かれている。
    [翻訳](12章P.267) 五分後、警視とエラリーとサンプソン地方検事は、七十二丁目へ向かってリヴァーサイド・ドライブを並んで歩きながら、午前中の出来事を盛んに論じ合っていた。
     72丁目はローマ劇場がある通りだ。そこに歩いて向かっている以上、アイヴズ-ポープ邸はリバーサイド・ドライブの南端(G)寄りにあるのではないだろうか。
        ♥♠♦♣
     ローマ劇場から離れた周辺部を片づけたので、地図をズームアップする。
    地図-02.jpg
     マンハッタンの街路は碁盤の目のように仕切られている。東西を○○th street(○○丁目通り)と呼び南北は××th Avenue(××番街)と呼び慣わす。中央にセントラルパークが大きく陣取っていて、先ほどの○○丁目通りは西○○丁目通り、東○○丁目通りに分かれる。地図を見るとよくわかるが、セントラルパーク内部にはほとんど踏み込む事はない。父クイーンはニューヨーク市警の警視でありながら、以後の事件でもセントラルパークが関連するような事件に遭遇する事はなかったような気がする。本編とはまったく関係ないが、「メトロポリタン美術館」が公園内にあるとは知らなかった。1870年開館なので、クイーン父子が活躍していた当時も存在していた事になる。ディクスン・カーにとっての「蝋人形館」ではないが、実名のメトロポリタン美術館で事件が起きていたら、さぞかしそそられた事だろうに。

     クイーン父子のアパートメント(D)は西87丁目にある。
    [翻訳](8章P.168) 西八十七丁目にあるクイーン父子のアパートメントは、炉端のパイプ掛けから壁の輝くサーベルまで、いかにも男の家だった。ふたりの住まいは、ヴィクトリア朝後期の趣を残す、褐色砂岩を張った三世帯用アパートメントの最上階にあった。
     「×番街」の記載はないので、セントラルパークからリバーサイド・ドライブの間のどこらへんにあるかは分からない。googleマップのストリートビューでなんとなくアパートメントの様子が似ているところにピンを打ってみた。それにエラリーの事だから、川沿いの風景よりもセントラルパークの静けさを選ぶのではないだろうか。

     モンティ・フィールドの弁護士事務所はチェンバーズ通り51にあったが、アパートメント(B)の方は西75丁目113にある。
    [翻訳](2章P.56)「リッター、この男のアパートメントへ行ってくれ。名前はモンティ・フィールド、職業は弁護士、住所は西七十五丁目通り百十三だ。(略)」
     住まいと事務所の位置がハッキリ示されているのはフィールドぐらいだ。現代ならば被害者と同じ住所に住んでいる人からクレームが来そうだ。逆にクイーン父子の住所ならばハッキリした方が喜ばれそうだ。せめて、ホームズにならって架空の番地を付けておけばよかったのに。
        ♥♠♦♣
     さらに犯行現場となったローマ劇場周辺へとズームアップする。
    地図-03.jpg
     遅ればせながらではあるが、『ローマ帽子の秘密』は次のように始まる。
    [翻訳](1章P.28) 一九二X年の演劇シーズンは不安のうちにはじまった。ユージン・オニールが新作を書きあげずじまいで、知識人の収入源を確保してやらなかったし、つぎつぎ芝居を見ても熱中できなかった”俗人”たちは、お堅い舞台劇を見放して、もっと気軽に楽しめる映画の殿堂へ足を向けていた。
     ユージン・オニールが新作を書かなかった年は1923年もしくは1926年になるようだが、ここでは詳細は検討しない。ただ、舞台劇が映画という新しいメディアの存在におびやかされていた事は確かだ。1920年前後にはサイレント映画の傑作が数々作られ、米国ではグリフィス、デミル、シュトロハイム、チャップリン、キートンらがしのぎを削っていた。1927年には長編映画としては世界初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』が作られ、30年代には映画が一大産業として成長していく。
    [翻訳](1章P.28) というわけで、九月二十四日、月曜日の夜に、霧雨がブロードウェイの劇場街のまばゆい電飾をかすませはじめると、三十七丁目からコロンバス広場にかけての劇場支配人や演出家たちは、それを暗い顔でながめやった。
     地図で見ると、セントラルパークの南西の角(西59丁目)にあるのがコロンバス広場(@)だ。コロンバスサークルとも言われ、フランスの凱旋門のように周囲が車道になっている。中心にある記念碑が名前の由来になっていて、探検家コロンブスの米国大陸到達400周年を記念して1892年に建立した。コロンバスサークルと言えば、1930年代には流行作家となっていたクイーン(ダネイとリー)が、打ち合わせのために小さな事務所をかまえたエリアにある。
    [私訳](プロローグP.24) 1930年代が終わる頃には、ダネイとリーはそれぞれの自宅で一日12時間もの仕事をこなし、コロンバスサークル周辺にあるフィスク・ビルに、家具もなにもない小さな事務所を構えて週に一度だけ会っていた(事務所の床に「プラン」と書かれた大きな茶封筒を置いた)。  (フランシス・M・ネヴィンズ.Jr.『エラリイ・クイーンの世界』)
     一方の「37丁目」というと地図から外れてしまうが、左下に「タイムズスクエア」の地名が見え西45丁目なので、「ブロードウェイの劇場街」がかなり広いエリアである事がわかる。

     その中の一画に、本作の殺人現場となったローマ劇場(J)がある。
    [翻訳](1章P.29) しかし、ブロードウェイの中心をなす”ホワイトウェイ"、その西四十七丁目にあるローマ劇場に面した舗道は、シーズン真っ盛りの好天の日並みに観客で混み合っていた。
     「ホワイトウェイ」とは、特に劇場が集中する42〜53丁目付近を指す。何故こう呼ばれるかというと1900年代初頭から街路に電飾が装備され、夜でも白く輝いてみえたからだそうだ。肝心のローマ劇場だが、西47丁目の舗道に面していると書かれているだけで、正確な位置は分からない。これだけを頼りにCopilotにモデルとなりそうな劇場を探してもらうとエセル・バリモア劇場が出てきた。1928年開業なので事件当時は存在しないし、著者の執筆当時に間に合ったかどうかも疑問だ。ただ外観が「テラコッタの錬石風ファサード、アーチ型の入口、ローマ浴場を模した装飾」だったようで、もしかしたら「ローマ劇場」という名前のインスピレーションの元になったかもしれない。
    [翻訳](14章P.311)「あなたはローマ劇場の支配人になってどのくらいですか、パンザーさん」
     支配人は眉を吊り上げた。「ここが建てられて以来ずっとでございます。その前は、四十三丁目の古いエレクトラ劇場の支配人をしておりました(略)」
     ローマ劇場の支配人パンザーの口ぶりでは、長年にわたって支配人を務めてきたと感じられるので、ローマ劇場は1920年以前には開業していないと辻褄が合わない。その場合のCopilotの回答はセントラル・シアター(1918年開業)が有力だ。

     I〜Kは作品終盤のある場面に関わる場所なのだが、今回は解説を割愛する。実はこの部分は多少のサスペンスが文章から感じられなくもないが、それ以外は『エラリー・クイーン パーフェクトガイド』に書かれているとおり「ラブロマンスもないし、アクションもないし、ユーモラスなシーンもないs、誰かの身に危険が迫るといったサスペンスもない」。その事がまさに地図で確認できる。逆に言えば「純粋にして緻密な推理」を扱ったミステリとしては希有なものを著者エラリー・クイーンは創造したことになる。コンテストの優勝が内示された直後に、主催した雑誌社が倒産。主催を引き継いだ雑誌社が女性向きに舵を切った事によって、この作品は「女性にとっては退屈なもの」と判断され、別の作品が受賞する事になった。
    posted by アスラン at 09:05| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(エラリー・クイーン) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年10月04日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(15.1.5)

    Chapter15 挿入の諸形式「@語句の挿入――andとif」より。
    15.1.5 Some books are to be read only in parts; others to read but not curiously, and some few to be read wholly, and with diligence and attention.
    (訳) 書物の中には部分的に読めばよいものもあるし、読むべきではあるが、しかし好奇心を持つ必要はないものもある。そして何冊かの少数の書物は、全体を入念に注意深く読むべきなのである。
     いきなり例文の難易度があがった。これを当時の受験生が読み解くのはかなり難しいと思う。いや、僕自身も伊藤先生の解説抜きの初見では読み間違ってしまった。この例文はPUNCTUATION(句読法)の正しい理解がないと、どのような構文になっているか分からないと思う。にも関わらず、伊藤先生の解説は非常にあっさりとしたもので、句読法の勘所がまったくスルーされてしまっている。なので改めて例文の構造をゆっくりと考えてみよう。
    (A-1)Some books are to be read only in parts;
    (A-2)others (are) to read (but not curiously)
    (B),and some few (books are) to be read wholly, and with diligence and attention.
     are to be readという表現が繰り返し使われているが、二度目以降はそれぞれ省略されている。そこをふまえると(A)と(B)が等位接続詞andでつながれているという事が分かる。(A)と(B)が区切られている事(andを介した並列関係である事)がはっきりするようにカンマが挿入されている。さらに(A)にはセミコロンが使われていて前半も後半も完全な文なので、(A-1)と(A-2)という並列関係が成立する。

     実はここまででbutの存在が非常にやっかいだ。andが等位接続詞であれば、このbutも等位接続詞の可能性がある。では、どことどこが並列なのか。直前のothers to readと直後のnot curiouslyとでは釣り合わない。もうちょっと前方を長くしてSome books are to read …others to readとnot curiouslyの並列関係と考えてもやはり釣り合わない。結局、(A)と(B)の並列関係が見えてさらに(A-1)と(A-2)の並列関係が見えてくると、but not curiouslyは(A-2)の一部としか考えられない。だとすると(A-1)のonly in partsがSome books are to be readを修飾する副詞句であるのと同じように、but not curiouslyもまたother to readを修飾する副詞句である事になる。

     ここまではいいとして、僕はbut(=except)という前置詞だと解釈してしまった。よくよく考えれば前置詞の目的語は名詞でなければならない。それにbut not だと二重否定の前置詞句(〜でないものを除いて)になってしまって意味的にもナンセンスだ。ここにいたって伊藤先生は、前回の例文15.1.4でのandと同じようにbut not curiouslyも挿入句だと解説する。そう言われれば確かにそれ以外には考えられないのだが、何故そう思えるのかについては答えてくれてはいない。そもそも最初に伊藤先生が本書で挙げた例文は"We had to judge, and very hastily"であり、
    何故and very hastilyが挿入句に見えるかと言えば、andの前後が単なる並列関係には見えない(釣り合わない)事を文意から解釈できるからだ。さらに言うとカンマの存在が「挿入句である」という解釈を補強してくれている。しかし今回の例文の(A-2)ではカンマが存在しないので、文意だけから通常の等位接続詞butの用法とは違っている事にたどり着かなければならない。そこが経験不足の受験生や僕には難しい。

     では何故butの前にカンマがないのか。簡単な理由は「これだけ短い挿入句なのでカンマは不要(なくても挿入句と分かる)」という事だろう。それ以外にも、「カンマがある事で全体の構成(構造)が分かりにくくなる」という事もあるかもしれない。(A)と(B)の区切りが",and"になっていて、カンマが(A)と(B)の並列関係を補強しているのだが、その直前が",but not curiously, and …"となると「等位接続詞どうしが干渉して全体の構成が見えにくくなる」という配慮が働いたかもしれない。あるいは(A-1)と(A-2)を区切るセミコロンとカンマは、区切れの強弱が「セミコロン<カンマ」という関係になるので、「"others to read, but not curiously"のカンマの前後で文(節)が区切れるように見えてしまう」という配慮が働いたかもしれない。いずれにしろ、理詰めで正解にたどり着くのは難しい。よく「英語にはPUNCTUATION(句読法)があるのに、日本語にはない」と言われるが、最終的に「カンマをどこに打つのか」という問題は「読点をどこに打つのか」と同様に一筋縄ではいかない。PUNCTUATIONの理解は必要だが、それで十分という訳ではないのだ。

     butの挿入句の問題を解決すれば残りは簡単かと思えば、さにあらず。もう一山残っている。(B)の末尾に出てくるwholly, and with diligence and attentionの部分を伊藤先生は「andは対等なものを結ぶ用法」と解説していて、挿入句ではないと見なしている。ここで受験生や僕はまたまた悩まされる。確かに文意から捉えると対等な(釣り合いがとれる)関係に読む事が可能だが、では何故wholly and with diligence and attentionではなくカンマが使われているのか。これは "We had to judge, and very hastily"と同じように、挿入句である事を補強する役目を果たしているのではないのか。それに形式的に言っても、(A-1)に出てくるbut not curiouslyが挿入句であるのに呼応して、(B)でもand with diligence and attentionが挿入句になっていると考えた方がスッキリする。これについては最終的な推敲でもう一度考えることにする。とりあえず例文の構造は、以下のように修正しておく。
    (A-1)Some books are to be read only in parts;
    (A-2)others (are) to read (but not curiously)
    (B),and some few (books are) to be read wholly(, and with diligence and attention).

     ここから訳文を推敲していく。あらためて訳文を確認しておこう。
    (訳) 書物の中には部分的に読めばよいものもあるし、読むべきではあるが、しかし好奇心を持つ必要はないものもある。そして何冊かの少数の書物は、全体を入念に注意深く読むべきなのである。
     (A)の方はsome…others…という典型的な表現になっている。なんとなくsomeは一部だからothersは残りを指していると思ったのだが、someとは違う一部を指すようだ。
    [ランダムハウス英和大辞典]
    Some are cheerful and others are not. 陽気な人もいればそうでない人もいる。
    [ジーニアス英和大辞典]
    We have three colors: some are red, others are green, and the rest are blue. 色は3色あります。いくつかは赤で、ほかのものは緑で、残りのものは青です。
    [ジーニアス英和辞典]
    Some books are to be tasted, others to be swallowed, and some few to be chewed and digested. 味わうべき本もあれば一気に飲みこんでしまうべき本もある。また咀嚼し、消化すべき本も少数ながらある。
     2番目のジーニアス英和大辞典の用例を見ると、othersが「残り」を意味しない事は一目瞭然だ。訳文は日本語としてどうかなと思うが、othersの意味を理解するには最良の用例だ。そしてなんとジーニアス英和辞典の用例は、今回の例文そのものと言ってもいい。ただしsome books、others、some fewの3つが並列関係になっているところが例文とは異なる。
    ((A)の推敲訳) 本には読みたいところだけを読めばいいものがある。あるいは、とりあえずは読んでおいた方がいいものもある。ただし興味津々になる必要はない。

     (A-1)は必要なところを拾って読む、(A-2)は読まないよりは読んでおく方がいい、という本が含まれている。それに対して(B)では全部を読む方がいいという本について書かれている。微妙なのだが、(A-2)を「一応は全部(ひととおり)読む」と解釈するならば、(B)は「全部を入念に読む方がいい」という本について書かれている事になり、最後のwholly, and with …の部分の「andは対等なものを結ぶ用法」だという伊藤先生の解説が正しい事になる。ただ、僕自身は(A-2)は「読まないよりも読め」という選択の問題だと捉えたいので、最後の, and with…は挿入句だと考えて推敲する。 
    ((B)の推敲訳) 全部読んだ方がいいものは、ほんの一握りの本だ。できれば、そういう本は入念に読んだ方がいい。
     以上(A)と(B)の推敲訳をまとめる。
    (全体の推敲訳) 本には読みたいところだけを読めばいいものがある。あるいは、とりあえずは読んでおいた方がいいものもある。ただし興味津々になる必要はない。全部読んだ方がいいものは、ほんの一握りの本だ。できれば、そういう本は入念に読んだ方がいい。
     さらに日本語として分かりやすい表現に直していく。特に(A-1)(A-2)(B)それぞれがどのような本に限定しているのかが分かるように言葉を補っていく。
    (全体の推敲訳) 本のなかには読みたいところだけ拾って読めばいいものがある。あるいは、読まないよりは読んでおいた方がいいものもあるが、そういう本は特に興味をそそられなくてもよい。まるまる一冊を全部読んだ方がいい本は、ほんの一握りにすぎない。できれば、そういう本は入念に読んだ方がいい。


    (メモ)
    in parts ところどころ、あちこち、部分的に
    curiously 興味ありげに、物珍しそうに、《古》丹念に
    be+to 不定詞
     (1)…する予定である、することになっている
     (2)…すべきである
     (3)《通例否定文》…できる
     (4)《条件節内で》…するつもりだ、…したい
     (5)《目的》…するためのものである
     (6)《実現性の乏しい仮定》《条件節内で》もし(万一)…するとしたら
    diligence
     不断の努力、勤勉、精巧
     注意、安全配慮、相当な注意・配慮
    attention
     (…への)注意、注目、傾聴、留意、注意力
     丁重さ、いんぎん、親切、好意、敬意、丁重な好意
    posted by アスラン at 13:10| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年09月27日

    (3)あしびきの山鳥の尾のしだり尾の 柿本人麻呂

    CIMG0618.JPG
    [第三首] 
    あしびきの山鳥(やまどり)の尾のしだり尾の ながながし夜(よ)を ひとりかも寝(ね)む (柿本人麻呂)

    (現代語訳) 山鳥の尾の垂れさがった、あの長い長いその尾よりも、いっそう長いこの秋の夜を、恋しい人とも離れて、たったひとりでさびしく寝ることであろうかなあ。
     百首の中でも屈指の、リズム感にみちた歌だ。子供の頃は意味はそれほどよく分かってなかったが、とにかく山鳥の尾っぽが長く垂れさがっているイメージは「尾」の繰り返しで感じた。そこから「長々し夜を」に一気につながる。今もそうだが「ながながし よを」とは読んでいない。「ながなが しよを」と読んでいる。「『しよ』ってなんだよ」とツッコミをいれながらも「長々(ながなが)」と言う語幹がリズムに乗って心地よい。あとから「長々しい夜(よる)を」という現代訳に、自分の知識がたどり着くのだが、やはりリズムを優先した読み方の魅力には勝てない。

     「あしびきの」とは「山」にかかる枕詞だそうだ。歌留多には「足曳(あしびき)」の漢字が当てられているが、島津忠夫訳注『小倉百人一首』では「足引(あしびき)」を当てている。精選版日本国語辞典では「足引(あしひき)の」の表記と読みを採用していて、枕詞だとしている。
    あしひき-の【足引―】
     [枕](「あしびきの」とも)
     [1]「山」および「山」を含む熟合語、「山」と類義語である「峰(を)」などにかかる。語義、かかりかた未詳。
     難しい書き方をしているが、要するに「山」や「山を含む言葉(例えば、山鳥)」、同様に「峰」などにかかる枕詞だと書かれている。枕詞の特徴でもあるが、語義そのものは「未詳(よく分からない)」と書かれている。そればかりか「かかりかた」もよく分からないとまで言い切っている。
     一方で、旺文社古語辞典には以下のように書かれている。
    あしひきの《枕詞》
    〔上代は「あしひきの」、のち「あしびきの」〕
    「山」(み山・山田・山河・山辺・山椿・山橘・山桜花・山吹の花・山郭公・山鳥・山藍・山彦・山中・山颪・大和撫子・山傍)、「峰(を)」(尾の上・八尾)にかかる。(中略)
    [参考]語義には「青繁木(あをしみき)」の意、「足を曳きあえぎつつ登る」の意、「山すそを長くひく」の意など種々の説がある。
     重要な点は2つある。一つは、かつては「あしひきの」と読まれていたが、やがて「あしびきの」と読まれるようになったという点。もう一つは[参考]として書かれているように、枕詞「あしひきの」自体に意味はあったとする説だ。最初の「青繁木(あをしみき)」は何を意味するかははっきりしないが、「青々と葉が茂っている木」つまりは森であり、それは「山」のイメージを引っ張り出す言葉だという事だろうか。2番目、3番目は「あしひき」が「足を引きずる」あるいは「山の裾(足もと)が長く引きずる(続く)」という意味を持っているという事だろう。日国と旺文社古語辞典とではずいぶんと扱いが違うし、まだまだ理解しきれないほどの情報が埋もれている感じがする。そもそも枕詞とは何なのだろう。これについては興味があるが、とりあえずはここまでにしておこう。あらためて「枕詞とは何か」を取りあげる機会は出てくるだろう。

     推敲にとりかかろう。日国によると「しだり尾」とは「長くたれ下がっている尾」の事。「山鳥」は「1.山にすむ鳥の総称」だが、個体としては「2.キジ科の鳥。全長、雄は125cm、雌は55cm前後になる。尾羽が長くキジに似ているが羽色が異なる。…尾羽は黒や褐色の横帯があって竹の節状をなし、長さは90cmにもなる。…日本の特産種で、本州・四国・九州の山間の森林にすむ。」と書かれている。「キジに似ているが」と書かれているが、広辞苑には図や画像が挿入されていて、ほぼキジと言っていいと思う。「山間の森林にすむ」という記述が、さきほど出てきた「青繁木」のイメージと合致する。面白いのは「4.(2の雄雌は夜、峰をへだてて寝るというところから)ひとり寝することをいう語。」という語義もある事だ。つまり、山鳥は「ながながし」だけでなく「ひとりかも寝む」までの全体を統括する言葉だと言える。しかも、現代語訳に「恋しい人と離れて」と書かれている根拠が山鳥の習性にある事が、これで分かった。しかし「山鳥のひとり寝が寂しい」というのは、あまりに感傷的すぎる気がする。もっと山鳥の孤高さをイメージした歌であってもいいのではないのか。
    (推敲訳) 木々が繁った山奥にすむ山鳥は、尾をどこまでも長く垂れ下げている。そんな尾にも似てどこまでも続く秋の夜長を、私も山鳥にならって何者にもわずらわされず独りで眠るのだ。
    posted by アスラン at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 小倉百人一首を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年09月21日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(15.1.4)

    Chapter15 挿入の諸形式「@語句の挿入――andとif」より。
    15.1.4 It is frequently said, and with considerable justice, that some persons enjoy ill-health.
    (訳) 健康でないことを楽しんでいる人もあるということが、しばしば、しかもかなりの正しさをもって言われている。
     伊藤先生、申し訳ありませんが全然意味がわかりません。たった一文なのだが、腑に落ちるような日本語にはなっていない。「健康でないことを楽しんでいる」とはどういう事だろう?そして、それが「かなりの正しさをもって言われている」とはどういう事だろう?

     まずは「健康でないことを楽しむ」を文字どおりに解釈すれば、テレビでよくやっている大食いや激辛の完食企画だろうか。あるいは、不眠不休でゲームを続けて最速で終わらせる企画などもありそうだ。「体に良くない」と知りつつも好きな事を最優先に楽しむ事。現代人にはありがちだし、共感は得られずとも「あるある」として納得はしやすい。

     そもそもill-healthとはどういう事を指すのだろう。お気に入りのランダムハウス英和大辞典には見出しがないので、代わりに研究社のジーニアス英和大辞典を調べると「体調不良、不調《肉体的[精神的]に健康でないこと》;(病気などからくる健康上の)長いスランプ」と書かれている。どうも「健康的でない」という状況を指してはいないようだ。なので「体調不良、不調、長いスランプそのものを楽しむ」という、一見すると矛盾した事を意味するようだ。さらに例文を調べてみた。
    [リーダーズ]
    enjoy good health 壮健である
    enjoy poor health 体が弱い
    [新英和大辞典]
    enjoy (the blessing of ) good health 達者でいる
    enjoy good [perfect] health 健康で[とても健康で]ある
    [ジーニアス大英和辞典]
    I enjoy poor [ill] health. [おどけて]私は体が弱い。
    [ランダムハウス英和大辞典]
    I enjoy poor health. 私は病気だ; 仮病を使っている。
    [ウィズダム英和辞典]
    enjoy good [poor, ill] health おかげさまで健康だ[体が弱い] (poor, illを用いると反語的)
    [オーレックス英和辞典]
    enjoy halth and longevity 達者で長生きする
    [英和活用辞典]
    those who are fortunate enough to enjoy good health [longevity, a good salary] 《文語》健康(など)を享受している幸運な人々

     enjoyとhealthが組み合わさった慣用句はなかなか奥が深いようだ。enjoy good healthならば、単純に「壮健である、健康である」あるいは「おかげさまで健康だ」「健康を享受している」などとなる。しかしenjoy poor [ill] healthになると、単純に「体が弱い」とも言えるが、「(おどけて)私は体が弱い」のように、やや自虐的に言う場合があるかと思えば「仮病を使っている」とも言ったりする。反語的に「おかげさまで体が弱い」と皮肉っぽく言う事もできる。その究極には「体が弱い事を享受している」がある。ここには自虐や皮肉に限らず達観のようなものも含まれている。
     「無病息災」をもじった「一病息災」という四字熟語には「一つぐらいは病気をもっている方が無病の人よりも健康に気を配るので、かえって長生きをするということ」(明鏡国語辞典)という意味がある。非常に日本人的な考え方で、僕自身若い頃から持病があるので、この熟語を心の支えにして生きてきた。ただし英語のenjoy poor [ill] healthにそう言った意味があるかと言えば疑わしい。どちらかと言えば欧米の人たちの考え方の根底にはポジティブシンキングがあるのではないだろうか。つまり「体が弱くても前向きに生きる」という事だ。
    (挿入形式無しの推敲訳) 体が弱くても前向きに生きている人がいるとはよく聞く話だ。

     挿入形式の and with considerable justiceは、justiceが「(主張・論拠・理由などの)正当さ、妥当性、道理」を意味する。さらにランダムハウスには「complain with justice (that …) (…と)不平を言うのも無理はない」という用例が載っている。A ,and Bのandは「等位接続詞のandの普通の用法と少しズレている」と伊藤先生が書いているように、挿入形式の「添加」を意味する。それを英語のように文の途中に挟み込むのではなく、日本語の場合は「添加」と分かるように後から付け加える。
    (推敲訳) 体が弱くても前向きに生きている人がいるとはよく聞く話だ。それもかなり的を射ている。
    posted by アスラン at 04:10| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年09月15日

    (2)春すぎて夏来にけらし白妙の 持統天皇

    CIMG0617.JPG
    [第二首] 春すぎて夏(なつ)来(き)にけらし白妙(しろたえ)の 衣(ころも)ほすてふ 天(あま)の香具山(かぐやま) (持統天皇)
    (現代語訳) いつしか春も過ぎてはや夏が来たらしい。卯花がまさかりで、いかにも白妙の衣を干しているともいうべきこの天の香具山を見ていると。
     歌留多の絵を見ると、持統天皇が女性だという事がわかる。第一首の「秋の田の…」の作者である天智天皇の第二皇女、要するに娘だ。歌留多で遊んだ子供の頃に「天皇って女性もいるんだ」と思ったかどうか今や定かでない。そもそも天皇って誰なのかがよく分かってなかったかもしれない。

     「夏来にけらし」は「ナツキニ・ケラシ」と聞こえていた。「ナツキって何?ケラシって何?」という感じだが、本来は万葉集の元歌(原歌)があり、そこでは「夏(なつ)来る(きたる)らし」と詠まれていたらしい。『(『小倉百人一首』の編者・藤原定家が)どうしてこういった形をすぐれたよみとして取りあげたかを考えることが、重要であろう。」と訳注の島津さんは書いているが、僕には専門的なことは分からない。ただ、現代人の視点から考えれば、「ナツ・キタルラシ」は意味はよく伝わるけれど「ナツキニ・ケラシ」の方がリズムが流れていて、聞く人の頭に入ってくるように思える。定家は名アレンジャーだったということか。

     さて冒頭の「春過ぎて夏来にけらし」だが、僕が気になるのは「らし」だ。夏が来ようとしている、あるいは来てしまった事は、気候の変化、特に気温の上昇などで分かるものではないか。「らし」とはあまりに他人事に感じる。いくら宮廷住まいとは言え、いくら「やんごとなき身」であるとは言え、それくらい分かるだろう。ただ、もし他人事でしか言えない事があるとすれば、それは夏が訪れた初夏の風景から来る実感ではないだろうか。侍女からの伝聞でなければ知る事のできない夏の情景。「らし」という言葉が思わず口を突いたのは、そういう事情からのような気がする。そして、それは初夏を待ちわびていた作者の気持ちのあらわれでもあるのだろう。

     だから、現代語訳の「天の香具山を見ていると」というように、この和歌を実景(実際に見て詠んだ風景)ととらえるのはどうなのかなという気がした。伝聞であるからには最後まで伝聞であるはずで、作者の心象風景は「初夏のすがすがしさへの期待・憧れ」へと飛翔していく。初夏の「天の香具山」を背景にして、あちらこちらで「白妙の衣」がいっせいに干されている。そんな歌だと僕には読めた。
    (推敲訳) 春も終わりを告げ、あっという間に夏が到来したらしい。あの天香具山あたりでは、清々しい初夏の風をうけてあちらこちらで真っ白な衣服が干されるそうだ。
    posted by アスラン at 09:30| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 小倉百人一首を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年09月09日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(15.1.3)

    Chapter15 挿入の諸形式「@語句の挿入――andとif」より。
    15.1.3 You can examine them carefully under a good magnifying glass, or, better still, through a microscope lens.
    (訳) 良質の拡大鏡や、このほうがよいが、顕微鏡のレンズを通して、それらを注意深く調べることができる。
     意味はもちろん通じるけれど、日本語としてはしっくりこない。特に挿入句の「このほうがよいが」は言い方が適切とは言えないし、リズムも悪い。そこを踏まえて日本語を推敲していく。

     英語の面白いところはa magnifying glass(拡大鏡)もa microscope(顕微鏡)も同じ目的をもった道具なのに、片方はunderで受け、もう片方はa microscope lensをthroughで受けている点だ。日本語だとどちらも区別無く道具格の助詞「で」で受けるところだと思う。そう思って電子辞書で調べてみると、ウィズダム英和辞典には以下のような用例が見つかった。
    take a look at a picture with [through] a magnifying glass 虫めがねで絵画を見てみる。
     これは肯ける。確かに顕微鏡は2枚のレンズを組み合わせて筒状になった部分(それらもレンズと呼ぶ)を通して物を拡大しながら観察するわけだが、拡大鏡(虫眼鏡)も1枚のレンズ越しに観察するだけで物の像(光)がレンズを「通っていく」事に変わりはない。だから、結論としてはwith(〜を用いて)もthrough(〜を通して)も、そしてunder(〜越しに)も同じ意味になるというわけだ(ああ、この文、「そして」以下が挿入形式になっている事に注意しておこう)。そして恐らくは英語では違う言い方を使い分けているが、この文に関する限り、拡大鏡か顕微鏡かという事が一番大事な点だから、日本語では道具格の助詞「で」で十分だと思う。

     次は語彙の問題。a magnifying glassだが「拡大鏡、虫眼鏡」のいずれにしようか。英和辞書の例文だが半々といったところだ。拡大鏡などと言うよりは虫眼鏡の方が慣れ親しんでいるので、こちらにしようかと思っていたら国語辞典を調べるとちょっと気がかりな点がでてきた。
    むしめがね【虫眼鏡】
    (日国)
     (1)小さな物体を拡大して見るための焦点距離の短い凸レンズ。像は正立の虚像。拡大鏡。
     (2)顕微鏡のこと。
     (3)大相撲の序の口力士の俗称。番付の最下段に細字で記入され、(1)を用いなければ容易に探し出せないところからいう。
    (広辞苑)
     (1)江戸時代、凸レンズを円筒に仕掛けた簡単な顕微鏡。筒の中に虫などを入れて観察する。
     (2)小型の拡大鏡。ルーペ。
     なんと虫眼鏡には歴史的に「顕微鏡」的な用法があったらしい。なので、味がいい「虫眼鏡」はあきらめて今回は「拡大鏡」を使う事にする。

     carefullyは普通ならば「注意深く」と訳すところだろう。examineと合わせると「注意深く〜を調べる」という意味になるから訳文どおりなのだけれど、canと併せるとちょっと意味合いが変わってくる。「注意深く」というのは動作主(主体)の姿勢を示しているが、拡大鏡や顕微鏡を使うとそういう姿勢が可能になると言いたいわけではないだろう。だとすると他の日本語を考える必要がある。carefullyには「入念に」という言葉もあるから、こちらの方が動作主側ではなく動作それ自体の状況を説明しているような感じがしてくる。そこで、とりあえずorの前までを推敲する。
    (前半の推敲訳) 高品質の拡大鏡でそれらを入念に調べることができる。

     後半は、orで始まる並列句だ。訳文のように「AやB」「AあるいはB」となるのが普通だが、この文章では日本語の述語表現を生かして「拡大鏡で調べる」と「顕微鏡で調べる」事を比較する方がよい。
    (後半の推敲訳) あるいは、尚よいのは顕微鏡で、これを使えばさらに入念に調べる事ができる。

     全体を併せると以下のようになる。
    (推敲訳) 高品質の拡大鏡でそれらを入念に調べることができる。あるいは、尚よいのは顕微鏡で、これを使えばさらに入念に調べる事ができる。
     さらに日本語を手直しする。a good magnifying glassのgoodだが、結局は「倍率が高い」という意味だろう。顕微鏡ならば格段に倍率が高くなるわけだから、(what is) better stillと言っているわけだ。また、そうであるならば「調べる事ができる」を修飾する副詞carefullyは「入念に」というより「細部まで、細かいところまで」という意味になる。

     それと英語の主語と目的語の扱いを考えておく。英語のYouは一般人称なので日本語だと訳さない。となると日本語としては目的語のthemを題目部として立てた方が安定する。ちなみにthemは文章における距離感で「あれら、それら、これら」のどれにも当てはまる。この例文の場合、直前にthemについて列挙されていると考えて「これら」とするのが無難だろう。
    (推敲訳) これらは、倍率の高い拡大鏡を使えば細部まで調べることができる。あるいは、顕微鏡ならば尚のこと倍率が高いので、さらに細部まで調べる事ができる。
    posted by アスラン at 03:21| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年09月02日

    (1)秋の田のかりほの庵の苫をあらみ 天智天皇

    CIMG0616.JPG
    [第一首] 秋の田の かりほの庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ (天智天皇)
    (現代語訳) 秋の田のほとりの仮の小屋は、ほんの間に合わせに荒く葺いた粗末なものだから、その小屋で番をしている私の袖は、ふけゆく夜露にしっとりと濡れつづけていることだ。
     ここで取りあげる現代語訳は『小倉百人一首』(角川文庫)の著者・島津忠夫氏によるもの。前回にも書いたが原文の古語に寄せた訳になっているので、ここから僕が理解しやすいイメージと適切な日本語とで書き直す。だから、何度でも断っておくが、翻訳ではない。あくまで推敲文(推敲訳)である。それと和歌が持つ韻律(リズム)のようなものを再現するつもりもない。だから和歌を元にした解釈文と言ってもいい。

     例えば「かりほの庵」は「仮庵の庵」だそうだ。リズミカルでついつい口ずさみたくなるのは、意味よりもリズムを優先したテクニックによるところが大きい。それは元の和歌を諳んじる事でたっぷり味わえばいい。意味は「仮住まいの小屋」という事だろう。苫(とま)というのは精選版日本国語大辞典によると「菅(すげ)、茅(かや)などを菰(こも)のように編み、小家屋の屋根や周囲などのおおい…などに使用するもの」だそうだ。この語釈を読む限り、茅葺きの屋根とは違ってかなり雑に作られた屋根だと分かる。そのせいで夜露が一晩中忍び寄ってくるという状況を読んでいる。「つつ」が反復・継続を表す接続助詞ということで「濡れつづけていることだ」などと書かれているが、「一晩中」があれば継続状態は示せるので、普通に「濡れてしまう」とする。
    (推敲訳) 秋になると稲刈りに追われて、田んぼ脇の作業小屋に寝泊まりする。仮の住まいなので屋根の葺き具合は粗くてすき間だらけだ。夜ともなると寒さが厳しく、私の袖は一晩中夜露に濡れてしまう。
    posted by アスラン at 22:40| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 小倉百人一首を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年08月31日

    小倉百人一首を書き直す

    歌留多-02.JPG
     子供の頃、正月の三が日にしか遊ばない小倉百人一首のカルタが家にはあった。出版元は鈴木出版株式会社。おそらく1950年代に両親が兄のために購入したのだろう。住む人がいない実家は5年以上前に処分してしまったが、カルタには思い入れがあって今の住まいに持ち帰った。当時は庶民の嗜みで、下町育ちの両親も同居していた祖母も、小倉百人一首の和歌の多くは諳んじていた。古いことわざと同じように、思い出したかのように両親や祖母の口から百人一首の歌が突いて出てきた。その影響もあって僕も諳んじるまではいかなくても「たごのうらにうちいでてみればしろたえの」「せをはやみいわにせかるるたきがわの」とか、「からくれないにみずくくるとは」「ながながしよをひとりかもねん」などのフレーズが自然と出てくるようになった。

     もちろんフレーズは出てくるが、あくまで口建てで単語の切れ目や意味が分かってないで発声している場合もあった。かと思えば「花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」だとか「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」などのように、超有名人の名歌ともなると語呂も意味も忘れようがないものもあった。とは言え、百首もの和歌が並んでいるのでフレーズに聞き覚えがあっても、どういう意味なのか、何をどのように歌っているのか、詳細までは分からずじまいでこの歳になってしまった。いや、実は勉強しようと思った事はあったようだ。学校の国語の授業で百人一首を勉強するカリキュラムがあったのか、今となってはまったく思い出せないが、僕の蔵書には島津忠夫訳注『百人一首』(角川文庫)がある。奥付には昭和44年初版発行、昭和50年改版七版発行と書かれている。1975年発行だからちょうど中学生の時だ。ちゃんと一通り読んだのかどうなのかは不明だ。中学生になって自分の小遣いで好きな文庫を買う事をようやく覚えた頃だったので、読んでみようと意気込んだが途中で挫折したのではなかったか。

     ちなみに訳注の島津忠夫氏とは誰かを書こうにも、角川文庫のどこにも著者紹介のページがない。ちょっと驚きだ。ただ、我が家にはもう一冊資料がある。ブックオフで105円で手に入れた『二訂版◆カラー◆小倉百人一首』だ。京都書房という出版社が出していて、おそらくだが中学生か高校生向けの教材ではないかと思われる。編者が島津忠夫・櫟原聡となっていて、こちらはちゃんと著者紹介が載っている。島津さんは大正15年生まれ。京都大学文学部(国語学国文学専攻)を卒業し、高校教諭を経て愛知県立大学教授、大阪大学教授、武庫川女子大学教授を歴任。大阪大学名誉教授。文学博士だそうだ。専門は和歌・連歌で、和歌文学史の研究も続けてきたようだ。

     だからだろうか。角川文庫の『百人一首』は、一首ごとに鑑賞のポイント、出典・参考、作者の紹介まで詳細に書かれている。ただ、ここらへんまで読み込むとお勉強になってしまうので、そこらへんはざっと流してしまって歌意、現代語訳の部分を参考程度に読む事にする。何より、現代語訳とは言っても「私の袖は、…しっとりと濡れつづけていることだ。」とか「たったひとりでさびしく寝ることであろうかなぁ。」などと、およそ現代語とは言えない文章になっている。これは元となる和歌に使われた古語の意味がそのまま現代語訳に反映している結果だ。古語の解釈勉強としては間違っていないのだろうが、分かりやすい現代語表現にはなっていない。伊藤和夫先生の『英文解釈教室』の例文同様に書き直す事にする。趣旨はあくまで「(僕が)理解しやすい日本語」に直すという事だ。と同時に、実家から持ち帰った小倉百人一首の歌留多を成仏させる事ももう一つの狙いだ。

     今では東京の庶民にも残っていた家風のようなものはとっくに失われてしまって、元日の朝は家族一同そろってお節を並べた食卓を囲んで、銀の器に屠蘇を注いでは飲みほして「あけましておめでとうございます」と言って次の家族に渡すなどという習慣(風習)は、結婚と同時に失われた。当然ながら息子には引き継がれようもないし、これまた当然ながらゲームやYouTubeに明け暮れる日々の息子がこの歌留多を大切に引き継いで行く事はないだろう。そもそも息子が子孫を残さない可能性が高い今、そんな歌留多の事を心配している状況ではないのだ。だったら、僕自身が成仏させるしかない。これが終活というのであれば確かにそうなのだろう。だが、そうは言いたくない。これはあくまでわが家族、わがご先祖が生きた証に一つケリとつける事なのだ。物に宿った"何か"を成仏指せることが、ここで「小倉百人一首を書き直す」事の裏テーマだ。

     でもそんな事はあくまで僕の独り言であって、ともかくも始めてみよう。
    posted by アスラン at 17:40| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 小倉百人一首を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする