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    2025年08月07日

    アレクサンドラ構文の不思議

     「機能的非識字」という専門用語があるようだ。Wikipediaによると「日常生活において、読み書き計算を機能的に満足に使いこなせない、文字自体を読むことは出来ても、文章の意味や内容が理解出来ない状態を指す。」と書かれている。こう書くと文字そのものを認識して発音(読み)と対応づける事まではできても、単語や句、文と言った意味を構成する単位の理解ができない事を指すように読めてしまうが、そうではないらしい。

     それよりも概要に書かれている内容の方が定義としては理解しやすい。まずは前提として「非識字」という用語がある。こちらは「知的能力や学習能力に障害があったり(ディスレクシアなど)、あるいは読み書き学習の機会が与えられなかった為に、会話はできても簡単な読み書きにも支障をきたす事」を指す。これに対して「機能的非識字」は「簡単な読み書きに関しては問題なく行うことができ、日常生活において登場する一定水準以上の文字・文章に対する適切な発音・音読もできるが、その内容を期待される水準まで正しく理解することができない事」と書かれている。

     ここで問題になるのは「期待される水準まで正しく理解することができない」の部分だろう。「期待される水準」とは一体どんな文章を指すのだろうか。同じくWikipediaには「2017年の調査によれば、日本の中学生の約15%は平仮名と片仮名は読めるが、新聞や教科書の理解に支障を来しているとしている。」と書かれている。またしてもひどい書かれようだ。文字の読み書きと意味の理解に乖離があるというだけでなく、一部の中学生は「漢字が読めない」と言っているかのような誇張(誘導)が感じられる。出典をたどると何の事はない。これから論おうとしている「アレクサンドラ構文」の発案者が、東京新聞に書いた記事が大元の出典のようだ。

     これからやろうとする事は、出典元の研究者の調査および主張を否定する事ではない。普通に考えるかぎり、漫画やアニメ、刺激的な映像などメディアが多様化するにつれて、言葉だけで複雑な内容を伝達したり、レトリックを駆使して相手にイメージを喚起したりする体験が減ってきている事は確かだろう。そのせいで「機能的非識字」という、一種の能力低下を引き起こしている可能性は否定できない。ここで問題にしたいのは、はたして「アレクサンドラ構文」がその状況を測る物差しとしてふさわしいかどうか。その一点である。

     「アレクサンドラ構文」とは以下のような文章と設問からなる。
    [文章]Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。
     [設問]この文脈において、以下の文中の空欄に当てはまる最も適当なものを1〜4の中から選びなさい。
    Alexandraの愛称は(  )である。
    @Alex AAlexander B男性 C女性
    (正答率:中学生38%、高校生(進学校)65%)

     この構文の発案者は「こんなに簡単に理解できそうな文が、中学生のたった38%しか正しく理解できていない。」と主張している。ただし、ひと目見ただけでも、この文章自体にいろいろな問題がありそうな事が分かる。例えば「名前」と言ったり「名」と言ったりしているし、Alexは「(名前の)愛称」のはずなのに冒頭から「名前」だと言っている。確かに「愛称」も「名前」というグループに含まれるが、表現のゆれが文意を捉える上で足を引っぱる事になりかねない。また、そもそも中学生に読ませる内容としてAlexやAlexandra、Alexanderそのままというのは不親切ではないだろうか。

     構文自体にも問題がある。これは3つの文を並列に並べた重文であるが、意図が分かりにくい構成になっている。3つを並べる際に意図的に第2、第3の文の主格である「Alexは」を省略している。さらに第1の文は「…名前で、」という連用形で後方の文とつないでいるが、それ以降の文とどのような関係があるのかが曖昧だ。ここには大きな切れ目があって、後方の文は第1の文の具体例を挙げている事が分かるように書かれるべきだ。ここまでで文章を推敲する。
    Alex(アレックス)は男性の名前にも女性の名前にも使われる愛称である。
    例えば、Alexは女性の名前であるAlexandra(アレクサンドラ)の愛称であるが、男性の名前であるAlexander(アレクサンダー)の愛称でもある。

     推敲した結果、さらに元の文章には足りないところがある事がわかってくる。そもそも、元の文章は何を相手に伝えたいのだろうか。思うに2つの事を伝えたいはずだ。
    ・英語圏では名前の一部を使った愛称(あだ名)がよく使われる。例えばEdwardをEdと呼んだりする。
    ・よく使われる愛称の中には男性にも女性にも使われるものがある。例えばAlexがそうだ。
     重要なのは、この後半部分をいきなり提示したのが元の文章であるという点だ。前半部分の説明が欠けているせいで、聞き手の一部は設問に答える前に文脈を見失う可能性がある。そこで「愛称」についての説明を加えて文章を再度推敲する。
    英語では、名前の最初の部分だけから愛称(あだ名)が作られ、名前の代わりに使われることがある。
    例えばEdward(エドワード)という名前にはEd(エド)という愛称が存在する。
    愛称の中には男性にも女性にも使われるものがある。
    例えばAlexandra(アレクサンドラ)は女性の名前だが、愛称はAlex(アレックス)である。
    一方、Alexander(アレクサンダー)は男性の名前だが、愛称は同じくAlex(アレックス)である。

     前半に愛称の説明を加えただけでなく、後半の説明も手直しした。それは、そもそも原文に愛称の説明が一切なかったので、後半部分の説明にむりやり「愛称」という言葉を入れ込む必要があったからだ。つまり前半部分の説明が不十分な事のしわ寄せが、原文全体のわかりにくさに影響をおよぼしたと言っていい。わかりやすさを基準にして原文を書き直したが、やや丁寧すぎる事で設問の狙いである「機能的非識字の有無」を測るのにふさわしくなくなってしまったかもしれない。もう少し要約しよう。
    英語では、名前の一部を使った愛称(あだ名)が使われる事がある。例えばEdward(エドワード)の愛称はEd(エド)である。
    愛称の中にはAlex(アレックス)のように男性にも女性にも使われるものがある。Alexandra(アレクサンドラ)は女性の名前で、Alexander(アレクサンダー)は男性の名前だが、どちらの愛称もAlexである。
     この文章(文脈)にもとづいて、どのくらいの中学生が前述の設問「Alexandra(アレクサンドラ)の愛称は(  )である。」に正しく答えられるだろうか。普通に考えると、設問自体が文章の中に出て来ているので、原文のままと比べるとかなり正答率が上がるのではないかと予想する。だから最後の推敲で一手間かけて、アレクサンドラとアレクサンダーの名前の比較を先におこない、後で「どちらの愛称もAlexである」と書く事によって設問そのままの文が出てこないように工夫してみた。

     機能的非識字を測る物差しとしての難度(期待される水準)が正しく設定されているかは、僕には正直わからないが、少なくとも物差しそのものに問題がある状況は改善できたように思う。前提となる説明(文脈)をきちんと提示しない、あるいは一部を隠蔽している文を「これは普通の文章なんです」と言い張る事はできない。相手のスキルに問題ありと主張する前に、まずは発信者側のスキルに問題ありと内省する必要があるのではないだろうか。
    posted by アスラン at 09:50| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 評論・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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