なかでも特に気になったのは北村薫さんの一言だ。KAWADE夢ムック『江戸川乱歩』(河出書房2003年)の中の特別対談にて「大人向けの訳で読んで辟易しちゃいまして」と発言したそうなのだ。北村さんのミステリの愛読者でもあり、北村さんの本格ミステリへの愛を受け止めてきた歴史も長いので、その発言に信頼を置いてきた僕としてはちょっと意外な感じがした。これは是非とも内容を確かめなければと思い立って、最寄りの図書館に当たってみたが蔵書にはなかった。ネットで誰か詳しく引用していないだろうかと思って調べたら、Web東京創元社マガジンというサイトで、前述のとは別の対談で同様の発言をしている事がわかった。
創元推理文庫創刊50周年記念対談〈第1回:ミステリ編 北村薫×桜庭一樹〉(1/3) (2/3) (3/3) [2009年12月]
詳しくは、この対談を読んでもらえば書いてある通りなのだが、最初に言ってしまえば『髑髏城』の低評価は「言いがかりもはなはだしい」という事になる。自分なりにまとめてみた。
北村薫さんは1949年生まれ。自らを「戦争を知らない子供たち」と歌った杉田二郎より数年年下であり、後の新本格の雄・綾辻行人の10歳上の世代。僕から見てもちょうど一回り違う。そういう年代の北村さんがどのようにミステリと出会い、どのようなミステリを、どんな本で、どのように読んできたか。そういう事が北村さんの読書にどんな影響を与えてきたか、僕にはとても興味深かった。対談相手の桜庭さんは1971年生まれで、北村さんとはおよそ二回り違う。自分とはどれほど違う環境でミステリを読んできたかを大先輩からうかがいながらも、北村さんの個人的体験からくる感想を、時に受け止めかねている桜庭さんの戸惑う様子が途轍もなく面白い。
北村さんとミステリの出会いは小学校二年生。まずは乱歩の『少年探偵団』シリーズ。学校の図書館(図書室)で読みあさっては友達に講談のように話して聞かせていた。『少年探偵団』の洗礼を受けるのは僕らの世代までは当たり前だった。小学校の図書室と言えば、『少年探偵団』とホームズ物とルパン物が山とあり、僕もまずはそこからだった。北村少年はホームズよりもルパンが好きだったようだ。ルパン物は「歌舞伎のようで華やかさがある。絢爛豪華な活劇調が良い」と絶賛する一方で、何故かホームズとはいい出会いをしてこなかったと語っている。『バスカヴィル家の犬』は最初にラジオで聴いてつまらないと思ったらしい。『緋色の研究』はミステリとして読むと不満が多く、『四つの署名』に至っては、インド人が吹き矢で人を殺す場面を小学校高学年で読んで「高学年にもなって読むもんじゃない」という感想を抱いている。ホームズ愛を貫いてきた桜庭さんが「ルパン物も相当いいかげんじゃないですか」とツッコむと、そこがいい、歌舞伎だからそのくらいの方がいいと言って桜庭さんを呆れさせている。この部分を読む限り、「愛は盲目」の言葉通り、好きになったのに理由などはいらないが、嫌いというのには理由(屁理屈)が必要ならしい。
ルパン物は南洋一郎・訳の全集を読んだようで、これまた僕も同じだ。『棺桶三十島』『813』などを絶賛しながら『八点鐘』の結末は子供には分からず、大人のあやしい話になってしまったと言っている。それでも「ルパンが通れば道理が引っ込む」というダジャレでごまかしているが、どうやら北村少年は歌舞伎のような活劇に大人のロマンスは求めていなかったようだ。
初な少年を自称する北村さんは、ことミステリに関しては早熟だった。小学校高学年になって大人向けのミステリに手を出すようになる。カーの最初の作品は『皇帝のかぎ煙草入れ』。そしてクイーンの悲劇四部作のうち『X』『Y]』『Z』までを新潮文庫で読んだそうだ。何故か『レーン最後の事件』だけは新潮文庫から出版されず、その頃はまだ角川文庫の『最後の悲劇』も出版されていない。そこで中学一年生になって初めて読んだ創元推理文庫が『レーン最後の事件』なのだが、なんと前述の新潮文庫の三冊では巻末の解説で四作目の犯人をネタばらししていたらしい! なんたる「悲劇」だ。つくづく悲劇四部作を創元推理文庫で読んでおいて良かったと僕は思う。
北村さんのクイーン愛はよく知られているが、この後も国名シリーズを創元推理文庫で読み継ぐ事で最高の出会い方をしたと言えるだろう。一方、新潮文庫で読んだカーの『皇帝のかぎ煙草入れ』は、カーらしさを気に入ったというよりは作品の出来に感心している。それでカーの作品をたくさん読むぞと意気込んだところで、次に出会った作品が『髑髏城』だった。
北村 どんな作品に感心できるか、それはやっぱり時期によって違うと思いますよ。さっきの『813』の話もそうですけど、ミステリに触れていない一番最初のころだと、『皇帝のかぎ煙草入れ』にはすごく感心しましたね。「カーらしいなあ」というよりも「よくできてるなー」って。それが先でした。それから創元推理文庫を知って、じゃあカーをいっぱい読むぞと思って、『髑髏城』なんかを読むと楽しめない。あれ面白いって人もいるけどね、それでも意地になって最後まで読みました。「バンコランは笑う」とかなんとか、目次を今でも覚えてますよ。まさにこれが、KAWADE夢ブック『江戸川乱歩』での対談での発言「大人向けの訳で読んで辟易しちゃいまして」とつながる。夢ブックの対談が2003年で、こちらの対談が2009年。小学生当時の記憶をさらに頑なに強化していったような感じだ。おまけに目次の指摘から、この「大人向けの訳」が創元推理文庫の旧訳、つまりは宇野利泰さんの訳だという事が判明してしまった。
ここからどんな事が言えるか。まずは北村さんはホームズ物とルパン物との出会い方の違いと同じように、クイーンとの幸せな出会い方と比べると、カーとは幸せな出会い方をしてこなかったのではないだろうか。クイーンは『レーン最後の事件』の悲劇はあったものの、最上の初期作品と出会う事で十分に「愛は盲目」状態になっていた。しかし、カーについていえば最上のミステリ作品の一つと出会いはしたものの、カーらしい作品とはまだ出会っておらず、まだ十分な状態ではなかったのではないだろうか。
では『髑髏城』のどこに北村少年は気に入らなかったかと言えば、まずは明解な外連味に欠ける点だろうか。ルパン物を最上と考えていた時期に、髑髏城の物語はどこか少年の心をかき立てるような仕掛けも活劇も無かった(いや、無いと感じられた)。早い話がルパン物のエッセンスはあるが物足りない。北村少年にはルパン物の劣化版に見えてしまったのかもしれない。
また、バンコランを主人公とした長編小説の中でも、唯一バンコラン自身がメフィストフェレス的な意匠をまとわず、ある意味非常に行儀良くて、むしろ人当たりのよい人物に描かれている作品だった事も災いしたかもしれない。これはその後に書かれた『蝋人形館の殺人』の傲慢で傍若無人なバンコランとはまったく違っている。そのせいで、作品全体にメロドラマを許容するかのような雰囲気が醸成されてしまったのは確かだ。当時、歌舞伎のような外連をまとった活劇調を期待し、大人のロマンスの怪しげな雰囲気に嫌悪を抱いていた北村少年には、宇野訳の『髑髏城』はフィットしなかったのだろう。しかも、髑髏城という現実離れした虚城を描いた部分を除けば、登場人物の男女の色恋が描かれているところはミステリとしては消化不良だったかもしれない。
そもそも『バスカヴィル家の犬』もつまらないと言い放つ北村少年は、ゴシックホラー調のミステリあるいは読み物がお気に召さなかったのかもしれない。どこか本格ミステリの王道的な路線から外れているという嗅覚が働いたのだろうか。しかし、だ。あくまでそれは、当時の北村少年が感じた感想でしかないのではないだろうか。北村薫ともあろう方が、何故大人になってから『髑髏城』を再読して、現在の読み手巧者としてあらたに見直すという事をしないのだろうか。もはや1930年代のロマンスなど免疫ができているどころの年齢ではない。今こそ、あらためて読めば、中世の騎士たちの伝説に裏付けられた、まさに古城が醸し出すロマン小説である事が見えてくるのではないか。カーらしいという意味では、密室だけが、不可能犯罪だけが、カーの特徴ではない。この対談でも語っているように、歴史物もいいと言っている。『ビロードの悪魔』『火よ燃えろ!』『恐怖は同じ』などは「物語作者カーの面目躍如」だと。さらにはあの『魔女が笑う夜』までも「他の人じゃ書けない」と褒めている。こうまで言って『髑髏城』を切り捨てるのは、やはり最初の出会い方の悪さにこだわっているだけではないだろうか。




なお、和爾新訳以前の訳は子ども向けとして氷川ろうのものがありますが、これは宇野訳に手を加えただけのものなので、南洋一郎の超訳などと較べるとまったく違うというか、面白さの質が変わるほどの相違はありません。そのへんのことは「探検、髑髏城」に書きました。
私は「髑髏城」が好きになったのは、バンコランのルパンぽさのためもあると思っています。そして子ども向けにいろいろ改変した南訳の価値はあるけれど、ルパンの真骨頂は大人向けの翻訳でこそわかると思っています。恋愛味を排除したホームズとは違って、ルパン物語には恋愛要素が不可欠であり、それがミステリ的な興趣とわかちがたく結びついているので、北村さんの読みは子供時代の記憶によった偏りであり、批評とはなっていないと強く感じました。
ムックの件ですが、たぶん書店でも見つかりそうですし、いずれどこかで立ち読みでもします。そこまでこだわる話でもないかと。お気持ちだけ、ありがたくいただきます。
バンコランがルパンっぽいという視点は今までありませんでした。僕も子供向けルパンの印象のままだからかもしれません。いずれ文庫を読むつもりだったのが、ここまで据え置いてしまったもので。でも、乱歩や北村さんや、その他本格ミステリ好きに欠けた視点が『髑髏城』の低評価につながっているのかもしれません。
乱歩のカー問答についても何か書こうと思ったのですが、やはり『探検 髑髏城』を読ませていただいた後にしようと思います。いろいろ先走ってしまい、申し訳ありません。
『髑髏城』散策をまず完結させようと思います。