2012年07月20日

ダンス・ダンス・ダンス 村上春樹(2004年11月2日読了)

 「ねじまき鳥」で始めて「カフカ」にジャンプして、「風の歌」にターンして「ダンス」へとスキップした。このデタラメなステップは主人公の「僕」そのものを暗示してると言えなくもない。

 村上春樹フリークなら「ハードボイルド」を読まなきゃとか、「羊」はどうしたとか言われそうだが、なんと言われようとまだ未読の長編がある事以上の幸せがあるだろうか。春樹作品には始まりもなければ終わりもない。あるのはセンチメンタルに生きる「僕」だけだ。だったらどこから読んでもいいはずではないか。

 「僕」が、五反田君に「ピーク後のビーチボーイズもいい」と語るように、僕(作中ではなく、今これを書いている僕)は、ミスドに駆逐されてしまって今は無きダンキンドーナツが作品の中に存在する事に感動する。ビーチボーイズには感動しないのにだ。

 やがては、村上春樹作品とて漱石や鴎外の同様におごそかな全集に収められ、「ビーチボーイズ」にも「ダンキンドーナツ」にも注が振られていく。そのとき、村上春樹の描く風俗もカルチャーも風化し、次々とただの記号となっていくだろう。でも「僕」も、「僕」のセンチメンタルも、そして僕もしくは私、彼、彼女のセンチメンタルは永遠に続くだろう。
(2005/6/2初出)
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2012年07月10日

69 村上龍(2005/06/02読了,村上龍自選集1より)

アダマは信じている。僕を信じているのではない。アダマは、千九六〇年代の終わりに充ちていたある何かを信じていて、その何かに忠実だったのである。(「69」より引用)


 僕は一度「69」を読んでる。「コインロッカー・ベイビーズ」を読んでぶっとんだ直後だったから、ミーハーな僕はさっそく書店で村上龍の平積みになった最新巻を買って来たのだ。が、まったく内容を覚えてない。あまりに期待してたものと違ったので無視を決め込んだのかもしれない。

 当時会社の昼休みに読んでたら、ちょっと小太りでちょっとブスのタマビだかムサビのアルバイトの女の子が目ざとく見つけ、読み終わったら貸してと頼まれた。僕は次の日に読み終わった事にして貸してあげた。優しくしたらヤラセてくれるかとの下心からだが、彼女は借りたまま月末に辞めてしまった。

 半年後、会社を辞めた僕は、することもなく見に行った映画館のロビーで彼女と再会した。彼女はちょっとだけ綺麗になっていて「69、良かったね」と笑顔で言った。かなりドキュンときた。飲みに行った二人はお決まりのようにその後でHした。彼女はベッドの上で「本のお礼よ」と笑って言った。

 というのは嘘で、僕は今も同じ会社でちまちま働いてるし、彼女から返ってきた単行本は会社のロッカーに放り込んだままだ。まあ、そういう大嘘つきの高校生が主人公の青春物語だ。1969年にまだガキだった僕にはアダマが忠実だった何かなど想像もつかず、ヤザキが嘘ぶいていたランボーも「太陽に溶けた海」もゴダールもカミュもベトナムも全共闘も存在しなかった。

 でもひとつだけはっきり言える。

 僕は僕にとっての「69」をもっている。それは1979年かもしれない。そして僕はヤザキではなかった。ヤザキのようには生きられなかった。時代の何かに忠実なアダマに過ぎなかった。だからあの頃を思い出すと何かやり残した気がして物悲しい。
(2005/6/2初出)
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2012年07月04日

かけ算には順序があるのか 高橋誠(2012/3/2読了)



「1個30円のリンゴを5個買いました。いくら払えばいいでしょう?」という問題に、
式:30×5=150
答え:150円

と書けば、式・答えともに正解。でも
式:5×30=150
答え:150円

と書くと、答えは正解でも式はバッテンとなる。

 それぞれに得点があるならば、かけ算の式の順序で減点される可能性が生じる。これが今の小学校でのかけ算の教え方だ。はたしてこれは正しい教育といえるのか。正しい技術なのか、正しい理論なのか。そういう話が書かれている本だ。

 実は僕自身、式に順序があるものだと覚えさせられた。問題の文章を正しく読みとくと、
 30(円/1個)×5(個)=150円
という考え方ができる。この順序の式だけに意味があり、逆順は意味をなさない。と思っていた。

 ところが、後に僕らが高校の数学の授業で習うように、現実にはかけ算は交換法則が成り立つので、
 30×5=5×30=150
となり、答えを導出することを主眼におくならば、式に順序があるという「こだわり」はナンセンスだ。

 たとえばこういうふうに考えこともできる。1個25円のリンゴが3個一山で売られていた。4山買ったらいくら払えばいいのだろうか?順序を考慮するならば、

 25(円/1個)×3(個)×4(山)=75×4=300円

だ。しかしだ。かけ算の交換法則が成り立つとわかっていれば、
 (25×4)×3=100×3=300円
と計算した方が、暗算が圧倒的に楽になるし確実になることを誰もが経験的に知っているはずだ。いや算数にしろ数学にしろ、正しい解答(答え)を出すために確実な方法を教えるべきで、過程があたかも一つしかないかのように教えるべきではないのではないだろうか?それなのに、現実の小学校教育の現場では「正しい答え」ではなく「正しい解き方」が優先されると言っていい。

 これは不思議な話ではないだろうか。そして話は式の順序だけに収まらず、九九の問題にまで広がっていく。僕はそんな事にすらうかつにも無知だった事に、初めてこの本で気づかされることとなった。

 かけ算に順序があるならば、九九という技術ではかならず2×3と3×2の両方を覚えなければならない。だから九九は1の段から9の段まで、計9×9=81個の暗算を覚えることになっている。と考えるのは早計で、この81個の九九(全九九と言うそうだ。初めて聞いた)は、全世界共通というわけではない。

 中国では半九九が主流で、一方の方向にしか暗記しない。つまり2×3を覚えたら、3×2は覚えさせない。半九九の教育理念には、かけ算には順序はないという思想が含まれている。しかも、日本でも以前は半九九を採用していた。全九九になったのは戦後からというから、かなり最近だと言える。

 それだけではない。たとえ全九九を教育に採用したからと言って、それで「2×3」と「3×2」のどちらが順序として正しいかという議論がひとつにまとまるわけではない。「にさんがろく」と唱える九九は、果たして「2個のリンゴを3人に配る(2×3)を意味する」のか、あるいは「2人に3個のリンゴを配る(3×2)を意味する」のか、教育の現場で小学生の自信をもって説明する教師ほどには確信できるものではないようだ。

 その証拠に、江戸時代から明治のはじめ頃に使われていたかけ算では、「にさんがろく」と唱えて3×2と書いていた事が文献からわかっているそうだ。ならば伝統的な和算の立場からも、現在のかけ算の式の順序は否定される。ならばいったい「かけ算の順序」に果たしてどんな意味があるのか?

 なんとなく「右へならえ」「右向け右」式の国民的規律に帰着しているだけのような気がする。一概に規律とか慣習を否定しているわけではない。そうだ(慣習だ)と言ってくれればいいだけの話だ。慣習であるならば減点すべき事ではないだろう。そういう順序を意識して式をかけば、「あなた(生徒)が解いた過程が、私たち(先生やほかの生徒)にも分かりやすい」というふうに主張してくれたら、どんなにか話は前向きになるのではないか。

 まあ、そういう議論は専門家にお任せするとして、この本で紹介されている「九九」の種類の話は大変に興味深い。なんとまあ、僕は九九の事を簡単に考えてきたのかと思ってしまう。いったい、あなたは九九の種類がどれだけあるか知っているだろうか。
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2012年07月03日

「新潮文庫の100冊(2011年)」VS.「新潮文庫の100冊(2010年)」(再掲載)

 台風が2つも日本に同時に居座って、まだまだ残暑が厳しい9月も半ばを過ぎた。店頭から、「夏の文庫フェア」の展示も消えたというのに、いまだ恒例の「夏の文庫フェア」比較が終わらないというていたらくをどうしよう。どうたって、やるしかないじゃないか。来年も続けたければ。イチローの11年目の200本安打は残念ながら厳しくなってしまったが、イチローとて「だからあきらめます」などと言うはずもない。僕も淡々とゴールに向かうだけだ。さて、今年の「新潮文庫の100冊」は?

[表紙]
 マスコットのパンダ(Yonda?くん)は、微笑むこともあるんだな。例年の印象だと、読者に媚びることなく飄々として、時にほうけたような表情をうかべて、読書に没頭するイラストが多かった。今年の表紙の彼(彼女?)は確かに笑っている。笑うだけではない。「名作」のジャンルに挿入されたイラストでは、涙まで浮かべている。一瞬、これまでの作者(100%ORANGE)から新たな作家にバトンタッチしたのかと思ったのだが、それにしては作風があまり変わっていない。果たしていかに?
新潮文庫表紙2011年.jpg 表紙2010(新潮).jpg


[スペシャルカバー]

(2011年)8冊
吾輩は猫である 夏目漱石
人間失格 太宰治
注文の多い料理店 宮沢賢治
未来いそっぷ 星新一
夜のミッキー・マウス 谷川俊太郎
きらきらひかる 江國香織
ティファニーで朝食を カポーティ
赤毛のアン モンゴメリ

(2010年)10冊
こころ 夏目漱石
雪国 川端康成
羅生門・鼻 芥川龍之介
人間失格 太宰治
金閣寺 三島由紀夫
橋ものがたり 藤沢周平
江戸川乱歩傑作選
夏の庭 湯本香樹実
キッチン 吉本ばなな
老人と海 ヘミングウェイ


 昨年の10冊から今年は2冊減って8冊になった。相変わらず「新潮100冊」のスペシャルは、角川のように〈がっつく〉ところを感じさせない。あるいはナツイチのように「ひきつづきスペシャル継続します」みたいな〈安易さ〉の微塵も感じさせない。隙がないのだ。

 昨年から引き続いてスペシャルカバーを採用したのは、たったの一冊。それは「人間失格」のみだ。「こころ」「金閣寺」「江戸川乱歩傑作選」「夏の庭」「老人と海」の5冊は今年もラインナップされているが、あっさりといつもの表紙に戻している。「期間限定」は掛け値なしに今夏限定なのだ。

[ラインナップ]
新しく入った本56冊(2010年は44冊)
今年消えた本53冊(2010年は**冊)
全体109冊(2010年は106冊)

33->44->56

これは、この3年間で「新しく入った本」の冊数の推移を表している。これは「新潮100冊」史上驚くべき異変なのだ。僕がこの企画を初めてから早いもので10年になるが、「新潮100冊」は愚鈍と言われてもいたしかたないほどぶれなかった。かたくなに老舗としての自信を崩すことなく、毎回判で押したように100冊中入れ替えるのは30冊前後だった。コピーには手を入れてきたが、解説は変わらない。レイアウトもまったくと言っていいほど変えない(レイアウトは、今年も変わっていない)。

 これほど動きのない文庫フェアもないなぁ、よっぽどの自信があるんだなぁと思ったのだが、昨年ついに動き出した。今年もその流れは止まらない。ついに半分が入れ替わるという大変動が起きているのだ。

[躍進した作家]

神永学(0->2)
宮沢賢治(1->2)
宮部みゆき(1->2)
米澤穂信(1->2)


 神永学。僕にとっては無名に等しい作家が、今年の新潮文庫のイチオシのようだ。「天命探偵 真理省吾」シリーズから2冊が一気にライクイン。この破格な待遇も、これまでの「新潮100冊」にはなかったことだ。そもそもイチオシなどという姿勢はかつてなかった。なにしろ先年の「太宰治生誕100年」だったかに、太宰の作品を増やすことなく、徹底的に記念年を無視してきたのが、この出版社だったのだ。

 もちろん、ようやく他社並みに読者に媚びを売るようになったのかと言うつもりはさらさらない。もし、そう言いたい人がいるとするならば、あのお堅いNHKの最近の変わりようを見ればいい。時代に迎合することも、また大衆向けのメディアの宿命なのだ。

[後退した作家]
三島由紀夫(2->1)


 そもそも、これまでの新潮の方針では2冊入る作家は文豪か、多作の超売れっ子作家しかいない。今年、宮沢賢治が2冊入ったので、帳尻をあわせたとも考えられるが、三島由紀夫の後退は、神永や米澤といった「今が旬」の作家の躍進の割を食ったと考えた方がよさそうだ。

 新しく入った作家27人(2010年は28人)
 今年消えた作家31人(2010年は28人)

[キャッチコピー・解説]

 今年の特徴的な点は「コピーは短めに。太字でくっきりと」「解説はぐっと削って、分かりやすく」の2点だろう。なんというか、文字通りキャッチコピーでひきつけておいて、必ず解説まで読んでもらおうという戦略だ。せっかくコピーに立ち止まってもらっても、長々とした解説の文字の多さに挫折してしまう中高生が多いという心遣いではないだろうか。


こころ 夏目漱石
(2011年コピー)恋か。それとも友情か。あなたはどちらを選びますか?
(2010年コピー)友情と恋の、どちらかを選ばなくてはならなくなったら、どうしますか……。

コピー・解説ともに、昨年のを引継ぎながら、よりコンパクトにまとめてきた。解説の冒頭で「鎌倉の海岸で、学生だった私は一人の男性と出会い、”先生”と呼んで慕っていた。」というまとめ方は簡潔だ。昨年は「…出会った。不思議な魅力を持つその人は、”先生”と呼んで慕う私になかなか心を開いてくれず…」と長々と説明が続く後半をばっさりとまとめてしまった。

吾輩は猫である 夏目漱石
(2011年コピー)日本一有名なネコの可笑しな人間観察日記

 今年から入った作品。「可笑い(おかしい)」とは言うが「可笑しな(おかしな)」って書くだろうか。ちょっと違和感がある表記だ。いやいや、それはまだ許そう。解説の「吾が輩の飼い主の書斎には、今日も一癖ありそうな友人たちや、近所の奥さん、ついでに泥棒までもが次々と襲撃中。」って、そんな騒がしい小説でしたっけ?なんか若い世代をひきつけたいあまりに、ずいぶん格調を下げた感じがする。

砂の女 安部公房
(2011年コピー)来る日も来る日も砂。私たちの日常も……。
(2010年コピー)来る日も来る日も砂、砂、砂。

 なんというか、作品を読んだことがある人は、昨年までのコピーのシュールさ、不条理さが納得できるだろう。だが、残念ながら今の世代には、書かれた社会状況も含めて意味不明になってしまう。現実との接点を確保しないと、新しい読者は獲得できないということか。

塩狩峠 三浦綾子
(2011年コピー)誰だって、他人のために死にたくない。…そうだろうか本当に?
(2010年コピー)他人の犠牲になんてなりたかない、誰だってそうさ−そうだろうか、本当に?

 ああそうか。今年のコピーになって初めて、昨年までのコピーがおかしいことに気づいた。「他人の犠牲」になったわけではない。そもそも事故の犠牲になっただけだ。「他人のために」自らを犠牲にする。それが今年のコピーだ。ところで解説の導入部が大きく書き改められた。「たまたま自分の乗った列車が、事故で暴走し始めたら…。さらに自分が犠牲を払えば、大勢が助かるかもしれなかったら…。」なんとなく何かににてないだろうか?そう、きっとこの解説を書き直した担当者は、あのサンデル教授の「白熱教室」のファンだったにちがいない。

さがしもの 角田光代
(2011年コピー)本の魔法はページを閉じてから始まる。
(2010年コピー)ページを閉じてから始まる本の魔法。

 昨年までは「偶然出会ったことばの魔法はあなたの人生を変えるかも。」という解説の一文があったが、今年はそこから「かも。」がとれた。この本を読んだことがある人ならわかるだろうが、「ことばの魔法」は確かに存在するのだ。昨年までの解説者は控えめすぎたか、あるいはわかってなかったの「かも」。

砂漠 伊坂幸太郎

 今年の解説は「センセイの鞄」といい、この「砂漠」といい、字数を減らした上に、とてもよくまとまっている。今年の解説を読んだあとでは、昨年のくだくだしい文章は読む気がしない。とくに最期の決め言葉。「二度とない季節の光と闇をパンクロックのビートにのせて描く爽快感100%の長編小説」(2011年)は、「洒落た会話を交えて軽やかに描く」(2010年)とくらべると、伊坂の文体の特徴をよく捉えている。

風が強く吹いている 三浦しをん
(2011年コピー)過去や評判が走るんじゃない いまのきみ自身が走るんだ。
(2010年コピー)「俺は知りたいんだ。走るってどういうことなのか」

 解説が全然違うんだなぁ、昨年と。「箱根駅伝を走りたい−そんな灰二の想いが、天才ランナー走(かける)と出会って動き出す」(2010年)が、「走ることに見放されかけていた天才ランナーの灰二と走。」(2011年)に変わった。あれ?灰二も天才ランナーだったのかい!昨年までの解説は、ただ「駅伝って何?」という点に焦点を当てていたけれど、今年はもっと具体的なおもしろさを読者に伝えようとしていて、グッドだ。

老人と海 ヘミングウェイ
(2011年コピー)男は死ぬまで闘いだ。人生は闘いそのものだ。
(2010年コピー)男は死ぬまで闘いだ。こんな薄い本でそれを悟れる君は幸福とだけ言っておく。

 後半の文をごそっとけずった。2010年のコピーはそれなりによかったと思うが、中高生相手には少し気取りすぎだろう。もう少し、直接的に訴えるコピーが好ましいということか。

罪と罰 ドストエフスキー
(2011年コピー)なぜ殺してはいけないのか?人生で一度は読みたい世界的巨編
(2010年コピー)世のため人のために殺ったはずだった。これほどの恐怖のオマケつきとは…。

 昨年とはセールスポイントがまったく違ってしまった。昨年までは「モーソー満載の饒舌体。推理小説と恋愛小説、青春小説の要素がすべて楽しめる!」などと熱く売り込んでいたが、今年の解説では「人間の業とは何か、強く深く考えさせる歴史的大作」と書かれた。うーむ。言いたいことはわかるが「大作」に「巨編」は積み上げすぎなんではないか。

ゲーテ格言集 ゲーテ
(2011年コピー)なんて贅沢な人生相談!悩みの答えがきっとある。
(2010年コピー)「地上のあらゆる所有の中で、自分のハートが最も貴重なものである」。ゲーテは、あたたかい人だったんだ。

 今年変わったコピーの中で、もっともいいと思った。昨年までのも決して悪くはない。けれど解説を読むと、格言すべてが「あたたかい人」のそれだとは思えない。もっと冷静に物事をながめ、隠された真理を突いてくるゲーテの明晰さに読者は引かれるのではないだろうか。

十五少年漂流記 ヴェルヌ
(2011年コピー)必要なものは、勇気と知恵、そして仲間
(2010年コピー)しなやかさとしたたかさ、そして仲間。子どもだけの力で、どこまでやれるか。

 なるほど、後半をけずった方がコピーとしては切れ味がいい。

シャーロック・ホームズの冒険 コナン・ドイル
(2011年コピー)赤髪組合?まだらの紐?イギリスを名探偵と駆け巡れ!
(2010年コピー)赤髪組合?まだらの紐?謎だらけのイギリスを名探偵と駆けめぐろう!
 これは改悪のパターンだ。たんに「イギリス」ではなく、ホームズがいるからこそ「謎だらけの」という形容詞が活きてくる。とってしまったら面白くない。でも、よくよく考えたら「イギリス」ではなく「謎だらけのロンドン」にすべきではないか。

フェルマーの最終定理 サイモン・シン
(2011年コピー)数学者たちが生涯を賭けて求めた恐ろしくも美しい一行の真理。
(2010年コピー)恐ろしくも美しい数学の魅力。数学者たちが生涯を賭けて求めた一行の真理。
 うまい!昨年までのコピーをきりっとしまった一文にまとめた。

赤毛のアン モンゴメリ
(2011年コピー)美人じゃないけど最高にカワイイ!アンは女の子の永遠の憧れです。
(2010年コピー)美人じゃなくても こんなに元気、こんなに幸せ。アンは女の子の永遠の憧れです。

 「元気で幸せな人」。これこそ「カワイイ」の定義です。「カワイイ!」一語の破壊力が抜群だ。グッドです。

[今年新たに入った本(56冊)]

きみの友だち 重松清
コールドゲーム 荻原浩
ティファニーで朝食を カポーティ
伊豆の踊子 川端康成
黄色い目の魚 佐藤多佳子
火車 宮部みゆき
山椒大夫・高瀬舟 森鴎外
走れメロス 太宰治
太陽の塔 森見登美彦
痴人の愛 谷崎潤一郎
蜘蛛の糸・杜子春 芥川龍之介
鳥人計画 東野圭吾
沈黙 遠藤周作
白州正子自伝 白州正子
不思議の国のアリス ルイス・キャロル
片眼の猿 道雄秀介
魔性の子 小野不由美
恋せども、愛せども 唯川恵
悪人正機 吉本隆明・糸井重里
暗渠の宿 西村賢太
うそうそ 畠中惠
うらおもて人生録 色川武大
エンキョリレンアイ 小手鞠るい
風の男 白州次郎 青柳恵介
きらきらひかる 江國香織
甲子園が割れた日 中村計
孤高の人 新田次郎
心に龍をちりばめて 白石一文
狐笛のかなた 上橋菜穂子
ゴールデンスランバー 伊坂幸太郎
さよなら渓谷 吉田修一
シズコさん 佐野洋子
忍びの国 和田竜
しゃぼん玉 乃南アサ
女子中学生の小さな大発見 清邦彦
Story Seller 新潮社ストーリーセラー編集部・編
スナイパーズ・アイ 神永学
青年のための読書クラブ 桜庭一樹
せんせい。 重松清
タイム・ラッシュ 神永学
旅のラゴス 筒井康隆
注文の多い料理店 宮沢賢治
東京島 桐野夏生
トリツカレ男 いしいしんじ
なんくるない よしもとばなな
人間の建設 岡潔、小林秀雄
儚い羊たちの祝宴 米澤穂信
花宵道中 宮木あや子
パーマネント野ばら 西原理恵子
僕はいかにして指揮者になったのか 佐渡裕
無言歌 赤川次郎
夕映え天使 浅田次郎
夜のミッキー・マウス 谷川俊太郎
龍は眠る 宮部みゆき
吾輩は猫である 夏目漱石
ワーキングガール・ウォーズ 柴田よしき


[今年消えた本(53冊)]
「さよなら」が知ってるたくさんのこと 唯川恵
5万4千円でアジア大横断 下川裕治
ヴィヨンの妻 太宰治
エイジ 重松清
ガンに生かされて 飯島夏樹
キッチン 吉本ばなな
きつねのはなし 森見登美彦
こころの処方箋 河合隼雄
サマータイム 佐藤多佳子
しゃばけ 畠中恵
つめたいよるに 江國香織
ナイン・ストーリーズ サリンジャー
一億円もらったら 赤川次郎
一夢庵風流記 隆慶一郎
押入れのちよ 荻原浩
仮面の告白 三島由紀夫
海と毒薬 遠藤周作
海馬 池谷裕二・糸井重里
絵のない絵本 アンデルセン
蟹工船・党生活者 小林多喜二
散るぞ悲しき 梯久美子
屍鬼 小野不由美
思い出トランプ 向田邦子
七つの怖い扉 阿刀田高、小池真理子、鈴木光司、高橋克彦、乃南アサ、宮部みゆき、夢枕獏
重力ピエロ 伊坂幸太郎
春琴抄 谷崎潤一郎
深夜特急1 沢木耕太郎
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 村上春樹
精霊の守り人 上橋菜穂子
青い鳥 重松清
点と線 松本清張
凍える牙 乃南アサ
東京湾景 吉田修一
白川静さんに学ぶ漢字は楽しい 小山鉄郎
にごりえ・たけくらべ 樋口一葉
橋ものがたり 藤沢周平
二十四の瞳 壺井栄
八甲田山死の彷徨 新田次郎
キッドナップ・ツアー 角田光代
ひとがた流し 北村薫
ビルマの竪琴 竹山道雄
マイマイ新子 高樹のぶ子
レベル7 宮部みゆき
向日葵の咲かない夏 道尾秀介
放浪記 林芙美子
坊っちゃん 夏目漱石
僕僕先生 仁木英之
友情 武者小路実篤
羅生門・鼻 芥川龍之介
流転の海 宮本輝
恋愛脳 黒川伊保子
朗読者 ベルンハルト・シュリンク
老子と少年 南直哉

(2011/9/17初出)
posted by アスラン at 06:20| 東京 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 夏の文庫フェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月02日

「ナツイチPASSPORT(2011)」VS「ナツイチ2010」(再掲載)

[表紙]
 昨年までは、イメージキャラクターが表紙を飾ってきた。宮崎あおい、蒼井優、岡田将生・山下リオ、そして2009年、2010年連続で多部未華子だった。ところが今年はぐっとスタイリッシュなパスポート風のデザインを採用してきた。表紙をめくると、旅券であることを示す身分証明書の体裁がなされて、今年のナツイチは「読書人を本への旅に誘う」という趣向を貫こうという編集部の意気込みが感じられる。さらにイメージキャラクターは、好奇心旺盛な笑顔が魅力的な武井咲に変わった。
ナツイチ表紙2011年.jpg 表紙2010(ナツイチ).jpg


[スペシャルカバー]

(A)文豪の名作 人気漫画家スペシャルカバー 4冊
(2011年)
 怪盗ルパン 奇巌城 ルブラン
 遠野物語 柳田国男
 舞姫 森鴎外
 夢十夜・草枕 夏目漱石
(2010年)
 銀河鉄道の夜 宮沢賢治(2011年も継続)
 シャーロック・ホームズ傑作選 コナン・ドイル
 人間失格 太宰治
 汚れつちまつた悲しみに 中原中也(2011年も継続)
 こころ 夏目漱石(2011年も継続)

(B)はちイラスト スペシャルカバー


 昨年、フェアのキャラである「はち」が描かれたメルヘン調のスペシャルカバーが7冊あった。今年はとくに「スペシャル」とことわることなく、昨年と同様の「はち」カバーが採用されてそのままラインナップされた。ただし「遠野物語」だけは、人気漫画家イラストに差し替えられた。つまり冊数からすると。昨年のカバーに文豪の名作4冊が増えた勘定になる。このままいくと、かなりライトな表紙が増え続けて、ますますナツイチは若者向けの文庫というイメージが強調されてしまいそうだ。

[ラインナップ]
 今年のラインナップは全部で92冊(昨年は101冊)。新しく入った本が66冊(昨年は78冊)、消えた本が72冊(昨年は64冊)だ。全体が昨年より9冊も減っているのが特徴だ。実は、この後に紹介する「新潮文庫の100冊」でも冊数は前年より増えているので、減らしてきたのはナツイチだけということになる。理由の一つには、作家へのアンケートページを復活させた事が挙げられるのだが、果たしてそれだけが理由だろうか?

 毎年のことだが、新旧の入れ替えが多いのが、ナツイチの特徴だ。かといって昨年と変わりばえしないという印象があるのは、やはり集英社定番の作家が多く、彼らの作品だけが新作に変わっていくという実態があるからだろう。つまり作品のラインナップを考えるよりも作家のラインナップの変化のなさが、フェア全体の印象を決めてしまっている。どうしても新潮文庫の作家の層の厚さと比べると、手薄さが際だってしまう。それを補うのが「ナツイチ」という、徹底的に若者にアピールしたコンセプトだったのだが、それも最近は角川にお株をとられた形になっている気がする。

 そこで昨年打ち出したのが、女性作家の比率を上げて女性作家たちが大躍進を遂げた。今年はどうなっただろうか?

(2011年)女24人、男50人
(2010年)女37人、男45人
(2009年)女24人、男57人


なんだ、また一昨年の比率(30%前後)に戻ってしまった。昨年の大躍進はなんだったのだろう。女性作家をフィーチャーしてはみたものの、ラインナップに見劣りがしてしまったので、今年は作品数を減らしてでも少数精鋭の作品群を選んだ結果、例年のような男女比に逆戻りしたという事かもしれない。

[躍進した作家]

夏目漱石(1->3)
逢坂剛(0->2)
北方謙三(0->2)
奥田英朗(1->2)
乙一(1->2)
関口尚(1->2)


[後退した作家]
恩田陸(3->1)
椎名誠(2->1)
浜田祐一(2->1)
三崎亜紀(2->1)
三田誠広(2->1)
宮沢賢治(2->1)
村山由佳(3->2)


躍進組がことごとく男性作家であることに注目しよう。いや、後退組のほとんども男性なのだが、女性の比率を上げるために昨年は1冊入った女性作家が今年大量に消えたという事情が隠れている(躍進・後退の欄には0->1と1->0の作家はわざと抜いてあるので)。後退組の男性陣は、なんとかラインナップにとどまったと考えるべきだろう。それより常連中の常連である恩田陸や村山由佳でさえ、今年は後退せざるを得なかったというところが本当の注目点だろう。

[キャッチコピー・解説]
 今年のナツイチはちょっと地味かなぁと思っていた。作品も減ったし、ラインナップの選び方も例年通りに戻ったし。でもちょっとしたことなんだけれど、表紙の見せ方が際立っているのに気がついた。これまでは、文庫の表紙だけをスキャナで読み取ったような平板な画像に過ぎなかったのが、今年から白い台紙の上に表紙の画像をのせた。しかも、台紙そのものを少し右に傾けているところがニクい! なんとなく書店に平積みに置かれた文庫をながめているかのような存在感が感じられる。これ、すっごくイイです。さすがは”ナツイチ”。

 解説とコピーは、どれもこれも少しずつ手が入っている。目指すところは「よりわかりやすく、より具体的に」ということのようだ。解説の文字数は変わらないのに、説明がより具体的になっていたりする。つまり非常にコンパクトに簡潔な解説を書いて、日頃本を読まない若い世代の関心をそそるように書き改めている。

人間失格 太宰治
 (2010年コピー)自伝であり、遺書でもある太宰治の最高傑作!
 (2011年コピー)人間失格は葉蔵か?太宰治か?

 今年のコピーは「問題提起」した言葉となった。解説もコピーにあわせてミステリアスな冒頭の設定を「三枚の写真とともに渡された男の手記には、その陰惨な半生が綴られていた」のように、うまくまとめられた。

銀河鉄道の夜 宮沢賢治
 (2010年コピー)切ない物語に、心がしんとなる。
 (2011年コピー)切なくて、優しくて、美しい物語。

 どっちがいいという比較をするまでもないが、これはおそらくナツイチの「銀河鉄道の夜」の表紙が、例の「テガミバチ」の漫画家によるイラストなので、これ以上叙情的な言葉を尽くす必要はないという事じゃないかな。そう考えれば、今年のコピーの「やさしさ」がすんなりと頭に入ってくる。

遠野物語 柳田国男
 (2010年コピー)神様や妖怪たちの世界が無性に懐かしい。
 (2011年コピー)遠野は、神や妖怪のワンダーランドだ。

 カバーが、メルヘンな「はち」から「ぬらりひょんの孫」の漫画家の描く老獪な老人の絵にかわったことで、思い切った「言い切り」「のコピーに変わった。

娼年 石田衣良
 (2010年コピー)二十歳の夏−ぼくは『娼夫』となった。
 (2011年コピー)人生もセックスも退屈だった夏。ぼくは娼夫になった。


 「ぼくは娼夫になった」というコピーは変わらないが、前半がより刺激的になった。ただし、それには訳がある。続編にあたる「逝年(せいねん)」という作品が並んで紹介されているからだ。そのコピーが「あなたの、最期の人になる」というきわめて切ない言葉になっている。こちらをひきたてるための「刺激的」なコピーであるのは明らかだろう。

岳物語 椎名誠
 (2010年コピー)”おとう”はいつだって息子を見守っている。
 (2011年コピー)元気いっぱいな坊主頭を父はこんなに楽しんでいる。

 コピーから「おとう」が消えて「父」になった。また、解説でも「シーナ家」が「椎名家」に変わっている。今年の解説やコピーを書いた担当者は、椎名誠の読者ではないことがわかる。あるいは、ターゲットとなる中高年にとって「椎名誠とは何者か?」という時代がやってきたという現実を見据えた担当者配慮なのかもしれない。いずれにしろ、ちょっと寂しい。

東京バンドワゴン
 (2010年コピー)東京下町の古本屋。ワケあり大家族の大騒動。
 (2011年コピー)懐かしくて、温かい下町大家族の春夏秋冬。

 ふーむ。とくに「わかりやすいコピー」に変更しようとしているわけでもないのか。

正義のミカタ 本多孝好
 (2010年コピー)ぼくは負け犬でも、いじめられっ子でもない。
 (2011年コピー)ださい。でも、よかった。それが、僕のやり方だ。

 今年のコピーはもたついて分かりにくくなっているように見える。でも、実は解説文がとってもコンパクトにまとまっていて、それでいて昨年の文章よりも具体的でわかりやすくなった。その分、コピーは煽りが効いた言葉に変わったわけだ。

MOMENT 本多孝好
 (2010年コピー)人は人生の終わりに誰を思い、何を願うのか。
 (2011年コピー)人生最期の願いは復讐? 告白? 愛されること?

 昨年のコピーは観念的すぎる。主人公の具体的な願いを列挙した今年のコピーはわかりやすい。

[今年新たに入った本(61冊)]
薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木  江國香織
夢十夜・草枕  夏目漱石
僕は運動おんち  枡野浩一
坊っちゃん  夏目漱石
働く女  群ようこ
水滸伝 (一) 曙光の章  北方謙三
神々の山嶺(上・下)  夢枕獏
真夜中のマーチ  奥田英朗
笑う招き猫  山本幸久
黒笑小説  東野圭吾
荒野へ  ジョン・クラカワー
君に舞い降りる白  関口尚
確かに生きる おちこぼれたら這い上がればいい  野口建
王妃の館(上・下)  浅田次郎
もものかんづめ  さくらももこ
スローグッドバイ  石田衣良
さよならをするために  唯川恵
さくら日和  さくらももこ
あの頃ぼくらはアホでした  東野圭吾
ZOO(1、2)  乙一
瑠璃でもなく、玻璃でもなく  唯川恵
楊令伝(一)玄旗の章  北方謙三
平成大家族  中島京子
風花  川上弘美
舞姫  森鴎外
鳩の栖  長野まゆみ
凍える月(おいしいコーヒーのいれ方 Second Season V)  村山由佳
池上彰の大衝突 終わらない巨大国家の対立  池上彰
知的な痴的な教養講座  開高健
逝年  石田衣良
精神科ER―鍵のない診察室  備瀬哲弘
生きること学ぶこと  広中平祐
清兵衛と瓢箪・小僧の神様  志賀直哉
人生がラクになる心の「立ち直り」術  斎藤茂太
進学電車〜君と僕の部屋〜  みゆ
新選組 幕末の青嵐  木内昇
消せない告白(おいしいコーヒーのいれ方 Second Season V)  村山由佳
小説こちら葛飾区亀有公園前派出所  秋本治・原作
十七歳だった  原田宗典
失われた森  レイチェル・カーソン
腰痛探検隊  野秀行
午前0時の忘れもの  赤川次郎
午後の音楽  小池真理子
鼓笛隊の襲来  三崎亜記
九時まで待って  田辺聖子
九つの、物語  橋本紡
奇跡  岡本敏子
怪盗ルパン 奇巌城  ルブラン
科学の扉をノックする  小川洋子
マゾヒズム小説集  谷崎潤一郎
マイ・ブルー・ヘブン 東京バンドワゴン  小路幸也
プリズムの夏  関口尚
ひゃくはち  早見和真
なげださない  鎌田實
しのびよる月  逢坂剛
さよならの微熱  加藤千恵
ぐうたら社会学  遠藤周作
おれたちの街  逢坂剛
おばさん未満  酒井順子
あの空の下で  吉田修一
8年  堂場瞬一


[今年消えた本(73冊)]
明日の約束(おいしいコーヒーのいれ方 Second Season ll)  村山由佳
本当はちがうんだ日記  穂村弘
聞き屋 与平 江戸夜咄草  宇江佐真理
氷姫  カミラ・レックバリ
美晴さんランナウェイ  山本幸久
白夜行  東野圭吾
白い手  椎名誠
二十億光年の孤独  谷川俊太郎
注文の多い料理店  宮沢賢治
銭売り賽蔵  山本一力
千年樹  荻原浩
昔の恋人  藤堂志津子
青のフェルマータ  村山由佳
精神科ER―緊急救命室  備瀬哲弘
硝子のドレス  北川歩実
少年少女漂流記  古屋x乙一x兎丸
小悪魔A  蝶々・伊東明
女櫛  平岩弓枝
初恋温泉  吉田修一
春日局  杉本苑子
十五少年漂流記  ジュール・ヴェルヌ
蛇行する川のほとり  恩田陸
蛇にピアス  金原ひとみ
失われた町  三崎亜記
光の帝国 常野物語  恩田陸
幻夜  東野圭吾
肩ごしの恋人  唯川恵
君に届け  下川香苗
空をつかむまで  関口尚
空は、今日も、青いか?  石田衣良
救命センターからの手紙  浜辺祐一
機関車先生  伊集院静
漢方小説  中島たい子
海を抱く  村山由佳
回想電車  赤川次郎
夏から夏へ  佐藤多佳子
汚れつちまつた悲しみに……  中原中也
永遠の放課後  三田誠広
映画篇  金城一紀
異国トーキョー漂流記  高野秀行
悪党たちは千里を走る  貫井徳郎
愛してよろしいですか?  田辺聖子
ローマから日本が見える  塩野七生
ももこの話  さくらももこ
マリア様がみてる  今野緒雪
マイナス・ゼロ  広瀬正
ベリーショート  谷村志穂
ハニー ビター ハニー  加藤千恵
ハナシにならん! 笑酔亭梅寿謎噺  田中啓文
はちノート絵日記  集英社文庫編集部編
なつのひかり  江國香織
トラちゃん  群ようこ
となり町戦争  三崎亜記
でかい月だな  水森サトリ
でいごの花の下に  池永陽
チェ・ゲバラの遙かな旅  戸井十月
たけくらべ  樋口一葉
たいのおかしら  さくらももこ
ダーティ・ワーク  絲山秋子
そうだったのか!中国  池上彰
スタンド・バイ・ミー 東京バンドワゴン  小路幸也
ショートソング  枡野浩一
シャーロック・ホームズ傑作選  コナン・ドイル
ジャージの二人  長嶋 有
グラビアの夜  林 真理子
くちぶえサンドイッチ  松浦弥太郎
がんばらない  鎌田實
オリガ・モリソヴナの反語法  米原万里
オー・マイ・ガアッ!  浅田次郎
いつか白球は海へ  堂場瞬一
あなたへの日々  唯川恵
1ポンドの悲しみ  石田衣良
「捨てる力」がストレスに勝つ  斎藤茂太

(2011/9/7初出)
posted by アスラン at 12:49| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 夏の文庫フェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月29日

「発見!角川文庫2011」VS「発見!角川文庫2010」(再掲載)

[タイトル・表紙]
  今年は、昨年に引き続き「ハッケンくん」のイラストの表紙だ。これまでは新潮文庫に追従することを常とした角川だった。たとえば新潮100冊の「Yonda!「」(パンダのもじり)をパクって「カバのディスくん」(ディスカバーのもじり)という趣向のキャラクターだったのに、昨年突如としてオリジナルの路線に大変革を行い、「夏の文庫」フェアのファンを驚かせた(驚いたのは、ここにいる約1名だけかもしれないが…)。

角川文庫表紙2011年.jpg 表紙2010(角川).jpg

 しかし、今年の「ハッケンくん」は、あまり個性的なコンセプトを抱え込んでいるとは言いがたい。薄いと言ってもいい。何しろ、表紙には大きくシロクマが描かれて、「本屋さんには出会いがある」とのコピーが付されているので、いったいどんな発見が待ち受けているのだろうかと扉をひらくと、そこにはシロクマだけでなくアザラシやペンギン、クジラ、はてはマンモスとの「出会い」があることがわかる。真夏のジリジリとした暑さの中、ヒンヤリとした極地での光景は、僕ら読書人の目を楽しませてくれる。だが、涼しげなときめきは、ここまでだ。どんなにページを繰っても、ハッケンくんとその仲間は二度と姿を現すことはない。

 つまり、ハッケンくんもシロクマくんたちの役目も、ここでおわったのだ。「本屋さんとの出会い」とは、この見開きの絵がすべて物語るのみだ。なぜこういうことになってしまったかといえば、その秘密は今回のフェアのラインナップ自体にあるのだが、それは後回しにしよう。

[スペシャルカバー]
(A)名作×(人気漫画家&イラストレーター) 5冊
赤毛のアン
若き人々への言葉
銀河鉄道の夜
完訳ギリシア・ローマ神話
李陵・山月記

(B)人気てぬぐい店かまわぬ×角川文庫 6冊
伊豆の踊子
兎の眼
二十四の瞳
こころ
海と毒薬
羅生門・鼻・芋粥

(C)タイアップ 4冊
源氏物語 先年の謎
ビギナーズ・クラシックス源氏物語
全訳源氏物語一〜二


(A)は、昨年のハッケンくんイラストから、ナツイチガチンコ対決のスペシャルカバーに変更になった。それにしても趣向がナツイチそのままというだけでなく、「名作」と「人気漫画家(あるいはイラストレーター)」とのコラボというタイトルまで堂々とパクリっているのには、さすがにあきれてしまう。

(B)は、昨年のような「ぶんか社」御用達のアイドル写真がなくなって、てぬぐい店の和柄スペシャルカバーに大変身した。これってテイストは真逆だけれど、「新潮文庫の100冊」同様に、とってもスタイリッシュでおしゃれなカバーに仕上がっている。

(C)のタイアップは今に始まったことではない。角川文庫の本領であるメディアミックス戦略のひとつだ。

[ラインナップ]
  さきほど「ハッケンくん」のコンセプトが薄いという感触を述べたが、その原因の一端はラインナップにあると言った。今年はなんと178冊が紹介されている。昨年が105さつだったので、一気に70冊以上増えている勘定だ。そもそも100冊という仕切りは、フェアのパイオニアである新潮文庫が決めたお約束であって、他の出版社が従う義理などないのだが、なんとなく動かしがたい決まり事と化していたようだ。

 今回、角川がいわばタブーを侵して、いっきに200冊も視野に入れた冊数にラインナップを増やしたことが、果たして吉とでるのか凶となるのかは、来年の他社同行で判断すべきだろう。ただ、あらゆるジャンルで一律に冊数を増やしたりすると、「夏の文庫フェア」としての個性を無くすことになりかねないのも事実だ。100冊というの無意味なタブーではなく、フェア成功の鍵を握る一種のマジックナンバーなのかもしれない。

 ラインナップが倍増したため、当然ながら「今年入った本」は123冊(昨年は58冊)にのぼり、「今年消えた本」は例年並みの50冊(昨年は55冊)にとどまった。

[躍進した作家(17人)]
司馬遼太郎(0->3)
モンゴメリ(0->2)
江國香織(0->2)
黒木亮(0->2)
紫式部(0->2)
松本清張(0->2)
西原理恵子(0->2)
有川浩(3 ->4)
あさのあつこ(1->2)
芥川龍之介(1->2)
貴志祐介(1->2)
宮沢賢治(1->2)
山本文緒(1->2)
森見登美彦(1->2)
太宰治(1->2)
夢野久作(1->2)
柳広司(1->2)


[後退した作家(7人)]
山田悠介(6->3
川島誠(2->0)
神永学(3->2)
石田衣良(3->2)
宮部みゆき(2->1)
寺山修司(2->1)
森絵都(2->1)


 ラインナップ倍増の影響は「躍進した作家」の17人に如実にあらわれている(昨年は8人)。その中でも司馬遼太郎が大躍進した。いや、躍進とはおこがましい。復権がふさわしい。例のNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の影響か?はたまたTBSドラマ「JIN(仁)」に出てくる魅力的な幕末の人物の中でも特に光彩を放つ坂本龍馬の人気沸騰によるものか?

 さらに注目は、やはり有川浩だ。ずっと言い続けてきたが2008年の初エントリー以後、1->2->3->4と、またまた今年冊数を伸ばした。「図書館戦争」シリーズの文庫刊行によって、まさに頂点を極めた。

 一方、山田悠介と角川文庫との蜜月も、ようやく終わりを告げようとしている。昨年の6冊が、なんとも持ち上げすぎの感が否めなかったが、今年は半分の3冊に減った。それでもまだ3冊もラインナップされているから、決して少なくはない。

 新しく入った作家81人(昨年は29人)
 消えた作家14人(昨年は31人)


 何と言っても81人という数は大きい。そのうちで「躍進した作家」に含まれる7人を除いた76人は一冊ずつしかラインナップされていない。つまり、作家のめんつに特徴があるというより、あらゆるジャンルの作品を満遍なく厚くしたという感じだ。一方で「消えた作家」がいないわけではない。これだけ冊数を増やしたのだから、消えてしまうのはお気の毒というしかない。

[消えた作家(14人)]
鈴木光司
滝本竜彦
大槻ケンヂ
瀬尾まいこ
森博嗣
新堂冬樹
笹生陽子
加納朋子
乙一
阿佐田哲也
ヘルマン・ヘッセ
ジャン・コクトー
川島誠


[キャッチコピー・解説]
銀河鉄道の夜 宮沢賢治
 (2010年コピー)星祭りの夜に銀河を駆ける、勇気を取り戻す旅
 (2011年コピー)悲しい気持ちを抱え、銀河鉄道に乗った少年は?


 ひとことでいうと「わかりやすくなった」。昨年もターゲットの低年齢化への対応はみられたが、今回ははっきりとターゲットにあわせて、コピーも解説も平易な文章に書き改められた。昨年のコピーはそもそも文章がおかしいと指摘したが、それは短いコピーの中で内容を解説しようとしすぎた担当者の気負いから来たものだろう。もっと力をぬいて楽になってしまえば、あとはターゲットである少年少女に丸投げしてしまえばいい。

 というわけで、今年のようななんの変哲もない、しかし彼らの心をくすぐる問いかけとなった。もう一つの指摘をしておくと、「最高の傑作」という無駄な惹句が消えた。たかだか十数年しかこの世に生を受けていないターゲットの少年少女には意味をなさないフレーズだというだけではない。大げさにいえば「歴史(文学史を含む)」に対する倫理(モラル)を問わないということでもある。解説はいつだって目の前にいる読者のためにあるわけだが、同時に多くの作家たちが培ってきた文学の歴史をふまえたものでなくてはならない。それが、おそらくは出版社としての倫理である。それが、これまでの「発見!角川文庫」のコピーや解説をつまらなくさせてきた大きな一因であるが、ターゲットを中高生に絞ったことで「歴史」はひとまず棚に上げて、「本を手にとって読んでもらう」までが、少なくとも夏の文庫フェア編集部の重大な責務だとようやく気づいたということだろう。

 では、そんなにコピーが以前と変わったのか、順を追ってみていこう。たとえば、和柄スペシャルカバーとなった6冊は、すべて2010年のフェアにもラインナップされていたので、すべてを比較してみる。

伊豆の踊子 川端康成
 (2010コピー)ノーベル賞受賞の文豪が描くみずみずしい恋物語
 (2011年コピー)踊子を好きになった高校生の恋の行方はー


 「ノーベル賞」とか「文豪」とか、確かに中高生には無用な形容かもしれないが、旧制高校生の若者を、いっきに今の高校生と同等に扱っていいものか。ここまで変えるかぁというのが正直な感想だ。しかも解説では「生きることがつまらなくて、卑屈な自分が嫌になった彼は伊豆へ一人旅に出かけ、…」とある。これでは格調もへったくれもない。

二十四の瞳 坪井栄
 (2010年コピー)戦争を超えて続く、教師と教え子の温かい交流
 (2011年コピー)みんなを巻き込んだ戦争は不幸と悲しみしか生まない!


 当然のことながら「教師と教え子の温かい交流」が描かれていることは解説を読めばわかる。だから、どうひきつけたいかでコピーはここまで変わるという見本みたいな変わり様だ。ただし、今年の「戦争が不幸と悲しみしか生まない」という、いわば当たり前にことを、当たり前だと思えない世代に伝えることの難しさが、今回のコピーには感じられる。

兎の眼 灰谷健次郎
 (2010年コピー)小学1年生を担任する新米教師の奮闘記
 (2011年コピー)先生はみんなの力を借りて君の心を開いてみたい。


 主人公の新任教師の心のうちに感情移入したコピー。これはコピーとしては強力だ。前年のが悪いというのではないが、「奮闘記」という言葉に心が動かない若い世代に対して届く表現に変えている。ところで、僕はずっと本書の教師とは、熱血青年だと想像していたのだが、今年の解説ではじめて主人公が女性だと気づいた。(「新任教師小谷菜美の悩みのタネは…」)

こころ
 (2010年コピー)「先生」の目を通して、エゴイズムとは何かを問う。
 (2011年コピー)あなただったら恋と友情どちらを選ぶ?


 2009年に初めてキャッチーなコピーになって、次の年には「エゴイズムとは何か?」を描いた小説という従来のコピーに戻ってしまった。残念だなと思っていたら、今年はキャッチーを通り越して、「ぶっちゃけ、どうよ?」みたいなコピーになってしまった。ただし、中高生向けのコピーとしては悪くはない。気に食わないのは解説の方だ。「恋人を手に入れるために親友を裏切り、自殺に追いやった過去が語られていた」という文章を先走りすぎている。親友Kを裏切ったことは確かだが。それがもとで自殺したのかは、今もって意見が分かれるところだ。そう言えれば単純になるが、作者はいろいろな解釈ができるように書いているはずだ。この解説、著者に対してあまりに僭越ではないでしょうか?
(ところで、ホンの些細な指摘だが、今年からようやくタイトルが「こゝろ」から「こころ」に改められた。ちょっと遅すぎるくらいのタイミングだけれど、いいんじゃないんですか。)

海と毒薬 遠藤周作
 (2010年コピー)罪とは何か?罪責意識をあらためて問いかける。
 (2011年コピー)俺のやったことは罪なのだろうか…?


 いやー、やっぱり主人公に感情を移入したコピーというのは強烈だ。しかも、この吐露はちょっとすごい。一言でぐっと胸をわしづかみされたようなコピーだ。

羅生門・鼻・芋粥 芥川竜之介
 (2010年コピー)「今昔物語」を題材にした表題作を含む初期短編集
 (2011年コピー)荒れ果てた羅生門の上で男が見たものはー


 昨年のコピーが中高生には全く意味のない文言だということは、誰でもわかるだろう。「今昔物語」が何かを知るのは、文学好き、古典好きの一部の少女だけだ。では芥川の短編は、作品の元となった古典を知らねば読めない作品だったのか。そうではないはずだ。古典や文学というハードルを乗り越えてでも読む甲斐がある「人間ドラマ」を読ませるのは、まずは今年のようなコピーが必要なのだ。

[今年新たに入った本リスト(121冊)]
図書館革命
図書館危機
図書館戦争
図書館内乱
パーティ
パズル
鳥人計画
夜明けの街で
探偵倶楽部
司馬遼太郎の日本史探訪
新選組血風録
豊臣家の人々 新装版
SPEED
GO
ジョーカー・ゲーム
少女地獄
走れメロス
四畳半神話大系
ファースト・プライオリティ
恋愛中毒
セロ弾きのゴーシェ
黒い家
蜘蛛の糸・地獄変
晩夏のプレイボール
できるかな
この世でいちばん大事な「カネ」の話
蔵の中
松本清張の日本史探訪
全訳 源氏物語一 新装版
全訳 源氏物語二 新装版
巨大投資銀行(上)(下)
トップ・レフト ウォール街の鷲を撃て
泣く大人
冷静と情熱のあいだ Rosso
青い城
赤毛のアン
DIVE!! (上)(下)
ブレイブ・ストーリー (上)(中)(下)
アジアンタムブルー
地球から来た男
月魚
少女七竈と七人の可愛そうな大人
夜市
幸福な遊戯
ドミノ
ダ・ヴィンチ・コード (上)(中)(下)
フェイク
新耳袋 現代百物語 第一夜/第二夜
嘘つきアーニャの真っ赤な真実
妻は、くノ一
ツ、イ、ラ、ク
動物の値段
私という運命について
天河伝説殺人事件
テロリストのパラソル
旅人 ある物理学者の回想
人生は、だましだまし
冷静と情熱のあいだ Blu
流想十郎胡蝶剣
李陵・山月記 弟子・名人伝
僕の好きな人が、よく眠れますように
不夜城
西郷隆盛
テンペスト 第一巻〜第四巻
グーグーだって猫である!
感傷の街角
不思議の扉 時をかける恋
霧笛荘夜話
長い腕
私はゲゲゲ 神秘家水木しげる伝
神谷美恵子日記
山椒大夫・高瀬舟・阿部一族
価格破壊
万能鑑定士Qの事件簿1
墓地を見おろす家
刺繍する少女
氷川清話 付勝海舟伝
退出ゲーム
わくらば日記
RIKO −女神の永遠−
甲賀忍法帖
ぼくがぼくであること
空気の発見
氷点
町医 北村宗哲
悪果
青年社長
源氏物語 千年の謎
コクリコ坂から
僕とおじいちゃんと魔法の塔 (1)
知識人99人の死に方
人間椅子
遠い海から来たCOO
二人の彼
文庫版 豆腐小僧双六道中ふりだし
オール1の落ちこぼれ、教師になる
脚本 コクリコ坂から
ぼっけえ、きょうてえ
グレートジャーニー 人類5万キロの旅1 嵐の大地パタゴニアからチチカカ湖へ
論語 ビギナーズ・クラシックス
チョコレートコスモス
八つ墓村
雷桜
英傑の日本史 新撰組・幕末編
いつか、虹の向こうへ
心の傷を癒すということ
粘膜蜥蜴
楽しい古事記
怪談・奇談
アフガンの男
若き人々への言葉
新版 人生論
完訳 ギリシア・ローマ神話(上下)
動物農場
星の王子さま
青春とは、心の若さである。
シャーロック・ホームズの冒険
人生は廻る輪のように
脳のなかの幽霊
嵐が丘
徒然草 ビギナーズ・クラシックス


[今年消えた本(46冊)]

クジラの彼
海の底
空の中
さまよう刃
殺人の門
使命と魂のリミット
8.1 Game Land
8.1 Horror Land
オール
スピン
ブレーキ
絶対泣かない
フライ,ダディ,フライ
レヴォリューション No.3
約束
心霊探偵八雲 SECRET FILES 絆
パイロットフィッシュ
きまぐれロボット
ロマンス小説の七日間
砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない A Lollypop or A Bullet
雷の季節の終わりに
ピンク・バス
ユージニア
天使と悪魔 (上)(中)(下)
アーモンド入りチョコレートのワルツ
つきのふね
書を捨てよ、町へ出よう
今夜は眠れない
夢にも思わない
リング
NHK にようこそ!
グミ・チョコレート・パイン グミ編
温室デイズ
どきどきフェノメノン A phenomenon among students
動物記
楽園のつくりかた
いちばん初めにあった海
失はれる物語
麻雀放浪記 (一) 青春編
車輪の下に
怖るべき子供たち
モーターサイクル・ダイアリーズ
800
夏のこどもたち
古事記 ビギナーズ・クラシックス
万葉集 ビギナーズ・クラシックス

(2011/9/2初出)
posted by アスラン at 12:35| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 夏の文庫フェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月26日

2011年「新潮文庫の100冊VSナツイチVS発見!角川文庫」(再掲載)

新潮文庫表紙2011年.jpg ナツイチ表紙2011年.jpg 角川文庫表紙2011年.jpg

 ついに10月半ばになってしまった。機を逸してしまったのは致し方ないが、やっておかないと今年限りで企画自体が終了してしまう。もちろん僕がやるやらないを決めればいいことで、そろそろ惰性と化していることも事実だ。「労多くして功少ない」企画は終わらせるに限るのかもしれない。比べるのもおこがましいのは承知だけれど、イチローの年間200本安打の記録も11年目にしてついえた。ちょうどいいタイミングなのかも。

 グチはこのへんにして、今年限りになるかもしれない「夏の文庫フェア3社比較」を始めよう。毎年言ってきたが、これは3社の「夏の文庫フェア」それぞれについて昨年と今年の違いを比較調査した上で、今年の3社どうしの比較をして締めくくるというものだ。要するに3社比較とは「他のフェアと共通する作家や作品は何か?」を見ていく事が目的だ。

[スペシャルカバー]
新潮 18冊(昨年は11冊)
角川 15冊(昨年は12冊)
ナツイチ 15冊(昨年は16冊)


 「スペシャルカバーの企画は、どこが始めたか」を追求するのは難しい。期間限定カバーで売るという商売は、かなり前からあったように思うからだ。原作が映画化・ドラマ化されるたびに、表紙にワンシーンが刷り込まれる。そういうメディアミックス戦略に乗った限定カバーならばこれまでにもよくあったが、「夏の文庫フェア」とリンクして一斉に統一イメージのカバーを提供しようと考えたのは、やはり「ナツイチ(集英社文庫)」のユニークなアイディアだったと思う。私見では2007年に「文豪の名作×人気漫画家」のコラボレーションカバーが始まった。初年は「人間失格」1冊だけで読者の反応を探り、翌2008年から本格的に冊数を増やしていった。

 「発見!角川文庫」が本腰をいれてナツイチにガチンコ勝負を仕掛けてきたのが、2010年の夏だ。カバのディス君に取って代わったハッケンくんのイラストを配したカバーと、美少女アイドルを配したカバーとを合わせると12冊。オリジナリティではナツイチに勝てないからか、数で勝負してきた。

 「新潮文庫の100冊」は、ナツイチの新風にも角川の物量作戦にも影響されることなく、他社とは全く違ったスタイリッシュで大人受けするデザインのカバーで、老舗のブランド力を見せつけてくれた。それが2008年。翌年から冊数を10冊に増やした上に、毎年順繰りにスペシャルカバーにする作品を入れ替えていく。スペシャルカバーの企画は定番化したが、カバーにする作品そのものへのこだわりはほとんどない。

[3社共通作品(3冊)]
星の王子さま サン=テグジュペリ
人間失格 太宰治
こころ 夏目漱石


 「人間失格」と「こころ」の3社共通作品ランクインの連続記録は、今年も途切れることはなかった。もちろん高校の読書感想文の課題図書とリンクした王座であるからには、各社とも2作をはずすことは当分ないだろう。とすると、3社共通作品の定位置をおびやかす作品は今後も出てきそうにない。今年の「星の王子さま」とて、偶然の一致の賜物に過ぎない。昨年は「十五少年漂流記」、一昨年が「銀河鉄道の夜」だったというわけだ。「十五少年」も「銀河鉄道」も確かその年のスペシャルカバー企画と連動していて、偶然以外の要素も絡んでいた。では今年の「星の王子さま」は、何故に3社共通になれたのでしょう?

 ひょっとして震災があった事と関係してるかな?「こころ」や「人間失格」で人間の奥底にある醜さを真正面で見据えることも大事だけれど、こんな時期こそ「本当に大切なもの」を若い読者に考えてもらいたいという、大人たちの希望なのかも。

 ところで「星の王子さま」を読むならば、どの出版社の翻訳を選ぶべきだろうか。僕ぐらいの歳になると岩波書店の児童書しか選択がなかった。ここはひとつ訳者で選んでみるのが、本書にふさわしい仕草というものだろう。

(新)河野万里子(1959年-)
(角)管啓次郎(1958年-)
(ナ)池澤夏樹(1945年-)

 河野さんは上智大フランス語学科卒。最近では新潮社版フランソワ・サガン「悲しみよこんにちは」の新訳を手がけた。管さんは比較文学者にして詩人という経歴。翻訳業という点では見劣りがするが、エッセーや批評文の書き手としては、若島正や松浦寿輝がほめちぎるほどの達人らしい。池澤さんは言わずとしれた小説家であり詩人。アメリカ文学に造詣が深く、全集も監修してしまう程の力量だ。で、僕自身は管さんの翻訳を試してみたい気がした。もちろん3社の訳すべてを試してみるというのもおもしろそうだ。

[2社共通作品(12冊)]
(新潮・角川)
変身 フランツ・カフカ
不思議の国のアリス ルイス・キャロル
鳥人計画 東野圭吾
蜘蛛の糸・杜子春 芥川龍之介
走れメロス 太宰治
赤毛のアン モンゴメリ
十五少年漂流記 ジュール・ヴェルヌ
山椒大夫・高瀬舟 森鴎外
伊豆の踊子 川端康成
シャーロック・ホームズの冒険 コナン・ドイル

(ナツイチ・角川)
坊っちゃん 夏目漱石
銀河鉄道の夜 宮沢賢治


 2社共通作品の数も、昨年並みで増減はあまりない。前々から指摘しているが、2社で共通する作品というのは、国内でも海外でもスタンダード(古典)の地位を占めている作品がほとんどだ。現代の作家で複数のフェアを渡り歩いている人はいるが、作品が他社と共通する例は、僕が知る限り「キッチン(吉本ばなな)」しかない。「キッチン」はそもそもが福武書店(現・ベネッセ)から出版され、福武書店が書籍出版の事業から撤退したのを機に、角川と新潮から同時期に再出版されたという事情があった(その「キッチン」も、今年ついに姿を消した。残念だ)。ならば東野圭吾の「鳥人計画」は、どういう理由で出版社の囲い込み戦略をすり抜けたのだろう。すごく不思議だ。

 もう一点、消えていった本について。「人間失格」「こころ」ほど定番とは言えないが、終戦記念日を抱えた夏休みにふさわしい本が、ついに共通作品の地位から滑り落ちた。壺井栄「二十四の瞳」だ。「戦後」の呪縛から解放されたと喜ぶべきなのだろうか。若い世代から「戦争」そのものが風化してしまった事を嘆くべきなのだろうか。もし後者だとしても、もちろん若い世代には何の責任もない。伝えなくてはいけないのは僕ら大人なのだから。

[3社共通作家(16人)]
サン=テグジュペリ
東野圭吾
遠藤周作
江國香織
小川洋子
森鴎外
森絵都
浅田次郎
田辺聖子

伊坂幸太郎
赤川次郎
石田衣良
恩田陸
太宰治
夏目漱石
宮沢賢治
宮部みゆき



 今年3社共通に入った作家を太字にした。と言っても常連ばかりだと言っていい。

[作家ランキング(ラインナップ数)]
夏目漱石 7
東野圭吾 7
石田衣良 6.2
太宰治 5
有川浩 5
恩田陸 4.14
安部公房 4
伊坂幸太郎 4
宮沢賢治 4
宮部みゆき 4
江國香織 4
司馬遼太郎 4
神永学 4


 二年連続でトップだった石田衣良が3位に後退した。夏目漱石が貫禄のトップに躍り出た。漱石は本ランキングの常連だが、当代の流行作家たちをおさえてトップになる事はかつてなかった。単なる「文豪の名作(スタンダード)」というだけでなく、「草枕」という作品に注目が集まった事が、漱石躍進の原因の一つのようだ。僕はよく知らないのだが、人気小説「神様のカルテ」の中で漱石の「草枕」が重要な位置を占めていたらしい。

 東野圭吾は、ミステリー作家としてだけでなく流行作家としての充実期を迎えたようだ。ミステリー以外にいろいろな作品が書ける器用さ・多作さが、このランキングに入る前提ではあるが、やはり誰もが読みたがるミステリー作家であるという点が、東野の真の強みだろう。石田衣良しかり、恩田陸しかり、宮部みゆきしかりだ。

 そんな中でも注目株は、やはり有川浩だ。この人は、ランキングの流行作家の中でもミステリーに軸足を置いていない唯一の作家と言ってもいい。だが、作品のバリエーションはもっとも多い作家かもしれない。石田衣良のような器用さを持ち合わせ、さらにはバリエーションで上回る。今後もランキング上位をねらえる作家だ。

[作家ランキング(スタンダード)]
サン=テグジュペリ 3.00
太宰治 2.50
コナン・ドイル 2.00
ジュール・ヴェルヌ 2.00
フランツ・カフカ 2.00
ルイス・キャロル 2.00
川端康成 2.00
夏目漱石 1.75
モンゴメリ 1.50
芥川龍之介 1.50
森鴎外 1.50


 ラインナップ数を単純に本の数(異なり数)で割ったのが、本ランキングを計る「スタンダード指数」となる。ラインナップ数の多い少ないに関わらず、他社と共通する作品が多く、かつ他社と共通しない作品が少ない作家ほど上位にくる。日本の作家では文豪と言われる作家たちがランキングされるのは言うまでもない。海外の作家を見ると、フェアに入りそうな超有名な作品がたかだか一冊しかない作家がランキングの上位にくる。

 夏目漱石が珍しく低調なのは、今年は「こころ」以外の作品が出版社ごとに割れた事からだ。新潮社は、例年の「坊っちゃん」ではなく「吾輩は猫である」をもってきたし、ナツイチは「坊っちゃん」以外の3冊目として「草枕」を入れてきた。

[キャッチコピー]
 3社共通作品3冊およびのあわせて10冊について、キャッチコピーの比較をしてみよう。

星の王子さま サン=テグジュペリ
(新)心の砂漠がオアシスに変わる。世界中で愛された魔法の1冊
(角)王子の言葉ひとつひとつに気持ちが癒される
(ナ)ぼくの小さな星は きみの友だちになる


 さて、どれが一番いいコピーでしょう?いや、まず一つ脱落させるならばどれでしょう。角川だろうな。ここには読者をひきつける魔法の言葉が一つもないからだ。次はナツイチか。「小さな星が(きみの)友だちになる」という事は、煎じ詰めれば新潮の「オアシスになる」と同義だと思うのだが、やはり表現の飛躍が感じられる。最後に残るのは新潮という事になるのだが、後半の「世界中に愛された…」が余計だろう。

人間失格 太宰治
(新)この主人公は自分だ、と思う人とそうでない人に、日本人は二分される。
(角)ひとりの人間として人と共に生きるとは?
(ナ)人間失格なのは、葉蔵か?太宰自身か?


新潮のコピーの威力は相変わらずだが、ナツイチのリニューアルコピーはなかなかにセンセーショナルだ。この作品を脱稿した直後に玉川上水で心中をしてこの世を去った太宰一個人の資質が問われるべきなのか、それとも人間そのものの本質が問われるべきなのかを、この本から読み取ってほしいという、ナツイチ編集部の意欲が感じられるのだ。

こころ 夏目漱石
(新)恋か。それとも友情か。あなたはどちらを選びますか?
(角)あなただったら、恋と友情どちらを選ぶ?
(ナ)恋と、友情。選ぶことができますか?


 おお、こりゃびっくりだ。今年は3社そろって「恋か友情か」という二者択一の物語として、この本を読めと言い切っているからだ。本書は「人間のエゴイズム」をテーマにした作品である事は言うまでもないが、キャッチコピーで「エゴイズム」にふれると、どうしても「ぶっちゃけ、恋か友情か」式のコピーに比べて見劣りがしてしまう。だからって、こうまで同じコピーにしちゃうっていうのは、3社ともになんか芸がないなぁ。

変身 フランツ・カフカ
(新)読み始めて「なぜだ?」と思い、読み終えて「なぜだ!」と叫ぶ。
(角)目が覚めたら自分が巨大な毒虫に!?


 新潮のコピーが秀逸なのは以前にふれたが、今年プチ・リニューアルした。昨年までは

 (2010年)読み始めてすぐに「なぜだ?」と思い、読み終えた直後に「なぜだ!」と叫ぶ。

だったのだ。「すぐに」と「直後に」を入れるか入れないかはリズムの問題。なぜ「すぐに」を二度繰り返さなかったのかは、新潮担当者のささやかなこだわりだろう。でも今年は、各社ともにコンパクトに字数を切り詰めて少しでも「読みやすく」を心がけてきた。その結果が今年のコピーだ。もちろん〈リズム〉も〈こだわり〉も重要だと理解した上で、今年の切り詰め方は納得だ。

 一方、角川も切り詰めを行った。昨年のコピーは「目が覚めたら、自分が褐色の巨大な毒虫に!?」で、「褐色の」がリストラされた。なるほど切り詰めようと思えばどんどん切り詰められるものだ。

不思議の国のアリス ルイス・キャロル
(新)日常から逃げたいと思っているあなた。あなたこそがアリスかも。
(角)白ウサギやチェシャーネコが活躍する、不思議の世界


 またまた角川には分が悪い勝負だ。角川のコピーが何一ついいところがないのはおわかりだろうか。作品について「不思議の世界」という一言しか言えていない。白ウサギもチェシャーネコも、一読していなければなんのこっちゃわかりません。新潮のコピーはストレス過多の日常を送っている誰の心にも響くナイスなコピーだ。

鳥人計画 東野圭吾
(新)錯綜した謎が解ける瞬間の爽快感、これぞ東野ミステリーの醍醐味。
(角)容疑者は誰? 驚きの計画が明かされる


 新潮は、これまでほとんど東野圭吾をフィーチャーしてこなかった。そもそも文庫化された本が「超・殺人事件」以外になかったからだ。「鳥人計画」が初めて新潮100冊に入ったのが2009年。一年置いて今年も入り、角川との共通作品となった。新潮のコピーは、東野圭吾の本を紹介できる喜びに満ちている。

「蜘蛛の糸・杜子春(新)」「蜘蛛の糸・地獄変(角)」 芥川龍之介
(新)けっしてふりむいてはいけない、必ず、そんな時がきます……。
(角)地獄から極楽へ続く蜘蛛の糸に、罪人が群がり……


 新潮は「杜子春」、角川は「蜘蛛の糸」についてのコピー。新潮のように「だからどうすべきなのか」と読者に考えさせる一言に、僕らの心は鷲掴みにされる。角川の方は導入部を要領よくまとめて「お代は見てのお帰り」式のオーソドックスな呼び込みだ。引きつけられはするが、グッと胸に迫っては来ない。

走れメロス 太宰治
(新)友情を、青春を、愛を描く。太宰は、21世紀を生きる僕たちの心に迫る。
(角)大切な親友のためなら自分の命をかける!


「走れメロス」ほど表と裏がある作品もそうそうない。「人間失格」というやっかいな遺書を残してさっさとこの世を見限ってしまった作家が、およそ書きそうにない作品だからだ。だからこそ、そこに描き込まれた登場人物たちの「友情」や「青春」や「愛」は、太宰がもっとも「人間を信じたい」と思った頃の切実な叫びだと考えねばならない。そこに思い至らずに「自分の命をかける!」などと軽々しいコピーがどうしてできるのだろうか?

赤毛のアン モンゴメリ
(新)美人じゃないけど最高にカワイイ!アンは女の子の永遠の憧れです。
(角)男の子を引き取ったはずなのに 現れたのは、赤毛でそばかす顔の女の子!?


 「赤毛のアン」は一連の名作アニメの一つとして長くテレビで愛されてきたせいもあって、原作を読まずしてストーリーを見知っている若い世代が多いのかもしれない。それを意識してか、新潮の「最高にカワイイ!」や「女の子の永遠の憧れ」という決め台詞にしびれる女子は多いだろう。角川の方は、相変わらずオーソドックスな呼び込みではあるが、原作のおもしろさの要点をうまく突いている。アンを養子にした夫婦は、働き手となる事を期待して男の子の養子を希望したのに、手違いでアンがやってくる。ダメダメな逆境を乗り越えてしまうところに、読者は「最高にカワイイ」女の子を見いだすはずなのだ。

十五少年漂流記 ジュール・ヴェルヌ
(新)必要なものは、勇気と知恵、そして仲間。
(角)無人島に流れついた、15人の少年たちの冒険


 新潮はずいぶんと言葉を切り詰めてきた。昨年後半の「子どもたちだけで、どこまでやれるか」をバサッと切り捨てた結果、物語のエッセンスを言い切ったコピーとなった。角川の方は、コピーの存在意義について考えさせられる好例だ。ふんふん、これってタイトルを読めばわかるんじゃないの?「15人の少年」が「漂流」した物語なんだから。

「山椒大夫・高瀬舟(新)」「山椒大夫・高瀬舟・阿部一族(角)」 森鴎外
(新)「安楽死」はそれでも罪ですか?答えの出ないギリギリの選択。
(角)人間解放や武士の運命……さまざまな生き方を描く


 いやはや、僕って鴎外読んでないんだなぁ。「安楽死」を扱った小説ってどれですか?「山椒大夫」?それとも「高瀬舟」?そんな現代的なテーマだったなんて。個人的には新潮のコピーは「鴎外を読みたい」と素直に思わせてくれた。一方、角川のコピーは…。そうそう、そうなんだ。武士など往時の人々のさまざまな人生を描く。そういうイメージなんだよね、鴎外の作品って。だからなかなか触手が伸びない。このコピーで中高生は読みたいって思うかな?

伊豆の踊子 川端康成
(新)旅の終わりにひとすじの涙……これが孤独なぼくの初恋なんだ。
(角)踊子を好きになった高校生の恋の行方は−


 まずは角川のコピーから吟味しよう。なぜなら僕から言わせれば「このコピー、ありえない!」からだ。「踊子を好きになった?」「高校生?」「恋の行方?」そんないいかげんなコピーで川端作品を読ませようとしたら、あとで必ずしっぺ返しを食うぜ。一度読めばわかるが、幼い踊子が旧制中学のエリート学生に対してほのかな恋慕をいだくというのが物語の始まりだ。主人公の青年が踊子を無視できないのは、自らの出自にまつわる孤独とエリート故の将来への不安などを抱えて旅する彼の沈んだ心を、踊子の無邪気な恋慕が癒してくれたからだ。と同時に、踊子の行く末と自らの将来を比して、社会の矛盾の一端に触れてしまうというモチーフも見落とす事はできない。つまりは角川のコピーはデタラメなのだ。

シャーロック・ホームズの冒険 コナン・ドイル
(新)赤毛連盟? まだらの紐? イギリスを名探偵と駆け巡れ!
(角)ホームズとワトソンが難事件を解決!


 えーと、またまた言ってもいいですか?タイトルと言ってる事おなじなんですけど、角川さん。まあ確かにワトソンとの名コンビで「難事件を解決!」という点は付け加えてるには違いないけど…。なんか他にないのかなぁ。新潮のコピーとの違いを説明するので考えましょうね。

 「赤毛連盟」「まだらの紐」といったタイトルは未読の人には何の意味もない。さきほど「不思議の国のアリス」で角川のコピーがだめだと指摘したのと同じ批判が当てはまりそうだが、今回はそうではない。ホームズのようなミステリーは小学校の図書室に完備しているだろうから、児童文学(ジュブナイル)で読んだ人も多いはずだ。そういう人ほど、大人向けのオリジナルを読んで新たな感銘を受けてほしいのだ。それがイギリスという国を、ロンドンという都会を、改めて知る事にもなる。

坊っちゃん 夏目漱石
(角)江戸っ子の坊っちゃんが四国・松山で大暴れ!
(ナ)時代を超えて愛される無鉄砲教師の痛快物語。


 これはもう何度も言ってるけれど、「坊っちゃん」という作品には「痛快」な場面など一つもない。もしそう感じるとするならば、それはドラマ化されたテレビの影響だ。だが、明らかに「時代を超えて愛される」なにものかを漱石が描いた事は確かだ。父母からは厄介者と疎まれ、江戸っ子の気位だけを抱えて、松山の田舎へと都落ちした次男坊の鬱屈こそが、「自分こそが坊っちゃんだ」と主人公の行動に自らを仮託する読者を今なお生み出している。

銀河鉄道の夜 宮沢賢治
(新)星の空を、ひっそりと見あげたことありますか。そして涙が出ませんでしたか。
(角)悲しい気持ちを抱え、銀河鉄道に乗った少年は?


 「銀河鉄道の夜」は宮沢賢治が生涯にわたって何度も書き直した作品だ。なので、おそらくは読んだ時期によって作品の印象が変わる作品かもしれない。僕はと言えば、登場人物がすべて猫で描かれる猫十字社作のマンガによって、初期型と改訂版の2つのバージョンを読んでいる。劇場版アニメになったのは後者の方だ。その作品の序盤で、いじめられる自分にも、帰ってこない父や病がちの母との生活に倦んで、ジョバンニは一人ぼっちで丘に横たわり、夜空を見上げる。なんて深く静かで寂しい風景だろう。新潮のコピーは、そんな僕の思いに共鳴する。では、角川のコピーは…。いや、それは言うまい。角川は、ジョバンニが「生きる事」の悲しさを抱えて丘に登って夜空を見上げる、まさにその場面を解説で描ききっているのだ。
(2011/10/18初出)
posted by アスラン at 19:38| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 夏の文庫フェア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

発見!角川文庫2012、始まる

 昨日は休みだったので、平日の書店ののんびりとした雰囲気を味わった。すると、角川の「夏の文庫フェア」がいち早く始まっているのに気づいた。書店側も並べ立てという感じで、派手派手しいところはまだ感じられない。今週中にはナツイチが参戦するだろうから、そうなると競い合いで賑やかになっていくだろう。

 目当ての小冊子がなかなか見つからない。先行して文庫だけ並べてあっても小冊子が用意されないのは例年の事だからなとあきらめていたら、ひっそりと文庫と文庫の合間に平積みされていた。あった、あった。今年の「発見!角川文庫」のテーマは〈祭り〉のようだ。

 今年も「夏の文庫フェア比較記事」を企画しているが、今年は少し趣向を変えるつもりだ。と、誰に予告するわけでもない。自分に対する一種の宣告みたいなものだ。さっそく、今朝の電車の中で角川文庫のフェア本の「品揃え」を調べだしたところだ。
posted by アスラン at 13:06| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(電車でカフェ気分) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月21日

夫婦茶碗 町田康(2004年12月18日読了)

 笑える、こりゃあ笑えるぞ〜。

 妙に古い言い回しを使いたがる主人公の男の語り口は、あたかも落語を思わせる。ところが現代の〈熊さん八っつぁん〉は独善的な思考を止める事を知らない。おまけに、それをたしなめるご隠居がいないのが今のご時世というものだ。

 語り手の男は、「おいおい、そりぁないだろ」と思わずにはいられないところまでどしどし無謀な考えをおしすすめて行動にうつしてしまう。確かに笑える。なのにいつの間にか「笑い」がひきつる。そこまでいっちぁあ(オシマイだ…)という言わずもがなの言葉を思わず飲み込む。でも、やっぱり可笑しい。可笑しいものは可笑しい。では、笑ってしまおう。

 そこで、はたと気づく。そうか。僕ら読者は、著者の底意地の悪い思考実験に単に付き合わされてるだけじゃない。試されてるんだ。人間としてのモラルだとかヒューマニズムだとか、そんなオシキセでアイマイなモノが如何に〈人間という生き方〉をつまらなくしている事か。これは生きる事に日々退屈にしている僕らへの著者なりの挑戦状なのだ。
(2005年6月2日初出)
posted by アスラン at 19:28| Comment(6) | TrackBack(5) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月19日

先崎学のすぐわかる現代将棋 先崎学/北尾まどか(2012/5/17読了)

 うちの息子が将棋を始めて一年と数ヶ月が過ぎた。息子の将棋好きは途切れる事なく続き、割と順調に将棋の実力(棋力と言う)もついていった。もう僕の出番はない。どうやっても勝てないから、あとはサンドバッグ代わりに相手をしてあげるだけだが、生意気にも終わった後で感想戦(対局が終わった直後に対局者同士で勝敗の分かれ目などを分析しあう)をやって「ここでこう指せばよかったんだよ」などと言うものだから、いつも親の面目をかけて「もう二度とお前とは将棋を指さない」と言って息子をあわてさせる。ママには「大人げないからやめなさい」と言われるが、ゲームなんだから大人げないもへったくれもないだろう。

 しかし子供以上に将棋の面白さにはまってしまったのは僕の方だ。携帯から将棋のライブ中継(盤面がリアルタイムで進行していく)サイトにアクセスできるように契約して、毎日のように素人考えで、ああでもないこうでもないとプロの指し方を観戦している。それと本だ。少しでも強くなって息子の天狗の鼻をへし折ってやるなんて野望は持っていないが、少しは見事な指し回しをして鼻をあかしてやりたいとは思っている。でもおそらく手遅れだろうな。二度と追いつかない。それよりも将棋の楽しさを味わう本を選んで、できれば読み尽くしてやろう。こちらの野望の方は息子の方も手出しはできないだろう。

 今の将棋本のほとんどはプロ・アマ問わず、今の実力をステップアップさせるための入門本、解説本がほとんどで、これは「初心者向け」の本をのぞけば、僕には歯が立たない。先崎学という人はもちろんプロの将棋指しだが、文才とユーモア感覚のあふれている、将棋界でも希有な存在だ。彼のエッセイは読みやすく、本来取っつきにくい将棋の世界を垣間見ようとするにわかファンが楽しむための入り口として最適だ。ただし、今回の本はエッセイではなく、先崎さんにしてはめずらしくまじめな「現代将棋解説本」だ。

 「現代将棋」というキーワードは頻繁に使われる。これは、たとえば「近代将棋」という時の意味とはまったく違う。近代あるいは近代化というのは単に制度の問題であるし、経営の問題とも言える。400年前に徳川家将軍のお抱え棋士として始まった名人制度は、近代においては日本将棋連盟という民間の団体によるプロ同士の勝負という仕組みにとってかわった。

 しかし本当の意味で将棋というゲームが近代化するには、戦後の世代交代が不可欠だった。将棋には〈羽生世代〉という言葉があるが、彼らが活躍する以前の将棋は今とは指し方が違うだけでなく対局の様子もかなり違っていた。将棋は序盤で駒組を行う。手筋にしたがった指し方をお互いが順番にするのが当たり前で、序盤で対局者や関係者が会話する事もふつうの光景だったようだ。また、対局の前後で対局先の宿屋で麻雀をする事もあった。つまり以前の棋士たちは「切ったはった」を渡り歩く勝負師たちの真剣勝負だった。

 そういう時代の伝説となったのは大山康晴のような人物だ。彼が得意としたのは中飛車だった。かつての、というか今でもそうだが、伝統的な中飛車では角道を歩で止める。徹底的に相手の攻撃を受けて、カウンターを仕掛けるというのが従来の中飛車のイメージだった。この息が詰まるようなかたぐるしい中飛車のイメージは大山康晴という巨人が作ったものと言っていい。と著者・先崎さんは書いていたはずだ。

 ところが時代は変わる。巨星がこの世から去り、風通しがよくなった将棋界に「現代将棋」の革命が次々と訪れる。もう対局の場で会話を交わす事はなくなった。序盤は駒組みをするだけなどと安易な事をいう棋士はいない。序盤で少しでも有利な陣形を構築するために、攻撃・守りを同時に組み立てて中盤につなげ、終盤を乗り切る戦法が求められるようになった。そこから逆転の発想のように生み出されたのが、現代将棋だ。

 この本では「ゴキゲン中飛車」「石田流三間飛車」「角交換振り飛車」を中心にして、現代将棋の最新流行の一端を分かりやすく紹介してくれる。そもそも僕のように将棋1年目の子供に負けるような人間が読むにはやや難しい。読んで意味はわかるが、指せと言われても到底させない。でも「ゴキゲン中飛車」がどれほどゴキゲンな戦法なのかが、この本で初めて理解できた。なんとゴキゲン中飛車の名付け親が先崎さんなんだそうだ。

 将棋ファンなら知らない人はいないゴキゲン中飛車の発明者は近藤正和六段だ。彼は日頃からニコニコと笑顔で楽しそうに将棋を指す。その人柄が乗りうつったような振り飛車の戦法は、それまで角道を止めて盤面から動きを奪ってきた中飛車の概念を一変させた。なんとゴキゲンな戦法ではないか。だから先崎さんははっきりとは言わないが、ゴキゲンなのは開発者の近藤さんの「ゴキゲン」だけでなく、一時代を築いたがゆえに中飛車から楽しさを奪ってきた巨星に対する批判も込めて、ネーミングの意味を僕らに伝えているのだ。

 そう思うと、是が非でもゴキゲン中飛車の「ゴキゲンさ」を味わいたくなってくる。自分では指せないくせに、どう指すとどうゴキゲンかを本書で味わい尽くす。それに「一手損角代わり」って日々当たり前のようにプロ棋士の間で指されているにも関わらず、なんで「角がわり」するの?なんで「一手損」なの?いや、一手損していいの?みたいな馬鹿な疑問でも、先崎さんの柔らかな解説を読んでいくと、なんとなく分かったような気になってくる。そしていつか「ゴキゲン中飛車」を指し倒して、うちの息子に「やったね、お父さん」と言わせるか。いや「ばか、ばか、ばか、なんで勝つんだよ」と言わせてみるか。それもまた夢の夢だ。

 そういえば、最近うちの息子は千駄ヶ谷の将棋会館の将棋スクールの帰りに、「なんかさ、教えてくれる先生の本を下(の売店)で買ってくれば、先生がサインしてくれるみたいだよ」と言い出す。へぇ、なんで知ってるの?「だって、誰かが買ってきた本にサインをお願いしてたの」。ふーん。でもさ、本を書いてる先生いるのかなぁ。若手の先生とかだと、まだ本なんて書いてないでしょ。どの本なの?

 「これ、これ」、息子が指さす。「『ゴキゲン中飛車入門 近藤正和六段』とか」。えっ?えぇぇぇっ!
あの近藤先生が、ゴキゲン中飛車の近藤六段だったの?確かにゴキゲンにニコニコ笑っているなぁ。ちょっと待って。僕がこの次に本を買ってサインをお願いしてしまうかもしれないぞ。
posted by アスラン at 19:48| 東京 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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