カテゴリ記事リスト
1999年7月26日(月) 「天使に見捨てられた夜」「学校の怪談4」(05/26)
1999年8月1日(日) 「アナザー・デイ・イン・ザ・パラダイス」「セレブレーション」(05/24)
1999年8月2日(月) 「エントラップメント」(05/24)
1999年8月7日(土) 「プリンス・オブ・エジプト」「恋は嵐のように」(05/23)
1999年8月8日(日) 「アイズ・ワイド・シャット」(05/22)
「クンドゥン」(1999年8月9日(月))(05/21)
「運動靴と赤い金魚」「スカートの翼ひろげて」「スターウォーズエピソード1ファントム・メナス(吹き替え版)」(1999年8月11日(水))(05/20)
「バッファロー’66」(1999年8月12日(木))(05/20)
「豚の報い」(1999年8月13日(金))(05/20)
「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(1999年8月15日(日))(05/19)
「クジャク」「アムス・シベリア」(1999年8月21日(土))(05/18)
「黒猫・白猫」(1999年8月22日(日))(05/18)
「メッセンジャー」「エリザベス」(1999年9月4日(土))(05/17)
「マトリックス」「シンプル・プラン」(1999年9月20日(月))(05/17)
「リトル・ヴォイス」(1999年9月25日(土))(05/16)
「ノッティングヒルの恋人」「金融腐食列島呪縛」(1999年9月26日(日))(05/15)
「秘密」「ウェイクアップ!ネッド」(1999年10月10日(日))(05/14)
「マーサ・ミーツ・ボーイズ」(1999年10月18日(月))(05/13)
「Hole」「ポーラX」(1999年10月23日(土))(05/12)
「シックス・センス」(1999年10月30日(土))(05/10)

2005年05月26日

1999年7月26日(月) 「天使に見捨てられた夜」「学校の怪談4」

 中野武蔵野ホールで「天使に見捨てられた夜」(no.81)を観る。

 久々にこの映画館に来たので、商店街のアーケードの中をいったりきたりで探し回ってしまった。おそらく小川プロの「1000年刻みの古時計」を観て以来じゃないかな。

 「800 TWO LAP RUNNERS」の廣木隆一の作品だ。僕にとってはにっかつロマンポルノ時代のガイラとしての方がなじみがある。ポルノとは思えないゴダールばりの映像世界をもっていた監督だ。

 だから「800」のストーリの陳腐さにはがっかりさせられたが、今回の映画は映像もストーリーもリアリティに満ちていてさすがと思わせてくれる。

 かたせ梨乃が38歳の孤独な一人暮らしの女探偵の役を好演している。しかも場面設定が新宿二丁目という多国籍人がふき溜まる界隈になっていて、ひとつひとつがリアルだ。

 都会人の孤独は、一見した雑踏の華やかさと裏腹で、疲れて帰宅するかたせが毎日きまったように街角の売店で大衆新聞を買って帰るところなどが丁寧に描かれていく。

 陰惨な犯罪を追っていくかたせの唯一心を許せる友はマンションの隣人の大杉漣だが、心以上のものを求めようとしても同性愛者だと告白されて、一線を越えることはできない。

 しかし事件解決後、いっしょに花火をしてはしゃぐ光景は、孤独なさびしさを心で分かち合える関係へと昇華できたことを暗示していて心がジーンとするラストになった。続編が期待できる作品だ。

 新宿に移動し、高島屋タイムズスクエアの「Din Tai Fang」で小龍包・肉まん・ちまきを食べる。週末だと90分待ちが当たり前だが、平日とあって15分で入れた。小龍包はさすがにおいしい。それ以外のメニューは普通の味といったところか。

 コマ東宝で「学校の怪談4」(no.80)を観る。

 「愛を乞うひと」という端正でオーソドックスな映画を作った平山秀幸監督の作品ということでぜひ観たくなった。

 冒頭から戦前の小学校のシーンをモノクロで描く。学校でかくれんぼをしていた子供たちを大津波がのみこんでしまう。

 一転して現代。東京から遊びに来た二人の兄妹は、いとこに案内された小学校で、大津波で死んだ子供たちの写真を見てしまう。それから二人や小学校の子供たちに異常な出来事が起こり出す。

 前半は非常に日本らしいオーソドックスな恐怖を描き、後半はかくれんぼで見つけられるのを待っている幽霊の子供たちを、妹の女の子が見つけてあげるという感動的なエピソードになっている。

 だから単に怖い話ではなく、日本の田舎に伝わる伝承を情緒豊かに描いた作品に仕上がっている。

 「愛を乞うひと」の子役もそうだったが、今回の主役の女の子(豊田眞唯)がとても愛らしい。この監督は子役探しの名人でもあるらしい。
posted by アスラン at 01:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画評(1999年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月24日

1999年8月1日(日) 「アナザー・デイ・イン・ザ・パラダイス」「セレブレーション」

 渋谷のシネマライズで「アナザー・デイ・イン・ザ・パラダイス」(no.83)を観る。

 こそ泥をして暮らす16歳のボビーとロージー。そこに一緒に大きな仕事をやらないかと誘うプロの仕事屋メル。ボビーはうまい仕事とメルの強烈な個性に惹かれて一緒に様々な盗みをやるが、盗んだ拳銃を逆に奪いに来た奴らと銃撃戦になり、メルが撃たれてしまう。

 ロージーはメルと情婦のシドの愛し合う姿にボビーとの将来を重ね合わせるが、次第に過激になっていく仕事に不安を感じていく。 やがてボビーの子を流産して精神的に耐えられなくなって、こんな生活から逃れたいと泣いて頼むがボビーは聞き入れず仕事に出かけていく。

 ヤクと盗みとセックスに明け暮れる少年が、大人の犯罪の世界に引き込まれて結局悲惨な結末を迎える。そこは夢のようにあこがれるところでは決してなく失った物は大きい。
 ラストの草原をメルから逃げていくボビーの姿はすさまじい世界から抜け出られた開放感にみちた魅力的なシーンとなった。

 ユーロスペースで「セレブレーション」(no.82)を観る。

 デンマーク映画というのも珍しいが、映画自体が、様々な制約を自らに課した映画監督集団の一人から生み出されたものだというのも珍しい。

 たとえばロケーション撮影のみでセットを使うな、音楽は使うな、手持ちカメラを使え、などなど。かなり厳しい制約だが、それは真実のみを追究し、衰退してゆく映画を救済するためのかなり戦略的な手法である。確かに全編ドキュメンタリーフィルムを観ているかのように生々しく人々の表情を切り取っていく。

 地方の領主である父の還暦パーティーに親族一同が会すが、長男が、二ヶ月前に自殺した妹は父に近親相姦を強要され続けて死に至ったと暴露して大騒ぎになる。何事もなくパーティを進めようとする父や他の子供たち。次第にそれぞれの心の暗く醜い部分が浮かび上がっていく。かなり画期的で面白い作品だった。

 東横線で中目黒に移動。『グループ満天の星』の公演の千秋楽を観る。初日とくらべて安心して観られるが、客の入りは七分程度。笑いのつぼになかなか入らないのが歯がゆい。

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『グループ満天の星』は声優・森川智之主宰の小劇団。
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1999年8月2日(月) 「エントラップメント」

 早めにあがって会社のMさんと一緒に九段会館で「エントラップメント」(no.84)の試写会を見に行く。

 20分ぐらい前にはついたのだが、かなり入っていて三階席まであがって観る。
久々のショーン・コネリーのアクション映画だ。引退した絵画泥棒のコネリーに目をつけた保険調査員キャサリン・ゼタ・ジョーンズが、大きな盗みを持ちかけて罠にかけようとする。しかし協力する振りをして近づくうちにお互い愛し合うようになっていく。どんでん返しが効いていて予想していたより面白かった。

 コネリーは往年のマッチョのイメージはなくなったが、渋い味わいが出てきてかえって楽しめた。

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2005年05月23日

1999年8月7日(土) 「プリンス・オブ・エジプト」「恋は嵐のように」

 今日から夏休み。毎朝6時起きでウォーキングをやることにした。

 有楽町に出て日劇プラザで「プリンス・オブ・エジプト」(no.86)を観る。

 「出エジプト記」のモーセを主人公としたアニメだ。スピルバーグのドリームワーク社がディズニーに真正面から挑戦した作品だけあってなかなか出来がいい。ヘブライ人のモーセが、生まれてすぐ、エジプト人の手で殺されないようにかごのままナイル河に流され、ファラオの王妃に拾われて王子として育てられる有名な話から始まり、モーセが青年になって自分の出生を知らされて苦悩するという、一種の青春物語として描かれている。

 ラメセスとモーセが兄弟だという解釈は必ずしも聖書では描かれていないが、この作品では二人の兄弟ゆえの愛憎が大きなモチーフとなっている。壮大な民族ドラマを描くために映像も凝っていてオーソドックスな人物画と広がりを感じさせるCGを組み合わせる事で、スケールの大きな物語を演出している。
 葦の海をモーセが切り開いてわたるエピソードで終わってしまうのが物足りないが、ラストの切り開いた海のシーンのCGは見ごたえがありすばらしい。くじらの影が切り立った海の壁に映るのが非常に斬新で驚いた。

 丸の内プラゼールで「恋は嵐のように」(no.85)を観る。

 最近売り出し中のベン・アフレックとサンドラ・ブロックとのラブ・ロマンスだ。ベンは結婚まぢかで、彼女の実家で結婚式をあげるために飛行機に乗るがエンジントラブルで事故に遭い、隣の席で気絶したサンドラを助ける。二人とも代わりの飛行機が見つからずレンタカーもなく、しょうがなく一緒にヒッチハイクの旅を続ける事になる。

 途中でいろんな障害にあううちにお互いの気持ちに気づくようになっていくが果たして恋人を裏切ってサンドラに走る事ができるのか。ラストは予想外の感じで、しかもあんまり感動的な場面に出来ていない。途中のテンポの良さと比べると、ちょっと教訓めいたラストになっていてがっかりした。
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2005年05月22日

1999年8月8日(日) 「アイズ・ワイド・シャット」

 渋谷ジョイシネマで「アイズ・ワイド・シャット」(no.87)を観る。

 キューブリックの最新作で内容が事前に全然あかされないということや、予告編でトム・クルーズとニコール・キッドマン夫婦のヌードでのラブシーンが話題になり、さらに遺作となってしまったことで異常に話題になりすぎたきらいがある。

 当然ながらわかりやすい映画を作る作家ではないので、あんまり騒がない方がいいのになぁと感じていた。この作品も出来はキューブリックらしいと言えば言える。

 社会的な地位も名誉もある若い医師が、妻が言った一言から妄想を抱き、心の闇が実際のあやしげな快楽クラブへと誘うことになる。一種の火遊びだと思われたのが、事態は取り返しのつかないところまでに至ってしまう。

 発端が倦怠期を迎えたどこにでもいる夫婦から始まっていて、ちょっと心に隙があれば日常と非日常の接点は思いのほか多いのだと思わせるキューブリックの手際には感心させられる。ただこれが遺作というのは悲しすぎる。

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2005年05月21日

「クンドゥン」(1999年8月9日(月))

 恵比寿ガーデンシネマで「クンドゥン」(no.88)を観る。

 クンドゥンとは法王猊下の事。あのマーティン・スコセッシ監督が現ダライ・ラマを描いた映画だ。冒頭、チベットからはるばる遠い地方の一家を旅の僧数名が訪れる。亡くなったダライ・ラマ13世の生まれ変わりの子供を探しているのだ。

 この不思議なエピソードはベルトリッチの「リトル・ブッダ」ですでに馴染みのものだが、子供を前に法王が使っていためがねや杖といった日常品を二種類ずつ用意して、次々に子供が言い当ててゆき、最後に僧たちが笑顔で確信して頭を下げる。「クンドゥン!」と。
 感動的な冒頭から僕らは、チベットをやむなく去らざるをえなくなるまでのダライ・ラマの波乱な半生を追っていく事になる。

 スコセッシ監督は三人の幼年から青年までの俳優を使って、まるで「ラスト・エンペラー」のように緻密にダライ・ラマとその時代・環境を描き出している。

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2005年05月20日

「運動靴と赤い金魚」「スカートの翼ひろげて」「スターウォーズエピソード1ファントム・メナス(吹き替え版)」(1999年8月11日(水))

 シネスイッチ銀座で「運動靴と赤い金魚」(no.91)を観る。

 イラン映画というと近頃みた「りんご」やアッバス・キアロスタミ監督の作品などでようやく少しは知るようになってきたが、今回もお国柄がよく出ていて面白い。

 アリ少年はお使いの途中に妹の靴を修繕屋になおしてもらったが、買い物の最中になくしてしまう。妹に泣きつかれても親には言えないので、学校へは自分の靴を二人して交代に履いていく事にした。でもどうしても履き替えに待つ間に遅刻してしまい、アリは毎回先生に怒られてしまう。

 ところがマラソン大会の三等に運動靴があると知り、なんとか出場して妹のために三等になろうとひたすらアリは走る。

 日本やアメリカの映像表現とは全然ちがった、よく言えば素朴、悪く言えばあか抜けない演出ではあるが、でも単純さの中にイランの貧困層の子供たちの現実がうまく描かれている。

 なくした靴を別の少女が履いているが、彼女の家に行くと父親の目が見えない事を知って言い出せなくなるシーンや、父と一緒に金持ちの家が立ち並ぶあたりを庭の手入れのご用聞きに回るシーンなどが本筋を際立たせる情感のある演出となっている。

 銀座テアトル西友で「スカートの翼ひろげて」(no.90)を観る。

 第二次大戦中、イギリスでは農村部で人手不足となり、男性の代わりに女性がボランティアとして派遣された。通称ランドガールズの物語だ。

 三人の女性が田舎町に来た。彼女を受け入れた農家の主人は最初こそ鼻であしらっていたが、彼女たちの勤勉さと熱心さと明るさに打たれていく。深い絆で結ばれた三人だが、次第に彼女たちにも戦争が暗い影を落としていく。

 つらい時代だからこそ互いの深く結ばれた女性たちの友情と恋の物語を、デビッド・リーランド監督が感動的に描いている。「あなたがいたら少女リンダ」はちょっと共感しにくかったが、今回の作品はなかなかいい。三人の女優たちもそれぞれに描き分けられていた。

 友人と落ち合ってシャンテ・シネで「スターウォーズエピソード1ファントム・メナス(吹き替え版)」(no.89)を観る。

 オビ・ワン・ケノービを森川智之が吹き替えていて森川ファンの彼女のたっての希望で吹き替え版を観ることに。

 幸い僕はスターウォーズ・フリークでも何でもないので、どちらでも構わないが、スケジュールが合わず今日までのびのびになっていたのでようやくこの夏一番の話題作にケリがついた。映画の内容が好きかどうかは好みの問題だ。

 ルーカス監督の演出力の限界は、前三作を通して強く感じるが、今回は特撮の部分の違和感が前より減ってきた分、少なくとも過去三作よりも楽しめた。
 
 そうだ、配役が前三作より格段によくなった。リーアム・ニーソンもユアン・マクレガーもナタリー・ポートマンもいい。おまけにサミュエル・ジャクソンまで出ている。
posted by アスラン at 20:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画評(1999年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「バッファロー’66」(1999年8月12日(木))

 パルコ・パート3改めシネ・クイントで「バッファロー’66」(no.92)を観る。
 
 シネ・クイントは一席30万円の外国製のイスを使っているとあって座り心地はかなりいい。リクライニングのように背にもたれる形になるので、あまりに気持ちよくて寝てしまいたくなる。
 第一回作品がヴィンセント・ギャロが監督・主演をした作品だ。

 刑務所から出てきたサエない男ビリー。彼は家に帰る電話で「女房を連れて帰る」と見栄を張ってしまう。恋人すらいないのに。偶然通りかかったレイラをいきなり脅して、俺の言うとおり女房として振る舞うよう強制する。

 レイラはぼちゃぼちゃに太ってちょっとトロそうな女性。この奇妙なカップルが次第に心を通わせ、家族愛に飢えて人生負け続けのビリーの心の傷を癒していく。
 とにかく不思議なテイストと、クールでいてあたたかいヨーロッパ風なアメリカ映画だ。
posted by アスラン at 05:34 | Comment(0) | TrackBack(1) | 映画評(1999年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「豚の報い」(1999年8月13日(金))

 ポケステが前日壊れてしまい、2台目を手に入れようと秋葉原に出た。幸いラオックスで大量入荷したばかりで簡単に手に入った。食事を神田「まつや」ですまして、新宿に移動。

 テアトル新宿で「豚の報い」(no.93)を観る。

 実は冒頭からうとうととしてしまったらしく、ストーリーがよく追えなかった。
 沖縄のスナックで働くママとネーネー(お姉さん)たちの三人がにぎにぎしく騒いでいる。大学生の正吉が飲んでいると、突然豚が飛び込んできて、ネーネーの和歌子を失神させてしまう。和歌子は、このせいでマブイ(魂)を落としてしまった。奇妙だが沖縄で信じられてきた風習らしい。

 厄落としのために正吉の故郷の島に四人で向かう事になる。ストーリは細かくは追えなかったが、厄落としが四人が持つそれぞれの過去の傷を癒す旅になるというラストだった。ただどうしても情感の部分で見落としが多く、感想にならない。崔洋一監督、ごめんなさい。

カチンコ
【ポケステ】
 PokectStationの事。プレステの携帯子機としてちょうどこの時期発売された。今ではめざましTVでもおなじみのトロが出てくる「どこでもいっしょ」にハマった!
【神田まつや】
 神田・須田町にある蕎麦屋。かの池波正太郎が通い詰めたのでも有名。美味しい。江戸庶民の味。ちかくにビッグネーム・藪そばがあるが、まつやの方が気取ってなくて僕は好きだ。

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2005年05月19日

「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(1999年8月15日(日))

 渋谷シネセゾンで「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(no.94)を観る。

 ロンドンの下町。四人の一攫千金を夢見る若者が小金を稼いで、カードで大儲けをたくらむが、逆にイカサマにかけられて50万ポンドの借金を背負い込む。

 窮地に追い込まれた四人は、マリファナ工場から麻薬を強奪しようとする悪党ドッグの計画を知り、それを横取りしようとたくらむ。
 三つどもえ、四つどもえになって大騒動に発展していくが、ラストに予想もしない結末が訪れる。展開の小気味よさとスカッとした結末で笑わせてくれる映画だ。
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2005年05月18日

「クジャク」「アムス・シベリア」(1999年8月21日(土))

 渋谷のシネ・アミューズで「クジャク」(no.96)を観る。

 ウォン・カーウァイの作品の撮影監督として一躍有名になったクリストファー・ドイルのプライベート・フィルムとも言える作品。
 浅野忠信扮する主人公は、子供の頃の海や田舎の道や様々なイメージを記憶してしまう能力をもっている。やがて記憶容量を越えてしまい、記憶から逃れるために香港のゲイバーに流れ着く。そこで様々な奇妙な人々と心を通わすことになる。

 その映像イメージは、文字通り記憶のコラージュであり、心象風景とも言えるものだが、きわめて作者ドイルの私小説めいたプライベートな感覚が反映されたもので、どうも僕の肌には合わない。映画という枠では語りにくい作品だ。

 さらに昼食後、シネ・アミューズでもう一本の作品「アムス・シベリア」(no.95)を観る。

 原題を直訳すると「アムステルダムからシベリアまで」だ。アムステルダムでは何しろ売春やドラッグが違法ではないお国柄なのでアバンチュールを求めて若者が多数観光に訪れる。

 そこで女の子をひっかけて物にしては金を盗んで逃げる男二人組が主人公。こいつらは最低のやつでパスポートから写真をはがしてパスポートはまっぷたつにして逃げる。単に面白いからやっているのだ。そんな彼らがひっかけたシベリア生まれの女の子に一人が惚れてしまってから二人の関係がおかしくなる。女は逆に二人を出し抜こうとしていたのだ。

 最低の男たちが一風変わった女の子に翻弄されていくストーリ展開が面白い。
posted by アスラン at 20:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画評(1999年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「黒猫・白猫」(1999年8月22日(日))

 シャンテシネで「黒猫・白猫」(no.97)を観る。

 最初からうつらうつらして居眠りをしてしまい、最後の方までストーリーがつながらなかった。「豚の報い」に続いて2度目だ。体がだるく映画をみる集中力に欠けている。とにかくはちゃめちゃなパワーをもったコメディだということは確かだ。

 ユーゴの天才監督と謳われるエミール・クストリッツァ監督の初のコメディだそうだ。感想は書けない。機会があればもう一度見直したい。
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帳尻合わせ。まったく感想になってないが、シーケンシャル番号が抜けてしまうから敢えて載せる。見直す機会が来なかったところをみると実は趣味が合わなかったのかもしれない。
posted by アスラン at 20:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画評(1999年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月17日

「メッセンジャー」「エリザベス」(1999年9月4日(土))

 先週から微熱とせきが続いていたが、ようやくおさまってきたので外出。

 新宿のコマ東宝で「メッセンジャー」(no.99)を観る。

 「私をスキーに連れてって」のホイチョイ・プロダクションの久々の新作。

 流行のアウトドア・スポーツを取り入れた作品かと思いきや、今回は自転車便をテーマにしたラブコメだ。
 なかなか題材が面白いし、都内を縦横に駆けめぐるシーンが多いので、東京人として親しみがわく映画となった。

 内容はいつもながら往年の若大将シリーズのように起承転結がはっきりとしたお約束の逆転一発映画なんだけれど、毎度の事ながらその時その時の流行のアイテムやスポットを取り込んでいてひと味ちがうエンターテイメントとなっている。

 ただ主役の草薙剛と飯島直子とでは、「私をスキーに連れてって」風の心にぐっとくるラブストーリーとはなりようがなく、ほのかな恋心どまりだったのはちょっと残念かな。まあ爽やかさは残ったけどね。

 2:30頃遅い昼食をとったあとで、新宿アカデミーで「エリザベス」(no.98)を観る。

 旧教と新教が対立し、周囲の強国からの圧力で非常に不安定な時期にあった16世紀のイングランドにおいて、さまざまな受難を経験しながらも25歳にして女王に即位したエリザベス。

 やがて血で血を洗う争いの闇の中から英国の黄金時代の礎を築いた。死と隣り合わせで不安で多感な少女時代を過ごしたエリザベスが、最後にはみずからの意志で感情を押し殺して表情を読みとらせない白塗りの恐ろしい顔をみせるようになるまでを見事に描ききった。

 人間関係や歴史的状況がわかりやすく描かれているとは言えないが、英国がおかれていた厳しい状況、暗殺や陰謀が暗躍する時代の雰囲気はうまく伝わってきた。
posted by アスラン at 19:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画評(1999年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「マトリックス」「シンプル・プラン」(1999年9月20日(月))

 有楽町マリオンの映画館で「マトリックス」(no.101)を観る。

 これは久々のキアヌ・リーブスのヒット作になる。監督は「バウンド」のウォシャウスキー兄弟だ。「バウンド」もかなりスタイリッシュな演出で独特な感覚をもった映画だったが、今回はそれが花開いた感じがする。

 現実の世界が、実はコンピュータが作り上げた仮想現実「マトリックス」であるという。そして現実では人間がコンピュータの動かすエネルギーの供給源として牢獄のように囚われの身となって仮想現実の夢をみている。 それに気づいた一部の人々とコンピュータを管理するプログラムとが熾烈な戦いをくりひろげる。

 着想のおもしろさだけでなく、様々な隠喩やレトリックを駆使したストーリづくりが物語に厚みを出していて、さらにワイヤーとカンフーを組み合わせたアクションを、スローモーションやストップモーションによる編集で巧みに演出していく。

 キアヌのカンフーはお世辞にも決まっているとは言えないが、とにかく最後まで一気に見せてしまう映画だ。

 「シンプル・プラン」(no.100)を観る(映画館は不明)。

 雪におおわれた田舎町で、偶然墜落した小型飛行機を見つけたハンクとジェイコブの兄弟。
 積んであった440万ドルをネコババしようと兄ジェイコブが持ちかけた事から、事実を隠すために人殺しを繰り返し、次第に深みにはまっていくハンク。

 ちょっとしたきっかけから大きく人生が変わってしまった人間たちを描いて、それが一見静かな町で起こっていくところが怖い。
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2005年05月16日

「リトル・ヴォイス」(1999年9月25日(土))

 シャンテ・シネで「リトル・ヴォイス」(no.102)を観る。

 「ブラス!」のマーク・ハーマン監督の最新作だ。

 内向的で自分を表現できないLV(リトル・ヴォイス)は、死んだ優しい父の思い出の品である古いレコードを一日中聴いている。 電話工事が縁でLVと出会った青年ビリーは、次第に彼女と心を通わせていく。

 しかし母親を含めてLVの周囲の人間は、どんな歌手の物まねでもできるLVの特異な才能を金儲けの手段にすることしか考えていない。

 非常にファンタジックでハートウォーミングなストーリーだが、ブレンダ・ブレシンやマイケル・ケインなどの面々が演じるドタバタ喜劇の部分が鼻について、「ブラス!」の時のような品格が感じられず、のめり込む事ができない。いい題材だけあってちょっと残念。
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2005年05月15日

「ノッティングヒルの恋人」「金融腐食列島呪縛」(1999年9月26日(日))

 「ノッティングヒルの恋人」(no.104)を観る。

 今年は京野ことみとジュリア・ロバーツを再発見した年になりそうだ。いつも自然体で自分に会わない役などやりそうにないロバーツだが、まさにうってつけの役がこれだろう。

 世界的に有名なハリウッド女優がロンドンの下町の平凡な書店経営者の青年と恋に落ちるという王道中の王道のラブロマンス

 おまけにラストは「ローマの休日」そのままの記者会見のシーンで、それに思いっきり甘い主題歌(エルヴィス・コステロの"She")がかぶさる。

 ところどころ演出上の不満はあるが、ヒュー・グラント演じる青年を取り巻く人間関係の設定にちょっと工夫がみられるし、思いっきりハッピーエンドなのでOKだな。

 「金融腐食列島呪縛」(no.103)を観る。

 監督は原田眞人。前作の「バウンスkoGALS」とはうってかわって大手銀行の経営危機をリアルに描き出した作品になった。

 といっても従来からよくあるパターンの企業内のどろどろした派閥抗争を描く映画でも、松本清張タッチの巨悪を暴く式の社会派ドラマでもない。あくまで金融業界の現実を踏まえた上での人間群像劇であり、人間と人間のぶつかりあいから立ちのぼってくる再生という名のドラマなのである。

 銀行マン、その妻、検察、報道と多角的に人物を配置する事で、一斉にドラマが動き出すダイナミックスを見事に演出した久々の一級エンターテイメント映画だ。
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2005年05月14日

「秘密」「ウェイクアップ!ネッド」(1999年10月10日(日))

 有楽町で「秘密」(no.106)(滝田洋二郎監督)を観る。

 ベストセラーになった東野圭吾の同名の小説の映画化である。

 自動車事故で母娘が傷つき、死んでしまった母の心を持つ娘が生還する。父は動揺するが、これは果たして娘の精神がなせる技なのか、それとも本当に心が娘の肉体に入ってしまったのか。

 この題材はすでに北村薫の「スキップ」でおなじみだが、本作の方が現実にそうなってしまった場合の日常起こる問題を細かく描き込んでいる。

たとえば30過ぎのおばさんが、年頃の娘の体を借りて高校に通わなくてはならないギャップをどう埋めるかとか、帰ってきて家の中では夫の妻として炊事、洗濯をこなし、夫を待ち受けなければならない。性生活はどうするかというきわどい事までも役者・広末涼子の許せる限りに踏み込んで描いてみせた。

 このまま世間をいつわって生きる事がお互いに無理があると悟り、父と娘として生きていく事を決意して娘の結婚式を見送るシーンで終わる。なかなかよく出来ていて演出も抑制が効いていて感動的だ。

 しかしあざとい場面もある。生きていた頃の母が夫のあごに髭が残ってないか手で触れるシーンは、後に娘の心に母が入り込んでいる証として使われるが、最初から見え見えでわざとらしい。

 ラスト近くの灯台の近くのベンチで娘と父が夫婦として最後の別れをするシーンも、岸本加世子扮する母が実際に入れ替わるところも興ざめだ。せっかくそれまでビデオレターを使って、母と娘を使い分ける演出を見せたのに台無しになってしまう。情に訴えるのではなく、情感を湛えた演出でまとめてほしかった。

 銀座テアトル西友で「ウェイクアップ!ネッド」(no.105)(カーク・ジョーンズ監督)を観る。

 アイルランドの小さな島の村タリーモア。12億円相当の宝くじに当たったネッドは感激のあまり、そのまま心臓発作であの世へ。友人ジャッキーはネコババをたくらみ、マイケルを身代わりにたてて調査員をだまそうとするが、やがてだましきれず村人52人全員をまきこんで山分けにする約束で村ぐるみでだまそうとするが...。

 この騒動を全編コミカルに描き、最後にはぐっと心にくる印象的なラストでしめる。心温まる映画だ。

カチンコ
女子高生の内面が中年の主婦になるという設定は似ているが、東野圭吾「秘密」と北村薫「スキップ」はほとんど似ていない。シチュエーションも違えばテーマも違う。好みから言うと「スキップ」の方が小説としては見事な出来映えだ。
posted by アスラン at 23:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画評(1999年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月13日

「マーサ・ミーツ・ボーイズ」(1999年10月18日(月))

 シネ・アミューズで「マーサ・ミーツ・ボーイズ」(no.107)(ニック・ハム監督)を観る。

 予告を観て前々からみたいと思っていた映画だ。平凡な毎日にうんざりしたアメリカ女性マーサは、99ドルで行ける街ロンドンへの片道切符をもって旅立つ。空港に降り立った瞬間から、彼女には恋の予感が…。

 3人の友人が次々と同じ女性マーサに恋をするというロマンティックコメディだ。この魅力的な題材を飽きさせないために、個性的な3人の役者をそろえ、それぞれをロンドンの様々なスポットでマーサと出会わせる。

 しかもジョセフ・ファインズ扮するダニエルが、出会ったマーサが友人の話していた女性と気づき、思い悩んで精神分析医に飛び込んで相談するという回想シーンから始めるという凝った構成で楽しませてくれる。

 なによりマーサ役のモニカ・ポッターがとてもキュートで素敵だ。
posted by アスラン at 02:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画評(1999年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月12日

「Hole」「ポーラX」(1999年10月23日(土))

 渋谷のシネマライズで「Hole」(no.109)(ツァイ・ミンリャン監督)を観る。

 前作の「河」では都会人の心に澱のようによどむ孤独を鮮やかに浮き上がらせていたが、今回もその流れは変わらない。汚染のため立ち退きを迫られている集合住宅の上階と下階とで、間に開けられた穴を通じて、孤独な心を通わしていく男と女

 驚かされるのは途中で二人の夢であるかのように、あでやかに飾り立てたドレス姿の女が踊るミュージカル・シーンが挿入される。
 2000年を間近に控えた都会で、奇跡のように二人は穴をはさんで手を取り合う。「河」の完成度と比較するとちょっと不満もないではないが、新しい着想で一筋の希望を描いてみせた監督の心意気に拍手しよう。

 向かいのパルコpart3内のサンドイッチ屋で昼食をすまし、再びシネマライズで「ポーラX」(no.108)(レオス・カラックス監督)を観る。

 「ポンヌフの恋人」以来8年ぶりの長編である。

 おもえば「汚れた血」の頃から、単なるラブストーリーではなく必ず不遇な者(あるものは不治の病に、ある者は異形の姿を持つ者に)との報われない恋を描き続けてきた。あたかもそれが純粋な愛を表現できる形式であるかのように。

 主人公ピエールは、亡くなった父に自分の知らない姉が存在する事を知り、すべてが偽られていた城館を飛び出し、現れた姉とともにパリにでてゆく。そして小説家として身をたてようと、姉に対するかなわぬ近親愛をいだいてひたすら書き続ける。別れた恋人が精神を病んで彼らの前に現れ、緊張感のある生活の末に、ピエールはどんどん狂気の世界へと墜ちていく。

 ラストの悲惨さを観るとき、ここまで主人公を追い込む必要があったのかどうかちょっとついていけない感じがした。

カチンコ
蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)は、この後「ふたつの時、ふたりの時間」(2001)以来、音沙汰がない。どうしているのだろう?
ところでパルコのサンドイッチ屋は「fandango」といったか。結構昼食に重宝していたが2001年頃にはなくなってしまった。
posted by アスラン at 00:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画評(1999年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月10日

「シックス・センス」(1999年10月30日(土))

 日比谷のみゆき座で「シックス・センス」(no.110)(M.ナイト.シャマラン監督)を観る。

 はずれの多いハリウッド映画の中で今年一番と言っていいすばらしい映画が出来た。インド人の若干29歳の監督が脚本も手がけたというとおり、新しい血が既成のハリウッドをうち破ったとも言える。

 死者が見える少年と精神分析医との物語で、一見するとホラー映画と思われるが、実は二人の心の交流の物語であり、親と子の愛の物語であり、夫婦の愛の物語でもある。

 怖い映画にもかかわらず泣ける映画というのは初めてだ。

 しかも冒頭に「映画の中に"ある秘密"があります」というメッセージが出され思わず苦笑してしまったのに、ラストで「なるほど、そうだったのか」とまたまた驚かされる。まったく恐れ入りました。

カチンコ
シャマランの次作「アンブレイカブル」は期待を裏切って大スカだった。ヤン・デ・ボンが「スピード2」を作ってしまったように。「サイン」はバランスの悪い映画だったが、多少持ち直した。「ヴィレッジ」はバランスはいいが驚きの少ない映画だった。いまだシャマランは「シックス・センス」を超える映画を作っていない。
 みゆき座が今年2005年の3月をもって閉館した。芸術座ともども新しいビルに建て替えられる。失うものへの感傷は自らの胸に秘めておこう。

posted by アスラン at 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画評(1999年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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