カテゴリ記事リスト
「I want you」「のど自慢」(1999年1月15日(金))(11/25)
「6デイズ7ナイツ」「ワン・ナイト・スタンド」「ニンゲン合格」(1999年2月7日(日))(11/05)
「ユー・ガット・メール」「ニノの空」「ジョー・ブラックをよろしく」(1999年2月13日(土))(10/23)
「ウェディング・シンガー」「レ・ミゼラブル」「りんご」(1999年2月21日(日))(09/25)
「スネーク・アイズ」「ボクらはいつも恋してる!金枝玉葉2」「BAR(バール)に灯ともる頃」(1999年2月27日(土))(09/19)
「鳩の翼」「ムービー・デイズ」「ガメラ3・邪神<イリス>覚醒」(1999年3月6日(土))(09/05)
「ガールズナイト」「ガッジョ・ディーロ」(1999年3月21日(日))(08/27)
「微笑みをもう一度」「バジル」(1999年3月22日(月))(08/20)
「リトルシティ 恋人たちの選択」「コキーユ 貝殻」(1999年3月28日(日))(08/15)
「フェアリーテイル」「ヴァージン・フライト」(1999年4月3日(日))(08/02)
「アルマゲドン」「グッドナイト・ムーン」(1999年4月11日(日))(07/23)
「シン・レッド・ライン」(1999年4月25日(日))(07/16)
「ライフ・イズ・ビューティフル」「逮捕しちゃうぞthe MOVIE」「ブレイド」(1999年4月28日(水))(07/08)
「永遠と一日」「トゥエンティフォー・セブン」(1999年4月29日(木))(07/02)
「グッバイ・モロッコ」「ワンダフルライフ」(1999年5月1日(土))(06/24)
「39−刑法第三十九条」「大阪物語」(1999年5月2日(日)(06/17)
「ロリータ」「セントラル・ステーション」(1999年5月3日(月))(06/12)
「恋に落ちたシェイクスピア」「女と女と井戸の中」(1999年5月4日(火))(06/05)
「ラウンダーズ」(1999年5月10日)(05/28)
「プラクティカル・マジック」(1999年5月15日(土))(05/20)

2007年11月25日

「I want you」「のど自慢」(1999年1月15日(金))

 風邪気味なのと今年の手帳作りがなかなか終らないのとで、なかなか今年の映画館通いは出足が遅い。

 シネスイッチ銀座で「I want you」(no.4)を観る。

 新進気鋭のマイケル・ウィンターボトム監督の新作だ。

 「バタフライ・キス」も人殺しを何とも思わない少女と、彼女の中の悪魔を畏れることなく慕い続ける天使のような少女とのシニカルな友情を描いた一種の寓話だったが、今回も辛口でモラルをふっとばすようなそれでいて大人のための童話のような作品になっている。それはこの作家らしくとびきり残酷な童話だ

 まだヘレンが少女だった頃に愛し合ったマーティンは、ヘレンの父を殺して服役し、9年ぶりに仮出所する。再びヘレンの前に現れたマーティンをヘレンは受け入れる事ができない。というより男そのものを受け入れる事ができない。

 そんな二人の関係の中に、母親を失って以来言葉を話さなくなった少年ホンダが入り込む。ホンダはヘレンを慕い、マーティンに敵意を感じる。ホンダはひそかにヘレンとマーティンの会話を盗聴し、やがて9年前の事実を知る。そしてヘレンがマーティンを殺し、ホンダが手伝って死体を海に沈めた時、ホンダは魔法が解けたかのような強烈なショックを受ける。

 ヘレンが町を去るシーンにかぶさるホンダのナレーションが残酷で、ショッキングな展開の中で不思議な感動を生む。映像もとびきりきれいだ。心にぐさっとくさびを打たれるような映画だ。今年はウィンターボトムに注目。

 みゆき座で「のど自慢」(no.3)を観る。

 随分まえからやっていた予告が面白い。
 前評判がいやに高い。
 室井滋の赤城麗子の「雷波少年」のキャンペーンが面白い。
 NHKののど自慢をそっくり再現するというアイディアがいい。

 かなり期待してしまって観たわりにはまあまあの出来だ。登場人物も個性派ぞろい、設定もいい。いかんせん監督に笑いのセンスがない。笑いたいのにどこかうわっつらをすべっていく感じで、笑いの間がとれない。

 それに脚本に今一つ深みがないので、複数のエピソードをそれぞれ手際良く描いてはいても盛り上がりに欠けるのが残念だ。

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2007年11月05日

「6デイズ7ナイツ」「ワン・ナイト・スタンド」「ニンゲン合格」(1999年2月7日(日))

 今年のひどい風邪にやられたがようやく体調が戻って来た。正月映画をほとんど見損なっているので、なんとか挽回をしよう。

 まず丸の内ルーブルの「6デイズ7ナイツ」(no.7)から。

 アン・ヘッシュはニューヨークで雑誌の副編集長をしていて、恋人に誘われ6泊7日のバカンスを南国の島で過ごす。そこへタヒチでの仕事が舞い込み恋人を置いて出かけるが、ハリソン・フォードの操縦するチャーター機が墜落して二人は無人島に着陸する。脱出は不可能、おまけに密輸入をする海賊に見つかり追われるはめになる。

 異常な状況でいがみあっていた男女が次第にひかれあっていくストーリーはハリウッドでは目新しくもない。何か工夫があるはずだと思って観たが最後まで何もない。

 海賊もおバカな奴等で自分で打った砲弾で簡単に自滅してしまう。ラブストーリもいがみあいがあってこそ盛り上がるというのに、早々にアン・ヘッシュはハリソン・フォードになびいてしまう。ハリソン・フォードもどうみても最初はすけべでにやけたオヤジにしか見えない。途中から俄然インディージョーンズ化してくるけれども。

 島の描き方も特に美しくもなく神秘的でもない。

 シャンテ・シネで「ワン・ナイト・スタンド」(no.6)を観る。

 いかにもニューヨークらしいラブストーリー。とにかくお洒落だ。

 冒頭のタイトルや出演者の文字のデザインから、モダンダンスをコラージュした映像、それにかぶさるジャズ音楽。すべてニューヨークらしさが息づいている。

 ナスターシャ・キンスキーとウェズリー・スナイプスのホテルでの自然な出会い。互いに意識しながらひょんなことから会話をかわす。出会いのきっかけに万年筆が重要な小道具として使われている。その演出のなまめかしさ。思わずうまいとうなってしまう。

 偶然が味方して二人は一夜かぎりの恋に落ちる。一年後、エイズの末期患者となった友人を見舞った際に、彼の兄の妻であるキンスキーと再会してふたたび求め合うようになる。

 エイズで死にゆく友人との別れと思いがけない情事の相手との再会。死と生のはざまでスナイプスの心は大きく揺すぶられ、人生も変わっていく。

 白人と黒人のカップル、ゲイ、エイズなどを織り混ぜた辛口のラブストーリーだが、ラストは意外とすっきりとして微笑ましい。

 東劇で「ニンゲン合格」(no.5)を観る。

 このところ立て続けに新作を送り出している黒沢清の新作。'97年の「CURE」の出来栄えの良さは記憶に新しい。

 今回は10年ぶりに昏睡状態から覚醒した24才の青年が、眠っていた間にバラバラになった家族を再生するために牧場を始める。ほんの一瞬ではあるがバラバラだった家族たちが集まり一家だんらんの時を過ごし、再びそれぞれの今の人生に戻って行く。

 そして青年は自分の残した痕跡を噛みしめるかのように死んでいく。

「俺、存在した?ちゃんと存在した?」


 最後に問いかける彼の心の叫びが切ない。不思議な味わいで、今までのどれとも似ていない映画。
 強いて言えば北野武や台湾のツァイ・ミンリャンのような静謐な映画のテイストが感じられる。

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2007年10月23日

「ユー・ガット・メール」「ニノの空」「ジョー・ブラックをよろしく」(1999年2月13日(土))

  新宿ミラノ座で「ユー・ガット・メール」(no.10)を観る。

 Eメールが取り持つ純愛を描いたラブコメディだが、思いのほかオーソドックスなストーリーで食い足りない。というかEメールのやりとりそのものが、機能は最先端技術でありながら形態は一時代前に逆戻りしたかのような古臭さを感じさせるから、オーソドックスな演出にならざるをえないのかもしれない。

 それにしても一見すると現実的なテーマを取り上げたにしては嘘くさいのは、家がごくごく近所というだけでなく商売がたきという設定だ。しかも片方は大手ブックストアの御曹司、片方は昔からある街角の本屋さんの娘だというに至っては、古きよきハリウッド的な設定そのままだ。いくらなんでもちょっとやりすぎだろう。

 アメリカの今時のブックストアが、コーヒーを飲みながら何時間でも本を読めるというスタイルが一般的になっているという事情がわかって面白かったけれど。

 それと実は僕はメグ・ライアンをあまり好きではないらしい。「フレンチ・キッス」の時はちょっとよかったのにね。彼女の演技にはちょっと感情移入しにくい。下手とは言わないが...。

 引き続いてシネマスクエアとうきゅうで「ニノの空」(no.9)を観る。

 フランス映画だが、きどった雰囲気のない不思議な暖かさをもつ映画だ。監督のマニュエル・ポワリエはペルーからの移民の子孫だそうで、フランスに対する愛着と移民としての批評に満ちている映画だ。

 主人公のニノはイタリア生まれのロシア人で、あてのない旅をして暮している。スペイン人で靴のセールスマンのパコの車をヒッチハイクして車ごとだましとった事がきっかけで、二人は意気投合して旅にでることになる。

 二人ともフランスではマイノリティとしての社会的位置に甘んじていて生活は楽ではない。落ち着ける居場所と心を癒せる女性を求めてあてどない旅を続け、様々な人々と触れ合いながら傷つきなぐさめ、そしてまた旅にでる。

 もてないニノのためにと、二人でアンケートと称して理想の女性を探し出す話は、馬鹿々々しくもあり同時にたまらなくせつない。そして最後に出会う港町の女性は、ニノに会って自分が本当に孤独だと分かったと告白する。

 このクライマックスの心の交流はまるでファンタジーのようだが、孤独な者どうしが綴ってきた物語だけに真実を描いているように感じられる。

 食事をはさんで新宿ジョイシネマ1で「ジョー・ブラックをよろしく」(no.8)を観る。

 クレア・フォラーニが瑞々しくてとてもきれいだ。ブラッド・ピットも久々に好青年そのままで登場。だから冒頭のコーヒーショップの出会いはなかなか楽しい。

 一転して、死神が青年の体を借りてアンソニー・ホプキンスの前にジョー・ブラックとして現れる。ジョーとしてのブラピは3枚目としては及第点はあげられないが、いつものオーバーアクションがないのでいい。

 ピーナツバターをなめて喜んだり、重役会議でクッキーを頬張ったりするエピソードはとぼけた味わいを出していて楽しい。ただやはり全体的に古めかしいのと、会社乗っ取りを画策するクレアのフィアンセの設定などが陳腐だ。

 パンフレットの解説によると'34年の「明日なき抱擁」のリメイクだそうだ。さらに付け加えると「ユー・ガット・メール」も'40年の「桃色の店」の脚色だと知ってビックリ。

 何故か2本とも雰囲気が似ていると感じた。

 内容は全く違うのにトム・ハンクスとアンソニー・ホプキンスの口から、愛についてのまったく同じ格言がこぼれる。
 どちらもエンディングに「オズの魔法使い」の挿入歌で有名な「虹の彼方に(オーバー・ザ・レインボウ)」が使われている。

 これはどうも偶然ではなく、ハリウッドが深刻なネタ不足に陥っているかららしい。なにはともあれ上映時間3時間が2時間になればすっきりして面白かった。ちょっと勿体をつけすぎた。

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2007年09月25日

「ウェディング・シンガー」「レ・ミゼラブル」「りんご」(1999年2月21日(日))

  みゆき座で「ウェディング・シンガー」(no.13)を観る。

 「世界中でアイ・ラブ・ユー」で愛嬌のある笑顔が印象的だったドリュー・バルモアが主役のラブコメディだ。

 「E.T.」で主人公の妹だった時の面影そのままに、決して美人ではないが愛らしい女性に成長した。とても麻薬とアルコールの日々を過ごした事があるとは信じられない。

 話はウェディングシンガーのアダム・サンドラーと知り合って愛し合い、互いの恋人と別れをつげて結婚するまでを描いている。なんてことない話だが85年という時代設定で、80年代の風俗が会話の端々に描き込まれるところが一工夫というところだ。

 バンド仲間がボーイ・ジョージそっくりのコスチュームで「君は完璧さ」を歌ったり、二人の友人がそれぞれマドンナやマイケル・ジャクソンを気取ったりする。そうかと思えばルービックキューブを何気なくやらせたり最近のジョン・トラボルタはパッとしないと言わせたりでサービス満点だ。

 日劇東宝で「レ・ミゼラブル」(no.12)を観る。

 あのビクトル・ユーゴーの長編小説をたった2時間13分の映画にしてしまうところが凄い。

 ビレ・アウグスト監督は「ペレ」で見せた重厚な演出と美しい映像をそつなく再現してみせた。そつなくと敢えて言うのは、「レ・ミゼラブル」を読んでなければやはりこの映画の展開を理解するのは難しいと思うからだ。

 銀食器を盗んだのに神父から許され改心するところがこの物語の発端であり、最後まで作品を貫くエピソードであるはずなのに、映画ではドラマティックな場面を作りそびれている。エンディングのジャベール警部とジャン・バルジャンとの精神の交流と、その後の警部の自殺という展開も分かりにくくなっている。

 シャンテ・シネ2で「りんご」(no.11)を観る。

 イランの18才の女性の初監督作品というのがまず驚かされる。ただし父親が映画監督で助監督をしていたというから、環境がなせる技とも言える。

 しかし内容でまたまた驚かされる。双子の12才の少女が父親に監禁されて生まれてから一度も家を出た事がないという実際の事件を取材して、本人たちをそのまま映画に登場させている。

 事件の内容を聞くと現代の残酷物語だが、映画では楽天的な語り口で描かれている。双子の少女は満足に口も聞けないし字も書けない。それでいて父親を愛していて世間の好奇の目にさらされても意に介さない。最後にはソーシャルワーカーにおもてで遊ぶように言われて、子供たちと遊ぶようになる。

 フィクションでありながら現実を映し出す演出は見事だ。

(関連作品)
 

 

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2007年09月19日

「スネーク・アイズ」「ボクらはいつも恋してる!金枝玉葉2」「BAR(バール)に灯ともる頃」(1999年2月27日(土))

 新宿ジョイシネマで「スネーク・アイズ」(no.16)を観る。

 ブライアン・デ・パルマの独特な演出で冒頭から目が離せない。

 目まぐるしく動き回るニコラス・ケイジを狂言回しに仕立てて、ショーと化したタイトルマッチの舞台裏を覗き込むようにカメラが入り込んでいく。評判のステディ・カムによる13分間ノーカット撮影は、アッと言う間に終ってしまうから、逆に専門家に解説されなければ見過ごしてしまうほどだ。

 つまりそんな能書きは観客にとってはどうでもいいことだろう。要はノーカットによる効果が、もっぱら緊張感の持続にあって、13分の直後に起る殺人というクライマックスに観客を誘う一手法に過ぎない。

 会場に配置されたカメラが次第に関係者の証言の嘘を暴き立てていく演出の手際もさすがだ。ニコラス・ケイジの鼻につく演技も今回に限っては役にはまっている。

 ただ犯人あてと思われていた筋立てが、実はすぐにネタばらししてしまうのは期待外れだった。前半はミステリー、後半はサスペンスという展開はデ・パルマが敬愛するヒッチコック作品によくあるのだが、ヒッチコックのようなサスペンスの手際は今一つで、中盤からラストまでがちょっと退屈だった。

カチンコ
 本当はさらに隠された謎があって、最後の最後のワンカットが実は映画の中で明確に描かれていない重要な真実にかかわるという話だ。思わせぶりなカットだったから、もう一度見終わってから筋を反芻してみたがよく分からなかった。パンフレットには真犯人を示唆する推理が書かれていた。でもだからどうしたという感じだ。

 シネマミラノで「ボクらはいつも恋してる!金枝玉葉2」(no.15)を観る。

 あの「君さえいれば/金枝玉葉」の続編。

監督はピーター・チャン。主演もアニタ・ユンとレスリー・チャンと、すべて前作を引き継いでいる。

 今でも前作の衝撃は覚えている。

 ゴキブリの視点で始まるコミカルなイントロ。
 男と偽って生活に入り込んできたアニタ・ユンを好きになってしまい、自分がゲイなのではと悩むレスリーという設定のおかしさ。
 エレベーターの箱とスクリーンの余白を効果的に使ったラストシーン。

 すべてが楽しく、全編香港映画のパワーに満ちあふれていた。今回は衝撃はない代わりに安心して見られるシリーズものという感じだ。チャン・シウチョンもカリーナ・ラウもエリック・ツァンも同じ役で出てきて、期待どおりの演技をしてくれる。

 ただコメディ色が強まった分、もうアニタとレスリーの恋にときめかないのは残念だ。

 シネマスクエアとうきゅうで「BAR(バール)に灯ともる頃」(no.14)を観る。

 久々にエットーレ・スコラ監督の作品を観る喜びを味わえる。

 「ル・バル」「マカロニ」「ラ・ファミリア」「あんなに愛しあったのに」、どれもが切なくて温かいイタリアならではのコメディ映画だった。

 今回は主演がマルチェロ・マストロヤンニと「イル・ポスティーノ」のマッシモ・トロイージ。89年の作品ということだから、奇しくも主役の二人ともが他界した事と「イル・ポスティーノ」のスマッシュヒットがなければ永遠に配給されなかったかもしれない。

 兵役中で離れて暮している一人息子トロイージに、父マストロヤンニが会いにくる。しかしなかなか打ち解けない。父と息子とはこうも心が通いあえず反発してしまうものなのか。

 非常に地味で渋いストーリーだが、次第に息子の生活や考え方が見えてきて勝手に失望してローマに帰ろうとする父に、息子は一度は突き放しながら最後には温かく見送るまでを淡々と描いている。

カチンコ
 「奇しくも主役の二人ともが他界した」と書いているが、現時点(2007年9月)でこの映画日記を読むと「奇しくも」の意味がレスリー・チャンにもかかってくるのがわかる。かたや香港の大スターであり、かたや静かに人気が高まっていったイタリアの若手俳優。別の言い方をすれば、一方の死は役者としての限界を、一方の死は可能性を語る事になった。二人の間には、長く豊かな経歴を経て豊饒たる映画に囲まれて幸福な映画人として逝ったであろう名優・マストロヤンニがいること自体が、まさに「奇しくも」に奇跡のような意味を付け加えている。

(関連作品)

 
 
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posted by アスラン at 12:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画評(1999年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月05日

「鳩の翼」「ムービー・デイズ」「ガメラ3・邪神<イリス>覚醒」(1999年3月6日(土))

 渋谷のル・シネマで「鳩の翼」(no.19)を観る。

 19世紀後半の作家ヘンリー・ジェイムスの同名の小説の映画化。

 全く読んだ事がないがウィリアム・ワイラーの「女相続人」の原作者と知って納得した。あの話も人間の心の奥底にひそむ闇が描かれていたが、この映画も愛と背中合わせの憎しみ・嫉妬を残酷に描き出している。

 この映画が分かりにくいのは、ケイト(ヘレム・ボナム・カーター)が伯母に反抗できず恋人マートンとの恋をあきらめ、親友ミリー(アリソン・エリオット)とマートンとの仲立ちをかってでるのがミリーへの善意からのようにとりあえず描かれているからだろう。

 実は、不治の病で余命いくばくもないミリーの財産がマートンにころがりこむ事を計算しての事だとあとでわかるのだが、このアガサ・クリスティーばりのどんでん返しを明確に描くのではなく、曖昧なままでラストまで来るのでケイトの心情が最後まで納得出来ずに終ってしまう。

 「この森で、天使はバスを降りた」のアリソン・エリオットは予告で観た感じほどは違和感がなくコスチューム劇も出来る事を示した。

 ベニスの映像は文句なしに美しかった。

 ユーロスペースで「ムービー・デイズ」(no.18)を観る。

 アイスランドの監督フリドリクソンの作品。

 60年代のアイスランドの小さな町に様々なアメリカ文化が押し寄せてくる。監督自身が投影された少年トーマスは、家族で従姉妹が出演しているアメリカ映画を観に行ったり、テレビのある家を覗きに行ったり、騒がしくもあたたかな暮しをしている。

 一方で父の親戚の田舎は昔ながらの質素で素朴な生活を続けている。トーマスは夏休みに父の言いつけで田舎で過ごす事になる。町の中で落ち着きがなかった少年は田舎の生活に我慢がならなかったが、次第に慣れてたくましく成長してゆく。

 監督の私小説的なエピソードが面白おかしく語られていて、ちょっと変わったテイストの映画だ。ほのぼのだけでもなく、町や田舎が抱えるグロテスクな部分(共産党員や変質者など)をさりげなく描いている。

 新宿へ移動。新宿オデオン座で「ガメラ3・邪神<イリス>覚醒」(no.17)を観る。

 今回は、渋谷がギャオスとガメラとによって壊滅させられるので、ぜひ渋谷で観たかったが、初日の上映時間が変更になっていたため次回上映に間に合わずやむなく新宿で観る事にした。

 冒頭いきなり渋谷にガメラが飛来してギャオスとバトルを開始。次々におなじみのスポットがなぎ倒される臨場感はこのシリーズ最高の出来。逆に、ストーリは第一作「大怪獣空中決戦」のような明快さに欠け分かりにくい。

 ガメラに両親を殺されて復讐を誓う少女・前田愛のエピソードを核にしてガメラの存在理由を「地球の生態系保護」に見いだすところはなかなか面白いけれど、日本の古い伝承や超自然現象マナなどと関連づけるのは取って付けたようで余分な感じがする。

 1時間48分としてはかなり盛り込みすぎの感は否めないが、完結編というだけあって見応えはあったし、ラストの「ガメラVS.ギャオスの大群」シーンは怪獣映画としてはかつてないほどのハードボイルドな結末となった。

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posted by アスラン at 02:24 | Comment(2) | TrackBack(2) | 映画評(1999年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月27日

「ガールズナイト」「ガッジョ・ディーロ」(1999年3月21日(日))

 春分の日。シネスイッチ銀座で「ガールズナイト」(no.21)を観る。

 ガールズナイトとは毎週金曜日に開かれるビンゴ大会の事。家族のために工場で働き詰めのドーンとジャッキー。ドーンはある日ビンゴ大会で10万ポンドを当てる。しかしその直後ドーンは工場で倒れ脳腫瘍で死の宣告をされてしまう。残された時間を何とかしてあげたいとジャッキーは考え、ドーンの夢だったラスベガスに二人で旅立つ。

 平凡でどこにでもいそうな家庭第一のおばさん。それに自由奔放で男がいないと生きていけない派手好きなおばさん。

 この二人の中年おばさんのかけがえのない友情が素晴らしい。生きていくことに前向きな、そして死んでいくことにも真正面からとらえている点も悲しすぎるほど素晴らしい。

カチンコ
 二人の中年おばさんドーンとジャッキーを演じているのが、「秘密と嘘」「リトル・ヴォイス」のブレンダ・ブレッシンと、「リトル・ダンサー」のジュリー・ウォルターズだ。監督はニック・ハラン。テレビ出身の作家のようだ。なかなかいい作品だと思うが、以後映画を撮っていないようだ。アマゾンではDVDもビデオも見あたらなかった。

 テアトル西友で「ガッジョ・ディーロ」(no.20)を観る。

 パリの青年ステファンは父が晩年聞いていた歌姫ノラ・ルカの歌声を求めてルーマニアの村を訪ね歩いている。あるジプシーの村で老人と知り合い村に居着くことになる。

 初めはよそ者(ガッジョ・ディーロ)に扱われたが老人のとりなしでもてなしを受けることになる。束の間彼は村人の中にノラ・ルカ以上の魂の歌を見いだすのだが、村人の純朴さの裏にはよそ者を決して受け入れる事のない閉鎖的で厳しい姿がひそんでいるという真実に気づいて村を去っていく。

 せっかく収集したテープを村のはずれに棄てていく彼の心の動きが悲しげだが、唐突で理解しにくい。

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2007年08月20日

「微笑みをもう一度」「バジル」(1999年3月22日(月))

 振替え袖日。マリオン9F日劇プラザで「微笑みをもう一度」(no.23)を観る。

 かつてのテキサスの高校のミスコンだったサンドラ・ブロックは当時の花形クォーターバックと結婚したが、夫がテレビの公開番組で彼女の親友と浮気をしていると告白し、失意のまま娘と帰郷する。

 元ミス学園で世間知らずのまま育った彼女が自分の生き方、家族などを見つめ直していく。このシチュエーションはロバート・レッドフォードの「モンタナの風に吹かれて」でつい最近見た気がするが、あれは男(カーボーイ)の物語で、これは女(テキサス女)の物語だろう。

 役者としては超くせ者のフォレスト・ウィテカーは、監督としてはメロドラマ・メーカーと言っていい。「マディソン郡の橋」のクリント・イーストウッド監督と「モンタナの…」のロバート・レッドフォード監督とを足して2で割ったような口当たりのよい作風だ。サンドラ・ブロックも久々にテキサス女性を好演している。

 シャンテシネで「バジル」(no.22)を観る。

 「月長石」「白衣の女」などで知られる作家ウィルキー・コリンズが原作(といっても一作も読んでないが)。

 ディケンズと同時代で18世紀中頃の作品だから、サスペンスといっても今風のものではなくて少々古臭い

 遺産欲しさに父にないしょで青年バジルは恋人と結婚し、裏切られて屋敷ごと奪われてしまう。すべてを仕組んだのはバジルの親友で、すべてを知ったバジルが彼をなぐり倒し、彼は醜い顔になって世の中から姿を消す。

 こういった伝奇小説が流行らないのは、どうも話の展開がおおごとになりすぎるのとストーリーにスピード感が足りなくてサスペンスとしては物足りないからかもしれない。

 クレア・フォーラニの美貌にしても「ジョー・ブラックによろしく」のような現代劇では観たいが今回のようなコスチューム・プレイでは観たくなるものかどうか。

[関連作品]
   

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2007年08月15日

「リトルシティ 恋人たちの選択」「コキーユ 貝殻」(1999年3月28日(日))

  シネスイッチ銀座で「リトルシティ 恋人たちの選択」(no.25)を観る。

 ボン・ジョビのボーカル、ジョン・ボン・ジョヴィ主演というのが話題の映画。あまり期待していなかったが割と面白かった。

「頭が良くて野心のある奴はN.Y.へ、
野心だけならL.A.へ。
そして頭がいいだけならリトルシティ=サンフランシスコ」

 というように自由と住み心地を求めた人々がリトルシティに集まって、それぞれの恋愛を繰り広げていく。

 優しい恋人アダムと、恋人の友人でセクシーな浮気相手ケビン(ジョン・ボン・ジョヴィ)との間で揺れ動いて結局はどちらとも別れてしまうニーナ(アナベル・シオラ)。

 アダムは昔の彼女ケイトの事が吹っ切れていないのでケイトが泣き付いてくると優しくしてしまう。でもケイトはレズに目覚めていてアダムを友人としてしか見ていない。

 サンフランシスコに来たばかりのレベッカは男運が悪くてレズ体験をするがうまくいかない。そんなところに失恋中のアダムと出会い意気投合するが、ケイトからの思わせ振りな言葉になびいてアダムはレベッカとの仲をダメにしてしまう。

 一方ケビンは今までのいい加減な恋愛を反省し、本当の恋愛相手としてニーナにプロポーズする。

 あらすじにしてしまうとトレンディドラマと変わらないかのようだが、美男美女のカップルが様々な障害を乗り越えてゴールインするという典型的なラブロマンスではなくて、これからの人生を一緒に生きていくための本当の選択は何かということをさりげなく描いたシチュエーション・ドラマになっている。

 レズについてもストーリにリアリティをもたせるシチュエーションに過ぎないので、特に違和感を感じさせない。

 引き続いてシネスイッチ銀座で「コキーユ 貝殻」(no.24)を観る。

 昼食の暇がないので近くのマクドナルドで買って休憩時間に席で食べた。

 「櫻の園」「12人の優しい日本人」の中原俊監督の作品。

 澤井信一郎が老けこんでしまった今となっては、穏やかで柔らかな視点で情感豊かな作品をとれるのは中原俊しかいないかもしれない。

 三十年振りの中学の同窓会で再会した二人。吹雪ジュンはずっと思い続けていて、小林薫はその事を知らずにいたが、再会した事で三十年の時間を流れを越えて恋に落ちてしまう。もちろん三十年という時間は男に妻・子供を作らせ、女は夫を失い女手一つでスナックを経営させ子供を育てさせた。

 決してあの時のままではいられない二人だが、同窓会でしか会わないと誓い合う事であの頃のように純真な気持ちで愛し合う事ができる。決してきれいごとにならずに、しかし情感を失わずに演出している。

 ただこの監督はどの作品も言えるが、クライマックスで突如情感を無視した演出をしたがる。今回は死んでしまった吹雪ジュンと一時期愛人関係にあった同窓生・増岡徹から彼女の死を伝えられ彼女を蔑む言葉を聞かされて、小林薫が思わず増岡を喫茶店で殴り付けるシーンがそうだ。

 ここで突然ドタバタ劇になってしまうのは残念だ。恐らくは次の墓参りを際だたせるために挿入したシークエンスだろうが余分だろう。墓参りで彼女そっくりの娘が小林薫に声をかけるシーンは、前のシーンがなくても十分感動的だ。

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2007年08月02日

「フェアリーテイル」「ヴァージン・フライト」(1999年4月3日(日))

 銀座テアトル西友で「フェアリーテイル」(no.27)を観る。

 1920年に発表された妖精と二人の少女との写真が「コティングリー妖精事件」として歴史的に名を残す事になる。1999年に生きる現代人の目から見ると明らかに作り物としか見えない妖精写真を、当時の社会は一大センセーションとしてとらえた。

 一つには、科学の進歩から取り残されつつある古い因習や伝承を捨て去りがたい人間のノスタルジーが今以上にあり、また一つには第一次世界大戦という不安定な世相の中で神秘主義が根強く人々の心を捉えていたためだ。

 この映画は真実を解明する事に主眼はなく、少女たちの妖精を信じる純真さを信じてあげたいという温かな視点に貫かれている

 その気持ちを代弁するのが作家コナン・ドイルであり、奇術師フディーニという歴史的人物である。ピーター・オトゥールとハーヴェイ・カイテルという渋い二人が演じていて見応えがある。特にハーヴェイは、写真の信憑性に疑問を持ちながらも二人の少女を温かく見守るところがなんともいい。

 シャンテシネで「ヴァージン・フライト」(no.26)を観る。

 最近とみに出演が目立っているヘレナ・ボナム・カーターだが、今回は難病で車椅子生活を強いられる女性ジェーンを演じている。一方、才能の限界を感じている中年の画家リチャードをケネス・ブラナーが演じている。

 リチャードはビルから翼をつけて飛び下りる事件を起こして裁判所から社会奉仕活動を命じられ、ジェーンの相手をすることになる。ジェーンは病人扱いされることを嫌う気難し屋で皮肉屋。二人はたびたび衝突するがお互いの傷を知る事で次第に打ち解けて行く。

 そんな中、死んでいくしかないジェーンの心残りは普通の女の子のすることが出来ていない事。

 「私のロスト・ヴァージンを手伝って。別にあなたでなくてもいいの。」

と無理難題を持ちかける。一度は断るリチャードだが、彼女の切ない気持ちがわかり協力する。

 自らも人生の行き場を見失っていたリチャードが、ジェーンのためだけでなく自らをもう一度「飛ばせる場所」を探し求めて奮闘するシーンが滑稽でもあり感動的でもある。

 風変わりなラブストーリーだ。

カチンコ
 この当時は、まだヘレナ・ボナム・カーターとケネス・ブラナーは良きパートナーだったので、このようなラブストーリーは微笑ましかったが、その後二人は別れてしまったので、今見ても微笑ましいと思えるかどうか。

[関連本]


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2007年07月23日

「アルマゲドン」「グッドナイト・ムーン」(1999年4月11日(日))

  有楽町マリオンの日劇東宝で「アルマゲドン」(no.29)を観る。

 お正月映画がここまでロングランしている。行きそびれていたがようやく観る事ができた。

 一つには内容が似ていることもあり比較されつづけた「ディープ・インパクト」の人間ドラマを越える事はできないだろうという前評判と先入観があったからだ。ロングランを続ければ続けるほど行きたくなくなってしまった。

 今回観て、なるほど面白いと思った。

 というのは「ディープ…」と視点が全然違うことに気づいたからだ。一言で言って「アルマゲドン」は劇画であってドラマではない。石油採掘のプロフェッショナルに人類の明日を託すというふざけた設定は、劇画だという一点を呑み込めばすべて許せる気がした。

 そうみると配役もなかなか味がある。隕石上で馬鹿騒ぎする笑顔が不気味なスティーブ・ブシェーミやNASA指揮官役のビリー・ボブ・ソーントン、ロシア人宇宙飛行士のピーター・ストーメアなどなど脇がくせものぞろいだ。

 ベン・アフレックとリブ・タイラーのカップルはお約束みたいなものでそれなりに感動的だ。ブルース・ウィルスはいつもと同じキャラクターだが父親役でもありちょっぴり渋め。安心して見られる「寅さん」的演技といったところだ。

 丸の内ピカデリーで「グッドナイト・ムーン」(no.28)を観る。

 ジュリア・ロバーツが継母、スザーン・サランドンが実の母親。

 何でもしっかりとこなしていたスーザンに対して、ジュリアは現役の一流カメラマンではあるが家事はまるで駄目。二人の子供はスーザンを慕って中々なつかない。

 子供の事に関しては実の母親に遠慮して控え目で耐える女性を演じているのでジュリア・ロバーツらしくないと思ったが、あくまで自然体で子供とも接していこうとするジュリアの演技のナチュラルさが次第に際立ってきて素敵に見えてきた。

 これまでは女性的な魅力に欠けると思ってきたが、ブリっ子でもなくセクシーを売り物にもしていないナチュラルな美しさが女性に人気の理由の一つに思えた。

 スーザンの方は逆にオーバーアクト気味。ジュリアの夫役のエド・ハリスが落ち着いた演技をしているからバランス的にはちょうどいいのかもしれないが。

 監督は「ホーム・アローン」のクリス・コロンバス。演出の手際は見事。ジュリアのカメラマンの仕事ぶりの見せ方や、長女の失恋の解決方法などは軽快な演出で見ていて楽しい。

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2007年07月16日

「シン・レッド・ライン」(1999年4月25日(日))

 有楽町マリオン別館の丸の内ルーブルで「シン・レッド・ライン」(no.30)を観る。

 テレンス・マリックの20年ぶりの新作だ。

 「天国の日々」でネストール・アルメンドロスのカメラの美しさばかりが印象に残っている。今回も映像が素晴らしい。

 太平洋戦争最大の激戦地となったガダルカナル島での戦いが舞台だが、史実はともかく戦争の恐怖を自然の美しさとの対比の中で描き出している。

 部隊が奪取しようとする丘には見えない敵・日本軍の陣地がある。丘には鬱蒼とした草が生えている。日が燦々と照る斜面を一瞬雲が通り過ぎてさーと影が出来る。

 その静けさ。

 そろそろとにじり上がる兵士たち。上官の身振りで数人の兵士が頭をあげてすばやく駆け上がったとたんにターン、ターンと銃声がして頭を打ち抜かれて倒れる兵士。それでも一斉に兵士たちは突撃し次々と倒れていく。

 過酷な現実が見事な緊張感の中で描かれる。

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2007年07月08日

「ライフ・イズ・ビューティフル」「逮捕しちゃうぞthe MOVIE」「ブレイド」(1999年4月28日(水))

 代休を取って一日早く連休に突入。

 シネスイッチ銀座で「ライフ・イズ・ビューティフル」(no.33)を観る。

 アカデミー賞の外国語映画賞・主演男優賞・作曲賞を受賞してしまったので連休中は大混雑が予想されるので今のうちに観ておく。幸い平日なので空席あり。

 監督・脚本・主演のロベルト・ベニーニは既にジム・ジャームッシュの映画でおなじみだ。特に「ダウン・バイ・ロー」でのおかしなイタリア人役は強烈に印象に残っている。あの映画で恋に落ちる女性役もニコラス・ブラスキだったと始めて知った。しかも二人は実生活でも夫婦だそうだ。

 映画はアイディアに富んだ素敵なコメディであり、後半はヒューマンドラマになる。まさに「モダン・タイムス」や「街の灯」の世界であり、昔ながらのハリウッド映画のようなオーソドックスさを感じさせる。

 シャンゼリゼで「逮捕しちゃうぞthe MOVIE」(no.32)を観る。

 1996年からTV放映されていたアニメの映画版だ。このシリーズは「踊る大捜査線」と同様にある種のリアリティをもって警察署や警察官を描いている。しかもアニメでは珍しい人間群像を描いたドラマでもあり単なるアニメを越えているところが見応えがあって好きだった。

 残念ながら放映は終ってしまったが映画化されると聞いて楽しみに待っていた。ほぼ2年近く待たされたが待った甲斐があった。

 墨東署という設定から隅田川のかかった19個の橋をまたいだ広域捜査が展開され、次々と墨田・江東の現実の場所が犯罪の舞台になり、縦横無尽に主人公の警察官たちが駆け巡る。

 不発弾処理という現実におこりそうなシチュエーションから、いかにもありそうな所轄としての交通整理などの対応がしっかり描かれ、やがてテロリストによる墨東署襲撃というおこりそうにないシチュエーションへと自然にストーリを展開していく。

 クライマックスの勝ちどき橋の橋上げのシーンや海上自衛隊の警備船の隅田川を上るシーンなど見どころが充分すぎるくらいあって楽しい。

 試写会で横浜ランドマークプラザ5Fのランドマークホールで「ブレイド」(no.31)を観る。

 Tさんと川崎駅で待ち合わせて行った。ホールは400人ぐらいの大きさか。席がスライドして片付けられるようになっている。多目的ホールのようだ。

 映画はウェズリー・スナイプス主演で、ヴァンパイアに襲われた妊婦から生まれてヴァンパイアと人間の混血になり復讐のためにヴァンパイアハンターとなった男ブレイドを演じている。

 いでたちがちょっと変わっていて銃だけでなく肩に長刀を背負っていてヴァンパイアあいてにチャンバラをする。それもかなりスタイリッシュな殺陣でかっこいいのか可笑しいのか判断に悩む。原作がコミックだそうだから、全編劇画調なのもうなずける。

 冒頭のクラブでの血のシャワーのようなどぎつい演出がなければ、肩が凝らずに楽しめるB級映画だろう。

カチンコ
「ブレイド」は足かけ6年かけて「ブレイド3」で完結した。
こんなに人気シリーズになるとは正直思わなかった。ただ「ブレイド2」のように、敵のはずのヴァンパイアと組んで共通の敵を倒しに行ったり、ヴァンパイアの娘と心を通わせたりと、なかなか奥深い人間関係を描いているところが長続きの肝かもしれない。先日も深夜に「ブレイド2」をテレビでやっていて思わず見てしまった。なかなかいい。「ブレイド3」はいまだ見ていない。


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2007年07月02日

「永遠と一日」「トゥエンティフォー・セブン」(1999年4月29日(木))

  秋葉原のラオックス・コンピューター館でポケットステーションが入荷するという情報を事前に聞きつけていたので試しに10時すぎに出かけていった。200人近くの行列が出来ていたが大量に入荷したらしく無事手に入れた。

 その足で日比谷に出てシャンテ・シネで「永遠と一日」(no.35)を観る。

 テオ・アンゲロプロスの最新作だ。前作の「ユリシーズの瞳」が退屈で期待外れだったが、今回は「こうのとりたちずさんで」以来の傑作と言っていい。

 人生最後の一日を自らの過去をたどる旅をして過ごす詩人の物語だ。詩人役が「ベルリン・天使の詩」のブルーノ・ガンツで、自前のアルマーニのコートを着て年を重ねた渋い演技を披露している。

 自分には残された時間がわずかだと言うことがわかっている。なのに目の前には誰もいない。ただ自分の好きだった、いや誰かが好きだったレコードをかけると、それに答えるように音楽をかける窓越しに遠いマンションの一室の誰か。あとは自らのもとにすり寄る愛犬だけだ。

 妻もとうに逝った。愛する娘は自分から離れ、自分の存在を疎う男のもとで暮らしている。顔を見せてもちっとも幸せそうではない。そして自分の生を形づけた母は、施設で詩人の顔もうろ覚えのように生きている。

 むしょうに幸せだった頃のあの海辺の別荘での妻の顔が思い出される。孤独にさいなまれる主人公と、国境を越えて車の窓拭きで稼いでいる少年とが偶然出会う。この出会いが束の間、家族の温かさを詩人に思い出させる。

 まるでヴィスコンティの「家族の肖像」を観るかのようだ。やがて少年との別れ、主人公の死が訪れるだろう。だからこそ少年とバスに乗って最後の時間を過ごすシーンがたまらなく切ない。

 シネ・ラ・セットで「トゥエンティフォー・セブン」(no.34)を観る。

 冒頭男が町外れの廃墟で浮浪者のような中年を見つける。彼はかつての恩人、ボクシングのコーチだった。彼を自宅に連れてベッドに寝かし彼の持ち物の中にかつての日記をみつける。なかなかうまい出だしだ。

 一日は24時間、そして一週間は7日間。その繰り返し。

 失業者にあふれ活気を失った田舎町の若者達は、無為に一日を過ごす事しか出来ない。

 そんな中にボクシングジムを開いて若い連中のエネルギーの発散する場所を作る事に、主人公のダーシーは意欲を燃やす。それは自分自身の人生を取り戻す事でもあった。

 反抗的だった若者達もやがて戦う事で失っていた誇りを回復し、生きる目的を見いだすようになる。しかし大人たちはそんな子供も、ダーシーのやる事も信用しない。判ってあげるだけの余裕が彼らにはないのだ。

 そしてジムはトラブルの中で解散、失意のダーシーは姿を消す。何かを変えたい、自分だけでなく同じように屈折した若い連中も変わって欲しいという善意は、悲しい結果となって報われずに終ってしまうかに見える。

 ラストで冒頭のシーンに戻りベッドで静かに息を引き取ったダーシーを弔うために、かつてのジムの連中が葬式に出席する。かれらは一人前に社会に出て、家族をもつようになっている。ヤク中になってもっとも荒れていた奴が妻子づれで来ている。

 それぞれが立派に人生を歩んでいる事がなによりも胸を打つラストだ。

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2007年06月24日

「グッバイ・モロッコ」「ワンダフルライフ」(1999年5月1日(土))

 渋谷スペイン坂上のシネマライズで「グッバイ・モロッコ」(no.37)を観る。

 精神分析の開祖フロイトの孫娘が書いた原作の映画化。フロイトの娘は変わっていたらしく映画で描かれるように、愛人との間に出来た娘2人と一緒にイスラムの導師を訪ねてモロッコを旅する。そして愛人からの仕送りが途絶えてとてつもない貧乏ぐらしを送る。

 貧乏旅行をする所謂バックパッカーの先駆けのような女性だ。思い込みが強く激しやすい女性をケイト・ウィンスレットが好演している。それに娘役、特に長女が可愛らしく、大人たちの会話から意味も分からず響きのいい言葉を並べて呪文のようにして遊ぶところが面白い。

 原題「ヒディアス・キンキー」は「醜く変態的な」という意味だが、そんな事はおかまいなしで子供たちは連呼する。モロッコという西洋からは謎めいた土地で暮すオリエンタルな空気をうまく表現していて楽しい。

 マラケシュの市場や路地の撮影もなかなかいい。

 旅先で知り合った大道芸をする男とケイトが愛し合うようになり、娘2人とも仲良くなりやがて4人で旅をする。束の間の家族となるが、貧乏旅行はいつまでも続かない。男が工面したお金でチケットを買ってモロッコを去る3人の列車を、車で見送る男。

 ラストの彼らの合い言葉はやはり「ヒディアス・キンキー」だ。何気ない言葉が不思議な呪文になり彼らは心を通い合わせる。フロイトの孫だけあってなにやら象徴的なラストだ。

 向かいのパルコパート3、3Fのサンドイッチ屋で食事。

 引き続いてシネマライズで「ワンダフルライフ」(no.36)を観る。

 この監督・是枝裕和の前作「幻の光」は話題になったが観ていない。淀川(長治)さんに言わせると「なんてつまらない」という映画だったが果たしてどうだったのか。

 この映画は死んだ人々が昇天する前に人生の中で一番大切だった思い出を選んで、それに従って天国のスタッフが映画を作成するという内容だ。

 彼らは映画を観る事でその思い出の中に生きつつ天国へと旅立っていく。

 正直言って非常に複雑な気分になった。死者の一人の若者が

「自分の過去の思い出を選びたくない。選んだ思い出を抱えて生きていくのは僕にはとてもつらい事だ」

と語る気持ちが僕にもよくわかるからだ。

 選ぶほどの充足した思い出がある者もいれば、平凡で単調な人生を送った者もいる。そして思い出したくないつらい過去を生きた者もいる。もし同じように選ぶ立場になった時、映画や小説のように他人の人生の思い出を楽しんで観られるだろうか。ましてや自分の人生を振り返る事にどんな意味があるのか。

 ドキュメンタリーのリアリティを持たせた巧妙なフィクションであるこの作品は、僕から批評する言葉を奪ってしまった。

 これは映画ではない。

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2007年06月17日

「39−刑法第三十九条」「大阪物語」(1999年5月2日(日)

 「39−刑法第三十九条」(no.39)を観る。

 濃密な緊張感を描いた「ときめきに死す」のような映画を期待したいところだが、商業映画としての成功が課せられている森田芳光監督の現状からはかなわぬ夢かもしれない。

 しかし岸辺一徳、樹木希林ら登場人物すべてが乾いた演技をしていて、社会的な問題(心神耗弱者の犯罪)を扱ってはいるが従来の社会派推理ドラマとは一線を画した作品になっている。

 前半の森田独特の乾いた演出がよかっただけに、ラストの真実がそれほど驚かされる内容ではないのが残念。最近気づいたのだが、テレビや映画館で盛んに流れた予告で香深(カフカ)を演じる鈴木京香のセリフには事件の真実が明かされている。まあ、なんと大胆な!

カチンコ
 ネタバレしないように当時書いた感想には、CMでの鈴木京香のセリフは書かなかった。今となっては、CMの内容自体思い出せないのが残念だ。

 テアトル新宿で「大阪物語」(no.38)を観る。

 市川準が自ら演出した「三井のリハウス」のCMに起用した少女・池脇千鶴を主演に据えて大阪を描いた。前作「たどんとちくわ」から急激に本領を発揮し出したと僕には思える市川準が、本作ではCMディレクタの実力を余すところなく出して市井に生きる大阪の人々を見事に描き出した。

 コテコテの関西人を描くでもなく単なる人情ばなしでもない。それでも大阪という街がもつぬくもりと、明るさの裏に隠された切なさみたいなものがストーリにうまく織り込まれ、池脇千鶴演ずる霜月若菜の視線を通して生き生きと描かれている。森繁と淡路の「夫婦善哉」の世界だな、これは。

 沢田研二と田中裕子の夫婦もすばらしい。

カチンコ
 何故かamazonではDVDが見あたらない。仕方なくビデオのURLをのせているが肝心のイメージがないのは残念。どうしてこの名作のDVDがないのか?そもそもDVDが発売されていない?関係ないが、市川準でたどっていったら、斉藤由貴主演のフジテレビ番組「斉藤さんちのお客様を抱きしめて」のビデオがあるんでビックリ! 

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posted by アスラン at 06:35 | Comment(6) | TrackBack(0) | 映画評(1999年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月12日

「ロリータ」「セントラル・ステーション」(1999年5月3日(月))

 恵比寿ガーデンシネマで今日は一日過ごすつもり。中々来にくいところなので2本とも観てゆきたい。ガーデンプレイスのメイン広場では連休中の催しの大道芸で賑わっている。

 まずは始まったばかりの「ロリータ」(no.41)。

 ロリコンの語源となった小説の映画化。出版当時も今もスキャンダラスでありつづけるテーマを「ナインハーフ」「危険な情事」のエイドリアン・ラインが撮った。

 さぞかし刺激的な演出があるのかと思いきや、かなりオーソドックスな作風で、12歳のロリータに魅了され翻弄されて身を滅ぼしてゆく大学教授の顛末を描き出している。元々は教授の若き日に思い出として封じ込められた今は亡き少女の幻影をロリータに求めるところから悲劇は始まっていて、ジェレミー・アイアンズが恋に身を狂わす教授を見事に演じている。

 ロリータ演じるドミニク・スウェインは、歯に強制具をつけて微笑む演出が小悪魔的な子供らしさを感じさせるが、やはり原作より3歳年上の15歳とあって、二人の関係にあぶないものは感じられない。解説にもあったが原作どおりのイメージを映像化するのは今もって難しいテーマだと思う。

 恵比寿駅に戻って駅ビルで食事。連休中で食堂街も混みあっている。「動く歩道」も同様。なにしろ駅から遠い映画館だ。

 「セントラル・ステーション」(no.40)を観る。

 ブラジル映画。リオ・デ・ジャネイロの中央駅で、代筆業を営む女性ドーラ。彼女の元には様々な人々が思い思いの手紙を代筆してもらいにくる。しかし彼女はお金をもらって代わりに投函するといつわって持ち帰って送らずに棄てたりといいかげんな商売をしている。

 ある日来た母と少年は、出ていった父との復縁をせまる手紙を代筆するよう依頼したが、これもドーラは投函しない。やがて母は交通事故で死に駅には少年一人が取り残される。ドーラは罪の意識から少年の面倒を見て、やがて二人は別れた父を捜す旅に出る事になる。

 辛辣で情け容赦なかったドーラは、旅を続けるうちに少年と心を通わせ、どんどんどんどん少年がかけがえのない存在になってしまうところがせつない。

 少年が父と出会えば終わる旅なのに…

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2007年06月05日

「恋に落ちたシェイクスピア」「女と女と井戸の中」(1999年5月4日(火))

 渋谷東急で「恋に落ちたシェイクスピア」(no.43)を観る。

 ここは東急文化会館の5Fにあってかなり大きい。スクリーンは渋谷一の大きさじゃないかな。
 映画はアカデミー賞7部門を受賞した話題作。監督のジョン・マッデンはイギリス人で先頃「Queen Victoria/至上の愛」が上映されたが残念ながら観ていない。舞台劇のキャリアがあるので、今回のシェイクスピアを題材にした戯曲の演出手腕も確かなものだ。

 キャストも「シャイン」のジェフリー・ラッシュを始め豪華なメンバーがそろっている。ここ数年の最良のイギリス映画(「ブラス!」や「フル・モンティ」「いつか晴れた日に」など)の出演者たちが脇を固めている。

 シェイクスピアが恋に落ちて「ロミオとジュリエット」を書き上げたり、恋の相手が「十二夜」ばりに男装して舞台に上がるだとか非常によく考えられた脚本になっている。欲を言えばグウィネス・パウトロウは男装した時は演技がちょっと紋切り型で単調かなとも思うが、それ以外は若々しくて上品で美しくてと文句無しの出来だ。

 「タンゴ」のル・シネマは満席。ここは立ち見も制限しているので満席で打ち止めになる。残念ながらあきらめて急きょ新宿に移動。

 以前恵比寿でやっていた「女と女と井戸の中」(no.42)を東映パラス3で観る。

 全48席。以前「うなぎ」を観た松竹ピカデリー3の53席より小さい。40インチのTVで観るような感じだ。

 オーストラリアの田舎町。辺りは岩と荒野しかない。「マッドマックス」に出てきた風景のようだ。そんな中に父と二人暮らしのへスター。ある日若い家政婦キャスリンがやってきて、へスターの生活が変わってゆく。

 父の奴隷のように生きてきたへスターは、キャスリンの自由な生き方に魅せられ自らの孤独な人生の穴埋めにキャスリンを求めるようになる。それはある時は娘としてであり、ある時は友人として、恋人として。父が死んでからはそれがエスカレートしてゆく。

 キャスリンを繋ぎとめるために、欲しがるものは何でも買い与えるようになるへスターの鬼気迫る情念が怖い。全体が青味がかった映像でとられ、オーストラリアの荒野での二人の生活の冷たい緊張感がうまく表現されている。

 キャスリンが車で男を轢いてしまって井戸深く死体を隠してしまってから二人の生活が破綻していく後半は、残酷と不思議な温かさが共存している。

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2007年05月28日

「ラウンダーズ」(1999年5月10日)

 丸の内ピカデリー2で「ラウンダーズ」(no.44)を観る。

 法科の学生で学費をポーカーで稼いでいる青年が弁護士の夢を捨て、ポーカーの世界選手権に出場する夢を選択してゆくまでを描いている。

 モラトリアムから社会へ一歩踏み出す時期に人生に迷う青年役をまたしてもマット・デイモンが好演している。青臭さを残しつつもうわついたところを見せず、自分の生き方をつかんでいく姿が、単なる青春スターとは一線を画していて好感が持てる。

内容も非常にクールで、勝負師(ラウンダーズ)の世界をこけおどし抜きで淡々と描いている。ジョン・マルコビッチやジョン・タトゥーロの演技が渋いし、エドワード・ノートンも「世界中がアイ・ラヴ・ユー」とは180度違ったダーティな役を見事にこなしている。

カチンコ
 「またしても」と公開当時に感想で書いたが、今やデビュー当初のマット・デイモンのきらめきを知らない世代もいるだろうから、ちょっと説明が必要かもしれない。脚本・主演でデビューした「グットウィル・ハンティング」も、フランシス・コッポラの異色の法廷ドラマ「レインメーカー」も、彼の役どころは真摯に生き方に悩む青年役だったからだ。

 そういう青臭いところを潔くしかも鼻につかない演技でさらっと演じてみせたところが、マット・デイモンの持ち味だった。今でもその延長線上で演技してはいるだろうが、彼の才能の輝きを知るにはデビューまもない頃の映画を見るのが一番だろう。


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2007年05月20日

「プラクティカル・マジック」(1999年5月15日(土))

 シャンテ・シネで「永遠と一日」を観る。二度目。見応えがある映画で一つ一つの場面、セリフが心に染み込む。

 丸の内ピカデリー1で「プラクティカル・マジック」(no.45)を観る。

 サンドラ・ブロックとニコール・キッドマンが姉妹役で共演。
 まじない(プラクティカル・マジック)を使える家系に生まれた彼女たちは、先祖の女性が誓いをたてたために恋に落ちた男性が次々に早死にする運命にある。だから父親も早死にで母親は悲しみのあまりの早死に。頼った身寄りの二人の叔母もいずれも後家さんだ。

 二コールはともかくサンドラ・ブロックは、こういう普通のどこにでもいる女性が似合っている。今回はニコール・キッドマンの若々しい美しさとは対照的な、あか抜けなくて恋に臆病な女性を好演している。

 叔母役のストッカード・チャニングとダイアン・ウィーストが脇を固めているが、それほど監督はこの二人の名優を生かした演出をしているとは思えなかった。

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