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2010年01月27日

「Xの悲劇」(創元推理文庫)ネタバレ解読

 (以下の文章では、エラリー・クイーン作「Xの悲劇」に関してネタバレを含む詳細な分析を行っていますので、未読の方は読まないようにお願いします。)

 「本作は初期クイーン流パズラーの集大成とも言うべき大傑作である」と、「エラリー・クイーン パーフェクトガイド」(以下、「ガイド」)は書いている。確かに処女長編「ローマ帽子の謎」以来、クイーンはあえて「公共の不特定多数が集まる閉鎖空間」を犯行現場に選び、「手がかりに基づく論理的推理で犯人を特定する」作品を提供しつづけてきた。その中でも本作では、閉鎖空間として市電・船・列車と次々に場所を変え、それぞれにおいて綿密で粘り強い演繹推理を展開していく。

 なんといっても3つの閉鎖空間で起きた3つの殺人のそれぞれで、探偵ドルリー・レーンはその論理的推理を惜しげもなく開陳し、その一つ一つが本格ミステリーの醍醐味を十分に与えてくれる。国名シリーズの最高峰「ギリシャ棺の謎」ほどには読者の頭を悩ませるアクロバティックな推理はないにしても、考え得る可能性をすべてあげつらっては一つ一つ消去して、次なる推理を展開して唯一の解に辿り着く。国名シリーズで培ってきた手法の〈集大成〉と言う主張はうなづける。

 では以下に細かく作者の手際を見ていこう。まずはP.375で犯人を前にして、ドルリー・レーンが正体を暴く最高のクライマックスシーンを示してから、「クイーンマジック」の仕込み(伏線)をたどっていく事にしよう。

「もっとも不幸な神の子
のひとり、マーチン・ストープス氏です。」
「別名、西岸線の車掌、エドワード・トムスン」
「別名、渡船に乗っていた知られざる紳士」
「別名、車掌、チャールズ・ウッド」


 しかも「ウッドは死んだはずだ」というブルーノの驚きの声に応えて「あなたにとっては死んでいたことでしょう。…しかし、わたしにとっては立派に生きていたのです」と、読者を身震いさせるような決めゼリフを吐いている。

 ではそんな事が果たして可能だったのか。一人の人間が幾人もの人間になりすます等と言うことが…。あらかじめ要約しておくと、マーチン・ストープスとは、今はニューヨークで株式仲買人となっているロングストリートとデヴィットともう一人に、かつてはめられて南米ウルグアイで見つけたマンガン鉱山を奪われ、妻殺しの汚名をきせられて囚われの身となった不幸な男のことだ。脱獄したストープスは5年前から着々と復讐の機会を狙っていた。

 5年越しの計画で、ストープスは複数の人間になりすます。この点が現実離れしているために、「仕事をもつ別人の人生を演じることは不可能だ」とか「変装がなぜ警察にばれないか」などと、お説ごもっともらしい批判は確かにあるだろう。しかし、思うにシェークスピア俳優にして聾唖の探偵が、お得意の変装を駆使して捜査するというケレンと呼応するように、この作品ではいわば〈役者どうし〉の知力合戦とでもいうべき趣向を楽しむミステリーだと割り切ってしまえばいいのだ。探偵エラリー・クイーンが活躍する〈国名シリーズ〉と一線を画するところがあるとすれば、どことなく浮世離れした演劇の虚構が作中に持ち込まれている点ではないだろうか。

[第1の殺人]
 ニューヨークの市電の中で、ロングストリート一行をのせた満員の車内で殺人は起きる。被害者はロングストリート。犯人は車掌のチャールズ・ウッドである。

 ロングストリートは上着の左ポケットから眼鏡ケースを取り出し、めがねをかけた後、ケースをポケットに戻す(P.33)

 車掌ウッドがロングストリートからお札を受け取る。(P.35)
 (この瞬間に凶器が左ポケットに入る)

 ロングストリートが殺害されて、車内に偶然いた警官がドアと窓をしめるように指示。車掌を外に出し、巡査に知らせるように言う。(P.39)
(凶器を安全に取り扱うための「手袋」が外にでる)

 凶器はコルク玉に50本もの針が刺さり、先端が1/4インチ突き出て針先に赤褐色の液体(のちにニコチン抽出液と判明)が塗られている。(P.44)

 車掌は5年前からの勤務で、背が高く頑丈。赤毛で50歳ぐらい。(P.58)

 車内のゴミを回収したが、手がかりなし(P.60)

 ハムレット荘にて凶器をいれたガラス瓶をうけとったレーンに「ふたはあけないほうがいい」とサム警部は忠告する。(P.93)
 (素手で扱えない凶器であることを読者にさりげなく提示している)

 レーンは「労働者はいなかったか」「天気や季節(夏)にそぐわないものはなかったか、たとえば、外とう、夜会服、手袋など」と警部に質問する。(P.93)
 (凶器を取り扱う手袋のたぐいが車内にない事の論理的矛盾を暗に指摘している。著者によるしたたかで大胆な伏線である。)

 「これからどうするかはっきりしていることはおわかりですね」(P.96)

 かなりいじわるな言葉だ。この時点でレーンは車掌の犯行(少なくとも共犯以上)であることを見抜いている。

[第2の殺人(デヴィットの逮捕)]
 殺人の舞台はウィホーケン渡船場に移る。警察に密告状が届き、ロングストリート殺害の犯人について教えるという。密告者は海に落とされて殺害される。被害者は服装や傷跡から車掌のチャールズ・ウッドと判明する。

 この第二の殺人部分は、
 ・デヴィットの逮捕
 ・真犯人の解明
の2つの部分に分けて詳細に分析しよう。

 サムとブルーノは、渡船場に居合わせたデヴィットを一連の殺人の犯人として逮捕する。しかし、その後の裁判でレーンが見事な推理でデヴィットの嫌疑を晴らす。この部分が小気味いいのは、「Yの悲劇」で「殺人犯と毒殺未遂犯とは別にいるのか単独犯か」をめぐって、サムたちの複数犯説を完膚無きまでに叩きのめす中盤の名場面同様に、レーンが見事に真価を見せつけて、侮っていた警部たちの鼻をあかしてくれるからだ。

 スポーツジムで負傷したデヴィットの人差し指は、第一関節から縦に薄いかさぶたで覆われている。(P.114)

 海から落ちたという声がした甲板に向かうために、ドアの取っ手をつかんだ瞬間、デヴィットの人差し指の傷口がひらき血が流れるのを、レーンとサム警部が目撃する。(P.115)

 裁判では、犯行時に右手を使えば傷口は破れたはずであり、一方で右手を使わねば、犯行(200ポンドの被害者の体を張り出しから落とす)は不可能であると立証される。(P.246)

[第2の殺人(真犯人の解明)]
 被害者は車掌ウッドであるというのは実はトリックで、ウッド自身が別に用意した人間を自分に見せかけて殺した。

密告者とおぼしき男が海に落とされて、引きあげられた。市電の制服を着た死体は、市電の運転手の検分によって車掌ウッドであると確認される。(P.136)
(ただし「ああ、あの頭は…」というように、顔で識別したのではなく外見や死体の左ふくらはぎにある古傷から判断されている。)

 検死報告書では、2年前に盲腸炎を手術した痕跡が残されている。(P.156)
(この「2年前」というのは重要な手がかりになるのだが、それにしてもどうして手術跡が正確に2年前と特定できるのか不思議だ。30年以上クイーンファンをやってきたが、今の今まで気づかなかった。)

 市電の本社でレーンが聞き込みしたところでは、ウッドは5年間ずっと皆勤を続けていた。(P.177)

これは盲腸炎の手術の事実と矛盾する。見つかった死体はウッドではない。つまり「ウッドは死んでいない」とレーンは推理する。


[第3の殺人(犯人は誰か)]

 さらに場所が移り、ウィーホーケン駅。訴追をまぬがれたデウィット一行は列車に乗り込む。殺人の被害者はデウィット。犯人は、またしても(列車の)車掌だ。(名前はエドワード・トムスン)。

 さて、第3の殺人も二つの重要な部分にわけて分析しよう。すなわち
 ・犯人は誰か
 ・クロスした指のメッセージ
だ。

 デヴィットは片道6枚の切符と50回綴りの回数券を購入し、チョッキの左上のポケットにいれ、上着のボタンをかける。(P.260〜261)

 突然姿をあらわしたコリンズと内密な話をするために、デヴィッドは6枚の切符を取り出して同行者に渡し、回数券はポケットに残したまま席を立つ。(P.270)

 デヴィットは、照明が落ちた最後部の客車で死体となって見つかる。検死報告では、弾丸が左胸のポケットの位置で貫き、心臓に入った。「上着、チョッキ、ワイシャツ、下着、心臓と、まっすぐに貫通している。」(P.280))

 デヴィットの上着の内ポケットに古い回数券と一緒に新しい回数券も入っている(P.284)

 以上の事から、撃たれた時に回数券はチョッキの左上ポケットにはなく(あれば弾痕が回数券に残る)、上着に内ポケットに移ったことが判明。しかも利き手でない左手には(後で述べるように)奇妙な指の形が残っているので、右手はふさがっていたと推定される。(この部分は、「ガイド」が指摘するダイイング・メッセージの〈ひねくれた使い方〉にあたる。詳しくは後述する。)

 回数券の移動と指のかたちが利き手になかったことから総合して、右手に回数券をもって使おうとしていたと推定できる。ということは車掌が検札しようと近づいたはず。つまり2人の車掌のうちの一人が犯人である。車掌トムソンは市電の車掌ウッドと同一人物であった。(P.401〜P406)

[第3の殺人(クロスした指のメッセージ)]
 エラリー・クイーンと言えば、「ダイイング・メッセージ」が代名詞となるくらいに、生涯を通じて様々な作品でダイイング・メッセージが多用された。その第一号が本作なのだそうだ。「パーフェクトガイド」の指摘では、
いかにもクイーンらしい、ひねくれた使い方をしている。レーンは、メッセージを解釈せずに、メッセージが残されていたというデータから犯人を特定するのだ。(ガイド)

と書かれている。

 これは言うまでもなくメッセージを伝える指の形が「利き手でない左手に残されている」という事実から演繹される推理のかなめとなる。だからダイイング・メッセージの使い方が「ひねくれている」というよりも、奇妙な指のかたちが「ロジックを構成するピース」と「犯人を直接しめすメッセージ」を示す二重の伏線になっていると解釈した方がいい。まったくもって無駄がないというか、欲張りというか、隙がないのだ。

 そして再読ポイントとして、レーンが次なる犠牲者となる可能性の高い人物(デヴィット)にダイイング・メッセージ談義をすることによって、
事件に介入し、事件を変えてしまうのである。(ガイド)

とも書かれている。その点を意識して見ていこう。

 ウィーホーケン駅で列車を待つ間に、弁護士ブルックスは、レーンのスピーチの言葉に触発されて、「息の根をとめられる直前の一瞬間に、頭の中には一生のできごとがひらめく」という小説を思い出す。(P.262)
(そのまえのレーンの思わせぶりな演説から場所を変えた余談まで、この後のダイイング・メッセージへの伏線とは思えないほど、著者は周到に準備を進めている。)

 「人間の頭というものは死の直前にはもっと驚くべきことさえなしとげるものだ」とレーンは語り、かつて殺人の被害者が砂糖を握りしめていたことから犯人は「コカイン常用者」だというメッセージであったというエピソードを披露する。(P266〜P.268)

 彼は死ぬ直前のほんのわずかな時間に、自分が残すことのできる唯一の手がかりを残したのです。このように−死の直前の比類ない神々しいような瞬間、人間の頭の飛躍には限界がなくなるのです。(P.268)


 この殺し文句によって、聞き手(デヴィットたち)に圧倒的な感銘を与えたと同時に、僕ら読者にもダイイング・メッセージという仮象を信じさせるにいたった。これはレーンの収穫というよりも、ミステリー作家エラリー・クイーンにとっての〈大収穫〉であった。

 死体で見つかったデヴィットの左手は、「中指が人差し指の上に重ねられて奇妙なかたちに堅くからみつき、親指と残りの2本の指は内側へ曲げたまま硬直していた。」(P.281)

 検察医シリングが「即死だ」と言うにいたって、レーンはデヴィットの指のかたちがダイイング・メッセージであると断言する。「苦しみから思わず指を絡めた」のではなく、銃で撃たれる前の一瞬に指を堅くクロスさせたと考えた方が妥当だからだ。(P.283)

 デヴィットの上着の内ポケットから見つかった回数券の古い綴りにはいたずら書きがあり、パンチをなぞったあとがある。(P.284)

 この内ポケットの状況設定もきわめて周到な伏線だ。と同時にミスディレクションに富んでいる。なぜなら「新しい回数券」の移動が犯人に繋がる手がかりとなっているだけでなく、「古い回数券」にダイイング・メッセージを解く鍵が隠されているからだ。デヴィットは犯人を識別するパンチの形に馴染みがあった事を示唆するのだ。このように複数の別個の手がかりを抱き合わせる事で、読者の注意が片方にしかいかない。ここでも著者の手際には無駄がない。

 車掌のひとりポムトリーは、古い回数券のパンチ跡を示して、丸印のパンチが自分のもので、「十字印のパンチ」が相棒のトムソンのものだと示す(P.286) 

 「指のかたちが残された」事実からすでに犯人(トムソン)が指摘されたので、ダイイング・メッセージ(犯人の指摘)は不要になってしまったかというと、そうではない。クイーンの、いやバーナビー・ロス名義の4部作では舞台の幕切れを意識して、最後の最後にあっと言わせる趣向をとっておく。そして、それこそがダイイング・メッセージの究極の使い方だと本作は教えてくれた。

 紙片(乗車券)の二個所―印刷文字のウィーホーケンの横と、それより下のウェスト・エングルウッドの横に―くっきりと鋭く打ち抜かれた車掌エドワード・トムスンの十字形のパンチの跡が残っていた―一つのX。
―幕―(P.422)
posted by アスラン at 12:55 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | エラリー・クイーン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月14日

「チャイナ橙の謎」(創元推理文庫)ネタバレ解読

(以下の文章では、エラリー・クイーン作「チャイナ橙の謎」に関してネタバレを含む詳細な分析を行っていますので、未読の方は読まないようにお願いします。)

 「ネタバレ解読」の趣旨を一言ことわっておくと、「エラリー・クイーンパーフェクトガイド」(飯城勇三著,ぶんか社文庫)の作品紹介が素晴らしいので、そこに書かれているポイントを確認しながら、十分に作品を味わい尽くすのを目的として行っている。この「パーフェクトガイド」の作品紹介ページは前半が初読者向けの案内で、後半が既読者向けの再読ポイントを挙げている。ここでは再読ポイントに乗っかって再読してみた感想を含めて、作品のあれやこれやを詳細に語っていく。

 「チャイナ橙の謎」の書評にも書いたが、この作品の謎解きは、煎じ詰めてしまえば以下の2つのポイントから構成されている。

(1)犯行現場のあらゆるものを「あべこべ」にした理由はなにか?
(2)被害者の背中に2本のヤリが通されていて、事務所側のドアをふさぐように死体が移動していたのはなぜか?

 (1)を解くためには、いくつかの手がかりに基づいた〈推理〉が必要となる。そして推理すると何がわかるかと言えば、「パーフェクトガイド」に書かれていたように「被害者は誰か?」がわかる。決して「犯人は誰か?」ではないという点に注意しよう。

 そして(2)については、重要なトリックが仕組まれている。一言で言えば「密室トリック」だ。もちろん「パーフェクトガイド」の指摘を待つまでもなく、犯行現場は密室にはなっていない。しかし、作者のトリック(作為)が見えてきて、言わば「半密室」である事に意識的になると何がわかるか。犯人がわかってしまうのだ。「犯人は誰か」がミステリーを読む読者の最大の関心事であるとするならば(というか、まさにそうなのだが)、(2)の謎さえ解ければ、ミステリーの読者の多くは(1)の謎解きに付き合うまでもない。「推理はトリックを乗り越えられない(パーフェクトガイド)」と書かれる所以である。

 では、まず被害者の謎解きについてみていこう。「被害者は誰か?」という問いは、本作品に限ってはあまり意味がない。ドナルド・カーク事務所を訪れてドナルドに用向きがある何者か、であるに過ぎない。ただし被害者は、きわめて珍品とされる高額の切手を手に入れて、買い取ってもらおうと事務所を訪れた。被害者が殺された理由は、その切手に犯人の目がくらんだことにある。実は犯人にあらかじめ殺意があったわけではなく、突発的な殺人だった。そして犯人は、被害者の身元から「高額切手を売りに来た」という事実が発覚する事を恐れて、被害者の身元を隠そうとしたところから「あべこべの犯罪」ができあがる。その過程を見ていこう。

 被害者は中国から来た伝道師(カソリックの聖職者)だった。被害者は、まずエレベーター前の受付係シェーン夫人に目撃される。
 なにしろ秋冷の候というので、ふとった首のまわりには、毛織の襟巻をまきつけていた。(P.11)

 首のまわりが見えないように作者が企んでいる。これは首のまわりに身元が一目で分かるような特徴があることを示す伏線である。

 死体となって見つかった被害者とその部屋の様子は、なにもかもがひっくりかえした「あべこべ」状態であった。被害者の服装は次のように描写される。
 死人の上着がうしろまえになっているばかりでなく、ズボンもさかさになって、これまたうしろでボタンがかけてあった。白のマドラス・シャツも、ちょっきも同じことだった。幅の狭い、固いカラーも同様に、逆にされて、襟巻のところで、ぴかぴか光る金のカラー・ボタンでとめてある。下着類もあきらかに同じように、人を食ったあべこべになっているらしかった。(P.58)

 赤字の部分が重要だ。カラーが逆向きになっているのを他の衣服の「あべこべ」が隠している。典型的な「葉は森の中に隠せ」タイプのトリックだ。そして、それを実現するためだけに「あべこべの森」は造られたのだ。

 さらには「被害者のネクタイがない」(P.74)ことが指摘される。恒例の「読者への挑戦」が挿入されるのが306頁目だから、3分の1の序盤で、ほぼ「あべこべの犯罪」を論理的に解く鍵は与えられていると言える。中盤にはほとんど手がかりらしい手がかりはない。ただし、そうは言っても可能性が多すぎて、探偵と同じような推理の経路をたどる読者がいるとは思えない。そして「読者への挑戦」の直前に最後のピースが手に入る。被害者が駅にあずけた手荷物だ。

 手荷物の中には何冊かの本が入っていて、そのうちの一冊は表紙がとれるほど古びている。
「聖書じゃないですね。ありふれた安ものの日課祈祷書だ」
「…どうやら、たいへん信心深い老紳士に見参したらしいですね」(P.296)

 ここでついにエラリーの頭脳のシナプスが発火する。ではエラリーの推理をたどっていこう。

 犯行現場のあべこべ性には、以下の2つの解決が考えられる。
(A)事件の関係者のだれかにあべこべ性があることを指示する
(B)事件の関係者のだれかにあべこべ性があることを隠す

 手がかりは「死体にも現場にもネクタイがない」という事実だ。ネクタイが欠けている理由は、被害者が「不断ネクタイをつけない人物だった」とエラリーは推論する。普通の背広を着ながらネクタイをつけないのは聖職者しか考えられない。聖職者であれば「カラーをうしろ向きに付ける」のは当たり前である。このあべこべを隠すために、犯人はすべてのものをあべこべにした(P.333)。

 この結論には驚くべき意外性と同時に、信じがたく納得しがたい一点が残る。つまりは「被害者のネクタイがない」ので、そこに注目がいかないようにするためだけに、犯人はあれほどの手間をかける必要が本当にあったのか?という、はなはだ実もフタもない指摘だ。これに対しては、国内に多数いるカソリックの神父ではなく、「中国から来た伝道師」という点に重きを置かねばならないのだろう。

 1934年のアメリカの時代背景を知るよしもないが、おそらくは国内の聖職者であれば身元を特定しにくいかもしれないが、「中国から来た伝道師」となると、すぐに身元は割れてアメリカに来た目的も明らかになってしまうと、エラリーあるいは作者は言いたかったにちがいない。中学生の頃に読んだときには、その点に意識的ではなかったので納得がいかなかったが、今読むとさもあらんと言う気がする。クイーンの推理に手抜かりはない。

 では、次に「半密室のトリック」をみていこう。被害者は事務所のひかえ室の中で、事務所側のドアの前に横たわっている。
角(つの)のような、妙な形をした鉄製のものが二本、首のうしろの個所に、上着の下から突き出ていた(P.49)

 さらに、テーブルの椅子のそばに血痕があることから、椅子のそばで殴り倒されて、わざわざドアの近くまで移動させられたことがわかる。エラリーは死体の異常な状況を(不謹慎にも)おもしろがって、
「すると、あの動かされた本棚のうしろの、事務所に通じるドアのそばで、その男は、いったいなにをしていたかということになる」
(P.75)

などと、クイーン警視を前に軽口を叩いている。

 ここに作者エラリー・クイーンの詐術的なミスディレクションがある。つまりは、探偵エラリー自らが犯行のあべこべ性を強調し、
「…この部屋にある家具や、動かせるものはすべて、あべこべにひっくりかえしてあるじゃないか」(P.64)

とまで言い切っているのだが、本当を言えば「あべこべ」という一点で調和が取れている犯行現場とは言えないのだ。
 死んだ男は戸口の両側をふさいでいる二つの本棚のほぼまん中に、ドアの敷居口と平行に横たわっていた。ドアに向かって立っているエラリーの左側の本棚は、壁にぴったりとついていた元の位置からひき出されて、その左側のはしが、ドアの蝶番に触れ、右側は部屋のなかにとび出しており、こうして動かされた本棚はドアに対して鋭角に形作っていた。死体は半ばそのうしろにかくれていた。右側の本棚は、ずっと右のほうに移動させてあった。(P.89)

 一体、何事が死体周辺に起きているのか、正確に把握できた読者が果たしてどれだけいるだろうか?少なくとも中学生当時の僕には、なんのことやら全然理解できなかった。しかし作者自身も、この部分はそっとしておいて欲しかったにちがいない。この死体の有様は「あべこべの犯罪」以上に尋常ではないのだが、全体として「平仄があってない」ナンセンスな状況に一括されてしまう。

 一度は詳細に描写し、その後なるべくは読者が忘れてほしいと作者が願う死体の状況とは、いかなるものだったか。
 明らかに、槍の足のうしろ側から、ズボンのなかをくぐらせて、それぞれの足に一本ずつ差し込まれたもので、腰のところで一応外に出てきて、それから、男の背中のあべこべに着た上着の下に押しこまれ、おしまいに、V字型になっている襟口から突き出ていた。槍の尻は死んだ男の靴のゴム底とすれすれになっていた。(P.60)

 最初に部屋や着衣が「あべこべ」だと言い、死体まわりの様子を指して「平仄があわない」と言い換える。しかし冷静にながめれば、もっとも異常なのは、何にもまして二本の槍にズボンも上着も刺し貫かれて棒状に横たわった死体の方ではないだろうか。

 決定的なのは、
「われわれが事務所の側からドアをあけようとすると、かんぬきがさしてありました。ごらんのとおり、この部屋の内側からかんぬきがかってあります。」(P.69)

と状況説明をするエラリーの一言だ。これによって、犯人は廊下側のドアから入り、被害者を殺害後、再び同じドアから出て行ったという認識がほぼ確定しまう。

 そして、作者があえて忘却のかなたに追いやった死体の槍の事を思い出させてくれるのは、事もあろうにクイーン警視の次なる一言だ。なんと、この間235頁も費やされている。
「それじゃ、あの死んだ男の背中から、アフリカ土人(まま)の槍が二本突き出ていたのは、いったい、どういう意味かね。」(P.304)

 この警視の問いかけに放心したエラリーは、
「しめた、それが解答だ。あの槍だ、ありがたい。」(P.304)

と叫ぶ。なんと本当に忘れていたらしい。作者の催眠術は、読者だけでなく作品のなかの探偵にまで効果があるようだ。

 この直後に「読者への挑戦」が置かれ、「あべこべの犯罪」の謎解きが始まるのは、先にみてきたとおりだ。その後に、ようやく「半密室のトリック」をあばく実験が行われるのだが、これは省略するとしよう。なぜなら、この方法で、うまく死体が移動して、うまくかんぬきがかかって、うまく死体とかんぬきを操作したひもが回収されるのか、何度読んでも理解できないからだ。

 ひもはかんぬきがかったあとにひっぱり続けると切れる程度の強度らしい。ならば何故、太った被害者の死体をドアの左側の本棚に沿って引っ張った際に切れなかったのだろう?

 とにもかくにも「二本の槍」と「紙のように薄いインディアン絨毯」と「細い、じょうぶそうなひも」を使うことによって、事務所側から控え室の内側のかんぬきをかけることにエラリーは見事に成功する(P.342〜347)。

 この成功で犯人であるオズボーンは自白する。ドナルド・カークの秘書であったオズボーンは犯行時に事務所にいた唯一の人物であり、機械的なトリックでかんぬきをかけられる唯一の人物だからだ。エラリーはつぎのように推理の過程を説明する。

 「…すると、疑問が起きてきた。なぜ犯人は、死体をドアのそばに移したのか、という。明らかに、犯人は、あの場所から死体をなにかに使ったのだ。」(P.348)

「その疑問に対して僕が与えた唯一の論理的解答は、一見不可能なようだけれど、死体を室内のほかの場所からドアのそばに移した犯人は、死体が倒れるときに、あのドアに対して、なにごとかをしてもらいたかったのだ、ということだった。…ドアに対して、なにか犯人にとって重要なことをするという場合、考えうる唯一のことは、ドアに錠をおろすことである。…いったい、なぜ、死人にかんぬきをかけさせる必要があるのか」(P.349)

「それに対する唯一可能な解答は、犯人は、廊下のドアを通って、この部屋から出ることができなかったか、あるいは出ることを欲しなかったか、どちらかだ。犯人は、事務室に通じるドアを通って、この部屋から出たかったのだ。」(P.350)

 しかし、エラリーが盛んに「唯一」という言葉を重ねて強調するほどには、この推理には説得力がない。「ドアに対して行うなにごとか」が「かんぬきをおろすこと」であるというのはエラリーの直観であって論理的解答ではない。さらに言えば、エラリーの直観を支えているのは「密室トリック」の存在である。

 あれだけ、ドアまわりや被害者の状況が異常であれば、なんらかのトリックが疑われるのは当然だ。しかし、そこからエラリーはどうやってあの複雑怪奇な「密室トリック」にたどり着いたのだろう。死体に残された二本の槍以外に、インディアン絨毯や長くてじょうぶなひもがあれば死体が動かせて、おまけにかんぬきがかけられることを、どうやって「推理」したのだろう。いや、エラリーは「密室トリック」をあばくために、なにひとつ推理していないのだ。

 すると、「パーフェクトガイド」が指摘する「本作を密室ミステリーとして読んだ読者にとって、”あべこべをめぐる推理”などはどうでもいいがゆえに、作品の評価が下がってしまう」ということの責任の一端は、やはり作者が負うべきものだと考えられないだろうか。何故なら「推理はトリックを乗り越えられない」ことを、まず何よりも先にエラリー自身が作中で実践していたのだから。
posted by アスラン at 04:16 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | エラリー・クイーン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月17日

クイーン体験の原点の書「Yの悲劇」が買えるなんて!

 この前からずっと「エラリー・クイーン祭り」が続いてしまっている。事の起こりは、僕が初めてクイーンと出会った「Yの悲劇」の児童書をぜひもう一度読んでみたいという、ささやかな、しかし僕にとっては決定的に重要な思いつきから始まった。そして、秋田書店が出版した「ジュニア版世界の名作推理全集」全16巻の中に、それらしい本を見つけた。でも年代が合わない。僕が小学生の頃に読んだ本が1982年出版という事はありえない。

 すると、さらにウェブの情報からこの「ジュニア版」が、1972年に出された「世界の名作推理全集」全16巻の改訂版であることが分かった。装丁が少々変わっただけで中身はそのままのようだ。そして改訂版の方ならば図書館の蔵書として残っているので、さっそく「Yの悲劇」を借りた。確かにあの頃読んだ本に間違いない。挿絵やら目次やら文章の細かい部分が思い当たることばかり。あっという間に僕は小学5,6年生の頃の自分の興奮を再現する事ができた。

 ところがさらに、この「ジュニア版」はまだ出版社に在庫がある事が分かった。もう、どんなに大きな書店でも店頭には見かけないので絶版だとばかり思っていた。今「本やタウン」で検索すると以下の本が入手可能だ。

闇からの声(イーデン・フィルポッツ 中島河太郎訳)
義眼殺人事件(アール・スタンリ・ガードナー 藤原宰太郎訳)
黄色いへやの秘密(ガストン・ルルー 山村正夫訳)
犯人をあげろ(ウィリアム・アイリッシュ 藤原宰太郎訳)
死を呼ぶ犬(ジョルジュ・シムノン 藤原宰太郎訳)
グリーン家殺人事件(S.S.ヴァン・ダイン 中島河太郎訳)
奇妙な殺人(ブレット・ハリデー 藤原宰太郎訳)
列車消失事件(傑作短編集 中島河太郎訳)


16巻中8冊も手に入る。意外と手に入るもんだ。

 あれ?「Yの悲劇」がない。おや、僕が最後の一冊を入手してしまったのか。ひょっとして秋田書店の在庫ではなく、本当に本やタウンで在庫管理してたのかも。いずれにしても本当に僥倖だったと言っていい。最初632円と書かれていて「安いぜ〜」と思ったら、指定書店に取り置きの時点で800円に値が上がった。書店で手に入れて早速奥付を見ると「平成6年3刷」となっている。この時に800円になったらしい。しかし一緒に予約した高橋源一郎著「大人にはわからない文学史」が1700円以上するのを考えれば、超お得な一冊と言っていい。

 しかも新品。テカテカの表紙カバーに白髪のドルリー・レーンらしき人物がこちらをじっと見透している。一生の保存版にしよう。

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2009年03月03日

「エジプト十字架の秘密」(ハヤカワ・ミステリ文庫)ネタバレ解読

(以下の文章では、エラリー・クイーン作「エジプト十字架の秘密」に関してネタバレを含む詳細な分析を行っていますので、未読の方は読まないようにお願いします。)

 今回も「エラリー・クイーンパーフェクトガイド」(飯城勇三著,ぶんか社文庫)の作品紹介(P.40-42)に沿って解読していく(作品そのものについては書評を参照の事)。パーフェクトガイドでは、前半に未読者のための読書案内が、後半にはコアなファンのための再読ポイントが書かれている。以下では、再読ポイントを具体的に検証していく。

 作品紹介の前半では、「エジプト十字架の謎」が〈サービス精神が横溢している〉ことと〈分かりやすさを重視している〉ことが指摘されている。分かりやすさは、四つの殺人で伏線として織り込まれた謎をエンディングまで引きずることなく、その都度解き明かしてしまうストーリー構成から来ている。一転して作品紹介の後半では、〈読者サービスに見えたものが、実は、パズルの重要な要素であった〉として、以下の3点を挙げている。

 ・作者が四つも首なし死体を出した理由
 ・エラリーが登場した後も殺人を続けた理由
 ・第一の被害者に関するどんでん返しを早々と明かした理由

これらは「次々と殺人が起きる」「通常は解決篇で語られる真相や推理を早々と明かす」ことで読者を退屈させないサービスだと、作品紹介の前半に書かれていた。

 検証に先だって、まず犯人と目的について明かしておく。今回の犯人は当初、第一の殺人の被害者だと思われた「アヨロ町の小学校校長アンドリュー・ヴァン」である。殺人の目的は、二人の兄弟トマス・ブラッドとスティーブン・メガラを殺すことにある。

〈作者が四つも首なし死体を出した理由〉
 四つの殺人の目的は、以下の通りだ。

 第一の殺人-->アンドルー・ヴァンを殺しに来た復讐者クロサックを返り討ちにするため。
 第二の殺人-->トマス・ブラッドを殺すため(かつて一人の女性を争った)
 第三の殺人-->スティーブン・メガラを殺すため(親からの財産の分け前がなかった事からくる恨み)
 第四の殺人-->最後にクロサックに殺されたように見せかけるため。

 犯人が本当に殺したかった人物は第二、第三の殺人の被害者二人だけだ。第一、第四の殺人の被害者は、二段階に構成された〈加害者と被害者の入れ替えトリック〉を実現するためにのみ必要であり、犯人が自分の容疑をそらすためには四つの死体が不可欠だったわけだ。

〈エラリーが登場した後も殺人を続けた理由〉
 第一の殺人で、作者は実のところ読者にほとんど手がかりを与えていない。だからエラリーはいつもの作品のようには推理する余地があまりないのだ。これは、第一の殺人がカモフラージュであるからで、第二・第三の殺人こそが犯人の真の目的なので、必然的に犯人は殺人を続ける事になる。

〈第一の被害者に関するどんでん返しを早々と明かした理由〉
 ミステリー好きの読者ならば「首なし死体」が出現した時点で、「加害者と被害者の入れ替えトリック」ではないかと疑うのは当然だろう。本来ならば早々と名探偵がそれに気づかなくてはならないが、何故かエラリーは「首なし死体が形づくるT」に宗教的な意味を見いだすだけで、入れ替えトリックの可能性には言及しない。一見すると、エラリーに言わせない事で読者を誤った方向へ導こうとしているように見えるが、作者の狙いはそこにはないのだ。

 読者の推測(入れ替えについて手がかりはないので、読者は推測するしかない)に先回りして入れ替えトリックを種明かしすることで、「ヴァンが加害者」という推測を封じてしまうのが作者の真の狙いだった。この推測を封じてしまえば、第四の殺人でもう一度入れ替えトリックを行っても読者は容易に見破れない。

 では以上を踏まえた上で、上記以外の重要なパズルの要素を見ていこう。時間軸に並べると以下の4つになる。

 (1)エジプト十字架の推理
 (2)パイプの推理
 (3)チェッカーの推理
 (4)ヨードチンキの推理

(1)エジプト十字架の推理
 第一の殺人の直後のエラリーは、思いつきから首なし死体の形作るTが「エジプト十字架」なのではないかと推測する。そこからTには宗教的な意味があるのではないかと推理する。しかし大学時代の恩師ヤードリイが「エジプト十字架」に関するエラリーの知識がまったくの誤りであることを指摘するに至って、「宗教に関連した仮説」のすべてを取り下げる。その上で、さらに推理を飛躍させる。

「つまり、Tは最初からTを意味するだけのことで、ほかの何をさすのでもないのではありますまいか?TとはただのアルファベットのTである。」(P.188)


これはTがヴァンたち3兄弟がツバルというTで始まる姓を持つという事実と照合されるが、ただしこの時点ではエラリーの推理は犯人の要件に何も付け加えはしない。ただし、これに続くエラリーのつぶやきの方が重要だ。

「そういうことがありうるかしら?」「いや違う…あまりにも話がぴったりと合いすぎる。しかも確証はない。まえにも一度頭にうかんだことだが…」(P.189)


 これは入れ替えトリックに関する思いつきに触れていると言っていい。「確証がない」という理由だけで手の内を明かさないのはいつものとおりだが、そもそも「アルファベットのT」の推理についても確証があって言える事だとは思えない。この独白はエラリーの言い訳にすぎない。

 もう一言、この独白のずるさをあげつらっておこう。この独白は第二の殺人が起こる第二部の終わり近くに挿入される。ところがエンディングの謎解きでエラリーは、首なし死体には作意があるのではないかと最初の事件から疑っていたと言っている(P.420-422)。実際には第一部のエラリーにはそのようなひらめきは訪れていない。どうやら独白の「まえにも一度頭にうかんだ…」という件(くだり)だけで、最初から疑っていたと主張したいようなのだが、ちょっと虫が良すぎる気がする。

(2)パイプの推理
 第二の殺人現場にはエラリーが頭脳を働かせるパズルに満ちている。パイプやチェッカーの手がかりがそうだ。

〈パイプをめぐる二重底の推理は神業と言っていい〉
 変わった形のパイプが第二の殺人現場の死体(ブラッド)近くに落ちていた。やがて航海から戻ってきた共同経営者メガラの口から、パイプの持ち主がメガラだと分かる。ここからのエラリーの推理は〈緻密〉に展開していく。

第一の推理:
 パイプを置いたのは犯人である。なぜならパイプがメガラのものだと知らない人物が、ブラッドが吸ったと思いこませようとしたから。そして、犯人はあずま屋が犯行現場であると警察に信じさせたかった(P.206)。ならば犯行現場は別にあるはずだ。

 しかし、パイプは名前入りのケースに入っていたので、メガラは「パイプの持ち主を知らなかった」という前提を誤りだとして退ける。そこですかさずエラリーは新たな推理を組み立て直す。

第二の推理:
 ケースを持ち帰っている事から、犯人はメガラが航海から戻るまでは一時的に犯行現場をあずま屋に見せかけたかった。そしてメガラが戻ってきたら、真の犯行現場が別にあると警察に知らせたかった。結論として、真の犯行現場には犯人がメガラと警察に見て欲しいものが隠されている(P.208〜209)。探索の結果、書斎からブラッドのメモ書きが見つかる。

(3)チェッカーの推理

 あずま屋から書斎へと犯行現場が移ったため、書斎のチェッカーの駒の配置が重要な手がかりとなる。第三部で第三の殺人の後にエラリーは犯人の要件を付け加える推理を展開する。

 執事の証言からチェッカーはブラッドが一人で練習していたものとされたが、エラリーは駒の位置(P.110)から対局者がいた事を推理する。実はこの推理はチェッカーのルールを知らないと分かりにくい。おそらく僕も初読時には中学生だったので、よく分からなかった。いや、実は今回再読してもよく分かっていない事に気づいた。推理を追う前に、以下の2つのルールを頭に入れておきたい。

 (A)キング(同じ色のコマを重ねたもの)は将棋の成金にあたる。「成る」ためには、相手陣地の端の列に到達しなければならない。また到達したら、必ずキングに「成ら」なければならない。成らないうちはゲームを先に進める事はできない。
 (B)相手から奪った駒は、将棋とは違って〈死に駒〉である。だからゲームには二度と使われない。

 駒の配置から分かった事は以下の通りである。

  ・事務机に近い側の指し手の持ち駒は黒
  ・黒が圧倒的に優勢(奪った赤い駒が9つ、取られた駒が3つ)
  ・赤にはキングになれる駒が相手陣地の端に一つあった

 勝負に圧倒的な優劣があることから、エラリーは「(ブラッドが)だれかほかの者を相手に勝負した」(P.360)と考える。放置された赤の駒から、まさにそのときにゲームが中止されたと推理する。ブラッドは相手から取った赤の駒を手にとってキングになれる駒に重ねようと手にとった。被害者の手に赤いシミが付いていたのはそういう理由からだ。そして血痕は、事務机と倒れた椅子の間にある。つまり、ブラッドは「対局した相手」に殺されたのだ。

 この推理からさらに、

 ・チェッカーの勝負をした相手はブラッドと顔見知り。
 ・犯人は別の人物になりすましている。
 ・ブラッドの身近に見あたらないので、犯人は〈びっこ(原文のまま)〉ではない。

が、犯人の要件として明らかにされる。ただし、推理小説のお約束として犯人はブラッドの身近に必ずいるはずだから、当たり前の事しか分かっていないとも言える。つまり作者は犯人を特定できる決定的な手がかりを読者に与える事を周到に避けているのだ。これだけ緻密な推理をしていながら「復讐者は誰か?」という謎だけは最後の最後に取っておいてあるのだ。


(4)ヨードチンキの推理

 〈最後の決め手となるヨードチンキの手がかり…がただ一人の人物だけに結びつくように巧みな状況設定をしている〉
 そして第四の殺人に至って、ようやく決定的な手がかりが見事な手際で作者から読者に提示されるのだ。第四の殺人の犯行現場(ヴァンの山小屋)には、犯人が傷ついた手首にヨードチンキを塗って繃帯を巻いた痕跡が残されている。作者は、洗面所の棚を警部たちが調べる際の描写に決定的な手がかりを滑りこませている。
「…繃帯の落ちていたすぐそばに大きな半透明の瓶がころがっているのを指した。それは色の濃い青いガラスの瓶で、貼紙(レッテル)は貼ってなかった」(P.387)
 

「その棚の上には二カ所あき間があるだけで、そのほかはぎっしりとつまっていた。棚の上には青い木綿の布で包んだ包み、歯ブラシ、絆創膏がひと巻きと、繃帯とガーゼがひと巻きずつ、ヨードチンキと貼紙に書いてある小さな瓶と、マーキュロ・クロームという貼紙を貼った大きさの瓶があり、…」(P.387)


 犯人はヴァンの薬を使った。しかしなぜわざわざ貼紙(レッテル)のない瓶のヨードチンキを使ったのか。すぐ見えるところに貼紙付きのヨードチンキの瓶があったにも関わらずだ。結論としては、犯人は山小屋の持ち主以外にいない。

 驚くべき結論ではあるが、真に驚くべきは第四の殺人現場を描写する同じページに、ミスディレクションと手がかりが近接して置かれている点だ(上記P.387の引用2つを参照のこと)。さらには後半の引用では、「貼紙付きのヨードチンキの瓶」(手がかり)が目立ち過ぎないように、他の貼紙付きの瓶(マーキュロなど)についての描写もさりげなく加えているという念の入れようだ。

(参考)
エジプト十字架の謎(新版) エラリー・クイーン(2009/2/3読了、再読)
エラリー・クイーン Perfect Guide 飯城勇三・編
エラリイ・クイーンパーフェクトガイド(文庫版) 飯城勇三・編著

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2007年08月08日

「アメリカ銃の謎」(創元推理文庫)ネタバレ解読

(以下の文章では、エラリー・クイーン作「アメリカ銃の謎」に関してネタバレを含む詳細な分析を行っていますので、未読の方は読まないようにお願いします。)

 今回も「エラリー・クイーンパーフェクトガイド」(飯城勇三著,ぶんか社文庫)の作品紹介に沿って解読していく(作品そのものについては書評を参照の事)。パーフェクトガイドでは、前半に未読者のための読書案内が、後半にはコアなファンのための再読ポイントが書かれている。以下では、再読ポイントを具体的に検証していく。

 〈「トリックを使うと推理してもらえない」〉(パーフェクトガイド)

 なぜならマニアは「○○トリックの応用だな」と考えて、推理せずに謎も犯人も見破ってしまいかねないからだ。そして「アメリカ銃の謎」の最大の面白さは、〈トリックにこだわるマニアに推理させる〉ところにあると、エラリー・クイーンパーフェクトガイドでは解説している。

 ポイントはこうだ。「アメリカ銃」では、

(a)ミステリー・ファンなら誰でも知っているトリックが使われている


そして

(b)作者は巧妙な手を使って、そのトリックが使われていることを、みじんも感じさせない。


その上で、

(c)トリックを見抜くためには、推理しなければならない


という次第なのだ。これこそ再読する者にはスリリングな課題だ。これを順に読み解いてみよう。

 まずは(a)からだ。ここで指摘されている「ミステリー・ファンなら誰でも知っているトリック」とはなんだろう。「アメリカ銃」の最大の謎は〈凶器の行方〉のはずだ。だから凶器の隠し場所に〈ファンなら誰でも知っているトリック〉が使われているのだと考える人がほとんどだろう。

 僕自身そう考えたし、現に隠し場所には、あるトリックが使われている。ただし〈誰でも知っている〉ほど有名とは言えないが。となると、ここで指摘されるトリックは別にある。それは、

 (A)実は被害者が犯人である。

という〈人間のすり替え〉トリックである。これはホームズの有名な作品に遡るほど代表的なトリックだ。ミステリーファンなら確かに誰でも知っていておかしくない。

 では作者はどんな〈巧妙な手〉を用いて、トリックの存在を消してしまったのか。それは言うまでもなく〈凶器探し〉というミスディレクションを駆使してである。詳しく見ていこう。

 書評本文でも書いたが、2万人の観客を容疑者とする競技場での殺人で、一丁の小型拳銃が見つからないという謎は、他のクイーン作品と比べればケレン味がなくて物足りない。しかし著者が作中で強調するように、殺人直後にコロシアムは完全に封鎖し、人の出入りは警察の管理下におかれ、しかも凶器の捜索はあらゆる場所に対して完璧に行われ、犯人もしくは共犯が周辺に投げ捨てた可能性をも読者に抱かせないようにコロシアムに隣接する歩道まで徹底的にしらべたと書いている。

 ここまで徹底した描写があると、現実にはどうにでも隠しようがある小型自動拳銃の行方が、トリビアな謎には思えなくなってくる。パーフェクトガイドで「強烈な謎」と書かれた所以だ。どうしたって読者は〈凶器の隠し場所〉について推理せざるを得なくなるのだ。

 つまり(b)の〈巧妙な手〉とは、

 (B)「本書の最大の謎は〈凶器の隠し場所〉である」と思わせることである。しかもあからさまなトリックは見当たらないので、〈凶器の隠し場所〉は推理するしかない。

と言うことになる。〈巧妙な〉という意味がこれでわかるだろう。〈凶器の行方〉に気をとられている限り、読者は真の最大の謎である(A)に気づかないのだ。しかも〈巧妙な〉の意味はそれだけでは終わらないのだ。

 (c)の〈トリック〉と〈推理〉の意味を考えてみよう。(a)(b)(c)の順にパーフェクトガイドで指摘された設問では、あくまで〈トリック〉というのは(A)の事に他ならない。ところが(B)という〈巧妙な手〉のせいで、トリックにこだわる読者は(A)に思いいたらない。ならば〈凶器の隠し場所〉のトリックを暴こうとやっきになったところで、実は手がかりがないのだ。

 (B')凶器は馬の口に隠されていた。

 というのが〈隠し場所〉のトリックだが、これを推理するための手がかりは最初の殺人の直後しかない。すなわち、クイーン警視自身が刑事に命じて馬を競技場から退場させる場面だ(P.82)。「四つ足なんかここじゃ必要ない」というセリフまで警視に言わせて念の入ったカモフラージュを施している。この時点では〈凶器の隠し場所〉は問題にすらされていないので、このさりげない凶器の退場に気づくのは難しい。

 そして次なる手がかりは、二度めの殺人のあとでエラリーがニュース映画用フィルムの試写を見て編集されている事に気づき、完全版のフィルムを見た際に初めて提示される。すなわち殺人直後に水のみ場に誘導された馬たちの一頭が水を飲むのを拒む場面(P.308)がそれだ。P.340にクイーン恒例の〈読者への挑戦〉が挿入されるから、この場面は終盤と言っていい。

 つまり〈凶器の隠し場所〉を暴く手がかりは最初から作者によって周到に隠されているわけだ。一方で〈人物のすり替え〉を導く手がかりはあちこちにちりばめられている。これが果たしてどんな効果を生むか。

 〈凶器の隠し場所〉のトリックを想像する事ができない読者は、文中にちりばめられた手がかりから推理せざるを得ない。しかし推理から導かれるのは〈凶器の隠し場所〉ではなく〈人物のすり替え〉という驚くべき真実だ。〈すり替え〉については推理することでトリックの存在に初めて気づかされる。パーフェクトガイドに書かれているように、まさに「推理がトリックを乗り越える」瞬間と言っていいだろう。

 しかしここに作者の誤算がある。マニアにとっては〈トリック〉か〈推理〉かの選択をせまられるわけだが、僕を含めて多くの読者が〈単なるエンターテイメント〉という読み方を好んでいる。すなわち〈知的パズル〉に頭を悩まされるより、魅力ある謎に引き込まれて結末の謎解きで驚かされたいという姿勢だ。クイーン作品の場合は、これに謎解きの独創性と論理的な説得度の高さが付け加わり、読者を充分に満足させてくれる。

 誤算と言ったのは、ミスディレクションのための〈消えた凶器の謎〉が他のクイーン作品と比べて見劣りがするという点だ。確かに推理しながら読んでいけば面白さは途切れることはないかもしれないが、〈トリック〉への関心も〈推理〉に対する執着もない読者には、結末の意外性に驚かされるまでの見かけのストーリーは少々退屈だ。結果として、僕のように前半の印象から長く低い評価しか与えないファンも多いのではないだろうか。そういう方には是非再読をオススメする。再読では一から推理することはかなわないが、推理することで本作がどんなに面白いかどんなによく出来ているかが体感できる。

 では作者がどんなにうまく手がかりをちりばめているかを以下に見ていこう。

 エラリーは最後の謎解きで、犯人を特定するための「6つの事実」を列挙して緻密な推理を展開する。

(1)死んだ男のズボンの帯皮は一番目の穴で止められていた(P.87)。

 しかし、2、3番目の穴には垂直に深い切れ目がありすりへっている(P.89)。2つも穴をゆるめた理由として
 (1-a)直前にたらふく食べた。
 (1-b)自分のベルトではない。
のいずれかが考えられる。しかし、解剖医の検視報告で被害者の胃袋は空っぽだった(P.227)し、ベルトにはホーンの頭文字入りであった(P.87)。

(2)死んだ男は右手に銃をもっていた(P.93)。

 銃の握りには象牙がはめこまれていて、握りの右側が細長く色が違う(P.94)。左手で握ると曲げた指の先と手のひらの間にくる。つまり「銃は左手用である」。その後ホーンのホテルからは対となる銃が見つかり、握りの左側にあった細長い色の違う部分から「右手用の銃」だとわかる。

 ホーンは両手撃ちの名手であり、2丁の銃は死体から見つかった銃の方が2オンス重い事が判明し(P.231)、ホーン自身にとってはバランスがとれていて間違った手で扱ったりはしない。

 (1)&(2)より「死んだ男はホーンではない。しかも体つきや顔がホーンによく似ている」。ホーンによく似た人物という事実から、エラリーは西部劇のスターの頃からの「吹き替え」ではないかと推理する。この時点では吹き替えを使う正当な理由がホーンにある可能性も否定できない。以後「吹き替えを殺した」可能性を追求する。

(3)銃弾が床に対して30度の角度で上方から被害者に入射した(P.135)。
(4)撃たれた瞬間の連続写真を見ると、ホーンの胴体は垂直から30度左に傾いている(P.217)。

 この2点から銃弾は水平方向から発射された事がわかる。よって被害者の上方に位置する「観客席全部」と「ニュース映画の撮影クルー」が除外され、水平方向という事実から「被害者と同じく騎乗していた騎手40名のうちの一人が犯人」だとわかる。

 ホーンはあらかじめ新入りミラーに変装して騎手の一団に加わっている。「ホーンの思惑はなにか?」

(5)銃声は騎手の一団は放った一斉射撃時のみで(P.139)、その数秒後に被害者が馬から落ちた。
(6)騎手たちの銃が致命傷を与えたのではなく、25口径自動拳銃から発射された(P.159)。


 (6-a)犯人は25口径の自動拳銃を使った。
 (6-b)一斉射撃時に実弾が発射されたのだから、空砲と同時に発射した。
 つまり「射撃に両方の拳銃を使った。両手撃ちができる。」

 以上の6つの事実から演繹された推理からエラリーは「犯人はホーン」という真相を言い当てる。それに比べると

「凶器はどうやって隠したか」


という謎の回答については説明がそっけない(P.398)。

 「いちばん深刻そうに見える謎が、いつだっていちばん簡単なものさ」とチェスタトンのブラウン神父ばりの逆説を披露している。つまりここで、作者クイーンが〈凶器の隠し場所〉については、読者の注意を惹きつけるためのミスディレクションだったと手品のタネを明かしているのだ。

 最後に一点だけ突っ込みを入れよう。

 エラリーは第1の殺人後のニュース映画の試写のあと、「この自己宣伝屋の老人を殺したのはだれかを知っている」と発言してクイーン警視に問い詰められるが、「だって知らないんだ」と煙にまく。この発言の意味は厳密な意味で正しいが作者の詐術だ。ホーンとは言わずに「死んだ男」とか「老人」などというどちらともとれる表現を使って逃げている。

 そして以後、ホーンが犯人である事すなわち被害者がホーンではない事を誰にも告げない。父のクイーン警視にまで話さない。事件関係者のキット・ホーンの怪しい動きが報告されて警視が任意出頭を求めようとするのをエラリーが止めた際にも警視の「なぜだ?」という問いかけに、「そこまで話す必要がどこにありますか?」と逆ギレしている(P.241)。しかし僕から言わせれば答えは「あるよ!」だ。「おまえの親父はニューヨーク市警の警視だぞっ!」

 P.251に異例の作者の注が入る。そこには「ギリシア棺の謎」で若きエラリーが完全な間違いをなんどもおかした経験から、「自らの推理が疑問の余地なく絶対に正しいと確信できるまでは、口外しない」と誓ったと書かれている。しかしこれはエラリーの、ひいては作者の言い訳に過ぎない。この時点で例のトリックがばれてしまえば、せっかくの苦労が水の泡だ。結末で明かされる真相の意外性が割り引かれてしまうからだ。それにしても「ギリシア棺」は、その後のクイーン作品で〈言い訳〉を抜け道として堂々と利用するために書かれたとも言えるかもしれない。

(参考)
アメリカ銃の謎 エラリー・クイーン
エラリー・クイーン Perfect Guide 飯城勇三・編
エラリイ・クイーンパーフェクトガイド(文庫版) 飯城勇三・編著

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2006年02月25日

「オランダ靴の秘密」(ハヤカワ・ミステリー文庫)ネタバレ解読

(以下の文章では、エラリー・クイーン作「オランダ靴の秘密」に関してネタバレを含む詳細な分析を行っていますので、未読の方は読まないようにお願いします。)

 今回も「エラリー・クイーンパーフェクトガイド」(飯城勇三著,ぶんか社文庫)の作品紹介(P.32-34)に沿って解読していく(作品そのものについては書評を参照の事)。パーフェクトガイドでは、前半に未読者のための読書案内が、後半にはコアなファンのための再読ポイントが書かれている。以下では、再読ポイントを具体的に検証していく。

 さて、「オランダ靴」では殺人は2回行われる。

 最初の殺人はオランダ記念病院の創立者・女富豪のアビゲール・ドーン。彼女は糖尿病からくる昏睡におちいり緊急手術のため大手術室に連なる控室で待たされている間に絞殺される。控室のさらに隣にある麻酔室で準備を進めていた麻酔医は麻酔室を通って控室に入るジャニー医師の姿を目撃する。しかしジャニー本人はそれは自分ではないと否定する。やがてジャニー医師になりすますための使われた白衣と靴が見つかる。

 〈第一の殺人でミステリー・ファンなら誰でも思いつく推理をエラリーがあっさり否定する〉(パーフェクトガイド)

 これは「誰かがジャニー医師になりすましたのではなく、ジャニー医師本人なのではないか」という推理の事だ。靴はジャニー医師のサイズよりも小さいし、底のすり減り具合が右と左とでは同じために片足が不自由で片方に体重をかけて歩かざるをえない彼の持ち物ではないと指摘する。この事は事前に提示されたわけではなく、あくまで靴から分かった事をエラリー本人に言わせているにすぎないが、そんなつまらないオチではないよと言わんばかりに即座にエラリーが否定するところが小気味いい。

 白いズボンには裾上げのためのしつけ糸が残り、靴には何かの理由で切れた靴ひもをつなぐための絆創膏が残されている。

 この遺留品からエラリーが演繹した推理は次の通りだ。

 犯人の靴ひもが切れたのは凶行に及ぶ途中だった(事前に準備していた靴のひもが最初から切れていたはずがない)。そして絆創膏を使用するという思いつきは専門的知識がある者を連想させる。何より絆創膏のありか(医療器具棚)を把握し、手早く取り出せる者でなくてはならない。よって犯人は病院関係者(医者・看護婦・職員に限定せず)。(P.34 医療器具棚に包帯、ガーゼなどとともにさりげなく絆創膏の存在を示している。)

 サイズ6の靴は男には小さすぎる。舌皮を爪先に押し込んでいるから犯人は子供か女性だが身長から女性に限定できる。(P.119〜125 ズック靴の絆創膏、爪先に押し付けられた舌皮、サイズ6の靴)

 ズボンの膝上のしつけ糸は元の持ち主と犯人の身長の違いを目立たせなくする意図。つまり元の持ち主より身長が低いことを意味する。(P.117 手術衣のズボンにしつけ糸)

 白ズックのズボンを履いている男性医者職員はすべて除外。なぜならわざわざ他のズボンに履き替える必要がないから。(P.35 服装規定の記述あり。 男白ズック靴スボン上着、女白リンネル)

 以上から、女性の病院関係者が犯人である。

 第二の殺人は、ジャニー医師。自分の個室の机に向かって椅子に腰掛けた形で後頭部を鈍器で殴られた上で、ドーンと同じく絞殺されている。

 〈殺人現場を見て「このデスクのうしろに、窓がひとつ、なければならぬところだ!」とエラリーは言い出す〉

 
「このデスクのうしろに、窓がひとつ、なければならぬところだ!」(P.321)


 ジャニーのデスクは部屋の角に斜めに置かれている。つまり彼に怪しまれずに鈍器で殴るには彼の後方から近づく事ができなければならず、窓がなければ不可能とエラリーは当初推理した。ところがまもなくミンチェン医師が大切な症例記録を管理するために、ジャニー医師のデスク後方にあった書類戸棚を移動した事実が明らかになる(P.362)。

 そこで、後方から近づけた唯一の合理的回答は、犯人が書類戸棚にアクセスすることをジャニー医師が許したからに他ならない。症例記録にアクセスできるのは被害者とミンチェン医師(男)とミス・プライス看護婦のみ。(P.46 ジャニーのファイルキャビネット。触れるのはミンチェン、ジャニー、プライスのみ)

 よって、犯人はミス・プライスである。

 果たして第一の殺人は彼女に可能だったか。控室にあるエレベーターは室内と通路両側に開くため、プライスはエレベーター内で着替えて通路から麻酔室にジャーニー医師として入り、控室に入る。控室を覗いたインターンは医師のみを見かけるが、実はそれはジャニー医師に変装したプライスだった。彼女はジャニー医師に言われて消毒室に入ったと証言しているが、証言通りには消毒室に入らなかった。こうして一人二役トリックを実現した。

 〈なぜ二つの殺人が同じ手段でなされたか?〉

 なぜ犯人は鈍器で気絶させておいて頸に針金を巻き付ける手間をかけたのか(P.336)。そのまま鈍器で殺してしまってもよかったはずだ。

 第二の殺人の際に、プライスの共犯者であるジャニー医師の息子は警察にいた。第一と第二の殺人が同一犯という印象を植え付ければ、第二の殺人にアリバイが成立した彼は必然的に第一の殺人からも容疑が外れる事をねらった。

 〈なぜ手術が急に決まったのに犯人は事前準備できたか。〉

 被害者ドーンは虫垂炎手術を一ヶ月以内に予定していたため、当初は術後麻酔がかかっている間に犯行を行う予定だった。だから昏睡による手術自体は緊急だったが、事前に準備はできていた。

 再読すると確かによくできている事がわかる。絆創膏をさりげなくキャビネットの備品の列挙にあげてたり、麻酔室にも同様なキャビネットがあること(P.356)など、ネタ割れしないように分散して記述している。

 ただし靴の分析について言えば、何故こうまで警察を無能にしていいのかという指摘はできるだろう。男性としては小柄なジャーニー医師の靴のサイズ6.5より小さいサイズ6の靴、舌皮の押し込み、ズボンのしつけ糸という事を総合すれば、最初から女性限定で考えるのが当然だと思えるのだが、警察関係者の誰もいいださない。

 「(犯人の)特徴については詳しいことが言えるのですが…ただ、名前だけはいまのところ…」(P.285)

 ともったいをつけるエラリーだが、この時点で「女性の病院関係者が犯人」だと分かっている。ここまでくれば分かったも同然なのに父親にさえ手の内を明かさないのだ!

 さて最後の最後にエラリーが言ったひとことが僕には不可解なまま残っている。犯行に使われた手術衣が発見されたと知らされるや次のように謎の言葉を叫ぶ。その意味は作中にはどこにも書かれていないのだ。

 「燃料が多ければ多いほど、火がよく燃える!」
 「燃え殻でしょうね」

 これってどういう意味だったんでしょうね、クイーンさん?

(参考)
オランダ靴の秘密 エラリイ・クイーン
エラリー・クイーン Perfect Guide 飯城勇三・編
エラリイ・クイーンパーフェクトガイド(文庫版) 飯城勇三・編著

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2005年09月04日

祝・TVドラマ「エラリー・クイーン」放映決定!

 ようやくCSミステリーチャンネルのサイトに簡単なお知らせが載ったので、もう解禁とみていいだろう。

 あの知る人ぞ知る海外ドラマ「エラリー・クイーン」がついに10月からCSで放映されます。といってもCS見られないので、会社の友人に頼んで友人はさらにCS視聴している友人に頼んで録画する算段をつけました。いやぁ、これで見られると思うと感無量!

 もちろん今回が初見ではない。1978年9月20日1:05AM.放送開始という当時としては異例の深夜枠での放送を、毎週今か今かと高校生の僕は待ちかまえていたのだった。

 何故こんなにも詳細な日付が言えるかというと、ミステリーファンというよりクイーンファンであった高校生の僕はなんとあまりの興奮からか、ドラマの内容を毎週書き残そうとしていたのだ。初回は始まる一時間前にノートに「序」まで書いてしまい、エラリー・クイーンの作品との出会いから書き始めて、こんな文句で結んでいる。

 ここに、世紀のイベント、テレビムービー「エラリークイーン」が始まることに、私は盛大なる喝采を送ることを惜しまない。又、深夜1時といういかんなる時間帯ではあるが、企画を組んだ、局に感謝の辞をおくるものである。−昭和53年9月20日12:00−


 12;00は午前零時の間違いだ。局に感謝するなど偉そうに何様だと今の僕は高校生の自分につっこみを入れたいところだが、まあそれほど嬉しかったわけだ。

 さきほどのミステリーチャンネルのお知らせを見ると「1976 Universal City Studios LLLP」の文字が見える。アメリカNBCで放映されてから2年後に日本で放映されているから、当時としてはかなり力を入れて放映していたのだと、今さら気づいた。

 何しろビデオが庶民に不朽するのはまだまだ先の事。当時は本放送をみるしかなく、しかも深夜1時というのは今のように普通の高校生が夜更かしして見られるような時間ではなかったから、かなり苦労して家族が寝静まったのを確認してからそっと居間のテレビだけをつけて見ていた。だから正直この時間帯の放映は恨めしかった。同じミステリードラマの「刑事コロンボ」と比べると片やNHKの土曜のゴールデンタイムだから、扱いが悪いなぁと思ったものだ。

 ちなみにプロデューサーは「コロンボ」と同じ、リチャード・レビンソン&ウィリアム・リンクの二人。放送が始まって、時代背景の古さやキャスティングの地味さから「コロンボ」よりも前に作られた海外ドラマだと今の今まで勘違いしていた。逆に「コロンボ」のヒットで乗りに乗っていた彼らが原作の雰囲気をそのまま再現した1940年代のニューヨークが舞台のドラマだったわけだ。

 クイーン役はジム・ハットン。実の息子が「普通の人々」「タップス」などで後に映画俳優として名をなしたティモシー・ハットン。最近では「探偵ネロ・ウルフ」でウルフの片腕役を演じている。お父さんのジム・ハットン演じるエラリーは、原作のインテリでニューヨーク育ちのヤンキーというイメージとはほど遠く、線の細い気のいい兄ちゃんといった風貌で少々肩すかしをくらった。それにひきかえクイーン警視の方は原作通りの頑固でタフだが息子に甘いという父親像そのものだった。

 ちょっと面白いのは、このシリーズで推理を競う推理小説家ブルマーというライバルがちょくちょく登場する。何が面白いってその風貌である。ハヤカワポケットミステリーを読み慣れている人ならすぐにピンとくるはずだ。誰あろうディクスン・カーその人にそっくりだから。クイーンとカーはアメリカを代表する本格推理作家の巨匠だし、活躍した年代も同じ。実際に交流もあったから、これはとっても楽しい趣向だった。

 最初に当時の僕はドラマの内容を書き留めていたと書いたが、全作放映されていれば24本ある。だから24本のあらすじが残っているはずだが、残念ながら第6話までしか書き留めていない。何故残ってないかまったく記憶にない。全放映を見たのかどうかも覚えがない。やはり受験を控えた高校生には厳しかったのかもしれない。

 なにしろ修学旅行に出かける前日(いや正確には当日だ)にも見てしまい、一日目の電車も、移動のバスもほとんど眠っていた。おまけにバス酔いしてしまい、着いたホテルの夕食で出たきりたんぽ鍋(行き先は青森・十和田だった)がほとんど食べられず、さんざんだった。

 ついでに言うと、帰りは青森発の寝台車だったが、僕は友人相手にクイーンの短編のネタを話しては謎解きをせまるという遊びに興じて夜を明かした。当然ながら行きも帰りも冴えない顔つきの写真しか残っていない。

 さて本編だが、「コロンボ」のような犯人を追いつめているドラマの面白さとは対照的に、純粋にパズルミステリーの面白さを中心に据えて最後にクイーンの国名シリーズよろしく「読者への挑戦」ならぬ「視聴者への挑戦」を挿入するといった、お遊びに満ちた作品だった。

 だからと言ってはなんだが深みのあるミステリーを期待すると肩すかしを食う。パズル(謎解き)がメインなので、人間ドラマはほとんどない。そうだ、コナンや金田一少年のようなミステリーアニメの原点だと思ってもらえばいいかもしれない。

 以下、本放送の第一話を採録する。
 解決編も載せるが念のため、ネタばれしないように配慮するのでご注意を!


第1話「蛍の光の冒険」

大晦日も大詰め。あと2時間で新年を迎えようというころ、ブロードウェイのアスタービル26階でリチャード警視はエラリーを待っていた。別の席では、大金持ちのマーカム(Mercom)を中心に、息子のフレッド(Fred)、その婚約者のベティ(Betty)、マーカムの甥クインシー(Quency)、共同経営者のベイカー(Backer)、秘書のゼルマン(Zelman)と婚約者マイク(Mike)が座っていた。マーカムは他の者に自分の遺産を相続させないと断言して席を立った。

 その15分後、マーカムは電話室で倒れて死んでいた。電話はかけた途中であった。相手というのが、なんと葬儀屋であり、しかも彼はマーカムをまったく知らないし、同席していた者たちにも、その葬儀屋に面識のある者はいなかった。マーカムは声帯ごと首を切られ、声が出せなかった。そして、死ぬ間際に葬儀屋へ電話したらしい。

 エラリーが着いた。彼は、すぐにも解決を導いた。まず、来た早々上記の同席者たちと、葬儀屋の男を前にして、その葬儀屋の電話をかけた。エラリーは葬儀屋の電話番号を知らなかったが見当はついたと言うのである。

 さて誰が犯人か?そして何故エラリーは葬儀屋の電話番号がわかったのか?
続きを読む(解決編・ネタばれ注意)
posted by アスラン at 02:23 | Comment(2) | TrackBack(1) | エラリー・クイーン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月05日

「Yの悲劇」は一番最後に読んだ

 せっかくの生誕100年記念。僕も思い出話にふけりたくなりました。
なのでカテゴリ分けして書きつづってみます。

 前の記事で「クイーンの一番は?」って話で終わったんだけど、よく言われるのは「Xの悲劇」「Yの悲劇」

 ミステリーを娯楽ととらえるならば、ケレン味たっぷりで本格推理の要素が充満してる「X」だろう。一方で文学趣味も兼ね備えた雰囲気のあるミステリーが好みの場合は、謎が多いハッター家で起こる凄惨な人間ドラマの「Y」を取るのかもしれない。

 一時期海外ミステリーのベストテンにも常連だったのが「Yの悲劇」。これはひとえに乱歩や当時の良識的批評家がこぞって評価したからに他ならない。言ってみれば邦画の「七人の侍」、洋画の「風と共に去りぬ」みたいな歴史的なスタンダードの位置づけだった。

 で、僕はと言えば今も昔も「Yの悲劇」には思い入れがあって特別な存在だ。
なぜならクイーンの作品で一番最初に出逢ったのが「Yの悲劇」だからだ。

うん? それならタイトルが違うって。

ところが「Yの悲劇」は創元推理文庫の一番最後に読んだ記憶がある。

なぜなら僕は「Yの悲劇」を小学6年にジュブナイルで読んでしまったからだ。

これはかなり決定的な「クイーン体験」だった。
それまでは推理小説(という言葉は小学生の自分の中にはなかったはずだが)のジャンルとしては、ホームズとルパンと少年探偵団しかなかった。
たまたま誕生日に買ってもらった子ども向けの一冊で僕はなにかスゴイ物に出逢ってしまった事を直感した。

今となってはどこまで原作に忠実に書かれていたか思い出せないのだけれど、

「犯人の頬が女性のようにすべすべだった」


とか、

凶器がおよそ凶器としては不似合いなマンドリンだった。

 (と「不似合い」を強調していたはず。なにしろ子どもにはマンドリンが凶器として不似合いかどうかはよくわからなかったはずだから。)

とか、

開かずの部屋に入った探偵(ドルリー・レーンという名も覚えてない)が薬品棚に降り積もったホコリの乱れた位置を意味ありげに綿密に測った


とか。

 すべての謎がただ先送りされて最後に探偵に明かされるのを待ち受けているのではなく、何かいますぐにでも答えは出るのだと、読んでいるいたいけな小学生(いたいけだったんですよ)に迫ってくる迫力を備えていた。

 おかげで中学になって文庫をたずさえて読書をする事を覚えた少年は「Yの悲劇」の作者が他にもたくさんの著作を書いているのを知る。そこからが本当のクイーン体験の始まりだった。

 「X」を読み「Z」を読み、国名シリーズを読み、短編集も、ニッキー・ポッターも、ポーラ・パリスも読んだ。
 でも「Yの悲劇」だけは、小学生の「体験」で用済みだと何故か思いこんでいた。

果たして「Y」を読んだのはいつだったのだろうか?ひょっとして高校になってからか。
それは驚きに満ちた新たな「クイーン体験」だった。
同じ話でありながら肝心な体験が抜け落ちていたのだ。

それはハッター家の老婦人が殺された現場に残された靴痕の意味。
タルカム・パウダーがこぼれた床に残った2つの靴痕。
靴痕の一つに合致する長靴が発見され、靴先にこぼれた毒薬の痕跡。
毒殺未遂犯とマンドリンによる殺人犯が交互に現場に立ち入った可能性。


 複雑に構成された殺人現場の状況から、探偵ドルリー・レーンは当局の見解であった複数犯人説を完膚無きまでに粉砕する

 そのアクロバティックめくるめく知的興奮を呼び起こすクイーンならではのロジックに僕は打ちのめされた。そして後悔した。何故もっと早く読み返さなかったのかと…。

 「Yの悲劇」は最初にジュブナイルで「体験」し、そして「前期クイーン」を締めくくる「体験」を与えてくれた作品だった。

 「途中の家」で始まる「後期クイーン」問題、あるいはハヤカワミステリーとの出会いは、また別のオ・ハ・ナ・シ!

posted by アスラン at 02:10 | Comment(2) | TrackBack(0) | エラリー・クイーン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月30日

エラリー・クイーン生誕100年記念

 エラリー・クイーン生誕100年記念だそうだ。ふ〜ん。

 って、危なく素通りしそうになった。生誕って誰の?

 エラリー・クイーン(エラリイ・クイーンって表記もあったな)は、作家名であり作中の探偵名でもあるのはミステリーファンなら周知の事実。
 
 両方をいっぺんに覚えてもらえるという戦略だったという話も聞くが、そもそも覆面作家として本名を明かさない著者が、「実際に解決した事件について小説にした」みたいに前書きで友人J・J・マックに語らせてるから、同一なのは設定上の当然の帰結と考えた方がよさそうだ。

 さて、生誕100年なら1905年。どっちの?って、作中の探偵の場合は初めて登場した年すなわち処女作「ローマ帽子の謎」初版の年とするのが普通だから1929年。つまり探偵エラリー・クイーンは生誕76年だ。すっかりおじいちゃんになっちゃって〜。

 よって生誕100年は作家エラリー・クイーンの方。めでたしめでたし。

 って、事はそう単純じゃない。作家のどっちか?って事が気になってるのだ、僕は。

 作家エラリー・クイーンはマンフレッド・リーとフレデリック・ダネイの従兄弟二人のペンネーム。これもまた有名な話。

 だから作家・探偵同名というアイディアは、従兄弟二人の名を覆面にするための方便なのだよ、やっぱり。

 いや、そんな事より誕生日、誕生日。

1905年1月11日  マンフレッド・リー
1905年10月20日 フレデリック・ダネイ

「…」
「……」
「………」

なるほど同い年だったのね、二人は。妙に納得。

 生誕100年を記念して雑誌で特集が組まれたり、北村薫がパスティーシュを物したり、クイーン(正確にはリー単独らしい)の世界の事件に題材を取った本などが、色々と出てくる。

 昔からのファンとしては嬉しい限りだが、やっぱり新作が読みたいなあと夢想してしまう。

 本国では「誤の悲劇」という最後の長編になるはずだったシノプシスが刊行されたが、翻訳はまだなんだろうか?

 まあ、なんでもいいや。ファンとして改めてクイーン漬けだった若き日々に思いを巡らして、一番のお気に入りでも読み返してみようかな。

はて?クイーンの一番とはなんだろう?

これはまた別のオ・ハ・ナ・シ

posted by アスラン at 01:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | エラリー・クイーン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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