カテゴリ記事リスト

2005年11月21日

1998年8月10日(月) 「SF サムライ・フィクション」

 年休。病院の帰りに神楽坂で食事をして、有楽町に出てシネ・ラ・セットで「SFサムライ・フィクション」(no.120)を観る。

 監督の中野裕之は、音楽ビデオの映像作家として有名な人だそうだ。

 黒澤明の映画が好きというだけあってあきらかに娯楽映画としての黒澤時代劇からの影響が見られる。「用心棒」や「椿三十郎」で用いられた切れ味の鋭い殺陣や、善悪がはっきりした紋切り型の人物造形などは意図的に模倣している。

 違うのは黒澤が60年代の劇画調を意図したのに対し、中野は90年代の劇画調を意図し、それにロックやラップなどの音楽と音楽ビデオによくあるスタイリッシュなオブジェ風の映像美を持ち込んだところにある。それは冒頭の襖ごしのシルエットでおこなわれる殺陣などに典型的に表れている。

 ただ岩井俊二のように映像美ばかりというわけではなく、娯楽を旨とした映画作りに徹しているところがいい。風間杜夫谷啓といった配役が楽しいし、意外な事に布袋寅泰も下手だがいい味が出。

カチンコ
 当時の映画評には主役の男女について何も言ってないことに今回気づいたので、以下蛇足。
 主役の吹越満演じる若侍の初々しさとばか正直さが、正しく「椿三十郎」や「赤ひげ」の加山雄三のようだ。ただし加山のそれは演技というより地だったのだが、吹越の方は監督の意図どおりのせられやすい一本気の若者を好演している。

 それに緒川たまきだ。彼女の持つ不思議な浮遊感は今回の映画でも遺憾なく発揮されている。しかも見た目とは違って気丈夫であるところなどもまさに「赤ひげ」の加山雄三を慕う元許嫁の妹のような存在を感じさせる。

 そうか、こう考えるとどこまでも黒澤明へのオマージュが感じられる映画だったんだな。
(ブログ「大いなる遡行」2005/10/10記事より転載)


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2005年11月09日

1998年8月13日(木) 「仮面の男」「リーサル・ウェポン4」「ホームアローン3」

 今日からお盆休み。シャンテ・シネで「仮面の男」(no.123)を観る。

 フランスの文豪アレクサンドル・デュマの歴史小説で、あの「三銃士」の続編の1エピソードにあたる。

 なにしろ「三銃士」物だけで何十冊という続編をもつ大作で、このエピソードではすでに三銃士は年老いて銃士を引退し、年若いダルタニアンだけが現国王に仕え親衛隊長となっている。

 ディカプリオが冷酷な国王とバスティーユ監獄に幽閉された仮面の男の二役というのがこの映画の売りだが、なにより三銃士とダルタニアンを演ずる四人の演技派俳優の豪華さ(ジェレミー・アイアンズ、ジョン・マルコビッチ、ジェラルド・ドパルデュー、ガブリエル・バーン)に驚かされる。

 このオールスターキャストの時代劇は、彼らの個性的な演技のぶつかり合いを観ているだけでも楽しい。しかもこの偉大なおじさんたちが「我ら銃士、結束は固い」なんて言いながら顔を見合わすなんて思わず笑みが浮かぼうというものだ。

 丸の内ピカデリー1で「リーサル・ウェポン4」(no.122)を観る。

 アクションものだが、ハラハラドキドキというより馬鹿々々しいほどの笑いをうまく織り込んでいて、楽しい演出にそつがない。しかも4作も続くシリーズとあって主人公を囲む一種のファミリーが出来上がっていて、レネ・ルッソやジョー・ペシなどが絶妙なあたたかみを出している。

 日本の「寅さん」もののような感じがする。これってハリウッドのアクション映画では珍しいことだ。手慣れた演出とストーリー展開で、安心して観られる映画だ。それにダニー・グローバーは僕の好きな役者だしね。

 マリオンの9Fにある丸の内ピカデリー1から出てきて、同じフロアの向かいにある日劇プラザへと映画のハシゴ。

 「ホームアローン3」(no.121)を観る。

 実は1作目、2作目は観た事がない。テレビでも観ていない。あまりに有名になったマコーレ・カルキン君の演ずる映画の予告や1シーンは何度も観た気になっていたので、子供向けの映画だなと高をくくっていた。確かにそうに違いないんだけれど、予想以上に面白い

 大抵の子供向け映画では人物造形があまりにも典型的だ。この映画でも例外ではなく両親はとても優しいし、兄弟はイジワルで無理解だし、他の大人たちは全く子供の言う事を聞いてくれない。よくあるパターンだ。とても見られたものじゃない。

 だが、こと主人公の少年の機知に富んだ悪者撃退法を見せつけられる段になると思わずうならずにはいられない。いやぁよく考えてあるなぁと。

 ビデオカメラを載せたラジコン・カーを雪の庭や道路、そして悪者が忍び込んだ隣家を走らせる時の楽しさ。悪者の一人に追いかけられ、途中で電波が届く範囲を出て止まってしまった時は思わずドキドキしてしまった。まさに絶妙な演出にハマってしまったわけだ。
(ブログ「大いなる遡行」2005/10/09記事より転載)

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1998年8月14日(金) 「フレンチドレッシング」「チェイシング・エイミー」

 ちょっと寝坊したので渋谷で「ヴィゴ」は間に合わない。予定を変更してユーロスペースで「フレンチドレッシング」(no.125)を観る。

 主役のいじめられ通しの高校生は「ポパイ」などのモデルで有名な(らしい)櫻田宗久。ワンピースが似合ってしまうスレンダーな美少年だ。

 彼を学校の屋上でレイプ(というのかなこれも?)してしまう危ない教師に阿部寛。そして二人の関係に引きつけられ仲間入りする少女マリィに唯野未歩子。こちらはボーイッシュで中性的な感じ。

 彼ら3人が阿部の家で奇妙な同居生活を続ける。たぶんそれぞれの実生活の空しさ・心の空虚さを埋め合わせるように、彼らは架空の家族を作り上げる。それがドロドロとせずにどこか軽さと明るさを漂わせているのは、永遠には続かない「ごっこ」でしかないと分かっているからかもしれない。

 だからこそ現代人とりわけ若者の今を捉えているようである種のリアルさが感じられる。

カチンコ
 やまだないと原作だったんだね。当時は、やまだないとは僕の視野に入ってなかった。
 それと唯野未歩子。最近は監督業まで手を染めるという異才の持ち主。あの「ネイチャーメイド」のCMでクドカンと絶妙の味わいを出してる女優だと、これも今回トラックバック記事を探してググってみて初めて知りました。

 シネ・アミューズで「チェイシング・エイミー」(no.124)を観る。

 漫画家の男性コンビの一人ホールデンは、マンハッタンのコミック・フェアで女性漫画家アリッサを紹介され一目ぼれをする。しかし彼女はレズだと知って大ショック。それでも友達付き合いを始めたが、どうしても我慢出来ず愛を告白する。

 ところが逆にアリッサから「私がレズと知ってて告白するのはずるい」となじられる。それでもどこかで惹かれあって二人は愛し合う。ところが今度はコンビの片割れバンキーが大ショック。彼はどうやら自分では認めたくないがホールデンを愛していたのだ。

 こんなホモやレズの同性愛オンパレードの小粋で楽しくて、そしてせつないラブ・ストーリーだ。

 ホールデンを演じるのが、「グッドウィル・ハンティング旅立ち」の脚本をマット・デイモンとともに書いたベン・アフレックだ。とても愛嬌のある顔立ちだ。マット・デイモンもチョイ役で出てくる。非常に楽しい映画だ。

カチンコ
 この頃、ベン・アフレックとマット・デイモンは共に売り出し中。いろいろとインディーズっぽい映画につるんで出てくる事が多かった。アフレックが「とても愛嬌がある」なんて、その後様々な女優人と浮き名を流す事になるわけだからシャレにならないが、このときはアフレックもデイモンも若々しくともに好青年そのものだった。
(ブログ「大いなる遡行」2005/10/07記事より転載)

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2005年11月01日

1998年8月16日(日) 「キリコの風景」

 シネマスクエアとうきゅうで「キリコの風景」(no.126)を観る。

 脚本が森田芳光。監督の明石知幸は「キッチン」など数多くの森田作品の助監督を努めた人だそうだ。

 そのせいかまるで森田自身が撮ったかのような作品に思える。しかも「メイン・テーマ」や「の・ようなもの」などを撮っていた初期の森田監督を思わせるような静かな緊張感とエネルギーが画面から感じられる。それでいて絶妙な間を活かした登場人物どうしの会話が、そこはかとない笑いをさそう。

 杉本哲太、利重剛、勝村政信という取合わせもなかなかいい。元TMNの木根尚登が音楽を担当し、そのうえ出演までしている。今年の夏休み締めくくりの映画としては上出来の1本。しかし「愚か者・傷だらけの天使」といい「SF」といい、日本映画の健闘がひかる夏だった
(「大いなる遡行」2005/10/05記事より転載)
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1998年8月29日(土) 「暗黒街の女」「キスト」

 シネ・ヴィヴァン六本木で「暗黒街の女」(no.128)を観る。

 ニコラス・レイがハリウッドで最後に撮った作品。

 前に観た「孤独な場所で」も一風変わった独特なテイストをもったハリウッド映画だったが、この作品もそうだ。ヒロインの踊り子とギャングの顧問弁護士とのラブ・ストーリーは、暗黒街の暗がりを背景にした「めぐり逢い」だ。

 主役の二人も渋めの玄人受けする俳優で、ギャングのボスに至っては、あの「11人の怒れる男たち」のリー・J・コップときている。今のハリウッド映画に食い足りない人には最適のひとくせある映画だ。

  昼食後、銀座に移動してシネスイッチ銀座で「キスト」(no.127)を観る。

 子供の頃から鳥や獣の死体に魅せられた少女がやがて成長して、死体に近づくため斎場の下働きを始める。さらに死体との接触(セックス)を求めてバーミング(防腐処理)技術を学ぶようになる。この想像を絶するネクロフィリア(死体愛好者)の女性の生き方・考え方を、出来るだけ理解しやすいように(そんなことは無理なんだけれど)、分かりやすいように、詩的で美しく描いている。

 主役のサンドラ役のナターシャ・モーリーもぬけるような白い肌をしたスレンダーな美しい女性なので、自分の行為を正当化する話に思わず耳を傾けてしまうが、やはりこういった嗜好を美しく描く事に疑問を感じてしまう
(「大いなる遡行」2005/10/04記事より転載)
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2005年10月23日

僕の選んだ1998年映画ベストテン

 1998年の映画ベストテンを最初に公表しておくのを忘れてました。年間を通してどんな映画を観てきたかをまず最初に知っておいてもらおうという趣旨です。

 1999年の時は、それとは別に「お気に入り10本」をあげていたのですが、1998年当時は特にそんな趣向はやってませんでした。これは1998年分を全部公開した後で改めて10本選んでみたいと思います。

 では、僕の選んだ1998年映画ベストテンです。

1.桜桃の味(アッバス・キアロスタミ)
2.ゲット・オン・ザ・バス(スパイク・リー)
3.シーズ・ソー・ラヴリー(ニック・カサテベス)
4.HANA-BI (北野武)
5.ハムレット(ケネス・ブラナー)
6.バンドワゴン(ジョン・シュルツ)
7.ダークシティ(アレックス・プロヤス)
8.ディープ・インパクト(ミミ・レダー)
9.ムトゥ踊るマハラジャ(ケー・エス・ラヴィクマール)
10.追跡者(スチュワート・ベアード)

(「大いなる遡行」2005/10/03記事より転載)
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1998年8月30日(日) 「夏の夜の夢」

 都営三田線千石駅下車の三百人劇場で「夏の夜の夢」(no.129)を観る。

 言わずとしれたシェイクスピアの戯曲だ(何故、「真夏」が「夏」になってしまったのか?)。

 イギリスの伝統あるロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの舞台劇を映画化したもので、映画と舞台との両方の要素を持ち合わせたあやしげな作品になっている。ここであえて「あやしげ」と言ったが決して非難しているのではない。いい意味でだ。

 舞台劇でありながら、ズームや俯瞰などの映画的手法をうまく取り入れる事で、舞台を映画化する際に陥りがちな臨場感の欠如を見事に補っている。

 現代劇としてでも十分に見応えのある今回の演出で、この戯曲を観てしまうと、他の演出の舞台は観られなくなるかもしれない。それくらい楽しめた。
(「大いなる遡行」2005/10/03記事より転載)
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2005年10月04日

帰ってきた「大いなる遡行」!!

 この「カンガルーは荒野を夢見る」は基本的に読書と映画のブログです。

 もちろんそれは僕の個人的な趣味を反映した結果ですが、何故か大抵のランキングサイトでは「読書」と「映画」というジャンルは遠く離れている感じがします。

 読書というと「生活・趣味」の下に分類されていて、映画というと「エンターテイメント」の下にカテゴライズされていたりします。ということは読書というのは生活に密着したライフスタイルに近いもので、映画のように娯楽性の高いものとは大きく異なっているという事なのでしょうか?

 これは僕にしたらすごく意外な気がします。映画が娯楽というとわかりやすいですが、映画そのものが大きくライフスタイルに影響を与える事もありますし、読書を単にエンターテイメントとして読む場合もある。メディアの違い、表現形態の違いはあるにしても、それほどジャンルが違うという気がしません。

 ただし映画は映画館で観るべきだという趣旨からすると、読書のように生活の隙間にやすやすと入り込めるのとは対照的に、映画は週末に余暇としてわざわざ体験しにいくものという現実があるのかもしれません。それでも最近はレンタルビデオで観る割合が増えているので、その意味ではやはり大きな差はないのではないでしょうか?

 とにかくランキングサイトでのカテゴリーが大きく異なる事から、僕が当初考えていた「読書好き・映画好き」の人が立ち寄りやすいブログというのは、意外と難しいようです。なにしろこのブログでランキングサイトに登録する場合はすべて「読書」のカテゴリーにしているわけで、映画好きの方が立ち寄ってくれる可能性は極めて低いのが現状です。

 というわけで、当初別ブログを立ち上げて店じまいした映画ブログ「大いなる遡行」を再度店開きする事にしました。これはそのお知らせです。

 ただし、時間をちょっとだけずらしてこのブログでも、今後「大いなる遡行」記事をアップしていきます。あくまでこのブログは「読書と映画」の2本立てにこだわりたいと思います。ですから従来通り読書好きで映画好きの方は、こちらをごひいきにしてくださいませ。

 その上で、映画好きの方で実は書評記事などはどうでもいいという方は「大いなる遡行」の方へお立ち寄りください。こちらは主に映画・テレビドラマなどを主として取り扱っていきます。

 それと既に店開きして品揃えが「遡行」一本ではつまらないので、別の企画もスタートさせました。題して、

 「僕のニュー・シネマ・パラダイス」

というのがそれです。これは僕の映画好きの原点を振り返ろうというものです。僕がたぶん初めて意識して観たであろう映画から現在へ現在へとたどっていく予定です。



 
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2005年09月15日

1998年9月5日(土) 「ヴィゴ」

 渋谷のシネ・アミューズで「ヴィゴ」(no.130)を観る。

 フランスの有名な映像作家ジャン・ヴィゴの生涯を描いた映画。

 若くして数本しか作品を残さず死んだので伝説的な存在となっている(日本で言うと山中貞雄といったところか)。実は私も一本も観ていない。

 「操行ゼロ」「アタランタ号」は映画の歴史を語る時、かならず取り沙汰される作品だが、その時代を先取りしたような実験性が評価されるようだが、知らない作家の人生には、好奇心以上の思い入れは残念ながらもてない。

 映画自体も映画作家としての人生というより、ジャンとリデュの愛情物語に終始していて、手回しカメラを回し続けるシーンにもヴェンダーズの「ベルリン物語」の主人公のような「映画への愛」はあまり感じられない。

 美しいラブ・ストーリーではあるけれど、それだけだったのは残念だ。
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2005年09月14日

1998年9月6日(日) 「スクリーム2」「キリコの風景」

 東急新宿で念願の「スクリーム2」(no.131)を観る。

 念願のというのは「スクリーム」を見損なってずっと心残りだったからだ。決して好きとは言えないジャンルだが、犯人当てという魅力的な仕掛けにどうしても私のミーハー心を引きつけるものを感じてしまう。

 怖いものは怖いので、当然ながら朝一番の回を観る。映画館を出て辺りが暗いのはよろしくない。結果。予告では前作より殺人率アップと謳っていたが、それほど全編人が殺されるという印象はない。

 ただ正直言って冒頭の映画館のトイレで殺されるのはまいった。たしかに映画館のトイレってひとけがなくなる瞬間があって妙な静けさに包まれながら用をたす事がよくあるからだ。勘弁してよって感じだ。それ以外は思ってた程じゃなかった。全身に何度も力が入ったけれどね。

 ラストの謎解きは、前作を観てない人はちょっとピンとこないだろう。実は私は中盤で犯人が分かってしまった。どうしてかはネタバレになるのでここには書けない。

 映画を見終わって1:00PMに会社のYさんと紀伊國屋で待ち合わせて昼食。

 シネマスクエアとうきゅうで「キリコの風景」(2度目)を観る。

 Yさんは元TMの木根尚登とお気に入りの利重剛が出るので前から観たがっていた。来週には終わってしまうので今週末が最後のチャンス。

 私はと言えばやはり森田芳光本人が撮ったような独特な雰囲気に引かれての事だ。独特な間、シニカルな笑いと緊張感の繰り返し。それと今回感じたのは「キリコ」の飄々と人生を生きるたくましさ。

 生きるって大変でも何でもない。あんたも真面目に生きてごらん

 と、いとも簡単に言い放つキリコが、何事もなかったかのように洗濯物を干すシーンでこの映画は終わる。そのあっけらかんとした壮快さが楽しい
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2005年09月12日

1998年9月11日(金) 「BEAT」

 17:00に仕事をあがって、Tさんと新橋のヤクルトホールで「BEAT」(no.132)の試写会を観に行く。

 主題歌を歌っているtohkoが来て試写の前にミニライブを開いた。舞台にピアノをしつらえて弾き語りで主題歌を含めて4曲演奏し、ヒット中の「ふわふわふるる」を歌ったので、映画とライブ、2度おいしい試写会だった(羨ましいだろう〜)。

 映画の方は、監督が演出家・宮本亜門で、主演が内田有紀、真木蔵人という話題作だ(どこが?)。

 60年代、米軍統治下の沖縄で生きるミチとタケシのラブ・ストーリーだが、わざわざ歴史上不幸な時代だった時期の沖縄を舞台にした理由が描き切れていない。作家の言いたい事が未消化に終わって観客に伝わってこない。

 たとえばゴキブリやら馬の糞やら死体から湧くウジムシやらの汚い映像は、当然ながら沖縄の鬱屈した状況を精一杯映像化して見せようとした作家の言わば小細工で、理解できないわけではないが、伝わるものは少ない。

 日本とアメリカに2重に裏切られた沖縄の悲しみをもっとうまく描けたら、ラストの打ち上げ花火(実は爆弾)をミチとタケシを結び付ける「天使の矢」に見立てたエンディングも、分かりやすくなったのに。

 宮本君、勉強がたりんよ〜
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2005年09月07日

1998年9月12日(土) 「スライディング・ドア」「ライブ・フレッシュ」

 有楽町スバル座で「スライディング・ドア」(no.134)を観る。

 主演が「セブン」「大いなる遺産」のグウィネス・パウトロウ(なんて発音しにくい名前だ)。「大いなる遺産」から彼女にハマリつつある。女優で映画を観るのは、アネット・ベニング主演の「めぐり逢い」以来だ。

 「大いなる遺産」ではお高くとまった富豪令嬢役だが、今回は現代的で活撥で寂しがり屋の、普通の女性だ。会社をクビになった彼女が閉まろうとする地下鉄に乗ろうとする瞬間、彼女の運命は二つに分かれる。

もし電車に乗れたら?もし乗れなかったら?

このアイディアだけでも一見の価値あり。

 ただし、監督にいまひとつ笑いのセンスがないのか、それともウッディ・アレンの「マンハッタン」を意識しているのか、笑い飛ばせるところが少ない。舞台は整っているのに演出が足りない、そのもどかしさ。

 ラストになってちょっとぐっとくる。やはり月並みながら「赤い糸の伝説」は健在だというロマンティックな結末がうれしい。

 シャンテ・シネで「ライブ・フレッシュ」(no.133)を観る。

 スペイン映画監督ペドロ・アルモドバルの作品。こんな映画、ちょっとお目にかかった事がない

 5人の男女がいて、それぞれが愛したり憎んだりしている。愛情がつのって嫉妬や憎しみを生み出し、逆に憎しみから愛情へと変わっていく人の心の闇の部分をうまく取り出して描き出している。

 だから怖い。ルース・レンドル原作の怖さ以上に、心の渇きを埋めようとする利己心の醜さの描写が怖い。それでいてラストがハッピーエンドなのも意外と言えば意外だ。実は冒頭の回送中のバスの中で子供を産んでしまう娼婦の不思議なエピソードが、ラストのハッピーエンドを準備していたのだ!
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2005年09月05日

1998年9月15日(火) 「CUBE」

 敬老の日。シネ・ヴィヴァン六本木で「CUBE」(no.135)を観る。

 朝一番の回(11:00)の20分前に行くと既に立ち見。おまけに次回の行列ができている。どうせ待つなら立ち見で観た方がいいので入場したが、中の通路も後部もぎっしり。後部中央で立ち見の頭の間から覗くようにしてなんとか観ることができた。

 立方体に閉じ込められた数人の男女。何故ここに連れてこられたのか誰も記憶にない。しかもどの面にも同じような出入り口があり、扉を開けると向側にも同じ立方体の部屋がある。その上、数々の罠が仕掛けられていて誤った部屋に踏み込むととたんに死が訪れる。

 どんな目的があるのか納得出来ないままに彼らは脱出の道筋を求めて移動する。やがてこの部屋が1辺が26の17,576部屋のキューブだとわかり彼らは絶望の淵に落ち込む。

 冒頭から不条理な極限状態に観客を追い込み最後までサスペンスを絶やさない。脱出するための数学的な謎解きは理解しづらいが、わけがわからなくても映画そのものの面白みを損ねる事はない。
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2005年09月01日

1998年9月20日(日) 「ダロウェイ夫人」「スプリガン」

 神保町の岩波ホールで「ダロウェイ夫人」(no.137)を観る。

 このホールに来るのは久し振りだ。良質の映画をゆっくり観る事ができるのは確かだが、芸術面を重視するあまり娯楽としての映画を軽んじているような提供の仕方をするこのホールの雰囲気が今一つなじめない。

 映画は英国のヴァージニア・ウルフ原作の映画化。

 老いたダロウェイ夫人が若き日の華やかな時代を回想し、自らの人生を顧みる。若き日は大胆で生き生きとしていたのに、今ではつまらないパーティの成功にあれやこれやと気をつかっている。

 私の生き方は正しかったのか。今の私は既に屍同様なのではないのか。そんな心情を実際の台詞に独白を差し挟む事で描いていく。

 原作は読んでいないが、ダロウェイ夫人とは面識もないある戦争帰りの若者が精神を病み自殺したという話が偶然夫人の耳に入りショックを受けるというエピソードが、この映画のクライマックスだ。しかし、どうもその描き方はあまり分かりやすいとは言えない。原作を読んでいるのならまだしも、映画としてはもう一工夫欲しいところだ。

 有楽町に移動。マリオン9Fの日劇東宝で「スプリガン」(no.136)を観る。

 大友克洋・総監修のアニメだ。

 ノアの方舟が発見され、ペンタゴンの特殊工作部隊が狙ってくる。これに立ち向かうのが古代遺跡を封印する特殊工作員スプリガンだ。こちらも原作があるが要領よくまとめてあってあまり説明的でないのがいい

 大友が監修しているだけあって人物も風景も見応えがあるが、「AKIRA」のようなサイバーパンクではないので、絵としてはちょっとおとなしい感じ。ただ陰影のつけ方、ソフトフォーカスや粒子の粗いフィルムで撮影したような画面の質感などが独特だ。

 しかもズームや移動、モンタージュなどなど映画的な手法を局限まで使い込み、さらに霧や砂煙や爆風などをCGで味付けして、非常に実験的な映画という感じがした。
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2005年08月31日

1998年9月23日(水) 「スワロウテイル」

 秋分の日。テアトル新宿で《静かなる俊英岩井俊二特集》の一本「スワロウテイル」(no.138)を観る。

 岩井俊二監督作品で唯一見逃している映画だった。三上博史や江口洋介、山口智子という俳優のラインナップや彼らが中国語や英語をあやつるシーンがある事などを知って軽薄な演出にならないかと危惧していたが、予想していたより面白かった。

 特に娼婦グリコ役のCharaの演技が最高だった。娼婦でありながら純粋さを失わない。こんなアンバランスなニュアンスを演じられる若い女優は今のところ他にいない。「FRIED DRADON FISH」「PICNIC」などとともに岩井監督のエキゾチックな一連の作品には欠かせない女優だ。
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2005年08月29日

1998年9月26日(土) 「愛を乞うひと」「アナスタシア」

 有楽町の日劇東宝で「愛を乞うひと」(no.140)を観る。

 ヒロインの照恵は幼い頃亡くした父のお骨を探し求めている。父には死に別れ、一緒に暮した母は執拗に照恵を折檻した。その悲惨な思い出をぬぐいさるためにも優しかった父の遺骨を求めて遠く父の故郷・台湾に娘と旅立つ

 照恵の子供時代から社会人になるまで子役を含め3人の役者を使い、4人目を原田美枝子が演じる。この事をとっても非常に丁寧な作りをした映画だとわかる。

 久々に日本映画の王道を行くような内容で、照恵が母親にひたすらいじめられるシーンを淡々と映画は写しだしていく。それと交錯するように父との楽しかった思い出や現在の娘一人を抱える母としての照恵の姿を描いていく。

 照恵と二役の原田美枝子の母・豊子の激しい生き方が見事だ。そして子役の2人がいじらしい程可愛い。父に連れられていく幼少の照恵が雨の中、母を振り返る時の呆然とした顔は決して忘れる事ができないし、母にいじめ抜かれても母を愛そうとする照恵の表情もいじらしくて忘れられない。

 こんな直球勝負の演出が出来る平山秀幸監督に拍手したい。なお、この日は初日で、原田美枝子、中井喜一以下3人の照恵役も含めて舞台挨拶あり。役と違った子役の可愛らしさに脱帽。

 日劇プラザで「アナスタシア」(no.139)を観る。

 ロシア皇帝の娘アナスタシアがロシア革命とともに行方不明になる。10年後、記憶を失った孤児アーニャが唯一の手がかり「パリで逢いましょう」というペンダントの言葉に従ってパリへと旅立つ。

 20世紀フォックスがディズニーに負けないアニメを作ろうと意気込んだだけあって見事な出来と言っていい。ただ残念ながらストーリーが古臭い。ラスプーチンにより呪いをかけられたロマノフ王朝の末裔アナスタシアの行く手を再び地獄から舞い戻ったラスプーチンが邪魔をする。この設定はかつての東映アニメ「長靴をはいた猫」そのままだし、おまけにアニメでミュージカルをやるところにもちょっと抵抗を感じてしまう。

 それ以外でも、モーション・キャプチャーで再現した人物の動きや顔の表情、唇の動きなどがどうも出来損ないの人形を思わせる。つまり腹話術の人形に思わず笑ってしまうように、あまりに人間に似せてしまったためにアニメのキャラクターとしての造形美を失っている。これは日本とアメリカの文化の違いなのかもしれないが、どうも今一つなじめなかった。
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2005年08月26日

1998年10月3日(土) 「シティ・オブ・エンジェル」「ムーラン」「ベル・エポック」

 丸の内ピカデリー1(マリオン9F)で「シティ・オブ・エンジェル」(no.143)を観る。

 ヴェンダースの「ベルリン・天使の詩」のリメイクだ。監督はブラッド・シルバーリング。若手の監督だ。

 天使の黒ずくめのコスチュームと両手を広げる時のシルエット。海岸での天使たちの配置、図書館の吹き抜けの通路から一斉に天使が主人公の二人をのぞき込む構図などなど。すべてがスタイリッシュな映像で現代の都市に住み着く天使がいかなるものかを見事に見せてくれる。

 期待させてくれた割りには肝心の天使と人間のラブ・ストーリはあまり感動的ではない。思うに天使が天使のままで人の目の前に姿を現わすことができるという設定は、「天使が人間になる」というクライマックスを台無しにしている

 そうせざるを得なかったのは、やはり監督の力量不足ゆえに単なる男と女のラブストーリーという枠組み(男女の出会いとすれ違い)を越えられなかったからに違いない。

 「ベルリン」に住む天使は、大戦や東西の壁といった不幸な歴史を見すえた上で、癒されない心を持つ女性に恋する天使だった。「アメリカ」の天使には歴史の視点がなく、単なる現代的なラブ・ストーリに過ぎない。

 日比谷映画で「ムーラン」(no.142)を観る。

 映画館でディズニーのアニメを観るのはこれが初めてらしい。ディズニーのマークが映しだされるのを初めて見た。

 正直期待してなかったのだが、とにかく面白い。素晴らしいの一語に尽きる。非常にシンプルな英雄譚だが、人物造形が明確で映像もドラマチックなところが随所に見られる。

 出だしムーランがお見合いに向うところから一家の人物を手際良く描き、戦争で足を悪くした父以外に男手のない一家では、無事にムーランが良縁に嫁ぐことを願っていることがわかる。

 お見合いがうまくいかず、父のことを思いがっかりするムーラン。そして父が再度戦場に赴かねばならないと知って、密かに父の代わりに男として戦場に向う決意をするムーラン。冒頭から見事な手際でドラマチックなシーンを演出している。

 お供のドラゴンのムーシューやコオロギがちょっと中国風とは言えないのがやや難だが、往年の東映アニメ「長靴をはいた猫」を思わせる一大ファンタジーに仕上がっている。

 シャンテ・シネで「ベル・エポック」(no.141)観る。

 監督は「バタアシ金魚」の松岡錠司。今回も漫画が原作らしい。どうもどろどろしたラブストーリーより感覚に訴えかけるものがお好みのようだ。

 というわけで、キャリアをもつ5人の働く女性たち(正確には一人が結婚退社後バツイチになっている)の恋や仕事に揺れうごく姿をそれぞれに描いてはいるが、リアリティがあるようでどこか物足りない

 生き方がきれいごとだとは言いたくないが、絵に描いた餅のような描かれ方。どいつもこいつも頭を抱えて悩んでる表情を見せるけれど、それぞれの気持ちが伝わってこないのでいずれのエピソードも単調なばかりで面白みに欠ける。

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2005年08月25日

1998年10月4日(日) 「ラスト・ウェディング」

 シネスイッチ銀座で「ラスト・ウェディング」(no.144)を観る。

 実話に基づいてつくられたと冒頭に字幕で説明されるように、中年のカップルが女性の病を乗り越えて死ぬ前に結婚式をあげようとする話を思いいれたっぷりの演出と映像で描いていく。

 舞台となる西オーストラリアのロットネスト島の風景は目が覚めるほど美しい。リゾート気分満載の中でひたすら死の予感さえも感じさせずに物語は進んでいくし、途中女性が溺れるシーンがあるのをのぞけば結婚後の葬儀のシーンまで死の影はほとんど映像からは感じられない

 素敵なリゾートには不吉なものは似合わないと言わんばかりのお気楽さで、どうも観光宣伝の映画としか思えない。エマを演じる女優は愛嬌がある顔立ちだし、ハリー役のジャック・トンプソンも子供っぽさの抜けない中年おやじを好演しているけれど、クローズアップとスローモーションの多用の演出には興ざめだ。
posted by アスラン at 20:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画評(1998年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月18日

1998年10月6日(火) 「プライベート・ライアン」

 昼食後、有楽町に出て日劇東宝で「プライベート・ライアン」(no.145)を観る。

 平日にも関わらず結構大入りでほぼ満員状態

 何故大受けなのか訳が分からない。スピルバーグでアカデミー最有力候補という謳い文句が効いたのだろうか。

 内容は、戦地で同時に二人の息子を失った母親に報いるために、末息子のライアン二等兵を戦場から救出する命令をおびた部隊の物語だ。そもそもがあまっちょろいヒューマニズムなのだが、一人を助けるために何人もの人々が命を賭けるという不条理なシチュエーションを持ち込む事でヒューマニズムを際立たせようとしている。

 そのためにスピルバーグが取った戦略はドキュメンタリーのように生々しい戦場の映像を冒頭から嫌というほど見せつける事だ。腕はもげ、内臓が腹から飛び出る。リアルというよりスキャンダラスな映像だ。恐らくは手持ちのカメラを望遠にして撮影していて、手振れの激しさが一層の臨場感を誘う。

 圧倒的な存在感のある戦争映画をスピルバーグは作ったのだろうか。あるいはそうかもしれない。だがスピルバーグらしさはどこに見られるのだろう。映像のマジックを様々な形で見せてくれた彼の想像力のきらめきはどこにあるというのか

 いびつではあったが限りなく戦闘機への憧れをあらわにした少年を描いた「太陽の帝国」の方が、同じ戦争映画でありながら全編にスピルバーグらしい無邪気さを見いだす事ができたというのに。
posted by アスラン at 00:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画評(1998年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月13日

1998年10月11日(日) 「アイス・ストーム」

 銀座テアトル西友で「アイス・ストーム」(no.146)を観る。

 「いつか晴れた日に」のアン・リー監督の新作だ。

 彼の作品はいつでも家族が大きなテーマとして扱われる。今回は1970年代のアメリカの家族が描かれる。ちょうどニクソンのウォーターゲート事件が取り沙汰されたりベトナム戦争の撤退が叫ばれたりした時期で、強いアメリカに陰りがみえる。国が病みつつあると同時に、一見幸せそうな家庭も実は崩壊寸前の状況であることがわかってくる。

 父親は隣家の夫人と不倫、母親は無関心を装いストレスから万引きをしてしまう。娘は左翼思想にかぶれ親に反抗して隣家の男の子たちを誘惑する。長男は親元を離れているが、仮面をかぶった家庭を毛嫌いしている。

 どこかで観た風景だと思ったが、アカデミー賞をとったロバート・レッドフォードの「普通の人々」に雰囲気が似ている。ただこちらの方が現代の抱えている問題を具体的に描きだしている。さらに言えばラストで隣家の息子が嵐の晩に事故死するのを期に、心に深い傷を負いながらも夫・妻・娘が、帰ってくる息子を駅に迎えにいくシーンが家族が一つにまとまる予感を感じさせてくれる。

 ただ70年代というのはそれほど象徴的な時代だったのかな。90年代の今の家族を描くことはできなかったのだろうか。ぜひ次回は「推手」のような現代の家族を描いて欲しい。

カチンコ
 今思い返せば結構渋い配役。父がケヴィン・クラインで、娘がクリスティーナ・リッチ。そして息子が「スパイダーマン」のトビー・マグアイアだ。シガニー・ウィーヴァーやイライジャ・ウッドなども名を連ねている。

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posted by アスラン at 11:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画評(1998年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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