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2012年06月26日

発見!角川文庫2012、始まる

 昨日は休みだったので、平日の書店ののんびりとした雰囲気を味わった。すると、角川の「夏の文庫フェア」がいち早く始まっているのに気づいた。書店側も並べ立てという感じで、派手派手しいところはまだ感じられない。今週中にはナツイチが参戦するだろうから、そうなると競い合いで賑やかになっていくだろう。

 目当ての小冊子がなかなか見つからない。先行して文庫だけ並べてあっても小冊子が用意されないのは例年の事だからなとあきらめていたら、ひっそりと文庫と文庫の合間に平積みされていた。あった、あった。今年の「発見!角川文庫」のテーマは〈祭り〉のようだ。

 今年も「夏の文庫フェア比較記事」を企画しているが、今年は少し趣向を変えるつもりだ。と、誰に予告するわけでもない。自分に対する一種の宣告みたいなものだ。さっそく、今朝の電車の中で角川文庫のフェア本の「品揃え」を調べだしたところだ。
posted by アスラン at 13:06 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(電車でカフェ気分) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月04日

またやっちまったい!目黒考二さん、ごめんなさい

 久々の日記なんだが、おわびの内容になる。誰に対してのおわびかと言えば、僕にとっては「笹塚日記」で有名な目黒考二さんに対して、だ。昨日、ようやく十年越しぐらいになるが、「笹塚日記」全4巻を読了した。「ご隠居編」で終わってしまった日記の愛読者としては感無量というしかない。その気持ちを最後の書評で書き連ねたいと思っているが、まずは読了リストに追加した。さらには僕のブログの右サイドの「最近読んだ本」に追加した。

 これで安心だ。そう言えば、一つ前の「うたた寝篇」の書評を書いたが、それは「書評(タイトル名)」と「書評(著者名)」の記事にきちんと追加されているかを確認しよう。うん、うん、ちゃんと載せてある。これでよし、これでよし。

 すると気になってきた。この「ご隠居篇」で完結したわけだが、ではこれからは目黒さんの動向をどうやってフォローしていけばいいんだろう。同じような日記を書いてないか。あるいは本としてまとまっていないか。それが知りたくなった。確か「Web本の雑誌」で中年男性向けの書評エッセイを書いていたはず。この「ご隠居篇」でもなんどか採り上げられていて、ある編集者のブログで「官能的な本ばかり採り上げている」と指摘してされていて本人がぶっとんだといういわくつきの連載だが、あれもとうに本になったらしい。

 そこで、図書館の予約システムで「目黒孝二」で検索してみると、アレレ、1件も検索されない。立川図書館でも川崎図書館でもダメ。ひょっとしたら別のペンネーム「北上次郎」で統一されているのかと思って検索してみたが、こちらはこちらで「北上次郎」名義の本がリストアップされる。うん?ひょっとして僕は大変な勘違いをしてきたのかと、あわてて「笹塚日記」というタイトルで検索する。出るぞ、ちゃんと。でも…。うわ〜〜。

 目黒孝二ではなく、目黒考二だった。それはそうだ。たしか「うたた寝篇」か「ご隠居篇」か忘れたが、名前の由来に触れている記述があって、〈孝二〉ではなく〈考二〉だと言ってたではないか。でもさすがに今回の書評だけの間違いで、基本的にはタイトルと作家名は図書館の検索内容からコピペする事が多いので、それ以前は間違えていないはず。と思って、自らのブログの記事を「目黒孝二」で検索すると、あるわ、あるわ、続々と間違いが見つかる。僕は最初の「笹塚日記」読了時からずっと、「孝二」で通してきたらしい。本当にすみません、目黒さん。

 こういった事は初めてではない。粗忽者なのです、僕は。「日本語の作文技術」という名著を書いたジャーナリスト本多勝一さんの事を、このブログでもなんどか採り上げた。「中学生の作文技術」という本も書評で詳しく内容を紹介した。そしてぬけぬけと著者名として「本田勝一」と書いて平気でいたのだ。それに気づいてあわてて、そのときもお詫び記事を掲載し、遡ってブログの「本田勝一」を駆逐して「本多勝一」になおした。

 今回も恥ずかしいのでいち早く「目黒孝二」を駆逐した次第だ。今後もやってしまうかもしれないので、定期的にチェックするのがいいと思うが、この記事だけからは「目黒孝二」を駆逐すると、わけのわからない文面ができあがってしまうので、この記事のみ「孝二御免」とします。いやはや、ゴメン、ゴメン。
posted by アスラン at 12:51 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(電車でカフェ気分) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月16日

続・この夏、「邪魅の雫」に追いつくか

 7月21日付の記事で、僕はだいそれた決意表明をしている。タイトルは『この夏、「邪魅の雫」に追いつくか』だ。以下、一部引用しよう。

[引用]
 と思いきや、またまた現在の最新作「邪魅の雫」が文庫になってしまった。ここはどうしても本腰を入れて、最新作に追いつかねばならない。ついせんだって、「狂骨の夢」「鉄鼠の檻」まで読破した。今は忙しい読書計画の隙間に「絡新婦の理」を入れて読んでいる。この夏に、いったい「邪魅」まで追いつくことができるだろうか。あとは、
「絡新婦の理」
「塗仏の宴 宴の支度」
「塗仏の宴 宴の始末」
「陰摩羅鬼の瑕」
そして
「邪魅の雫」
あと5冊もあるのかぁ、がんばれ。
いや、スピンオフ短編集を忘れてた。
どうやら「陰摩羅鬼」のの前に
「百鬼夜行 陰」
を入れれば、京極堂シリーズとしては収まりがいいようだ。あと6冊、気合い入れてけぇ〜。
[引用終わり]


 結論から言おう。いまだ「邪魅の雫」には追いついていない。ただ頑張った。

「絡新婦の理」(済み、再読)
「塗仏の宴 宴の支度」(済み、再読)
「塗仏の宴 宴の始末」(済み、再読)
「陰摩羅鬼の瑕」(済み)
「百鬼夜行 陰」
「邪魅の雫」


 箱本を集めて再読の山々を越え、ようやく初めて「陰摩羅鬼の瑕」を一昨日の深夜に読み切った。長編だけで言えば追いついたわけだが、スピンオフ短編集の「百鬼夜行 陰」は最読ながら残っている。正直よく頑張った。この期末で忙しい時期に。エラいぞ、僕。

 などと自分で自分を誉めてあげてもいいのかもしれないが、ちとそれには早合点がすぎるようだ。何故なら「陰摩羅鬼の瑕」を読みだして早々と、記憶にない登場人物が再登場する。僕にとっては初めてだが、すでに京極堂と馴染みがある。さらに、記憶にない事件について触れられる。「出羽の即神仏(ミイラ)」とはなんだ?即神仏と言えば「狂骨」ではなかったか?でも、彼は伊豆だったはずだ。

怪しみながら読み進めると「多々良」という人物名が出てきた。なるほど。いや、感心している場合じゃないぞ。これって、別のスピンオフ短編集じゃないか。そこまで読まないといけないのか。いや、いっそ、スピンオフ3冊全部を読まないといけないのかな。

いやはや、まだ一山あるなあ。
posted by アスラン at 19:00 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(電車でカフェ気分) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月05日

路地の猫(2009年7月1日)

 7/1は半ドンの日だった。小中学生でもないから半ドンなどというのは「大人にとっての死語」なのだが、今の子供たちが「半ドン」の意味も使い方も習っているとは思いがたいので、もはや真性の〈死語〉なのであろう。

 とにかく半ドンで久々に日の明るいうちから会社を出た。用があって飯田橋に出て、そのあとはお決まりの神保町に移動して昼食と本屋逍遙だ。昼食は「キッチン南海」のカツカレーか、ひらめフライ&生姜焼き定食だ。「か」というのは、すでに一月以上たっていて何を食べたか忘れてしまったからだが、少なくともこの2品以外は注文しないので、いずれかであることは確かだ。

 満腹になったお腹をかかえ、東京堂書店に寄った事も確実だ。その証拠に、ケータイに店内を経巡って見つけた本のメモが残っていて、
7/1東京堂
レッドデータガール
科学にときめく
海岸線の歴史
あれから

とある。それぞれ何が面白くてタイトルを拾ったかのか。これも一月以上も前のことなので忘れた。詳しくは著者や内容を調べれば思い出すだろうし、そうなったら改めて「積んどくよ!」コーナーで〈読みたい本〉として紹介する事になるだろう。

 今日は、とにかく半ドンの日の足取りが優先だ。お腹もくちたし、本好きの楽しみもくちたので、散歩を満喫しよう。三省堂書店の裏門のある路地から靖国通りを渡り、マックと元三省堂別館(いまはがら空き)の間の通りをいく。ここから、錦華小学校沿いにY字路を右に行けば、お茶の水駅への最短路なのだが、今日は左をまっすぐ行く。なにかぶらぶらと半ドンの日の〈あてのなさ〉を楽しみたいのだ。すると、軒先がちょっと古風で、京風のアンティークショップを思わせる古書店が目に入った。店名を「がらんどう」と言う。

 入ると、雑誌や文庫が雑然と、いろいろなガラクタと同居しておかれている。売れそうな準新刊の文庫などは一切ない。あの文藝春秋が出版していた趣味の雑誌「ノーサイド」があったりする。なかなか興味深い古書店だ。何があるかさっぱり予想がつかない。それだけに楽しい。

 壁を見上げると〈猫〉だ。街のノラ猫の愛らしい写真が飾られている。こうなると猫好きの(と言っても飼い主になるほどの思い切りはないのだが)ワクワク感がうずいて、目が離せなくなった。ミニ個展が開かれていたのだ。なるほど、変わった古書店だ。

 「路地の猫」と題されて、写っている猫は、岩合さんの「ニッポンの猫」や「ノラ」などともひと味違う、愛らしさと自立心が同居している猫ばかりだ。本棚の上部には、猫の写真をあしらったマッチ箱が置かれていたり、手作りのミニ本で、猫の写真に詩のような一言が添えられた写真集があったりする。

 この手作り写真集は「路地の猫」以外にもいくつかのタイトルがあり、一冊500円で売られている。どうしても欲しくなり、じっと見比べては、こちらの本は、壁のあの写真があり、あっちの写真は別の写真集に入っている。できれば両方とも欲しいけどなぁ。1000円は予算オーバーだなぁ。などと考えあぐねて、最終的に個展タイトルと同じ「路地の猫」を購入することにした。

 レジに出てワンコインを出すと、横から店主ではない女性(店主もきぷのいい関西弁を話す女性なのだが)が出てきて「オマケ!」と言って猫の装幀のマッチをつけてくれた。この人が、個展をひらいた佐竹茉莉子さんだった。彼女から写真の説明をしてもらい、それぞれの被写体の来歴を教えてもらった。

 ある猫などは神楽坂に住まって顔なじみだったが、いつしか見なくなった。寂しい思いをしていたら、この写真を見た人が先日見かけたと教えてくれて、即座に探しにいって会えたという話。

 猫好きのご主人がノラが家の前を通るので飼いたいと思ったが、奥さんが大の猫嫌いで飼えない。仕方がないので、家のブロックを一部切り取って通りすがりの猫が顔を出せる穴をつくってしまったという話。

 どれも微笑ましい話だ。言いたくなって「僕も猫好きなんです」と言ったら、「わかります」と言われた。そうだよね、こんなにじっくりと見ていく物好きは珍しいだろうから。楽しいひとときを過ごして、店を後にした。
路地の猫20090701-01.JPG
posted by アスラン at 13:00 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(電車でカフェ気分) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月02日

ジブリ美術館でねこバスに乗ろう!(その2)

 本当なら地階でアニメの成り立ちをおさらいした後は、1階でジブリの制作現場や宮崎アニメの誕生する過程を見て楽しめる順番になっているが、なにぶんまだ3歳の我が子には作る側の話は難しい。一足飛びにエレベーターで2階まであがる事にした。2階にはおみやげを売るショップが人・人・人でごったがえしている。そういえば次の回の入場者がまとめて入ってきたからだろう。前回は目立たなかったが、ここジブリ美術館でも外国の観光客が増えている。

 ショップは後回しにしてぐるっと回ると、絵本などの出版物の展示・販売の部屋があり、その先が…「ねこバスだぁ!」

 通路側に壁のないオープンスペースに大きなねこバスが置かれていて、10名くらいの子供たちが暴れ回ってる。背中に乗る子、側面をすべり降りる子、バスの窓から中に入り込む子、周囲を駆け回る子。そしてソフトボール大のたくさんの真っ黒くろすけが外にも中にもある。息子の顔をうかがう。

 「遊びたい?」
 「…遊びたい」

 そりゃそうだろ。これをあそばないでどうする。でもだいぶ待ちそうだ。辛抱できるかな、うちの子は。ねこバスのスペースを取り囲むように数十人の子供たちとその保護者たち。外国人の女の子も楽しみにしている。一回が5分間で、三回分待たされた。子供たちの入れ替えの時間もあるし、遊び足りずになかなかバスから出てこない子供もいるから、30分は待たされただろうか。ようやく息子の番だ。

 どんくさい我が子のためにあらかじめ靴も靴下も脱がして満を持して送り出した。でも案の定どんくさい。ねこバスの顔に乗ったかと思うと、そこが気に入ったのか悦に入ってる。活発な女の子は天井に上って飛び跳ねたりしてる。比べると我が子は地味だなぁ。早くバスの中に入ってみろ。それでもようやく調子が出てきて中に入っては窓から出て、側面を登ってはずりずりとすり落ちてを繰り返したあげくに登りきった。それから斜面をそろりとおっかなげにすべりおりて、と…。まあ、あっと言う間の五分間を我が子なりに堪能したようだ。

ジブリ美術館20081018-03.JPG ねこバスの部屋に明るい日差しを取り込んでいるバルコニーにでると、そこから屋上に続く螺旋階段がある。階段好きの息子が興奮もさめやらずでズンズンあがっていく。屋上には「ラピュタ」に出てくる大きなロボットが立っている。主がいなくなって久しい天空の城にいて、花や小鳥を大切に守っていたあのロボットだ。その奥の小道のどんづまりにはキューブ状にカットされた大きな飛行石が置かれている。息子は大暴走して走り回るので、ロボットの前で家族写真を撮るどころの話ではなかった。

 降りてきたら休憩だ。僕ら脆弱な親には休憩が必要だ。2階の通路には「崖の上のポニョ」の特別展示があり、映画の名シーンのパネルが飾られている。予告編の映像も、ポニョのかわいい歌とともに流れている。おもしろいのは、主題歌がまだレコーディング前の仮歌という点だ。おなじみの女の子の歌声が一段とゆるいし、メロディや歌詞が微妙に違っている。そんなマニアックなお父さんの感慨に誰もとりあってくれず、再び三人はカフェ前の休憩スペースに戻る。

 今度は軽食販売コーナーでママがジュースを買ってくるのを我が子と待つ。さすがにテーブルもイスも空きがあった。ママはみかんのフレッシュジュースを2つ買ってきて、再び出ていった。ふつうのジュースとは違って日本のみかんを絞った濃くて甘酸っぱいジュースだ。大切に二人で飲もうね言ったら、いつもの「取り替えて」病が始まった。人のものがよく見えるのだ。

 息子が交換しようとしてテーブルをすべらせるうちにカップが倒れた。あぁぁ。呆然。テーブルは濃いみかんジュースであふれた。どうしよう〜。ホットドックとカフェオレを抱えて、やっと休めると近づいてきたママに、救いを求めるようにお父さんは視線をあわせる。事情に気づいたママもあきれ顔だ。ようやく係員が気づいて片づけてくれた。マックと違って紙ナプキンなどが置かれてないので、一時はどうなるかと思った。しかも代わりのジュースも用意してくれた。やれやれ。

 三人で一個のホットドックを仲よく分け合って休憩したあとは、気合いを入れて2階のお土産のショップに行く。とにかく立垂の余地がないほど人でごった返している。前回は誕生月のトトロのマグカップを夫婦で買って帰った。いまだに朝食に愛用している。息子にも買ってあげたいが、ママと誕生月がかぶってるんだよねぇ。他にカップを探してみたが、いいのは見つからない。結局あきらめて息子はポニョの下敷き、僕はポニョの人形付きストラップを買う。ママはバッチのストラップだったかな。

 さて、そろそろ帰りの頃合いだ。本当なら地階のホールでかかる短編アニメは何はなくとも観るのだが、上映時間をまったく調べてなかったなあ。降りてみると次の回がまもなくだが、すでにかなり並んでる。案の定、席はないが階段に座って観られると言うので並ぶことにした。チケットは入場の際にもらったフィルムの切れ端だ。透かして見ると、おぉ、白(はく)と千尋じゃないか。ママはと聞くと何だか分からないと言う。お互いのチケットを見せ合うと、ママのは「猫の恩返し」の一場面のようだ。すかさず〈千尋〉をママにぶんどられた。えぇー。

 前回はメイと子供のねこバスとの物語だったが、今回は「くじらとり」。始まるとジブリらしからぬ大人しい絵柄だ。チューリップ保育園を舞台に、我が子と比べるとだいぶん行儀のいい子供たちの微笑ましい一日を描いている。同じ保育園に一児を通わせる親としては身にしみる題材ではあるが、ジブリに来てまでみるには少々地味なんではないか。なんてことを考えながら観ていると、これがなかなか面白いので侮れない。

 保育園には二つのクラスがあって、4、5歳児組と3歳児組。3歳児組のしげるは年長クラスのやることなすこと、楽しそうでうらやましくて仕方がない。年長さんたちが始めた今日の遊びは船遊び。大きなブロックを組み立てて、さきっちょがとがった大きな船をつくって、名前を決めようとする。「ぞう!」「らいおん!」。船員たちが言い合うと、しげるも「らいおん!」と言う。でも船長さんは「きみは関係ないから黙ってて」とたしなめる。結局決まったなまえは「ぞうとらいおんまる」。目標は沖にでて、くじらをつりあげること。

ジブリ美術館20081018-04.JPG しげるは船員たちの目を盗んで船に近づいてさきっちょを崩してしまう。
「あっ!さわっちゃだめ。水が入ってきちゃうじゃないか」
「ちゃんとなおしたから、僕も連れてって」
「だめだよ。そもそも君のいるところは海なんだよ。おぼれちゃうんだから」

と言われて海と陸の境界線まで、すごすごとひきあげるしげる。すると、へさきから水が入り込んできて…。あっというまにまわりは海へと様変わり。そこからはアニメの魔法で舞台は海に変わり、なんとくじらを釣り上げて、さらには逆に陸地までひっぱってきてもらう事になる。陸地では女の子が花束を持って歓迎し、しげるはみんなをまとめてカメラで記念撮影する、というお話だった。

 エンディングのスタッフロールで、原作「いやいやえん」と出てきて、あっと叫んでしまった。そうか、あの名作児童書が原作だったのか。絵柄の謎もそれで納得がいった。面白いじゃないか。確かずっとずっと前に購入したきり、なんと実家におきざりにした本だった。是が非でも読んでみよう。そう思いながら我が子を見ると大満足したようだ。ひとつ向こうのママはお疲れ気味で、うとうとしてしまったらしい。

 さて、今度こそ帰りましょう。もちろんトトロを見てからね。忘れずにおきたいのは、美術館を出てから裏手に回り込むと、大きなトトロが顔を出している窓がある事だ。この前でみんな記念撮影している。僕もパチリ!あっ、息子の背中が写りこんだ。 

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posted by アスラン at 01:54 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(電車でカフェ気分) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月28日

ジブリ美術館でねこバスに乗ろう!(その1)

 今回で2回目だが、4、5年ぶりになるだろうか。いや、調べてみたらなんと2002年だった。6年ぶりだ。まだ子供が生まれる前だ。ジブリ美術館のオープンが2001年だから、できたばかりに行った。チケットが完全予約制で、おまけに時間まで指定されるので、日時を決めるのにかなりとまどった記憶がある。何しろ当時は「となりのトトロ」のブームでジブリは絶対的な人気を誇っていたから、土日のチケットをとるのは至難の業だった。それにとてつもなく混むとも聞いていたので平日に二人して年休をとって出かけた。

 さすがに一時期の熱は冷めたのか、ローソンのチケット予約で翌月の予約開始日にすぐに調べれば、土日でも予約できそうだ。今回は3歳の息子を連れていくので10月中旬の土曜日に狙いをつけた。12:00〜12:30入場の回だ。

 当日は弁当を用意する。ネコの顔の形をした弁当箱にふりかけ入りのおむすび2ヶ、唐揚げとタコウインナー、そしてお父さんお得意の厚焼き卵だ。夏に行われた保育園の遠足の時に持たせた弁当の再現だ。我が子は遠足の弁当がいたく気に入ってしまい、遠足後しばらくは保育園に毎日弁当をもっていくと言って僕らを困らせた。

 弁当持参の理由は前回の反省からだ。ジブリ美術館を見てまわるには最低半日かかる。だから昼食は中でとることになる。通常の美術館同様、飲食するところが十分ではない。いや、いつ行っても満員だからそう感じるのであって、他の美術館と比べたら割と充実しているのかもしれない。しかし何と言ってもジブリだ。レストラン(カフェ「麦わらぼうし」)はいつでも待たされるし、メニューもそう多くない。

 軽食販売コーナーでは、ホットドッグやアイスを買うだけに列をなす。しかも高い。ホットドッグ1個が500円もすると、足元を見られていると思いたくなる。美術館側にも言い分はある。無農薬の食材を「きちんと」そろえて「きちんと」作ると単価が上がってしまう。どうぞご理解ください、というわけだ。理解はできるが賛同するかは任意にさせてほしい。うちらにはうちらの都合がある。よって弁当持ち込みにした。

ジブリ美術館20081018-01.JPG JR三鷹駅の改札を出て左を行くと、駅前ロータリーがあり、左端に乗り場がある。前回は乗り場が分かりにくかったが、あれから整備されたようだ。黄色い車体の小ぶりのバスが乗り付ける。黄色が好きな息子が色とイラストに興奮した。バスはあっという間の5分程度で目的地に着いた。あの井の頭恩賜公園の端っこに隣接して立てられているそうなのだが、位置関係が今ひとつ分からない。とにかく公園の緑が豊富なので、併せて「三鷹の森」の呼称を冠にするだけの事はある。そこに、外観はナウシカの故郷の城のような建物が立っている。「三鷹の森ジブリ美術館」だ。

 入り口にたどり着くまでの道で係員の若いあんちゃんがチケットの確認と人数の確認を求めてきた。大人2枚のチケットと幼児。「3歳です」と言うと「3歳?」と復唱してきた。あぁ、やっぱりなぁ。こういう事がいずれ起きると思ったが案の定だ。人並みはずれて大きい我が子は、すでに園でも5歳児を超えて小学生低学年並みの体格なので疑われたのだ。二人してイヤな気分になったが、さらにママは憤慨して受付のチケット提示の前に「(息子の)保険証を出して!」といきり立つ。まあまあとなだめる僕。今度は年配の女性がやさしい対応をしてくれたので、「やっぱり女性なら分かるんだよ〜」とやや落ち着いたので事なきを得た。

 受付を通るとすぐ地階に降りていく。建物はそう広くない。中央は吹き抜けになっていて見上げると三階上の天井に大きな扇風機がゆっくりとまわっている。羽が、あの〈腐海〉を飛び回る虫のようだ。各フロアの四めぐりに見て回る部屋があり、中央の吹き抜け側は通路になっている。触れるところは床も含めてすべて木の造りなので懐かしい感じがする。昔見たイギリス映画「小さな恋のメロディー」の幼い主人公たちが通った校舎のような造りだ。

 地階には短編アニメを上映するホールがあり、ちょうど終わって人があふれてきた。みんなのお目当ては、アニメの原理を楽しく紹介する部屋だ。以前来たときに僕自身大興奮したので、息子にぜひ見せたいと思っていた。でも我が子は小さいくぐり抜けやら、ぐるぐると一階にあがる螺旋階段やらに注意がいって走り回る。

 ゾートロープと呼ばれるアニメの原型は、回転する丸い円盤にパラパラ漫画のようにシンプルなアニメーションが映し出される。円の縁にそってぐるぐる回るアニメーションが円筒にとって変わることで、視線が固定される。そしてフィルムによる映写が発明された事で、アニメーションは今日の姿に完成した。

 アニメは、いや映画は連続した画を次々に映していくだけでは動いてみえない。必ずコマとコマの間に瞬間的に視界を閉ざすシャッターが入って、初めて人間の目に動いて見える。この事がよく解る展示が1階にある。ターンテーブルの中央に木が生えていて、枝にはトトロやねこバス、メイやさつきなどが配置され、回転方向が時間の経過を表現するようにそれぞれの人形のポーズが変わっていく。照明が少し落ちてテーブルが回転するとどうなるか。ただ枝や人形が回転するだけだ。動かない。ところが回転速度にシンクロしたストロボが明滅した瞬間に奇跡が起きる。トトロもねこバスもメイもさつきも一斉に目の前で命が吹き込まれるのだ。この「3Dゾートロープ」は何度見ても飽きない。

 ふきぬけに戻って、さきほどの螺旋階段を上る。人ひとりがやっとの小さな螺旋階段なので、後ろがつかえるので一気にあがらないといけない。怖がるからやめとけと言ったのに息子は上ると言う。ママと一緒にあがりだした時に思わず我を忘れてデジカメでパチリ!すかさず係員から「館内は撮影禁止です」とのお叱りを受けた。そうだった。思い出した。前回来た時も思わずパチリととって怒られたんだっけ。案の定、我が子は階段の終点を前にして「怖い〜」と後込み。こちらだって怖いんだぞと高所恐怖症の僕は息子を抱えてなんとか上がりきった。

ジブリ美術館20081018-02.JPG 先は長くなりそうなので、まずは昼食だ。記憶では1階の外をでて建物を回り込むと休憩できるスペースがあった。この美術館の特徴は中央が吹き抜けになっているため、通路を回っていかないと対面に行けない。しかも1階は左回りができないので右回りだけ。その代わり、吹き抜けの中央に橋が渡してある。これがなかなか怖い。でも回り込むのは面倒。親子してドキドキしながら渡った。

 レストラン前のスペースにはテーブルとイスがたくさんある。前回はあいた席を見つけるのが大変だったが、この日は丸テーブルと三人の席がすぐに見つかった。軽食販売のすぐそばのテント内の席だったからか、あまり弁当持ち込みの家族は見あたらなかったが、僕らは手作り弁当を出してほおばる。どうせまたお茶しにくるんだから遠慮する事はない。我が子は絶好調で、あっと言う間に食べ終わると、あちこちを飛び回る。こちらも遅れじと食事をすませて追いかける。

 我が子が階段の下に見つけて興奮したものがある。地階の中庭のようなところに井戸がある。天井があって洋風の赤い洒落た井戸なので、あのトトロに出てきた井戸とは違うが、子供たちは見たこともないのでおおはしゃぎで水を出している。息子もやりたくて仕方ない様子。バケツを出口に置いてママと一緒にこぐとジャバジャバと水がでる。バケツにたまった水をドバッと流す。それだけが楽しい。子供の無垢な好奇心がうらやましくなるのはこういう時だ。さらにこの庭には薪が積まれていて、脇に花が鉢に植えられている。息子はどでかい如雨露に目がいってしまった。せがまれたら仕方ない。女の子が出している水をいただいて如雨露に入れて二人で花にかけた。またやると言われると厳しいので、壁ぎわにあった鐘を「鳴らそう!」と促して注意をそらした。3歳児の好奇心につきあうのは並大抵ではないのだ。

 ここはちょうど入り口から地階に降りてきた階段の裏手にあたる。入場の際にも教えてくれたロッカーがあるので、お弁当セット一式を預けて身軽になる。100円で鍵をして後で戻ってくる。さていよいよ後半戦だ。

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posted by アスラン at 12:53 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(電車でカフェ気分) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月01日

魔法のメガネ、買いました。

 メガネを変えて一月ほどになる。ようやくしっくり馴染んできた感じだ。今年の初め頃に愛用のメガネのフレームが崩壊した。歴代のメガネの中では一番おしゃれで、結婚してから買ったものだ。レンズに接するフレームは上半分だけで下半分はテグスでつり上げるタイプのちょっと変わったデザインだった。当然耐久性に難があったが、何せ子供が生まれる前に購入したので、まさかバラバラになるような目に遭うことは想定していなかった。

 コンタクトレンズを無くしたことも痛かった。2年前に、やはり数年前に片方無くしたソフトコンタクトの代わりをようやく購入することにしたのだが、装着時間の長さからハードを勧められ、初めてチャレンジした。でも、なんども紛失・発見の奇跡を経験し、ついに運に見放された。一年をわずかに過ぎていたので一枚無料交換の特典も受けられなかった。

 基本はコンタクトで週末はメガネの生活だったのが、全面的にメガネの生活になった。そこに子供のおかげでぼろぼろになったメガネがついに耐えられず崩壊した。仕方がないので、独身時代に作ったメガネを探し出してきた。実は作った当時、視力が1.5は出るように調整したので、今かけてもよく見える。逆に度が強すぎて長時間使うと疲れる。

 それまではルミネに入っていた「眼鏡のオグラ」で作ったメガネを使っていたが、オグラがルミネから撤退したので、今度は南口駅前のメガネスーパーで作りなおした。服を購入する時もそうだが、日頃おしゃれとは無縁のライフスタイルを通してきたので、いざ自分のファッションセンスが試される買い物をするとなると気が進まない。要はフレーム選びが面倒くさいのだ。

 しかもメガネフレームはどれも同じようなデザインが多くて迷う。おしゃれすぎるのは冒険だし、自分の顔に似合ってるかどうかも掛けてみただけでは判然としない。店の奥から女性のベテラン店員がでてきて、僕の少ないながらの希望を掬いだしてくれたおかげで、ようやくPoloのフレームに決まった。以前のより少しインテリっぽく見えるが、キザったらしくはない、細身のフレームだ。

 使っていた昔のメガネでは、本を読む時は目がつらいのではずして読んでいた。読書は僕の生活の一部なのだと訴えると、店員は遠近両用メガネを薦めた。レンズの上部で見ると遠くが見え、下の方で見ると手元が見えるレンズだ。手元が見える度の低い部分がレンズの下の方に組み合わされているのだとずっと勘違いしていたが、上がもっともよく見えて、下にいくほど度が低くなるように作られている。つまり真ん中(真正面)を見ると中間距離がよく見えるようになっている。店員いわく「どこかで必ず(焦点が)合いますから」という事だった。店長らしき男性からは「がんばってください」とも励まされた。

 そんなに大変なのかよ、とちょっと侮って受け流してしまったが、使ってみて店員の言う意味がよく分かった。無限遠点を見るときは上目遣いで、本を読む時は下目遣いで、それぞれ眼鏡をのぞき込めばいい。でも中間が大変なのだ。例えば電車の中吊り広告。もちろん立っていて頭上にある場合もあれば、少しだけ遠くの文字を読む事もある。そのときはオートフォーカス機能のようにズルズルっと目遣いを下にずらしてピントを合わせる。手元の本を読む場合もそうだ。単行本の上側と下側ではピントの合い方に差があるから、本をやや後ろに倒して読むと、多少目遣いを変えなくても読める。

 最初のうちは意識的にやらないと、一時代前ののろまなオートフォーカスのように前後にいったりきたりしていたが、慣れてくるとピタリと合わせられるようになった。気をつけなければいけないのは階段を下りるときだ。階段を下りる時は、前方やや下向きを見ながらそろそろっと降りているはずだ。その時でも裸眼あるいは通常の眼鏡では視界の下方際に入ってくる足下をちらちら確認している。でも遠近両用レンズでは前方を見てるかぎり、きわの部分はぼわっとして見えない。首を折って足下を見て確認し、また前方に首を戻すという動作を意識的に行う。もちろん、これも慣れてくれば言葉で言うほど大げさな動作にはならない。

 慣れてくると非常に便利で、よほど疲れてなければずっと掛けっぱなしで遠く近くを違和感なく見る事ができる。不都合があるとすれば、ホンのときたまメガネを掛けてないんじゃないかと慌てる事があるという点だ。何しろ正面を見ると必ずピントが合うというレンズではない。正面にあるものの距離によって目遣いを微調整しなくてはならない。でもちょっと寝ぼけてるときとか疲れてるときとか、無防備になっているときに正面のものがぼわっと見えたりすると、あれ?メガネしてない?どこだ、どこだ?と、もう横山やすし状態になってしまう。掛け心地がとびきりいいメガネという利点がさらにパニックに拍車をかける。

 手を持っていってあるべきところにちゃんとあるので、これまたびっくり。おいおい、脅かすなよ〜。そんな魔法のようなメガネを買いました。

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2008年09月10日

0系を見に青梅鉄道公園に行こう〜

 年内で0系がいよいよ引退になるそうだ。もうとっくに「ひかり」の称号は明け渡してしまい、去年熱海に家族で出かけた際に乗った「こだま」も500系に様変わりしていた。東京ではもはや、あの丸みを帯びた愛嬌のあるフェイスは見られないと分かってガッカリした。もちろん我が子は500系に乗れて、700系の勇姿を見られて大喜びだった。

 先日のめざましテレビで、公道を移動する0系に遭遇した人々の興奮を伝えていた。埼玉県さいたま市にある鉄道博物館に展示する0系車両を載せたトレーラーが、夜間の国道をゆっくりと大移動したようだ。悔しいなぁ。板橋の実家にいれば、近くの中山道(国道17号線)はきっと通ったはずだから見られたかも。見たかったなぁ。いや、見送りたかったなぁ。お疲れ様と拍手してあげたかった。

青梅鉄道公園20071208-08.JPG やがてはきちんと化粧直しを施されて博物館の一隅に納まるのだろう。だが、待てよ。待つまでもないじゃないか。もっと身近なところに以前から第二の人生を送っている0系があるじゃないか。そこがどこかって?青梅鉄道公園だ。

 すでに昨年の12月に鉄道好きの息子を連れていった。青梅鉄道公園は名前のとおりJR青梅線の青梅駅にある。12月初旬の青梅駅は立川よりも大気がひんやりと感じられて、済みきった空気の中で山肌にきれいに紅葉した木々が取り囲んで、たった30分程度乗っただけなのにハイキングにでも来た気分になる。駅舎には古いレトロな映画の看板などが飾られている。町おこしで昭和20〜30年代の家並みが近くで見られるはずで、年輩の方の姿が目立つ。

 そうそう、そこに赤塚不二夫記念館があるんだっけ。古くからのファンを自認してるくせにまだ訪れていない。亡くなられた時には記帳の窓口が用意されたそうだが、残念ながらいけなかった。一度はおくやみ方々訪れたなぁ。で、お目当ての鉄道公園は小山の途中にある。急勾配の坂道をどれほど歩くかしれなかったのでタクシーで上ることにした。運転手は僕ら親子に気を使ってくれたのか、勢い込んで坂道を上り5分たらずで入り口に到着。

青梅鉄道公園20071208-01.JPG 3階建ての建物の前に普通の小さな入り口があり、非常に地味に入っていく。なんか公園という感じでも博物館という感じでもない。でも見かけと違って、中身はなかなかの実力派なのだ。

 建物の一階にはミニチュアの鉄道模型や古い車両の写真などが展示してある。でもなんといってもメインはフロアー中央に陣取ったNゲージ車のパノラマだ。1時間間隔で20分ぐらいたっぷりと動く電車の勇姿を見せてくれる。中央線の旧車両・新車両はもちろんの事、都心を走る山手線や総武線などおなじみの電車が走る。行ったときの目玉は新幹線700系だった。あの流線型でアヒルのくちばしのような独特なフォルムは、0系世代の僕からすると新幹線というよりはリニアモーターカーのイメージだ。

 当然ながら息子は大喜びだ。いや、パノラマを取り囲む子供たちが一丸となって大興奮状態だ。肝心の写真がないのは息子に抱っこをせがまれたのと、動画を撮るのに余念がなかったからだ。それにしても一枚も撮ってなかったとは、なんたる不覚。

青梅鉄道公園20071208-03.JPG 青梅鉄道公園20071208-04.JPG

 ショーが終わったら表に出る。建物脇に、D51の見事に整った美しい車両がまず目に入ってきた。もちろん機関車両だけだが、これだけでも贅沢な気分になれる。運転席(操縦席?)にも登れるので「上がろうか」と我が子に聞くがイヤだって。なんでやねん!

 立川駅始発らしき焦げ茶色の古い車両もあった。焦げ茶色はなんとも懐かしい。他にもいくつか車両があり、ベンチがたくさん用意されているので、思い思いに気に入った車両を見ながらくつろぐことができるのだ。遠足シーズンには幼稚園とか小学生の団体が来てお弁当を広げるのかもしれないな。

青梅鉄道公園20071208-05.JPG ちょうど建物の裏手にはミニSLがあって実際にレールを小さく一周する。小さい敷地の中にいろいろと詰まっていておもしろい。でも肝心の0系が見あたらないなあ。と思ったら、公園の敷地は二段に分かれていた。階段を数十段下っていくと、あった、あった。団子鼻をこちらに向けて白と青のおなじみのツートンカラーのボディが待ちかまえていた。というよりポツンと一両だけ置かれている。他には逆側にミニSLではないが、デパートの屋上遊園などでよく見かける機関車形のアトラクションがあって、親子連れが一組もしくは二組ぐらいの貸し切り状態で乗っている。それを取り囲むように、これまた屋上遊園にある100円入れて遊ぶ幼児向けのゲームが何台かあった。

青梅鉄道公園20071208-06.JPG 僕の子供の頃のヒーローだった新幹線に父親の方が大興奮で、写真をとったり近づいてさわったり眺めたり。グルッと回ってから、中に入れる事を確認しておそるおそる我が子に「入ってみようか?」と聞くと、「いい」と首を振られてしまった。だって運転席にも座れるんだよぉと恨めしく言ってはみたものの、一度言い出したらなかなか聞かないのであきらめた。

 息子は奥にある電気自動車がしきりに気になる様子だ。100円(10円だったかな?)入れると2、3分乗れる二人乗りの車が数台あって、男の子が一人楽しそうに乗ってるのを見ちゃったからだ。スピードもでないし、敷地は広いし、ほかの客はほぼいないし、好き勝手の遊べそうなので、二人で乗ることに。乗ってみたら、アクセルペダルを踏み込むと結構スピードがでる。ハンドルをぐるぐる切ると、その場をぐるぐる小回りして目が回る。ところどころに置かれた古タイヤにぶつかって止まったり向きが変わる。ドスンと衝撃を受ける。あぁ、こりゃ面白い!息子も僕も興奮して乗りまわしてしまった。

 ほっとくと息子は何度でも乗りたがるので、適当なところでさっきの機関車のアトラクションに乗ってもらおう。乗りたがるのは分かってるから。これまた結構長めの周回コースを2周する。いくらだっけ?200円?300円ぐらいだったかな。これぐらい乗り出があるならリーズナブルだ。

 その後、階段をのぼって休憩。建物脇には各種自動販売機が置かれてる。飲み物だけでなく、ハンバーガーや焼きそばが出てくる加熱式の自動販売機があった。やや肌寒くなってきたので、息子の好きなフライドポテトを買って、アツアツをお茶とともにいただく。

 じゃあ、帰ろうかぁ。大満足した二人は、帰りはゆっくりと歩いて駅までの坂道をおりていった。お父さんは、また0系見に来たいなぁ。引退すると聞いた今となっては、なおさらもう一度見に行きたいと思う。そのときは、せめて鉄道博物館の車両と同じように公園の0系もお化粧直しされているとうれしいなぁ。

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2008年09月02日

江戸東京たてもの園の夏を楽しむ(2008/8/13)

 夏休み企画第2弾。レインボープールに引き続き、我が子を楽しませ僕らも同時に癒される、そんな虫のいいスポットを探す。なるべく近場でないかなぁ。我が子の好きなゴーオンジャーやプリキュアに会える後楽園か、キバやゲキレンジャー(何故いまさら?)に会えるとしまえんか。汐留の日テレでアンパンマンに会うか。いずれにしても親はそれほど癒されそうにない。

 親の好みは水族館。GWに葛西臨海水族園は行ったが、嫁さんはショーを我が子に見せたいと言う。ならば「しながわ」か「エプソン」が最寄りで、どちらもアシカのショーがある。行きたい。〈見せたい〉よりも親の〈行きたい〉がまさる。だが混むよなぁとひよった。で、「親子で楽しむ日帰りスポット」みたいなアンチョコを出してきて、なんとか選んだのが「江戸東京たてもの園」だ。前から行ってみたかったが、息子が楽しめるかがネックだった。ようやく月日が満ちた。 安心して息子を連れていける。はずだよね?

 JR中央線東小金井駅からバスで5分くらいのところ。そうだ、免許の更新で2月に来たばかりじゃないか。駅前はチンケなところでまともな食事をするところが見つからなくて困ったっけ。今日は立川で食事を済ませておいたので、バス停に向かう。あれ?夏休みで賑わうシーンを想像していたが、バスには僕らと孫2人をつれたおばあさんのみ。そんなもん?

 そんなもんでした。まだ夏休みのピーク前の平日ということもあって意外なほど空いてる。「たてもの園」は小金井公園というかなり大きい公園の一角にあり、上野公園の博物館のように広い広場を向こう正面に建物を見通すようにして近づく。トンボが飛んでる。とってもいいところに来た予感がする。

 入場すると室内展示と屋外展示の二つに順路が分かれる。もちろん屋外を選択して外の案内図を見ると、ボランティアのお年寄りが寄ってきてみどころを説明してくれる。はずだったのが、息子が邪魔してくれた。話し出す先から人見知りしない我が子がお年寄りにいちいち声をかけるので説明できない。おじいさんは説明を断念して、息子のためにかざぐるまをくれるところがあるからそこを目指すといいと教えてくれた。実は長々とした解説は少々わずらわしかったので、息子の口出しはナイスタイミングだった。ボランティアのおじいさん、ごめんなさい。

江戸東京たてもの園20080813-01.JPG

 右手をゆくと明治の消防の火の見櫓があったり、ボンネットバスがあったりする。ボンネットバスとは乗用車のように前側にボンネットがでてるバスだ。しかもレトロな丸顔だ。僕の子供の頃にはすでに町中には走ってなかったが、奥多摩の山道などではまだ走ってたと思う。

江戸東京たてもの園20080813-02.JPG 江戸東京たてもの園20080813-05.JPG
 息子が喜んだのは、バスではなくて市電の方だ。俗にいうチンチン電車だ。こちらは車内に乗り込める。クラクションの代わりに警告音を出すベルをならすひもがついている。いや、運転席だけでなく入り口脇についているから、車掌が発車オーライを運転手に示すベルでもあったのだろうか。これが見事に「チンチン」と鳴る。名前の由来だ。

江戸東京たてもの園20080813-08.JPG 江戸東京たてもの園20080813-03.JPG

 明治から大正・昭和の古い建物がならぶ目抜き通りが見えてくる。文具や書籍を売る昔の三省堂とか、金物屋や花屋のディスプレイがおもしろい。さらに醤油屋がでてきた。そうそう、板橋の実家の商店街にも、醤油屋ではないが似た感じの酒屋があった。棚に醤油や酒の一升瓶が整然と並び、はかり売りがメインだった。だから、よくお酒や醤油を持っていった瓶に詰めてもらった記憶がある。懐かしい。実家の商店街には味噌屋もあったなぁ。味噌が山盛りになった入れ物が横並びに並んでた。あぁ、思い出に浸ってる場合じゃない。

江戸東京たてもの園20080813-04.JPG

 目抜きの一番奥に立派な銭湯が見える。確か宮崎駿が「千と千尋の神隠し」を描く際に、あの油屋のモデルにしたと言われた銭湯だ。こちらは昭和20年代ぐらいの建物だろうか。間違いなく僕が通った銭湯そのものだ。左右対称の日本家屋ののれんをくぐると、右手に女湯、左手に男湯の入り口が見え、両脇に扉と木札の鍵がついたげた箱がある。さだまさしの「木根川橋」には、好きな同級生の出席番号が空くまでは中に入らなかったという台詞があるが、確かに行くたびにいろんな番号で〈験かつぎ〉をした。

江戸東京たてもの園20080813-06.JPG 江戸東京たてもの園20080813-07.JPG

 中に入るとすぐが脱衣場だ。中央に鏡張りの仕切りがあり、上に広告が出てる。意外に低い仕切りなので女湯と男湯の声は筒抜けだ。いや、そもそも男女のプライバシーが希薄なのは銭湯ならではで、「もう出るよ〜」と母親に声を掛け合うのは当たり前の光景だった。高い天井には大きな扇風機の羽がむき出しで回っていて、エアコンなどない熱気と湿気の含んだ空気をかきまわしている(もちろん記憶の中でだ)。

 浴場入り口脇には体重計(デジタルではなく乗ると針がグルッと回転するやつだ)が置かれ、湯上がりには必ず計ったのだ。なんで体重計なのかは今考えるとちょっと不思議だが、やはり銭湯が一種のヘルスセンターだったからだろう。浴場の壁にはお約束の富士の絵だ。昔の富士は男湯の方に書かれていた。じゃ、女湯には何が書かれているのか、子供心に不思議だった。

 若いカップルが当時の風景を思い描くように腰掛けて浴場を、富士の絵を、眺めていた。もう、「三丁目の夕日」のような映画やドキュメント映像の中にしか見られない光景となったんだろうな。

江戸東京たてもの園20080813-09.JPG 江戸東京たてもの園20080813-10.JPG

 3人でかき氷をわけあいながら、かざぐるまをくれる建物へと急ぐ。3時までなのを忘れてた。あと5分しかない。それは茅葺き屋根の立派な農家だった。縁側でボランティアのおばあさんが待ち受けていて、一緒になって作って持ち帰る趣向らしい。でもまだ息子にはムリだとわかってくれたおばあさんは、材料の羽を我が子に選ばせて、ママが手伝って作るように進めてくれた。羽はきれいな絵柄の紙に切り込みを入れて2枚をくみあわせたもの。息子はわからずにはずしてしまってみんなをあわてさせた。

 できあがったかざぐるまに大喜びする息子を、民家にあがって中から写真を撮った。かたわらにはいろりが切ってあり、その日は火が入って煙が立ちこめていた。暑いが懐かしい香りがした。

 最後は、かの高橋是清の邸(別邸?)にあがる。立派な日本家屋で、二階は歩いてもびくともしないしっかりとした造りだった。一階に喫茶があり、息子にはオレンジジュース、僕らはあんみつとクリームあんみつを注文した。畳の部屋に据えられた座卓で、家族連れや着物姿の若い女性二人、若いカップル、そして僕ら。みんな思い思いに古き良き日本の風情を満喫していた。木々に囲まれて思いのほか涼しい。

 帰り道は数の増したトンボと蝉しぐれが僕らを見送ってくれた。駅に向かうバスで行きに乗り合わせたお婆さんとまた一緒だった。ワンパクな孫2人は遊び足りずに残ったようだ。ちょっと寂しげに、でも一息つくように僕らの方に話しかけてきた。こちらも一日遊んでホッと一息。でも公園から出たとたん、夏の喧噪と暑さが戻ってきた。

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2008年08月26日

映画館の飲み物ホルダーは右を使う?それとも左?

 この前、子供を初めて映画館に連れて行った。部屋(上映室?あれはなんて言うんだっけ?)に入る前にロビーで二人分の飲み物を買って入った。席には両側にアームレストがあり、そのどちらにも飲み物のホルダーが付いている。息子と僕で並んで座り、僕のもう片方の隣は男の子が座っている。男の子が触れて飲み物がかかったりしないように逆側に置きたいところだが、息子の飲み物は僕の手の届くところに置かないと世話ができない。やむなく僕のメロンソーダは男の子側にそっと差し込んだ。でも男の子も息子も両方気になるので、座って早々に飲み干してしまった。

 ところで、あのアームレストってどちら側を使うか決まりがあるのだろうか。両はじの席の両側にアームレストが付いているから、どちらを使ってもいいはずだ。贅沢に両側に手を休めてる人も中にはいるが、ちょっと隣の人の顔色をうかがってからにした方がいい。

 では飲み物ホルダーはどちら側だろう?こちらも両はじの席の両側にホルダーが付いていただろうか?ちょっと思い出せないが、両端の席だけ特別というのもなさそうだから、おそらく全アームレストに一つずつホルダーが付いているのだろう。自分の両隣の人が自分側のホルダーを使ってしまったら、どうしたらいいのだろう。もしどちらかの席で、もう片方が空いている場合は、「すみませんが…」をことわって換えてもらうようにお願いするしかない。でも、もし両隣の席の両側のホルダーが埋まってたとしたら…。さらに僕の隣の隣の人にお願いする気力は誰にだってないだろう。

 まあ、みんながみんな飲み物を買ってホルダーに差し込むなんて事はないだろうという性善説、じゃなくて確率を当てにしてるのかもしれない。

 ところで、会社最寄りのJRの駅のトイレで今日のように雨の日に用を足すといつも考えてしまうのも、飲み物ホルダーと同じことだ。男性用便器の脇に傘をかけるフック(ハンガーかな?)がある。3つならぶ便器の真ん中には両脇にハンガーがでてるのでどちらにかけるのか迷う。両端の便器を見ると、左端は両側にあり、右端は左側にしかない。つまり左側のハンガーを使うのがルールだが、これが5つぐらい並んでいる大きなトイレだと、なかなか確認しずらいだろう。それに、飲み物ホルダー同様に両脇をとられてしまうことだってあるはずだ。

 などと考えながら用をたし、傘をハンガーからひろって、洗面所に。こちらは2個蛇口がでていて、間にまたしても傘掛けハンガーがでている。なんとこちらは右側についている。なんという不統一!やっぱり何も考えないで作ってるんだな。

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2008年08月13日

「携帯は両手で打つ」は常識?

 「メール入力に関する意識調査」の結果に関する記事が、先日ウェブに載っていた。調査によると、ユーザーが利用する携帯電話端末は、

 「テンキー:折りたたみ」
 「テンキー:スライド」

を合わせると92.0%で、「テンキー:ストレート」「フルキーボード」「タッチパネル」が数パーセントずつだと言う。

 さらにメールする際の文字入力方法は「片手で入力」が76.7%、「両手」が22.9%で、「両手で入力」する割合は男性より女性の方が高く、若い年代ほど高いそうだ。

 特に意外でもなんでもない結果だが、ちょっと突っ込んで考えてみると疑問が湧いてくる。僕の知りたいのは「両手で入力」の中身だ。具体的にはどういう入力方法を指しているのだろう。記事にはそこまでは書かれていない。

 ググってみたが意外にも入力方法の中身に触れているものは見あたらなかった。ほとんどがこの記事あるいはこれと同様の調査に対するユーザーの短いコメントばかり。それも自分は「片手だ」「いや両手だ」という表明と、どちらが早く入力できるかという経験談ばかりだ。中身に触れないのは、それほど「両手で入力」の中身がユーザーにとって常識だからだろうか。

 ところが、そうは思えない行き違いのコメントが結構あるのだ。言わずもがなだが、この「両手で入力」とはPCの時のようなフルキーボードでの両手打ちのことではない。それは携帯利用端末の90%以上がテンキー型であることからも自明だ。ただし、数パーセントはいるというフルキーボード搭載端末のユーザーや、さらに少数派だが僕のような携帯専用のキーボード利用者にとっての「両手打ち」も含まれているかもしれない。だが「両手打ち」のほとんどは「テンキー型端末での両手打ち」を意味するのは間違いない。

 「私は両手打ちだ」というコメントに対して「私もベル打ちです」とフォローしている人を掲示板を見かけた。ベル打ちとはポケベル打ちの略だ。「私も」とフォローしている以上、この人にとっては「両手打ち」とは「ポケベル打ち」の事らしい。果たして本当だろうか。ポケベル打ちは名前のとおりポケベルで文字を打つための入力方法で、2桁の数字で一文字を表現する。僕の携帯では「2タッチ入力」と呼んでいる。

 ポケベル打ちは、親指を連打する入力方法よりもキーの入力回数が少なくなるので速く打てるのがメリットだ。デメリットはキー入力方法が直観的でなく習得に手間がかかる点がまず思いつく。ただし、ちょっと考えると分かるが特に両手打ち限定の入力方法ではない。どうも掲示板でフォローした人は「両手打ち」イコール「ベル打ち」と理解していたのではなく、「最速の入力方法」イコール「両手入力のベル打ち」と見なしていたようだ。明らかにキー入力回数が少ないから、ひたすら速く入力したい人にとってはメリットが大きそうだ。

 ただし、これが「両手で入力」のすべてかと言うと疑問だ。携帯で長文を書く必要に迫られない限り、「速い」ことは求めても「最速」であることを求めるユーザーは少なそうだからだ。要は、そこそこ速い入力方法こそがユーザーに求められているのではないか。そしてその答えが、以下の「両手打ち」ユーザーのコメントだ。

 私も両手です。
 私の場合、各々の手で役割分担して打ちます。利き手はテンキーでの文字を中心に打ち、もう一方の手は、変換や決定のために、カーソルキー上に指のポジションを固定して打ちます。
 つまり、利き手ではない方は、入力を補助する感じで、純粋な両手使いではないかもしれませんが、自分としては、これが結構早く打てて、このスタイルでずっとやっています。

 ようやく「両手打ち」の尻尾をつかんだぞ。これで100%の答えではないだろうが、少なくとも僕自身が腑に落ちる入力方法だ。即座に思いつくメリットは3つある。

・キー操作が変わらない(「ベル打ち」など別の操作を覚えなくてよい)
・文字入力の親指はホームポジションを離れずに済むので入力が速くなる
・文字入力(親指連打)の流れを止めるキー操作(変換・カーソル移動)を片方の親指が分担するので、ストレスが少ない。

 僕が感じる最大のメリットは2番目の「入力が速くなる」ではなくて、3番目の「ストレスフリー」だと思う。3番目のメリットも「入力が速くなる」からストレスを感じなくなるのであって、間接的なメリットだと思う人もいるかもしれないが、僕の考えは違う。

 僕が以前から「親指連打」の方法に不満を感じるのは、文字入力から変換や記号入力などを親指一本ですべて入力するからではない。言葉を考えながら入力する場合は、親指がホームポジションから大きく動く事に違和感はない。親指連打入力の最大のつまずきは「親指を連打して次の文字を打てる時と打てない時がある」という点だ。次の文字が今入力している文字に対して50音で違う行ならば、そのままテンキーを連打すればいいのだが、次の文字が同じ行の場合は、今入力している文字を確定させるために右カーソルキーを一つ押す必要が生じる。

 これがストレスになるのは状況依存で決まりがないからだ。「なのに」「青い」「指図」「だった」などは、「なんで」「赤い」「作図」「だから」「でした」と比べるとカーソル移動2回分入力が多いだけではなく、1文字入れるたびにカーソルキーを打つ事で流れが止まるためにストレスが高まる。

 両手打ちでカーソルキーをもう一方の親指に分担させてみた。慣れるまでは戸惑いもあったが、慣れてくると非常に快適な入力方法だ。速く打てる事よりも、カーソル移動に邪魔されることなく親指連打を続ける事ができるのが何より爽快だ。一方で、どこまでもう一方の親指が補助すべきかを見極めるのに少し時間がかかりそうだ。たとえば変換キーは右最上段にあるので、利き手でない左親指で変換しようと指を伸ばすのは面倒だし、利き手の親指とかぶって操作しづらい時もある。また、記号や絵文字の入力は両手を使うメリットがあるのか、従来通り片手で済むのか、もうちょっと検討してみないと分からない。

 いずれにしても僕の両手打ちは始まってしまった。どうも文字入力の際の「両手打ち」は少しずつなじんできている。「親父の両手打ちは見苦しい」という辛口コメントもあったが、そんなの関係ねぇ!

「超気持ちいい」入力方法が一番じゃないかぁ。

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posted by アスラン at 03:18 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(電車でカフェ気分) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月05日

赤塚さん、いってらっしゃい。

 ついに逝ってしまった。ギャグマンガの最後の巨匠と言ってもいい。その風貌から巨匠なんておよそ似つかわしくないけれど、もう「ギャグマンガ」という言葉が死語と化している平成の世から見れば、当に一線から退いているかつての超売れっ子漫画家は「巨匠」と呼ばなくてはおさまりがつかない存在なのかもしれない。

 いまやエンターテイメントの一ジャンルを確立したマンガを、ギャグだシリアスだと区分けすることは無意味になってしまったが、かつてマンガはギャクとシリアスしかなかった。二つにジャンル分けされることで、たやすく予想できるように、シリアスマンガを書けるのは絵を描く技術と大人さえうならせるストーリーを表現できる力量を持った、いわば選ばれた作家であり、ギャク漫画家は一段低く見られた。

 手塚治虫から始まり、トキワ荘で人気作家として成長していった石森章太郎や藤子不二雄たちはシリアスも描ければギャグも描けた。さらに当時は少年漫画家が少女マンガも描いたから、かれら巨匠たちが一手販売でマンガを描いていたと言ってもいいだろう。

 そんな売れっ子の仲間たちに取り残され、ときに彼らの下請けをしながら食いつないだ赤塚不二夫は、ついにギャグ漫画家として一人立ちし、そして生涯ギャグマンガを描き抜いた。赤塚さんの晩年の過激なギャグにまでは付き合えなかったが、最良にして最盛期の彼の作品を浴びるほどに読む少年時代を過ごせた我が幸せを、本当に感謝したいと思う。

 手塚治虫の生み出したキャラクターを一堂に会すると見事なまでに多彩で魅力ある主役たちが勢ぞろいする。赤塚不二夫のキャラクターは、これまた見事なまでに個性的な準主役に満ちている。しかもそのすべてが主人公を食ってしまうほどの強烈な魅力にあふれていた。

 昭和ブームの昨今、もし赤塚さんが病気から復帰できたら、きっと赤塚ブームも再燃してたのではないか。昭和とは何かと言えば、土管が置かれた原っぱがいたるところにあり、そこで夕暮れまで子供たちの遊ぶ姿が絶えず、夕暮れとともに暖かいご飯の匂いがあちこちで立ち上り、煙突を抱えた銭湯に家族みんなが毎日通う、そんな生活の風景が目に見える時代だった。その風景の中を、アウトサイダーとも言える準主役級のキャラクターたちが縦横無尽に駆け回る。

 そのだれもが、怒っている、笑っている、人をうらやんでいる、いつか見てろと夕日をにらんでいる。そして泣いている。なんだか悲しい。明日があるさと夢見ている。

 僕は知っている。ニャロメの悲しさを、ココロの親分の悲しさを。全部、全部、赤塚さんが教えてくれた。生きることの底抜けの楽しさと、底知れぬ切なさを。

 本当にありがとう、赤塚さん。お疲れ様でした。いってらっしゃい。

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2008年08月02日

珈琲と本のある風景(2008/8/2立川)

珈琲と本20080802 午前中は薄灰色によどんだ空だったが、明らかにその背後に暑い夏の日差しを隠しもっていた。午後には通常の夏の一日とは逆に空は晴れ渡り、真夏の暑さと焼けつくような日差しが戻ってきた。カフェ・ヴェローチェは夏休みで学生が少ないせいか空いていた。

 鞄にはソフトバンク文庫と新潮文庫の「鉄塔 武蔵野線」が仲よく収まっている。夏の暑さが似合うこの本をようやくソフトバンク文庫版で読みだしたら、意外なことに新潮文庫版から文章が変わっていることに気づいた。てっきり写真が増えて文章に手は入っていないと思ったのに。これは一大事と、新潮文庫版を携えている。

 今年の夏も、充実した「『鉄塔 武蔵野線』調査隊」の活動になりそうだ!

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posted by アスラン at 16:58 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(電車でカフェ気分) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月01日

バラか連番か?、夢かうつつか?

 先日乗り換えの途中で宝くじ売場前を横切り、サマージャンボの最終日8月2日が迫っていることを知った。買おうか買うまいか、買うとしてここで買うべきか、今日買うべきか、一瞬躊躇した上で、この機会をのがすと買い損ねるだろうなと思い、一組3000円を購入した。

 それにしても日頃買いつけない宝くじを買う際には、迷う要素が多くて困る。基本的にギャンブルに溺れない性格の夫婦なので、宝くじの出費は現実的な要素と絡んでくる。つまりは余分な出費だから買わないという選択だ。特に僕以上に現実主義者の相方は「どうせ当たらない」と、最近は宝くじを買う気がなくなっている。

 僕はと言えば、妻ほどは現実的になりきれない。かといって「当たる」と信じられるような期待値でないことも分かっている。数学科出身の同僚に言わせると、どれほどまとめ買いしようと「当たるかも」と期待できる確率には到底ならないので、「一枚だけ買う」のが正しい買い方だと言っていた。なるほど、とっても合理的な考え方だ。買っても万に一つも当たらない。でも買わなかったら「万に一つ」は永遠に訪れないからだ。

 以後、1枚だけ買うことにした。と書けたらカッコいいのだが、人間の心はそうそう合理的にはなれないらしい。自分なりに拡大解釈して一組だけ買うことにした。理由はと言えば、クジの当たり番号を確認するのに一枚ではつまらないからだ。「一億当たったかな」から始まって「1万円は当たったかな」までハラハラする醍醐味が一枚だと味わえない。

 ならば、よりハラハラ感が長続きするバラがいい。連番だと組を確認した時点で夢が散る。だからバラ1組をずっと買い続けている。と書くと、カッコよくはないが一本気な人間だと感心してもらえそうだが、そうは問屋が卸さない。バラだと「万が一」の中に3億円が入ってこない。やはり連番か。夢をとるか目先の現実をとるか悩んだ末に、両方買うことにした。いやはや、なんともマヌケな解決だ。「一枚だけ買えばいい」が聞いて呆れる。

 二回ほどバラ・連番の両買いをした後に、相方にムダを指摘されてカーッとなったが、やがて目が覚めた。もう買わない。だから前回から買ってない。と書けたら、結婚以来相方から「優柔不断な男だ」と言われ続けてきたりはしない。「買わない」は「両方は買わない」にすり替わって、前回からやはり一組だけ買っている。今回も一組だけ買おう。

 それにしても「夢の3億円」か、「現実的なスリル感の1億円」か、どちらをとるかやはり悩む。そもそもバラと連番はどちらが確率的にお得なのか?などとおよそ理工系を志した人間とも思えない考え方だ。数学家・秋山仁さんがどこぞの新聞の記事に書いていたが、バラで買おうが連番で買おうが期待値は変わらないそうだ。やはりそうだったか!

 しかも秋山さんの記事は、こう結んでいる。
 一般にジャンボ宝くじは1枚300円で、期待できる金額は300円よりずーっと低いので、確率的には買えば買うほど損することになります。
 でも、そう考えるのは数学で、「宝くじで夢を買う」と考えればよいのです。

 数学の合理性を謳うだけでなく人間の心情の機微をうがった名文句ではないか。さすがです、秋山さん。

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2008年07月31日

コンピュータか、それともコンピューターか?

 マイクロソフト社が自社の製品説明やマニュアルなどの外来語表記の書き方の指針を見直すと発表した。何が変わるかと言うと、カタカナで表記された外来語の末尾に「付くべき」長音記号(ー)を付けることにしたという変更だ。わかりにくいかな。

 要はタイトルに書いたように「コンピュータ」と書かずに「コンピューター」と書くことにする、という変更だ。この二つの表記がなぜ併存するかを知らない人にはわかりにくい話かもしれない。僕は工学系の学科を専攻したので馴染みがあるが、技術論文の書き方は統一された指針があり、その中でカタカナ外来語の末尾の長音記号は、「カバとカバー」のように意味が変わる場合や、慣用で使われる場合をのぞいて、ほとんどの場合は省略する。

 ちなみに技術論文の書き方には句読点をピリオドとカンマで代用することも定められており、一般に流通する文章の書き方に慣れた人から見るとかなり奇妙に見えるだろう。なかでも長音記号の省略は理不尽としか言えないものもあり、「コンピュータ」などは目をつぶれる人も「アダプタ」「ブラウザ」「メモリ」「サーバ」となると、何故長音記号がないのか、自分の言語感覚を問うことにもなりかねない。

 今回のマイクロソフト社の対応は、その意味では英断と言える。これまでソフトウェアやハードウェアを開発してきた技術者たちの、いわば専門語あるいは内輪の言い回しを一般のユーザーに押しつけてきたツケをようやく解消しようという動きで、歓迎したい。

 ただし、この自国語の書き方の微妙な問題の解決を、一外国企業が率先するという異常な事態に、もっと日本のメーカーや識者は敏感になってしかるべきだと思う。今回の動きは評価できるが、対応の中身を見ると、結構あやしいところが簡単に見つかるからだ。

 さきほど例に挙げた「コンピュータ」や「アダプタ」は、「コンピューター、アダプター」に変更するが、〈慣例に基づき長音記号を付けない〉として例外にする外来語も数多く存在する。たとえば「エンジニア」などは納得できる。しかし「アクセラレータ」や「コンパイラ」もそのままというのは技術者の目から見ても納得しにくい。一体ここで言う「慣例」とは誰にとっての慣例なのだろう。

 さらには、この例外リストには「ビール」や「メートル」まで含まれている。どうして?と日本人ならばすぐに違和感を感じるだろう。そもそも今回の変更は、従来のJIS準拠から国語審議会の指針に鞍替えしたものだ。国語審議会の指針とは「-er,-or,-ar」などで終わる英語を由来とするカタカナ表記には末尾に長音記号を付けようというガイドラインのようだ。

 確かに英語のbeerやmeterは末尾がガイドラインに該当する。しかし「ビール」も「メートル」も英語を語源としたカタカナ表記ではない。そもそもが「慣例に基づき…」の対象外なのだ。それならば「ビアホール」や「タコメータ」をどう表記するのかを考えるべきだろう。

 ということは、「慣例」と正しく判断できない人が対象も例外も決めていると思えてくる。あやしい、非常にあやしい。マイクロソフト社が先導役を買って出たのには感謝して、早めにあとを引き取って自国の「慣例」を見極めていく作業に取りかかりませんかねぇ。

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2008年07月30日

あの夕焼け雲の名前は?

夕焼け雲20080728-01 一昨日の夕方、我が子を保育園に迎えに行った道々、きれいな夕焼け雲が出ていたので再び撮った。信号のない小さな道の小さな交差点から空を見上げると、電線が四辺にたくさん交差していて、なんとも夕焼け雲の郷愁をいっそう強めてくれる。

 それにしても、あの雲は何だろう?
秋口ならば鰯雲と言ってしまえるのだけれど、夏本番を迎えた7月末日の、まだ昼の暑気をはらんだ夕空に「鰯雲」はないだろう。「鱗雲」ならば夏でも出てくるのか。それともたなびくような段々模様にふさわしい夏の雲の名前があっただろうか。

夕焼け雲20080728-02 こういうとき「空の名前」という本を手元に持っていないことが悔やまれる。実家の書棚に置き去りにしてあるが、空や夕焼けや雲を見る余裕のない日々を過ごすうちに、つい忘れていた。子供に朝の入道雲、雲の峰の大きさを見せて、夕方の真っ赤な夕焼け雲をきれいだねぇと一緒に見上げるためにも、ぜひあの本を取り戻さねば…。

 空の名前は、雲や雨や風の名前でもあるのだ。

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2008年07月29日

I-Kousyaのチーズバーガー

 昨日、水道橋で下車する機会があったので、前から試したいハンバーガーレストランに行こうと思いついた。でも場所が分からない、名前が分からない。水道橋で1000円で本格的チーズバーガーが食べられる店とだけしか記憶にない。とにかく飯田橋寄りの、東京ドームシティのゲートがある改札を出る。なんとなく自宅に買い置いた「ハンバーガーの本」にそう書いてあったような気がしたからだ。

 コンビニで見つけたムック本で、前からこのブログで紹介しようと思ってる本なのだが、なかなか機会が来ない。知りたい情報だけをざっと飛ばし読みしているだけなので、紹介するには忍びないからだ。この中で紹介されているハンバーガー店では、以前に渋谷パルコパート3内にあったFANDANGOと、広尾にあるホームワークスしか行ったことがない。いずれも映画好きが取り持つ縁で見つけた穴場だった。結婚して立川村に引っ込んでからというもの、なかなか立ち寄る暇がない。

 いま現在の僕が気軽に立ち寄れそうなのは、水道橋にあるというレストランだけだ。ぐるっと改札周辺を見て東京ドームシティを突き抜けてからウェブで検索してみた。あったあった、I-Kousyaだ。なんだ、ここかぁ。僕がいつも神保町へと向かう時の道筋にあるじゃないか。わざわざ遠回りしてしまった。僕のような本好きには、「水道橋駅近くの旭屋書店の脇」と教えてくれれば一発で分かったのに。

 見かけは非常に地味だ。ホームワークスみたいにオープンカフェ風の開放感ある入り口ではないし、ガラス戸はカーテン地でのぞきづらくしてある。訪れたのが1時過ぎだったのでやってないのかと思ったくらいだ。もうちょっと入りやすくすればいいのに。

 とにかくオープンしてるみたいなので気にせず入る。アメリカの田舎町にありそうな木のテーブルと椅子が並んだこぢんまりとしたレストランだ。お客は奥に多少いる雰囲気だが、手前には誰もいない。平日の1時すぎだからこんなものか。店内からは戦前のアメリカのポピュラーソングが流れ、壁にはライフの表紙が並んでいる。

 メニューを見ると、なんかホームワークスのそれとそっくりだなぁ。ハンバーガーの種類の多さ、それを上回るサンドイッチの種類の多さが目を引く。これは当分楽しめそうだ。手始めに、チーズバーガーと、フライドポテトと、アイスコーヒーを注文する。

 ホームワークスはアールグレーのアイスティーがおいしかったので、ここでも銘柄を聞いてみたのだが、店員さんはおそらく厨房のパック(か缶)で確認できなかったみたい。気取っていても仕方ないので素直にアイスコーヒーを注文。この店では飲み物にこだわりはなさそうだ。

 フライドポテトが出てきてビックリ!あのマックでおなじみのフレンチフライが出てくるかと思ったら、ケンタッキー(ファストフードの)でおなじみのごろっとした皮付きのポテトを揚げたものが1個分ぐらいの分量で盛られてきた。うわぁー、すっげえボリュームだ。それをテーブル備え付けの、これまたおなじみハインツのケチャップ(デカボトル)をお好みでつけて食べる。ハインツは小皿に出そうと振っても出てこない(笑)。力いっぱい振らないと出てこない。濃いからねぇ〜。

I-Kousya そして、ついに出てきたのがこれ。さらに並べられた具を自分で重ねて、配られたモスバーガー風の紙袋に入れて食べる。具はレタス、オニオンスライス、トマト、タルタルソース、ピクルス。これにチーズがハンバーグパテにのっかっていてとろけている。写真にすると意外とボリュームを感じないかもしれない。実は出てきたときはこんなものかという印象を持ったが、紙袋にはさんでみると「キタ、キタ〜」と言いたくなるくらいのボリュームが出た。

 頼んだのはレギュラーサイズ(Regular)で、この店では一番小さいサイズだ。その上にラージ(Large)とダブル(Double)があるが、この日の僕にはレギュラーで十分だった。ポテトチップスが添えられているなら、次回からフライドポテトは省いてもいいな。それより次回こそハンバーガー中心で、ラージサイズにチャレンジしてみようか。

 いやぁ、満腹、満腹。これからが楽しみだ。

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2008年07月28日

夕べの夕焼け

夕焼け小焼け 夕食の支度をしながら、キッチンの窓から差し込む夕日の赤に思わず見とれてしまいました。

 我が子にも見せると「夕焼け小焼けだね」とうれしそうに言いました。唄の歌詞で覚えたのかな。昨日は一日中降ったり止んだりで、夕立でも来そうな陽気だったけど、結局本降りはなく、最後に週末の焼けつくような暑さに悩まされた僕ら家族に贈り物をくれたようです。

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posted by アスラン at 10:18 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(電車でカフェ気分) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月23日

誤訳論争再び!

 と書いたが、特に光文社古典新訳文庫のドタバタを蒸し返そうというわけではない。ちょうど志賀直哉を読んでいて、おもしろい文章に行き当たったので誤訳論争にかこつけて書き残しておこうと思った。

 志賀直哉を読んでいるのは、先日書評を書いた佐藤正午「小説の読み書き」で、志賀直哉が「書き直すことなく文章がかける天才の持ち主だったのではないか」という興味深い指摘があったからだった。志賀直哉については改めて詳しく書いてみたいが、「白い線」という短編で志賀は自らの批評家嫌いに触れている。短編自体は、74才の著者が33才の頃に書いて好評を得た「母の死と新しい母」という短編を読み返して、「本統の事がよく分からずに小説にしている」と感じたことから改めて母の思い出を語っている。

 本題とは関係ないのに志賀ののんびりとした文章はちょいと脱線して、批評家が「母の死と新しい母」のように若い頃に書いた作品を評価して、今書くものを「枯渇した」といって評価しない事に不平を言う。そうではない、若い頃に書いたものにはすでに興味を失っていて、若い頃に書けなかった「見えない裏側」が書けるようになったという作家の事情があるのに、批評家にはそれが分かってないと言う。

 「見えない裏側」というのは、志賀直哉の友人の一人が言った「大家と言われる絵描きの絵はみんなうまいが、見えない裏側が描けていない」という言葉を受けて、志賀が自らの作品を自戒している。作家としての関心の移り変わり・作風の推移には作家なりの事情があるということまでは理解できるとして、志賀はさらにこんな事まで言っている。批評家の多くは作家に寄生して生きていると言い切り、

作家が批評家を無用の長物だと云ったからとて、その連中の方から作家を無用の長物とは云えない気の毒な存在なのだ。

と書く。志賀にして見れば、書いたものに責任を取りもしない癖に自分勝手な事を書く批評家を断罪したいのだろう。気持ちは分からないでもないが、言いすぎだろう。この言葉に、誤訳論争で口を滑らした光文社古典新訳文庫の編集責任者のことばが重なって見えた。「(誤訳論争を仕掛けた学者に)自分で訳して出版したらいいじゃないか」と罵ったわけだが、志賀の言葉にもまったく同じ〈思い込みと思い上がり〉がある。

 思い込みは批評家が志賀作品の読者の一人であり、時として誰よりも熱心な読者である事にまったく気づかない点だ。思い上がりは、おまえら批評家は自分で書けもしない小説の良し悪しを語るな、と言っている点だ。批評家が熱心な読者であるならば、一読者が一批評家であるとも言える。まさか読者にむかって文学のなんたるかも分かってないのに、自作の良し悪しを語るなとでも言いたいわけではあるまい。

 面白いのは、批評家嫌いを自認しているにも関わらず、自らは様々な書画骨董のたぐいを目利きしたり、絵画の良し悪しを小説の中で語っている。人一倍自分の批評眼を頼りにして、たとえば広重が鳴門の渦潮を描いた3枚の連作を「最高傑作だろう」などと書いている。広重が生きていて「おまえに何がわかる」と言われたら、志賀はどう答えるつもりだろう。

 哲学が神の死を宣言し人間の死も宣言した上は、作家も作品も読者さえも一度は死を通過してきた。もはや「作品は作家が責任を負うものだ」という囲い込みは成立しなくなった。誤訳が多かろうと作家の事情で書かれた内容であろうと、読者が解釈や批評を加えることのできないような高みに作品を持ち上げておくことなどできない。

 志賀は友人の言葉を自分なりに解釈して、作家は若い頃には見えなくて関心もなかった事を表現していくものであり、そのために世間の評価とずれた作風に変わる事には作家なりの事情があるのだと主張する。そう著者が主張する事の正当性は当然あるけれども、同じように観る側・読む側にも自由に解釈する権利があるという事も意味している。「見えない裏側」は作家の内面に隠されているばかりでない。読者一人一人の内面にもあるのだ。そしてその内面には、作家は一読者にならない限り到達することはできない。

 しかし、果たして志賀は自作を一読者として読む事ができただろうか。光文社の「赤と黒」の訳者と編集責任者は自らの翻訳を一読者として読む機会があっただろうか。

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posted by アスラン at 03:08 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(電車でカフェ気分) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月20日

光文社古典新訳文庫「赤と黒」誤訳論争に大迷惑!

 光文社の古典文庫が〈古典新訳文庫〉だと最近になって気づいた。すべて新訳というところに光文社の並々ならぬ意気込みが感じられるし、そもそもポルノまがいの官能小説やサスペンスを得意としていた出版社のしたたかな戦略がありそうだ。「売れる」という判断がなければ、あえて「文化事業だ」などと岩波書店の二番手を走るような酔狂が選択できる出版社がそうそうあるはずがない。

 出版社の意気込みや戦略にのるかのらないかは読者次第だ。正しくて格調の高い翻訳で古典を読みたければ、岩波文庫を読めばいい。不思議な事に、日本の古典やらなにやらが、旧かなを改めたり活字を大きくしたりして、今の読者に読みやすいお膳立てを様々にこらすために、〈原作に忠実〉という点に目をつぶってきた歴史があるのに、翻訳となると、誰それの訳が間違っていると目くじらたてて糾弾するのはなぜだろう。

 何のことかわからんという人がいるならば、あの夏目漱石の「坊ちゃん」を漱石の自筆原稿で読める本が最近出版されたのでチャレンジしてみるといい。あるいは源氏物語を紫式部の原文で読むのではなく、与謝野晶子の文章で読むことで事は足りると著書「読書の方法」でさらりと言い放つ吉本隆明の潔さを見習ってみてもいい。

 「そんな事を言って、おまえもこのブログでたびたび翻訳の良し悪しをあげつらうではないか」という声が聞こえてきそうだ。それについてはこう答えたい。僕は一読者として翻訳を読んで、その良し悪しに言及してきた。要は、読んでみて読みにくいかどうかが本好きにとっての最優先事項なのだ。

 たとえば読みにくさが原作者によるものなのか、あるいは翻訳によるものなのかは、本当のところ素人には判然としない。だからいずれにしても読みにくければ作品にいちゃもんをつける。その責任が原作者にあるのか翻訳者にあるのかなど、一読者には知ったことではないのだ。それを「素人にはわからないだろうが、ここもあそこも間違いだらけだ」と暴きたてて世間の関心を誘う〈玄人〉は、いったい何がしたいのだろう。そういう内輪のもめ事めいた事は同業者どうし、強いては玄人どうしでやってもらえばいい。素人を巻き込まないでほしい。

 ついでに言っておこう。「素人をなめんなよ」。本当にまずい翻訳ならば、玄人に口出ししてもらわなくてもわかる。原文はフランス語だろうが、ロシア語であろうが、わかりにくい・つじつまがあわない・日本語が変だ、などは玄人に教えを請わなくても「そのくらいわからいでか!」

 その国の文化や歴史に通じていなければ気づかないような間違いは指摘してもらわずとも結構。僕らは文学者でも学者でもない。お勉強したいから読むのではない。スタンダールだ、「赤と黒」だ、とありがたがって読むのでもない。今さらながらに「赤と黒」を、いや古典を読むという事の中には、石田衣良や重松清や江國香織らの小説と一緒に並べて、手軽に手にとり気軽に読みたいという以外になんの楽しみ方があるだろうか。

 こう書くと出版社側を擁護しているのかと思う人があるかもしれないが、そうではない。光文社の編集部責任者は「瑣末な誤訳論争には与しない」と言いながら、返す刀で「自分で訳して出版したらどうか」と相手を罵倒した。こういう痴話喧嘩は勝手にやってもらって構わないが、僕らの目の触れないところでやってほしい。

 こんなアホな言葉を聞かされると光文社も「読者をなめてんのか」と腹立たしくなる。「『赤と黒』は読者に好評を持って迎えられている」なんて〈手前味噌〉な発言は正直みっともない。光文社の「意気込みあるいは戦略」にのった僕の方が馬鹿を見たよう気分になる。

 言い放った言葉は自らに返っていく。取り返しはつかない。今の一番の問題は、いずれは手を出すであろう「赤と黒」を光文社古典新訳文庫で読むか、岩波文庫で読むか、あるいはあいだをとって新潮文庫で読むか、だ。ややこしい事を言うやつらのせいで悩ましい事になる。大迷惑だ。

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posted by アスラン at 10:06 | 東京 ☀ | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記(電車でカフェ気分) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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