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2006年07月24日

何故二人は同じ本が読めないのか?(1)

 一時期いわゆる出会い系サイトでメル友探しに熱中していた。独身時代にはそれなりに趣味と実益を兼ねた相手を探していたのだ。もちろんこの場合の実益というのは変な意味ではなくて、正しい意味での「出会い」を期待していたわけである(いまから考えるとやっぱり変な意味ととられても仕方ないか)。しかしどうしても僕の場合、映画や読書というコアな部分を切り捨てる事ができないので、素晴らしい趣味友は見つかるのだがそれが恋人や結婚相手へと結びつく事は結局なかった。

 結婚してから何が変わったと言って、日がな映画を観まくるような時間がとれなくなったことが大きい。年間200本に迫るくらいの映画を映画館通いして観ていたライフスタイルを諦めねばならなかった。もちろんレンタルして観るという選択もあったかもしれないが、映画館で観るという部分にこだわりがあったし何より自宅で2時間まとまって個人的な時間を作る事が難しくなった。

 自ずと思い切った選択を取ることになる。つまりは映画という趣味を切り捨てて、読書一本に絞ることにした。どんなに仕事が忙しかったり日々の生活の煩雑さに追われていようとも、隙間を埋めるように読書する事ができるからだ。しかも身近に素晴らしい図書館が二つもあり、僕の目の前にはたとえ不老不死となろうとも読み切れないほどの蔵書がウェブを介して立ち現れてきた。

 以来ここ数年は読書スタイルも変化している。図書館で借りられる本、借りやすい本を中心に考えるようになったからだ。

 読書を趣味の中心に据えた事によって僕にはちょっとした好奇心がわいてきた。つまりは読書というのは至極プライベートな好みを反映したものであって、単純に言ってしまえばその時その時で読みたいものを読んでいるだけだ。それが世間一般の好みからはずれていようがお構いなしに読むことだってある。ならば好きなものを好き勝手に読んでいればいいはずだが、読書を趣味にした時点で姿勢が少しだけシフトする。少しだけだが決定的なシフトだ。

 映画のことを考えてみる。映画を年間20本しか見る暇がないとする。ならば自分の好きな俳優が出ている作品や前評判が高くて面白そうな作品を迷わず選ぶ。50本は見てもいいとなると、ちょっとだけ冒険する。これははずすかもと思えるような地味な作品を見に行ったり、マニアックな作品に手を出してみる。

 100本以上見てもいいよと言われたとする。ならばならば企画ものやナイトショーに通い、サイレントや60年代ハリウッド映画、好きな監督作品すべてを見まくる。200本いやいっそ好きなだけみなさいというならば、もう手当たり次第に見る。機会があるなら普段はぜったい見ない甘ったるい青春モノや大味なハリウッド超大作もカルト映画もおバカなラブコメも苦手なホラーもアクション物も観るだろう。

 そうしてみると50本映画を観てた時と200本近く観てた時とでは映画に対する考え方見方が変わってくる。自分が観たい映画だけを観るのではなく映画の奥深さを知るために観る映画が増えてくる。奥深さというと誤解されそうだが、要は食わず嫌いでこれまで観なかった映画も観ることで自分の視野を広げるということだ。そこには「おバカなラブコメ」とか「苦手なホラー、アクション物」という決めつけはあってはいけないのだ。

 独身時代は貴族ほどの金持ちではなかったがそれなりに使える金があったので、好きな本を好きなだけ買っていた。買う本は自分の好みにフィットした本ばかりだ。それはミステリーだったり評論だったり言語論だったりノンフィクションだったり明治文学だったりする。買いためては積ん読にまわるわけだが、それでもいつかは読むぞとばかりに身の回りに自分の好みの本がならぶ。確かに500冊や1000冊は簡単にたまってしまうが、そこに並んだ品揃えはいくぶん他の人よりバラエティーに富んでいるとは言え、たかが知れている。

 昔長期入院を余儀なくされたときに、見舞いに来る人には食べ物や花ではなくて本を持ってきてくれとお願いした事がある。それも僕の趣味ではなくてそれぞれ自分の趣味にあった本を指定した。日頃読みそうにない本が集まることを期待したのだが、予想以上に自分が読まない本ばかり集まって閉口した。例えば明智光秀を主人公に据えた歴史小説やドレス・コードのガイドブック、「あるある大辞典」、世界遺産の本などなど。日頃綿シャツとジーンズで会社に通うおしゃれっ気のない人間にドレス・コードの本は面食らった。世界遺産の本はそれなりに好奇心がくすぐられて楽しめたが、歴史小説は老後の楽しみとばっさり切り捨てていたので、これまた少々気の重い見舞いであった。

 このとき思ったのはうかつに「あなたの好きな本はなんですか?」などと聞いてはいけないという事だった。たとえばの話、「あなたの好きな映画はなんですか?」と聞いて「タイタニック」と答えられたら僕はそれ以降、その話をどう終わらせようかとばかり考えてしまうだろう。好きな本にしてもそうだ。年間4,5冊しか読まない人から「バカの壁」は面白かったと聞かされたからと言って、そうそう楽しい話が聞けるとは思えない。

 しかしもう一方で思ったのは、やはり自分の好みというのはごくごく狭いものであり、広げる気になればもっともっと広げる事はできるという事だった。ただし、それなりに条件はある。本当に関心の持てない本はやはり読めない。つまり読書が共通の趣味でない人からうかつに聞いてはいけない理由はそこにある。聞くとしたならばやはり読書の達人、いや達人というより単に本好きの人たちから「面白い」本を聞くべきなのだ。

 再度メル友の話に戻すと、本当に狭い好みを共有したければ「好きな作家、好きな小説」でプロフィールを検索してメル友になりませんかとアプローチを掛ければいい。しかしここに問題がある。好きな作家を村上春樹とすればそれなりに返事はあるものだが、夏目漱石とすると返事は少ない。ディクスン・カーだとかエラリー・クイーンとするとなお少なくなる。サイモン・シンなどと書いたって無意味だろう。

 もう一つの問題は例えば村上春樹や吉本ばなな(よしもとばなな)のようなビッグネームが好きだと言って「私もです」という相手が見つかったとして、自分の狭い好みを広げる何かが付け加わる可能性は多くない。相手の読書の好みが自分以上に狭かったり、逆にビッグネーム以外は全く好みが合わなかったりするからだ。

 では夏目漱石だとかエラリー・クイーンのような極私的な好みが合ったら嬉しいかと言えば、そもそも根っこの好みが同じどうしが出会ったわけだから、相手の好きなものは全部とは言わないがかなりの確率で気に入りそうだ。それが悪いわけではもちろんないが、好みを広げる可能性はやはり少なくなってしまう。

 幸い、僕には現在、極私的な好みが合うだけでなくこれまで読んだことがないが読みたくなる作家や本を紹介してくれるメル友が一人いる。お互いの読書を刺激し合える数少ない存在だ。このメル友さんに出会うまでは、幾多のメル友との不完全燃焼なメールのやりとりがあったことか。要は村上春樹(なんども引き合いに出してスマン!)の話をするために、大半が好みの合わない本の話を聞かされる羽目になり、こちらも本当に好きな作家や本の話を切り出す流れができない。つまりは上で書いた「タイタニック」「バカの壁」型の人がいかに多いかという事だ。

 だいぶ話が回り道をしたが、二つの図書館で本を借りるスタイルが身に付いてきたら、図書館の数百万の蔵書がすべて自分の蔵書に思えてきた。そこには圧倒的な数の本があり、一度も読んだ事のない作家やジャンルの本がある。その本の大海原にこぎ出すにあたって、もっともっと自分の好奇心を満たす声が聞きたい。本好きの人たちの声が聞きたくなったのだ。その答えがチャットにあったと気づいたのは、もう半年も前になる。(この項続く)

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2006年07月12日

アクセス解析について思うこと(2)

 さて前回はSeesaaのアクセス解析機能の説明と、それを使ってどのように毎月ブログに載せている記事ランキングを作っているかを説明した。今回は、

 (B)外部のアクセス解析

について説明する。と言っても「アクセス解析」でググればいろんな紹介ページやブログの比較記事があるので、詳しくはそれを参照してもらえばいい。

 僕の印象からすると、無料のアクセス解析サイトというのは詳しく見ればいろいろありそうだが、だいたい

 (B-1)SHINOBI(http://www.shinobi.jp/)
 (B-2)AccessAnalyzer(http://ax.xrea.com/)

 のいずれかを紹介しているサイトが多い。どちらを選ぶかは好みだろう。なんでも(B-1)の方は、名前通りページに一瞬表示される広告(アイキャッチャー)が手裏剣の形をしているらしい。

 例えば「ねる金っと!」さんの比較紹介では、

 ・SHINOBIの方は解析ページの上限が100頁

だそうで、この制限だけでもAccessAnalyzerの方を選びたくなる。どこか別のページでは、

 ・AccessAnalyzerでは、人気ページURLが記事タイトルで表示される

というのをメリットとして挙げていた。SHINOBIなど他のアクセス解析サイトにそれらの機能がないとすると大きなデメリットだと思うが果たしてどうなのだろう?結局AccessAnalyzerを選んでしまったので他のサイトの事はわからない。

 僕がAccessAnalyzerを選んだ最大の理由は、Seesaaブログでどのように使ったらいいかを紹介していたブログを見つけたからだ。それをそのまままねて設置した。そのブログがどこにあるか今は見失ったが、「AccessAnalyzer 使い方」とかでググればいろんな紹介記事が参照できると思う。(まあぼさんの場合は「楽天」をキーワードに付け加えるといいでしょう。)

 こういう人まねをせざるを得ないのは、肝心のAccessAnalyzerサイトの説明を読んでも使い方がさっぱり分からないからだ。トップページにはどんな機能があるのか簡単な説明はあるのだが、いざ登録してどのように自分のブログに設置すればいいのかは、なめるようにページのあちこちを読んでみたのだがついに分からなかった。

 それよりも使い方を書いたブログを読んだ方が早道だ。そういう紹介記事に限って「設置方法は簡単です」って書いてあるんだけれど、それは理解した後で言えるセリフだと思う。そうなるまではちんぷんかんぷんなのだ。

[AccessAnalyzerのアクセス解析設置手順]

 (1)http://ax.xrea.com/に行ってユーザ「登録」する。
 (2)登録したら「ログイン」する。
 (3)ログイン画面の「管理サイト追加」を選んで自分のブログ情報を登録する。
    ・サイト名(自分のブログの名前)
・サイトURL(自分のブログのURL)
 (4)追加した管理サイトはログイン画面の「管理サイト一覧」に表示される。
 (5)「管理サイト一覧」のサイトで「タグ発行」を表示する。
 (6)「タグ発行」画面に書かれている貼り付けタグをコピーする。
 (7)自分のブログ(サイト)の所定位置にタグを書き込んで、再構築する。

 以上の設定でAccessAnalyzerのアクセス解析がブログに設置された。設置して10分後に集計がはじまるそうだ。(5)に書いた「「管理サイト一覧」の「解析画面」を表示すれば集計結果が見られる。

 ところで(6)(7)の手順の意味するところがわかりにくいと思うので詳述する(僕は最初よく分からなかった。)

 要するに(6)(7)で何をやるかというと、ブログやHPのあるページをブラウザで表示すると、そのページに仕込んである(6)のタグに書かれたスクリプトが実行される。このスクリプトでは主に
 ・どの管理サイトがアクセスされたか
 ・どのページがアクセスされたか
 ・どの記事がアクセスされたか
などを集計して、AccsessAnalyzerサイトに送る。

 そのためには、さきほどのタグが自分のブログまたはHPすべてのページに仕込まれていなくてはならない。そこで以下はSeesaaブログでのタグ設置について説明する。

[Seesaaブログでのタグ設置]

 Seesaaの「デザイン」-「コンテンツ」設定画面でタグの設置を行う。Seesaaでは、以下の4種類のページが存在する。

 (a)トップページ
 (b)記事
 (c)過去ログ
 (d)カテゴリ

 (a)トップページは、通常最新記事(もしくは最新の数個の記事)を表示する。(b)記事は、投稿した単位の一記事ごとのページ。(c)過去ログは、月別に記事をアーカイブしたページ。(d)は記事登録時に指定したカテゴリ別にアーカイブしたページ。

 これらのページごとにどこかのマシンのブラウザからアクセス(表示)があった場合に、仕込んだタグのスクリプトが実行されるようにするのがタグの設置の意味するところだ。

「コンテンツ」画面ではさきほどの(a)〜(d)の4種類のページそれぞれについて、どのパーツをどの位置に置くかを設定する。例えば(a)トップページでは、
 ・ブログ名
 ・ブログ説明
 ・記事
 ・最近のコメント
 ・最近のトラックバック
というのがもっともシンプルな構成だろう。

 僕のブログではいわゆる「自由形式」というパーツをたくさん入れている。
例えば左サイドバーにある
 ・最近読んだ本
 ・大いなる遡行
 ・本のタイトル
 ・映画のタイトル
 ・図書館利用状況
などは、それぞれ別々のパーツでいずれも「自由形式」という形式から選んでそれぞれ中身を書き込んでいる。

 真ん中(メイン)の「What's New!!」というのも「自由形式」のパーツの一つだ。パーツは4種類それぞれのページで別々に設定できるし、共通パーツにすることもできる。パーツを増やした時点では中身は空だから、中身を自由に書き込む。

 実は「What's New!!」が真ん中(メイン)の先頭のように見えるが、実はその上に隠されたパーツが存在する。それを仮に「Analyze-TOP」と名付けると、そのパーツは同じく「自由形式」の一つなのだが、中身には先ほどの手順(6)(7)で書いたタグが貼り付けてある。タグ自体はスクリプトなので表示されない。こうすることで、この見えないパーツ「Analyze-TOP」はトップページがどこかのマシンで表示されるたびに、隠されたタグを実行してAccessAnalyzerサイトに集計結果を送り続ける。

 この隠れたパーツは(a)〜(d)の4種類のページに対応して「Analyze-TOP」「Analyze-ARTICLE」「Analyze-ARCHIVE」「Analyze-CATEGORY」の4つのパーツを用意して、それぞれのページに組み込む。

 もちろん4種類のページで共通のパーツにしてもよい。つまり1個のパーツだけを用意する事も可能だが、僕が4つ作っている理由は、さきほどの(a)〜(d)の4種類のページのどれにどのくらいアクセスがあったかを別集計したいからだ。そのためには実はタグを貼り付ける時に工夫がある。

 貼り付けるタグは単なるテキストだが、その中にID情報が含まれている。このID別にAccessAnalyzerはアクセス解析の集計を行っている。
例えば

 var ID="100200300400";

のように書かれている。そこで

 (「Analyze-TOP」には)var ID="100200300400-TOP";
 (「Analyze-ARTICLE」には)var ID="100200300400-ARTICLE";

のように書くと、集計が別々に分かれる。もちろんID="100200300400"全体としての集計は従来通り実施してくれる。

 さてここまでタグを仕込んだパーツを4種類のページに組み込んだが、どこにパーツを置くかには、条件がある。

 ・なるべくページの上の方に置くこと

 これがAccessAnalyzerからの要望だ。この条件を満たさないとちゃんと集計できない事があるようだ。なので僕が用意した隠れたパーツはすべて真ん中(メイン)の一番上に置かれている。

 これで準備は整った。あとは「再構築」あるのみ。「コンテンツ画面」というのは各ページのパーツ構成・位置を決めて保存するわけだが、この設定が反映されるのは次に記事を投稿した時からだ。記事を投稿すると新しい記事ページは、上記の設定内容に従うから、タグを仕込んだ隠れたパーツが含まれる。

 問題はそれ以前のページだ。例えば僕が昨年の4月から今にいたるまで100や200の記事を投稿したはずだが、それぞれの記事ページにはまだパーツが含まれていない。ということは、そのページにアクセス(表示)があったとしてもカウントされないのだ。そこで全ページにさきほどのコンテンツ設定を行き渡らせるために全ページの「再構築」を行う。記事が多ければ多いほど時間がかかる処理だが仕方がない。一度はやっておかねば。

 これが済んだら、本当の終わり。あとは集計が出てくるのをまつばかりだ。待つついでに、どんな情報が出てくるのか説明も待ってもらえないだろうか。あまりに使い方説明が長くなったので、AccessAnalyzerの情報の解説と、僕自身の利用ポイントについては次回に回したい。

参考
 アクセス解析について思うこと(1)

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posted by アスラン at 19:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 評論・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月07日

アクセス解析について思うこと(1)

 実は毎日自分のブログにどれだけのアクセスがあるか(あったか)気になる性分だ。いや要するに典型的な「小市民」という奴で、人の言うことはあまり聞かないで「我関せず」という顔をしているくせに、人が自分について噂してると気になる性分なのだ。とっても気が小さい人間なのだ。と一応カミングアウトしておこう。

 そんな小さな人間にとってブログのアクセス解析はやめられないとまらないかっぱえびせんみたいなものだ。それこそ毎日新しい記事をアップしたらどのくらいアクセスがあるか気になるし、忙しくてアップしない日が続くとアクセス数が減っていくのが気になる。どちらにしても無ければないでどうしたら自分のブログの評判を知ることができるか悩むし、あればあったで毎日のアクセス実数に一喜一憂する。困りものである。

 とりあえず徒然なる感想はこのくらいにして、同好の士まあぼさんから問い合わせがあったので、アクセス解析についてひととおり書いてみる。

 まず最初に正直に書いてしまうと、毎月記事に載せている「何月アクセス解析」の内容は、

 (A)Seesaaブログのアクセス解析

によるものである。こう書いてしまうと、まあぼさんからなんだそうなのかと言われそうだが、実はアクセス解析ツールを別に利用してはいる。そのツールの使い方と何故そっちのデータを載せないのかという事情は後述する。

 Seesaaのアクセス解析の使い方は極めて簡単だ。どのブログでも自分のブログの内容を変更したり記事を登録するログイン画面があるはずだ。そこに「アクセス解析」というメニューが用意されていて、
・ページ別アクセス
・時間毎のアクセス
・リファラ(リンク元)
・検索ワード
などの最新情報が集計される。

 僕が最も利用するのは「ページ別アクセス」という情報で、これを見るとどの記事にアクセスがあったのかが一目瞭然となる。以下に最新の「ページ別アクセス」を一部抜粋する。最新というのは今日(7/7)12時少し過ぎの表示をコピーしたからで、刻々と表示は変わっていく。

ページ 比率 訪問者数 ページビュー
合計          122      365
1 /index.rdf  21.6% 18 79
2 トップページ  4.4% 10 16
3 愛と死をみつめて ある純愛の記録 河野実 ..  1.4% 3 5
4 限りなく透明に近いブルー 村上龍  1.1% 4 4
5 りはめより100倍恐ろしい 木堂椎  1.1% 4 4
6 アポロとソユーズ 米ソ宇宙飛行士が明かし..  1.1% 4 4
7 読書感想文「夏目漱石 こころ」  1.1% 4 4
8 この本が、世界に存在することに 角田光代  1.1% 4 4
9 アーカイブ:2005年5月  0.8% 3 3
10 映画の原作本をお弔い読書に…(図書館のす..  0.8% 3 3
11 君たちに明日はない 垣根涼介  0.8% 2 3
12 「夜のピクニック」 恩田陸  0.8% 3 3
13 隠蔽捜査 今野敏  0.8% 3 3
14 アーカイブ:2005年7月  0.8% 2 3
15 1999年7月24日(火) 「ラン・ローラ・ラン..  0.5% 2 2
16 あじさい(紫陽花) (あ!クマの辞典)  0.5% 2 2
17 2006年読了リスト  0.5% 2 2
18 1999年7月19日(月) 「マイ・ネーム・イズ..  0.5% 2 2
19 アーカイブ:2006年5月  0.5% 2 2
20 ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ 高橋..  0.5% 2 2
21 /article/5211256.html  0.5% 2 2
22 /article/5538402.html  0.5% 2 2
23 /article/5864965.html  0.5% 2 2
24 /article/5162926.html  0.5% 2 2
25 /article/8906459.html  0.5% 2 2
26 /article/4815462.html  0.5% 2 2


 Seesaaのアクセス解析のいいところは、一日ごとの集計ログがカレンダーから日付を選択していつでも表示できるところだ。しかも月単位の集計も表示できる。このブログで毎月載せている記事も月単位の集計を利用している。

 これからこの「ページ別アクセス」にどのように手を入れて毎月載せている記事のランキングに変更しているかを説明する。それは要するにSeesaaのアクセス解析の悪いところを浮き彫りにするだろう。

 (a)まず「/index.rdf」「/article/5211256.html」などの行を削除する。

 これらはおそらくRSSリーダーなどで僕のブログを読んでいる読者(おそらくまあぼさんもここに入る)のアクセスを示している。しかし僕が知りたい記事タイトルが分からない項目は捨てるしかない。「/article」で始まる方は、「http://elleryqueen.seesaa.net/article」で始まるならば記事タイトルが表示されるが、ルート(/)からではない相対表示のURLの場合には記事タイトルが表示されないらしい。

 (b)ページビュー昇順の並びを訪問者数昇順に変更する。

 Seesaaのアクセス解析では同じ訪問者言い換えれば同じPCから同じページを何度もアクセスしてもカウンタが増えるらしい。つまりページビューの数は延べ数であって実体とはほど遠いと思われる。それより訪問者数別で並べた方がアクセス数としては正しいと判断した。

 (c)「ページ別アクセス」のソースページをコピーする。

 僕のアクセス解析を見ると分かるが、ちゃんとランキングからそれぞれの記事がたどれるようになっている。これは元々のSeesaaのアクセス解析の表示がURLとリンクされて元記事を見られるようになっているので、それにならってソースページから必要な部分を抜き出して使っている。

 (d)記事タイトルの末尾「…」は手入力で補充。

 「ページ別アクセス」ではページ名(記事タイトル)はカラムの長さに制限があるため、一定以上の長さのタイトルは「…」で省略されてしまう。それを記事にするために補ってあげる必要があるが、ここらは自動化しているわけではなくすべて元記事を参照して手入力(コピペ)である。

 (e)比率、訪問者数、ページビューなどの数値はすべて削除

 これは数値自体だれにとってもあまり意味がないことから削除している。

 以上の修正を施して毎月のアクセス解析ランキングとなる。

ざっとみて問題をあげるとすると、

 ・ランキングに利用できないムダデータが多い。RSS経由が正しくカウントされていないならば、全体的に正しいアクセス数ではない可能性が大きい
 ・Seesaaのアクセス解析そのものが多めに出過ぎる傾向がある信憑性がいまひとつである
 ・月単位の集計に時間がかかる。おそらく31日分をそれぞれ足していると思われ、通常の一日単位の30倍はかかるのではないか
 ・「ページ別アクセス」から記事に載せるランキングにするのに手間がかかる(もっともこれはスクリプトを用意して簡単化したが…。)

などだろうか。これ以外にもありそうだが、いまは思いつかない。

 良い点はというと、まあひとつだけ。外部のアクセス解析に頼る必要がない。いつでも毎日見られるデータだし、それを月単位に集計したものだから結果に納得がいくという点だろう。

 次に外部のアクセス解析について説明するが、長くなったので別記事に分けます。

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posted by アスラン at 13:17 | Comment(2) | TrackBack(0) | 評論・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月04日

演出家・久世光彦さん逝く

 「時間ですよ」の演出家・久世光彦さんが亡くなられた。つい最近「寺内貫太郎一家」のDVD BOXの発売を記念して出演者たちが勢揃いしたという話題をテレビでやっていたので、懐かしいなぁと思ってた矢先の死去だったので驚いた。

 それにしても先日の脚本家・佐々木守さんの死去といい、「警部マクロード」や映画「激突!」の主演俳優・デニス・ウィーバーといい、70年代にテレビにかじりついて子供時代を過ごした僕にとって寂しいニュースが続いている。その中でも、久世さんには感謝してもしきれないほど楽しませてもらったように思う。

 特に「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー」「ムー一族」といったホームドラマ、ホームコメディの分野で異彩を放った演出家だった。

 「時間ですよ」は銭湯が舞台。森光子がまだ若々しいおかみさんで、落語の若旦那風が抜けない船越英二が夫役だった。頼りない本当の若旦那が松山栄太郎。その嫁が美人だが影の薄い松原智恵子という絶妙の配役だった。

 松原智恵子は体が弱く思うように嫁の役目を果たせない。それを負い目に感じるが舅・姑である森光子も船越英二も、息子には過ぎた嫁だと思いやる。「気がね」という言葉は現代では目くじら立てて隅に追いやられるべきものになってしまったが、久世さんのドラマの世界では人が人を思いやる暖かなまなざしで包まれている事を指していた。世相は世知辛くとも人情の世界は生きていたからこそ、人は「気がね」をする。お互いの気がねが通じ合うのがホームドラマの約束ごとだった。

 僕は当時そんな事を思って観ていたわけではもちろんない。子供だった僕は堺正章の「おかみさ〜ん、時間ですよ〜」のかけ声に続くほのぼのとしたテーマソングに心躍らせたり、子供にとってはかなりエッチな女性客の脱衣シーンにスケベ心を覗かせたり、堺正章と悠木千帆(樹木希林)のやりとりをゲラゲラ笑って観ていただけだ。

 何より隣の真理ちゃんである天知真理にはまさに魅せられた。小学生の未成熟な性が初めて揺さぶられる事になる。毎回起こる騒動が一段落する終盤に必ず登場して、アパートの窓辺でギターを弾きながら歌う真理さんの存在は、堺正章が隣からあこがれるマドンナであると同時に、ブラウン管の前で観ている僕らのアイドルだった。

 ああいう形でドラマの中にアイドルや歌を平気で取り込むという演出を平気でできてしまうのが久世スタイルで、今ではあまり見あたらない。その後、第3シリーズでは堺正章の同僚として浅田美代子が新人として抜擢され、彼女が音程をはずしながら歌う「赤い風船」が爆発的なヒット曲となった。

 このスタイルは後の「ムー一族」でも引き継がれ、使用人のアイドルは岸本加世子であり、郷ひろみ扮する拓郎のマドンナが桂木文だった。余談ながら桂木文が歌った「短編小説」はさだまさし作詞・作曲の佳作で、それなりにヒットした。が、なんと言っても「ムー一族」の最大のヒット曲は樹木希林と郷ひろみがデュエットした「林檎殺人事件」だろう。

 「時間ですよ」は昭和30〜40年代の雰囲気を色濃く残した人情ドラマだったが、「ムー一族」は下町の足袋屋を舞台にしているとは言え、昭和50年代の高度成長期後の安定成長期の日本を反映して娯楽色が一段と強まった。久世さんの遊び心が全開となった作品で、ドラマであるにもかかわらず生放送の回を定期的に実施して、テレビ草創期を模倣するかのような臨場感でお茶の間(いまや死語だろうな)を楽しませてくれた。

 そういえば生放送の回は番組最後に郷ひろみが視聴者と電話して感想を聞くというコーナーがあり、当時高校生だった僕らは修学旅行先でそれを観ていた。どこかのクラスの誰かがこのコーナーに応募して当たっていると情報が流れ、騒然となってみんなでテレビを見守っていたが、何番目かで待機していたが時間切れとなり、なあんだと肩すかしを食った思い出がある。

 その後、「寺内貫太郎一家」でつきあいのあった向田邦子作品を次々とドラマ化したが、その端正でかつ切なくもの悲しい演出が光っていた。久世さんの演出の特徴は、しんみりとして人情味あふれる話だけど、べたべたしたところを感じさせない潔さにあった。

 いまさらだけど「時間ですよ」みたいなホームドラマがもう一度見たいな。無理とはおもうが。久世さん、本当に残念です。さようなら。 

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posted by アスラン at 05:03 | Comment(2) | TrackBack(1) | 評論・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月27日

「ウルトラマン」の脚本家、佐々木守さん死去

 昨日の新聞に脚本家・佐々木守さん死去の記事が載った。

 「ウルトラマンの脚本家」と冠がつかなければ見過ごしてしまったかもしれない。正直、市川森一や実相寺昭雄などは、「ウルトラマン」から羽ばたいたビッグネームとしてよく知られているが、佐々木守という脚本家がどのような人でどのような仕事をなしたかは、僕自身よくわかっていなかった。

 第一期「ウルトラマン」世代(「ウルトラQ」「ウルトラマン」などを放映当初から見ていた世代)である僕としては、佐々木さんの仕事を振り返っておくやみに変えたいと思う。

 まず佐々木さんは「ウルトラマン」全39話のうち、以下の6本の脚本を担当している。

真珠貝防衛指令 「汐吹き怪獣ガマクジラ登場」
恐怖の宇宙線 「二次元怪獣ガヴァドン(A)(B)登場」
地上破壊工作 「地底怪獣テレスドン登場」
故郷は地球 「棲星怪獣ジャミラ登場」
空の贈り物 「メガトン怪獣スカイドン登場」
怪獣墓場 「亡霊怪獣シーボーズ登場」


 このリストを見て何か気づかないだろうか。僕自身びっくりしたのだが、すべて実相寺昭雄が監督した作品なのだ。あの実相寺作品の独特な映像やストーリーのタッチは、佐々木さんとのコラボレーションから生み出されたと初めて知った。

 特徴としては、ノスタルジーや哀愁に満ちた作品が多く、ジャミラやシーボーズなど出自の悲しさが際だった作品が含まれている。かと思うとガマクジラの回のように怪獣話とギャングが抱き合わせになるスタイリッシュな作品もあり、これは実相寺さんの遊び心に応えた作品なのかもしれない。出色なのはスカイドンの回で、超弩級の重量の怪獣が空から落ちてくるというユーモアに満ちた楽しい作品だった。

 「ウルトラセブン」でも以下の2話の脚本を書いている。

遊星より愛をこめて スペル星人
勇気ある戦い クレージーゴン

 ただし、再び実相寺監督とタッグを組んだスペル星人の回は不幸なことに永久欠番となり二度と日の目を見ることはなさそうだ。クレージーゴンの回は、ダンと手術を控える子供との約束を描いたヒューマニティー溢れる作品であり、これは実相寺監督作品ではない。逆に佐々木さんの本領とするところが分かる作品と言えるかもしれない。

 その後のフィルモグラフィーを見ると、

「コメットさん」
「柔道一直線」
「刑事犬カール」
「奥様は18歳」
「刑事くん」
「西遊記」

などなどの当時、子供から大人まで楽しんだドラマやコメディーを多岐にわたって担当していて、平凡な名前が象徴するように職人気質が感じられる脚本家だったようだ。

 なかでもこれもうかつだったとしか言いようがないが、僕の好きな「アルプスの少女ハイジ」の脚本を担当していた事が、まさに佐々木さんの脚本家としての手腕がいかに手堅いものであったかを納得させてくれるだろう。全52話のうち、最終話を含めた23話が佐々木さんの脚本だ。

第20話 新らしい生活
第21話 自由に飛びたい
第22話 遠いアルム
第27話 おばあさま
第28話 森へ行こう
第29話 ふたつのこころ
第30話 お陽さまをつかまえたい
第31話 さようならおばあさま
第32話 あらしの夜
第33話 ゆうれい騒動
第34話 なつかしの山へ
第41話 お医者さまの約束
第42話 クララとの再会
第43話 クララの願い
第44話 小さな計画
第45話 山の子たち
第46話 クララのしあわせ
第47話 こんにちわおばあさま
第48話 小さな希望
第49話 ひとつの誓い
第50話 立ってごらん
第51話 クララが歩いた
第52話 また会う日まで


 前半は別の脚本家が担当しているが、アルムを離れて遠くフランクフルトでの生活が始まったのを機に、佐々木守脚本で感動的な話が綴られるようになる。脚本のテコ入れでもあったかもしれないが、何よりフランクフルトから再びアルムにいたる重要な山場を乗り越えるには、佐々木さんの手腕以上に、エモーショナルな筋立てが必要とされたのだろう。

 佐々木さん、感動を与えてくれてありがとうございます。
 あらためて合掌。

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2006年01月02日

僕が選んだ2005年ベスト30、そしてワースト本6冊

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。

 たしか昨年の冒頭に、今年こそは100冊以上読むぞと意気込んでみたのだが、結局それは達成できなかった。91冊(上下本は一冊と見なす)が2005年の読書総数だ。正直もっと読めるはずだし読みたかったけれども、現状では行き帰りの通勤電車の中が読書時間の中心なので、まあまあ検討した方じゃないだろうか。

 とにかく昨年一年はブログを始めたのが大きい一年だった。読書時間が多少でも切りつめられても、読んだ本についての感想を発信できる喜びは大きかった。なによりそれは自分自身への発信でもある。自分の文章を自分で読む。すると自分の言っている事に自分で感心したりする自分がいる。それは一種のナルシシズムだけれども、その中から自分でも無意識に感じていたことが言葉になって立ち上がってくる感じがした。

 この91冊のリストを改めてながめて、よかった本を挙げてみたらベストテンにおさまらない。かといっても切りのいい冊数だけ挙げる事に意味があるとも思えない。

 で、よかったと思った本はすべてあげるとキリがないので、とりあえず30冊に絞り込んだ。それぞれに受けた感動の大きさや質には大小があるので、全部が同じように面白かったわけではない。その中であえてベスト10を特に選んでみた。ただどれが一位、二位などとケチなことは言わない。順不同です。

 さらにこそっとワースト本も6冊ほど挙げる。これだけは、ちょっとガマンができなかったという本しか挙げてません。

[2005年ベスト10]

日本文学盛衰史 高橋源一郎
 日本語と日本文学と格闘した明治の作家の数々が現代によみがえる。特に漱石の「こころ」の中の友人Kとは何者だったかという謎解き部分がスリリングで面白い。
(参考)啄木・ローマ字日記

航路 コニー・ウィリス
 臨死体験を疑似的に体験できる実験をおこなって、臨死とは何かをつきとめようとする主人公の医師2名の物語。そこにタイタニックが絡んでくる面白さ!

インストール 綿矢りさ
 芥川賞受賞作「蹴りたい背中」より面白い。こっちの方が好みです。

エラリー・クイーン Perfect Guide 飯城勇三
 エラリー・クイーン初の全作品完全ガイドブック。クイーンファンもそうでない人もぜひ読んでください。楽しさ2倍です。
 (参考)エラリイ・クイーンパーフェクトガイド(文庫版) 飯城勇三・編著

アースダイバー 中沢新一
 こんな散歩の仕方があるとは思わなかった。こんな風景の読み方があるとは思わなかった。江戸の古地図と現代の地図を重ね合わせる楽しさはわかりやすいが、縄文時代の地図と重ね合わせて土地のもつエネルギーを読み取るダイナミックさと意外性が絶妙!

空中ブランコ 奥田英朗
 もう文句なし面白い。こんな医者がいたらぜったいかかりたくないけど、もし診察室に足をふみいれたら逃れられそうにない。

しょっぱいドライブ 大道珠貴
 このダメダメな女たちの情けなさを感じると、彼女たちのかわいらしさが見えてくる。

ニッポン硬貨の謎―エラリー・クイーン最後の事件― 北村薫
 エラリー・クイーン全作品を渉猟した者のみが味わえる醍醐味が隠されている作品。もちろん北村テイスト炸裂なので、北村薫好きならばとりあえず楽しめる。

失踪日記 吾妻ひでお
 吾妻ひでおってすごいねぇと見直してしまうこと間違いナシ。

赤塚不二夫のことを書いたのだ!! 武居俊樹
 赤塚不二夫作品の真実がつまっていて、読むことで赤塚作品ともういちど出会える本。

[2005年プラス20]

電車男 中野 独人
 (参考)「鉄塔武蔵野線」あるいはもうひとつの「電車男」
アポロとソユーズ 米ソ宇宙飛行士が明かした開発レースの真実 デイヴィッド・スコット+アレクセイ・レオーノフ
幸せな動物園 旭山動物園監修
間宮兄弟 江國香織
センセイの鞄  川上 弘美
装丁ノート 栃折久美子
 (参考)ワープロで私家版づくり 栃折久美子
解夏 さだまさし
古道具屋中野商店 川上弘美
パズル アントワーヌ・ベロ
鉄鼠の檻 京極夏彦
孤独のグルメ 
カップルズ 佐藤正午
明日の記憶 荻原 浩
告白 町田康
僕が批評家になったわけ 加藤典洋
復刊ドットコム奮闘記 左右田歩
イン・ザ・プール 奥田秀朗
素晴らしい一日 平安寿子
神様 川上弘美
東京物語 奥田英朗
村上龍映画小説集 村上龍
 (参考)限りなく透明に近いブルー 村上龍
     69 村上龍
夜のピクニック 恩田陸


[2005年ワースト本]

負け犬の遠吠え 酒井順子
 「負け犬」が思ったほど普遍的な概念ではないという事が分かる。読めば「なんだ、看板に偽りありじゃん」って分かる本。

通勤電車で座る技術! 万大
 それほど得るところがない技術本。しかも著者の未熟さがあからさまに文章からたちのぼるところがあきれてしまう。

徹底抗戦!文士の森 実録純文学闘争十四年史 笙野頼子
 もうとにかく駄文を半分くらい読まされる。こんな雑文を整理もせずに読ませるな!
 (参考)「文士の森」は一冊ではない

東京タワー 江國 香織
 書評で書いたとおり。男性には実はまったく必要としない本。いやお呼びでないという本。

ダ・ヴィンチ・コード ダン・ブラウン
 どうしても読んでてお手軽という印象がぬぐいきれなかった。たぶん薔薇十字とかの題材をすでにエーコの「フーコーの振り子」などで読んでしまっていたからだろう。それに何故、こうも短い時間で、あの優柔不断な素人探偵が次々になしくずしに謎を解いてしまうのか違和感が残る。

ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18 小森収・編
 とにかくおそろしく偏りの多いミステリ論集。面白い小文もあるにはあるのだが、もうちょっと全体のバランスを考えた取りそろえにしてほしかった。著者の好みだけで読まされると、著者の考え方が狭い場合は目も当てられない。
 (参考)書評連載(その1)(その2)(その3)(その4)(その5)

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posted by アスラン at 03:37 | Comment(5) | TrackBack(0) | 評論・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月06日

アルジャーノンは何処で泣くか?(その3)

実はパン屋に戻って新入りにいじめられるシーンも、女教師アリスのクラスに顔を出すシーンも、ラストの「アルジャーノンの墓に花束を」のセリフの数ページ前に過ぎない。だから、何処で泣こうが大差ないと思う人もいるに違いない。

だが僕にはそんな粗雑な考え方はできない。特にあの作品の終盤は作者と読者のガマン比べと言っていいほど、怒濤の如く「泣き所」が並べられるからだ。

チャーリーが自らの知能の後退を理論付け、アルジャーノンの死に自らの運命を見た時点から、チャーリーの冷ややかなモノローグに支配されていた緊張感は頂点に達する。作者も読者も解放される瞬間を何処にするか固唾を呑んですくみ合うのだ。

日一日と急速に知能が失われていくのを文体の変化で見せつけられても読者は涙をかろうじてこらえる事はできるだろう。

またパン屋の下働きに逆戻りする残酷さに哀れを感じる事はあっても泣く事はできまい。いじめられる過酷さには思わず目を背けたくなるだけだ。

ひょっとするとギンピイの心変わりも予想できた事かもしれない。ただギンピイの義憤に対して、自分をいじめた新入りをかばうチャーリーには不意打ちを食らわされる。誰もチャーリーのお人好しを笑う事はできないのだ。

この瞬間にチャーリーが元に戻っただけではない事を、知能が高い時には彼自身気づかなかった大切な物を手に入れて帰ってきた事に読者は気づかされる。それがチャーリーも読者も作者さえ救われる瞬間だとしたら、チャーリーの次のコトバは読む者の胸を撃たないだろうか?

ともだちがいるのわいいものだな…

posted by アスラン at 00:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 評論・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月04日

アルジャーノンは何処で泣くか?(その2)

「アルジャーノン」を勧めてくれた会社の同僚とは最初の読後に「号泣しました〜」と話した筈だったのに、何処で泣けたのかは確認し合わなかったのだろうか?

それとも泣き所を僕だけ間違えてるんだろうか?

僕は、以前と同じ知能に戻って以前と同じパン屋の下働きに戻ったチャーリーが案の定以前のように馬鹿にされるシーンで、かつて兄貴分と慕っていたが実はからかいの張本人だったギンピイがチャーリーをかばうタイミングでドッと涙が溢れて止まらなくなったのだ。

チャーリーが愛し合った女教師の教室に再び教えを請いに行くシーンも切ないが、それでもチャーリーも彼女も救われる事はないだろう。

チャーリーを救えるのは、同僚の彼しかいないのだ。知能が低いと笑い、高くなったと恐れ、再び元に戻ったチャーリーを前にして初めて自分の無理解を恥じた彼の善意こそがチャーリーを救うのだ。

著者の狙いがそこにある以上、エンディングのチャーリーの一言「アルジャーノンの墓に花束をあげてください」はエピローグに過ぎないと思う。

なのに彼女は最後の最後に、この一言で泣いたのだと言う。

ちょっとショックだった。泣き所が違う事がではなく、彼女が最後のセリフで泣いたとするなら、僕の号泣の立場がないからだ。

何故、彼女はアソコで泣かない訳?

(続く)
posted by アスラン at 23:58 | Comment(1) | TrackBack(0) | 評論・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月29日

アルジャーノンは何処で泣くか?(その1)

 本棚に文庫版の「アルジャーノンに花束を」がある。まだ未読だ。
「アルジャーノン」が未読なのではなく文庫が未読なのだ。


「アルジャーノンに花束を」は同名の中編がまずあって、後年著者のダニエル・キイスが書き足して今の長編になった事はSFファンには周知の事実だろう。SFファンでもない僕が知っているのは何故かというと、会社の同僚からの受け売りである。彼女から単行本を借りて読み、さらにSFマガジンに掲載されたという中編もバックナンバーを借りて読んだ。

 中編はコクがなくなった長編というだけで感動的なドラマはそのままだが、残念ながら訳の雰囲気が長編と異なり、セリフも口調も違うだけでどこか興ざめしてしまった。翻訳とはまことに恐ろしい。

 で、僕には単行本の長編を読んだ時の感動が、鮮やかに焼き付いている。その後に単行本を再読したが、感動作のクライマックスは、一気に読める時間と場所を選んだ方がいいようだ。朝の通勤電車の中で、知力が戻ったチャーリーが元の職場に戻って若い職人にいじめられる場面にたどり着いたところで、乗りかえで続きはお預けになってしまったのだ。後で再び続きから読んでも、なかなか気持ちが盛り上がらず悔しい思いをした。

 という話を同僚の女性にしたら、「まだ泣けるじゃない」と言われた。僕は「へっ?」とうめいた。

(続く)
posted by アスラン at 17:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 評論・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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