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    2026年01月17日

    S・S・ヴァン・ダイン『グリーン家殺人事件』を散策する(その2)

     S・S・ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』の地図の続きを見ていこう。

    [地図(その2)]
     (その1)の(1)〜(5)はファイロ・ヴァンスやマーカム地方検事などお決まりの人物たちの住まいや職場、そして社交クラブなどの場所を説明していた。これは『グリーン家』に限ったものではなく、シリーズ全体で共通している。
     となると(6)グリーン屋敷だけが本書特有の地図であり、一家の四人が連続して殺されるにも関わらず、現場はグリーン屋敷だけできわめて動きのないミステリとなっている。これは黄金期の本格ミステリ特有の特徴で、隔絶した屋敷あるいは場所で殺人事件が起こり、論理的な推理だけで謎を解いていく形式だ。前回も書いたように『グリーン家』はそのひとつの完成形に達成した。
     エラリー・クイーンやアガサ・クリスティーも関心を示したのは当然だが、それは同時にこの形式の限界を提示することにもなった。ひとつには、エドガー・アラン・ポー以来変わること無く論理を中心にすえて謎を解いていく手法が陳腐化した点が挙げられる。今ひとつは、隔絶した家や場所で殺人が起きる事で、動きが非常に乏しくて退屈な作品になりがちである点が挙げられる。

     おそらくヴァン・ダインはその欠点に気づいていた。特に、本格ミステリと同時期に誕生したハードボイルドは、論理的推理よりも現実に即した動きのある場面を刺激的に描く事を優先することで、読者から支持を得ていた。ヴァン・ダインは大きく作風を変える事はできなかったが、要所でハードボイルドのエッセンスを取り入れようと模索していたと思われる。それは、購読者に迎合した掲載雑誌〈コスモポリタン〉からの要請だったかもしれないが、グリーン家の次女シベラたちがドライブする場面に表現されている。
     このドライブはマンハッタンを縦断し、クライマックスにはカーチェイスとして再び描かれる。結果的に本格ミステリにきわめてスリリングな展開を盛りこむ事になった。

    (7)ドライブ
    (7-1)グリーン屋敷〜リヴァーサイド・ドライブ
    ドライブ-02.jpg
    [翻訳](12章P.198)
     五番街を北上してセントラル・パークへ入り、七十二丁目口で公園を出ると、リヴァーサイド・ドライブへ向かった。眼下にいちめんの芝生さながらハドソン川が横たわり、午後もまだ早い澄み渡る空気の中に、ジャージーシティ側の断崖がドガのドローイングのようにくっきり刻まれている。
     グリーン家を起点にしてドライブは始まる。ブロン医師のダイムラーはセントラル・パークを横切り、リヴァーサイド・ドライブを北上していく。リヴァーサイド・ドライブ沿いに見えるハドソン川の対岸ジャージーシティの断崖が「ドガのドローイング(素描、スケッチ)のよう」と書いているのは、美術評論家でもあるヴァン・ダインならではの記述だ。

    (7-2)マンハッタン島北端(スパイテン・ダイヴィル・ロード周辺)
    ドライブ-03.jpg
    [翻訳](12章P.198)
    ダイクマン・ストリートでブロードウェイまで進み、西へ曲がってスパイテン・ダイヴィル・ロードを、水路沿いに並ぶうっそうとした古い屋敷を見渡すパリセード・アヴェニューへ。生垣に縁取られた私道を抜けて、再び内陸のシカモア・アヴェニューへ向きを変え、リヴァーデール・アヴェニューに出た。
     リヴァーサイド・ドライブを抜けてから道順に変化が出てくる。当時はヘンリー・ハドソン橋は存在せず(開通は1936年)、マンハッタン島から本国に渡るには内陸側のブロードウェイを通るしかなかった。また、現在はスパイテン・ダイヴィル川沿いに鉄道が出来ているが、当時はスパイテン・ダイヴィル・ロードが通っていたようだ。そこを再びハドソン川沿いへと出ていくパリセード・アヴェニューを通り、その先は私道を抜けて再び内陸へと向きを変える。

    (7-3)マンハッタン島端からヨンカーズ、ヘイスティングズに至るまで
    ドライブ-04.jpg
    [翻訳](12章P.198)
    ヨンカーズを通り抜けてノース・ブロードウェイからヘイスティングズへ、それからロングヴュー・ヒルのふもとをめぐる。
     当時も今のような幹線道路(北ブロードウェイ)が存在していたのか分からないが、ハリソン川沿いから再び北ブロードウェイに戻った後は、ヨンカーズ、ヘイスティングズ、アーズリーの順にダイムラーを走らせていく。

    (7-4)ドブズ・フェリー村周辺
    ドライブ-05.jpg
    [翻訳](12章P.198)
    ヨンカーズを通り抜けてノース・ブロードウェイからヘイスティングズへ、それからロングヴュー・ヒルのふもとをめぐる。ドブズ・フェリー村を越えてハドソン・ロードへ入ると、また西へ曲がってアーズリー・カントリー・クラブのゴルフ場沿いに走り、川岸にやって来た。アーズリー・オン・ハドソンの向こうに、水路に沿って丘を登る細い砂利道がある。東へ向かう幹線道路ではなくそのちょっとさびれた道を登っていくと、荒れ果てた放牧地のような高台に出た。
     ロングヴュー・ヒルもドブズ・フェリー村も今では地名が残っていないのでハッキリと特定はできない。アーズリー周辺にドブズ・フェリー村があったと思われる。ハドソン川から内陸に向けて小さな丘がいくつもあって、そのひとつがロングヴュー・ヒルだろう。いったん幹線道路(ブロードウェイ)を外れてハドソン川沿いまで出て、そこから高台にむけて登ると「荒れ果てた放牧地」にたどり着く。

    (7-5)アーズリーとタリータウンの中間
    ドライブ-06.jpg
    [翻訳](12章P.199)
     もう一マイルかそこら先に――アーズリーとタリータウンの中間あたりだ――こんもりした灰褐色の丘が巨石のように、私たちの行く手にまともに立ちふさがっている。そのふもとに来たところで、道がえぐり取ったような断崖に沿って西へ急角度に折れ曲がっていた。曲がり角は狭くて、片側が切り立った丘の斜面、もう片側は川まで真っ逆さまに落ち込む岩肌とあって危なっかしい急降下する崖の縁に沿ってお粗末な木の柵が設けられてはいるものの、無謀運転やちょっとした不注意があれば、落下防止の役には立たないのではないかと思われた。
     急カーブのいちばん外側に来ると、フォン・ブロンは前輪をまっすぐ絶壁に向けて車を止めた。眼前に壮麗な眺めが開けている。ハドソン川の上流と下流の両方向へ、何マイルも先まで見渡せる。そして、背後の丘が内陸部の眺めを完全に遮断しているために、ここは隔絶された場所であるように感じもした。
     再び北ブロードウェイに戻り、一マイル程度北上して再び幹線道路を外れてハドソン川沿いに出て行く。ここには急峻な断崖があり、風景も「灰褐色の丘が巨石のように、…立ちふさがって」いたり、「川まで真っ逆さまに落ち込む岩肌とあって危なっかしい急降下する崖」がある。
     目的地となったこの場所は「背後の丘が内陸部の眺めを完全に遮断しているために、ここは隔絶された場所であるように感じもした」というように、都会の喧噪にはなく自然の風景そのままの断崖だった。グリーン屋敷の人々は死と直結した世界(断崖)にたどり着いたかのような暗い気持ちになった。
    posted by アスラン at 22:30 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(S・S・ヴァン・ダイン) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2026年01月10日

    S・S・ヴァン・ダイン『グリーン家殺人事件』を散策する(その1)

     本格推理小説の黄金時代の作品の愛読者にとって、S・S・ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』はあまりにも有名で、いまさら書評がどうだとか言っても仕方ない。小説の舞台を実体験したかのように『グリーン家殺人事件』ゆかりの地を歩いていこう。参考にするのは以下のとおりだ。
    S・S・ヴァン・ダイン『グリーン家殺人事件』(日暮雅道 訳) (創元推理文庫)
    S・S・ヴァン・ダイン『ベンスン殺人事件』(日暮雅道 訳) (創元推理文庫)
    The Greene Murder Case by Van Dine, S. S. (Charles Scribner's Sons)[1930](注)
     (注)ヴァン・ダインの全長編はfadedpage.comで見る事ができる。fadedpageは無料のいわば英語版青空文庫だ。

    [地図]
    グリーン家周辺.jpg クイーン父子のアパートメント周辺-03.jpg
     以前、エラリー・クイーンの処女作『ローマ帽子の秘密』を散策したが、主役たちの活躍の場が類似している。というか、クイーンがヴァン・ダインの作品の舞台を真似ていると言った方がいいだろう。

    (1)ファイロ・ヴァンスのアパートメント
    [翻訳](8章P.127)「よし、万難を排しても行くとも」ヴァンスはいきなり部屋を出て、着替えをしにいった。
     地方検事の車で、東三十八丁目のヴァンスの住まいからグリーン屋敷まで、ほんの数分しかかからなかった。
     本作では、名探偵としておなじみのファイロ・ヴァンスがイーストリヴァーに面した東38丁目のアパートメントに住んでいると書かれている。
    [翻訳](『ベンスン殺人事件』1章P.19)
    東三十八丁目にあるヴァンスのアパートメント――実際には古い大邸宅の最上階二フロアぶんをきれいに改装し、一部は改築して天上の高いゆったりした間取りを確保した住まい――は、東洋と西洋、古代と現代の稀少な美術の実例で埋め尽くされているものの、決して詰め込みすぎとはなっていない。
     処女作『ベンスン殺人事件』の時点で判で押したように「東38丁目のアパートメント」とだけ記載されている。ただし日本でイメージするアパートではなく、内部が今で言うところのメゾネットタイプの部屋をさらに改築している。いわゆる高級アパートメントだ。
     ミッドタウンやエンパイア・ステート・ビルディングが目と鼻の先にあり、おばが残してくれた遺産だけで悠々自適の暮らしを送っている。もっぱら遺産を消費するだけで、事業にも手を出していないようだ。アメリカには珍しい上級階級として設定されている。
     一方、エラリー・クイーンが生み出した青年エラリーと父クイーン警視の二人も、同じくマンハッタンで暮らしている。位置的にはミッドタウンから離れてはいるが、リバーサイド・ドライブとセントラルパークを結ぶ西87丁目にあり、それなりの暮らしを送っている。

    (2)ヴァン・ダイン法律事務所
    [翻訳](『ベンスン殺人事件』1章P.14)
     卒業とともに私は、父の法律事務所――ヴァン・ダイン・アンド・デーヴィス――の一員となり、大人しく五年間の見習い期間を過ごして、その会社のジュニア・パートナーとなった。現在の私は、ブロードウェイ百二十番地に事務所を構えるヴァン・ダイン・デーヴィス・アンド・ヴァン・ダイン法律事務所の、二人めのヴァン・ダインというわけだ。
     ファイロ・ヴァンスの活躍を描く作品中、語り手の役目をはたすのが、著者と同名のヴァン・ダインである。ヴァン・ダイン自身の住まいは描かれることはないが、法律事務所の場所は「ブロードウェイ120番地」だと明かされている。元々は父と別の一人デーヴィスが立ち上げた法律事務所であり、やがては三番目のパートナーに加わったと書かれている。
     だとすると中点の使い方がおかしい。原書だとVan Dine and Davisが元々の事務所名で、ヴァン・ダインがパートナーに加わった事でVan Dine, Davis and Van Dineになった訳だから、ヴァン・ダイン,デーヴィス・アンド・ヴァン・ダインとでもしないと名前の区切りが判然としなくなってしまう。
     それはさておき、ブロードウェイ120番地はマンハッタン島の突端にあり、ある意味辺鄙なところにある。ただし、ミッドタウンとの間に刑事裁判所やニューヨーク市警、地方検事局などを含む様々な公的機関が揃っているので、法律事務所を構える場所としては理にかなっているのかもしれない。

    (4)マーカムたちの仕事場
     (4-1)刑事裁判所ビル
    [翻訳](23章P.347)
     土曜日は地方検事局の”半休日”で、マーカムはヴァンスと私を銀行家クラブでの昼食に招待してくれていた。ところが、私たちが刑事裁判所ビルに着いてみると、マーカムは山と溜まった仕事の沼で溺れかけている。彼専用の会議室に仕出しを頼むことになった。
     マーカムの仕事場は刑事裁判所ビル内にあるようだ。何故だろう?

     (4-2)地方検事局
    [翻訳](25章P.382)
     地方検事局では、マーカムとヒースの二人が私たちを待っていた。ちょうど四時で、古い刑事裁判所ビルの南西一ブロック先にそびえ立つニューヨーク生命ビルの向こうにもう日が落ちていた。
     どうやら地方検事局が刑事裁判所ビル内にあるようだ。記述が込み入っていてなかなか分かりにくいが、「古い刑事裁判所ビル」なので新しい刑事裁判所は別の場所に移っているのかもしれない。そこに居抜きで「地方検事局」が入っていれば、マーカムが刑事裁判所ビル内の一室で「仕事の沼で溺れかけている」のも納得がいく。

    (3)銀行家クラブ
     先述の(4-1)刑事裁判所ビル(25章P.382)では、マーカムとヴァンスが銀行家クラブで食事の約束をした事が書かれている。『ベンスン殺人事件』では実際にクラブで食事をするシーンが出てくる。
    [翻訳](『ベンスン殺人事件』13章P.181)
      十二時半にマーカム、ヴァンスと私がエクィタブル・ビルにある銀行家クラブのグリルへ入っていくと、オストランダー大佐がもうバーにいて、チャーリーのつくった禁酒法対応のハマグリスープ・ウースターソース・カクテルをひっかけていた。
     詳しくは分からないが「銀行家クラブ」は銀行家たちのために作られた社交クラブで、マーカムはなんらかのつてで会員になっているようだ。銀行家クラブにはレストラン(グリル)があり、ヴァンスと打ち合わせをかねて食事を行う際に利用している。
     禁酒法対応のカクテルがバーで供されているという記述が、わずかに当時の時代背景を示している。

    (5)スタイヴェサント・クラブ
    [翻訳](13章P.201)
     次の日曜日、十一月二十八日の夜、マーカムは非公式に話し合う場をもとうとスタイヴェサント・クラブにモラン警視とヒースを呼んだ。警官二人が来たときには、彼と夕食を一緒にしていたヴァンスと私も同席していた。
     たびたび作品に登場するクラブだが、『ベンスン』にも『グリーン家』にも位置は示されていない。だから地図のポイントは推測でしかない。
     そもそもヴァンスとマーカムはスタイヴェサント・クラブで何をしていたのか。英国では、社交クラブは上流階級の男性が集まる会員制の私的なサロンで、食事・読書・議論・仕事・宿泊などができた。アメリカのクラブは英国のクラブを踏襲しているが、英国が上流階級の集まりだったのに対して、貴族などの伝統がないアメリカでは職業や民族としての"上流"が集まる場所だった。ヴァンス自身は英国風の上流階級を体現する高等遊民だが、一方のマーカムは、まさに職業的な成功者(上流)だった。
     『ローマ帽子の秘密』で数年ほど遅れてデビューしたエラリー・クイーンは、人間関係・推理方法・舞台など真似できるものは何でも真似したヴァン・ダインの愛読者だったので、青年探偵エラリーにも"上流階級"をきどった素振りを取らせている。しかし、現実にはクイーン警視と息子には階級差は見当たらない。クイーン警視はりっぱな警察官だ。エラリー自身も大学卒業後にミステリ作家として自らを養っている。
     ヴァンスのように社交クラブに出入りするところまで真似しないでよかった。すでに米国では"階級意識"は旧弊なものとなっていたからだ。

    (6)グリーン屋敷
    [翻訳](3章P.43)
    三世代にわたって五十三丁目の東端に建つその屋敷の、張り出し窓のうち二つは、イーストリヴァーのくすんだ川面に文字どおり張り出している。敷地はまるごとひとつのブロックを占め――距離にして幅二百フィートだ――奥行きも間口と同じくらいあった。(略)この世を去る前に彼は、五十三丁目側に大きな鉄門を二重に構え、五十二丁目には通用門を設けた、背の高い石塀で敷地全体を囲んでもいた。
     東53丁目と言うと、ヴァンスの住まい(東38丁目)と非常に近い。しかも、グリーン家は東53丁目の東端にあり、イースト川に面している邸宅である。
     『ミステリな建築 建築なミステリ』(篠田真由美著)によると、当時のグリーン家周辺は「十九世紀のミッドタウン・イースト」で、「成金趣味の贅を尽くした、悪趣味な大邸宅が建ち並ぶ地区だった」。それゆえに「彼(老トバイアス・グリーン)が一八九〇年頃海外で事業して蓄財し、大富豪」になり、一九二〇年頃にグリーン家を建てたのも「充分リアリティのある設定」だった。
     『ミステリな建築』のグリーン家は、口絵にある版画を意識しつつも事件当時に雪が桟に積もった屋敷を再現していて、さらにリアリティが増している。
     そして著者・篠田さんは重要な指摘もしている。「旧家の廃れかけた巨大な屋敷に暮らす世間から隔絶した血族。建築の古びと住人の衰退が二重写しになる光景」。これこそ「エドガー・アラン・ポーがあの『アッシャー家の崩壊』で描いた構図とそっくり」ではないかと。
    [翻訳](7章P.112)
    「あの屋敷は堕落しているよ、マーカム。崩落して滅びようとしている――たぶん物質的な崩壊じゃなくて、それよりはるかに恐ろしい腐敗だ。あの旧家の芯と根幹が朽ち果てようとしているんだ。それとともに家人もみな腐敗して、精神も理性も人格も崩壊しようとしている。まさに自分たちがつくり出した雰囲気に自分たちが汚染されたんだ。この犯罪をきみは軽く見ているが、そういう環境にあっては避けられないものだったんだよ。もっと恐ろしい、もっと悲惨なものであってもおかしくなかったとさえ思う。今回のは、ああいう異常な家が全般的に崩壊していく第三段階くらいの事件だよ」

    [翻訳](7章P.114)
    「(略)。あの家には迷路や行き止まりの通路、落とし戸やら悪臭のする地下牢やらがやたらとあるんだ。あって当然のもの、健全なものは何ひとつないくせに――異常な奇人変人の住む、悪夢のような家だ。ゆうべ突発して、あの古いホールをうろついた名状しがたい巨大な恐怖を、その住人ひとりひとりが反映している。(略)」
     では『グリーン家』の著者ヴァン・ダインのねらいは何だったのか?篠田さんは「二十世紀の現代のアメリカ、ニューヨークにゴシック・ロマンスの定型を持ちこみ、それを論理的な謎解きミステリと融合させる」事だったのではないかと想像を巡らせる。
     なるほどと思いつつも、では「ファイロ・ヴァンス」の立ち位置はいったいどこにあるのかと考えずにはいられない。地図からすると、ヴァンスもグリーン家同様に「成金同然」の土地柄に自らの住まいを作りあげたのではないだろうか。そして”上流階級"という身分さえもが滅び、時に「堕落している」という事をヴァンスが自覚しているのではないだろうか。

     そういう意味では『グリーン家殺人事件』は、ヴァン・ダインの狙いどおりの作品であり、完成形となったと言える。当時の黄金時代のミステリ作家(クリスティーやクイーンなど)が注目したのも首肯ける。しかし、図らずもヴァン・ダインはその先を考えていたかもしれない。雑誌「コスモポリタン」の読者に迎合しただけかもしれないが、論理的な謎解きミステリにスリリングな展開を盛りこんだ。それが、マンハッタンを縦断するドライブであり、クライマックスに再び行われるカーチェイスだった(続く)。
    posted by アスラン at 04:15 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(S・S・ヴァン・ダイン) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2022年12月18日

    続・ファイロ・ヴァンスの活躍した4年間とは一体いつのことか?

     さて、またしてもヴァン・ダインが生んだ名探偵ファイロ・ヴァンスに関する話題である。しかも最初にとりあげた「ヴァンスの活躍した4年間はいつのことか」を蒸す返す事になる。前回の結論を以下にまとめてみた。
    ・ファイロ・ヴァンスが活躍したのは、友人の地方検事マーカムの在任期間(4年間)に限られる。
    ・長編全12作に事件発生の日付と曜日は書かれているが、西暦は書かれていない(少なくとも最初の4作については確認済み)
    ・日付と曜日の組み合わせはデタラメで、これを根拠に西暦を絞り込む事はできない(*)
    ・(A)第一次世界大戦後(1918年以降)に活躍が始まる。
    ・(B)現実に起きたエルウェル事件(1920年)より数年前で、かつ、すでにマーカムは検事の座を退いているので、1915年もしくはそれ以前に活躍が始まる。
    ・(C)ヴァンスは伝記より1887年生まれ。34年後に「ベンスン」の事件に関わったとの記述から、1921年に活躍が始まる。
    (注*)3作目「グリーン家」と4作目「僧正」では日付と曜日の組み合わせが整合する西暦が存在するとの指摘あり(末尾の「追記」参照)。

     (A)〜(C)をすべて満たす事は不可能なので、結局、ヴァンスの活躍年を確定する事はできなかった。ただし、エルウェル事件について書かれた原注は作者の筆がすべったと考えて無視すれば、(A)と(C)は並び立つ。ただし(C)は、後年オムニバス「ファイロ・ヴァンス殺人事件」を出版する際に、当時の秘書が書いたものなので、一次史料とは言いにくい。だから結論がでないままに終わってしまったのだが、その後、ウェブ上でヴァン・ダインの作品の原文が読める事が判明して、状況が変わってしまった。

     fadedpage.comで全12作の原文が読める。そこで、西暦らしきものが見つからないか「19XX」に該当する数字を検索したところ、全12作に事件発生年を直接示す数字はひとつもない事が確認できた。ただし、5作目の「カブト虫殺人事件」の本文に「1924年」という数字が出てくる事が判ったのだ。これは面白い事になりそうだ。「カブト虫殺人事件」では、エジプト古代博物館の中で慈善家兼美術愛好家のカイルという男が殺される。この博物館の館長がブリス博士であり、その妻がメリイトである。そしてブリス博士を師と仰ぎ、技術専門家としてエジプト探検に同行していたのが、ヴァンスのオックスフォード時代の同窓生であるスカーレットである。以下は、そのスカーレットがブリス博士とカイル、その他との関係を説明している個所だ。
    10.黄色い鉛筆
    「ブリスは、最初一九一三年の冬、はじめてエジプトに行った。…当時十三歳にしかなっていなかったメリイトとも会った。…第二回のブリスの探検は一九二二年から二三年にかけてだった。そして、ブリスはふたたびメリイトとあった。メリイトは当時二十二歳になっていて、その翌年の春、ブリスはメリイトと結婚した。…君は、ヴァンス君、一九二四年、ブリスの第三回遠征のときに、メリイトに会ったわけだ。…」(「カブト虫」(井上勇訳)P.159)

     ヴァンスにメリイトと面識がある事を思い出させようとしているニュアンスが伝わってくる。前の方を探してみると、1章に以下の記述が見つかった。スカーレットが、東三十八番街にあるヴァンスのアパートを訪ねて殺人が起きたことを伝えて協力を仰ごうとする際に「ブリス博士の他の関係者にはどんな人間がいるか」というヴァンスの問いかけに、以下のように答える。
    1.殺人!
    ブリスの細君がいる―君はカイロで会ったはずだ…」(「カブト虫」P.26)

     つまり、さきほどの10章のスカーレットの発言は、この「カイロで会ったはずだ」で思い出せないヴァンスの記憶を喚起しようとしていたわけだ。さらにこの1章には決定的な記述が存在する。以下は語り手(ヴァン・ダイン)の語りの部分だ。
    1.殺人!
    …スカーレットは、オクスフォードで、ヴァンスと同窓だったのを、私は知っていた。そして、ヴァンスは、二年前、エジプトに滞在中、ふと、この男にまたぶっつかったのである
      (中略)
     ヴァンスがアレキサンドリアに行ったとき、スカーレットはカイロの博物館の実験室で働いていた。ふたりは再会して、旧交をあたためた。(「カブト虫」P.15)

     ヴァンスは二年前にエジプトに滞在し、カイロの博物館で働くスカーレットと再会し、さらに夫ブリスのエジプト遠征に同行していたメリイトにも会っていた事がわかる。しかも「二年前」と「一九二四年」はイコールで結ぶ事ができるので、現在時である「カブト虫殺人事件」の発生年が1926年だと特定できた事になる。あとは「カブト虫殺人事件」がファイロ・ヴァンスの活躍期間の何年目に当たるかを確定すればいい。しかし、それがそんなに簡単ではないのだ。

     ここでヴァン・ダインの長編12作を発表年順にリストアップしておく。
    [発表年順]([]内は事件発生月)
     1.ベンスン殺人事件(1926年)[6月]
     2.カナリア殺人事件(1927年)[9月]
     3.グリーン家殺人事件(1928年)[11月]
     4.僧正殺人事件(1929年)[4月]
     5.カブト虫殺人事件(1930年)[7月]
     6.ケンネル殺人事件(1933年)[10月]
     7.ドラゴン殺人事件(1933年)[8月]
     8.カシノ殺人事件(1934年)[10月]
     9.ガーデン殺人事件(1934年)[4月]
     10.誘拐殺人事件(1936年)[7月]
     11.グレイシー・アレン殺人事件(1938年)[5月]
     12.ウインター殺人事件(1939年)[1月]

     各長編の序盤で、前作(前の事件)と今回の事件との時間的関係を解説してくれると、同じ年なのかどうかがハッキリする(以下の引用で、訳者の言及がないものは、すべて井上勇訳である)。
    九時に地方検事が訪ねてくるころヴァンスがすやすや眠ってでもいたなら、おそらく私は生涯で最高に興味と興奮をかきたてられた四年間をのがしてしまっていたことだろうし、…(「ベンスン」(日暮訳)1章P.25)
     ジョン・F・X・マーカムは、…ニューヨーク郡の地方検事に選出された。四年の任期を努め、対抗勢力の政治的陰謀によって票が割れさえしなければ、おそらく二期めも再選されていたことだろう。(「ベンスン」2章P.26)

     この事から「ベンスン」の事件は、ヴァンスが活躍する4年間の初年だという事がわかる。さらに
    マーガレット・オウデルが殺害された当時、ジョン・F・X・マーカムがその年の一月からニューヨーク郡地方検事の職に就いていた(「カナリア」(日暮雅通訳)P.18)
    二番目は一見、解決不可能と思われた、ブロードウェイの有名美人、マーガレット・オデールの絞殺事件だった。そして同じ年の秋もおそく、グリーン家の惨劇が起った。(「グリーン家」(井上勇訳)P.14)
     発端は四月二日の朝、グリーン家のジュリアとエイダの二重射殺事件から五ヶ月とたたぬころのことだった(「僧正」(日暮雅通訳)1章P.15)

     これらの記述から「ベンスン」「カナリア」「グリーン家」は同一年、「僧正」は翌年だと言う事がわかる。同様に調べていくと、
     ファイロ・ヴァンスが、ニューヨーク郡地方見地F・X・マーカムの四年間の任期中にでくわした、すべての犯罪のうち、このもっとも巧妙をきわめ、もっともまごつかされた事件にひきずりこまれたのは、かの《カブト虫殺人事件》が、驚くべき結末を告げてのち、正確に三ヶ月目だった。(「ケンネル」1章P.9)

     よって、「カブト虫」「ケンネル」は同一年の事件である。
     ファイロ・ヴァンスが、その生涯で、おそらくはもっとも巧妙をきわめ、もっとも凶悪な犯罪事件に当面したのは、駭目すべきドラゴン殺人事件が解決したあとのわびしい膚寒い秋のことだった。(「カシノ」1章P.9)
     あのおそろしい、また、いろんな意味で、とうてい信じえないようなガーデン殺人事件―この事件は、あのひと目をそばだてたカシノ殺人事件のあと、春も早いころおこった―が、…(「ガーデン」1章P.9)

     「ドラゴン」「カシノ」が同一年、「ガーデン」は翌年に起こった事がわかる。
     ファイロ・ヴァンスは、…《ガーデン殺人事件》が解決するとすぐ、エジプトへひとり旅にでた。そして、七月なかばまで、ニューヨークに帰ってこなかった。(「誘拐」1章P.9)
     ヴァンスがカイロからかえって、ちょうど一週間めに、あの有名な、誘拐殺人事件が勃発した。(「誘拐」1章P.10)

     「ガーデン」「誘拐」が同一年に起きている。
     あとは残り2作なのだが、これらは残念ながら前作との繋がりを示す記述がまったくない。
     ファイロ・ヴァンスは、奇妙なことには、いままで参与したどの事件よりも、グレイシー・アレン殺人事件が気に入っていた。(「グレイシー・アレン」1章P.8)
     「どうだね、ヴァンス、理想的な環境で、ちょいと休暇をとるのは―…」(「ウインター」1章P.15)

     「グレイシー・アレン」では、作中のヴァン・ダインによる饒舌な語りは鳴りをひそめ、「ウインター」」に至っては語りもなくなり、いきなりヴァン・ダインのヴァンスへの声かけから始まっている。
     以上のエビデンスを元に事件発表年表を作ってみると、非常に困った状況になるのがわかる。ヴァンスの活躍年が4年間に収まらないのだ。 
    [事件発生年表]
     -----------------------------------
     1.ベンスン殺人事件[6月]
     2.カナリア殺人事件[9月]
     3.グリーン家殺人事件[11月]
     ------------(翌年)-----------------
     4.僧正殺人事件[4月]
     ------------(?)--------------------
     5.カブト虫殺人事件[7月]
     6.ケンネル殺人事件[10月]
     ------------(?)-------------------
     7.ドラゴン殺人事件[8月]
     8.カシノ殺人事件[10月]
     ------------(翌年)------------------
     9.ガーデン殺人事件[4月]
     10.誘拐殺人事件「7月]
     ------------(?)--------------------
     11.グレイシー・アレン殺人事件[5月]
     ------------(?)--------------------
     12.ウインター殺人事件[1月]

     これはヴァン・ダインのファンならば周知の事実だが、当初マーカム地方検事在任の4年間にヴァンスの活躍期間を限定したのは、著者自身が6作しか書く気がなかったからだ。それが倍の12作も書く始末になってしまったのは、圧倒的な人気に溺れた著者が贅沢をきわめた生活に慣れて、どうしても書き続けなければならなくなったからだ。1939年に「ウインター」を出版した直後にヴァン・ダインは急逝している。あんなに分厚かった初期の作品に比べて「グレイシー・アレン」や「ウインター」があっさりとした中編規模の作品になっているのは、モチベーションや体調の問題と無関係ではないだろう。特に「ウインター」は心臓発作から回復していた時期に書いたものらしい。自業自得とも言えるが、作品を愛読してきたファンとしては、なんとも悲しい話だ。

     それはともかくとして、愛好家・研究家たちはなんとかして4年間に辻褄を合わせられないかと考えてきたようだ。問題なのは、やはり「グレイシー・アレン」と「ウインター」で、これを発表年順に並べると4年間に納めるのは不可能なので、他の作品との時間的関連が書かれていない事を良いことに、「ウインター」は「ガーデン」の前、「グレイシー・アレン」は「ガーデン」の後に挿入すると2年縮まる。手元にある森英俊・山口雅也編「名探偵の世紀 エラリー・クイーン、そしてライヴァルたち」に記載されているファイロ・ヴァンス事件簿でも、同様の並び順を採用している。
     あとは「僧正」の翌年に「カブト虫」が起きて、「ケンネル」の翌年に「ドラゴン」が起きた事にすれば、見事4年間に納まる。さらに、前述したように「カブト虫」が起きた年が1926年であるとすると、以下のような年表が完成する。
    [事件発生年表](推定を含む)
    (1925年)
     1.ベンスン殺人事件[6月]
     2.カナリア殺人事件[9月]
     3.グリーン家殺人事件[11月]
    (1926年)
     4.僧正殺人事件[4月]
     5.カブト虫殺人事件[7月]
     6.ケンネル殺人事件[10月]
    (1927年)
     7.ドラゴン殺人事件[8月]
     8.カシノ殺人事件[10月]
    (1928年)
     12.ウインター殺人事件[1月]
     9.ガーデン殺人事件[4月]
     11.グレイシー・アレン殺人事件[5月]
     10.誘拐殺人事件「7月]

     よって、ファイロ・ヴァンスの活躍した4年間とは「1925年〜1928年」である。Q.E.D(証明終わり)。とは言え、冒頭に述べたように「ベンスン」の原注にある「エルウェル事件」の記述を無視することが前提である。こちらは小説本編の記述に基づいた推定なので、多少なりとも妥当性があると考える。いや、考えたい。

    (2022/12/19追記)
     蛇足になるが、この年表にしたことで特に「カブト虫」の事件発生の2年前(1924年)には、ヴァンスがエジプトに行く余裕があった事がわかる。今回の年表は「カブト虫」本文の記述に基づいて作られていて、執筆時点での作者の意向を割とうまいぐあいに取り込めたと思うが、どの作品の記述に基づくかによって推定結果が変わってくる。「グリーン家」と「僧正」の2作品の日付と曜日の関係が整合する西暦が存在するとの指摘があり、それだとヴァンスの活躍初年は1920年になる。だから、「グリーン家」「僧正」を執筆した時点での著者の構想では、1920年を活躍初年とするというものだったのかもしれない。
    (2022/12/20追記)
     さらに蛇足になるが、全12作に記載されている日付と曜日の組み合わせから、何か傾向らしきものが見えてこないかと思い、調べてみた。結果的には、本文の記載と一致する西暦は以下のとおり。やはり、全12作から活躍年の4年間を曜日から推定するのはムリのようだ。
     「グリーン家」の翌年が「僧正」(1920->1921,1926->1927)
     「カブト虫」「ケンネル」が同年(1917,1923,1928)
     「カシノ」の翌年が「ガーデン」(1927->1928)

    以下の日付と曜日の調査結果を掲載する。粗忽者のやっつけ仕事なので、またしても結果に間違いがあるかもしれない。ご容赦を。
    ヴァンダイン03.jpg
    posted by アスラン at 14:00 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(S・S・ヴァン・ダイン) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2022年12月16日

    ベンスンが撃たれたのは額か、こめかみか?(「ベンスン殺人事件」)

     ゆえあって、再びファイロ・ヴァンスの物語に関する話題の続きとなる。(犯人名は明かさないが、犯人を特定するための情報を引用しているので、未読の方は読まないでください。)

     前回は「ファイロ・ヴァンスの活躍する4年間は西暦何年か」というトピックだったが、次なるトピックは「ベンスン殺人事件」での被害者ベンスンは「拳銃で額を撃ち抜かれたのか、こめかみを撃たれたのか」だ。当然ながら何度も読んだ作品なので「額を撃ち抜かれた」事に間違いはないと思っていたのだが、作品の後半で「こめかみを撃たれた」と書かれているという指摘があった。そこで手元にある新訳「ベンスン殺人事件」(日暮雅通訳)にざっと目を通してみたのだが、後半に「こめかみを撃たれた」との記述が見当たらない。どうも新訳と旧訳(井上勇訳)とでは記述が食い違っている可能性がある。こんな事なら旧訳の「ベンスン」や「カナリヤ」を新訳刊行と引き替えに処分しなければよかった。

     とりあえず図書館で旧訳を取り寄せて比較してみたところ、序盤の2章では以下のように書かれている。
    2.犯行現場
    (日暮訳) 彼は正面からを撃ち抜かれていた。小さな円形の弾痕が、もう血液が凝固してしまって黒っぽくなっている。椅子の後ろのラグの上にある大きなどす黒いシミから、脳をけずりながら貫通した弾丸による出血のすごさがうかがえる。(P.36)
    (井上訳) 彼は正面から前額部を射ちぬかれていた。そして、小さな丸い弾痕が、今では血が凝血して、ほとんど黒色になっていた。椅子の後ろの絨毯の上にある、大きなどす黒い汚点が、弾丸が脳髄を貫通したときの出血の程度をしめしていた。(P.38)

     「額」と「前額部」という表現の違いはあるが、要するに額(ひたい)を撃たれている。しかし、最終章(25章)では以下のように食い違いが見られる。
    25.ヴァンス、手法を解説する
    (日暮訳)「…見込みのない状況をさとり、思い切った対応を準備してきた犯人は、銃を取り出し、ベンスンのを狙って引き金を引く。そのあと、明かりを消して立ち去った。…」(P.365)
    (井上訳)「…犯人のほうは、事態を望みなしと見て、これに男らしく対処する決心をして、銃を取り出して、ベンスンのこめかみをねらって、引金をひいた。そのあとで、あかりを消して、出て行ったのだ。…」(P.380)

     漢字一文字ならともかく、ひらがな四文字で「こめかみ」となっているので、誤植とは考えにくい。では翻訳者の思い違いだろうか。これはもう原文に当たるしかない。でも、クイーンの初期作品なら原書を抱えているが、さすがにヴァン・ダインは所蔵していない。もはやこれまでかとあきらめかけたが、もしや著作権が切れてないだろうかと探してみたら、本当に「The Benson Murder Case 」が読めるサイトが存在していてビックリした。Fadedpageというサイトで、詳しくは判らないが、日本の「青空文庫」に相当するサイトのようだ。しかも調べてみると「ベンスン」だけでなく、ヴァン・ダインの長編全12作が全部ウェブ上で読めるのは大変にありがたい。

     さっそく、先ほど引用した最終章の個所の原文を調べてみると、意外な事に「こめかみ」で合っている事がわかった。
    (原文)“…The murderer, seeing the hopelessness of the situation, and having come prepared to meet it heroically, took out a gun, aimed it at Benson’s temple, and pulled the trigger. After that, he turned out the lights and went away.…”

    (日暮訳)「…見込みのない状況をさとり、思い切った対応を準備してきた犯人は、銃を取り出し、ベンスンのを狙って引き金を引く。そのあと、明かりを消して立ち去った。…」(P.365)
    (井上訳)「…犯人のほうは、事態を望みなしと見て、これに男らしく対処する決心をして、銃を取り出して、ベンスンのこめかみをねらって、引金をひいた。そのあとで、あかりを消して、出て行ったのだ。…」(P.380)

     ただし、このままだと前半と後半とでずいぶん殺人の印象が変わってしまう。それに新訳でこんなあからさまなミスを犯すとも思えない。あえて言えば、著者ヴァン・ダインの書き誤りを訳者が正したという可能性もあるだろう。それ以外にも、おそらくFadedpageで読める「ベンスン」は初版(1926年)で、その後の版で「こめかみ」から「額」に改訂された可能性も考えられる。

     せっかくデジタル化されているので、もう少し深掘りして調べる事にした。額はforehead、こめかみはtempleで検索できるので、それぞれの出現個所の訳語をすべてチェックした。まずはforeheadから、だ。
    2.犯行現場
    (原文)He had been shot through the forehead from in front; and the small circular bullet mark was now almost black as a result of the coagulation of the blood. A large dark spot on the rug at the rear of the chair indicated the extent of the hemorrhage caused by the grinding passage of the bullet through his brain.

    (日暮訳) 彼は正面からを撃ち抜かれていた。小さな円形の弾痕が、もう血液が凝固してしまって黒っぽくなっている。椅子の後ろのラグの上にある大きなどす黒いシミから、脳をけずりながら貫通した弾丸による出血のすごさがうかがえる。(P.36)
    (井上訳) 彼は正面から前額部を射ちぬかれていた。そして、小さな丸い弾痕が、今では血が凝血して、ほとんど黒色になっていた。椅子の後ろの絨毯の上にある、大きなどす黒い汚点が、弾丸が脳髄を貫通したときの出血の程度をしめしていた。(P.38)

     先ほどの引用した個所だが、「彼は正面から額を撃ち抜かれていた」と書かれている。これを「こめかみ」と入れ替える事はできない。同様に、
    3.女もののハンドバッグ
    (原文)Dr. Doremus approached the murdered man with a callous indifference indicative of a long process of hardening. He first inspected the face closely,−he was, I imagine, looking for powder marks. Then he glanced at the bullet hole in the forehead and at the ragged wound in the back of the head. Next he moved the dead man’s arm, bent the fingers, and pushed the head a little to the side. Having satisfied himself as to the state of rigor mortis, he turned to Heath.

    (日暮訳) ドリーマス医師は、年季のいった鍛錬のたまもので平然と殺された男のほうへ近寄っていった。まず、顔を綿密に調べる。今思うに、火薬痕をさがしていたのではなかろうか。それからの弾痕と、後頭部のずたずたになった傷をみた。(P.44)
    (井上訳)ドアマス医師は、長いあいだの修練をしめす、ひややかな無関心な態度で、殺された男に近づいた。まず最初に、顔をめんみつに調べていた。―私の想像では、火薬の痕を探しているらしかった。それから、前額の弾孔と、後頭部のめちゃくちゃになった傷口をざっと見た。(P.44)

     「額の弾痕と、後頭部のずたずたになった傷」ということから、額正面から後頭部に弾丸が貫通したので間違いないようだ。そして決定的なのは9章でヴァンスが額を通過した弾道から犯人の身長を割り出そうとしている記述だ。
    9.犯人の身長
    (原文) He then ran the string through the bullet-hole in the back of the chair, and directed me to hold one end of it against the place where the bullet had struck the wainscot. Next he took up the tape-measure and extending the string through the hole, measured a distance of five feet and six inches along it, starting at the point which corresponded to the location of Benson’s forehead as he sat in the chair. Tying a knot in the string to indicate the measurement, he drew the string taut, so that it extended in a straight line from the mark on the wainscot, through the hole in the back of the chair, to a point five feet and six inches in front of where Benson’s head had rested.

    (日暮訳)それから、椅子の背にある弾丸の貫通孔に紐を通し、腰羽目に弾が当たった場所でその紐の端を押さえておくよう私に指示した。次に、巻尺を取り上げて、穴に通した紐をぴんと引っぱりながら、その長さを測る。椅子に座っていたベンスンのの位置から五フィート六インチ。測った長さをしるす結び目をつくると、また紐をぴんと引っぱり、腰羽目の弾痕から椅子の背の穴を通ってベンスンの頭の前方五フィート六インチの点まで一直線にしてみせた。(P.133)
    (井上訳)それからヴァンスは、椅子の背についていた銃弾の孔に紐を通し、その一端を私に持たせて、弾丸が羽目板に命中している個所に当てがうようにいいつけた。次には巻き尺をとりあげて、孔に通した紐をのばし、椅子に座ったベンスンのがあった点を出発点として、五フィート六インチの距離をはかった。そして、はかった距離をしめすために紐に結び目を作り、紐をぴんとまっすぐに張って、羽目板の弾痕から、椅子の背の孔を通り、ベンスンの頭があったところから、前方五フィート六インチの点まで一直線になるようにした。(P.140)

     もし、こめかみから弾丸が貫通したならば座っていた椅子の背に銃弾の穴が開くのは矛盾している。どう考えてもベンスンが撃たれたのは「額」に間違いないようだ。

     今度はtempleだ。実はtempleは作品中3回出てくる。そのうちの1回は前半、しかもさきほどの9章の弾道実験のすぐ後に出てくる。
    9.犯人の身長
    (原文)When the man had gone Vance seated himself in the wicker chair, and placed his head in juxtaposition with the bullet-hole.
    “Now, Markham,” he requested, “will you please stand on the spot where the murderer stood, holding the gun directly above that cigarette on the floor, and aim delib’rately at my left temple. . . . Take care,” he cautioned, with an engaging smile, “not to pull the trigger, or you will never learn who killed Benson.”

    (日暮訳)刑事が出ていくと、ヴァンスは籐椅子に腰かけて、頭を弾丸の貫通孔に重ねるようにした。
    「さあ、マーカム、犯人が立っていた地点に立って、拳銃を床に置いた煙草の真上になるように構えたら、ぼくの左こめかみをしっかりと狙ってみてくれないか。…気をつけてくれよ」と、愛嬌のある笑顔で注意した。「引き金を引かないように。さもないと、誰がベンスンを殺したのかわからずじまいになる」(P.136)
    (井上訳)刑事が行ってしまうと、ヴァンスは自分で籐椅子に腰をおろし、頭を弾丸の孔に重ねるようにおいた。「さて、マーカム」とヴァンスは求めた。「どうか、君は犯人が立っていた個所に立って、拳銃を床のシガレットのまうえにくるように持ちあげ、僕の左のこめかみにしっかりと狙いをつけてくれないか…用心するんだよ」とヴァンスは愛嬌のある微笑をうかべて注意した。「引き金をひくんじゃないぜ。でないと、だれがベンスンを殺したか、君には永久にわからなくなるよ」(P.143)

     ここで「左こめかみ」が出てくるのは矛盾してるのではないかと思ったが、よくよく考えると辻褄があっている事が理解できる。日暮訳P.133で、ヴァンスは椅子の貫通孔に紐を通して腰羽目のところで端をヴァン・ダインに持たせ、立っているマーカムがもう一端を立ったまま持って、一直線になるようにぴんと張らせている。そこでヴァンスが椅子に腰かけるのだから、頭の側面を紐に付けることしかできない。つまり、それが「左こめかみ」であり、マーカムに向かって「左こめかみを狙え」と言った理由になる。要するに紐と一致するように銃を向けろと言ったのだろう。
     残りの2回のtempleは最終章(25章)に出てくる。
    25.ヴァンス、手法を解説する
    (原文)“…The murderer, seeing the hopelessness of the situation, and having come prepared to meet it heroically, took out a gun, aimed it at Benson’s temple, and pulled the trigger. After that, he turned out the lights and went away.…”

    (日暮訳)「…見込みのない状況をさとり、思い切った対応を準備してきた犯人は、銃を取り出し、ベンスンのを狙って引き金を引く。そのあと、明かりを消して立ち去った。…」(P.365)
    (井上訳)「…犯人のほうは、事態を望みなしと見て、これに男らしく対処する決心をして、銃を取り出して、ベンスンのこめかみをねらって、引金をひいた。そのあとで、あかりを消して、出て行ったのだ。…」(P.380)

    (原文)"…That a woman could have coldly planned such a murder and then executed it with such business-like efficiency−aiming a single shot at her victim’s temple at a distance of five or six feet−, would be contr’ry, d’ ye see, to everything we know of human nature.…”

    (日暮訳)「…女があんな犯罪を冷静に計画して、しかもてきぱきと効率よく実行するというのは―五、六フィートの距離から、相手のを一発でねらい撃ちだよ―人間の性質についてわかっているあらゆる知識に反するじゃないか。…」(P.368)
    (井上訳)「…女があのような犯罪を冷静に計画し、あのような事務的な能率をもって実行する―五、六フィートの近距離から、相手のこめかみをねらって一発でしとめる―というのは、人間の性質について、われわれが持っている知識にまるで反するものね。…」(P.384)

     最終章の2個所とも、新訳ではtempleを「額」と訳しているのだから、訳者が意図的にそうしてるのは間違いないだろう。もし、著者の書き間違いを修正したならば、こういう時は訳注でその旨を記載するものではないだろうか。となると、原作の改訂版で「temple」から「forehead」へと修正されたと推定したいところだが、今回はここまでだ。とにかく新訳の翻訳者ひいては出版社の意向では、「ベンスンは額を銃弾で撃ち抜かれた」という事で間違いないだろう。
    posted by アスラン at 23:50 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(S・S・ヴァン・ダイン) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2022年12月13日

    ファイロ・ヴァンスの活躍した4年間とは一体いつのことか?

     ファイロ・ヴァンスとは、ミステリー作家S.S.ヴァン・ダインが生み出した探偵である。かつてはエラリー・クイーンや同時期のアメリカのミステリー作家たちに多大な影響を与えた作家であり、その探偵であったが、今では諸々の理由から顧みられる事が少なくなってきた。諸々の理由とは、近年の伝記により数十年前までは信じられてきた神話の大半がデタラメだったと暴露された事と、読もうにも全12作の長編のほとんどが書店では入手困難になっている事が大きいと考えている。まあ、絶版状態になっている理由を深掘りすれば、元々が美術評論家であった著者が手慰みに書いたミステリーであって、その後のエラリー・クイーンやカー、クリスティなどの名だたる黄金期の作家と比べるとミステリーそのものの面白さが欠けているという事が最大の理由なのかもしれない。

     とは言え、僕もかつては12作全部揃えて読み終えた後に全巻処分してしまったが、手放すとまた読みたくなるという中毒性があり、古本屋で買いあさって再び全巻揃えて今に至っている。そのうち、新訳が刊行されだしたので、都度購入して読んでは旧訳と置き換えているのだが、「ベンスン殺人事件」「カナリア殺人事件」の次の新訳がなかなか出ないので、しびれを切らしている状況だ。

     で、最近、ゆえあって色々と調べ物をしている。話題は「ファイロ・ヴァンスが友人のマーカム地方検事在任中に捜査協力した4年間とは、一体西暦何年の事なのか」である。当初、著者ヴァン・ダインは6作しか書かないつもりで4年間という縛りを設け、マーカムが政治的な失脚により任期を終えた後に、ヴァンス自身もニューヨークからイタリアに移り住んだ事にしてしまっている。なので後半の6作を4年間に押し込むにはムリがあるだろうが、少なくとも前半の6作についてははっきりと4年間に収まるはずだ。ただし、「ベンスン殺人事件」に始まるヴァンスの活躍年を示す直接的な記述は見つからない。なので演繹的に推理するしかない。まさに名探偵をきどるしかすべがないのだ。

     まず重要な点を抑えておこう。初期の3作「ベンスン殺人事件」「カナリア殺人事件」「グリーン家殺人事件」は、マーカムがニューヨーク郡の地方検事に任命されたその年にすべて起きている。
    マーガレット・オウデルが殺害された当時、ジョン・F・X・マーカムがその年の一月からニューヨーク郡地方検事の職に就いていた(「カナリア」(日暮雅通訳)P.18)
    二番目は一見、解決不可能と思われた、ブロードウェイの有名美人、マーガレット・オデールの絞殺事件だった。そして同じ年の秋もおそく、グリーン家の惨劇が起った。(「グリーン家」(井上勇訳)P.14)

     もう一つ、重要な点として第一次世界大戦終結(1918年11月)後の話だという事が何度か示されているという点だ。
    先の世界大戦で二年間、前線に従軍し、身の毛のよだつ死者をいやというほど見てきた私だが、この殺人の光景には強烈な嫌悪感を抑えきれなかった。(「ベンスン」P.36)
    かたや、彼より年長で先の大戦に少佐として従軍したアンソニー・ベンスンは…(「ベンスン」P.73)

     つまり1918年以降に起きた事は確かだし、まだ人々の記憶からも世界大戦の記憶は消えていないし、戦時中の肩書きで呼ばれる事が普通だった事からも、そうは経っていない時期の出来事だろう。そして、さらに重要な記述として各事件は西暦は書かれてはいないが、日付と曜日が記載されている。それならばかなり年代が絞り込めるのでは無いかと誰もが考えたくなるが、そんなことはない。曜日がまったく当てにならないのだ。
    「ベンスン殺人事件」 6/14(金)事件発生 (1918年) 
    「カナリア殺人事件」 9/11(火)事件発生 (1917年、1923年)
    「グリーン家殺人事件」11/9(火)事件発生 (1915年、1920年、1926年)

     括弧内の西暦は1915〜1926年で日付と曜日が一致する年をリストアップしたものだ。それぞれの事件の西暦が一つも一致しないので、日付と曜日がデタラメである事がわかる。要するに曜日に基づいて西暦を確定する事はできないのだ。
    (2022/12/19追記)ただし、4作目「僧正殺人事件」(4/2(土)事件発生)は1921年に絞り込めるため、「グリーン家」の翌年に起こった「僧正」という設定と合致する。日付と曜日を根拠にした推定としては「ヴァンスの活躍初年を1920年とする」が一つの解答になるだろう。

     他に手掛かりはないかと思ったら「ベンスン」の解説(戸川安宣)にヒントが書かれていた。「ベンスン殺人事件」にはモデルとなった実際の事件が存在している。エルウェル事件(1920年)がそれで、ヴァン・ダインは巧妙にも第5章の注1でエルウェル事件について触れているのだ。
    この数年後の、ベンスン殺人事件といろいろ似通ったところがある、あの有名なエルウェル殺人事件ですら、エルウェルのほうがベンスンより広く名を知られていたし、関係者は社会的にもっと著名な人々だったにもかかわらず、これほどの騒ぎにならなかった。それどころか、エルウェル殺人事件の記事にはベンスン殺人事件が何度も引き合いに出された。ある反体制派の新聞などは、社説で、ジョン・F・X・マーカムがもうニューヨークの地方検事でないことを嘆いたものだ。(「ベンスン」P.379)

     この原注に従うと、ベンスン殺人事件は1920年よりも数年前になる。数年前と言うと普通に考えれば3年程度は遡ることになりそうだが、すでにマーカムがエルウェル事件が起きた時には地方検事の座にいない事を考えると、ベンスン殺人事件はエルウェル事件よりも5年以上前でなければならない(ベンスン殺人事件がマーカムの任期初年に起きていて、在任期間が4年なので)。すると少なくとも1915年もしくはそれ以前に起きたと考えるしかないが、それだと前述した「1918年以降」という推論と合致しない。

     もはや作中の記述だけでは手詰まりなので、別の資料を参照するしかない。11作目の長編「グレイシー・アレン殺人事件」(井上勇訳)には、ファイロ・ヴァンスの伝記が付録にある。著者はY・B・ガーデンで、いかにもうさんくさい名前だが、架空の名前ではなく、後期の作品の口述筆記を担当した秘書であると、「ベンスン」の解説に書かれている。出典はジョン・ラフリー著「別名S・S・ヴァン・ダイン ファイロ・ヴァンスを創造した男」だ。このガーデンという秘書は「文章や台詞の細部にわたってさまざまな提言をしていた」そうなので、ヴァン・ダインの意向に沿った伝記になっていると一応考えていいだろう。伝記で分かることを列挙すると以下のようになる。
    ・1887年ニューヨーク生まれ
    ・世界大戦に米陸軍中尉として従軍
    ・戦争が終結したとき…外国の土地に放浪するのに飽きて、ニューヨークに帰ってきた。
    ・S・S・ヴァン・ダインをたずねて行き、…ファイロ・ヴァンスの財政的個人的事務を管掌することを承知させるのに成功した。
    ・当時、ヴァンスはわずかに32歳だった。

     最後の「当時」は、その前の「S・S・ヴァン・ダインをたずねて行き、…成功した。」に続く記述なので、さらにその後にくる「マーカムの在任期間」に至るまでの期間が不明だ。ただ、小説内に以下の記述を見つけた。
    まだ三十五歳にならないヴァンスの容姿は、血の通わぬ彫刻さながらきわめて端正だった(「カナリア」P.19)
    ヴァンスは当時三十四歳だった。(「グリーン家」P.13)

     どうやら、ヴァンスがマーカムの任期初年に捜査協力をした時に34歳だった事は間違いなさそうだ。伝記の生年を信じるとすると1887+34=1921年という事になる。となると、困ったことに「ベンスン」の数年後に起きたとされるエルウェル事件よりも一年後に起きた事になり、またもや矛盾してしまう。万事休すといったところだ。

     最後に悪あがきになるが、手元にある2冊の書籍に登場してもらおう。
    名探偵読本4「エラリイ・クイーンとそのライヴァルたち」(石川喬司+山口雅也編,1979年)
    名探偵の世紀 エラリー・クイーン、そしてライヴァルたち(森英俊+山口雅也編,1999年)

     この2冊のいずれにも森英俊さんによる「博学多才な精神貴族」という小文が掲載されている。タイトルが同じなので同一の文章と考えてよいだろうが、多少の改訂がなされている。ヴァン・ダイン作品の文章や伝記から得られた知見をまとめた体裁になっているが、気になる点がある。
    本格的に犯罪捜査に乗り出しはじめたのは、1922年に起きた『ベンスン殺人事件』が最初だった(名探偵読本4)
    本格的に犯罪捜査に乗り出したのは、一九二三年に起きた『ベンスン殺人事件』が最初だった(名探偵の世紀)

     「ベンスン殺人事件」が起きたのは1922年あるいは1923年と特定している。20年の間に研究が進んだのか一年のズレがあるのだが、それはともかく、どうして事件発生年を特定できるのかが不明だ。残念ながら森さんは出典を挙げていない。生まれ年は伝記の1887年を採用しているので、このままだとヴァンスが35歳あるいは36歳の時に、「ベンスン」や「カナリヤ」「グリーン家」の事件と遭遇している事になる。これは世界大戦後ではあるが、小説内の諸々の記述と合致しない。要するに、事件の経過を示す日付と曜日を章のタイトルに付したり、実際の事件など当時の世相や文献、美術の蘊蓄などを注に盛り込んだりするのは、確かにヴァン・ダイン独特のセンスだったかもしれないが、いわゆる本格ミステリーを書く作家としての緻密さに欠けていたとしか言えない。

     ここで終わりたいところだが、一つだけ書いておきたい事が残っている。それは新訳の行方についてだ。現在、日暮さんによる新訳プロジェクトは以下の3冊に限られている。
    ベンスン殺人事件(第1作、2013年)
    カナリア殺人事件(第2作、2018年)  
    僧正殺人事件(第4作、2010年)

     一見すると、第3作「グリーン家殺人事件」をひとつ飛ばして「僧正」が先に翻訳されたように見えるが、実は最初の新訳が「僧正」だった。「僧正」は集英社文庫から刊行された「乱歩が選ぶ黄金時代ミステリーBEST10B僧正殺人事件」(1999年)を改稿して創元推理文庫から出版されなおしたものだった。それが縁で、創元推理文庫の全12作が日暮さんの新訳で出版される事になったようだ。「僧正」の帯では新訳刊行開始をビックリマーク付きで高らかに宣言している。そして発表順に最終巻「ウインター殺人事件」までを新訳で「お届けする」と約束しているのだ。
    僧正殺人事件の帯.JPG
     しかし、現実には、実質「ベンスン」と「カナリア」の2作が新訳で出版されたに過ぎない。しかも上記の帯の宣言から3年後に「ベンスン」、さらに5年後に「カナリア」だ。もう5年かかるとして、来年あたりに「グリーン家」が出版されるのを期待してもいいだろう。しかし、こんなペースで果たして本当に「ウインター」までたどり着けるのだろうか?いや、そもそも僕自身が間に合うのだろうか?そろそろ、ファイロ・ヴァンスの少なからぬ読者を過剰に期待させた約束の決着をつけてほしいものだ。
    posted by アスラン at 20:50 | 東京 ☀ | Comment(2) | TrackBack(0) |  書評(S・S・ヴァン・ダイン) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2010年05月18日

    ベンスン殺人事件 ヴァン・ダイン(2010/3/25読了)

     前から気になっていて、いまさら聞けない。というか空気のように当たり前の事となってしまったので、今の今まで思い出せなかった事がある。いったい「地方検事」とはいかなる存在で、何の権限があって捜査しているのだろう。

     日本の警察などとは仕組みが異なるし、作品発表当時と今とでは、本国アメリカでさえも異なっているだろうが、本書ほど警察が活躍しないで「地方検事」がしゃしゃり出てくるミステリーもないのではないか。そしてヴァン・ダインの作風を踏襲したエラリー・クイーンの作品においても、例えば「ドルリー・レーンもの」などでは検事ブルーノと警部サムが二人三脚となって捜査にあたっていた。

     最近だとキムタクが主演した「ヒーロー」というドラマのおかげで、検事そのものにも捜査権が与えられている事が僕ら素人にもよくわかった。だから検事が独自捜査する事は理解できるが、警察を従えて捜査を主導するなどという事は日本ではありえない。これはアメリカにおいてもそうだったのではないだろうか。すると僕の疑問の答えとしては、ファイロ・ヴァンスという浮世離れした探偵を活かすために、あえて上流社会ともつきあいがある相応の名士を相棒にする事を作者が目論んだという事になるのだろう。それが証拠に作者のミステリーでは、必ずと言っていいほど各界の名士が事件関係者として集まるようにできている。そこにはスキャンダルと陰謀が満ちている。

     ヴァン・ダインがいまでは本国でも顧みられない作家と作品になってしまったのには、ひとえに〈上流社会〉という、スノッブたちに訴える力の源を社会自体が失ってしまったからにちがいない。そもそもが気どった蘊蓄を取りのけてしまえば、素人探偵ヴァンスはでたらめな推理を持ち込んであり得ない行動で捜査を攪乱する世間知らずとしか見えない。

     では、一方で我が日本では何故にヴァン・ダインの作品がうけてしまったのか。あるいは、いまだに読みつがれているのか。これは十分に検討されてしかるべきだろう。一つには、解説を書いているミステリー評論家・中島河太郎がヴァン・ダインの経歴を魅力的に紹介してしまったせいで、本格ミステリーをこよなく愛する愛好家たちを過剰に虜にしてしまったという事は言えるだろう。良質の探偵小説の条件をあげつらった「探偵小説の20則」のような言わばハッタリも、大学のミステリー研究会では何度となく会員たちに議論のネタを提供する一級文献となったにちがいない。だが、それも最近の「名探偵の世紀」のような本で作者のニセの経歴が暴露されて、いっきに虚飾がはがれた。今こそヴァン・ダインの作品の正統な評価が求められる。

     今回、過去のハッタリや虚飾に左右されずに改めて読み直してみると、「ヴァン・ダインの作品は蘊蓄が過ぎる」「不要な描写、特にペダンチックな記述が多い」というように、さも装飾や語り口に不備はあるものの、そういう夾雑物を取りのければミステリーとして今なお読みに値するかのように好意的に評価する声も少なくないのではないだろうか。しかし、実は糾弾されるべきは、ミステリーとしての構成の弱さだろう。

     そもそも「ベンスン…」では、最初から警察がまじめに捜査すればたちどころに解決する部類の謎しか存在しない。ヴァンスは「心理的推理」という独自の手法を唱えて、容疑者との聞き取りから真実かどうかを見極めた上で、人間関係や状況証拠から犯人像をプロファイリングし、現実の容疑者に当てはめていく。これらはのこらず、現代の警察が当たり前のようにやってきた事に過ぎない。何も素人探偵にまかせておくことなどない。

     その上、この点がヴァン・ダイン作品の一番の致命傷だと思うのだが、なんといっても本格ミステリーの最低条件であるフェアプレイが守られていない。例えば、ベンスン家を訪れた女性が「ブロンドではない」という事が、ヴァンスにとっては遺留品の口紅やバックの色・形から自明だとしても、肝心の言及が本人あるいは語り手からなされてない以上、読者が推理しようがない。ヴァンスと同じ物を見たはずの警察官たちに対してはいい気になって自慢の推理を開陳すればいいだろうが、読者に何のアドバンテージも与えないのは「アンフェア」だ。

     一つひとつをあげつらっていくと、いいところなど一つもないと言うことになってしまうが、おそらくは日本のミステリー作家に一番影響を与えた作家の一人と言っても言いすぎではない。それが、まさに「蘊蓄好きで、過剰な趣味に走る素人探偵」という設定にある。今や圧倒的な量の作品が毎日のように出版されるミステリーというジャンルで、「デタラメな性格と知的素養を身につけた、頭でっかちな探偵」が活躍する作品はいたるところでお目にかかる。素人探偵が生き残る道はここぞとばかりに、謎に対してさらに謎めいた言葉を弄して、我らが現代のファイロ・ヴァンスたちは、今日も僕ら読者を煙に巻くのだ。
    posted by アスラン at 20:42 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(S・S・ヴァン・ダイン) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2009年05月06日

    グリーン家殺人事件(秋田書店) バン・ダイン/原作 中島河太郎/訳(2009/3/17読了)

     最初に読んだエラリー・クイーンの小説が秋田書店の「Yの悲劇」だと最近になってわかった。少年だった僕のあの頃の興奮を図書館の蔵書で追体験し、おまけに辛うじて在庫に残っていた新品を購入までしてしまった。そこで一応、僕個人のノスタルジーは完結するはずだったが、「Yの悲劇」を含む「ジュニア版・世界の名作推理全集」というのが、あのミステリー評論家の中島河太郎が監修したものだと知って、他の巻にも関心をおぼえた。特に、全16巻の中にクイーンの作品が2冊も入っているのにも驚かされたが、ヴァン・ダインの「グリーン家殺人事件」も並び立っている事に少々呆れてしまった。

     確かに「グリーン家…」はヴァン・ダインの数少ない長編の中でも1、2を争う傑作だと言われている。名作推理全集に入る事に不思議はない(かもしれない)。しかし「Yの悲劇」と並び立つとなると少々事情が変わってくる。これは原作(創元推理文庫)の感想を書く際に改めて触れたいが、明らかに「Yの悲劇」は「グリーン家…」をベースにして書かれたと言っていいからだ。古めかしい洋館で起きる殺人、いびつな家族関係、そして犯人が殺人を犯すに至ったきっかけ等々、類似点が数多く見つかる。影響関係にある両作品をあえて一つの全集に入れる意図は何なのかと言えば、監修者の趣味だと言う他はない。

     いや、中島河太郎は、本気で当時の最高水準のミステリーを少年少女のもとに届けようと考えていたに違いない。監修者の姿勢を反映してか、「Yの悲劇」は原作の内容を少しも損なわない充実したできばえだった。ところが同じ全集の中の「エジプト十字架の謎」の方は、紙面の都合でかなり内容が編集されていて、微妙なニュアンスが伝わり損なっていた。

     では「グリーン家殺人事件」はどうかと言うと、こちらも「Yの悲劇」同様にほぼ原作に忠実な構成になっている。翻訳は監修者・中島河太郎自らによる。章立ても一部を除き、原作同様と言っていい。ただし、原作にある「シェリー酒と中風」の章が無いのは、少年少女向け作品としての配慮からだろう。それ故に本書では、貴族趣味の探偵ファイロ・ヴァンスの無駄ででたらめな蘊蓄を一切聞かされることがない。つまりは、最もヴァンスらしい部分が省かれているとも言える。骨抜きにされた探偵は、悲劇の女性アダにひたすら優しいおじさんのような存在に成り下がってしまっている。

     しかし、妙な事ではあるが、このジュニア版「グリーン家…」の方が原作よりも、連続殺人の不気味さを湛えているように感じられる。それは何故だろう。原作の解説も書いている中島は、本書の魅力の一つとして犯人を特定するに至るまでの「精緻な推理」を挙げているが、今やミステリー・ファンでこの定説に説得される人は少ないだろう。自身の経歴さえも詐称してきたハッタリ屋の著者が精緻に積み上げたように見せかけた、こけおどしの推理だと考えた方が当たっている。

     だが、原作に多々見られるこけおどしの部分が本書では一切省かれているため、かえって「グリーン家…」のあざといまでに煽りたてた連続殺人の恐怖こそは、今なお読者に訴えかけるものがある。そこが鮮明になっているのが、ジュニア版「グリーン家殺人事件」の特徴と言えるだろう。

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    posted by アスラン at 03:57 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(S・S・ヴァン・ダイン) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする