[地図(その2)]
(その1)の(1)〜(5)はファイロ・ヴァンスやマーカム地方検事などお決まりの人物たちの住まいや職場、そして社交クラブなどの場所を説明していた。これは『グリーン家』に限ったものではなく、シリーズ全体で共通している。
となると(6)グリーン屋敷だけが本書特有の地図であり、一家の四人が連続して殺されるにも関わらず、現場はグリーン屋敷だけできわめて動きのないミステリとなっている。これは黄金期の本格ミステリ特有の特徴で、隔絶した屋敷あるいは場所で殺人事件が起こり、論理的な推理だけで謎を解いていく形式だ。前回も書いたように『グリーン家』はそのひとつの完成形に達成した。
エラリー・クイーンやアガサ・クリスティーも関心を示したのは当然だが、それは同時にこの形式の限界を提示することにもなった。ひとつには、エドガー・アラン・ポー以来変わること無く論理を中心にすえて謎を解いていく手法が陳腐化した点が挙げられる。今ひとつは、隔絶した家や場所で殺人が起きる事で、動きが非常に乏しくて退屈な作品になりがちである点が挙げられる。
おそらくヴァン・ダインはその欠点に気づいていた。特に、本格ミステリと同時期に誕生したハードボイルドは、論理的推理よりも現実に即した動きのある場面を刺激的に描く事を優先することで、読者から支持を得ていた。ヴァン・ダインは大きく作風を変える事はできなかったが、要所でハードボイルドのエッセンスを取り入れようと模索していたと思われる。それは、購読者に迎合した掲載雑誌〈コスモポリタン〉からの要請だったかもしれないが、グリーン家の次女シベラたちがドライブする場面に表現されている。
このドライブはマンハッタンを縦断し、クライマックスにはカーチェイスとして再び描かれる。結果的に本格ミステリにきわめてスリリングな展開を盛りこむ事になった。
(7)ドライブ
(7-1)グリーン屋敷〜リヴァーサイド・ドライブ
[翻訳](12章P.198)グリーン家を起点にしてドライブは始まる。ブロン医師のダイムラーはセントラル・パークを横切り、リヴァーサイド・ドライブを北上していく。リヴァーサイド・ドライブ沿いに見えるハドソン川の対岸ジャージーシティの断崖が「ドガのドローイング(素描、スケッチ)のよう」と書いているのは、美術評論家でもあるヴァン・ダインならではの記述だ。
五番街を北上してセントラル・パークへ入り、七十二丁目口で公園を出ると、リヴァーサイド・ドライブへ向かった。眼下にいちめんの芝生さながらハドソン川が横たわり、午後もまだ早い澄み渡る空気の中に、ジャージーシティ側の断崖がドガのドローイングのようにくっきり刻まれている。
(7-2)マンハッタン島北端(スパイテン・ダイヴィル・ロード周辺)
[翻訳](12章P.198)リヴァーサイド・ドライブを抜けてから道順に変化が出てくる。当時はヘンリー・ハドソン橋は存在せず(開通は1936年)、マンハッタン島から本国に渡るには内陸側のブロードウェイを通るしかなかった。また、現在はスパイテン・ダイヴィル川沿いに鉄道が出来ているが、当時はスパイテン・ダイヴィル・ロードが通っていたようだ。そこを再びハドソン川沿いへと出ていくパリセード・アヴェニューを通り、その先は私道を抜けて再び内陸へと向きを変える。
ダイクマン・ストリートでブロードウェイまで進み、西へ曲がってスパイテン・ダイヴィル・ロードを、水路沿いに並ぶうっそうとした古い屋敷を見渡すパリセード・アヴェニューへ。生垣に縁取られた私道を抜けて、再び内陸のシカモア・アヴェニューへ向きを変え、リヴァーデール・アヴェニューに出た。
(7-3)マンハッタン島端からヨンカーズ、ヘイスティングズに至るまで
[翻訳](12章P.198)当時も今のような幹線道路(北ブロードウェイ)が存在していたのか分からないが、ハリソン川沿いから再び北ブロードウェイに戻った後は、ヨンカーズ、ヘイスティングズ、アーズリーの順にダイムラーを走らせていく。
ヨンカーズを通り抜けてノース・ブロードウェイからヘイスティングズへ、それからロングヴュー・ヒルのふもとをめぐる。
(7-4)ドブズ・フェリー村周辺
[翻訳](12章P.198)ロングヴュー・ヒルもドブズ・フェリー村も今では地名が残っていないのでハッキリと特定はできない。アーズリー周辺にドブズ・フェリー村があったと思われる。ハドソン川から内陸に向けて小さな丘がいくつもあって、そのひとつがロングヴュー・ヒルだろう。いったん幹線道路(ブロードウェイ)を外れてハドソン川沿いまで出て、そこから高台にむけて登ると「荒れ果てた放牧地」にたどり着く。
ヨンカーズを通り抜けてノース・ブロードウェイからヘイスティングズへ、それからロングヴュー・ヒルのふもとをめぐる。ドブズ・フェリー村を越えてハドソン・ロードへ入ると、また西へ曲がってアーズリー・カントリー・クラブのゴルフ場沿いに走り、川岸にやって来た。アーズリー・オン・ハドソンの向こうに、水路に沿って丘を登る細い砂利道がある。東へ向かう幹線道路ではなくそのちょっとさびれた道を登っていくと、荒れ果てた放牧地のような高台に出た。
(7-5)アーズリーとタリータウンの中間
[翻訳](12章P.199)再び北ブロードウェイに戻り、一マイル程度北上して再び幹線道路を外れてハドソン川沿いに出て行く。ここには急峻な断崖があり、風景も「灰褐色の丘が巨石のように、…立ちふさがって」いたり、「川まで真っ逆さまに落ち込む岩肌とあって危なっかしい急降下する崖」がある。
もう一マイルかそこら先に――アーズリーとタリータウンの中間あたりだ――こんもりした灰褐色の丘が巨石のように、私たちの行く手にまともに立ちふさがっている。そのふもとに来たところで、道がえぐり取ったような断崖に沿って西へ急角度に折れ曲がっていた。曲がり角は狭くて、片側が切り立った丘の斜面、もう片側は川まで真っ逆さまに落ち込む岩肌とあって危なっかしい急降下する崖の縁に沿ってお粗末な木の柵が設けられてはいるものの、無謀運転やちょっとした不注意があれば、落下防止の役には立たないのではないかと思われた。
急カーブのいちばん外側に来ると、フォン・ブロンは前輪をまっすぐ絶壁に向けて車を止めた。眼前に壮麗な眺めが開けている。ハドソン川の上流と下流の両方向へ、何マイルも先まで見渡せる。そして、背後の丘が内陸部の眺めを完全に遮断しているために、ここは隔絶された場所であるように感じもした。
目的地となったこの場所は「背後の丘が内陸部の眺めを完全に遮断しているために、ここは隔絶された場所であるように感じもした」というように、都会の喧噪にはなく自然の風景そのままの断崖だった。グリーン屋敷の人々は死と直結した世界(断崖)にたどり着いたかのような暗い気持ちになった。



