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    2025年11月27日

    (4)田子の浦にうち出でて見れば白妙の 山部赤人

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    [第四首]
    田子の浦(たごのうら)に うち出でて(うちいでて)見れば 白妙(しろたえ)の 富士の高嶺(たかね)に 雪はふりつつ (山部赤人)
    (現代語訳) 田子の浦の眺望のきくところに進み出て、はるか彼方を見渡すと、まっ白い富士の高峰に、今もなお雪はしきりに降っていることだ。
     山部赤人(やまべのあかひと)は、柿本人麻呂と並ぶ歌聖と称された奈良時代の万葉歌人。生没年未詳ではあるが、宮廷歌人として活躍したそうだ。特に叙景を得意としていて、この歌も原歌である万葉集「田子の浦ゆ うち出でて見れば真白にぞふじの高嶺に雪はふりける」は実景歌だが、それをわざわざ叙景にしたようだ。

     「雪はふりける」だと実景(つまり、雪が降りつもった富士山を田子の浦から見ている景色)で、「雪はふりつつ」だと叙景(つまり、富士山を背景に目の前を雪が降っている景色)だというのだが、僕にはどれほどの違いがあるのかはよく分からない。富士山の雄大さを描いた点では原歌がまさっているという事らしいが、現代人の目から見れば「雪が降っている」事をふくめて富士の美しさが感じられる点が何よりもまさっている。とにかく美しい歌だ。
     しかも、凡人の僕らにも分かりやすい。特に言っておくとすると「田子の浦」だ。辞典にはことごとく「歌枕」だとの記述がある。「歌枕」とは「1.和歌に詠み込まれる歌語、2.特に、和歌にしばしば詠み込まれる特定の名所、旧跡」(日国)とある。「田子の浦」は静岡県東部、駿河湾に注ぐ富士川河口付近の海岸」(日国)の事を指す。
    (推敲訳) 田子の浦に行って、とりわけ富士山を見るのに絶好の地点にまで行って眺めてみると、てっぺんを真っ白にして、今も富士に雪が降っている。
    posted by アスラン at 00:50 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 小倉百人一首を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年09月27日

    (3)あしびきの山鳥の尾のしだり尾の 柿本人麻呂

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    [第三首] 
    あしびきの山鳥(やまどり)の尾のしだり尾の ながながし夜(よ)を ひとりかも寝(ね)む (柿本人麻呂)

    (現代語訳) 山鳥の尾の垂れさがった、あの長い長いその尾よりも、いっそう長いこの秋の夜を、恋しい人とも離れて、たったひとりでさびしく寝ることであろうかなあ。
     百首の中でも屈指の、リズム感にみちた歌だ。子供の頃は意味はそれほどよく分かってなかったが、とにかく山鳥の尾っぽが長く垂れさがっているイメージは「尾」の繰り返しで感じた。そこから「長々し夜を」に一気につながる。今もそうだが「ながながし よを」とは読んでいない。「ながなが しよを」と読んでいる。「『しよ』ってなんだよ」とツッコミをいれながらも「長々(ながなが)」と言う語幹がリズムに乗って心地よい。あとから「長々しい夜(よる)を」という現代訳に、自分の知識がたどり着くのだが、やはりリズムを優先した読み方の魅力には勝てない。

     「あしびきの」とは「山」にかかる枕詞だそうだ。歌留多には「足曳(あしびき)」の漢字が当てられているが、島津忠夫訳注『小倉百人一首』では「足引(あしびき)」を当てている。精選版日本国語辞典では「足引(あしひき)の」の表記と読みを採用していて、枕詞だとしている。
    あしひき-の【足引―】
     [枕](「あしびきの」とも)
     [1]「山」および「山」を含む熟合語、「山」と類義語である「峰(を)」などにかかる。語義、かかりかた未詳。
     難しい書き方をしているが、要するに「山」や「山を含む言葉(例えば、山鳥)」、同様に「峰」などにかかる枕詞だと書かれている。枕詞の特徴でもあるが、語義そのものは「未詳(よく分からない)」と書かれている。そればかりか「かかりかた」もよく分からないとまで言い切っている。
     一方で、旺文社古語辞典には以下のように書かれている。
    あしひきの《枕詞》
    〔上代は「あしひきの」、のち「あしびきの」〕
    「山」(み山・山田・山河・山辺・山椿・山橘・山桜花・山吹の花・山郭公・山鳥・山藍・山彦・山中・山颪・大和撫子・山傍)、「峰(を)」(尾の上・八尾)にかかる。(中略)
    [参考]語義には「青繁木(あをしみき)」の意、「足を曳きあえぎつつ登る」の意、「山すそを長くひく」の意など種々の説がある。
     重要な点は2つある。一つは、かつては「あしひきの」と読まれていたが、やがて「あしびきの」と読まれるようになったという点。もう一つは[参考]として書かれているように、枕詞「あしひきの」自体に意味はあったとする説だ。最初の「青繁木(あをしみき)」は何を意味するかははっきりしないが、「青々と葉が茂っている木」つまりは森であり、それは「山」のイメージを引っ張り出す言葉だという事だろうか。2番目、3番目は「あしひき」が「足を引きずる」あるいは「山の裾(足もと)が長く引きずる(続く)」という意味を持っているという事だろう。日国と旺文社古語辞典とではずいぶんと扱いが違うし、まだまだ理解しきれないほどの情報が埋もれている感じがする。そもそも枕詞とは何なのだろう。これについては興味があるが、とりあえずはここまでにしておこう。あらためて「枕詞とは何か」を取りあげる機会は出てくるだろう。

     推敲にとりかかろう。日国によると「しだり尾」とは「長くたれ下がっている尾」の事。「山鳥」は「1.山にすむ鳥の総称」だが、個体としては「2.キジ科の鳥。全長、雄は125cm、雌は55cm前後になる。尾羽が長くキジに似ているが羽色が異なる。…尾羽は黒や褐色の横帯があって竹の節状をなし、長さは90cmにもなる。…日本の特産種で、本州・四国・九州の山間の森林にすむ。」と書かれている。「キジに似ているが」と書かれているが、広辞苑には図や画像が挿入されていて、ほぼキジと言っていいと思う。「山間の森林にすむ」という記述が、さきほど出てきた「青繁木」のイメージと合致する。面白いのは「4.(2の雄雌は夜、峰をへだてて寝るというところから)ひとり寝することをいう語。」という語義もある事だ。つまり、山鳥は「ながながし」だけでなく「ひとりかも寝む」までの全体を統括する言葉だと言える。しかも、現代語訳に「恋しい人と離れて」と書かれている根拠が山鳥の習性にある事が、これで分かった。しかし「山鳥のひとり寝が寂しい」というのは、あまりに感傷的すぎる気がする。もっと山鳥の孤高さをイメージした歌であってもいいのではないのか。
    (推敲訳) 木々が繁った山奥にすむ山鳥は、尾をどこまでも長く垂れ下げている。そんな尾にも似てどこまでも続く秋の夜長を、私も山鳥にならって何者にもわずらわされず独りで眠るのだ。
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    2025年09月15日

    (2)春すぎて夏来にけらし白妙の 持統天皇

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    [第二首] 春すぎて夏(なつ)来(き)にけらし白妙(しろたえ)の 衣(ころも)ほすてふ 天(あま)の香具山(かぐやま) (持統天皇)
    (現代語訳) いつしか春も過ぎてはや夏が来たらしい。卯花がまさかりで、いかにも白妙の衣を干しているともいうべきこの天の香具山を見ていると。
     歌留多の絵を見ると、持統天皇が女性だという事がわかる。第一首の「秋の田の…」の作者である天智天皇の第二皇女、要するに娘だ。歌留多で遊んだ子供の頃に「天皇って女性もいるんだ」と思ったかどうか今や定かでない。そもそも天皇って誰なのかがよく分かってなかったかもしれない。

     「夏来にけらし」は「ナツキニ・ケラシ」と聞こえていた。「ナツキって何?ケラシって何?」という感じだが、本来は万葉集の元歌(原歌)があり、そこでは「夏(なつ)来る(きたる)らし」と詠まれていたらしい。『(『小倉百人一首』の編者・藤原定家が)どうしてこういった形をすぐれたよみとして取りあげたかを考えることが、重要であろう。」と訳注の島津さんは書いているが、僕には専門的なことは分からない。ただ、現代人の視点から考えれば、「ナツ・キタルラシ」は意味はよく伝わるけれど「ナツキニ・ケラシ」の方がリズムが流れていて、聞く人の頭に入ってくるように思える。定家は名アレンジャーだったということか。

     さて冒頭の「春過ぎて夏来にけらし」だが、僕が気になるのは「らし」だ。夏が来ようとしている、あるいは来てしまった事は、気候の変化、特に気温の上昇などで分かるものではないか。「らし」とはあまりに他人事に感じる。いくら宮廷住まいとは言え、いくら「やんごとなき身」であるとは言え、それくらい分かるだろう。ただ、もし他人事でしか言えない事があるとすれば、それは夏が訪れた初夏の風景から来る実感ではないだろうか。侍女からの伝聞でなければ知る事のできない夏の情景。「らし」という言葉が思わず口を突いたのは、そういう事情からのような気がする。そして、それは初夏を待ちわびていた作者の気持ちのあらわれでもあるのだろう。

     だから、現代語訳の「天の香具山を見ていると」というように、この和歌を実景(実際に見て詠んだ風景)ととらえるのはどうなのかなという気がした。伝聞であるからには最後まで伝聞であるはずで、作者の心象風景は「初夏のすがすがしさへの期待・憧れ」へと飛翔していく。初夏の「天の香具山」を背景にして、あちらこちらで「白妙の衣」がいっせいに干されている。そんな歌だと僕には読めた。
    (推敲訳) 春も終わりを告げ、あっという間に夏が到来したらしい。あの天香具山あたりでは、清々しい初夏の風をうけてあちらこちらで真っ白な衣服が干されるそうだ。
    posted by アスラン at 09:30 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 小倉百人一首を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年09月02日

    (1)秋の田のかりほの庵の苫をあらみ 天智天皇

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    [第一首] 秋の田の かりほの庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ (天智天皇)
    (現代語訳) 秋の田のほとりの仮の小屋は、ほんの間に合わせに荒く葺いた粗末なものだから、その小屋で番をしている私の袖は、ふけゆく夜露にしっとりと濡れつづけていることだ。
     ここで取りあげる現代語訳は『小倉百人一首』(角川文庫)の著者・島津忠夫氏によるもの。前回にも書いたが原文の古語に寄せた訳になっているので、ここから僕が理解しやすいイメージと適切な日本語とで書き直す。だから、何度でも断っておくが、翻訳ではない。あくまで推敲文(推敲訳)である。それと和歌が持つ韻律(リズム)のようなものを再現するつもりもない。だから和歌を元にした解釈文と言ってもいい。

     例えば「かりほの庵」は「仮庵の庵」だそうだ。リズミカルでついつい口ずさみたくなるのは、意味よりもリズムを優先したテクニックによるところが大きい。それは元の和歌を諳んじる事でたっぷり味わえばいい。意味は「仮住まいの小屋」という事だろう。苫(とま)というのは精選版日本国語大辞典によると「菅(すげ)、茅(かや)などを菰(こも)のように編み、小家屋の屋根や周囲などのおおい…などに使用するもの」だそうだ。この語釈を読む限り、茅葺きの屋根とは違ってかなり雑に作られた屋根だと分かる。そのせいで夜露が一晩中忍び寄ってくるという状況を読んでいる。「つつ」が反復・継続を表す接続助詞ということで「濡れつづけていることだ」などと書かれているが、「一晩中」があれば継続状態は示せるので、普通に「濡れてしまう」とする。
    (推敲訳) 秋になると稲刈りに追われて、田んぼ脇の作業小屋に寝泊まりする。仮の住まいなので屋根の葺き具合は粗くてすき間だらけだ。夜ともなると寒さが厳しく、私の袖は一晩中夜露に濡れてしまう。
    posted by アスラン at 22:40 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 小倉百人一首を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年08月31日

    小倉百人一首を書き直す

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     子供の頃、正月の三が日にしか遊ばない小倉百人一首のカルタが家にはあった。出版元は鈴木出版株式会社。おそらく1950年代に両親が兄のために購入したのだろう。住む人がいない実家は5年以上前に処分してしまったが、カルタには思い入れがあって今の住まいに持ち帰った。当時は庶民の嗜みで、下町育ちの両親も同居していた祖母も、小倉百人一首の和歌の多くは諳んじていた。古いことわざと同じように、思い出したかのように両親や祖母の口から百人一首の歌が突いて出てきた。その影響もあって僕も諳んじるまではいかなくても「たごのうらにうちいでてみればしろたえの」「せをはやみいわにせかるるたきがわの」とか、「からくれないにみずくくるとは」「ながながしよをひとりかもねん」などのフレーズが自然と出てくるようになった。

     もちろんフレーズは出てくるが、あくまで口建てで単語の切れ目や意味が分かってないで発声している場合もあった。かと思えば「花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」だとか「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」などのように、超有名人の名歌ともなると語呂も意味も忘れようがないものもあった。とは言え、百首もの和歌が並んでいるのでフレーズに聞き覚えがあっても、どういう意味なのか、何をどのように歌っているのか、詳細までは分からずじまいでこの歳になってしまった。いや、実は勉強しようと思った事はあったようだ。学校の国語の授業で百人一首を勉強するカリキュラムがあったのか、今となってはまったく思い出せないが、僕の蔵書には島津忠夫訳注『百人一首』(角川文庫)がある。奥付には昭和44年初版発行、昭和50年改版七版発行と書かれている。1975年発行だからちょうど中学生の時だ。ちゃんと一通り読んだのかどうなのかは不明だ。中学生になって自分の小遣いで好きな文庫を買う事をようやく覚えた頃だったので、読んでみようと意気込んだが途中で挫折したのではなかったか。

     ちなみに訳注の島津忠夫氏とは誰かを書こうにも、角川文庫のどこにも著者紹介のページがない。ちょっと驚きだ。ただ、我が家にはもう一冊資料がある。ブックオフで105円で手に入れた『二訂版◆カラー◆小倉百人一首』だ。京都書房という出版社が出していて、おそらくだが中学生か高校生向けの教材ではないかと思われる。編者が島津忠夫・櫟原聡となっていて、こちらはちゃんと著者紹介が載っている。島津さんは大正15年生まれ。京都大学文学部(国語学国文学専攻)を卒業し、高校教諭を経て愛知県立大学教授、大阪大学教授、武庫川女子大学教授を歴任。大阪大学名誉教授。文学博士だそうだ。専門は和歌・連歌で、和歌文学史の研究も続けてきたようだ。

     だからだろうか。角川文庫の『百人一首』は、一首ごとに鑑賞のポイント、出典・参考、作者の紹介まで詳細に書かれている。ただ、ここらへんまで読み込むとお勉強になってしまうので、そこらへんはざっと流してしまって歌意、現代語訳の部分を参考程度に読む事にする。何より、現代語訳とは言っても「私の袖は、…しっとりと濡れつづけていることだ。」とか「たったひとりでさびしく寝ることであろうかなぁ。」などと、およそ現代語とは言えない文章になっている。これは元となる和歌に使われた古語の意味がそのまま現代語訳に反映している結果だ。古語の解釈勉強としては間違っていないのだろうが、分かりやすい現代語表現にはなっていない。伊藤和夫先生の『英文解釈教室』の例文同様に書き直す事にする。趣旨はあくまで「(僕が)理解しやすい日本語」に直すという事だ。と同時に、実家から持ち帰った小倉百人一首の歌留多を成仏させる事ももう一つの狙いだ。

     今では東京の庶民にも残っていた家風のようなものはとっくに失われてしまって、元日の朝は家族一同そろってお節を並べた食卓を囲んで、銀の器に屠蘇を注いでは飲みほして「あけましておめでとうございます」と言って次の家族に渡すなどという習慣(風習)は、結婚と同時に失われた。当然ながら息子には引き継がれようもないし、これまた当然ながらゲームやYouTubeに明け暮れる日々の息子がこの歌留多を大切に引き継いで行く事はないだろう。そもそも息子が子孫を残さない可能性が高い今、そんな歌留多の事を心配している状況ではないのだ。だったら、僕自身が成仏させるしかない。これが終活というのであれば確かにそうなのだろう。だが、そうは言いたくない。これはあくまでわが家族、わがご先祖が生きた証に一つケリとつける事なのだ。物に宿った"何か"を成仏指せることが、ここで「小倉百人一首を書き直す」事の裏テーマだ。

     でもそんな事はあくまで僕の独り言であって、ともかくも始めてみよう。
    posted by アスラン at 17:40 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 小倉百人一首を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする