
子供の頃、正月の三が日にしか遊ばない小倉百人一首のカルタが家にはあった。出版元は鈴木出版株式会社。おそらく1950年代に両親が兄のために購入したのだろう。住む人がいない実家は5年以上前に処分してしまったが、カルタには思い入れがあって今の住まいに持ち帰った。当時は庶民の嗜みで、下町育ちの両親も同居していた祖母も、小倉百人一首の和歌の多くは諳んじていた。古いことわざと同じように、思い出したかのように両親や祖母の口から百人一首の歌が突いて出てきた。その影響もあって僕も諳んじるまではいかなくても「たごのうらにうちいでてみればしろたえの」「せをはやみいわにせかるるたきがわの」とか、「からくれないにみずくくるとは」「ながながしよをひとりかもねん」などのフレーズが自然と出てくるようになった。
もちろんフレーズは出てくるが、あくまで口建てで単語の切れ目や意味が分かってないで発声している場合もあった。かと思えば「花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」だとか「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」などのように、超有名人の名歌ともなると語呂も意味も忘れようがないものもあった。とは言え、百首もの和歌が並んでいるのでフレーズに聞き覚えがあっても、どういう意味なのか、何をどのように歌っているのか、詳細までは分からずじまいでこの歳になってしまった。いや、実は勉強しようと思った事はあったようだ。学校の国語の授業で百人一首を勉強するカリキュラムがあったのか、今となってはまったく思い出せないが、僕の蔵書には島津忠夫訳注『百人一首』(角川文庫)がある。奥付には昭和44年初版発行、昭和50年改版七版発行と書かれている。1975年発行だからちょうど中学生の時だ。ちゃんと一通り読んだのかどうなのかは不明だ。中学生になって自分の小遣いで好きな文庫を買う事をようやく覚えた頃だったので、読んでみようと意気込んだが途中で挫折したのではなかったか。
ちなみに訳注の島津忠夫氏とは誰かを書こうにも、角川文庫のどこにも著者紹介のページがない。ちょっと驚きだ。ただ、我が家にはもう一冊資料がある。ブックオフで105円で手に入れた『二訂版◆カラー◆小倉百人一首』だ。京都書房という出版社が出していて、おそらくだが中学生か高校生向けの教材ではないかと思われる。編者が島津忠夫・櫟原聡となっていて、こちらはちゃんと著者紹介が載っている。島津さんは大正15年生まれ。京都大学文学部(国語学国文学専攻)を卒業し、高校教諭を経て愛知県立大学教授、大阪大学教授、武庫川女子大学教授を歴任。大阪大学名誉教授。文学博士だそうだ。専門は和歌・連歌で、和歌文学史の研究も続けてきたようだ。
だからだろうか。角川文庫の『百人一首』は、一首ごとに鑑賞のポイント、出典・参考、作者の紹介まで詳細に書かれている。ただ、ここらへんまで読み込むとお勉強になってしまうので、そこらへんはざっと流してしまって歌意、現代語訳の部分を参考程度に読む事にする。何より、現代語訳とは言っても「私の袖は、…しっとりと濡れつづけていることだ。」とか「たったひとりでさびしく寝ることであろうかなぁ。」などと、およそ現代語とは言えない文章になっている。これは元となる和歌に使われた古語の意味がそのまま現代語訳に反映している結果だ。古語の解釈勉強としては間違っていないのだろうが、分かりやすい現代語表現にはなっていない。伊藤和夫先生の『英文解釈教室』の例文同様に書き直す事にする。趣旨はあくまで「(僕が)理解しやすい日本語」に直すという事だ。と同時に、実家から持ち帰った小倉百人一首の歌留多を成仏させる事ももう一つの狙いだ。
今では東京の庶民にも残っていた家風のようなものはとっくに失われてしまって、元日の朝は家族一同そろってお節を並べた食卓を囲んで、銀の器に屠蘇を注いでは飲みほして「あけましておめでとうございます」と言って次の家族に渡すなどという習慣(風習)は、結婚と同時に失われた。当然ながら息子には引き継がれようもないし、これまた当然ながらゲームやYouTubeに明け暮れる日々の息子がこの歌留多を大切に引き継いで行く事はないだろう。そもそも息子が子孫を残さない可能性が高い今、そんな歌留多の事を心配している状況ではないのだ。だったら、僕自身が成仏させるしかない。これが終活というのであれば確かにそうなのだろう。だが、そうは言いたくない。これはあくまでわが家族、わがご先祖が生きた証に一つケリとつける事なのだ。物に宿った"何か"を成仏指せることが、ここで「小倉百人一首を書き直す」事の裏テーマだ。
でもそんな事はあくまで僕の独り言であって、ともかくも始めてみよう。
posted by アスラン at 17:40
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小倉百人一首を書き直す
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