人気記事
    カテゴリ記事リスト

    2025年02月01日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(7.3.3)

    Chapter7. It . . . that . . .「B 強調構文」より。

    7.3.3 It is worth while to consider what it is that makes people happy, what they can do to make themselves happy.
    <(訳) 人間を幸福にするものは何か、自己を幸福にするために人間は何をなしうるかを考えてみるのは価値のあることである。
     どこが強調構文なのかと言えば、It is something that makes people happy.のsomethingが疑問詞whatに変わって先頭に移動したのが例文のwhat it is that …なのだと伊藤先生は書いている。僭越ながら例えとしては不適切では無いだろうか。somethingにしてしまうと「人間を幸福にするものが(具体的には言わないが)何かある」という意味になってしまって、前回の7.3.2で検討した「強調構文は初めに条件ありきの文である」という話と合わないからだ。この場合「人間を幸福にするものがある」というのが前提であって、それを具体的に示唆する(焦点を当てる)のが強調構文の役割だから、It is XXXX that makes poeple happy.という文でなければならないはずだ。XXXXの部分に「お金」「家族」「仕事」のようなものが入るわけだ。まあ、それはそれとして結局は疑問詞が先頭に移動するのは同じ事だ。

     ここまで分かれば、訳文自体に不明瞭なところは何も無い。ただし、日本語としては英語臭さが残っているので、それをいかに「消臭」するかという点に気を配るだけだ。「人間を幸福にする」というところが、モロ翻訳調だ。ついつい文型S+V+O+Cを意識した訳し方になってしまうが、日本語としては「人間が幸福になる」と訳すところだろう。すると疑問詞の方を述部表現で訳す事でバランスをとる必要がでてくる。また、what they can do …は同格表現(言い替え)のはずだ。前半は「人間」にとっての一般論的な言い方で、後半は「人間」一人一人にとっての具体的な言い方になっている。そこらへんを意識してちょっとだけニュアンスを変えてみる。それとworthは一般的には「価値がある」と訳すのが定番だが、あまり日本語では使わない言い方だと思う。こういう時は「〜に足るだけの事はある」みたいな言い方になりそうだ。僕が思いついたのは「〜するのは無駄ではない」という言い方だ。「価値がある」と「無駄では無い」が互換性があるかは気になるところだ。積極的か消極的かの違いが問われそうだ。ただし、辞書の用例にはnot worth(無駄だ)という訳が見つかったので、worth(無駄ではない)は訳としては妥当なようだ。
    (推敲訳) 人が幸せになるには何が必要か、言い換えれば、どうすれば人は幸せになれるのだろうか。そんなことをじっくりと時間をかけて考えてみるのも無駄ではあるまい。
    posted by アスラン at 00:50 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年01月26日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(7.3.2)

    Chapter7. It . . . that . . .「B 強調構文」より。

    7.3.2 It is just the literature that we read for "amusement," or "purely for pleasure" that may have the greatest influence upon us.
    (訳) 我々に最も大きな影響を及ぼす可能性があるのは、まさに「娯楽」のため、つまり「楽しみだけを求めて」読む文学である。

     強調構文のつづき。強調構文It is 〜 that …を「…なのは〜だ。」と訳すのが、強調構文パターンのお約束だ。それについて、今回も日本語の側面から検討してみる。
    (A)象は鼻が長い。 (「象は」は題目。)
    (B)象は鼻が長いが、キリンは首が長い。(「象は」「キリンは」は題目&対照。)
    (C)象は鼻は長いが、首は短い。 (「象は」は題目。「鼻は」「首は」は対照。)
     主語廃止論を唱えた三上章さんの主張の骨子となる「象は鼻が長い。」で考えてみる。日本語には英語で言う「主語」にあたるものは限定的にしか存在しない。ということは日本語側の立場からは「主語は存在しない」という事になる。代えて日本語は述語表現(動詞・形容詞・形容動詞などを基本に作られた述部)のみが構文的な必須要件で、それに付随する格要素があるだけだ。だから主語は存在しないが、主格は存在する(ただし必須ではない)。その中でも助詞「は」が形成する題目部は重要な要素だ。それをふまえた上で、(A)〜(C)について順に考えてみる。

     (A)は「象は」という題目部と、「鼻が長い」という解説部から構成された題説構文である。題説構文は自問自答型の構造をもち、「象と言えば」という問いを自分で立てて、自分で「鼻が長い」と答えている。日本語では非常によく見られる形式の構文である。

     一方、係助詞「は」は題目を意味する以外に対照の意味で使われる事がある。(B)や(C)がその例だ。「象は鼻が長い。」「キリンは首が長い。」という文は、単独では各々の「〜は」は題目を意味するが、(B)のように並置することで「〜は」は対照の意味を持つ事になる。比較する対象に対して「(他はどうであろうとも)〜は」というように強調した表現になっている。言い替えれば、(B)では対照部に焦点を当てる事になるわけで、実は英語の強調構文の焦点部とは、この対照部の事なのではないかというのが僕の考えだ。

     だが、少し先走ったので話を(C)に戻そう。(B)では「〜は」の役割が題目と対照とを兼ねているので分かりにくいかもしれない。(C)では「象は」は題目部で、対照部は「鼻は」「首は」のように別に存在する。元々は「象は鼻が長い。」「象は首が短い。」という単独の文が想定され、それぞれ「鼻が」「首が」であったが、並置することで「鼻は」「首は」に入れ替わり、対照の意味を持つ表現になっている。

     (B)や(C)では、比較対照する格要素が対照部として顕在化していて、同時に対照部に焦点が当たって強調される文を見てきた。しかし(B)や(C)のようには対照部が並置されてなくても、(A)に発話上の操作を行う事で特定の格要素を強調(焦点化)する事が可能だ。それはこんな具合だ。
    (A)象は鼻が長い。 (焦点部無し)
    (B')象は鼻が長い。(「象は」が焦点部。太字の部分を発話する際に強調する。)
    (C')象は鼻が長い。(「鼻が」が焦点部。太字の部分を発話する際に強調する。)
     これはあくまで発話を前提にした焦点の当て方なので、字面から焦点がどこにあるかを分かるようにするには、取り立ての助詞や副詞などを補う必要がある。
    (B")何と言っても象は鼻が長い。
    (C")象は何と言っても鼻が長い。
     これが日本語としての焦点の当て方、つまりは強調の仕方だ。一方で、英語の強調構文パターンでは、それぞれを次のような日本語で表現する事になる。
    (D)鼻が長いのは象だ。
    (E)象が長いのは鼻だ。
     先ほどの(B")や(C")と比べると、同じ事を言ってるようで微妙に違うのが分かるだろうか。違いが分かるようにそれぞれを並べてみよう。
    (B")何と言っても象は鼻が長い。
    (D)鼻が長いのは象だ。

    (C")象は何と言っても鼻が長い。
    (E)象が長いのは鼻だ。
     (B")(C")はそれぞれ「象は」を題目部とした題説構文となっている。これは日本語として自律している。それに対して(D)や(E)は「象は」という題目部は消えてしまっていて、「鼻が長いのは」「象が長いのは」という問いかけの部分が題目部になっている。これは次のような過程を経て表現される文だと言える。
    問: 鼻が長いのは何か?
    答: 鼻が長いのは象だ。

    問: 象が長いのは何か?
    答: 象が長いのは鼻だ。
     なぞなぞのように問いかけがあれば答のような言い方は可能だが、いきなり何の前提も無しに答のような言い方は不可能だ。(D)や(E)はそういう文になっている。そういう意味では(D)や(E)は「自律していない」と言える。

     (B")の場合、「何と言っても象は鼻が長い。」という文は「象」を話題にしているため、いきなり相手から言われても聞き手は受け止める事ができる。しかし「(D)鼻が長いのは象だ。」といきなり相手から言われたら「何の話をしてるんだ?」と戸惑うだろう。だが、前もって「ここに象、ライオン、キリン、虎がいるとしよう。鼻が長いのはどれだと思う?」という問いを共有していたとしたら、「(D)鼻が長いのは象だ」という言い方を聞き手は受け止める事ができる。つまり、強調構文(分裂文)の翻訳としてお約束になっている「…なのは〜だ」という言い回しは、前提となる文脈を話し手と聞き手とが共有していないと成立しない事になる。だが、強調構文が「前提となる文脈を必要とする」という話は聞いた事がないので、実は「…なのは〜だ」というお約束の翻訳パターンは翻訳としては適切ではないのではないだろうか。本当であれば(B")や(C")のような日本語の方が適切なのではないだろうか。かなり以前から、そう考えてきた。

     ただし、これはあくまで日本語側から一方的に適切な日本語を追求した結果であって、はたして強調構文と言われる形式が本来「自律している表現なのか、そうではないのか」は僕には分からない。少なくとも、この構文のもつニュアンスについて書かれた文法書は一度も見た事がない。江川泰一郎『英文法解説』でも「焦点(〜)の位置に来て強調されるのは、(代)名詞と副詞語句である」と書かれるだけで、あとは例文と「…なのは〜です」という対訳が併記されているだけだ。はたして、強調構文とはどういう状況(前提)で使われるものなのだろうか。分からないまま見切り発車して「強調構文は自律している」と考えた。だからこそ7.3.1では強調構文パターンからの脱却を図ってみたのだが、実は身近なところに答が転がっていたのだ。

     北村一真著『英文解体新書』の「3.3 itを用いた構文(1)」(P.95〜)には分裂文が解説されているが、そこでは分裂文の最大の特徴は「その条件を満たす値は. . .」という指定文と呼ばれるタイプの文であると書かれている。重要なのは次の一節だ。
     分裂文は前提となる条件ありきの文ですから、通常はthat以下の内容は聞き手や読み手にとっても既知の、意識が向いているものでなければなりません。何の脈絡もなく、It's the TV that Taro fixed. などと言うと違和感があります。太郎が何かを修理したという話などしていなかったのに突然「太郎が修理したのはテレビだ」といった発言がなされると、日本語でもおかしく感じるのと同じことです。(P.98)
     まさに僕が知りたかった事が書かれている。僕が強調構文の訳に違和感を感じていたのは「前提となる条件ありきの文」であるにも関わらず、前提無しで一文が提示されているせいだった。要するに情報不足なのだ。それを無理やり「そんなはずはない。前提となる条件なしの日本文に訳すべきだ。」と思い込んでしまったわけだ。

     これで強調構文の伝えたい情報・状況はわかったので、あらためて日本語から考えてみる。「分裂文(強調構文)は前提となる条件ありきの文である」という前提から検討しなおしてみよう。
    問1 (この動物園で) どの動物が鼻が長いだろうか? (二人が共有する前提)

    答1 象が鼻が長い。
    答2 象だ。
    答3 鼻が長いのは象だ。
     動物園にいる二人の会話という状況で、問1が二人が共有する前提(話題の中心)であるとしよう。これに答える形で一方が発話すると考えると、答1〜3のようになる。いずれも特に日本語としては問題はなく、正しい日本語だ。あえて言うなら答1は助詞「が」が重複するので、文字づらを見るだけでは違和感があるが会話ではよく使われる。それは「象が鼻が長い。」というように「象が」に焦点を当てて発話するからだ。もっとも一般的なのは答2で、問1の疑問詞(どの動物)で焦点が当てられた部分だけを一語文(一つの単語もしくは文節から述部が構成される文)で回答している。「象だ」だけで二人の会話の「何」に焦点が当てられているかが把握できる。この答2は、二人が共有した前提を省略したものだと見なして元に戻したのが答3になる。そして、まさしく答3こそが強調構文の翻訳パターンそのものなのだ。しかし、だとすると答1も翻訳として正しいのではないだろうか。
    問2 (あそこにいる)象は何が長いだろうか? (二人が共有する前提)

    答1 象は鼻が長い。
    答2 鼻だ。
    答3 象が長いのは鼻だ。
     答1は「象は鼻が長い。」というように「鼻が」に焦点を当てて発話する。答3が強調構文の翻訳パターンだ。以前に『象は」という題目が失われてしまったと指摘したが、そもそも前提として「象」という話題を二人が共有しているので、ここでは「象だ」に焦点を当てるために題目部が「象が長いのは」に変わっている事は何ら問題はない。

     以上の2通りを見ていて分かるのは、答1では一見するとどこに焦点を当てているのか分からないと言う点だ。会話と違ってアクセントの強さで焦点の位置を示す事ができないので、例えば問2の方の答1「象は鼻が長い。」では、焦点無しの文(A)なのか、焦点ありの文(B)なのかの区別がつかない。問1の方の答1「象が鼻が長い。」の方がまだマシだ。通常の題説構文「象は鼻が長い。」とは違う事から「象が」が取り立て(強調)られていると感じられる。結論から言えば、答3の強調構文パターンを用いるのが焦点の在処を示すのにはもっとも確実で手っ取り早いという事になる。

     長々と検討してきたが、結局振り出しに戻った事になる。だが、それでいいかと言えば大間違いだ。7.3.1で検討したように、英語では焦点部に名詞句が出てきても、日本語としては述部表現に展開する必要がある場合も少なくないので、強調構文パターンがいつでも使えるというわけではない。他のパターンもちゃんと検討しておくべきだろう。
    問1 (この動物園で) どの動物が鼻が長いだろうか? (二人が共有する前提)

    答1 象が鼻が長い。 (「象が」が取り立ての効果で強調される。)
    答2 象だ。
    答3 鼻が長いのは象だ。 (焦点となる「象だ」が述部に来る事で、強調される。)
    答4 象が鼻が長い。 (焦点となる「象が」を文頭に置くことで強調する。この例では元々先頭に置かれているので答1と同じ。)
    答5 何と言っても象が鼻が長い。 (焦点に対する強調を明示するために強調の副詞句などを追加する。)
    答6 象こそが鼻が長い。 (焦点に対する強調を明示するために強調の副助詞などを追加する。)
     もちろん、こんな短い文では答3が無難であることは言うまでもない。答5や答6は焦点に対する強調として有効ではあるが、答3がただ単に焦点部分を構文的に明示するだけなのと比べると、強調し過ぎているようにも感じられる。

    問2 (あそこにいる)象は何が長いだろうか? (二人が共有する前提)

    答1 象は鼻が長い。 (題目部「象は」の通常の文と同形なので、このままでは書き言葉として「象は」に焦点が当たらない。)
    答2 鼻だ。
    答3 象が長いのは鼻だ。 (焦点となる「鼻だ」が述部に来る事で、強調される。)
    答4 鼻が象は長い。 (焦点となる「鼻が」を文頭に置くことで強調する。)
    答5 象は何と言っても鼻が長い。 (焦点に対する強調を明示するために強調の副詞句などを追加する。)
    答6 象は鼻こそが長い。 (焦点に対する強調を明示するために強調の副助詞などを追加する。)
     答4のように焦点部分を文頭に持ってくると強調の効果はある程度感じられるが、この文だと題目部「象は」が後方に追いやられる事による違和感がまさってしまう。答5や答6については、問1の場合と同様に有効であるが、強調し過ぎに感じられる事もまた同じだ。

     以上、現時点での結論めいたものがあるとしたら、基本的には強調構文の翻訳パターン「…なのは〜である」によって焦点となる部分(〜)を強調した日本語を採用する。ただし、焦点部が名詞句におさまらず述語表現に展開する必要があったり、焦点部が長くなりすぎて問いの部分(…)とのバランスが悪くなったりする場合には、元々の文(基本的な文)をそのまま日本語に訳した上で焦点部を強調させる手立てを採り入れる事にする。

     という事で7.3.2にようやく取りかかることができる。実はまさにこの例文が後者の手立てが必要となる文に相当するのだ。
    7.3.2 It is just the literature that we read for "amusement," or "purely for pleasure" that may have the greatest influence upon us.
    (訳) 我々に最も大きな影響を及ぼす可能性があるのは、まさに「娯楽」のため、つまり「楽しみだけを求めて」読む文学である。
     焦点部はthe literature that we read for "amusement" (「娯楽」のために読む文学)という事になるが、そこに同格のフレーズが挿入されているせいで、少しややこしい言い回しになってしまっている。問い(我々に…可能性があるのは)に対して「『娯楽』のため」だと言っているように一瞬読める。しかしこの部分は「まさに『娯楽』のため…読む文学」という焦点部を構成しているはずなのだ。だったらせめて「『娯楽』のために…読む文学」と書いて欲しかった。それと並列して同格のフレーズ「つまり『楽しみだけを求めて』…読む文学」が挿入されている構成になっているために焦点部が長いし、単なる名詞句という枠組にはおさまっていない。

     そこで基本となる文に沿って、まずは訳文を考えてみる。ちなみに同格についてはあらためて考えたいが、少なくとも日本語で同格表現を挿入する場合は、きちっと並列関係がそろうように書くべきだ。英文ではクオーテーションマークが片方はforを含まず、もう片方は含んでいるのは英語の都合に過ぎない(purelyを括るためにはforを入れざるを得ない)。日本語ではどちらも「のために」は外す事にした。
    (強調前の例文) The literature that we read for "amusement," or "purely for pleasure" may have the greatest influence upon us.
    (強調前の推敲訳) 私たちが日頃から「娯楽」のために、すなわち「ただ単に自分が楽しむ」ために読んでいる小説は、私たちに何よりも大きな影響を与える事がある。

     あとは「小説」の部分に焦点が当たるように強調するだけだが、同時に訳文に日本語として手を入れておこう。the literature that …を関係詞節を伴った名詞句として訳すと長々しいので、存在文としていったん区切ってから、あらためてthe literature(文学)を代名詞として言い直す事にする。それと「文学」はなんとなく偉そうなので文芸作品一般という意味で「本」にする。後半のmay have …の部分は前半のweとそろえるために主格を「人」に統一する。肝心の焦点の強調は「そういう本に限って」という強調フレーズを入れ込む事にした。
    (推敲訳)人には日頃から「娯楽」のために、すなわち「ただ単に自分が楽しむ」ために読んでいる本があるが、そういう本に限って何よりも大きな影響を受ける事がある。
    posted by アスラン at 04:10 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年01月13日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(7.3.1)

    Chapter7. It . . . that . . .「B 強調構文」より。

    7.3.1 It is want of imagination that prevents people from seeing things from any point of view but their own.
    (訳) 人間が自分の立場以外の観点からものを見ることができないようにしているのは、想像力の不足である。

     今回から強調構文を取り扱う。強調構文については以前から思うところがあった。あのIt is〜that…を「…なのは〜だ。」と訳すことで〜の部分を強調した事になるのだろうか。どちらかというと「…なのは」という堤題の部分が強調されているのではないだろうか。もちろんクイズのようなQ&A形式にしてQ(問い)を強調すれば、結果的にA(答)も強調されることになるのだけれど、そういう理解でいいのだろうか。

     さらに最近は強調構文と言われるよりも「分裂文」と呼ばれる事が多くなっている事を知った。どうやら「強調構文」というのは教育現場での俗語であって、英語学としては「分裂文」というのが正確なようだ。どうして分裂文というかと言えば一目瞭然で、元々一つの文であったものから、名詞句や副詞的要素を抜き出して「〜」とし、残りの部分を「…」にして二つの部分に分裂させるからである。

     伊藤先生の『英文解釈教室』をまさに「最も尊重し」てきた北村一真さんの著書『英文解体新書』では分裂文の「〜」の部分を焦点部と呼んでいる。英語は語順に厳しい言語で五文型が決められているので、倒置のように文全体の中でフレーズを強調したりする構文をのぞくと、名詞や副詞といった特定の要素の語順を変えることはできない。それを可能にして前方に移動した要素に焦点を当てる構文が「分裂文」であるというわけだ。

     対して日本語の場合を考えると、元々述部を中心に組み立てられた構文では、述部にかかる格要素の順序には緩やかな制限しかないため、強調を目的として前方(文頭)に出すことは可能だ。ただし特定の格要素あるいは副詞などに焦点を当てるには、順序を移動するよりも「取り立ての助詞」や強調の副詞などを利用する方が一般的だ。そこからまず検討してみよう。

     この7.3節では、伊藤先生は以下のような強調構文を挙げて形式主語の構文との違いを説明している。
    (A’)In those days it was the will of God that men should respect most.
    当時人間が最も尊重しなければならなかったのは神の意志である。

     これを元々の文に戻すと以下のようになる。
    (A)In those days men should respect most the will of God.
    当時、人間は神の意志を最も尊重しなければならなかった。
     この訳文では「人間は」が題目部であり「人間について言えば」という題目(topic)を提示している。この日本語文の特定の要素に「焦点を当てる」というのは、強調のために対比や取り立てを導入するという事にほかならない。もし「神の意志」に焦点を当てるのであれば、
    (a)当時、人間は神の意志こそを最も尊重しなければならなかった。
    (b)当時、人間はなにより神の意志を最も尊重しなければならなかった。
    (a')当時、神の意志こそを人間は最も尊重しなければならなかった。
    (b')当時、なにより神の意志を人間は最も尊重しなければならなかった。
    となるのが普通だろう。つまり、取り立ての助詞「こそ」を使ったり、強調の副詞「なにより」などを使って強調すればいい。(a')(b')は格要素の先頭に移動したもので、それぞれが(a)(b)の強調を補強するのに役だってはいるが、単独で前方に移動するだけではあまり強調の効果はないようだ。ここで注目してほしいのは、(a)〜(b')までの文は(A)の訳文に出てくる題目部「人間は」をそのまま文に採用できている点だ。従来の強調構文パターンで訳した(A')では「人間は」という題目部は消えてしまって、「当時人間が最も尊重しなければならなかったの」という名詞節に変化してしまっている。これが(A)の強調として(A')の訳し方で本当にいいのかという僕の疑問に一つになっている。

     では引き続き、「人間は」に焦点を当てる場合を考えよう。この場合の強調構文は以下のようになる。
    (A")In those days it was men who should respect most the will of God.
    当時、神の意志を最も尊重しなければならなかったのは人間である。
     この場合でも(A)の訳文にある「人間は」という題目部は消えてしまっている。対して、以下のように訳せば「人間は」という題目はそのままにして焦点を当てる事が可能だ(元々「人間は」は格要素の先頭にあるので(a')や(b')のような移動はできない)。
    (d)当時、人間こそは神の意志を最も尊重しなければならなかった。
    (e)当時、なにより人間は神の意志を最も尊重しなければならなかった。

     強調構文については「対比(対照)」についても考えなければならないが、それは別の例文で検討する事にしよう。今回は、強調構文パターンで訳す事の問題点として、例文を書き直す事で別の側面を挙げておきたいと思う。まずは例文7.3.1を強調前の元の文に戻して考える。
    (強調前の例文) Want of imagination prevents people from seeing things from any point of view but their own.
    (訳) 想像力の不足は、人間が自分の立場以外の観点からものを見ることができないようにしている。
     あらかじめ断っておくが、訳文は例文7.3.1の訳文から推し量って創作している。ここから主語の名詞句Want of imaginationを日本語らしく述語表現に変換して推敲する。
    (強調前の推敲訳) 人は想像力が欠如していると、自分の考え方でしか物事を理解しようとしなくなる。
     これを強調構文のパターンに当てはめて強調しようとするとおかしな事が起こる。
    (推敲訳の強調構文パターン) 人が自分の考え方でしか物事を理解しようとしなくなるのは、想像力が欠如しているとだ。
     当たり前の事なのだが、強調構文の焦点部には名詞(句)もしくは副詞的要素しかこないので、日本語として適切な述部表現に直した場合はパターンにうまく当てはめる事ができなくなる。もちろん「〜なるのは、(あらかじめ)想像力が欠如している場合だ。」のように体裁を整えることは可能だが、それは強調構文パターンの制約を受け入れる事を前提としているからであって、本質的な改良にはなっていない。それを考慮して、例文の訳を推敲する。
    (推敲訳) 人は想像力が欠如しているというだけで、自分の考え方でしか物事を理解しようとしなくなる。
    posted by アスラン at 17:30 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年01月06日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(7.2 例題)

    Chapter7. It . . . that . . .「A It(形式主語) . . . 名詞節」より。

    7.2 例題
     It has become usual to indicate the close relation between the particular problems studies by the scientist and the social conditions and technical requirements of his age. This certainly helps to dispel the false impression that the "pure" scientist works in a vacuum, completely unrelated to the conditions of the external world. It serves to emphasize that the scientist, however abstract his subject, should be regarded as an element in the social picture of his time. It does not necessarily imply, what is obviously incorrect, that all the work done by scientists has resulted, however unconsciously on their part, from some pressing social need. It is clear from the number of major discoveries that have remained without possible application for many decades that the scientist's free spirit of inquiry frequently precedes the needs of the community in which he lives.

    (訳) 
     科学者が研究する個々の問題と、時代の社会的状況や技術的要求の間には密接な関連があることを指摘するのが普通のこととなっている。「純粋」科学者は真空状態の中で仕事をするのであって、外部の世界の状況とはまったく関係を持たぬかのような誤った印象を一掃するのを、この傾向は確かに助けているし、それはまた、研究課題がいかに抽象的であっても、科学者はやはり時代の社会的状況の一要素と見なされなくてはならぬということを強調するのに役立っている。しかし、そう言ったからとて、科学者のする仕事はすべて、科学者自身にとってはいかに無意識であっても、なにかさしせまった社会的要求から生まれたものだというような、明らかにまちがったことを言っているわけではない。何十年間もまったく応用されぬままになっている大発見の数を考えれば、科学者の自由な探求の精神が周囲の社会の必要よりしばしば先行することは明瞭である。
     5文からなるフレーズだが、二番目の文を除くとすべてitから始まっている。伊藤先生によれば「同じものを受けるItを主語にする文を次々に並べることで叙述に1つの流れを作るのはよくある書き方」だそうだ。

     最初の文@はit(形式主語)…to不定詞の構文。the close relation between A and Bはよく見かける形式だが、日本語らしく述語表現に展開する。それだけでなく、テーマが「科学者の研究姿勢」についてだから、この例文だとAの方を題目にした日本語に直す。
    (@の推敲訳)科学者一人一人が抱える問題はその時代の社会的状況や求められる技術と密接な関係があると言っても、もはやありふれた主張に過ぎない。

     二番目の文Aはthisが@の内容を受けている。内容というより「ありふれた主張」になっているという状況を指している。訳文では「この傾向は」と訳しているが、思うに出現するタイミングが遅すぎて「この」が何を指すかが分かりにくくなっている。ここはAの冒頭に分かりやすい言葉で説明しておく。伊藤先生は"pure" scientistを「純粋な科学者」ではないと書いている。要は「pure science(理論科学)を専門とする科学者」だと言っているのだが、訳文では「『純粋』科学者」としているのは舌足らずだ。結局は「純粋な科学者」と言っているように読める。日本語では純粋科学という用語はあまり使われないので、もう少し分かりやすく書く事にする。vacuumも、ここでは「真空状態」では意味が通じないので説明的な言葉に直す。help to…は「〜は…するのに役に立つ」という意味だが、肯定的な含みが残りさえすれば「〜のおかげで…するようになる」ぐらいに書き直せるだろう。
    (Aの推敲訳)そういう時代の流れもあって「いわゆる純粋な理論科学に携わる人たちは外部の状況とはまったく関わりを持たずに孤立した状態で研究しているのだ」なんて誤った印象は確実に消えつつある。

     三番目の文Bはit serves to emphasize that…であるが、serve to…はAのhelp to…とほぼ同じ意味で使われている。つまりAのthis=Bのitだ。なので同じ述部(SP)を言い回しを少し変えて表現している事になる。日本語の場合はあまり違いを気にしないでもよさそうだ。ちなみにこの文で一番訳しにくいのはin the social picture of his timeのところだろうか。伊藤先生は「時代の社会的状況」と訳しているが、やはり持って回った言い方になっているのは否めない。of his ageは「科学者の時代の」だろうが、of his timeは「科学者が生きた時期の」という違いがあるような気がする。ちょっとした違いかもしれないがhis ageは歴史視点で、his timeは人生視点ではないか。だから「個々の科学者が生きた時期の社会を全体として描写した際に」という意味になる。訳文の「時代の社会的状況」とすると、科学者が一要素になれないような感じがする。ここは絵や像を描く時に科学者一人一人もパーツになっているはずだと言いたいのだと思う。
    (Bの推敲訳)さらには、研究目的がどれほど抽象的なものであろうと、科学者が生きる社会の全体像からすると自らも一つのピースにすぎない事が目立つようになってきている。

     四番目の文CはIt does not necessary imply that…で、ItはAのthisの事だ。つまり「〜ありふれた主張になっているという状況は、…を意味するとは限らない」と述べている。それを踏まえて、この文では直前までの主張の言い過ぎを修正する、もしくは真意を誤解されないように調整する含みを持たせるために、譲歩の接続詞でつなぐことにする。この文の一番の難所は、that節と同格の挿入句what is obviously incorrectと、譲歩の挿入句however unconsciously on their partをどう扱うかというところだ。訳文のように英文と同じタイミング(位置)でそれぞれを挿入すると、訳が分からなくなる。英語が前後からの修飾を許容しているのと違って、日本語は前から後ろへと修飾するだけなので、挿入句の扱いも英語と日本語では違ってしかるべきだ。原文に忠実とは言っても無理なものは無理だ。だから先に言っておくか後回しにするかのいずれかにすべきで、どうしてもやむを得ない場合のみ括弧や横棒(ダッシュ)などを用いる事になる。今回は二つの挿入句を後回しにした。
    (Cの推敲訳)だからと言って、科学者の研究成果の全部が全部、社会から差し迫ったニーズから生まれたとは必ずしも言えないだろうし、その考えは明らかに間違っている。もちろん、科学者自身が無意識にそう考える事はあるとしても、だ。

     五番目の文DはIt(形式主語) is clear from〜 that…の構文で、ABCの主語(ItやThis)とは違っている。先ほどの伊藤先生の「同じものを受けるItを主語にする文を次々に並べることで叙述に1つの流れを作る」書き方はCで終わり、Dでは結論を述べている。A precedes B(AはBに先行する)の部分は、AとBが単純な名詞(句)なら問題ないが、その中に日本語としての複雑な述部表現が隠れている場合は「Aする事が先で、Bする事が後になる」のように書き直さないと日本語らしくならない。
    (Dの推敲訳)大発明の多くが何十年間も応用される事がないまま今に至っている事から明らかなように、科学者という人たちはまず何を研究しようかと心の中で考えるのが先で、その後に身の周りの社会が何を必要としているかを考えるという順序になる事がよくある。

     @〜Dをつなげると以下のような推敲訳になる。
    (推敲訳) 科学者一人一人が抱える問題はその時代の社会的状況や求められる技術と密接な関係があると言っても、もはやありふれた主張に過ぎない。そういう時代の流れもあって「いわゆる純粋な理論科学に携わる人たちは外部の状況とはまったく関わりを持たずに孤立した状態で研究しているのだ」なんて誤った印象は確実に消えつつある。さらには、研究目的がどれほど抽象的なものであろうと、科学者が生きる社会の全体像からすると自らも一つのピースにすぎない事が目立つようになっている。だからと言って、科学者の研究成果の全部が全部、社会から差し迫ったニーズから生まれたとは必ずしも言えないだろうし、その考えは明らかに間違っている。もちろん、科学者自身が無意識にそう考える事はあるとしても、だ。大発明の多くが何十年間も応用される事がないまま今に至っている事から明らかなように、科学者という人たちはまず何を研究しようかと心の中で考えるのが先で、その後に身の周りの社会が何を必要としているかを考えるという順序になる事がよくある。

     さらに日本語として適切になるように全体を推敲する(と言うことは、多少は翻訳ではなく日本語としての脚色が入る)。
    (推敲訳) 個々の科学者が抱える問題は、その時代の社会状況や求められる技術と密接な関係があると主張しても、もはや目新しいとは言えなくなった。そういう時代の流れのおかげで「『純粋科学』とも言われる理論科学の研究者は、外部の状況とはまったく関わりを持たずに孤立した状態で研究しているのだ」などという間違った印象は確実に消えつつある。さらに言えば、研究の目的がどんなに抽象的であろうと、科学者当人は社会全体から見ればただのピースにすぎないという事実が重視されるようになった。だからと言って、すべての科学者は、すみやかに解決してほしいという社会からのニーズに応じて研究を実現しているとは必ずしも言えないし、その考えは明らかに間違っている。もちろん、科学者自身が無意識にそう考える事はあるとしても、だ。どんなに偉大な発明であっても、数十年もの間なんの応用もされずに今に至るものが多いという事実からみても、常日頃から科学者はまず何を研究しようかと心の中で考えて、その後で自分を取り巻く社会が何を必要としているかを考えているのは火を見るより明らかだ。
    posted by アスラン at 23:20 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年12月30日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(7.2.10)

    Chapter7. It . . . that . . .「A It(形式主語) . . . 名詞節」より。

    7.2.10 It may seem at first sight that it is quite obvious what the desirable qualities in a man are.
    (訳) 人間にあって望ましい性質が何であるかはきわめて明瞭だと、最初は思うかもしれない。
     この例文は以下のようにit … that節の形式が二段になっている。
    It may seem at first sight that
           it is quite obvious what the desirable qualities in a man are.
     最初のit may seem … thatは「@it+V+that」の構文で、itは「天から降るが如く現れるit」であり、全体として非人称構文を形づくってる。二段目のit … whatは、形式主語の内容を示す名詞節がthat節からwhat節に置き換わっている。文意を捉えるのはもちろんそれほど難しくはないが、構文としてはit … 名詞節が二段構えになっている上に、what節のwhatが補語(C)の位置から節の先頭に移動して語順が入れ替わっていて、構文として日本語との違いが際立っている。英語の述部先行や、文と文のくさびとなる関係詞や疑問代名詞などの先行を解消する工夫が必要になってくる。

     まずはat first sightだ。ランダムハウス英和大辞典では「一目で、直ちに」という意味の成句となっており、ジーニアス英和では「一目で、一見したところでは」という訳になっている。ただし、この例文の意味とは合わない。伊藤先生の訳も「最初は思う」という表現になっていて適切だとは思うが、何故か辞書には言及がない。ようやくオックスフォード現代英英辞典に「1. when you first begin to consider sth 2. when you see sb/sth for the first time」を見つけた(sbはsomebody, sthはsomethingの略)。要するに現代用法では「最初に考え始めた時点では」という意味で使われる事が多いという事だろう。つぎはquite obviousだ。obviousは「明らかな、明白な、理解しやすい、自明のこと」などとなっているが、訳文の「きわめて明瞭だ」はあまりにも直訳調だ。僕なら「分かりきった事だ」と直したいところだ。

     whatなどの疑問詞を使った表現も直訳調になりやすい部分だろう。「人間にあって望ましい性質が何であるか」は意味が取れないわけではないけれど、こんな風な問いかけを日頃しないなとは思う。なんでも名詞中心の表現に押し込めようとするのが英語の特徴なので、あえてquality(性質、資質)などという名詞を使っているが、日本語であれば「どんな人間が望ましいか」ぐらいになりそうなところだ。だが、あまりに意訳しすぎている気もするし、性質や資質の列挙がこの後の文で検討される可能性もあるので、「性質、資質」の言葉は残しておく。ただし、「性質は何か」ではなく「どんな性質が望ましいか」のように述語優先の表現には直したい。
    (推敲訳) 人間にはどんな資質が求められるのかは分かりきった事だと、最初はそう思うかもしれない。
     全体としてのバランスがまだ良くない感じがするので、さらに推敲する。全体として誰が「分かりきって」いて、誰が「思」っているのか、その点を考慮するとwhat節の書き方ももうちょっと分かりやすい表現に直せそうだ。それと「天から降ってきたit」の背後に隠れた主語を表に出すと、文としての輪郭がハッキリしてくる。
    (推敲訳) 人としてどんな資質があれば喜ばれるのかなんて分かりきっている。と、誰もが最初はそう考えるかも知れない。
    posted by アスラン at 00:15 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年12月22日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(7.2.9)

    Chapter7. It . . . that . . .「A It(形式主語) . . . 名詞節」より。

    7.2.9 Gradually I taught myself to feel that it did not matter whether I spoke well or ill.
    (訳) だんだんと修練を積んで、私は、自分が話し上手であろうと、口べたであろうと大した問題ではないと感ずるようになった。
     名詞節がthat節ではなくwhether節になっているところが、この例文の肝だ。だがit … whether節の部分の解釈には何の疑問もないので、日本語としての課題はどちらかというとtaught myself to feel that …の部分をどう訳すかになるだろう。

     この訳文でもっとも違和感を感じるのは「修練を積んで」という部分だ。例えば修行をしないと身につかない事はあるだろう。僧侶は仏教的な理念や思想、あるいは禅宗のような精神的な生き方のようなものを修行で身につけていく。ただ、ここで「大した問題ではない」という域に至るのに修練が必要かと言えば、なにより必要なのは経験ではないだろうか。

     ランダムハウス英和大辞典ではteachの訳語として以下のような記述がある。
    1. (2)〈人・動物に〉(…の仕方を)教える、仕込む、訓練する《to do, wh-to do, wh-節》
     Miss Jones taught me to play the violin. (ジョーンズさんが私にバイオリンのひき方を教えてくれました)
    2〈経験・事実・人などが〉〈人に〉〈…ということを〉学ばせる、悟らせる《that節, to do, doing, wh-節》
     This should teach you to be careful. (これで慎重にやらなくてはけないことが分かっただろう)
     おそらく「修練を積む」というのは1.(2)の方の「仕込む、訓練する」の意味を再帰的につかった場合の訳だと思う。だが、この例文に相応しいのは2の「学ばせる、悟らせる」の方だろう。これを再帰的に使えば「学ぶ、悟る」となる。
    (推敲訳) 自分が話し上手であろうと口べたであろうと大した問題ではないと感じる事を、少しずつ覚えていった。

     もうちょっと推敲しよう。この文のfeelは「感じる」というよりも「思う、考える」の方がしっくりくる。ランダムハウスにも「(think that節よりも控えめな言い方)…を(…と)思う、考える」のような訳語がある。speak well(ill)の訳も日本語としてスッキリさせ、teach oneself toももう一段、日本語にふさわしい表現に直す。
    (推敲訳) 相手に上手く話せるかどうかなんてたいした問題じゃない。そう考える事を私は徐々に身につけていった。
    posted by アスラン at 02:40 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年12月20日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(7.2.8)

    Chapter7. It . . . that . . .「A It(形式主語) . . . 名詞節」より。

    7.2.8 You must ascribe it to my forbearance that I have put up with his rudeness so long.
    (訳) こんなに長い間、彼の無礼な態度に耐えてきたのは私が寛容だからと考えてもらわなくては困ります。
     ascribeの目的語の位置に「形式目的語のit」が入る。当たり前だが、形式主語という言い方は耳慣れているし、この7章2節のタイトルにも出てくるが、形式目的語という言い方はあまりしないので正しい言い方なのかどうかとちょっと迷った。でも本書にもちゃんと「形式目的語のitがthat節と対応する」と書かれている。つまり「形式主語のit」とは、itが後から出てくるthat節を受けている構文を代表している事を示す表現と考えればよいのだろう。それを踏まえれば英文解釈上の問題は無いので、訳文そのものの推敲に取りかかろう。

     ascribe A to Bが「AをBのせいにする」の意味だと書かれているが、もちろんこの例文にはネガティブな含みはないので使えない。ランダムハウス英和大辞典では「〈物事の〉原因を(…に)帰する。〈物事を〉(…の)結果[せい]だとする」と書かれている。「…のせい」でなければ「…のおかげ」という訳も考えられるが、自分自身の事を言う場合はやはり使いにくい。話し相手の鈍感さを指摘するためのレトリックとして、あえて使うかもしれないが。

     などとしたり顔で書いてきたが、「せい(所為)」はネガティブな意味でも使えるのだと国語辞典に書いてあった。明鏡国語辞典には「よくない結果にいうことが多いが、よい結果にもいう。『苦労したせいか心遣いがこまやかだ』」と用例まで挙げて懇切丁寧に説明してくれてある。自分の浅学のせいで、もう少しで間違った事を書くところだった。いずれにしろ、この例文の訳に「せい」はふさわしくないという主張は変わらない。どうしてかというと、この訳文の「せい」が「良いことを意味するのか悪いことを意味するのか」は文末を読まないと分からないからだ。実は最初に訳文を目にしたとき「私が寛容だからと考えてもらわれては困ります」と書かれているのかと思ったのだ。mustにそういう意味があるのかと思ったぐらいだ(あるいはnotが抜けているのかとも)。だとすると、もうちょっとすんなりと頭に入ってくるような表現に整えた方がよさそうだ。

     ランダムハウスによるとmustは「《二人称主語》《懇請・要望・忠告》(ぜひ)…してほしい」とあるし、so long(こんなにも長い間)も「今日に至るまでずっと」という意味だろう。そこらへんを考えながら推敲する。
    (推敲訳) 彼の無礼な振る舞いに対して私が今日までずっと我慢してこられたのは、ひとえに私が忍耐強かったからだと思ってください。
    posted by アスラン at 00:10 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年12月15日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(7.2.7)

    Chapter7. It . . . that . . .「A It(形式主語) . . . 名詞節」より。

    7.2.7 At the outset let it be acknowledged that freedom in reading is a fine thing.
    (訳) 最初に、読書の自由とはすばらしいものだということを認めていただきたい。
     この例文には命令文の受動態が使われている。伊藤先生は以下の2文を挙げている。
    (a)Open the door.
    (b)Let the door be opened.
     「同じ意味になる」とは書かれていないが、基本的に能動態と受動態の変換なのでほぼ同じ意味になるのだと思ってしまいそうだが、根本的にニュアンスが違う部分がある。誰がドアを開けるのかが(b)では明示されていないからだ。そもそもletを使う命令文としては受動態にするまえに以下の2文の可能性がある。
    (b-1)Let me open the door. (私がドアを開けるのを許可してください。)
    (b-2)Let us open the door. (私たちでドアを開けましょう。)
     もうちょっと言えば、(b-1)の方は私で無くても誰でもいい。とにかく「(誰かが)ドアを開けるのを認めろ」という許可の命令文になる。だから屁理屈を言えば(b-2)の「私たち(us)」に目の前のあなたが含まれていないのであれば(b-2)であっても許可の命令文になる。ただLet'sと短縮形になっていれば誰もが知るように勧誘の命令文になる。僕自身Let's〜と覚えてきたので、Let us 〜という表現の短縮形だと意識して考えた事がなかったが、単なる短縮ではなくLetの用法が勧誘に限定される事になる。

     そこで例文に戻ると、伊藤先生は(b-1)の許可の用法として訳しているが、これについてはちょっと異論がある。At the outsetが「最初に、手始めに」という意味なので、まずは前提を共有した上で議論を進めていきましょうという状況に感じる。話者(私)は「読書の自由とはすばらしいものだ」と認めている(感じている)わけで、さきほどの(b-1)の許可の用法だとしても「私が…すばらしいものだと認める事を許可していただきたい」という筋道にならないとおかしい。つまり「あなたが納得しないのはとりあえず棚上げして」という事になる。それで今後の議論にどんな意味があるのかと思ってしまう。なので、ここは(b-2)の勧誘「私とあなたは、…すばらしいものだと認めましょう。」という意味にとるべきだと考える事にする。
    (推敲訳) 最初に、読書の自由とはすばらしいものだということを(私たちは)認めましょう。

     さらに日本語を推敲していく。freedomは確かに「自由」だが、日本語で名詞を使う時は「言論の自由」「職業選択の自由」などの大きな問題あるいは理念などに使うのが一般的だ。やはり名詞を述語表現に展開すべきだろう。
    (推敲訳) 手始めに、好きなときに好きなだけ読みたい本が読めるのは素晴らしい事だと認めようではありませんか。
    posted by アスラン at 01:40 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年12月05日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(7.2.6)

    Chapter7. It . . . that . . .「A It(形式主語) . . . 名詞節」より。

    7.2.6 All who have fought in a battle know how necessary it is that someone should be in command.
    (訳) 戦闘の経験がある人ならみな、誰か指揮者がいることがどんなに必要か知っている。
     この例文の特徴はit is necessary that …という形式主語の構文がhowを用いた感嘆文になっているため、necessaryが前方に出てしまい、it is that …という見た目になるところに注意する必要があるという点であり、それさえ押さえておけば英文解釈になんの疑問もない。ただし感嘆文の「…がどんなに必要か」のような英文臭さはどのようにすれば取れるのか。ちょっとすぐには思いつかない。少しずつ訳語を整えるところから考えてみよう。

     fight in a battleを「戦闘をする」と訳しているが、この文ではどのような「戦闘」を考えておくべきなのだろうか。戦略ゲームのようなボードゲームで繰り広げられるのも「戦闘」には違いないが、あれは一対一の対戦なので指揮者が別にいるわけではない。複数人による「戦闘」であれば、インターネット上で繰り広げられるMMORPGなどの、いわゆる協力プレイなども「戦闘」だろう。指揮者を置くと置かないとでどの程度「戦闘」の結果が違ってくるのかは正直分からない。一番分かりやすいのは戦争における「戦闘」なのだが、戦争の経験があって、さらに戦闘に参加した経験がある人はかなり限定されるので、果たしてそれでいいのかという疑問も湧いてしまう。ここは規模や質などを問わない事にして「一戦をまじえる」程度でごまかしておくことにしよう。

    (推敲訳) いかなる争いであれ一戦を交えた経験がある者なら誰でも、指揮官の存在がいかに必要欠くべからざるものであるか分かっている。
    posted by アスラン at 22:55 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年12月03日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(7.2.5)

    Chapter7. It . . . that . . .「A It(形式主語) . . . 名詞節」より。

    7.2.5 It is regrettable, but it is a fact, that children do not look upon their parents with the same degree of affection as their parents look upon them.
    (訳) 親が子供を見るときと同じくらい愛情をこめて子供が親を見ることはないというのは、残念ではあるが事実である。
     この訳文の意味はもちろん誰でも理解できるだろうが、日本語としては違和感がある。問題は「比較構文を日本語として適切に表現するにはどうしたらよいか」という点にある。例えば次のような文を考える。
    (a-1) I am 30 years old. (私は30才だ。)
    (a-2)Fred is 30 years old. (フレッドは30才だ。)
     この2文から比較の文を組み立てると以下のようになる。
    (a) I am as old as Fred.(フレッドと私は同い年だ。)
     元々の文のoldには原義の「歳を取った、年老いた」という意味はなく、数詞(30 years)を伴って「(ある期間が)経った、〜歳の」という意味になるので、原級(as … as)にはさまれたoldもその意味で使われている。その証拠に、私とフレッドが何歳であろうとも、この比較の文は使える。では次の文はどうだろうか。
    (b-1) I love Julia very much. (私はジュリアをとても愛している。)
    (b-2) Fred loves Julia very much. (フレッドはジュリアをとても愛している。)
     この2文から比較の文を組み立てると以下のようになる。
    (b) I love Julia as much as Fred loves. ((フレッドはジュリアをとても愛しているが)私も彼と同じくらい彼女の事を愛している。)
     (b)の文は、loveという動詞を使っている以上、(b-1)(b-2)のように私もフレッドもジュリアを愛している事が前提となっている。ただし、本当の事を言うと(a)の「年齢差がない」場合と同様に、前提となる「愛情の度合いや条件」などは比較の形式では問われていない。
    (b-3) I don't dislike Julia, and I love her in my own way. (私はジュリアが嫌いではない。むしろ私なりに彼女を愛している。)
    (b-4) Fred doesn't dislike Julia, and he loves her in his own way. (フレッドはジュリアが嫌いではない。むしろ彼なりに彼女を愛している。)
     この2文から組み立てた比較の文も(b)とまったく同じになるが、前提が違っている。
    (b') I love Julia as much as Fred loves. ((フレッドはジュリアを彼なりに愛しているが)私も彼と同じくらいには彼女の事を愛している。)
     丸括弧で括った部分に前提となる「愛情の度合い」を書いたが、あえて省略してある。それ以外にも「同じくらいに」を「同じくらいには」に変える事で「愛情の度合い」を幾分緩めた表現に修正してある。

     以上の事から分かるのは、日本語の場合には単に「比較構文」が明示する相対的な差違を訳すだけでは不十分で、潜在化した前提の度合いや条件などを前面に出す工夫をしなければ、適切な日本語にならないという事である。そこで改めて例文に立ち戻る。この例文では、親と子が互いに向ける愛情の度合いを比較しているわけだが、「私」とか「フレッド」のように個別の愛情を取り沙汰しているのではなく、「親たる者」とか「子たる者」という視点で一般的な話をしている。だから「親は愛情をこめて子を見る」という事が前提となっている。その点を少なくとも訳文に入れ込まないと日本語として分かりにくい。
    (推敲訳) 親は愛情をこめて子供を見るが、それと同じくらいの愛情をこめて子供が親を見ているわけではないのは、残念ではあるが事実である。

     比較の問題はとりあえず片がついたので、その他の点を推敲していく。look upon … with affectionは確かに「愛情をもって…を見る」という意味だが、日本語としては熟れていない。「愛情を示す」とか「いとおしく思う」という表現の方が適切だろう。それと、親だから必ず子に愛情を持つという訳でもないので、あくまで「傾向としてそうだ」と書くことにする。
    (推敲訳) たいていの親は子供をいとおしく思うものだが、それと同じようにたいていの子供も親をいとおしく思うものだとは必ずしも言えないというのが現実だ。残念な事ではあるが。
    posted by アスラン at 08:50 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年11月23日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(7.2.4)

    Chapter7. It . . . that . . .「A It(形式主語) . . . 名詞節」より。

    7.2.4 It it not surprising that a man of such persistent and untiring energy should have exercised so great an influence over the thoughts of mankind for many hundreds of years.
    (訳) このように不撓不屈の力をそなえた人が、何百年もの間、人間の思想にかくも大きな影響を及ぼしたことは驚くにあたらない。
     It(形式主語)…that…の形式では、that節の内容が驚くべき事、残念な事、または必要な事、当然な事である事を示している場合には「that節の中にshouldが用いられることが多い。このshouldは、訳すときには無視してよいのが普通である。」と本書では書かれている。さらに、この例文の解説では「have exercisedは主節と従節の時制がずれていることを示すためのもの」であって、should +完了形(〜するべきだったのに)の用法とは違うと書かれている。つまり、このままでは解釈は変わらないけれど単にshouldが飾りのように使われている事になる。高校生だった自分ならば「はい、そうですか」と引き下がるところだが、今の自分はそう簡単には納得しない。

     ここは、またしても江川さんの『英文法解説』の出番だ。Shouldの基本用法の頁の解説には以下のような事が書かれている。
    (a)I'm surprised that you feel so upset. (「相手が当惑している事実」を意外に思っている。)
    (b)I'm surprised that you should feel so upset. (「相手が当惑していると考えるだけで意外だ」を含意する。)
     「要するに(a)と(b)の基本的な意味は同じで、(a)が客観的な叙述であるのに対して、(b)は話者の感情を含めた主観的叙述であると言えよう。」と説明している。基本的な意味は同じだと言うからにはshouldがある場合でも「相手が当惑している」という事実は変わらない。なんとなく「〜と考えるだけで」という表現だと、「相手が当惑している」という内容は客観的事実ではないかのような含みが出てきてしまうが、おそらく(b)にはそういう含みはない。どちらも「相手が当惑している」という客観的な事実は変わらない。ただthat節の部分だけを見ると(a)は客観的に事実を述べていて主節で初めて「驚いている」という私の感情を伝えているのに対して、(b)はすでにthat節の部分で私の感情が移入されているという事だろう。あえて訳すとすると「相手が当惑しているなんて」という感じになるだろうか。主節で「驚く」前に話者の感情が叙述に入っている。それを指して江川さんは「主観的叙述」と書いているのだ。だから、今回の例文も「無視して良い」ですまさず、できるかぎり主観的叙述である事が伝わるようにしたい。

    (推敲訳) このように不撓不屈の力をそなえた人だからこそ、何百年もの間、人間の思想にかくも大きな影響を及ぼしてきたのだろうと思うと、驚くにあたらない。

     その上で訳文の日本語について考えていく。「不撓不屈」がやや気になる。個人的にはあまり使わない。意味はもちろんわかる。日国には「どんな困難に出あっても心がくじけないこと」とある。ただちょっと大げさな気がする。persistent は「やり抜く、あくまで目的を貫く、粘り強い、不屈の」で、untiringは「疲れない、飽きない、根気のよい、不屈の」だ。どちらも「不屈の」が出てくる。こういうとき僕なら「不屈の精神で」とは言いそうだ。

     個人的にこの例文で気になるのはsuchとsoの取り扱いだ。伊藤先生の教えで、suchは名詞に対する修飾語、soは形容詞に対する修飾語という違いはあるが、いずれも「そのように、それくらい」というような前提となる状況がある事を意識して訳すように言われてきた。この例文の範囲には、suchとsoが指し示すものは存在しないので「このように」とか「かくも」という指示語で表現する事になる。ただ、この例文ではsuchとsoが競合しているので、どちらを「こそあど」のどれに当てはめるかという点を意識したい。訳文では「このように」「かくも(このように)」と近称指示語を重ねているが、果たしてそれでいいのか。

     そもそも例文が指し示す人物は「誰」で、どんな「偉業」を前提としているのだろうか。「何百年もの間、人間の思想にかくも大きな影響を及ぼしてきた」というからには、近年で言えばマルクスやフロイト、ダーウィンなどが思いつくが「何百年」とまでは言えない。例えばプラトン、アリストテレスなどは古さの点で申し分ないが人物像がはなはだ希薄だ。現代に繋がる影響を考えるとコペルニクス、ガリレオあたりがよいのかもしれない。「それでも地球は回っている」という名言(実際には言ってはいないようだが)が残されるほどに不屈の精神の持ち主だったガリレオが『天文対話』を書いたのは1632年。ざっと400年前だ。まさにガリレオのための例文だと言ってもいいだろう。その上で、この例文が書かれる状況を想像する。ガリレオの果たした偉業は多くの人が理科や物理の教科書で知るところだろう。だが、果たして人となりはどうかと言えば、そこまで詳しく知るには、伝記を読んだりドキュメンタリーを見たりするという手間をかけねばならない。だから、たとえばそういう一手間をかけてガリレオが「不屈の人であった」という逸話を共有したところで、例文が書かれたとしよう。それならば人となりは近称(このように)であり、偉業の方は遠称(あのように、あれほど)にすべきだろう。
    (推敲訳) このように不屈の精神をもちあわせている人物だったからこそ、数百年にわたり人類の思想にあれほど多大な影響を与えてきたのだろう。そう考えると驚くにはあたらない。
    posted by アスラン at 13:10 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年11月15日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(7.2.3)

    Chapter7. It . . . that . . .「A It(形式主語) . . . 名詞節」より。

    7.2.3 It is hardly to be expected that the less prosperous parts of the world will tamely accept the continually widening inequality.
    (訳) 世界の中で繁栄において劣る地域が、たえず広がりつつあるこの不平等を今後も従順に容認してゆくものとは思えない。
     「It(形式主語)…thatの構文の中でも慣用表現として用いられる」と伊藤先生が説明しているIt is to be+p.p(受動態)+that…の構文だ。be to 〜は「助動詞としての用法」だとも書かれているが、それ以上は詳しい解説はないので、ここは江川泰一郎『英文法解説』の出番だ。

     「Be to〜」の項で、(1)予定(2)義務・命令(3)運命(4)可能(5)if節で(目的の意味を付加)の用法があると書かれているが、注目したいのは「解説」欄だ。そこでは「この形は主語以外の第三者の意志を伝えるためによく使われる」という点が検討されている。
    (a) The Minister is to meet union officials tomorrow.
    (b) The Minister is meeting union officials tomorrow.
    (c) The Minister meets union officials tomorrow.
     いずれも「大臣はあす組合幹部と会見の予定である」という意味だが、be toを使った(a)は主語以外の第三者が立てた計画であって「公式の予定の一部であることが暗示されている」そうだ。その証拠にと言っていいのか、各文からtomorrowを取り去っても(a)は予定の意味が残るが、(b)(c)はいずれも未来の予定にならない。いずれにしても、この「主語以外の第三者の意志」という点に注意しながら訳文を見てみると、that節内の主語である「…繁栄において劣る地域」とは違う第三者が「〜とは思えない」と言っているのかいないのかが分かりにくい。誰が「〜とは思えない」と考えているかが曖昧だからだ。

     それ以外にも日本語として考える事はいろいろある。「繁栄において劣る地域」というのは説明であって訳文ではない。ここは「後進地域」とする。「後進国」ほどは熟れた言い方では無いけれど。またthe continually widening inequalityという名詞句をそのまま名詞句で訳すのは日本語らしくないし、直訳の「たえず広がりつつあるこの不平等」は舌足らずな表現なので、述語表現(節)に変える。ちなみにinequalityを「不平等」と訳すのは分かりやすいようで案外分かりにくい。日頃「不平等」という言い方はあまり使わないし、「何が平等ではないか」がぼけてくる。そこらへんに注意して、訳文を推敲する。
    (推敲訳) 世界の後進地域ではいまだに社会的格差が拡大しているが、今後もその状況に甘んじたままだと考えている人はほとんどいない。
    posted by アスラン at 23:51 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年11月07日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(7.2.2)

    Chapter7. It . . . that . . .「A It(形式主語) . . . 名詞節」より。

    7.2.2 It would seem logical that if parents care for children when they are not yet able to enter the labor market, then children will care for parents when they are no longer permitted to remain in it.
    (訳) 子どもが労働市場へ入ることができる前は親が子どもの面倒を見るのなら親が労働市場に留まっていられなくなったら子どもが親の面倒を見るのが当然だと思われるかもしれない。
     itが形式主語でありthat節がその内容であると分かってしまえば、解釈に不明なところは何もない。だから、もっぱら日本語として訳文の違和感を解消する事だけに専念すればいい。

     そこでまずはlabor marketだ。訳は「労働市場」でいいようだ。とは言え、あまり日常では使わない言葉だ。確かに「売り手市場」「買い手市場」のように労働市場を思わせる言葉遣いはしているが、それは言わばビジネス用語として使っている。一方で「労働市場」は経済理論の中で、ある種の抽象度をもって表現される用語だろう。ちなみにニッポニカでは「労働力商品をめぐって売り手(労働者)と買い手(資本家)の間で取引が行われ、この需給関係によって賃金などの労働条件が決定される場」だと書かれている。このような定義からすると、我々労働者は生身の人間であると同時に一個の商品に過ぎないように感じられる。しかし、この文章でクローズアップされるのは「生身の人間」の方であり、「労働市場」と言うのは一種のアイロニーになっているのかもしれない。とすると、労働市場という硬質な手触りと、care for(〜の面倒を見る)という人間的な営みとをうまいぐあいにバランスをとりながら、訳文の日本語に手を入れていく必要がある。

     単純に「労働市場に入る」ではさすがに粗雑だし、文字どおり「入る」というよりも商品として労働市場の中で一つの役割を担うという意味で「一翼を担う」なんかがいいのではないだろうか。それとthat節の前半の従属節の話題の中心は子どもであり、後半の主節の話題の中心は親になるので、それぞれの節で入れ子になったwhenで始める従属節の主語も前半は子どもに、後半では親になるように統一した方がいいと思う。それと、whenの訳し方だが「〜する時」とは言うが「〜しない時」とは言わない。特にthat節の前半の子どもについては、労働市場に入るまでの資格が問われるので「(入ることが)できる前」としているが、日本語として違和感があるので「(入ることが)できるまで」とする。

     肝心の形式主語を表すit would seem logical that…の構文を伊藤先生は「…が当然だと思われるかもしれない。」としている。この言い回しだと、この後に「しかし当然ではないのだ」という否定的な含みがあるように感じられてしまう。この原因はwouldにある。「wouldはit seemsを弱めるための助動詞」だと本書では書かれているが、ランダムハウス英和大辞典では「《主張を和らげて》(1)《婉曲・丁寧を表して》…だろう、…でしょう (2)《疑念・不確実を表して》(まあ)…でしょう」と書かれている。この例文の場合はseemを使って「当然だと思われる」としていて、さらにwouldを使っているので「当然だと思われるだろう」となるところだが、やや日本語として違和感があると感じられたのか「かもしれない」と組み合わせた結果、さきほど述べたように日本語として否定的な含みが入ってしまった。it(形式主語)…thatの構文を順を追って考えると、以下のように断定表現がを和らいでいくとみなせる。
    it is logical that…     (…が当然だ)
    it seems logical that…   (…が当然に思われる、…が当然のようだ)
    it would seem logical that… (…が当然に思われるだろう、…がどうやら当然のようだ)
     理屈からすると、上から順に断定の程度が弱まっていくのだがseemにwouldをつけて「思われるだろう」とするのはやや不自然だ。「思われる、ようだ」と言えば既に日本語としては断定を弱めているので、それ以上程度を弱めていくのであれば、副詞などを伴った表現(どうやら…ようだ)を用いた方がよさそうだ。logicalは「当然」ではなく「理にかなっている、筋が通っている」と訳す事にする。

     以上をまとめて推敲する。
    (推敲訳)労働市場の一翼を担えるようになるまでは子は親に面倒を見てもらうというのであれば、労働市場に居続ける事がもはや叶わなくなった際には親は子に面倒を見てもらう事になるという考え方は、どうやら筋が通っているようだ。

     さらに推敲する。先ほど言及したが、that節の中身はifで始まる従属節と主節から構成されているが、さらにそれぞれの節がwhen節という従属節を抱えているので、日本語でそのまま訳すには少々複雑な入れ子構造になっている。なので、それぞれのwhen節が「子」や「親」を連体修飾するように変える。また、if節は仮定・条件を表すが、このthat節の内容だと「働く資格に満たない子は親に面倒を見てもらっている」という現実を前提条件にしているので、「もし」というよりは「だから」の方が日本語としてつながりがよくなる。
    (推敲訳)労働市場の一翼を担えるようになるまでの子は親に面倒を見てもらっているのだから、労働市場に居続ける事がもはや叶わなくなった親は子に養ってもらう事になるという考え方は、どうやら筋が通っているようだ。
    posted by アスラン at 22:50 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年11月02日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(7.2.1)

    Chapter7. It . . . that . . .「A It(形式主語) . . . 名詞節」より。

    7.2.1 My father died on Tuesday. He had an intense love for me and it adds now to my grief and remorse that I did not go to Dublin to see him for so many years.
    (訳) 父は火曜日に死にました。父は私をとてもかわいがってくれました。ずっと前から父に会いにダブリンへ行っていなかったことが、今になってみると私の悲しみと後悔を深めるのです。
     今回からItが形式主語になるタイプの構文を扱う。何故、形式主語を用いるかについて伊藤先生は「このタイプの文では、主部が長すぎて不安定な感じを与えるため」としている。形式主語という枠組がない日本語からすると名詞節を冒頭に戻す事になるので、結果的には頭でっかちな名詞節を抱える文になる。これはもちろん日本語として不安定な文とは言えないが、直訳調でかしこまっているような感じがする。日本語にとっては、「ダブリンに行っていなかった」という状況と「悲しみと後悔を深める」という動作とがどのような関係にあるのかが重要だ。時系列の前後なのか、因果関係なのか、それとも理由なのか。そこを押さえながら日本語を推敲していく必要がある。

     しかし、それ以前に日本語としての違和感を消すために「死ぬ」を「亡くなる」にしたり、題目の「父」は次の文にも引き継がれるので「父は…父は…父に…」の繰り返しを避ける事を考える。まずは第一の文だが、とりあえず最初の「My father」は初出で未知語として扱う事にして、「父は」を「父が」に変更する。
    (第一の文の推敲訳) 火曜日に父が亡くなった。

     第二の文から父を既知語として扱う。add to…(…を増す、…が深まる)という意味だが、ここでは「父は私をとてもかわいがってくれました」を受けて「私」は父の死を悼んでいる(悲しんでいる)はずで、さらに「父に会いにダブリンに行っていなかったこと」が「悲しみと後悔を深める」という流れになっている。だから「悲しみと後悔を深める」ではなく「尚更…悲しくて悔やまれる」のように気持ちの高まりを順序立てて説明する文に直す。
    (第二の文の推敲訳) 父はずいぶんと私に愛情を注いでくれたので尚更、これほどまでに長い間ダブリンまで会いに行かなかった事が、今となっては悲しくて悔やまれてならない。

     以上をまとめて、さらに推敲する。第一の文は「父が亡くなる」という叙述文で、以降は「私」を題目にした文に統一した方がよさそうだ。それと、これは僕の思い込みだが、わざわざ「ダブリンに会いに行く」という表現になっているのは故郷に戻るという感じではなく、幼い頃は同居していたが、両親の離婚か何かで父とは疎遠になっていたようにも感じられるので、その線に沿って手を加える。
    (推敲訳) 火曜日に父が亡くなった。一緒にいた頃はずいぶんと可愛がられたから、尚のこと何故こんなにも長い間ダブリンまで訪ねていかなかったのかと、今さらながら悲しくて悔やまれてならない。
    posted by アスラン at 12:35 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年10月28日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(7.1 例題)

    Chapter7. It . . . that . . .「@ It+V+that . . .」より。

    7.1 例題
     In the violent conflicts which now trouble the earth the active contenders believe that since the struggle is so deadly it must be that the issues which divide them are deep. I think they are mistaken. Because parties are bitterly opposed, it does not necessarily follow that they have radically different purposes. The intensity of their antagonism is no measure of the divergence of their views. There has been many a ferocious quarrel among sectarians who worship the same God.

    (訳)
     現在の世界を悩ましている激烈な闘争の中で活発に戦っている人々は、争いがかくも激しいものである以上、彼らを対立させている問題は深刻なものであるに違いないと信じている。私は彼らの考えは誤りだと思う。党派が激しく対立しているからといって、必ずしも、彼らが根本的に異なる目的を持っているということにはならない。敵対心の強さを、考え方の違いをはかる尺度にはできない。同一の神を崇拝する宗派の間にも、これまで多くの凶暴な争いがあった。
     「@It+V+that」の総まとめにあたる例題だ。訳文全体を見渡しても言いたい事は伝わってくる。だが、日本語としての適切さという点では手直しすべきところがいくつか考えられそうだ。まずは第一の文。構文の構造は以下のようになっている。
    In the violent conflicts ┐
                  which now trouble the earth
    the active contenders believe that
                          since the struggle is so deadly
                          it must be that
                                    the issues are deep.
                                        └ which divide them
     it+V+that…の構文を入れ子にしたthat節をbelieveが目的語にしているので、入れ子が二段。しかも最奥の主語the issuesに係る関係代名詞節が挿入されているし、it must be that…には副詞節since…が係っている。非常に凝った構文になっている。とは言え、読み解くのは難しいというほどではない。一番の問題は日本語の方で、it must be that…が「彼らを対立させている問題は深刻なものである」を外側から「〜に違いない」と推測していて、ここまでだと話者(語り手)の推測なのだが、それをさらに外側からthe active contenders belive thatが「〜と信じている」と言っているので、「〜に違いない」というのはthe active contendersの推測だという事になる。この文に、というか訳文に違和感がある。当事者が「自ら抱えている問題が深刻であるに違いないと信じている」という部分だ。抜き差しならぬ争いになっているというのに、「(自らを)対立させている問題は深刻なものである」という自覚がなかったとでも言うのであろうか。もしこれが、当事者以外の人が「当事者が抱えている問題は深刻であるに違いないと信じている」であれば、まだ納得はできるのだ。英文の構成が間違っていないのであれば、これは当事者であっても「違いないと信じる」ような状況を訳文に持ち込むしかない。deepには「理解しがたい、難しい、深遠な、浅薄でない、重大な、深刻な」などの意味があるが、この例文の場合は「後戻りできない」つまり「解決不可能だ」ぐらいの状況に当事者が「思い込んでいる」というように解釈するしかない。
    (第一の文の推敲訳) 地球上の各地で人々を苦しめている激しい紛争において、今まさに争っている当事者は「対立がこれほどまでに激化しているからには、互いをへだてる問題を解決するのはとうてい不可能に違いない」と思い込んでいる。

     つぎは一つ飛ばして第三の文。構文自体は7.1.6でやったit follow from B that S+P.のバリアントで、from Bの部分がBecause S'+P'になっている。partiesを「党派」と訳しているが、与党と野党が政争を繰り広げる程度のconflictではないはずだ。第一の文で「紛争」と訳したのは戦争の一歩手前のような争いを念頭においたからだ。なので、ここでもそれにふさわしい訳語に統一する。
    (第三の文の推敲訳) 紛争下にある当事者同士が激しく対立しているからと言って、両者の目的が根本から食い違っているとは限らない。

     第四の文の「敵対心の強さを、考え方の違いをはかる尺度にはできない。」は日本語としては気持ちが悪い。格助詞「を」が続くのも原因の一つだが、英文のantagonism(敵意、敵愾心)、divergence(意見の相違)の部分を名詞のままにしているところが日本語として舌足らずな感じがする。
    (第四の文の推敲訳) 両者の考えが大きく食い違えば食い違うほど、両者が激しく敵対するという事にはならない。

     最後の文(第五の文)は、実例を挙げている。同じ宗教であるにも関わらず主義主張が異なる宗派の方が、異なる宗教を信奉する人々同士の争いよりも対立が激しくなりやすいというのは、よく聞く話だ。言わば近親憎悪的な対立の方が根が深くなりやすいという事だろう。確か、『ブラウン神父』シリーズで有名なG・K・チェスタトンも『正統とは何か』の中で、同じような主張をしていたと記憶している。
    (第五の文の推敲訳) 同じ神を崇拝するにしても宗派が異なると、想像を絶する反目がこれまでに何度も起こってきた。

     全体をまとめてさらに推敲する。
    (推敲訳) 地球上の各地では様々な紛争が人々を苦しめているが、まさに紛争下にある当事者たちは「対立がこれほどまでに激化しているからには、あちらとこちらをへだてる問題を解決するのはとうてい不可能に違いない」と思い込んでいる。だが、それは間違いだと思う。激しく対立しているからと言って、当事者同士の目的が根本から食い違っているとは限らない。両者の考えが食い違えば食い違うほど対立の激しさが増すという関係は成立しないからだ。事実、同じ神を崇拝しているにも関わらず宗派が異なるだけで、想像を絶する反目がこれまでに幾度となく起こってきたのだ。
    posted by アスラン at 23:30 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年10月25日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(7.1.6)

    Chapter7. It . . . that . . .「@ It+V+that . . .」より。

    7.1.6 If everyone undertook to form all his own opinions and to seek for truth by isolated paths, it would follow that no considerable number of men would ever unite in any common belief.
    (訳) すべての人があらゆることについて自分だけの意見を持ち、孤立した道によって真理を求めようとするなら、相当数の人が共通の信念に結ばれることは決してないという結果になるであろう。
     日本語では「先と後」「前と後ろ」のように、位置関係なのか時系列なのかで「どちらがどちらなのか」を迷う事がある。このfollowを使った構文は特に迷わされる。伊藤先生がこの例文を取りあげたのは、僕のような思い違いをする人が受験生に多く見られるからだろう。
    A follows B.
     これは位置関係で考えると「(後ろにいる)Aが(前にいる)Bに従う」という意味になるが、時系列として考えると「Bが先に起きて次にAが起きる」だし、因果関係ととらえると「(先に起きた)Bが原因でAが起きる」という意味になる。まあ、ここまではいいとして(僕にとっては良くはないのだが)、it follow that…の構文になるとややこしくなる。
    It follow from B that S+P.
     that節全体はさきほどのAに相当する。つまり非人称構文では、さきほど主語だったAがthat節として目的語になっているし、さきほど目的語だったBはfromの目的語になっているというわけだ。ただ、さきほどはAとBの関係を直接followが媒介していたのだが、非人称構文では「天から降ってきたit」から見てA(that節)とBの関係が決まる。つまり同じfollowではあるが用法はまったく違うと考えた方がよいという事になる。さらに例文ではfrom Bの部分が、Aがthat S+Pになったのと同様に展開されて、if S'+P'のようになっている。
    If S'+P', it follow that S+P.

     ここまでが英語として踏まえておかねばならない知識だが、ここからは日本語として踏まえておかねばならない事を考える。訳文は原文のバタ臭さがそのまま残っているため、理解できないというほどではないが「ちょっと何言ってるのか分からない」と突っこみたくなるような部分が見られる。isolated pathsを伊藤先生は「(人から切り離された)自分だけの道」と解説しているが、訳文では「孤立した道」となっている。pathsは道には違いないが、英語特有の表現を日本として無難な表現に変えるべきだろう。それとseek for truthをランダムハウスなどでは「真理を探究する」と訳しているのだが、今ひとつピンとこない。「真理を探究する」というのは哲学や宗教など一部の分野にかぎった言い回しであって、僕を含めて一般の人たちは「真実(もしくは事実)は何なのかを追い求める」というぐらいに噛み砕かないと状況が見えてこない。さらに「相当数の人が…」うんぬんも微妙に気に入らない。「信念に結ばれる」ではなく「信念で結ばれる」だろうし、if文が原因でthat節が結果になるように訳せば「…という結果になるであろう」は日本語として余分だと思う。これらを踏まえて訳文を推敲する。
    (推敲訳) 誰もが何事についても自分だけの意見を持ち、各自のやり方で真実は何かを追求しようとすると、どんな形でも互いに共通の信念を抱いて相当な数の人間が団結すると言うことは今後はなくなるだろう。
     isolated pathsを「各自のやり方」としてみたが、もうちょっと一工夫すべきだ。後半の部分もno considerable number of menやany common briefなどをそれぞれ丁寧に訳に反映しようとしたので、修飾語が多くなりすぎて日本語としてとっちらかってしまっている。
     さらに推敲してみる。
    (推敲訳) 誰もが、何事についても自分なりの意見を持ち、真実とは何かを手探りで追求し始めたならば、いかなるものであれ互いに共通の信念を抱いて団結する人々が相当な数になるなんて事は、今後はなくなるだろう。
    posted by アスラン at 07:10 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年10月22日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(7.1.5)

    Chapter7. It . . . that . . .「@ It+V+that . . .」より。

    7.1.5 One day it occurred to a man named John Gutenberg that if the letters of a text could be made each one separate, they might be used over and over again.
    (訳) ある日、ジョン・グーテンベルグという名の人が、テキストの活字をひとつひとつばらばらにできれば、何度も使えると思いついた。
     とりあえず、7章@のお題としてはIt occured to a man that …の部分をどう考えるかだ。happenとoccurはある意味で互換性があり、「(出来事が)起こる」という使い方ができるが、occur to + 目的語という形式になると語義が変わってくる。
    3. 〈考えなどが〉(人の)心に浮かぶ、思い出される、ふと気がつく《to …》
     An idea occurred to me [ or my mind].  ある考えが私の心に浮かんだ。
     この用例を例文と比べてみる限り、例文のitはthat節を前もって示す、いわゆる形式主語のようにも見える。ただ、that節の内容を入れ子にして外側から「〜と思い浮かんだ」を付加すると考えた方が他の様々な動詞の構文と整合するので、やはり形式主語とは見なさない方がよさそうだ。

     その上で例文の内容に立ち入ると、訳文には少々不満な点が見受けられる。「グーテンベルグ」と言う以上は、かの活版印刷の父を指すのは間違いない。だとすると姓の方はドイツ語読みにしているのに、名前の方をジョンと読んでいるのはおかしい。そもそもJohannes Gutenbergが正しい表記で、名前はキリスト教の聖人ヨハネから採られている。聖人ヨハネは英語ではJohnなので、あえて英文ではそう表記しているのかもしれないが、ドイツ人として扱うならばヨハネスとすべきだろう。ちなみに姓は「グーテンベルク」が正しいようだ。

     さらに「テキストの活字をひとつひとつばらばらに」うんぬんと書かれているが、「活字」と書いた時点で活版印刷を前提としているので辻褄が合わない。ここは、活版印刷以前の書籍がどのように作られていたかを考えなければならない。活版印刷以前には、書写(手書きで原本を写す)か、木版印刷(一枚の版木に文章を彫って印刷する)のいずれかだった。書写は印刷とは言えないので木版印刷で考える。the letters of a textというのは「版木に彫られた文章を形づくる文字全体」を指すはずだ。それを踏まえて訳文を推敲する。
    (推敲訳) ある日、ヨハネス・グーテンベルクという男が、印刷する本文を構成する複数の文字を一つ一つ分けておくことができたら、くりかえし使う事ができるかもしれないと思いついた。

     さらに日本語らしく推敲する。
    (推敲訳) ある時、ヨハネス・グーテンベルクという男がふと思いついた。印刷する文章を文字単位に分けておく事ができたら、それらの文字を何度も使いまわす事ができるかもしれないと。
    posted by アスラン at 01:50 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年10月16日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(7.1.4)

    Chapter7. It . . . that . . .「@ It+V+that . . .」より。

    7.1.4 It turned out that everybody at the bar knew Sonny.
    (訳) バーにいた者はみなソニーを知っていると分かった。
     非常にシンプルな例文と訳なのでスキップしてもいいくらいだが、かえってIt+V+that…の構文を考えるには好都合かもしれない。まずはturn outについて考えよう。

     ランダムハウス英和大辞典によると、turn outは成句として以下の意味になる。
    (1)《様態の副詞(句)を伴って》(…の)結果になる
     Everything will turn out fine [or right]. 何もかもうまくいくよ。
    (2)《補語を伴って》結局は(…に)なる; 結局は(…であることが)分かる《to be》
     His story turned out (to be) false. 彼の話はうそだと分かった。
    (3)(…することが)分かる、判明する《to do》; (…ということが)分かる、(…ということに)なる《that節》
     It turned out that everybody at the bar knew him. バーにいた者は一人残らず彼を知っていることが分かった。
     (3)の用例が、今回の例文と瓜二つだと知って驚いた。どちらかがどちらかを引用した事になる。注意したいのは(3)の語義には、that節だけでなくto不定詞の用法もあると言う点だ。例文(あるいは言い換え)が記載されていないので明確には分からないが、研究社新英和大辞典には以下の用例があった。
    She turned out to have known the solution all along.  彼女は最初から解答を知っていたということがわかった。
     ということで、ここから類推するに今回の例文は以下のように書き替えられそうだ。
    (a) It turned out that everybody at the bar knew Sonny.
    (b) Everybody at the bar turned out to know Sonny.
     (b)では主語がEverybody at the barで、動詞がturned outになる。だが、これはあくまで形式的なS+Vの関係にすぎず、主語に対する意味上の動詞はto不定詞内部のknowである。そもそも助動詞may,mustが表すモダリティ(…かもしれない、…にちがいない)や、seem, look, appear(〜にみえる、思える)などの動詞にしても、主語に対して形式的なものに過ぎない。この場合は話者(語り手)が潜在的な主語となっている。(b)のturned outは「話者(語り手)が分かった」とも解釈できるが、「不特定多数の人が分かった(不特定多数の人に判明した)」とも解釈できる。つまりturned outの意味上の主語は潜在していて特定はされていない。かつては「日本語は主語を顕在させないので論理的ではない。だから言語として劣っている。」という英語偏重主義者の主張がまかり通っていたが、英語の主語は彼らが思うほどには論理的で明解な要素とは言えない。英語は「主語」を必須要素として構文に導入したのに対して、日本語は「述語」を必須要素として構文に導入した。日本語には英語で言う「主語」は存在しない(省略可能な「主格」は存在する)。それぞれがそれぞれの基本要素を下敷きにして構文を組み立てていっただけの事で、一方の物差しで他方の構文を断罪しても無意味なのだ。

     ここで重要なのは、(b)が主語に対して形式上の動詞と意味上の動詞の二重構造になっているのを解消するために、(a)のIt+V+that…形式が考え出されたのではないかという点だ。これについては、専門家ではないので当てずっぽうにすぎないのだが、少なくともthat節の内部のS+Vは主語と動詞が意味的に対応しているために誤解が少ない構文になっている。江川泰一郎『英文法解説』では、この(a)を非人称構文と呼んでいる。伊藤先生が本書に書いているように「(itが)『天から降る』かのごとく現れる」のは、潜在して特定できない主語(語り手や不特定な人)を曖昧なまま顕在化したものとも考えられる。

     ということで、例文から思いついた事を書きつづったところで訳文を少しだけ推敲する。barは日本語の「バー」と同じなのかどうか気になった。ランダムハウスでは「(米国)酒場、バー」としているが、和英も含めて他の辞書を調べると「簡易食堂」や「居酒屋」もbarの一種のようだ。その他「ホテルのラウンジ」もbarと言える。要するに止まり木があればbarと表現できそうだが、何も形容がないthe barは「バー」としておくのが無難そうだ。それと「ソニー」だと人名か日本の企業名か区別がつかないので、「知っている」ではなく「知り合いである」に代える。ただし、Sonnyを調べたら「サニー(男性の名前)」と表記すべきだとわかった。
    (推敲訳) そのバーに居合わせた人は一人残らず、サニーと知り合いである事が分かった。
    posted by アスラン at 06:01 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年10月14日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(7.1.3)

    Chapter7. It . . . that . . .「@ It+V+that . . .」より。

    7.1.3 As a rule it happens that a week or so of mild sunny weather occurs about this time.
    (訳) 1年のうち今ごろはたいてい、1週間やそこらおだやかで日のよくあたる日が続く。
     ランダムハウス英和大辞典によると、occurの項に「通例、ある事が特定の時期に『起こる』ことをいう。happenより硬い語だが、交換可能な場合が多い」と書かれている。用例を調べてもどれもこれもhappenとoccurのいずれも使える例文がほとんどだ。だからthat節の中にoccurが使われていて、これを入れ子にして外側がit happens that…となるのは、occurに同じ意味のhappenを重ねているにすぎないように見える。だが、訳語を比較すると微妙に意味が違うようだ。
    occur 〈事件などが〉起こる、発生する。◆通例、ある事が特定の時期に「起こる」ことをいう。
    happen 〈事が〉(偶然)起こる、生じる、発生する、偶発する。
     つまりoccurは「特定の時期」に起こり、happenは「偶然」に起こる。さらにいうとit happens that…の形式になると、「偶然、たまたま〜する」という意味だけでなく、様々な副詞と組み合わせて「ある頻度で〜する」という意味を表現できるようだ。
    It so happened that he was not at home. たまたま不在だった。
    It not seldom happens that … …ということはよくある(ことだ)。
    It rarely happens that this disease proves fatal. この病気が命にかかわることはめったにない。
     これを踏まえて訳文を見ると、取りたてておかしいところはないが、あえて言えばmild sunny weatherの訳し方が気になる。「日のよくあたる」は部屋の日当たりの事だけを指しているように聞こえる。でも例文の言いたい事は、ちょうど今の時期の秋空のように雲が少なく晴れ渡った天気のことを指しているはずだ。それと英語はmild & sunnyの順だが、日本語は逆にした方が自然だ。
    (推敲訳) 一年の中でもだいたいこの時期は、よく晴れておだやかな日が1週間程度続くのが一般的だ。
    posted by アスラン at 06:10 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年10月12日

    英文解釈教室の訳文を書き直す(7.1.2)

    Chapter7. It . . . that . . .「@ It+V+that . . .」より。

    7.1.2 Probably in a modern city the man who can distinguish between a thrush's and a blackbird's song is an exception. It is not that we have not seen the birds. It is simply that we have not noticed them.
    (訳) 現代の都会でツグミの歌とクロウタドリの歌が聞き分けられる人は、おそらくまれであろう。それらの鳥を見たことがないからではない。ただ、それらに気がついたことがないだけなのだ。
     まずは最初の文。thrushなんて初めて見た。日本人だから脳内で「スラッシュ」というカタカナに変換しているので記号のスラッシュ(/)とは違うのだよなぁと思って辞書を引く。ツグミだそうだ。一方ブラックバードは知っている。ビートルズの曲で知っているだけだが。やはり辞書を引くと「@クロウタドリAクロムクドリモドキ」などと出てくる。とりあえず伊藤先生の訳にならってクロウタドリとしておこう。

     そもそもツグミもクロウタドリも日本では一般的な鳥なのだろうか。ニッポニカによると「中国、朝鮮半島、日本などで越冬する」渡り鳥らしい。ネットで調べると昭和記念公園での画像の投稿があるので、僕自身もきっと見ているのだろう。一方のクロウタドリ。同じくニッポニカによると「イギリス、ヨーロッパ大陸、アフリカの地中海沿岸から、東は中国南部まで及ぶ。ほとんど渡りはしない。…ヨーロッパではもっとも親しまれる鳥の一つ」だそうだ。日本ではクロツグミが同属だとも書かれていた。いずれにしても日本では見かけない鳥のようだ。

     さて、ここまで知った上で最初の文を推敲していく。気になるのはmodern(現代)、city(都会)、song(歌)という紋切り型の訳だ。「現代」なんて堅苦しい文章でしか使わないし、「都会」も大仰だなと思う。「歌」はさすがにおかしい。それとcanを「〜できる(能力)」と解釈するのも、以後の文意とかみ合わない感じがする。そもそも田舎や都会に関わらず「聞き分ける能力を持つ人」は存在するだろう。ただ「聞き分ける」という行為をしている可能性という点では、田舎よりも都会の方が「まれ」であるというのは納得できる。
    (第1文の推敲訳) 近ごろの街では、ツグミとクロウタドリのさえずりを聞き分けている人など、おそらくはめったにいない。

     次の第2の文、第3の文がit … that構文になっている。伊藤先生は、このit is not thatやit is simply thatのように助動詞を欠く場合は、it is … becauseやI … want to say thatのように読み替えろと言っている。つまり、第2文はこのように解釈するという事だ。
    (a) It is not that we have not seen the birds.
    (a') It is not because we have not seen the birds.
    (a'') I don't want say that we have not seen the birds.
     (a)(a')(a'')のいずれも同じ意味だと言っている。これはもちろんお説ごもっともなのだが、(a')や(a'')の解釈は文脈次第で、直前の文からどのように繋がるかという文脈を読んだ上で、日本語として適切な接続詞などを訳に挿入すべきだという事を説明しているに過ぎない。それよりも、やはり重要なのはthat節を入れ子として抱え込んだ上で、それを外側のnot やsimplyが限定している。つまりthat節を主となる文とみなした場合に、notやsimplyが文修飾していると考えるのが先だ。notの場合はthat節内にnotがあるので二重否定の文になる。seeは「見る」というより「遭遇する」だろう。
    (第2の文の推敲訳) たいていの人はこの2羽に遭遇したことがないというわけではない。

     最後の文のnoticeを「気がつく」としているが、ここまで読み込んでくると「気づく気づかない」の話ではなく、「気にもとめない」という意味ではないだろうか。
    (第3の文の推敲訳) 単に、誰もその2羽の事を気にとめたことがないのだ。

     全体をまとめて、更に推敲する。
    (推敲訳) ちかごろは街で鳥のさえずりを聞いて、ツグミだ、いやクロウタドリだと聞き分けている人など、おそらくはめったにいない。この2羽に出くわした事がない人がほとんどだからというわけではない。言ってしまえば、誰も2羽の違いを気にとめた事などないのだ。
     
    posted by アスラン at 06:40 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 英文解釈教室を書き直す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする