Chapter7. It . . . that . . .「B 強調構文」より。
7.3.2 It is just the literature that we read for "amusement," or "purely for pleasure" that may have the greatest influence upon us.
(訳) 我々に最も大きな影響を及ぼす可能性があるのは、まさに「娯楽」のため、つまり「楽しみだけを求めて」読む文学である。
強調構文のつづき。強調構文It is 〜 that …を「…なのは〜だ。」と訳すのが、強調構文パターンのお約束だ。それについて、今回も日本語の側面から検討してみる。
(A)象は鼻が長い。 (「象は」は題目。)
(B)象は鼻が長いが、キリンは首が長い。(「象は」「キリンは」は題目&対照。)
(C)象は鼻は長いが、首は短い。 (「象は」は題目。「鼻は」「首は」は対照。)
主語廃止論を唱えた三上章さんの主張の骨子となる「象は鼻が長い。」で考えてみる。日本語には英語で言う「主語」にあたるものは限定的にしか存在しない。ということは日本語側の立場からは「主語は存在しない」という事になる。代えて日本語は述語表現(動詞・形容詞・形容動詞などを基本に作られた述部)のみが構文的な必須要件で、それに付随する格要素があるだけだ。だから主語は存在しないが、主格は存在する(ただし必須ではない)。その中でも助詞「は」が形成する題目部は重要な要素だ。それをふまえた上で、(A)〜(C)について順に考えてみる。
(A)は「象は」という題目部と、「鼻が長い」という解説部から構成された題説構文である。題説構文は自問自答型の構造をもち、「象と言えば」という問いを自分で立てて、自分で「鼻が長い」と答えている。日本語では非常によく見られる形式の構文である。
一方、係助詞「は」は題目を意味する以外に対照の意味で使われる事がある。(B)や(C)がその例だ。「象は鼻が長い。」「キリンは首が長い。」という文は、単独では各々の「〜は」は題目を意味するが、(B)のように並置することで「〜は」は対照の意味を持つ事になる。比較する対象に対して「(他はどうであろうとも)〜は」というように強調した表現になっている。言い替えれば、(B)では対照部に焦点を当てる事になるわけで、実は英語の強調構文の焦点部とは、この対照部の事なのではないかというのが僕の考えだ。
だが、少し先走ったので話を(C)に戻そう。(B)では「〜は」の役割が題目と対照とを兼ねているので分かりにくいかもしれない。(C)では「象は」は題目部で、対照部は「鼻は」「首は」のように別に存在する。元々は「象は鼻が長い。」「象は首が短い。」という単独の文が想定され、それぞれ「鼻が」「首が」であったが、並置することで「鼻は」「首は」に入れ替わり、対照の意味を持つ表現になっている。
(B)や(C)では、比較対照する格要素が対照部として顕在化していて、同時に対照部に焦点が当たって強調される文を見てきた。しかし(B)や(C)のようには対照部が並置されてなくても、(A)に発話上の操作を行う事で特定の格要素を強調(焦点化)する事が可能だ。それはこんな具合だ。
(A)象は鼻が長い。 (焦点部無し)
(B')象は鼻が長い。(「象は」が焦点部。太字の部分を発話する際に強調する。)
(C')象は鼻が長い。(「鼻が」が焦点部。太字の部分を発話する際に強調する。)
これはあくまで発話を前提にした焦点の当て方なので、字面から焦点がどこにあるかを分かるようにするには、取り立ての助詞や副詞などを補う必要がある。
(B")何と言っても象は鼻が長い。
(C")象は何と言っても鼻が長い。
これが日本語としての焦点の当て方、つまりは強調の仕方だ。一方で、英語の強調構文パターンでは、それぞれを次のような日本語で表現する事になる。
(D)鼻が長いのは象だ。
(E)象が長いのは鼻だ。
先ほどの(B")や(C")と比べると、同じ事を言ってるようで微妙に違うのが分かるだろうか。違いが分かるようにそれぞれを並べてみよう。
(B")何と言っても象は鼻が長い。
(D)鼻が長いのは象だ。
(C")象は何と言っても鼻が長い。
(E)象が長いのは鼻だ。
(B")(C")はそれぞれ「象は」を題目部とした題説構文となっている。これは日本語として自律している。それに対して(D)や(E)は「象は」という題目部は消えてしまっていて、「鼻が長いのは」「象が長いのは」という問いかけの部分が題目部になっている。これは次のような過程を経て表現される文だと言える。
問: 鼻が長いのは何か?
答: 鼻が長いのは象だ。
問: 象が長いのは何か?
答: 象が長いのは鼻だ。
なぞなぞのように問いかけがあれば答のような言い方は可能だが、いきなり何の前提も無しに答のような言い方は不可能だ。(D)や(E)はそういう文になっている。そういう意味では(D)や(E)は「自律していない」と言える。
(B")の場合、「何と言っても象は鼻が長い。」という文は「象」を話題にしているため、いきなり相手から言われても聞き手は受け止める事ができる。しかし「(D)鼻が長いのは象だ。」といきなり相手から言われたら「何の話をしてるんだ?」と戸惑うだろう。だが、前もって「ここに象、ライオン、キリン、虎がいるとしよう。鼻が長いのはどれだと思う?」という問いを共有していたとしたら、「(D)鼻が長いのは象だ」という言い方を聞き手は受け止める事ができる。つまり、強調構文(分裂文)の翻訳としてお約束になっている「…なのは〜だ」という言い回しは、前提となる文脈を話し手と聞き手とが共有していないと成立しない事になる。だが、強調構文が「前提となる文脈を必要とする」という話は聞いた事がないので、実は「…なのは〜だ」というお約束の翻訳パターンは翻訳としては適切ではないのではないだろうか。本当であれば(B")や(C")のような日本語の方が適切なのではないだろうか。かなり以前から、そう考えてきた。
ただし、これはあくまで日本語側から一方的に適切な日本語を追求した結果であって、はたして強調構文と言われる形式が本来「自律している表現なのか、そうではないのか」は僕には分からない。少なくとも、この構文のもつニュアンスについて書かれた文法書は一度も見た事がない。江川泰一郎『英文法解説』でも「焦点(〜)の位置に来て強調されるのは、(代)名詞と副詞語句である」と書かれるだけで、あとは例文と「…なのは〜です」という対訳が併記されているだけだ。はたして、強調構文とはどういう状況(前提)で使われるものなのだろうか。分からないまま見切り発車して「強調構文は自律している」と考えた。だからこそ7.3.1では強調構文パターンからの脱却を図ってみたのだが、実は身近なところに答が転がっていたのだ。
北村一真著『英文解体新書』の「3.3 itを用いた構文(1)」(P.95〜)には分裂文が解説されているが、そこでは分裂文の最大の特徴は「その条件を満たす値は. . .」という指定文と呼ばれるタイプの文であると書かれている。重要なのは次の一節だ。
分裂文は前提となる条件ありきの文ですから、通常はthat以下の内容は聞き手や読み手にとっても既知の、意識が向いているものでなければなりません。何の脈絡もなく、It's the TV that Taro fixed. などと言うと違和感があります。太郎が何かを修理したという話などしていなかったのに突然「太郎が修理したのはテレビだ」といった発言がなされると、日本語でもおかしく感じるのと同じことです。(P.98)
まさに僕が知りたかった事が書かれている。僕が強調構文の訳に違和感を感じていたのは「前提となる条件ありきの文」であるにも関わらず、前提無しで一文が提示されているせいだった。要するに情報不足なのだ。それを無理やり「そんなはずはない。前提となる条件なしの日本文に訳すべきだ。」と思い込んでしまったわけだ。
これで強調構文の伝えたい情報・状況はわかったので、あらためて日本語から考えてみる。「分裂文(強調構文)は前提となる条件ありきの文である」という前提から検討しなおしてみよう。
問1 (この動物園で) どの動物が鼻が長いだろうか? (二人が共有する前提)
答1 象が鼻が長い。
答2 象だ。
答3 鼻が長いのは象だ。
動物園にいる二人の会話という状況で、問1が二人が共有する前提(話題の中心)であるとしよう。これに答える形で一方が発話すると考えると、答1〜3のようになる。いずれも特に日本語としては問題はなく、正しい日本語だ。あえて言うなら答1は助詞「が」が重複するので、文字づらを見るだけでは違和感があるが会話ではよく使われる。それは「
象が鼻が長い。」というように「象が」に焦点を当てて発話するからだ。もっとも一般的なのは答2で、問1の疑問詞(どの動物)で焦点が当てられた部分だけを一語文(一つの単語もしくは文節から述部が構成される文)で回答している。「象だ」だけで二人の会話の「何」に焦点が当てられているかが把握できる。この答2は、二人が共有した前提を省略したものだと見なして元に戻したのが答3になる。そして、まさしく答3こそが強調構文の翻訳パターンそのものなのだ。しかし、だとすると答1も翻訳として正しいのではないだろうか。
問2 (あそこにいる)象は何が長いだろうか? (二人が共有する前提)
答1 象は鼻が長い。
答2 鼻だ。
答3 象が長いのは鼻だ。
答1は「象は
鼻が長い。」というように「鼻が」に焦点を当てて発話する。答3が強調構文の翻訳パターンだ。以前に『象は」という題目が失われてしまったと指摘したが、そもそも前提として「象」という話題を二人が共有しているので、ここでは「象だ」に焦点を当てるために題目部が「象が長いのは」に変わっている事は何ら問題はない。
以上の2通りを見ていて分かるのは、答1では一見するとどこに焦点を当てているのか分からないと言う点だ。会話と違ってアクセントの強さで焦点の位置を示す事ができないので、例えば問2の方の答1「象は鼻が長い。」では、焦点無しの文(A)なのか、焦点ありの文(B)なのかの区別がつかない。問1の方の答1「象が鼻が長い。」の方がまだマシだ。通常の題説構文「象は鼻が長い。」とは違う事から「象が」が取り立て(強調)られていると感じられる。結論から言えば、答3の強調構文パターンを用いるのが焦点の在処を示すのにはもっとも確実で手っ取り早いという事になる。
長々と検討してきたが、結局振り出しに戻った事になる。だが、それでいいかと言えば大間違いだ。7.3.1で検討したように、英語では焦点部に名詞句が出てきても、日本語としては述部表現に展開する必要がある場合も少なくないので、強調構文パターンがいつでも使えるというわけではない。他のパターンもちゃんと検討しておくべきだろう。
問1 (この動物園で) どの動物が鼻が長いだろうか? (二人が共有する前提)
答1 象が鼻が長い。 (「象が」が取り立ての効果で強調される。)
答2 象だ。
答3 鼻が長いのは象だ。 (焦点となる「象だ」が述部に来る事で、強調される。)
答4 象が鼻が長い。 (焦点となる「象が」を文頭に置くことで強調する。この例では元々先頭に置かれているので答1と同じ。)
答5 何と言っても象が鼻が長い。 (焦点に対する強調を明示するために強調の副詞句などを追加する。)
答6 象こそが鼻が長い。 (焦点に対する強調を明示するために強調の副助詞などを追加する。)
もちろん、こんな短い文では答3が無難であることは言うまでもない。答5や答6は焦点に対する強調として有効ではあるが、答3がただ単に焦点部分を構文的に明示するだけなのと比べると、強調し過ぎているようにも感じられる。
問2 (あそこにいる)象は何が長いだろうか? (二人が共有する前提)
答1 象は鼻が長い。 (題目部「象は」の通常の文と同形なので、このままでは書き言葉として「象は」に焦点が当たらない。)
答2 鼻だ。
答3 象が長いのは鼻だ。 (焦点となる「鼻だ」が述部に来る事で、強調される。)
答4 鼻が象は長い。 (焦点となる「鼻が」を文頭に置くことで強調する。)
答5 象は何と言っても鼻が長い。 (焦点に対する強調を明示するために強調の副詞句などを追加する。)
答6 象は鼻こそが長い。 (焦点に対する強調を明示するために強調の副助詞などを追加する。)
答4のように焦点部分を文頭に持ってくると強調の効果はある程度感じられるが、この文だと題目部「象は」が後方に追いやられる事による違和感がまさってしまう。答5や答6については、問1の場合と同様に有効であるが、強調し過ぎに感じられる事もまた同じだ。
以上、現時点での結論めいたものがあるとしたら、基本的には強調構文の翻訳パターン「…なのは〜である」によって焦点となる部分(〜)を強調した日本語を採用する。ただし、焦点部が名詞句におさまらず述語表現に展開する必要があったり、焦点部が長くなりすぎて問いの部分(…)とのバランスが悪くなったりする場合には、元々の文(基本的な文)をそのまま日本語に訳した上で焦点部を強調させる手立てを採り入れる事にする。
という事で7.3.2にようやく取りかかることができる。実はまさにこの例文が後者の手立てが必要となる文に相当するのだ。
7.3.2 It is just the literature that we read for "amusement," or "purely for pleasure" that may have the greatest influence upon us.
(訳) 我々に最も大きな影響を及ぼす可能性があるのは、まさに「娯楽」のため、つまり「楽しみだけを求めて」読む文学である。
焦点部はthe literature that we read for "amusement" (「娯楽」のために読む文学)という事になるが、そこに同格のフレーズが挿入されているせいで、少しややこしい言い回しになってしまっている。問い(我々に…可能性があるのは)に対して「『娯楽』のため」だと言っているように一瞬読める。しかしこの部分は「まさに『娯楽』のため…読む文学」という焦点部を構成しているはずなのだ。だったらせめて「『娯楽』のために…読む文学」と書いて欲しかった。それと並列して同格のフレーズ「つまり『楽しみだけを求めて』…読む文学」が挿入されている構成になっているために焦点部が長いし、単なる名詞句という枠組にはおさまっていない。
そこで基本となる文に沿って、まずは訳文を考えてみる。ちなみに同格についてはあらためて考えたいが、少なくとも日本語で同格表現を挿入する場合は、きちっと並列関係がそろうように書くべきだ。英文ではクオーテーションマークが片方はforを含まず、もう片方は含んでいるのは英語の都合に過ぎない(purelyを括るためにはforを入れざるを得ない)。日本語ではどちらも「のために」は外す事にした。
(強調前の例文) The literature that we read for "amusement," or "purely for pleasure" may have the greatest influence upon us.
(強調前の推敲訳) 私たちが日頃から「娯楽」のために、すなわち「ただ単に自分が楽しむ」ために読んでいる小説は、私たちに何よりも大きな影響を与える事がある。
あとは「小説」の部分に焦点が当たるように強調するだけだが、同時に訳文に日本語として手を入れておこう。the literature that …を関係詞節を伴った名詞句として訳すと長々しいので、存在文としていったん区切ってから、あらためてthe literature(文学)を代名詞として言い直す事にする。それと「文学」はなんとなく偉そうなので文芸作品一般という意味で「本」にする。後半のmay have …の部分は前半のweとそろえるために主格を「人」に統一する。肝心の焦点の強調は「そういう本に限って」という強調フレーズを入れ込む事にした。
(推敲訳)人には日頃から「娯楽」のために、すなわち「ただ単に自分が楽しむ」ために読んでいる本があるが、そういう本に限って何よりも大きな影響を受ける事がある。