人気記事
    カテゴリ記事リスト
    ジョン・ディクスン・カー『絞首台の謎』を散策する(その3)(04/17)
    ジョン・ディクスン・カー『絞首台の謎』を散策する(その2)(04/03)
    ジョン・ディクスン・カー『絞首台の謎』を散策する(その1)(03/29)
    絞首台の謎 ジョン・ディクスン・カー(創元推理文庫)(03/09)
    髑髏城の歩き方(1)(12/13)
    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その18)(08/15)
    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その17)(05/17)
    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その16)(05/13)
    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その15)(05/07)
    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その14)(04/30)
    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その13)(04/16)
    どうして北村さんは『髑髏城』を評価しないのか(04/12)
    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その12)(04/06)
    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(目次)(04/05)
    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その11)(04/01)
    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その10)(03/23)
    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その9)(03/18)
    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その8)(03/10)
    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その7)(03/05)
    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その6)(03/02)

    2025年04月17日

    ジョン・ディクスン・カー『絞首台の謎』を散策する(その3)

     フェル博士が活躍する長篇シリーズ第6作『三つの棺』では、作品の終盤になってフェル博士が「密室講義」を始める。何故?と聞かれて「われわれは探偵小説のなかにいるからだ。」と答える。それまで作中の人物としてのリアリティを体現していた存在が、それを演じていた役者にすぎないのだと赤裸々に話し出すのだ。当時としてはかなりぶっ飛んだ挿入シーンは、エンターテイメントが何事にも優先されてしまう現代でもかなり興味深いシーンである事は間違いない。このようなカーのちょっとした遊び心は1935年の「三つの棺」を嚆矢とするわけではなかったようだ。すでに、カーの長篇第2作『絞首台の謎』(1931年)でも、語り手ジェフが新情報を持ち帰っても気のない素振りのバンコランは、読みふけっている推理小説の結末を気にしている。
    [原文]( 7章P.57) "Don't you want to hear―!" I protested, and paused as I saw the book he had put on the table; then I said, "Why, what the devil, Bencolin! 'The Murders at Whispering House, by J. J. Ackroyd. . . .'"
    [新訳]( P.106) 「聞きたくないって――!」出かかった文句は彼がテーブルに置いた本を目にして、ひっこんだ。やがて、「おいおい、いったいどうしたんだ!『囁く家殺人事件』、J・J・アクロイド著…」
     バンコランが夢中になって読んでいる推理小説とは、著者名からも分かるようにアガサ・クリスティ『アクロイド殺し』が元ネタである事は間違いない。原文を見ると推理小説のタイトルは” The Murders at Whispering House”となっている。既に読んだことのある人ならば「囁く家」という表現の意味がすぐに分かるだろう。ちなみにだが、The Murders …というタイトルの作品がクリスティには多いと思う。the Murder Caseとは違って、本来殺人が起こりそうにない片田舎で起きた「殺人」それぞれに光を当てているというニュアンスが感じられる。特にハヤカワ文庫(およびクリスティ文庫)では『オリエント急行の殺人』『牧師館の殺人』『メソポタミアの殺人』のような「〜の殺人」式タイトルが多い(もちろん『ゴルフ場殺人事件』『ABC殺人事件』のような例外もあるが)。

     今回、元となった作品はThe Murder of Roger Ackroydのように場所ではなく被害者(目的語)を示しているので、ハヤカワ文庫では「〜殺し」という和語表現を使っている。ちょっと珍しい。一方、創元推理文庫では『アクロイド殺害事件』というタイトルを使っている。「殺人事件」だと場所なのか人名なのかの区別が付きにくい、あるいはアクロイドが被害者かどうかの区別が付きにくい事に配慮したのだろう。新訳は創元推理文庫なので『囁く家殺人事件』という訳になっているが、もしハヤカワ文庫の翻訳であれば『囁く家の殺人』となっていたのだろう。

     著者名のJ・Jで思いつくのは、エラリー・クイーンがデビュー以来、いわゆる国名シリーズの冒頭で必ず登場させている人物J・J・マックだ。彼はエラリー・クイーンの友人であり、エラリーの父リチャード・クイーンがニューヨーク市警の警部だった頃から旧知の仲であった。エラリーが家族とともにイタリアの片田舎に引っ込んだ際に、かつて解決した事件の顛末を小説にするように盛んに勧めた人物である。なぜカーがJ・Jをアクロイドに冠したのかは容易に類推できる。そもそも作家エラリー・クイーンがJ・Jを用いたのは、当時心酔していたS・S・ヴァンダインの名前を模したからだ。作家ヴァンダインは探偵ファイロ・ヴァンスの活躍した事件の顛末を世間に公表する人物として、友人のS・S・ヴァンダインを冒頭および作中に登場させているのだ。そして、カーもまた、クイーンに倣ってJ・Jを用いたと思われる。ただし、クイーンと同じように心酔していたからではなく、今回は彼を揶揄する意図で用いたのだろう。

     そもそもカーは何故『アクロイド殺し』を思わせる推理小説をバンコランに読ませる場面を挿入したのだろうか。それは『絞首台の謎』(1931年)の出版を遡る事5年前に、クリスティが『アクロイド殺し』(1926年)を出版した際に「驚愕の真相でミステリ界に大きな波紋を投じた」(クリスティ文庫のあらすじより)からであった。作家兼批評家の笠井潔は同作の解説で「英米の探偵小説界は賛否両論で沸騰した。」と書いている。当時いち早く”否定派"である事を表明したのが、S・S・ヴァンダインだった。ヴァンダインは美術評論家ウィラード・ハンティントン・ライト名義で書いた「推理小説論」の中で、ポアロの探偵手法をかなり辛辣に批判している。言いたい事を言うためにライト名義で書いたのかもしれない。この小論はライト編のアンソロジー"The Great Detective Stories"(1927年)の序論として書かれたもので、『ウインター殺人事件』(創元推理文庫)にも収録されている。
     エルキュール・ポアロはアガサ・クリスチィのもったいぶった、小男のベルギー人の探偵であるが、探偵論法家の部類に属する。その手法はこれまた透視に近いほど直感的で、そのおどろくほど正確で、奇跡的な推理は《小さな灰色の細胞》の強烈な作用の結果だと口癖のように主張している。… 彼が登場する物語はしばしば人工的であり、その問題はいかにも不自然で、いっさいの現実感が失われ、従って、解決にたいする興味が減殺されている。
     (中略)
    《アクロイド殺害事件》で読者をぺてんにかけたトリックは、推理小説作者の正当な手口とはとうてい言えない。この小説でのポワロの働きぶりは、ときとして、なかなか有能だが、その効果は、結末によって帳消しにされている。
     笠井潔によればドロシイ・L・セイヤーズは肯定派を表明したようだが、カーは当時どのように考えていたのだろうか。手がかりは1963年にEQMMに一部が掲載された「地上最大のゲーム」にあった(ちなみに完全版は『グラン・ギニョール』(翔泳社)に収録されている)。
     アガサ・クリスティはいわば、十六弦のジャックの女性版、創意に富んだ、巧妙な策士である。女史からは、一瞬たりとも目をはなしてはならない。
     (中略)
     かつてディテクション・クラブの晩餐会で、出席者のうちの何人かが不満をぶちまけているなか、ポアロの創造者が「あの小男には、もううんざり!」と不平を漏らしたことがあった。だが、この発言が一時の感情に流されたものにすぎないというのは、だれしもわかっていた。… なぜなら、女史をのぞけば、だれもエルキュール・ポアロにはうんざりしていなかったし、そうなることも考えられなかったからだ。
     そして『アクロイド殺し』についてはさりげなく不満を指摘しながらも、カー自身は肯定派である事を表明して「クリスティ女史は、われわれが〈××××××××〉と呼ぶところのトリックを用いて、何度も何度も得点をあげる。」と書いている。1963年の評論ではあるが、当然ながら『アクロイド殺し』がミステリ界を騒がせていた当時から、条件付き肯定派だったに違いない。だから、カーは『絞首台の謎』でクリスティの『アクロイド殺し』の批評を行うと同時に、否定派の急先鋒だったヴァンダインの批判に物申すつもりで、J・J・アクロイド著『囁く家殺人事件』の挿話を盛りこんだと見て間違いない。

     のんきに推理小説を読んでいるバンコランに腹を立てたジェフは、目の前で起きている殺人事件を指して「事実は小説よりも奇なり」だと言おうとする。バンコランはそれを遮ってジェフの考え違いを批判して言う。少し新訳には疑問があるので私訳を付け加えた。
    [原文]( 7章P.58) It is probably the only ancient maxim which nobody thinks of doubting in this skeptical world, and what we need is some fearless iconoclast who will come out boldly against this damnable tyranny, saying, 'Fiction is stranger than truth.'"
    [新訳]( P.107) …この懐疑の世の中で、誰にも疑われずに残った古くさい格言はこれだけだろう。誰か大胆な偶像破壊者が出て、そのいまいましい権威にあえて逆らい、『小説は事実より奇なり』と言ってやるがいい」
    [私訳] 今のように懐疑的な考え方に満ちた世の中であっても、古くから誰一人疑おうともせずに生き延びた格言は、おそらく他にはないだろうな。だからこそ、我々に必要なのは恐れを知らぬ因習打破主義者なんだ。彼らならきっと、この格言が果たしている忌まわしい圧政に大胆にも立ち向かい、「小説は事実より奇なり」だと声をあげるだろう。

     さらに具体的に"否定派"の言い分を一蹴しているのが、次のパラグラフだ。
    [原文]( 7章P.58) "But Jeff, the harm it has done! We taunt fiction-writers with that obscene jeer―and then we fall into a great state of rage when they write something strange to answer us. We challenge them to a wrestling-match, no holds barred, and then we cry 'Unfair!' the moment they enter the ring. We think it very bad, by some twisted process of logic, that fiction should fulfill its manifest purpose. By the use of the word 'improbable' we try to scare away writers from any dangerous use of their imaginations. . . . And yet, of course, truth will always be inferior in interest to fiction. When we want to oay any tale of fact a paricularly high compliment, we say 'It is as thrilling as a novel.' "
    [新訳]( P.107)「だがな、ジェフ、弊害は現にあるのだぞ! 大衆は小説家にそんないやらしい嘲り言葉をぶつけるくせに――受けて立って目新しいものを書けば怒り狂う。レスリングの試合で、自分はどんなホールドも禁じ手にせず、相手がリングに入ったとたんに『反則!』とやらかすに等しい。あれこれ屁理屈をこねて、小説本来の目的完遂を悪いと決めつける始末だ。『現実離れ』という決まり文句で脅して、危うい想像力の使用をことごとく禁じてしまう…。それでもやはり面白さでは、真実はつねに小説の後塵を拝する。ことのほか感銘を受けた実話を、『小説のようにスリルに富む』と評するのだから」
     前半は「大衆」を相手取って言い返しているが、後半の「あれこれ屁理屈をこねて」とか「危うい想像力の使用をことごとく禁じてしまう」などとは、一々ヴァンダインの主張に当てはまるようにも読める。「推理小説作法の二十則」などはカーにとってはあくまで原則であって、それこそヴァンダインが求めるような厳密に守らねばならぬ法律であってはならぬ。カーにとって何より重要なのは「小説本来の目的完遂」であり、それはどんなに危うくても「想像力を駆使して面白いものを創り出す」事に優先するものではないのだ。

     もちろん作品自体がよく出来ているからこそ許されたのだと補足する事も忘れていない。
    [原文]( 7章P.59) But here at Whispering House I am not deceived. My fine nightmare is not bounded by any dull probability, nor yet by the discouraging fact that it really happened. The detective never errs, which is exactly what I want. I could never understand why writes wanted to make their detectives human beings, patient workers, liable to error, but through sheer doggedness―bah! The reason, of course, is that they have not the wit to create a really clever character, and so they must try to bulldoze us with makeshifts . . ."
    [新訳]( P.108) だが、この『囁く家』は私の期待を裏切らなかった。よくできた悪夢を野暮な蓋然性に結びつけたり、実際に起きてもいないことに意気阻喪させられたりしない。探偵は一度もしくじらない。それこそ、まさに私の求めるものだ。作家がなぜ探偵を凡人に仕立てたがるか理解に苦しむよ。こつこつと足で稼ぎ、しくじりかねないのに頑固一徹という―ばかばかしい! むろん、本物の頭脳明晰な人物造形の才に欠けるために代用品で押し切る魂胆なのだろうが…」
     さきほどのヴァンダインの評論では、ポアロを「その手法はこれまた透視に近いほど直感的で、そのおどろくほど正確で、奇跡的な推理」とか「彼が登場する物語はしばしば人工的であり、その問題はいかにも不自然で、いっさいの現実感が失われ」などと批判していたが、ここでカーが言う「よくできた悪夢を野暮な蓋然性に結びつけたり、実際に起きてもいないことに意気阻喪させられたり」というのはファイロ・ヴァンス批評であり、ヴァンダインを揶揄しているようにも読める。

     そして数頁をいたずらに『アクロイド殺し』批評に費やしたカーは、いきなり話を終わらせる。以下は、まるで漫才のようだ。ジェフのツッコミに対して、バンコランがオチを返して批評は終わる。
    [原文]( 7章P.59)  "How long," I asked, "is this sermonizing to continue?"
    [新訳]( P.109) 「いつまでやるの、この長話?」私はそう訊いてやった。

    [原文]( 7章P.59)  ". . . in brief, life lacks all the fascination, the drama, the tidy working out of plot which I find here. I relpy to your last quetion, I may say that you had better go on up to bed. I want to finish my tale."
    [新訳]( P.109) 「…早い話が、実人生に人を引きつける魅力やドラマはなく、この小説のように筋立てに沿ったきれいな動きもない。今の問いに対する答えだが、さっさと寝たまえ、でよかろう。私のほうはこの話を読み終えてしまいたい」
    posted by アスラン at 00:55 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年04月03日

    ジョン・ディクスン・カー『絞首台の謎』を散策する(その2)

     『絞首台の謎』を楽しむために、(その1)では首を切り裂かれた運転手の死体が操るリムジンが、霧がかかったロンドンの目抜き通りを疾走するシーンをgoogleマップと照らし合わせて再現してみせた。次はCarr Graphic Vol.1で指摘されている「ブリムストーン・クラブって何階建てでしょう?」という森咲郭公鳥さんの問いかけ(P.24)について、僕なりに考えてみようと思う。

     何故、こんな事が問題になるかというと創元推理文庫の旧訳(井上一夫訳)と新訳(和爾桃子訳)とでは、階数に関しての訳が違っているからだ。
    (旧訳) クラブは5階建て、バンコランの部屋は3階、ジェフの部屋は5階。
    (新訳) クラブは4階建て、バンコランの部屋は3階、ジェフの部屋は4階。
     ただし、これは翻訳家が責めを負う問題では無い。結局のところ、原作者のカーの階数表示が作品を通して辻褄が合わないので、致し方なくそれぞれの翻訳者が「つじつま合わせ」をせざるを得なくなったに過ぎない。

     カーがどういう「やらかし」をしたかを詳しく見ていく前に、根本にある問題としてアメリカとイギリスとでは階数表示が食い違うという点を共有しておこう。以下が米国、英国、日本の階数表示の対応表である。
    《米》the first floor  《英》the ground floor 《日》1階
    《米》the second floor 《英》the first floor  《日》2階
    《米》the third floor  《英》the second floor 《日》3階
    《米》the fourth floor 《英》the third floor  《日》4階
    《米》the fifth floor  《英》the fourth floor 《日》5階
     これを見ると問題がかなりややこしい事がわかるだろう。日本人にとっての「1階」がthe first floor(米)/the ground floor(英)と言う呼び方の違いだけならば大した問題にはならないが、次の階から英国だけアラビア数字と数詞とがズレていく。何故こんな罪作りな事をしたのかとも思いたくなる。たとえば物の数を数えるときに「1,2,3,…」と自然数を使って数え上げていく事は、数学者デデキントが論理的に数学を築き上げて行く際の基本として考えた事だ。果たしてイギリス人はどのようにビルの階を数えていくのだろう。「1,2,3,…」と書いて「ground, first, second,…」と読んでいるとは思えないのだが。

     とは言え、本書はカーがイギリスで発表した作品だと考えれば、英国式に読み替えればいいだけだ。翻訳家が変わろうが新訳と旧訳で変わるはずはない。問題は次の文章にある。(その1)でも引用したとおり、バンコランとジェフが宿泊し、運転手が殺されたリムジンの持ち主エル・ムルクが同じように宿泊しているブリムストーン・クラブに関する描写に、はっきりと「何階建て」なのかが書かれている。
    [原文]( 2章P.12) Now the Brimstone Club is one of the most curious, and certainly the most disreputable, institution of the West End. It used to stand at the eastern corner of Pall Mall and St. James's Street; four floors of dun-coloured granite, grimy, bay-windowed, and sedate.
    [私訳] ブリムストーン・クラブはロンドン・ウェストエンドにある団体のなかでも、断トツでえり好みが激しく、世間からの評判が悪いのは疑いようがない。建物は昔からパル・マルとセント・ジェームズ通りがまじわる交差点の東の角にあった。灰褐色の御影石で造られた四階建てで、煤けていて、出窓が付いており、地味な印象だ。
     重要なのはfour floors of dun-coloured graniteという部分だ。これはブリムストーン・クラブの特徴を描写したフレーズの一つだ。ここが表記どおり「4階建て」だと辻褄が合わなくなる。それは、以下のようにバンコランとジェフの部屋の階数が書かれているからだ。
    [原文]( 2章P.14) Sir John's rooms were on the ground floor at the rear; Bencolin had quarters on the second floor, and I on the fourth.
     (中略)
     Bencolin got out of the lift at the second floor, and I ascended to the fourth alone. I was in such a state of depression that I was not aware of my surroundings until I heard the whir of the descending lift. This top floor had not been wired for electricity.

    [私訳] ジョン卿の住まいは一階の奥にあった。バンコランは2階の部屋に宿泊し、私の部屋は4階だ。
     (中略)
     バンコランは2階でエレベーターを降り、私は独りで4階まで上がった。ふさいだ気分が続いていたせいか、エレベーターが降りていく音が聞こえてようやく周囲の状況に気づいた。この最上階には照明を灯す電気が来ていなかった。
     the fourth floorと書かれている以上、英国式では「5階」を意味する。しかもこの文章ではthe fourth floorをThis top floor(この最上階)と言っているので、英国式を貫けば5階建てという事になる。
       クラブ  バンコランの部屋 ジェフの部屋
    (原書) four floors the second floor the fourth floor
    (旧訳) 5階建て    3階       5階
    (新訳) 4階建て    3階       4階

    (私訳) 4階建て    2階       4階
     改めて原書の表現と、旧訳と新訳それぞれの解釈とを表にして並べる。ついでに私訳の解釈も書き加える。それぞれの考え方は以下のとおりだ。
    (旧訳) クラブのfour floorsは原作者カーの書き間違い(five floorsが正しい)、もしくは思い違い(英国式では5階建ての事をfour floorsと書くと思った)。
    (新訳) ジェフの部屋をthe fourth floorとしたのはカーの書き間違い。4階建てのクラブなのでthe third floorが正しい。
    (私訳) 1階の表記(the ground floor)を除いて、すべて米国式に階数表示されている。

     唐突に僕の考え方を示したが、これ以降の原文の検討で理由はハッキリするはずだ。前もって言っておくが、INTERNET ARCHIVEの検索機能を使ってfloor,floorsを含む文章は網羅的に検討してある。

     まず最初に検討すべきはクラブがfour floorsだと書かれている点だ。
    (ジーニアス英和) This hotel has thirteen floors. このホテルは13階ある。
    (英和活用) a spacious building of two floors. 2階建ての広い家
    (ランダムハウス) a five story building 5階建てのビル
    (ランダムハウス) a fifty-story building 50階建てのビル
    一般にstoryを使って「階建て」を表現する事が多いが、floorsだけでも階数は表現できる。だからfour floorsは4階建てを意味するはずで、これをカーの思い違いだとするのは無理がある。

    [原文]( 5章P.38) As we already knew, El Moulk and arrived in March of that year and taken the large suite of rooms on the fourth floor.
    [私訳] すでに聞いた通り、エル・ムルクはその年の三月にクラブに到着して、4階にある大きなスイート・ルームに宿泊した。
     エル・ムルクの部屋はthe fourth floorにあり、ジェフと同じくクラブの最上階にある。

    [原文]( 9章P.74) The four of us went out across the lobby and into the lift, Sir John coldly silent, Talbot glum, and Bencolin thoughtful. The lift-gate clanged at the fourth floor. Rounding the turn of the stair which descended near it , I saw Dr. Pilgrim just going down.
    [私訳] 我々4人はロビーを通ってエレベーターに乗りこんだ。ジョン卿は沈着冷静だが、タルボットは陰気な顔つきをし、バンコランは物思いに耽っていた。エレベーターの扉が4階でガチャンと音を立てて開いた。扉の脇を下っていく階段に回り込むと、ピルグリム医師がちょうど階下へ降りていくのが見えた。
     タルボット警部、ジョン卿、バンコラン、ジェフの4人はエル・ムルクの部屋を調べようとエレベーターに乗りこみthe fourth floorで降りる。

     ジェフは、知り合いとなったピルグリム医師に自らの研究用のオフィスに案内される。オフィスがあるビルはちょうど裏道を隔ててブリムストーン・クラブの裏手にある。
    [新訳](11章P.161) …奥の部屋の裏窓から、裏道をへだててこのクラブの裏手が見えます。正面に当たるのが、このエル・ムルクという男の部屋の窓です…」
     そして、このエル・ムルクの部屋からは裏手から1階に降りられる専用階段がある。

     ピルグリムは、エル・ムルクの誘拐は狂言でクラブ内に隠れているのではないかと主張する。
    [原文]( 11章P.93) "All right. I have it! What about those other suites at the back of the club? There are three corresponding ones, one on each floor over the other, and each must give on the private stair. I'll just lay you a fiver that at least one of them is unoccupied . . ."
     "Two, as a matter of fact. Sir John has the one on the ground floor. But the suite under El Moulk is empty―"

    [私訳] 「なるほど。分かりましたよ。クラブの奥にある他の階のスイート・ルームはどうです? 当てはまるのが三つあります。各階に一つずつ縦に並んでいて、全部があの専用階段と繋がっています。5ポンド賭けてもいい。少なくとも一つくらいは空いてるはずだ。」
    「実のところ、二つ空いています。1階のスイート・ルームはジョン卿が入っていますが、エル・ムルクの部屋の真下にあるのは空室です。」
     エル・ムルクが占有しているスイート・ルームと同じように専用階段と繋がっているところが、他にも「三つある」と言っている。しかも各階に1つずつあるのだから、エル・ムルクの部屋は4階でなければならない。しかも「一つくらいは空いているはず」と推測するピルグリムに対して、ジェフは「(1階にはジョン卿が住んでいるので)二つ空いています」と答えているのだ。だから、クラブが4階建てなのは確かだ。旧訳の解釈は棄却していいだろう。

    [原文]( 14章P.116) Bencolin was up in his room, waiting for me. I recrossed the lobby and mounted the stairs to the second floor, where I groped along a dark passage until I found his door. My tumultuous knocking echoed back, unanswered.
     (中略)
     Blundering up the staircase, I fought down a growing uneasiness. … I was almost to the top floor when I remembered I had given Thomas the night off to visit some relatives in Tooting. Curiously enough, there were lights in the passage of the top floor.

    [私訳] バンコランは寝ないで自分の部屋で私を待っている。私はもう一度ロビーを通って階段で2階に上がった。まっ暗な通路を手探りで進んで、ようやくバンコランの部屋にたどり着いた。取り乱したようにドアを叩いたが、谺もむなしく返事がない。
     (中略)
     つまづきながら階段を登り、高まる不安をなんとか押さえつけた。まもなく最上階に着くという時に、トーマスがトゥーティングに住むどこかの親戚に会いに行きたいというので今晩は外出を許したのをふと思い出した。なんとも奇妙な事ではあるが、最上階の通路には電灯が点いていた。
     なぜか人気のないロビーを抜けて階段でthe second floorに上がる。不可解な事に電灯が点いていない通路を手探りで歩いて、バンコランの部屋までたどり着く。

     さて、ここまで検討してきて非常に不可解な事がある。それはthe first floorとthe third floorのいずれもが一度も出てこないという点だ。新訳の解釈は原書中のthe fourth floorすべてがthe third floorの書き間違いという考え方なので、the third floorは出てこない。the first floorが出てこないのはたまたまだという考え方だ。だとすると、ジェフやエル・ムルクの部屋の階数全部が書き間違いというのはいささか迂闊すぎるのではないだろうか。既に引用したが、ジョン卿、バンコラン、ジェフの部屋はどの階にあるかがこんなに短い文章に収まっている。the fourth floorだけが書き間違いというのは納得できない。
    [原文]( 2章P.14) Sir John's rooms were on the ground floor at the rear; Bencolin had quarters on the second floor, and I on the fourth.
     これを読む限り、バンコランとジェフの部屋は別の階をはさんで2階違いであると当初から作者によって設定されているように感じる。

     別の視点として、最後の「バンコランが寝ないで待つ部屋」に向かってジェフが階段で上がったという点に着目したい。4階の自室に行く時はエレベーターを使っているので、もしバンコランの部屋が3階ならば階段ではなくエレベーターを使うのではないだろうか?あまり確信がもてる解釈ではないが、妥当な考え方だと思う。ならばfourth floor だけを都合よく書き間違いだと考えるより、いっそsecondもfourthもどちらも書き間違いと考えた方が分かりやすい。さらに考えると、the first floorが出てこない理由として、当時のカーは1階を英国式のthe ground floorに置き換えれば2階以降は米国式と変わらないと考えていたのではないだろうか。だとすると意図的に米国式のthe second floor(2階)、the fourth floor(4階)を用いたと考えるべきではないか。

     残念ながらthe third floorが出てこない理由(必然性)は本文中には見当たらないので、新訳と私訳の解釈のどちらが正しいかは分からない。まあ、あくまでお遊びなので結論はいらないのだけれど…。ちなみにブリムストーン・クラブがあるとされる「パル・マルとセント・ジェームズ通りがまじわる交差点の東の角」に実際にある古びたビルは、こんな姿だ。
    ブリムストーン・クラブの位置にある建物.jpg
     これを見るかぎり、やっぱり4階建てだな。と思ったらパル・マル側から側面を見ると5階建てでした(いや、とんがり部分を入れると6階建てになるのだろうか?)。
    ブリムストーン・クラブの位置にある建物-2.jpg
    posted by アスラン at 18:10 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年03月29日

    ジョン・ディクスン・カー『絞首台の謎』を散策する(その1)

     ディクスン・カーの長篇デビュー作にしてアンリ・バンコランシリーズ第一作の『夜歩く』は新訳・旧訳あわせて何度も読んでるし、あまりに有名な密室トリックは忘れようもない。だが、第二作の『絞首台の謎』ときたら、そもそも読んでいた事すら忘れていたくらいだからどんな内容だったかも思い出せなかった、という話は書評で書いた。メインとなるトリックの「古さ」が論われ、作品自体の評価もカー・マニアの間でも低いらしい。僕もことさら、この作品を擁護しようとまでは思わないが、カーを敬愛する横溝正史が、戦後の怪しさが残る銀座界隈を暗躍する殺人鬼たちを描いてみせたりしたのは、明らかにバンコラン物の影響ではないのかと思ったのだ。金田一が駆け巡る「銀座」や「四谷」「六本木」「浅草」などは、東京でありながら僕らの見知った都会とは異なる、もう一つの「東京」だ。そう感じながらも、やはり僕らがよく知る地名が出てくる事にエキセントリックな興奮をおぼえる。そういう読書体験をカーの作品でも味わう必要があるのではないだろうかと、常々思ってきた。手始めに試みたのが『帽子収集狂事件』を新訳で読んだ時なのだが、最近では『髑髏城』でもやってきたばかりだ。この『絞首台の謎』でも同じ事をやってみたいと思う。

     本作に関して言えば、トリックの内容を取り沙汰するのではなく、バンコランとジェフ・マールが遭遇する事になる事件現場のダイナミズムを地図上で再現してみようという、言ってしまえばそれだけの事だ。手元にあるのは創元推理文庫版『絞首台の謎』の2017年初版の新訳(和爾桃子訳)であるが、原書としてINTERNET ARCHIVEで閲覧可能な"The LOST GALLOWS" (1960年出版 Berkley Medallion Books)を使用し、必要ならば新訳ではなく私訳を試みる。まずは、フランス・パリの予審判事という立場のアンリ・バンコランがイギリス・ロンドンを訪れる経緯は次のように書かれている。
    [翻訳](1章P.12) そもそもパリからバンコランと私が出てきたのは、ヘイマーケット劇場の「銀の仮面」初日のためだった。ご記憶かもしれないがエデュアール・ヴォートレル作のこの戯曲は、それに先立つ四月のサリニー事件解決のおぞましい決め手となった曰くつきだ。
     なんと! サリニー事件とは『夜歩く』の事件であり、エデュアール・ヴォートレルは登場人物の一人だったのだ。つまり第一作と第二作とはほんの少しではあるが関連がある。俄然、『夜歩く』を読み返したくなってきた。まったく厄介な性分だ。それはともかく、二人は宿泊場所をブリムストーン・クラブとし、そこを住まいとしているジョン・ランダーヴォン卿と落ち合う手はずになっていた。ジョン卿はバンコランとは旧知の仲で、かつてはスコットランドヤードで活躍した人物だ。

     とりあえず『絞首台の謎』に出てくる主要な場所を現代のgoogleマップ上に記した全体図を示す。
    絞首台の謎全体図.jpg
     地図の中央やや下にバッキンガム宮殿があり、さらに下の方にヴィクトリア駅がある。ジョン卿が二人を駅まで出迎えにくるのだが、果たしてバンコランはどのようにフランスからやってきたのか。こういう時に生成AIは気の効いた回答を出してくれる。どうやらパリ北駅から列車で港町カレー(Calais)まで移動し、そこからフェリーで海を渡ってイギリス・ドーバー(Dover)に到着。さらにドーバー駅から列車でヴィクトリア駅まで移動するという経路だ。と、まるで自分の手柄のように書いたが、本文にもちゃんと書かれていた。
    [翻訳](1章P.13) 今回の用も用だが、どんよりした寒中に荒れすさぶドーヴァーを渡ったせいで滅入っている。
     ヘイマーケット劇場で戯曲の初日を迎えるこの日は11月16日だ。秋も深まった頃だが、ドーバーは嵐もよいで「寒中」という気候だ。こういう日の夜に、まさに霧が立ちこめるのが当時のロンドンだったろう。

     ヴィクトリア駅からおそらくタクシーに乗ってブリムストーン・クラブまで向かう。直線で1.2km程度の距離だ。セント・ジェームズ街近辺を拡大した図を示す。これは、この後、例のリムジンが街中を疾走する場面を再現するのに用いる事になる。しかし、まずはブリムストーン・クラブの場所を特定するのが先決だ。
    疾走するリムジン.jpg
     2章の冒頭でブリムストーン・クラブの様子が描かれる。
    [原文]( 2章P.12) Now the Brimstone Club is one of the most curious, and certainly the most disreputable, institution of the West End. It used to stand at the eastern corner of Pall Mall and St. James's Street; four floors of dun-coloured granite, grimy, bay-windowed, and sedate.
    [私訳] ブリムストーン・クラブはロンドン・ウェストエンドにある団体のなかでも、断トツでえり好みが激しく、世間からの評判が悪いのは疑いようがない。建物は昔からパル・マルとセント・ジェームズ通りがまじわる交差点の東の角にあった。灰褐色の御影石で化粧された四階建てで、煤けていて、出窓が付いており、地味な印象だ。
     セント・ジェームズ宮殿が下の方に見えている。この宮殿は聖ジェームズ(イエスの使徒の一人ヤコブ)の名を冠した宮殿で、通りもそれにちなんで名付けられたのだろう。一方、今はパル・マル(Pall Mall)と表記される通りが斜めに走っている。研究社新英和大辞典によると「ペルメル」は古風な発音だそうだ。元々はpall-mallという球技があり、その競技場があった事から、それにちなんで名づけられたようだ。パル・マルは社交クラブが多数あることでも知られている。戦前は英国陸軍省があったことも関係しているのかもしれない。1930年代が舞台なので「ペルメル(街)」と書くべきだったかもしれないが、googleマップの現在の表記に引っぱられてパル・マルとしたので、このままでいく。

     ここで重要なのは「建物は昔からパル・マルとセント・ジェームズ通りがまじわる交差点の東の角にあった。」という記述だ。地図を見てもわかるように、パル・マルとセント・ジェームズ通り(街)が交わる地点は、いわゆる交差点というよりも四辺形の角でしかない。すると角は通りの内側と外側の2つしかない。しかも四辺形は斜めに傾いでるので「東の角」とは一体どちらを指しているのかという疑問は残るが、まあ常識的に考えて四辺形の内側だろう。「四階建て」という描写が見えるが、これについては「ブリムストーンは何階建てか」問題として、あとで取りあげよう。

     まずは、バンコランとジェフ・マールはクラブに宿泊し、すでにクラブに長逗留しているジョン卿とともに、ヘイマーケット王立劇場へと出かける。先に降りてきたジェフは、ロビーで二人を待つ間にラウンジの窓ごしにエル・ムルクが自前のリムジンに乗って出かけるところを目撃する。
    [原文]( 2章P.6) The fog had lifted somewhat, and the lights from the club shone out through a thinner brown dinginess across the pavement. A long Minerva limousine, of a peculiarly violent shade of green loomed up duskily at the kerb. I saw El Moulk saunter down the steps, slapping at the balustrade with his stick. A gigantic chauffeur, who looked like a negro, opened the door from him, saluting. The door slammed, and presently the Minerva's tail-light moved away into the stream of traffic.
    [私訳] 霧が多少晴れてきて、霧よりは薄くて茶色に煤けた窓越しにクラブの灯が舗道を照らし出した。車体が長く、風変わりな事に鮮やかな緑色をしたミネルバ社製のリムジンが、縁石あたりから薄ぼんやりと姿を現した。エル・ムルクが手すりを杖で叩きながらゆっくりと階段を降りていく様子が見えた。大柄の運転手はどうやら黒人らしく、会釈して自分からドアを開けた。ドアがバタンと閉まると、ほどなくミネルバのテールランプは車の流れへと飲み込まれていった。
     ミネルバ(Minerva)はベルギーの自動車会社で、高級車のブランドでもあったようだ。1927年に発表されたタイプAMというのが、ここに出てくるリムジンではないだろうか。
    リムジン(ミネルバ).jpg
    これならば確かに「色鮮やかな緑色」と言っていい。当時としては「風変わりな」と形容されそうだが、現代人から見るとパステル調というか、取っつきやすい配色で好感がもてる。

     この後にバンコランとジョン卿が降りてきて出かける事になる。夜の7時すぎの事だ。上演まで時間があるのでバンコランの提案でオクスフォード街のレストランでディナーを取ることになった。オクスフォード街は全体図(広域図)のDにあり、今回の一連の事件に関係する場所としてはもっともクラブから離れている。夕食後にタクシーでヘイマーケット劇場へと三人で移動する。ヘイマーケットとは、Wikipediaによれば「飼料やその他農産物の市場として使われていた」事に由来した通りの名前で、かつては干し草(hay)などを積んだ荷車を使っての販売が許されていたそうだ。その後、17世紀には劇場が作られ、劇場街として知られるウエスト・エンドの一角を占めるまでになった。今現在は「数多くのレストラン」や多くの劇場、映画館が建ち並んでいる。ジョン卿の友人である青年ダリングスと劇場内で遭遇し、終演後にクラブで一緒に飲もうという話になった。
    [原文](2章 P.18) When Dallings joined us, we walked out to the street in silence. (中略) We walked up almost to Piccadilly Circus in the hope of finding one.
    [私訳] ダリングスが合流して、私たちは言葉も交わさず通りに出た。…私たちは、タクシーが見つからないかと探してるうちにピカデリー・サーカスの辺りまで歩いてしまった。
     地図に引いた青い線が、四人がタクシーを探して歩いた道筋だと思われる。ヘイマーケットを北上して左折するとピカデリー・サーカスとぶつかる。「サーカス」と表記すると、あの見世物のサーカスと思いがちだが、どうやらcircusの語源はラテン語の「円、輪」で、この場合は円形広場を意味する。ランダムハウス英和大辞典では「《英》(いくつかの街路が集まる)円形広場」を指す。ここでジョン卿がタクシー探しをあきらめてクラブまで歩こうと提案する。ヘイマーケットと一本隔てた通りだが、googleマップにはハッキリとした名称が出てこない。どうやらリージェント街と繋がるセント・ジェームズ界隈の通りという意味で「リージェント・ストリート・セント・ジェームズ」と読み慣わすようだが、翻訳ではなんと書くべきなのか。やがて四人はジャーミン街との交差点の手前まで来る。
    [原文](2章 P.18) At that moment we were at the corner of Jermyn Street, on the side towards Piccadilly.
    [私訳] その時、私たちは、ジャーミン街の交差点の角でピカデリーに近い側にいた。
     ピカデリー(街)はジャーミン街の一本外側(地図では上側)にある通りだ。ニッポニカによると「イギリスの首都ロンドンの繁華街。ピカデリー・サーカスからハイド・パーク・コーナーまでの約1.6キロにわたる。高級専門店、ホテル、クラブ、会社事務所などが連なり、大英博物館の一部門である人類博物館、王立芸術アカデミーがある。」と書かれている。

    [原文](2章 P.18) Traffic was halted―but one of the cars had paid no attention to the policeman's signal. It loomed up out of Jermyn Street soundlessly.
    [私訳] 通行は一時停止中だった。ところが一台の車だけは警官の制止を気にも留めなかった。その車は霧の中を音もたてずにジャーミン街からぼんやりと現われた。
     当時はまだ信号はないので、交通量の多い交差点には巡査が立って交通整理をしていたようだ。そこにジャーミン街から突然「音もたてずに」車が現われる。エンジンの音は隠しようがないから「音もたてずに」はあり得ないが、霧が視界だけでなく音さえも飲み込んでしまうかのように描写している。霧を意匠として怪奇趣味を掻きたてるカーの手際が見てとれる場面だ。

    [原文](2章 P.18) Then the great green limousine swept past me into the Haymarket.
    [私訳] 緑色の大型リムジンは私たちのそばをサッと通り過ぎてヘイマーケットに向かった。
     地図に引いた赤い線がリムジンの動線だ。まさにバンコランたちの目の前をリムジンが疾走する。霧から飛び出た後は、急にエンジンの音を取り戻すかのような場面だ。しかも、この時に語り手・ジェフは、リムジンの運転手が死んでいるのを目撃してしまう。喉を掻き切られていたのだった。バンコランは車列にいる空車のタクシーをつかまえて乗りこみ、追跡劇が始まる。

    [原文](2章 P.19) From the cavern darkness of the interior I saw a segment of buildings reel round in a blur of lights as we turned into the Haymarket.
    [私訳] 洞窟のように暗い車内から見えたのは、タクシーがヘイマーケットに乗り入れた際に、横に並んだ建物がにじんだ光の中でグルッと旋回していく光景だった。
     タクシーの運転手をせき立ててスピードを緩めずに右折させて、先を行くリムジンを追っていくという臨場感が感じられる。

    [原文](2章 P.19) "There! 'E's turnin' into Pall Mall. . . ."
    [私訳] 「あそこだ! やっこさん、パル・マルに入っちまいましたよ…」
     さっきまで戯曲を鑑賞していた劇場を通り過ぎようとする事にも触れずに、もっぱら「対向車に衝突寸前」なのを「かろうじて回避」した事や、それでもなおバンコランが先を急がせる描写が続いて、運転手が弱音を吐く場面。'E's というのは「エル・ムルク(のリムジン)」を指すのかと思ったが、ここはどう考えてもタクシーの運転手の台詞。どうやらHe's をロンドン訛り(Cockney)のまま表記すると'E'sになるようだ。そして当然ながらリムジンを追ってタクシーも右折してパル・マルに入る。

    [原文](2章 P.19) We flashed past Waterloo Place and straight on. The corpse on its grisly ride was breaking all speed laws.
    [私訳] タクシーはあっという間にウォータールー・プレイスを通り抜けて、そのまま直進した。身の毛もよだつような運転を続ける死体はあらゆる交通規則を破っていった。
     ウォータールー・プレイスというのは地図で指した交差点を指すのではなく広場を指すようだ。元々ジョージ四世の皇太子時代の邸宅カールトン・ハウスがあったが、その後広場となり、フランスとの戦いに勝利した「ウォータールーの戦い」を記念して名前がついたようだ。この広場でもおそらくは巡査による交通整理があっただろうが、リムジンは一切を無視して疾走していく。

    [原文](2章 P.19) Past the Carlton Club, only gathering speed!
    [私訳] カールトン・クラブを通り過ぎる頃には、車は一段と速度を増すばかりだ!
     カールトン・クラブは1831年に創設された保守党議員の社交クラブだ。今も存続しており、場所を調べるとセント・ジェームズ街にある。ただし、それだと文章と辻褄が合わない。英語版Wikipediaによると、どうやら1930年ごろにはパル・マル94番地にあったようで、パル・マルの直線のちょうど真ん中あたりに位置する。地図では「旧カールトン・クラブ」と表記した。

    [原文](2章 P.20) Now the limousine was slowing down, and Bencolin's fingers clenched. We were almost to St. James's Street when it suddenly swerved across to the right.
    [私訳] ようやくリムジンが速度を落としてきたので、バンコランは手を握りしめた。私たちのタクシーがセント・ジェームズ街にたどり着こうとしたその時、リムジンは突然右折した。
     リムジンはパル・マルの端で止まるのかと思った途端に、案に相違して右折してセント・ジェームズ街に入ってしまった事になる。

    [原文](2章 P.20) "He―he's going to the Brimstone."
    [私訳] 「あの死体、ブリムストーン・クラブに行くつもりだぞ。」
     これはジョン卿の言葉だ。ブリムストーン・クラブはちょうど角にあるが、正面玄関はセント・ジェームズ街に面している。

    [原文](2章 P.20) As we turned to the right after it , the Minerva came to a slow stop. I could distinguish its outline dimly, and on the right the light from the door of the club made a haze along its green side. We swept in and ground to a stop only a few feet behind it. The dead man had placidly come home.
    [私訳] 後を追って右折すると、先を行くミネルバがゆっくりと止まるのが見えた。車体の輪郭がはっきりとは見えず、右側からクラブの正面玄関の灯りが、車体の緑色の側面に沿ってかすんで見えた。私たちのタクシーはそっと近づいて、リムジンの後ろをほんの2,3フィートあけて止まった。死者は満足したかのように自らの居場所に戻ったのだ。
     ようやくにして追跡劇(カー・チェイス)は終わった。この描写にたどり着いた時、Carr Graphicのイラストが如何に生々しく頭の中に再現されたことか!

     ちなみにこの追跡劇。パル・マルの直線が550mぐらい。ジャーミン街近くで霧の中から現われたリムジンを追ってタクシーに飛び乗り、ブリムストーン・クラブで追いつくまでが1km足らずの道のりだ。あっけない程の距離と時間だったろうが、そうは思わせないくらいにスリリングな時間を拡大してみせた若きカーの手際を、バンコランたちのタクシーに同乗させてもらって味わう事ができたように思う。というわけで、いつもの事だが興が乗って長くなってしまった。続きは(その2)で書く事にしよう。
    posted by アスラン at 00:35 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2025年03月09日

    絞首台の謎 ジョン・ディクスン・カー(創元推理文庫)

     『夜歩く』(1930年)でデビューしたカーが、翌1931年に出版した第2作である。アンリ・バンコランを探偵に据えたシリーズの第2作でもある。これまで読んでこなかったのはおそらくかつては手元になかった事と、「カーの代表作とはほど遠い」という世間(と言っても本格ミステリーファンに限られる世間)の評判ゆえだろう。タイトルが(カーにしては)平凡という事もあるかもしれない。バンコランシリーズ第4作『蝋人形館の殺人』の方は旧訳で既に読んで、蝋人形に死体がまぎれているという描写に強い印象を受けたので新訳が出た際にもすぐに読み直した。しかし、その後に本作の新訳版が出た時には、すぐに読まずに今日の今日まで寝かせてしまったのだ。

     と、まことしやかに書き出したのだが、これが真っ赤な嘘だったことがかつてのメモ書きを見直して判明した。なんと27年前に『絞首台の謎』をちゃんと読んでいた。ということは当然ながら旧訳(井上一夫)なので、かつては旧訳の創元推理文庫が手元にあった事になる。さらにメモ書きの日付から『絞首台の謎』『蝋人形館の殺人』の順に読んでいる事もわかった。そして何たることか、2000年以降に新訳が出版されるたびに旧訳の方を処分してしまったわけだ。なので『絞首台』も『蝋人形館』も旧訳は手元にない。今なら絶対にそんな事はしないのだが、「後悔先に立たず(先に立ったらもはや後悔ですらない)」だ。

     ちなみに1998年の読後メモでは次のような事を書いている。
    今回の謎の構成は動機の点でもトリックの核心の点でも出来はよくない。過去の事件の復讐が動機だが、伏線やヒントの置き方がうまくない。確かに犯人は意外だが、伏線に乏しく納得できない。トリックの××××もタネがバレバレで意外性に欠ける上に、フェアなトリックとは思えない。


     このトリック(伏せ字にしてある)を我らカー愛好家のための『Carr Graphic』では「推理小説としてみると『古い』」と指摘している。この「古さ」は言わば子供の頃に読んだ「怪盗ルパン」シリーズの古さだろう。同様に江戸川乱歩が生み出した「怪人二十面相」シリーズにも通じる古さだ。例えば絞首台の影に怯えたり、死んだ運転手によってロンドン市内をリムジンが疾走するなどがそれで、乱歩の『怪人二十面相』にもヘッドライトに紙の切り抜きが貼られていて光が遠くの壁に投射される事で奇怪な人物が映し出されたりする。確かに、古色蒼然としたロンドン市内をイメージしながら読んでいる日本の本格ミステリー愛好家からすると、古いだけではなく本格ミステリーとしての魅力にも乏しいと感じるのは致し方ない。現に1998年の僕自身がそう考えていたのだから。

     しかし最近『髑髏城』を読み込んでカーの着想や書き方にも慣れてきたからだろうか、今の自分には本作はかつてのように魅力の無い作品とは感じられなくなってきた。例えば、Carr Graphic Vol.1の表紙を眺めていると、それだけでカーがものスゴいスピードで作家として成長していったことが分かってくる。
    1930年
     『夜歩く』(バンコランシリーズ第一作)
    1931年
     『絞首台の謎』(バンコランシリーズ第二作)
     『髑髏城』(バンコランシリーズ第三作)
    1932年
     『蝋人形館の殺人』(バンコランシリーズ第四作)
     『毒のたわむれ』(ノンシリーズ作品)
    1933年
     『妖女の隠れ家』(フェル博士シリーズ第一作)
     『帽子収集狂事件』(フェル博士シリーズ第二作)
     『弓弦城殺人事件』(ノンシリーズ作品)
    1934年
     『剣の八』(フェル博士シリーズ第三作)
     『盲目の理髪師』(フェル博士シリーズ第四作)
     『プレーグ・コートの殺人』(H・M卿シリーズ第一作)
     『白い僧院の殺人』(H・M卿シリーズ第二作)
     このようにデビューしてわずか4年の間に次々と名探偵を創り出し、それぞれで後に代表作とも言える作品を生み出している。最近ではエラリー・クイーンが1932年に『Xの悲劇』『Yの悲劇』『エジプト十字架の秘密』『ギリシア棺の秘密』を世に送り出した事を「ミステリ史上の奇跡」(有栖川有栖)と呼ぶようになり、それはそれでクイーンファンとしては喜ばしい事ではあるが、この4年間のカーの筆力の旺盛ぶりも「奇跡」の一つと言っても言い過ぎではないだろう。

     もちろん、『夜歩く』の成功でアマチュア時代にストックしていたアイディアを次々と作品に使い回す事を余儀なくされたという事もあるだろう。本作がそうだとは必ずしも言えないが、『夜歩く』の完成度に比べると、カーがアマチュア時代から育んできた怪奇趣味を頼りに筆を急いで書いたようにも見えてしまう。一方で、同年に出版した『髑髏城』は、前年のデビュー作の印税で遊山に繰り出したライン川めぐりで着想を得て書いた作品だそうだ。こちらはそう思えないほどに、短時間で一つの作品として仕上げている。どちらにも共通しているのは「古い」と揶揄されかねないトリック(××××)を持ち込んでいる点だろう。そこを指摘されても揺るがないのは『髑髏城』だ。何故なら、騎士が栄華を誇ったかつてのライン流域の伝説に裏打ちされた独特な世界観が、作品に横溢しているからだ。それに反して、現実の都会ロンドンを舞台にしていながら同じ世界観を持ち込む事の是非が問われてしまうのが本作『絞首台の謎』なのだろう。

     しかし、僕には『絞首台の謎』には別の可能性が秘められているように見える。クイーンが、国名シリーズで人が密集する都会の近代的な施設を繰り返し舞台にした事と対照的に、カーは光に満ちた都会に潜む闇を拡大する事で、見慣れた街並みや施設を怪奇趣味で上塗りする事に執着した。その結果が一連のバンコランシリーズだったはずだが、バンコランを探偵にするかぎりは悪魔的な風貌に見合った結末が相応しく、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」のような演繹推理は無粋の極みという事になってしまう。そのような綱渡りではバランスが取りにくい事が、カーがバンコランを見限った理由の一つだったのではないだろうか。しかし、「都会を怪奇趣味で彩る」という目論みは、その後の『帽子収集狂事件』で結実したように感じられる。『帽子収集狂事件』では人物や自動車がロンドン塔周辺のあちこちに動き回る。その描写のリアリティと霧の向こうに潜む怪奇的な状況とが、フェル博士によって必然的な解釈とトリックと犯人へと導かれる。

     残念ながら本作では「ロンドン市内を疾走するリムジン」から必然的な解釈と言ったものは導き出されていない。しかし、見慣れた都会が常日頃は見せた事のない相貌を示す事ができたらどんなに面白いだろうかという、一人の若き本格ミステリ作家の野心が生み出した実験的作品と見れば、また見方は違ってくるのではないだろうか。思えば乱歩は、当時は大都市・東京の周縁でしかなかった麻布に暮らす富裕層の少年の身に、闇の象徴となる怪盗の魔の手が迫るところから「少年探偵団」の物語を始めていた。さらにカーを偏愛する横溝は、大都会のど真ん中である銀座を暗躍する犯罪者と対峙したり、乱歩と同じように麻布に住む元子爵の犯した犯罪に取り組んだりする。いずれも近代化により急速に闇が失われていく都会をミステリとしての異世界へと奪還しようとする試みだ。その意味ではカーが1931年に出版した2つの作品の可能性を誰よりも信じて、横溝正史はかたや東京を舞台にした作品を書き、かたや古き因習が色濃く残る岡山を舞台にした作品を書いた事になる。

     本作『絞首台の謎』の可能性を追求するためには、舞台となるブリムストーン・クラブ周辺がどのようなところなのか。リムジンはどこをどのように疾走したのかを再構成する必要がある。それについては別途「『絞首台の謎』を歩く」と題して考えてみたい。そこではCarr Graphicで取り沙汰されていた「ブリムストーン・クラブは何階建てか」という問いに対する僕なりの答も示す事になると思う。
    posted by アスラン at 00:30 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年12月13日

    髑髏城の歩き方(1)

    [髑髏城へのアクセス]
     ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』に出てくる髑髏城にはどうやったら行けるか。アクセスについて考える。

    ライン川下り(マインツ〜コブレンツ)の地図
    ライン川下り-2.jpg

    @マインツ中央駅
    (原文)[第2章P.12]
    In Mainz I had bought a book at the railway station. It was in English, written by somebody named Brian Gallivan, and called, Legends of the Rhine.
    (私訳)
    マインツの駅で、僕は本を1冊買い求めておいた。英語で書かれた本で、著者はブライアン・ギャリヴァンという人物。本の題名は『ラインの伝説』だ。
     『髑髏城』の語り手ジェフ・マールは、アンリ・バンコランの後を一日遅れで追って髑髏城の対岸にあるアガサ・アリソンの屋敷に向かう。この場面で描かれる駅は、ドイツ鉄道マインツ中央駅だと思われる。ここでライン川周辺の伝説を描いて名高い観光本『ライン川の伝説』を購入している。この本は現実に存在しているが、カーはこの本の著者を登場人物の一人で記者のギャリヴァンとして描いている。いずれにせよ、マインツからライン川下りの蒸気船に乗船したに違いない。
    (以下はgoogleマップの画像。正面入り口はライン川がある方を向いている。)
    マインツ中央駅.jpg

    Aビンゲン
    (原文)[第2章P.11]
     There is a flavour, there is an old, dangerous, twilight charm, about the warrior Rhine when it leaves its lush wideness at Bingen.
    (私訳)
    勇猛なるライン川には何らかの気配がある。それはいにしえの昔から続く、危険に満ちた黄昏の不思議な力であり、その力のおかげでビンゲンでは川幅が広がって両岸は緑豊かな土地が残されている。
     マインツからライン川を下ると、ビンゲン・アム・ラインという街が見えてくる。Wikipediaには「ビンゲン (Bingen) という地名は、一般的にここを指す。……ライン川に沿って広がる小さな町の周囲は、緑の森のなだらかな丘に囲まれ、また町の中心の小高い丘には現在は市庁舎となった中世の姿を留めるクロップ城が建っている。」と書かれている。
    (以下はgoogleマップで左岸の丘の上で、おそらくドローンで撮影されたビンゲン・アム・ラインの街。前方にクロップ城が見える。)
    ビンゲン・アム・ライン.jpg

    Bラインシュタイン城
    (原文)[第2章P.12]
    The grey stateliness of Castle Rheinstein swept past on our left, far on its rocks above. Though they all must have seen it a hundred times before, the passengers crowded to the rail with craned necks, exclaiming. . . .
    (私訳)
    灰色の荘厳なラインシュタイン城が、左岸のはるか頭上の岩の上を通り過ぎていった。これまでにも何百回となく乗客たちが城を見てきたに違いないが、この日の乗客も手すりに集まって首を伸ばしながら歓声を上げていた。
     ライン川の数ある古城の中でもとりわけ美しいとされる城だと観光ガイドなどに書かれている。切り立った岩の上に築かれているところが何よりも古城としての魅力に満ちているようだ。
    (以下はgoogleマップで対岸から見たラインシュタイン城)
    ラインシュタイン城.jpg

    Cローレライ
    (原文)[第2章P.14]
     We were nearing the bend in the river where rises the great Lorelei rock.
     (中略)
    But they faded, to be engulfed in the grey massiveness of the Lorelei height.
    (私訳)
    川の湾曲部に近づいてきた。そこにはローレライの巨岩がそびえている。
     (中略)
    夕陽が色褪せて、高くそびえるローレライの灰色の巨岩に呑み込まれていった。
     ちょうど川が湾曲する部分の内側(右岸)に大きな山のように屹立した岩がある。Wikipediaによれば「130mほどの山」と書かれ、「ライン川の中で、一番狭いところにあるため、流れが速く、また、水面下に多くの岩が潜んでいることもあって、かつては航行中の多くの舟が事故を起こした。」事から、少女の姿をした妖精が船頭を魅惑して舟を沈めてしまうという伝説ができた。「ローレライの巨岩」とカーは書いているが、現代では「妖精の岩」とも呼ばれるらしい。
    (googleマップによる画像)
    ローレライ.jpg

    D髑髏城
    (原文)[第2章P.17]
    "There she is, Mr. Marle. There's Castle Skull."
     It was still far away, but our steamer seemed to sweep with incredible speed now. At first it was a domed blot with two thin towers, swimming in spectral dusk, disembodied high above the pines on the right.
      (中略)
     Then Castle Skull grew in size, though it seemed even farther above our heads. Massive walls, battlemented and fullly a hundred feet high, were built into the hillside.
      (中略)
    I saw the whole thin, rain-blackened, monstrous pile move slowly above our heads.
    (私訳)
    「あれだよ、マール君。あれが髑髏城さ。」
     髑髏城はまだずいぶんと先にあったが、今や蒸気船はとてつもない速さで進んでいるようだ。最初に見えたのは、滲んだような丸屋根に細長い2本の塔であり、それがぼんやりとした砂埃の中をかいくぐって、右岸の松林のはるか上に浮かび上がった。
      (中略)
     そうして髑髏城は次第に大きくなってきたが、それでも僕らの頭上からかなり離れたところにあるように見えた。丘の斜面に食い込むように巨大な城壁が築かれていて、優に100フィートの高さがあり、上部には狭間胸壁が設えてある。私は手すり越しに体を髑髏城の方へ曲げて首を伸ばして見上げた。
      (中略)
    そして、全体が薄墨のように雨で黒ずんだ巨大な山が、僕らの頭上をゆっくりと通り過ぎていった。
     ローレライをやり過ごしながら、ジェフ・マールとギャリヴァンはひとしきり髑髏城の話と、魔術師メイルジャアの事件の話に夢中になる。そのうちに、はるか遠くに髑髏城が見えてくるという場面だ。髑髏城は架空の城なので、実際にどこにある事になっているのかはカーの頭の中にしかない。ただし、髑髏城の次に出てくる地名が「シュトルツェンフェルス」なので、ローレライとシュトルツェンフェルスの間のどこかに髑髏城は「存在」する事になる(シュトルツェンフェルスは第11章で出てくる)。
     ちなみに現在のライン川クルーズでは、ローレライの巨岩のすぐ先にあるザンクト・ゴアと、はるか先にあるボッパルトとの間を45分かけて進む。この2点間の距離は約14.1kmなので、おおよそ時速19kmというスピードだ。ボッパルトの先はS字カーブを描くように大きくうねっているので、「髑髏城はずいぶんと先にあった」と描写できるような場面を作りにくい。という事は、少なくともボッパルトよりも手前に髑髏城はあるのではないだろうか。そこで出てくるのがシュテレンベルク城だ。

    Eシュテレンベルク城
     『髑髏城』本文には出てこない。書評家ダグラス・G・グリーンが書いた伝記『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』では、カーと友人の記者は『髑髏城』を書く前年にドイツを旅してライン川クルーズを堪能し、『髑髏城』の着想を得た。友人の記者の証言もしくは文章から、カーはシュテレンベルク城をモデルにしたようだと書いている。もしこれが事実だとするならば、おあつらえ向きの場所にシュテレンベルク城はある。この城は隣のリーベンシュタイン城と合わせて兄弟城と呼ばれる。その曰くについては『ラインの伝説』に詳しい(参考文献(5)を参照)。それはともかくほぼ兄弟城の真横まで来ると、小高い丘の上にある城にたどり着くには、つづれ織りのような険しい坂を上がっていくように見える。まさにバンコランたちが登っていった『髑髏城』への道筋ではないだろうか。
    (シュテレンベルク城から直線で740mぐらい手前の船からのgoogleマップの画像)
    シュテレンベルク城-4.jpg
    (シュテレンベルク城から直線で400mぐらいの距離の船からのgoogleマップの画像)
    シュテレンベルク城-5.jpg
    (シュテレンベルク城(左)とリーベンシュタイン城(右))
    シュテレンベルク城-6.jpg シュテレンベルク城-7.jpg

    Fコブレンツ

    コブレンツの地図(ライン通りが見える。)
    コブレンツ-3-1.jpg
    (原文)[第2章P.18]
    Neither Gallivan nor I spoke until the river widened so that we could see the lights of Coblenz, built up the left-hand hill at the junction of the Rhine and the Moselle, and the unsteady lamps on the Bridge of Boats.
    (私訳)
    コブレンツの街の灯を見逃すまいと、川幅が広くなるまでは僕もギャリヴァンも口をきかなかった。ライン川とモーゼル川の合流点には左手に丘があり、船橋の灯りはゆらゆらと揺れていた。
     以下の画像では「ふり返って」いるので右手に丘が見えるはずだが見えない。そのかわりドイチェク・エック(ドイツの角)と呼ばれる三角形の合流点が見える。船橋(しょうりょう)はないが、観光船が接岸する船着場がある。
    (ライン川とモーゼル川の合流点から来た川筋をふり返った画像)
    コブレンツ.jpg

    (原文)[第2章P.18]
     He gave me a card. "Here," he said, scribbling the address: "Hotel Traube, Rheinstrasse. Not very far from the landing-stage.
      (中略)
    There were illuminated windows in the white houses lining the Rheinstrasse;
    (私訳)
    ギャリヴァンは名刺に宿泊先を走り書きして僕に手渡した。「ここに泊まっているよ。ライン通りのトラウベ・ホテルだ。桟橋からそれほど遠くない。」
      (中略)
    ライン通り沿いの白い家並みでは、あちこちの窓に灯がともっていた。
     「ライン通り」を見つけた。小さな通りだ。しかもすぐに別の名前の通りに変わってしまう。googleマップで確認したが、今や昔の面影に乏しく古い建物はあまり見当たらない。ただし、白い壁を基調とした建物が多いのは伝統から来ているのかもしれない。もちろん「トラウベ・ホテル」は存在しない。
    (ライン通りのgoogleマップ画像)
    ライン通り.jpg
    (原文)[第2章P.18]
    Not far from the main landing-stage, a flight of stairs descended to the water. A motor-boat, long and dashing, swayed at their foot.
     The cough of the engine deepened to a roar. We swept out in a half-circle, and I sank back into the cushions in the stern.
    (私訳)
    中央桟橋からそう遠くはない場所に階段があり、川岸まで続いていた。そこには、細長くて今にも飛び出しそうな一台のモーターボートが待ち受けていて、階段のすぐ下で揺れていた。
     咳きこむようなエンジンの音が、さらに大きくなって唸りだした。僕らを乗せたボートは揺れながらぐるっと向きを変えたので、僕は後部にあるクッション席に体を投げ出した。
     中央桟橋がどこかは分からないが、おそらくライン通りの近くにあるはずだ。中央桟橋の近くに待ち受けたモーターボートは、ジェフを乗せてぐるっと旋回して飛び出す。

    Gアリソンの屋敷
    (原文)[第2章P.19]
    Retracing the way I had come, I saw before many minutes another pair of lighted steps on the right. The Alison place was built high among trees, with a thin stone staircase curving up interminably to its veranda.
    (私訳)
    さきほど下ってきた川を引き返して20〜30分も経たないうちに、灯りが付いた別の階段が右岸に見えた。アリソンの屋敷は木々の間から高く顔を覗かせ、段差があまりない石の階段が屋敷のヴェランダに向けてだらだらと続いていた。
     「右岸」とは髑髏城の対岸である。ちなみに、例の兄弟城の一つ、シュテレンベルク城はコブレンツから川沿いに24kmほどある。最新のモーターボートは時速80kmは出るようだが、当時のモーターボートが時速50kmほど出たとして、20〜30分程度という事だろうか。many minutesというのが「十数分」なのか「数十分」なのかはっきりしないが、とりあえず「20〜30分」という事にしておこう。

    Hアリソンの屋敷〜ストルヘンフェルス
    (原文)[第11章P.110]
     We said no more as the boat sped towards Coblenz. Many craft were out that morning. A scull, propelled by a solitary oarsman with a naked powerfull torso, slid past at easy strokes. One of the Rhine steamers towered above us in gusts of black smoke, its white sides gleaming and its rail crowded with passengers, who waved and shouted to us according to the genial custom of the river. Bencolin and I were having a fine time returning the salutations, but von Arnheim sat studying his newspapers without seeming to notice. A launch full of girl hikers―those muscular thick blondes with bare legs and packs on their backs―went by on its way to Stolzenfels, the girls singing lustily.
    (私訳)
     モーターボートがスピードを上げてコブレンツに向かう間、僕たちは一言も話さなかった。その朝はたくさんの船が行き交っていた。一艘の手漕ぎ舟がゆっくりと通り過ぎていったが、がっしりとした上半身を露わにした漕ぎ手が櫓を操っていた。ライン川を巡る蒸気船が黒煙を上げながら僕たちの前にそびえ立ち、白い船体はキラキラと輝き、甲板は大勢の乗客でひしめき合っていた。ライン川の慣習であろうか僕たちに手を振り歓声をあげた。僕とバンコランは愉快な気分になってそれに応えたが、フォン・アルンハイムは座ったまま例の新聞を調べるのに気を取られて、気づきもしなかったようだ。また、大型のボートはハイキングに来た女性を大勢乗せてストルヘンフェルスに向かってすれ違うところだった。女性はみな豊満な肉体に金髪の持ち主で、素足のまま背にリュックを背負っていて、元気いっぱいに歌声を上げていた。
     バンコランとジェフ、それにフォン・アルンハイムは、髑髏城探索を終えた翌日に、コブレンツに待機している記者ギャリヴァンと話をするためにコブレンツに向かう。モーターボートでライン川を下ってコブレンツに向かう場面だが、様々な船と出くわす描写がある。分かりにくいのは「すれ違う」のか「追い抜く」のかだ。「手漕ぎ舟(a scull)」と「大型のボート(a launch)」は原文から明らかにすれ違っているが、「蒸気船(the Rhine steamer)」はモーターボートの前にそびえ立っているだけでどちらとも言えない。ただ、ここではストルヘンフェルスに向かう大型のボートとすれ違っているという事が重要だ。つまりモーターボートは既にストルヘンフェルスを通り過ぎている。
     ところでハイキング目的の女性陣が向かうストルヘンフェルスには何があるかと言えば、ストルヘンフェルス城という非常に美しい城がある。この城に伝わる伝説は髑髏城のストーリーを考える際にカーが参考にした可能性がある(参考文献(5)を参照)。
    (ストルヘンフェルス城の画像)
    ストルヘンフェルス城.jpg

    Iコブレンツ、アーヘンブライトスタイン城塞
    (原文)[第11章P.110]
    Before many minutes we turned into a straight stretch, and we could see on the right bank the grey fortress of Ehrenbreitstein piled against the bright sky. Coblenz was on the left―white houses whose windows were gay with red geraniums.
    (私訳)
    10分もたたないうちに僕たちはライン川がまっすぐ伸びた箇所にたどり着いた。右岸にはあざやかな青空を遮るように灰色のアーヘンブライトスタイン城塞が見えた。コブレンツは左岸にあり、白い家並みの窓には赤いゼラニウムが飾られていて、華やかだった。
     さきほどのストルヘンフェルスの画像を見ても分かるように、ライン川は右側に湾曲しているため遠方のコブレンツは見えない。ストルヘンフェルスからコブレンツまでは7km程度で、もしモーターボートが時速50kmだったなら10分足らずで着いてしまう事になる。原文にはmany minutesとあり、コブレンツからアリソン邸まで遡った時にもmany minutesだったのでなんだか辻褄が合わない。だが、第2章と第11章との記述に整合性を求めるのはどだい無理がある。ましてやカーが筆にまかせて書いた文章ならば尚更だ。こちらのmany minutesは「10分足らず」と考えよう。
     右岸にコブレンツを見ながらモーゼル川とライン川との合流点にたどり着くと、右手にアーヘンブライトスタイン城塞が見える。
    (アーヘンブライトスタイン城塞の画像)
    アーヘンブライトスタイン城塞.jpg

    [参考文献]
    (1)Castle Skull (John Dikson Carr) 1931年出版 (この記事の原文はPocket Books版(1947年出版)から引用した。)
    (2)ジョン・ディクスン・カー著『髑髏城』(宇野利泰訳) 1959年初版 創元推理文庫
    (3)ジョン・ディクスン・カー著『髑髏城』(和爾桃子訳) 2015年初版 創元推理文庫
    (4)吾孫子豊著『ラインの伝説−ヨーロッパの父なる河、騎士と古城の綺譚集成−』(2017年) 八坂書房
    (5)本ブログ内「ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その5)」

    (Castle Skull (Pocket Books版)、ルーラント著『ラインの伝説』、吾孫子豊著『ラインの伝説』各表紙)
    CASTLE SKULL(PocketBooks).JPG ラインの伝説(1986年).jpg 『ラインの伝説』表紙.jpg
    posted by アスラン at 03:15 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年08月15日

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その18)

     前回の(その17)でとりあえず完結したはずだったのだが、その際に「髑髏城の歩き方を書こうと思う」と言い添えておいた。諸事情があってずいぶん寝かしてしまったが、そろそろちゃんとまとめておかないと、もうガタが来ている僕のメモリが次々とデータを忘れてしまいそうだ。だから、この散策文を整理して「歩き方」を書く準備をしようと思ったら、最初から挫折してしまった。挫折の原因は、髑髏城の両耳にあたる二本の塔(tower)だ。

    (原文)[第8章P.106]
     This round tower was built out from the side of the head. It was about twenty feet in diameter, one very lofty room for this floor.
    (旧訳)[P128.]
     この円塔は、髑髏の片側に近接してそびえている。直径わずか二十フィートに過ぎぬが、頂上が部屋になっているらしく、階段がそこまで見上げるほどの高さに伸びている。
    (新訳)[P.120]
     この円塔は頭の脇に建てられていた。直径およそ二十フィートで、各階に特大サイズの一室だけが設えている。
     塔の直径は20フィート(6.1m)だ。残念ながら中央にある髑髏城天主(大髑髏)のサイズはどこにも書かれていない。なので髑髏城の正面側から見た差し渡しはどの程度になるかは分からないが、室内の様子、特に2階の部屋数などを考えても直径が40フィート程度とは思えない。イメージとしても60フィート(18.3m)ぐらいはあって欲しいところだ。ところで、サイズに関して言うと、もう一つ重要なポイントがある。髑髏城正門(the gate)から城壁をくぐった後、ぐるりと旋回しながら大髑髏がある城壁上部へと抜ける通路(と階段)だ。そこには30フィートの通路(passage)や60フィートの通路が出てくるのだ。当初、通路は城壁の内側に沿っているイメージ(下図参照)で考えていたのだが、それだと、大髑髏と双塔を囲えないのだ。
    髑髏城見取り図(城門〜中庭)-2.jpg
     それに(その7)で原文を頼りに考えた時に、階段にあるはずの矢狭間(Archers' slits)が城壁の外とつながらないという問題を解決できなかった。何より髑髏城が幅よりも奥行きの方が長いので、大髑髏の背後がスカスカ状態になっている問題もあえて見過ごしてきたのだ。そこで、今一度、正面入り口から上部の中庭(courtyard)へと至る文章を詳細に見直してみたところ、新たな解釈にたどり着いた。それを順を追って説明していこうと思うが、あらかじめ今回の結論となる髑髏城の見取り図を挙げておこう。
    髑髏城見取り図(城門〜中庭)-3.jpg

     まずはライン川の船着場から急坂を右へ左へと折れ曲がりながら登っていくと、髑髏城の城壁のふもとにたどり着くところから。ここは執事のホフマンが事件当夜を回想する場面(第4章)と、バンコランら一行が髑髏城捜索に乗り出す際の語り手ジェフ・マールによる描写(第8章)との二ヵ所の記述がある。
    [執事ホフマンの回想]
    (原文)[第4章P.49]
     "The gates of wood across the causeway, they are closed, but not locked. We open them. I wonder where to find old Bauer, who does not answer our call. Beyond is a very long passage of stone, running through the wall many feet. On the floor in the middle is lying the burning torch, left behind. . . . ."
    (旧訳)[P.59]
    「わき道の木戸はしまっていましたが、錠はかかっていませんでした。わたくしどもは、あけるのももどかしく飛び込みましたが、いくら呼んでも、バウワーの姿が見えません。入口から石畳み道が、城壁を抜けて、奥までつづいているのですが、その石床の上に、まだ燃えているたいまつが落ちていました。……」
    (新訳)[P.56]
    「土手むこうの森へ出る門はどれも閉じておりますが、鍵はかかっておりませんので、どれも開きます。バウワーを呼んでもあらわれず、どこへ行ったかと思いました。城の大手門のさきにはかなりな長さの舗装道路が城壁を貫通して何フィートも伸びております。中ほどに、あのたいまつがつけっぱなしで放り捨ててありました。……」
     ここで注目すべきはthe gate of wood(木製の門)とcauseway(舗道、敷石道)だ。旧訳はそれぞれを「木戸」「わき道」とし、新訳は「森へ出る門」「土手」としている。しかし、いずれも勘違いをしている。それはジェフ・マールが描写する次の場面で分かる。
    [バンコラン一行の描写]
    (原文)[第8章P.100]
    Winded and none too steady, we emerged at the top. Fritz's light disclosed that we were at the stone parapet of a moat, from whose depths issued a hissing of water. A stone causeway led across to the tall gates. Throwing my own light upwards, I saw the dark walls soar into gloom.
    (旧訳)[P.118]
     やっとの思いで頂上に達した、フリッツの目玉ランプの光で、ぼくたちはいま往時の外濠までたどりついたのを知った。すでにおびただしい雨量が、音を立てて濠のなかに流れ込んでいる。石をたたんだ道路が橋となって、丈高い城門に導かれている。懐中電灯の光でふり仰ぐと、やみのなかになお黒々と、垂直の城壁がそそり立っている。
    (新訳)[P.112]
    なにもかも一筋縄ではいかない細道をよじのぼり、頂上に出た。フリッツの角灯を頼りに私たちが立つ場所は濠を囲む石の防壁、はるかな眼下では深い淵が荒れ狂っている。そこから城の大手門へと伸びた石畳の通路がある。懐中電灯を上へ向けると、はるか上に闇にまぎれた黒い城壁の一部が見えた。
     再びthe tall gates(背の高い門)と、a stone causeway(石畳の舗道、敷石道)が出てくる。今度は旧訳も「丈高い城門」「石をたたんだ道路」になり、新訳も「城の大手門」「石畳の通路」となっている。城壁の正面の描写はこちらの方が圧倒的に詳しくなっていて、moat(濠)が城壁を取り囲んでいて、そこにcauseway(石畳の舗道)がthe tall gates(背の高い城門)へと続いている。何故、ここから遡ってホフマンの回想での間違いを修正しなかったのか。4章と8章の描写なので比較できなかったとしか思えない。

     さらにジェフの記述が続く。
    (原文)[第8章P.100]
     We stood before gigantic wooden doors bound with arabesques of rusty iron. Konrad, in the brightness of four lamps, was unlocking them. It took a heave of his big shoulder to push them inward. Once inside and the gates slammed shut, Konrad staggered against the wall.
    (旧訳)[P.118]
     ぼくたちは見上げるように巨大な城門の前に立っていた。門扉は二重になっていて、分厚い樫材の上に、唐金作りの唐草模様が、いまは真っ赤に錆びついていた。コンラッド警部は、四人の懐中電灯の光を浴びながら、門扉のかぎを、ちからをこめてあけて、大きな肩で思いきりぶつかっていった。
    (新訳)[P.113]
     目の前の巨大な門扉は、板戸をアラベスク文様の錆びついた鉄金具で補強してあった。四つの灯で手もとを明るく照らされながらコンラートが門扉の鍵を開け、大きな方で力任せに城門を押し開けた。入ってしまうと扉はひとりでにバタンと閉じ、ついでにコンラートを壁へはじき飛ばした。
     the tall gatesは更に詳細に描写されているが、要するにgigantic wooden doors(木製の巨大な城門)となった。「わき道」も「土手」も「木戸」も「森に出る門」もすべて雲散霧消したわけだ。

     次に城門をくぐってからの描写を比較してみよう。注目すべきは「たいまつ」だ。まずはホフマンの回想(第4章)の記述だ。
    (原)Beyond is a very long passage of stone, running through the wall many feet. On the floor in the middle is lying the burning torch, left behind.
    (旧)入口から石畳み道が、城壁を抜けて、奥までつづいているのですが、その石床の上に、まだ燃えているたいまつが落ちていました。
    (新)城の大手門のさきにはかなりな長さの舗装道路が城壁を貫通して何フィートも伸びております。中ほどに、あのたいまつがつけっぱなしで放り捨ててありました。
     旧訳の「石畳み道」、新訳の「舗装道路」のいずれもcausewayと区別つかない言い方なので誤解を招くが、城内にあるのはpassage(通路)だ。the gates(城門)をくぐって先に続く通路は何フィートも奥に続いている。数値はハッキリとは書かれていない。On the floor in the middleに「たいまつ」が置き去りになっていたと書かれているが、ここのthe middleはa very long pasage of stone(かなり長い石畳の通路)の途中(中ほど)という意味だろうか。それとも通路の幅の中央(真ん中)という意味だろうか。

     これを更に詳しく説明しているのが、第8章だ。
    (原文)[第8章P.100]
     We were in a wide passage of stone, cold and very damp. Here the noise outside was only a murmur. Wet of face but not at all ruffled, von Arnheim stood in the middle and directed his light about, peering from under the brim of his soft black hat.
    (旧訳)[P.118]
     城門の内は、石を敷きつめた広い廊下だった。湿った空気が肌にひややかだった。一歩城内にはいると、さしものあらしも忘れたように遠のいた。びしょぬれの顔で、フォン・アルンハイム男爵は、廊下の中央に突っ立って、懐中電灯の光を投げかけながら、黒いソフト帽の下から、するどい視線を四方に馳せた。
    (新訳)[P.113]
     ここは石畳の広い通路で、やたら底冷えがする。外の騒ぎはあらかた締め出されて、ざわめきにしか聞こえない。顔じゅう濡れても平然としたファン・アルンハイムが中央に立って四方八方へ光を投げかけ、黒いソフト帽のつばの陰からうかがい見た。
     ここで注目したいのはa wide passage of stone(幅の広い石畳の通路)だ。どうやら城門を入ってすぐに出てくる通路はかなり幅が広いらしい。だからこそ、von Arnheim stood in the middle(フォン・アルンハイムは通路の中央に立ち、)となる。つまりthe middleは「奥へと続く長い通路の途中(中ほど)」という意味では無く、「幅の広い通路の中央」という解釈が成り立ちそうだ。さらにdirected his light about(周囲に懐中電灯を向けて)と描かれていて、ある程度通路を進んでから四方を見渡しているように読める。

    (原文)[第8章P.100]
    There were iron link-brackets on the walls, and at our right a low door, which presumably led to the quarters occupied by the watchman. Above the gates was a shapeless, rusty apparatus, which resembled an enormous vat on wheels and pulleys.
    (旧訳)[P.119]
     右手に低いくぐり戸があって、その奥はおそらく、番人の詰所になっているらしい。城門の上には、途方もなく巨大な鉄製の容器が、やはり赤錆びになったままつるしてある。くさりと滑車で回転するタンクに似た桶であった。
    (新訳)[P.113]
     どちらの壁にも鉄のたいまつ受け、右手の低いドアは城番の住まいに通じているらしい。正門の上に車輪と滑車を取りつけた巨大な桶そっくりの、なんだかよくわからない錆びついた装置があった。
     ここは新訳の方が原文に忠実で、アルンハイムが四方を懐中電灯で照らしながら見渡すと、両脇の壁にはiron link-brachets(たいまつを貯蔵する鉄製の棚)があり、右手の壁には、たぶんそれを避けるようにa low door(くぐり戸)がある。そして城門の方へふり返るとrusty apparatus(赤くさびた装置)がつるされている。

    (原文)[第8章P.100]
     "A quaint conceit of our ancestors," said von Arnheim, playing his light over it. His voice boomed back in startling echoes. "Thus you poured boiling lead on the heads of the impertinent. And this torch, which the butler and our guide found lying here in the passage after the murder……"
     He exchanged words with Fritz, who indicated a spot about the middle of the passage.
    (旧訳)[P.119]
    「むかしのやつらは、とっぴょうしもないことを考え出したもんですな」
     フォン・アルンハイム男爵は、その鉄桶(てっとう)に懐中電灯を差し向けながら言った。声を出すと、びっくりするようなこだまになって反響した。
    「諸君、これがなんだかおわかりですか? 敵の襲撃がはじまると、あの桶のなかで、鉛を煮立てておくんですよ。さあ、城門が撃ち破られたぞ、と聞くと、ながれこんでくる敵軍の頭から、その鉛の熱湯を浴びせかけたものなんです。それに、この上にたいまつがいっぱい貯蔵してある。例の殺人事件のあとで、ここにいるフリッツと執事ホフマンとが、ちょうどこのあたりで発見したたいまつです……」
     男爵がフリッツにことばをかけると、かれは敷石道の中ほどを指で示した。
    (新訳)[P.113]
    「われらがご先祖は、味なはからいをしたものだ」フォン・アルンハイムがそちらに灯を動かし、ぎょっとするほどこだまを響かせた。「先陣切った出しゃばり者の頭上に、ああして溶けた鉛を浴びせかけてやったのだよ。そして、このたいまつは殺人後に通路のここに落ちていたのを、執事と我らが案内人が見つけた……」
     と、通路の中ほどの地点を指さすフリッツと言葉をかわした。
     先ほどの記述をあわせると、lead(鉛)が入ったvat(大樽、大桶)を火に掛けて溶かす必要があったはずだ。それをpulleys(滑車)を使って城門の上部から外に出して、迫り来る敵兵の頭上に浴びせる。ディクスン・カーはさらっと書いているが、かなり大がかりな装置なので結構なスペースが必要だったのではないかと思う。そして肝心のtorch(たいまつ)は、here in the passage(通路のここらへん)に置かれてたとアルンハイムが言うと、フリッツが同意するようにindicated a spot about the middle of the passage(通路の中央のある一点を指さした)と書かれている。ハッキリとは書かれていないが、すくなくとも装置やくぐり戸を見渡せる場所にたいまつは置かれていた事になる。

     さて、ここからがいよいよ通路と階段で髑髏城の上部(中庭)に至る道筋だ。以下、中庭までノーカットで見ていこう。また、重要な箇所には私訳を加える事にする。
    (原文)[第8章P.101]
    Then von Arnheim motioned Konrad to lead on. A whole rumbling train of echoes followed our footsteps; Konrad's distorted shadow rose in a vast blur and bent across the roof as he lumbered towards the back. Thirty feet farther the passage turned at right angles, and at the turn a flight of stone stairs led up to its continuation on a higher level. Von Arnheim's light indicated narrow slits at the base of the treads.
     "Archers' slits," he explained. "They gave the enemy a whole bellyful of arrows in those days. And the turn in the passage―admirable for defence. Admirable!"
    (旧訳)[P.119]
    それからまた、フォン・アルンハイムはコンラッド警部に目くばせして、案内をつづけさせた。足音が空洞のなかのように大きく響いた。奥に進むにつれて、先に立ったコンラッドの影が、大きくゆがんで天井に映るのが、なんともいえず不気味に見える。
     三十フィートごとに通路は右に折れる。そのたびに石の階段があって、それを登りきると、また通路がつづいている。フォン・アルンハイムは、懐中電灯の光を壁面のすそにあてて、ぼくたちに説明した。
    「見たまえ。そこかしこに、すきまが付いておりましょう。ここがむかし、射手が敵軍をねらって、雨あられと矢玉を浴びせかけたところですよ。通路が曲がりくねっているのも、つまり防禦の目的から出たことなんです。よくもまあ、考えたものと思いますな」
    (新訳)[P.114]
    やがてフォン・アルンハイムはコンラートに手振りで先に立てとうながした。みなの足音にこだまが数珠つなぎでついてくる。コンラートのゆがんだ影が奥へ向かうにつれて広がり、曲がって天井にかかった。通路はその三十フィート先で右へ折れ、曲がり角に上層階への石段があった。フォン・アルンハイムの灯が、階段下の狭い裂け目を示す。
    「矢狭間だ」と説明した。「往時はここから、いやというほど敵に矢を浴びせてやった。それにあの曲がり角――守備にもってこいだ。すばらしい!」
     アルンハイムは部下のコンラッド警部に、先に立って道案内しろと促し、それに一同が続く。天井がどの程度の高さなのか分からないが、各人が手にした懐中電灯(フリッツのみ角灯)が、前を行くコンラッドを照らす。大きくゆがんだ影が天井に映し出される。

    (原)Thirty feet farther the passage turned at right angles, and at the turn a flight of stone stairs led up to its continuation on a higher level.
    (旧)三十フィートごとに通路は右に折れる。そのたびに石の階段があって、それを登りきると、また通路がつづいている。
    (新)通路はその三十フィート先で右へ折れ、曲がり角に上層階への石段があった。
    (私)30フィート先で通路は直角に右に折れ、曲がり角には石の階段があって上の階の通路につながっていた。
     まず新旧ともに「右に折れ」と書いているがat right angles(直角に)を誤訳している。ただし、結果的に右に折れないと60フィート問題が解決しないので、とりあえず私訳では「直角に右に」と書いておいた。flightとは「階(踊り場)から階(踊り場)」を渡す一つながりの階段をさす。its continuationは the passage's continuation(通路の延長部分)と言う意味だ。なお、旧訳の「三〇フィートごと」とか「そのたびに石の階段がある」という解釈は、この原文では成立しない。

    (原)Von Arnheim's light indicated narrow slits at the base of the treads.
     "Archers' slits," he explained. "They gave the enemy a whole bellyful of arrows in those days. And the turn in the passage―admirable for defence. Admirable!"

    (旧)フォン・アルンハイムは、懐中電灯の光を壁面のすそにあてて、ぼくたちに説明した。
    「見たまえ。そこかしこに、すきまが付いておりましょう。ここがむかし、射手が敵軍をねらって、雨あられと矢玉を浴びせかけたところですよ。通路が曲がりくねっているのも、つまり防禦の目的から出たことなんです。よくもまあ、考えたものと思いますな」

    (新)フォン・アルンハイムの灯が、階段下の狭い裂け目を示す。
    「矢狭間だ」と説明した。「往時はここから、いやというほど敵に矢を浴びせてやった。それにあの曲がり角――守備にもってこいだ。すばらしい!」

    (私)フォン・アルンハイムは、手にした懐中電灯で、階段の踏み板の根元にある狭いスリットを照らして、解説した。「射手が使う狭間だ。かつては、寄せてきた敵兵に向かって雨あられと矢を浴びせたのだよ。通路を曲がったこの部分。まさに城を守るには申し分ない。あっぱれと言わせてもらおう。」
     treadは「階段の踏み段、踏み板」の事を指す。踏み段そのものにスリットが入っているわけではなく、踏み段のやや上ぐらいの位置で城壁にスリットが入っている事になる。これが矢を射るための狭間になるというわけだ。という事は、この階段は髑髏城の城壁の背面に沿っていることになる。そして、この階段に沿って設えた狭間に射手をそろえれば、陸地側に向いている髑髏城の背後の守備は万全という意味で「守るには申し分ない」とアルンハイムは説明しているのだ。これでArchers' slitsの問題は解決できた。念のため、髑髏城の内部の通路を俯瞰で透視した図を載せておこう。
    髑髏城見取り図(俯瞰).jpg
     ここまでで2つの点に注目しておこう。最初の30フィートの通路を「直角に(右に)折れ」たのだから、今後の曲がり角も「直角に」曲がっていくだろうという事だ。その根拠は、この後の文章に出てくる。もう一つは、先ほどの文で、「30フィート進んで右に折れて上の階の通路につながっていた(led up to)」と書かれていたが、バンコラン一行はまだ階段を登り切ってはいないという点だ。むしろ階段の手前にいてもおかしくない。要するに、言葉の解釈次第では「自分(語り手)がどこにいて、次にどう動くのか」が変わってくるという点だ。それを踏まえた上で次の文章を見ていこう。
    (原文)[第8章P.101]
     Another thirty feet, and once more the passage turned back to its first course. On the last stretch it ran nearly twice the distance, so that our lights barely picked up the staircase at the end.
     "Have you noticed the ceiling along the way?" von Arnheim asked me in English. "At four places they could drop a portcullis to cover retreat. The castle is as strongly fortified as any I ever saw. I wonder who needed such elaborate defences?"
    (旧訳)[P.120]
     それからほぼ三十フィートばかり進むと、廊下はふたたび曲って、最初とおなじ方向になった。そこから先は、いままで歩いた距離に比べて、ゆうに二倍はあった。突きあたりは階段になっているようすだが、ぼくたちの懐中電灯の光はそこまでは届かない……
    「諸君はこの長い廊下をここまで歩いて来られて、天井のしかけにお気が付かれたかな?」
     フォン・アルンハイム男爵は、僕をふり返って、英語で問いかけた。
    「つるし門が四ヵ所も設置してあったですな。ちょっと見ると、なんの変哲もない廊下のようであるが、いざ敵の侵入を受けたとなると、いきなり天井から、がらがらとがんじょうな格子戸がすべり落ちて来て、この廊下をびたっとふさいでしまう。それから先は一歩も敵に踏み込ませぬ、というしかけなんです。ここに限らず古城というと、いたるところ、このとおり要害堅固のものでしてね。
    (新訳)[P.114]
     もう三十フィートほど行くとまたしても折れ、最初の向きになった。あとの道は今までの長さの倍近くあり、手持ちの灯で照らしても、通路の先の階段にぎりぎり届くか届かないかだ。
    「途中の天井に気がついたかね?」フォン・アルンハイムが英語で私に話しかけてきた。「四ヶ所に退却援護の落とし戸が仕掛けてあってね。これまで見たどの城よりも堅固な防御設備だ。


    (原)Another thirty feet, and once more the passage turned back to its first course. On the last stretch it ran nearly twice the distance, so that our lights barely picked up the staircase at the end.
    (旧)それからほぼ三十フィートばかり進むと、廊下はふたたび曲って、最初とおなじ方向になった。そこから先は、いままで歩いた距離に比べて、ゆうに二倍はあった。突きあたりは階段になっているようすだが、ぼくたちの懐中電灯の光はそこまでは届かない
    (新)もう三十フィートほど行くとまたしても折れ、最初の向きになった。あとの道は今までの長さの倍近くあり、手持ちの灯で照らしても、通路の先の階段にぎりぎり届くか届かないかだ。
    (私)階段を登りきって右にもう一度30フィート進むと、またしても右に折れて、通路は最初に進み出した位置に戻っていく。最後の直線では、通路はこれまでの距離の2倍近くあったので、それぞれの懐中電灯で照らしても通路の先にある階段はほとんど判別できなかった。
     階段を登りきったら通路は「直角に」曲がっていると考えるべきだろう。そこでanother thirty feetというのは、最初に30フィートの通路を進んだのを受けて「もう30フィート」と言っているので一行は進んだとみるべきだ。問題は次の文だ。(その7)ではand once more the passage turned back…で一行が通路を進み、そこを右に折れれば「最初の向きになる」と考えた。しかし、今回は違う解釈をする。its first courseは「最初の通路の向き(最初に30フィート進んだ向き)」と解釈するのではなく、「最初に通路を進み出した地点への向き(たいまつが置き去りになっていた地点)」と考える。そう考える根拠は、この英文の主語がバンコラン一行ではなくthe passage(通路)だからだ。さきほどa flight of stone stairs(階段)が上の階の通路に繋がるという文でもバンコランたちは移動していない。今回も通路はturned back(元来た地点へと戻る)けれどバンコランはまだ手前の曲がり角にいるのだ。そして、このthe passage(通路)は最後の「通路」であり、最後の「直線」であり、それは60フィートの長さからなる。突きあたりは階段になっているが、一行はまだ動き出していないので懐中電灯の光ではハッキリとは分からない。でも、結局、最後の通路を進んで「直角に(右に)」折れないと階段は出てこないはずだ。

    (原)"At four places they could drop a portcullis to cover retreat.
    (旧)「つるし門が四ヵ所も設置してあったですな。ちょっと見ると、なんの変哲もない廊下のようであるが、いざ敵の侵入を受けたとなると、いきなり天井から、がらがらとがんじょうな格子戸がすべり落ちて来て、この廊下をびたっとふさいでしまう。それから先は一歩も敵に踏み込ませぬ、というしかけなんです。
    (新)「四ヶ所に退却援護の落とし戸が仕掛けてあってね。
    (私)「撤退する際に時間を稼げるように、四ヵ所に格子戸が落とせるようなっていましてね。
     この四ヵ所の落とし格子戸の位置は、特に書かれてはいないが、おそらくは曲がり角にあるはずだ。いや、もしかしたら見通しが良い直線の通路のちょうど真ん中で落とすという事も考えられるが、いずれにしろ四辺がないと四ヵ所にはならない。これが先ほど「通路が直角に折れる」事の根拠になっている。

     さて、最後の直線を進んだ後に「直角に(右に)」折れたところにあるであろう階段を登りきれば、城壁の上部すなわち中庭にたどり着くはずだ。階段を登りきった先は必然的に髑髏城の背面だから、髑髏城の背面にも中庭があるという結論になる。髑髏城の右側面から透視した図を以下に載せる。
    中庭方面-3.jpg
    この図を踏まえて、以下の文を読んでみよう。
    (原文)[第8章P.101]
     We emerged at last into a courtyard paved with stone flags. It was impossible to see the surrounding walls, but Fritz led us with sure instinct to an outer staricase going up the front one near the centre. Again we fought the storm; along the battlements it was terrific, for they stood higher than any point in the countryside.
    (旧訳)[P.121]
     廊下を通りきると、中庭へ出た。そこは板石が敷きつめてあった。見上げるような壁が周囲をすっかり包んでいた。その中央に近い階段を、フリッツは先に立って、ぼくたちを導いた。登るにつれて、強い風がぼくたちをまっこうから吹きつけた。胸壁まで登りきると、あらしのはげしさはすさまじいばかりだった。いまやぼくたちは、ラインの中流地方を一望の下に見渡せる高所に立っているのである……
    (新訳)[P.114]
     ようやく出た先は、石畳の中庭だった。壁に囲まれてまったく勝手がわからないが、フリッツによどみなく案内されて城の正面中ほどへ出る外階段へたどりついた。またしても嵐に抗うことになったが、狭間胸壁沿いの眺めは絶景だった。


    (原)We emerged at last into a courtyard paved with stone flags. It was impossible to see the surrounding walls, but Fritz led us with sure instinct to an outer staricase going up the front one near the centre.
    (旧)廊下を通りきると、中庭へ出た。そこは板石が敷きつめてあった。見上げるような壁が周囲をすっかり包んでいた。その中央に近い階段を、フリッツは先に立って、ぼくたちを導いた。
    (新)ようやく出た先は、石畳の中庭だった。壁に囲まれてまったく勝手がわからないが、フリッツによどみなく案内されて城の正面中ほどへ出る外階段へたどりついた。
    (私)やっとのことで、私たちは板石が敷きつめられた中庭に出てきた。四方を取り囲んだ壁すらも見えない状況だったが、フリッツは、分かりきっているかのように髑髏城の正面中央に向かう外階段に私たちを案内した。
     実は前々から気になっていた事がある。四方の壁が見えないくらい、嵐の中の中庭は真っ暗闇だというのはわかるのだが、手もとに懐中電灯や角灯があるのに「なぜ外階段の存在に気づけないのか」という疑問だ。後付けの理由でしかないが、もし髑髏城の後方も中庭で、ぐるっと回り込まねば外階段にたどり着かないのであれば「まったく何も見えない」という状況は理解できる。

     これが、久々に『髑髏城』の散策文を読み直した結果、新たにたどり着いた解釈だ。これを元に『髑髏城の歩き方』を無事書き起こす事ができればいいのだが、まだまだ何事か起きるかも知れない。要するに、まだまだ『髑髏城』散策は続く(かもしれない)という事だ。(了)は取り下げておこう。
    posted by アスラン at 15:25 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年05月17日

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その17)

    髑髏城三階(ダイニングルーム)(第16章)

     いよいよ最終回。髑髏城の三階にあるダイニングルームを渉猟したら、僕の髑髏城散策も一段落だ。前回は髑髏城の最上階(四階)にあるガラス張りの丸屋根の部屋を詳しく見て回った。そこから下の階に降りるところから始めよう。
    (原文)[第16章P.206]
     The dining-room, as I have already indicated, was on the floor below in front. It was approached by corkscrew passages of marble and blue-plaster fresco in which, I noticed with a start, were hung some really remarkable paintings, as carelessly as though stacked in a lumber-room. I saw a sleeping Venus by Correggio, the lost "Sappho" of Rubens; chiefly nudes, in fleshly and languorous lure. Then through grilled iron gates we entered the dining-room. . . .
    (旧訳)[P.267]
     前に述べたように、食堂はそこから、階段をひとつ、正面に向かって降りたところにあった。大理石と壁面を飾ったらせん階段によって導かれた。階段のそこここには、古今の名作と言いうる絵画が、驚くほどむぞうさに立てかけてある。コレッジョオの「眠れるヴィーナス」もルーベンスの「サッフォ」もそのなかにあった。ほとんど裸体画で、薄暗がりのなかで見ると、豊麗な官能美が、身内に迫るような圧力をただよわせている。階段を降りきると、鉄の格子とびらを開いて、ぼくたちは食堂にはいっていったのだった……
    (新訳)[P.227]
     すでに述べたように、ダイニングルームはすぐ下の階の正面側にあった。そこへ弧を描いて降りる通路は大理石張りで、青しっくいのフレスコ壁にまるで物置の中みたいに雑に重ねてかけた絵の中には正真正銘の名画が何枚もあって、ぎょっとした。コレッジオの『眠るヴィーナス』、ルーベンスの散逸作品『サッポー』まで。大半は裸体画で、肉感的でけだるい魅力にあふれていた。やがて鉄の格子門をくぐり、ダイニングルームへとそろって入室する……。

     細かいところが気になるので、じっくりと見ていこう。
    (原)The dining-room, as I have already indicated, was on the floor below in front.
    (旧)前に述べたように、食堂はそこから、階段をひとつ、正面に向かって降りたところにあった。
    (新)すでに述べたように、ダイニングルームはすぐ下の階の正面側にあった。
     「前に述べたように」と書いてあるが「ダイニングルーム」があるという事以外は何も触れていない。旧訳は「正面に向かって降りたところ」にあると書いているが、新訳の「下の階の正面側」が正しい。要するに一、二階の正面側は吹き抜けで、天井の高い中央広間だったが、三階からはちゃんと正面側を含めたフロアになっているという事だ。すでに四階の平面図を提示したが、あれも大髑髏の中央に来るように配置してあったのは、三階から正面側にも床がある事を踏まえている。

    (原)It was approached by corkscrew passages of marble and blue-plaster fresco in which, I noticed with a start, were hung some really remarkable paintings, as carelessly as though stacked in a lumber-room.
    (旧)大理石と壁面を飾ったらせん階段によって導かれた。階段のそこここには、古今の名作と言いうる絵画が、驚くほどむぞうさに立てかけてある。
    (新)そこへ弧を描いて降りる通路は大理石張りで、青しっくいのフレスコ壁にまるで物置の中みたいに雑に重ねてかけた絵の中には正真正銘の名画が何枚もあって、ぎょっとした。
     旧訳、新訳ともに気になるところがあるので、私訳を考えると「ダイニングルームへは、らせん状に下る大理石の通路と青しっくいのフレスコ壁が迎えてくれた。驚いた事に、壁には正真正銘の名画が何枚も飾られていて、しかもがらくた部屋に放り出したかのように無造作に掛けてあった。」という感じだ。

     この文で気になるのはpassages(いくつかの通路)だ。前回には第18章で、四階から二階へと降りる場面を取り上げたが、その時はa corkscrew stair descended under the dome(らせん階段が丸屋根の部屋の下に降りる)と書かれていて、あきらかに階段だった。今度はcorkscrew passages of marbleなので、著者の勘違いでなければ途中でstaircaseからpassageに切り替わっている事になる。大理石なのは晩餐会の会場の豪華さを演出する狙いがあるのだろうが、それとともに壁に掛けられた名画をじっくりと鑑賞しやすいように平坦な通路に切り替えたのかもしれない。

    (原)I saw a sleeping Venus by Correggio, the lost "Sappho" of Rubens; chiefly nudes, in fleshly and languorous lure.
    (旧)コレッジョオの「眠れるヴィーナス」もルーベンスの「サッフォ」もそのなかにあった。ほとんど裸体画で、薄暗がりのなかで見ると、豊麗な官能美が、身内に迫るような圧力をただよわせている。
    (新)コレッジオの『眠るヴィーナス』、ルーベンスの散逸作品『サッポー』まで。大半は裸体画で、肉感的でけだるい魅力にあふれていた。
     名画の紹介だが、コレッジオの方は簡単に分かった。
    Vénus,_Satyre_et_Cupidon_-_Le_Corrège_-_Musée_du_Louvre_Peintures_INV_42_;_MR_163.jpg
    『眠れるヴィーナスとキューピッド、サテュロス』というのが正確なタイトルだ。次のルーベンスの方はいろいろ探ってみたのだが出てこなかった。the lost(失われた)とあるので、そもそもどういう絵であったのかも不明なのかもしれない。Sappho(サッフォ、サッポー)というのは古代ギリシャの女性詩人だそうだ。"Sappho"はともかくとして『眠れるヴィーナス』の方は「大半は裸体画で、肉感的でけだるい魅力にあふれていた(新訳)」という形容が、まさにピッタリだ。コレッジオは16世紀イタリアの盛期ルネサンスを代表する画家、ルーベンスは17世紀フランドルのバロック期の画家だ。美術には詳しくないのでなんとも言えないが、魔術師メイルジャアの(しいては著者カーの)好みを反映した取りそろえのようだ。

    (原)Then through grilled iron gates we entered the dining-room. . . .
    (旧)階段を降りきると、鉄の格子とびらを開いて、ぼくたちは食堂にはいっていったのだった……
    (新)やがて鉄の格子門をくぐり、ダイニングルームへとそろって入室する……。
     grilled iron gatesなので、おそらく両開きの扉だろう。それにしても何故、この通路だけ扉がついているのかは不思議だ。あぁ、そうか通路に無造作に掛けてあるように見えた名画をさすがに夜間もそのままにはしておけないという事か。

     続いて、三階は次のように描写される。
    (原文)[第16章P.206]
     Black! But for the great oval windows of purple-coloured glass, sable velvet draperies swept up to an arch of incredible height. Fully a hundred candles, swinging from the roof in lamps fashioned as fighting dragons of blue porcelain, threw a wild blaze on the white tablecloth, the silver, the service of Sevres china, and the single vase full of scarlet blooms in the centre. Incense-burners in the four corners of the room curled up a thin mist of sandalwood. . . .
    (旧訳)[P.267]
     室内は黒色ずくめである。楕円形の窓々こそ大きく開いているが、むらさき色のガラスが戸外の光線を遮断しているし、途方もなく高いところまで、喪服に似た暗い色のビロードの壁掛けが張りめぐらしてあるので、昼間はかえって薄暗い。それが夜になると、すこし誇張して言えば、百に近いろうそくの火が、天井からたれ下がる青磁の燭台に燃えはじめるので、かつてこの古城のはなやかだったころの豪奢さえしのばれる。燭台のひとつひとつは、二頭の巨龍がたたかいあう形を現している。純白のテーブル掛けにその灯が映えて、銀製やセーブル焼きの食器をきらきらときらめかせている。食卓の中央には、花びんが一個、真紅の花をいっぱいに盛ってすえてあった。部屋の四すみでは、白檀の煙がかおり高く、香炉からうずまきながらのぼっている。
    (新訳)[P.227]
     まっ黒だ! 紫ガラスをはめた楕円窓を別にすると、漆黒のビロードの垂れ布が、途方もない高さのアーチを覆っていた。闘龍群像をかたどった青い磁器の吊り燭台が天井からさがり、ゆうに百本はある蝋燭が、激しく揺れる灯影を純白のテーブルクロスに、銀器に、セーヴル磁器のセットに、真紅の花をあふれんばかりに活けた中央の大花瓶に落としていた。部屋の四隅に香炉を配し、白檀の細い煙が立ちのぼる……。


    (原)Black! But for the great oval windows of purple-coloured glass, sable velvet draperies swept up to an arch of incredible height.
    (旧)室内は黒色ずくめである。楕円形の窓々こそ大きく開いているが、むらさき色のガラスが戸外の光線を遮断しているし、途方もなく高いところまで、喪服に似た暗い色のビロードの壁掛けが張りめぐらしてあるので、昼間はかえって薄暗い。
    (新)まっ黒だ! 紫ガラスをはめた楕円窓を別にすると、漆黒のビロードの垂れ布が、途方もない高さのアーチを覆っていた。
     ついに「眼窩」が現れた! 一、二階の中央広間には、鼻に見立てられた三角窓がはるか上の方に見えたが、三階には、二つの眼窩に見立てられた「紫色のガラスをはめた楕円形の窓」が見える。旧訳はかなりもたついているが、新訳は正確だ。確かに旧訳が言うように紫色のガラスのせいで戸外の光線を遮っているとはいえ、ガラスである限り自然光は入ってくる。しかも唯一の自然光だ。しかし「漆黒のビロードの垂れ布が、途方もない高さのアーチを覆っていた」ので室内は黒ずくめだ、と著者は書いているのだ。

     ここで気になるのは「途方もない高さのアーチ」という部分だ。中央広間は一、二階が吹き抜けになっているので、「はるか上の方」に三角窓があってもおかしくはない。しかし、この三階は一階分の高さに天井があるはずなので、大髑髏の曲面(アーチ)がそんなに高いところまで見えるとは思えない。ひょっとすると、四階の「ガラス張りの丸屋根の部屋」と、それを取り囲んだ「せまい広間」は、中央にかなりこぢんまりとした床面積しかないのかもしれない。すると、三階の正面側にある食卓から見ると、天井はほぼ二階分の高さまであるという事か。少し三階、四階のイメージを再構築しないといけない。

    (原)Fully a hundred candles, swinging from the roof in lamps fashioned as fighting dragons of blue porcelain, threw a wild blaze on the white tablecloth, the silver, the service of Sevres china, and the single vase full of scarlet blooms in the centre.
    (旧)それが夜になると、すこし誇張して言えば、百に近いろうそくの火が、天井からたれ下がる青磁の燭台に燃えはじめるので、かつてこの古城のはなやかだったころの豪奢さえしのばれる。燭台のひとつひとつは、二頭の巨龍がたたかいあう形を現している。純白のテーブル掛けにその灯が映えて、銀製やセーブル焼きの食器をきらきらときらめかせている。食卓の中央には、花びんが一個、真紅の花をいっぱいに盛ってすえてあった。
    (新)闘龍群像をかたどった青い磁器の吊り燭台が天井からさがり、ゆうに百本はある蝋燭が、激しく揺れる灯影を純白のテーブルクロスに、銀器に、セーヴル磁器のセットに、真紅の花をあふれんばかりに活けた中央の大花瓶に落としていた。
     まずblue porcelainは「青磁」ではない。porcelainが磁器なのでそう思いたくなる気持ちは分からないでもないが。次にfighting doragonsが「闘龍群像」というのも解せない。まるで刀剣乱舞みたいな言い回しがあるのかと思ったが、調べた限り出てこない。その代わりにこんな皿が出てきた。
    fighting_dragons_of_blue_porcelain.jpg
    "Chinese Blue & White Fighting Dragons Porcelain Bowls"だそうだ。これを見る限り、旧訳の「二頭の巨龍がたたかいあう」という描写の方が良さそうだ。ただし、青いのは絵柄の色であって磁器そのものの色ではない。旧訳・新訳ともにちょっと違和感があるので自前の訳を考える。
    (私訳)合計百本はあろうかという蝋燭が、争う二頭の龍の絵柄を青色であしらった磁器製の燭台にそれぞれ据え付けられている。いずれの燭台も天井から吊されていて揺れるので、目の前の白いテーブル掛けも、銀のナイフやフォークも、セーブル焼きの食器ひとそろえも、さらにはテーブル中央にポツンと置かれた、真紅の花が山ほど活けてある花瓶も、ゆらゆらと激しくまたたいた。


    (原)Incense-burners in the four corners of the room curled up a thin mist of sandalwood. . . .
    (旧)部屋の四すみでは、白檀の煙がかおり高く、香炉からうずまきながらのぼっている。
    (新)部屋の四隅に香炉を配し、白檀の細い煙が立ちのぼる……。
     新旧どちらも「部屋の四隅」と書いているが、フロア全体の構造がどうなっているのかまったく分からない。らせん状に階段と通路を降りてきて、大髑髏の正面側に降りてきたとしよう。そこに四隅があるような四角形の部屋があると考えるべきなのか。しかし、そうなると背面側にあるはずの階段とどうつながるのか。また、この「部屋」はダイニングルームだとして、背面側には調理室や給仕室があるのだろうか。いや、当然ながらあるはずだ。しかし、まったくと言っていいほど何も書かれていないので、これ以上は推測しようがない。

    (原文)[第16章P.207]
     The hush which usually falls on a dinner ensued when we sat down. I noted that the bule ceramic vase in the middle of the table contained―of all outlandish flowers―poppies. From the corner of my eye I could see, high up, those purple oval windows acquiring a ghastly sheen in the candlelight. A few candles make a table soft with pleasant illumination, but too many, as now, flame with a harsh, nervous, jumpy glare.
    (旧訳)[P.268]
     それでも、ぼくたちは着席して、いちおう静粛な晩餐がはじまった。食卓の中央にすえられた青磁のつぼには、異国風の花――真紅のけしが、かっと燃えている。ろうそくの灯が、楕円形の窓のむらさきガラスに照りかえって、不気味な光を反射している。
    (新訳)[P.228]
     晩餐ではお決まりの静寂の中で一同着席した。ふと気づけば、テーブルの中央で青い磁器の花瓶に活けてあったのは――花もあろうに――阿片ゲシであった。はるか上の視界の隅で、あの楕円形の紫の窓が蝋燭の灯をはじいて不気味な光を放つ。テーブルをほのかに照らす卓上蝋燭はほんの数本だが、人を不安にさせるほど炎が躍り、ぎらつく天井の灯影のせいで明るすぎるほどだ。
     さきほどの段落で出てきた花瓶は「青い陶磁器」だという事が分かる。何故か新旧ともに磁器としている。まあ、陶磁器自体、陶器・磁器の総称なんだけど。他が磁器ばかりだから統一しているのだろうか。活けられた真紅の花はケシ(poppy)だと分かるが、やはりかなり奇妙な選択らしくof all outlandish flowers(変わった花の中でも、あろうことか)と書かれている。新訳の「花もあろうに」とは聞いたことのない言い回しだ。新訳はケシを「阿片ゲシ」だと断定しているが、真紅のケシは阿片ではないのではないか。ここは晩餐会に飾る花としては「かなり変わっている」という意味で「あろうことか」と言っているだけで、普通のケシだと思われる。また、旧訳は「異国風の」としているが、ケシ自体はヨーロッパ東部が原産(ブリタニカ)なので、異国風と言えるかどうか。

    (原)From the corner of my eye I could see, high up, those purple oval windows acquiring a ghastly sheen in the candlelight. A few candles make a table soft with pleasant illumination, but too many, as now, flame with a harsh, nervous, jumpy glare.
    (旧)ろうそくの灯が、楕円形の窓のむらさきガラスに照りかえって、不気味な光を反射している。
    (新)はるか上の視界の隅で、あの楕円形の紫の窓が蝋燭の灯をはじいて不気味な光を放つ。テーブルをほのかに照らす卓上蝋燭はほんの数本だが、人を不安にさせるほど炎が躍り、ぎらつく天井の灯影のせいで明るすぎるほどだ。
     前半は新旧ともに一致していて問題ない。ジェフがテーブルに着いていると「視界の端に」というくらいに高い位置にある楕円形の窓ガラスが、蝋燭の灯りを反射して「不気味な光を放っている」という描写だ。それくらい黒ずくめの室内の中でも、大量の蝋燭が放つ光が怪しげだという場面だ。

     問題は後半で、旧訳はすっとばしているし、新訳は間違っていると思われる。A few candlesはテーブルの上にあるわけではない。何故なら動詞makeが現在形だからだ。
    (私訳)蝋燭が二、三本程度なら、快適な照明でテーブルもさぞ居心地がよいだろうが、こうも蝋燭の炎が多いと、ぎらついた光に落ちつかず、イライラしたり、ビクビクしたりした。

     さて、この後はテーブルに料理が運ばれてきて、まずはケーキには悪趣味にも絞首台をかたどった砂糖菓子がのっかっていたりするのだが、それは髑髏城散策の範疇ではないので、ここでやめておく。とりあえず、ここまでの描写から髑髏城三階平面図を描いたので提示する。それと前回、四階の平面図を提示したが、どうやら三階にある楕円形の窓の位置を考慮する必要が出てきたので描き直した。再度提示する。
    髑髏城三階平面図.jpg 髑髏城四階平面図.jpg
     四階かららせん階段(corkscrew stair)を降りてくると、途中から大理石張りの通路(passages of marble)に変わる。ここは壁が青しっくいのフレスコ壁(blue-plaster fresco)で、そこには名画の数々(remarkable paintings)が無造作に掛けられている。通路の出口には鉄製の格子門(grilled iron gates)がある。通路を降りきると髑髏城正面側に出る。そこがダイニングルーム(the dining room)だ。とんでもない高さに紫色のガラスをはめた楕円形の窓が二つある。天井には二匹の龍が争っている絵柄の磁器でできた燭台がいくつか吊られていて、合計百本以上の蝋燭が取り付けられている。テーブルには9名の事件関係者が着席していて、中央にはケシ(poppies)をあしらった花瓶と、絞首台の砂糖菓子が乗ったケーキが置かれている。部屋の四隅には香炉(incense-burner)が置かれている。

     顧みて四階の平面図を見ておく。変更したのは、中央にあるガラス張りの丸屋根の部屋を取り囲む、せまい広間(narrow hall)の形だ。楕円形にしていたが、中央の部屋よりも一回り大きいだけの円形にした。本当にせまい広間があって、あとは三階に降りる階段が広間をふさいでいる。このようにした理由は、どうやら三階の天井がかなり高く、一、二階の中央広間と同じように吹き抜けになっていると原文から感じられたからだ。それで、一階から四階までを一望できる側面図を描いてみた。
    髑髏城一、二、三、四階側面図.jpg
     都合により、一、二階は正面右側から中央階段の真ん中で切った断面図になっているが、三階、四階はやや立体に見えるように傾けてある。三階の中央に円塔があって、そこから四階のせまい広間(narrow hall)に通じている。さらに中央側にもう一つの円塔があり、その内部がガラス張りの丸屋根の部屋になっているという構造だ。これなら三階はほぼドームの天井近くまで高い空間のダイニングルームとなり、テーブルに着席しているジェフたちからは、楕円形の窓は信じられないくらい高い位置にある事になる。

    おわりに

     これでようやく髑髏城散策を終える事ができた。最初は分からない事だらけだったが、終わってみれば僕なりの髑髏城を描く事ができた。残ったのは(その17)まで続いた悪戦苦闘の文章の山だ。原作主義を貫くために原文・旧訳・新訳の3種類の文章を併記しつづけたのと、基本的には章立てに従って登場人物たちと同じ事を見聞きしてはあれこれと考えていったので、結果としてだいぶ遠回りをした事になった。前に書いた事、主張した事を、次には取り下げ、果てはもう一度振り出しに戻って考え直したりした。だから、僕にとって記念碑的な文章にはなったが、もう一度読み返すのは大変だ。

     それに、文では伝わらないと思い、パワーポイントを駆使して図を書き出してからは、自らのスキルの拙さが身に染みた。なんども描き直すうちに、少しずつコツが掴めてきたと感じる部分もあるので、だったらもう一度描き直したい図もあるし、描くのを断念した図にも再チャレンジしたいという気もしている。なので、この長大な散策文を元にしてガイドブックを書こうと思う。いわば『髑髏城の歩き方』だ。たぶん宣言したからには書くと思うが、次にやりたい事も決まってるので、書かない(書けない)かもしれない。とりあえず宣言だけはして髑髏城から去りたいと思う(了)。

    [付録]
     髑髏城四階「ガラス張りの丸屋根の部屋」の拡大図を載せておく。格調高い図は描けないが、パワポのアイコンをいろいろと組み合わせて、お遊び的に最上階の部屋を再現した。
    髑髏城四階平面図(拡大版).jpg
    posted by アスラン at 03:40 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年05月13日

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その16)

    (今回も、多少ストーリー後半のネタを割ります。犯人を直接示すようなネタバレではないが、前もって知っておくとストーリーの面白さを損なう可能性があるので、未読の方は読まないで下さい。)

    髑髏城一、二階(中央広間〜回廊)(第16章)

     引き続き、髑髏城の大髑髏の内部を散策していく。前回は一階と二階の描写をたどって第16章に続いて第18章にワープしたが、再び第16章に戻る。髑髏城の胸壁で酔いをさましていたジェフ・マールが、回廊の鉄製のドアを通って一階の中央広間に入り、奥にある中央階段を上りだした場面までは詳しく検討した。その次の描写から始める。
    (原文)[第16章P.198]
     I do not know why I shivered, ascending those stairs. I noted again that in daylight the place would be illuminated only by the yellow-glass window constituting the nose, behind which now hung a gigantic cluster of candles hanging from iron chains in the ceiling. The place was too vast, it was too eerie, it too much suggested a ghost with red hair. At the landing, something stirred beside the armour, and I shied.
    (旧訳)[P.254]
     階段を登りながら、またしても理由のわからぬままに、ぼくははげしい恐怖に襲われた。そのとき気づいたことだが、昼間はここに、黄いろいガラス窓からの光線だけをたよりにしているようだ。つまりそれが、正面から古城を見上げたとき、ちょうど髑髏の鼻にあたる部分なのである。夜ともなれば、天井からたれた鉄鎖の端に、ろうそくの房が火をともす。部屋は広大だが、どことなく荒涼として、赤毛の頭髪を乱した。幽霊を連想させた。階段の中途までくると、いまいった甲冑のわきで、なにかの影がうごめいている。思わずぼくは、ぞっとするものを感じた。
    (新訳)[P.218]
     階段を上がりながら、わけもなくぞくりとした。あらためて気づいたのだが、昼間ならば鼻にあたる黄色ガラスの窓から自然光だけなのに、夜間はすぐ内側の天井に、蝋燭をたくさん立てた巨大な燭台が鉄鎖で吊ってある。場所がだだっ広すぎ、薄気味が悪すぎ、赤毛の幽霊をしのばせるものが多すぎる。踊り場の甲冑の影で、何やら動く気配にたじろいだ。
     最初に出てくるthose stairsは、一階の中央広間奥にある大階段だ。

    (原)I noted again that in daylight the place would be illuminated only by the yellow-glass window constituting the nose, behind which now hung a gigantic cluster of candles hanging from iron chains in the ceiling.
    (旧)そのとき気づいたことだが、昼間はここに、黄いろいガラス窓からの光線だけをたよりにしているようだ。つまりそれが、正面から古城を見上げたとき、ちょうど髑髏の鼻にあたる部分なのである。夜ともなれば、天井からたれた鉄鎖の端に、ろうそくの房が火をともす。
    (新)あらためて気づいたのだが、昼間ならば鼻にあたる黄色ガラスの窓から自然光だけなのに、夜間はすぐ内側の天井に、蝋燭をたくさん立てた巨大な燭台が鉄鎖で吊ってある。
     デジャブ感がある記述だ。(その15)で検討した第18章の二階の記述にもまったく同じ事が書かれていた。こちらの記述は、ジェフが最上階(四階)に上がっていく際のもので、前回の記述はそこから降りてきた際のものという事になる。その時の記述は、こうだ。
    (原)sodden masses of wax raised trembling flames on the iron chandelier behind the window of yellow glass which was the death's-head nose. . . .
    (旧)髑髏の鼻にあたるあの黄色ガラスの窓のうしろ、鉄製のシャンデリアの上、ろうそくの火が最後の炎をおののかせていた……
    (新)死者の鼻をかたどった黄色いガラス窓の奥では、鉄製の吊り燭台で溶けた蝋の塊がゆらめく炎をあげている……。
     「天井に鉄鎖で吊り下げられた、巨大な房状の蝋燭」という描写が「鉄製のシャンデリア」に変わっているが、まったく同じものを描写している。しかも「黄色いガラスをはめた、髑髏の鼻に相当する窓」の後ろにあるという位置関係を描写しているところまで同じだ。そして前回、語り手ジェフの視線からだと、窓の奥にシャンデリアがあるのは辻褄が合わないと「お手上げ」状態になっていた。

     今回、まったく同じ描写が出てきた事で(こちらの方が原文では先に出てくるのだが)、ようやく意味が分かってきた。いずれの描写にも「髑髏の鼻に相当する窓」という記述がある。つまり、語り手の視線うんぬんの前に、髑髏の顔面のパーツを説明する際には、髑髏城の外側正面の視線で描かれているのだと思う。だから、鼻に相当する窓の「奥」に天井から吊り下げられたシャンデリア(巨大な房状の蝋燭)があるのだ。これってネイティブの人はちゃんと分かるのかな。それとも日本人も「先(さき)」が前後どちらなのかを文脈から判断しなおすように、文脈で判断してるのだろうか。いずれにしても、旧訳・新訳ともにちゃんと文脈で判断していて、おまけに旧訳は「正面から古城を見上げたとき」という一節を入れて鼻に相当する窓を描いたのち、「天井からたれた鉄鎖の端に…」と言うように内部の描写とを対比しているのは見事な手さばきだ。

     そこで、ここの描写に基づいて、一、二階の断面図を作ってみた。ちょうど正面図の中央階段の真ん中を切断した断面を右側から見た図で、昼間と夜間の二通りに分けた。昼間は鼻に見立てられた黄色いガラス窓からの自然光、夜間は室内から見て窓の手前の天井に吊された巨大な燭台からの光に加えて、二階の回廊に沿って壁に設えた燭台の光が室内を照らす。大階段には二階の回廊の通路と欄干だけが、窓あるいは天井に吊られた大きな燭台の光を遮っている。
    髑髏城二階平面図.jpg 髑髏城一、二階断面図.jpg
     「なかなかよくできた」と独りごちていたら、あれ?変だなと気づいてしまった。髑髏の鼻に相当する黄色ガラスの窓から、一体どれほどの自然光が入るというのか。この窓は実は偽物(ギミック)で、髑髏城のドームが二重構造になっていて、その間にある秘密の通路をはさんで室内から見える偽物の窓と、外から見える本物の窓が同じ位置に作られている。この二重構造の効果で髑髏城の一、二階はきわめて静かだという描写が何度も出てくる。それとともに雷鳴とどろく嵐の夜にも、中央広間では稲光が窓から入ってこないという描写もあったはずだ。ならば、昼間の自然光というのも、かなりの薄明かりに過ぎないようだ。ひょっとして窓が見える程度だったかもしれない。

    (原)At the landing, something stirred beside the armour, and I shied.
    (旧)階段の中途までくると、いまいった甲冑のわきで、なにかの影がうごめいている。思わずぼくは、ぞっとするものを感じた。
    (新)踊り場の甲冑の影で、何やら動く気配にたじろいだ。
     前回にも書いたが、ここのthe langingは踊り場ではなく、大階段がたどり着く二階の床だ。だから新訳は勘違いしている。旧訳はジェフが大階段の中途まで来たら、二階の甲冑のわきになにかが見えるという意味だったら大正解。この「なにかの影」の正体はサリイ・レインで、いなくなったジェフを探しに来た。二人は他の関係者がいる四階へと向かう。

    髑髏城四階(ガラスの丸屋根の部屋)(第16章)

     いよいよ髑髏城の四階を散策する。三階は素通りする。
    (原文)[第16章P.199]
     More flights of steps, past another floor where the dining-room was located, and we emerged in the room which made up the entire crown of the skull. Noise rushed out at us; noise buffeted the ear-drums, swirled you again into that half-sick tensity of waiting. I saw that the roof was of glass in the shape of a dome. That there were carven pillars of ebony soaring to support it. The floor seemed to be of a black-and-gold mosaic in circular patterns of zodiac symbols, but I could not see what symbols because it was strewn with animal-skin rugs―strangely like the hall of Alison's house―and the animal-heads opened white-fanged jaws like an uncanny dead menagerie. People were tripping over them in all directions. Four immense crowns of candles hanging from the roof gave a fiery glow to the mosaic floor, but, even so, the room was not well lighted. I could make out no details; shadow lay everywhere outside the candlelight.
    (旧訳)[P.256]
     階段をぐるぐる回りながら登っていった。食堂に使っている階を越え、どくろの顱頂(ろちょう)にあたる部屋に達した。とたんに、騒音が耳をつんざいた。ぼくたちはしばらく、あまりのけたたましさに茫然として、入口に立ちすくんだ。
     天井は円屋根(ドーム)なりに、ガラスを一面に張りつめてあった。精緻な彫刻を施した黒檀の柱が、それをささえている。黒と金色の寄木細工(モザイク)の床には、牡牛、獅子、蟹、乙女、山羊等々と十二宮のシンボルを浮き上がらせてあるようだが、毛皮の敷物をそこら一面に散らばせてあるので、どれがどのシンボルであるか、はっきりは見定められぬ。アリソン別荘のホールにふしぎなくらい類似していた。毛皮の頭は、それぞれ白いきばをむき出して、檻のなかに野獣の死骸がころがっているところを思わせた。
     人々は、またその上に、ばらばらに散らばっていた。円(まる)天井から、ろうそくの大きな束が四つ、モザイクの床を照らしていた。だが、それだけでは、室内の照明には不充分で、部屋のすみずみまでは光が届かない。ろうそくの灯の輪をはずれたところはどこもみな暗かった。
    (新訳)[P.219]
     さらにいくつも階段を上がり、ダイニングルームの階を素通りして、髑髏の頭頂を独占する広間へ出た。とたんに押し寄せた喧噪が鼓膜を乱打しぐるぐる渦巻く中で、待つ身の緊張が吐き気とともにぶり返した。天井はガラス張りのドーム屋根になっている。その天井を支える黒檀彫りの柱が高くそびえていた。床は黒と金のモザイクで黄道十二宮の円環を描きだしているようだが、ほうぼうに散らした毛皮の敷物にさえぎられてはっきり見えない――アリソン邸で異彩を放つ玄関ホールの敷物と同じく、頭つきの毛皮は油断ならないあの世の傭兵みたいに、がっと口を開けて白い牙をむいている。ほうぼうで、いろんな人がその頭に蹴つまずいていた。天井から途方もなく大きな王冠型の吊り燭台四つがさがり、床のモザイクにまばゆい光を投げかけていたが、室内くまなくとまではいかない。あちこち暗いところがあるせいで、細かい部分はきちんと見えなかった。


    (原)More flights of steps, past another floor where the dining-room was located, and we emerged in the room which made up the entire crown of the skull.
    (旧)階段をぐるぐる回りながら登っていった。食堂に使っている階を越え、どくろの顱頂(ろちょう)にあたる部屋に達した。
    (新)さらにいくつも階段を上がり、ダイニングルームの階を素通りして、髑髏の頭頂を独占する広間へ出た。
     前にも一度検討したが、flightは「(1)踊り場までの一続きの階段 (2)階から階までの一続きの階段」のいずれかを意味する。もし(2)の意味で使っていたら、三階、四階で終わりなのでmore fightsと言っても、たったの2つだ。そうではなく踊り場がある構造の階段ならば倍の4つのなるので「いくつも」と言っても良さそうなのだが、残念ながら、この往きの文章には二階から三階、三階から四階への階段の構造が書かれていない。ただし旧訳は先回りして「ぐるぐる回りながら」などと書いてしまっているが、まだ早い。少なくとも二階から三階へは下が吹き抜けなので「ぐるぐる回りながら上がる」事は不可能だと思う。とにもかくにも二人はthe room which make up the entire crown of skull(髑髏の頭のてっぺんを余すところなく使った部屋)に入る。ただの「部屋」なのに新訳は「広間」と表現しているのは何故だろう。

    (原)I saw that the roof was of glass in the shape of a dome. That there were carven pillars of ebony soaring to support it.
    (旧)天井は円屋根(ドーム)なりに、ガラスを一面に張りつめてあった。精緻な彫刻を施した黒檀の柱が、それをささえている。
    (新)天井はガラス張りのドーム屋根になっている。その天井を支える黒檀彫りの柱が高くそびえていた。
     四階の「部屋」はガラス張りの丸屋根になっている。屋根を支えるためにcarven pillars of ebony(黒檀づくりの彫り柱)がそびえている。旧訳は「精緻な彫刻」としているが、彫りの造作について原作には一切書かれていない。ちなみに、丸屋根のてっぺんがガラス張りになっている事は前の方で確か書かれていたはずだ。探してみると、記者ギャリヴァンと、バンコラン、アルンハイムの二名とを引き合わせるためにジェフがコブレンツで待ち合わせをした際に、モーターボートの運転手フリッツがこんな事を言っていた。
    (原)[第11章P.140] "It is glass. I am told that the very top is occupied by an enormous room with a glass roof like a conservatory.
    (旧)[P.175]「ガラスなんです。ガラス屋根が光っているんです。円塔の頂上は、大きな部屋になっていまして、それが全部、ガラスの屋根なんだそうです。つまり、温室みたいになっているんです。
    (新)[P.155]「あれはガラスなんです。あのてっぺんには温室みたいなガラス屋根の大広間がひとつだけあると聞いております。
     「温室みたい」という形容は、この1箇所だけで他にない。新訳はこの時からan enormous room(大きな部屋)を「大広間」と言っている。これは後で辻褄が合わなくなる。

    (原)The floor seemed to be of a black-and-gold mosaic in circular patterns of zodiac symbols, but I could not see what symbols because it was strewn with animal-skin rugs―
    (旧)黒と金色の寄木細工(モザイク)の床には、牡牛、獅子、蟹、乙女、山羊等々と十二宮のシンボルを浮き上がらせてあるようだが、毛皮の敷物をそこら一面に散らばせてあるので、どれがどのシンボルであるか、はっきりは見定められぬ。
    (新)床は黒と金のモザイクで黄道十二宮の円環を描きだしているようだが、ほうぼうに散らした毛皮の敷物にさえぎられてはっきり見えない――
     zodiacとは黄道十二宮の事で、旧訳では「牡牛、獅子、蟹、…」と星座の名称まで付け加えている。原文にはcircular patterns of zodiac symbolsとあるだけで、問題は円形に配置されている patterns of zodiac symbolsとは何なのかという事になる。通常、各星座には決められたzodiac signがある(ようだ)。あぁ、『ミステリと言う勿れ』で整くんの関わる事件に、星座がかぶらない人たちが出てくるが、あの時の星座の符丁がこれだったか。それでzodiac signとzodiac symbolsとが同じものなのかどうか調べてみたが、よく分からなかった。最初に考えたのは、牡牛座なら「牡牛」、獅子座なら「獅子」というイラストのようなパターンだ。ランダムハウスでもzodiacの「黄道十二宮図」の例として以下の図を載せている。
    zodiac.jpg
     結局、カーの文章だけでは決め手はないが、モザイクで絵を埋め込むのは手間がかかるから、やはりzodiac signが床に描かれていると考えるのが普通なのだろう。せっかくの十二宮図だが、「床に毛皮の敷物が何枚か敷かれているので、どれがどの星座のシンボルなのかがよく見えない」ようだ。

    (原)People were tripping over them in all directions. Four immense crowns of candles hanging from the roof gave a fiery glow to the mosaic floor, but, even so, the room was not well lighted. I could make out no details; shadow lay everywhere outside the candlelight.
    (旧)人々は、またその上に、ばらばらに散らばっていた。円(まる)天井から、ろうそくの大きな束が四つ、モザイクの床を照らしていた。だが、それだけでは、室内の照明には不充分で、部屋のすみずみまでは光が届かない。ろうそくの灯の輪をはずれたところはどこもみな暗かった。
    (新)ほうぼうで、いろんな人がその頭に蹴つまずいていた。天井から途方もなく大きな王冠型の吊り燭台四つがさがり、床のモザイクにまばゆい光を投げかけていたが、室内くまなくとまではいかない。あちこち暗いところがあるせいで、細かい部分はきちんと見えなかった。
     ここは新訳が正確で、旧訳は正確さに欠く。問題は「途方もなく大きな王冠型の吊り燭台四つ」が丸天井からどうぶら下がっているのかという点だ。髑髏のてっぺんはガラス張りだとは言え、大きな燭台を吊り下げる枠があるのか。いや、そもそもガラス張りの丸屋根を黒檀の柱が支えているんだった。直接枠に燭台のような重量のあるものを吊り下げたら、枠が歪んでガラスが割れそうだ。もしかしたら燭台を吊り下げるために梁が渡してあるのかもしれない。

     これ以外にも、ガラスの丸屋根の部屋の描写をかいつまんで紹介する。
    (原)[第16章P.200] Isobel D'Aunay and Levasseur sat on a Turkish ottoman in the middle of the room.
    (旧訳)[P.257]イソベル・ドオネイとルヴァセールが、部屋の中央の、トルコ風長椅子の上に寝そべっていた。
    (新訳)[P.220] 中央のオットマン椅子にイゾベル・ドネイとルヴァスールが一緒に腰かけていた。
     オットマンというと、昨今では足置き用の小さな椅子を指すが、「トルコ風」というと二人ぐらいが腰かけられる背もたれのない長椅子を指すようだ。

    (原文)[第16章P.200]Somebody started to bang the keys of a piano in the shadows;
    (旧訳)[P.257]だれかが片すみの薄暗がりのなかで、ピアノをたたいている。
    (新訳)[P.220]誰かが薄暗がりでピアノの鍵盤をとんでもない調子っぱずれに叩きだした。
     ピアノがある。その周辺に数人が集まってみんなでワイワイ歌を歌う場面も出てくる。めずらしくバンコランまで第一次大戦当時に流行った歌などを歌っている。

    (原文)[第16章P.201]Over in the corner, by a solitary candle which burnt on a lacquer cabinet, I saw von Arnheim standing motionless, his arms folded.
    (旧訳)[P.257]ふと顔をあげると、片すみにある、ラックを塗った飾りだなの上に、ろうそくがひとつぽつんとともっている。その明りに顔を染めながら、フォン・アルンハイム男爵が腕を組んでたたずんでいた。
    (新訳)[P.220]奥の片隅に一本だけ蝋燭をともした漆のキャビネットのそばに、腕組みしたフォン・アルンハイムが彫像のように立っているのが見えた。
     a lacquer cabinet(ラッカーを塗った飾り棚)が部屋の隅にあるようだ。旧訳は「ラック」と訳しているが、ラック(lac)とラッカー(lacquer)は別物。日本の漆は確かにラッカーの一種だし、起源としては日本の方が古いが、おそらくここで使われているlacquerは、1920年代に開発された、ニトロセルロースを溶剤に溶かしたラッカーの事だろう。家具の塗料によく使われたようだ。この部屋にあるものはピアノを含めて、特に中世風の時代がかったものではなさそうなので、普通に「ラッカー」が正解ではないか。新訳のように日本の「漆」にする意味はなさそうだ。

    (原文)[第16章P.201]Standing alone in that yellow pool, against high bookshelves, he was miles removed from the roaring noise;
    (旧訳)[P.258]黄いろい灯火を浴び、高い書だなを背にして、かれひとりだけが、室内の騒音から離れていた。
    (新訳)[P.221]あの黄色い光のただなかで、高い本棚にもたれ、その場の喧噪から何マイルも遠ざかって。
     yellow poolは天井の燭台が放つ蝋燭の炎の色だ。部屋にはhigh bookshelves(いくつかの背の高い書棚)がある。この文のheはフォン・アルンハイムで、彼は部屋の隅にある飾り棚の脇に腕を組んで立ち、本棚を背にしている。

    (原文)[第16章P.201]He tripped over the head of a tiger, paused, examined it gravely, and continued his progress.
    (旧訳)[P.258]虎の頭を踏んづけて、ギクリとして立ち止まったが、足もとをじろりと見ただけで、そのままそのあたりを歩きまわりつづけた。
    (新訳)[P.221]と、虎の頭に足を取られ、立ち止まって、真顔でその頭を見直すと、また歩き出した。
     さきほど出てきた「毛皮の敷物」の少なくとも一枚は、虎の毛皮のようだ。虎の頭につまづいたのはダンスタン卿だ。

    (原文)[第16章P.204]Feeling rather sick, I wandered over to the table where innumerable bottles were stacked.
    (旧訳)[P.263]ふらふらとよろめくような足どりで、食卓に近づいていった。その上には、ありとあらゆる酒のびんが、テーブル狭しとばかり並んでいる。
    (新訳)[P.225]私はひどく気分が悪くなり、酒瓶が林立するテーブルへぶらぶら寄っていった。
     テーブルがある。旧訳は「食卓」と訳しているが、晩餐会自体は三階で執り行われる。この四階の部屋は控えの間にすぎない。だから単に「テーブル」と訳すべきだろう。

     さて、ここまででようやく四階の平面図を提示しよう。
    髑髏城四階平面図.jpg
     サイズ感が分かるように、大髑髏と2本の塔の輪郭だけは記入してある。その内側の楕円形になった部分が四階だ。さらにその中央に真円で描いたのが、髑髏の頭のてっぺんを余すところなく使った部屋(the room which made up the entire crown of the skull)だ。丸屋根はガラス張りだが、平面図なので見えない。また途方もなく大きな王冠型の吊り燭台四つ(Four immense crowns of candles)もあるのだが、これも見えない。部屋の内部には、本棚(bookshelvs)、トルコ風長椅子(ottoman)、ピアノ(piano)、酒瓶がのったテーブル(table)、飾り棚(cabinet)、虎を含む毛皮の敷物(animal-skin rugs)がある。床は黄道十二宮図(zodiac)がモザイクで描かれている。丸屋根を支えるのは、黒檀づくりの柱(carven pillars of ebony)だ。小さな平面図なのでゴチャゴチャしているだけにみえるだろうが、その絢爛さと豪華さを味わいたい方は篠田真由美著『ミステリな建築 建築なミステリ』をぜひ購入して「髑髏城」の章を読んでいただきたい。見事に四階の「サロン」の立体図が再現されている。

     さて、この晩餐会の控えの間と化した部屋(room)以外の部分は、原作ではアルンハイムが事件の真相を披露した後(第18章)に描かれている。前回も引用した部分だが、ここでももう一度引用する。
    (原文)[第18章P.231]
    He paused. The door into the hallway, a tall pointed door, was opening slowly.
    (中略)
    We went out into the narrow hall at the side, where a corkscrew stair descended under the dome;
    (旧訳)[P.298]
    かれはことばを切った。廊下に面したドアが開いたからだ。高い天井まで届くとびらがしずかに開いて、…
    (中略)
     ぼくたちは、せまいホールを通り、らせん階段を降りて、…
    (新訳)[P.253]
     そこで男爵は言葉を切った。通路側のドア、あの先の尖った高いドアがゆっくりと開きかかっている。
    (中略)
     みんなで狭い脇の間へ出ると、らせん階段がそこからドームの下へ降りていた。
     アルンハイムが突然話を中断する。それは「通路に続くドア(the door into the hallway)」が開いたからだ。入ってきたのはバンコランだ。そして彼ら二人と他の人々は階下に降りようとして部屋から出ると「隣のせまい広間(the narrow hall at the side)」に出た。ここでようやく、さきほどのガラス張りの丸屋根の部屋(the room)を新訳が「広間」と訳していた事の是非が問える。この部分の記述から、丸屋根の部屋は広間ではない。広間は隣にあるのだ。ただし、この広間は「せまい(narrow)」と書かれているだけで、その他の描写は一切ない。階下に降りる階段については、初めて「らせん階段(a corkscrew stair)」だという説明が出てくる。これだけ分かれば、髑髏城四階の平面図に描かれた事をすべて説明しつくした事になる。

     次回は髑髏城の三階を散策する。
    posted by アスラン at 03:20 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年05月07日

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その15)

    (今回も、多少ストーリー後半のネタを割ります。犯人を直接示すようなネタバレではないが、前もって知っておくとストーリーの面白さを損なう可能性があるので、未読の方は読まないで下さい。)

    髑髏城2階の回廊(第8章)

     いよいよ、今回から髑髏城の大髑髏を散策していく。長く遠い道のりだったが、これで僕の髑髏城散策も大団円だ。今回で完結するかと思ったが、どうやら無理そうだ。一階と二階の平面図をつくり出したら、いろいろと疑問が出てきた。なんとか答が見つかったと思ったら、今度はそれを図にする方法をあれこれ調べる事になり、何度も描き直していたら、とうてい三階、四階にたどり着かない。髑髏城は、最上階のガラス天井の部屋が四階になると分かっているので、とりあえずは今回は二階までをなめるように散策していく。

     まずは改めて、髑髏城の外観図をもう一度見ておこう。
    髑髏城外観図(3D)-3.jpg
     髑髏城の天守閣たる石造りの大髑髏、それに両脇に「耳」のように建った2本の塔。その前方に回廊があり、正面右にある中庭から階段を上がって回廊の右端にたどり着き、回廊の通路を右から左へと進んで、つきあたりを右に折れると、やがて大髑髏の左手にある木製のドアが現れる。ここが髑髏城に入るための入口(のひとつ)だ。ここから入ると天井が高い広間(high hall)が出てくる。さらにドアから入ったすぐ右手に、大髑髏の正面側の曲面に沿って「弧を描くような形状」の階段が出てきて二階に上がれる。階段を登り切って右側にドアがある。これは正面右側の塔に通じるドアだ。そこから先の塔の内部についてはすでに散策して検討済みだ。今度は階段を登り切った左側に現れる長い回廊(a long gallery)を散策していこう。
    (原文)[第8章P.106]
    We were in a long gallery with a fantastically carved balustrade of rosewood; the side stretching to our left was lost in shadows, but at the right―just at the stairhead―was another door. The big hall was very quiet. The stone sides and roof dimmed the storm to a mere whisper; we were not even halfway up the great height of the stone head.
    (旧訳)[P.127]
     階段の上は、紫檀材に目もあやな精緻な彫刻を施した欄干をめぐらして、長い回廊がつづいていた。左手はやみのなかに沈んでいる。右手にはまた新しいドアが見える。広いホールは、物音ひとつしない静けさだった。荒れ狂う戸外のあらしも、ここまでくれば、厚い城壁と屋根にさえぎられて、気配さえも、うかがえない。これであっとぼくたちは、見上げるような髑髏の塔を、半ばほど、登ってきたことになるのだ……
    (新訳)[P.119]
    外は、見事な紫檀の彫り欄干を巡らした長回廊だ。左手ははるか先の闇の中へ伸びていたが、右手には――階段を上がってすぐ別のドアがあった。静寂に包まれた大広間だ。石造りの側面と屋根にさえぎられ、嵐の音は聞こえるか聞こえないか。それでもまだ、大きな石の頭の最上階まで半分もきていない。
     この場面を取り上げるのは3回目だと思う。だから詳しくは見ていかないが、とにかく一階の広間は二階まで吹き抜けになっているので、弧を描く形状の階段を登り切ると二階の回廊(通路)が左側に伸びていき、手前側は一階を見下ろせる状態なので、当然ながら欄干が必要になる。a fantastically carved balustrade of rosewood(紫檀材に目もあやな精緻な彫刻を施した欄干)というのがそれで、すでにどんな形状なのかも示したと思うが、再度挙げておこう。
    balustrade.JPG
     ここで注意しておきたいのはThe big hall(広いホール)についてだ。Carr Graphic Vol.1の「これより先、ネタバレ領域」の記述(P.145)では、このbig hallが二階にある事になっている。と知ったのは、実はこの散策文を書きだしてからずっと経ってからで、つい最近まで「ネタバレ領域」の頁を読んでない事に気づいていなかった。いやあ、この頁を先にちゃんと読んでいれば「中庭の構造」についてあれほど悩まずに済んだのに。

     で、問題となる「広いホール」だが、二階は回廊や部屋があるだけで「広いホール」が出てくるスペースはない。しかも原文を読めばわかるが、the big hallと定冠詞を付けて書かれている。つまり、もう紹介がすんでいなければおかしいが、二階の描写にはa big hallは出てこない。すでに登場している広間と言えば一階の吹き抜けの広間しかない。つまり、ここの描写は二階の回廊から欄干越しに一階の広間を見渡すと「物音ひとつしない静けさだ」と言っているのだ。これはもちろん、この後に出てくる秘密の通路の謎を解く伏線になっている。

    (原文)[第8章P.106]
     "On the left, Herr Baron," Konrad said, very humbly, "the gallery goes to some rooms formerly occupied by Herr Maleger, and furnished. Another staircase goes up, for there are two floors above this one. The door on the right, however, is the one we want. It leads to one of the towers at the side of the skull, and there is the watchman's body. I―"
    (旧訳)[P.127]
    「男爵閣下!」
     コンラッド警部はかしこまって、丁重慇懃な口調で報告した。
    「回廊の左手は部屋になっておりまして、むかしメイルジャア氏が居室に使っておられました。この奥にも階段がありまして、その上にも部屋があり、そこからまた階段で、上の部屋に通じています。それぞれみな、以前のままの調度が備えつけてあります。
     しかし、わたしがご案内しますのは、右手のドアのほうであります。その先は髑髏の片側の円塔に通じておりますが、そこが例の番人の死体の発見された場所でして、わたしは――」
    (新訳)[P.119]
    「左手に回りますと、男爵閣下」コンラートが思い切り低姿勢で、「回廊から元はマリーガー氏の私室があった家具調度づき数部屋へ出られます。そこから別の階段が上へのびております。この上にまだ二階ぶんございますので。ですが、めざす場所はこちらの右手ドアです。髑髏の両脇の塔の片方に出られ、城番の死体はそちらでございます。それと――」
     この段落も3度目ではないかと思う。重要なのは、暗くて見透せないけれど回廊をずっと左側に進んでいけば、かつて、メイルジャアが使っていた部屋が数部屋(some rooms)出てくるという部分だ。この「数部屋」の描写は、この後には何も出てこないが、数部屋と言うくらいだから少なくとも3部屋はあるという事か。それと構造上、回廊の外側に部屋があるのではないかと想像がつく。Carr Graphicでもそのように描かれているが、回廊の内側は壁で囲まれている。これにはちょっと異論があるのだが、それは後で検討する。

     もう一つ、この長い回廊を突き当たって右に折れた奥はどうなっているのか。
    (原)Another staircase goes up, for there are two floors above this one.
    (旧)この奥にも階段がありまして、その上にも部屋があり、そこからまた階段で、上の部屋に通じています。
    (新)この上にまだ二階ぶんございますので。
     奥には、さっき登ってきた「弧を描いた形状の階段」以外にも別の階段が上に続いていて、さらに二階あると書かれている。つまり大髑髏は4階建てという勘定になる。それにしても、旧訳は単に「上にもう二階ある」ではなく「(三階に)部屋があって、さらに階段が(四階の)部屋に通じている」という、まことに馬鹿丁寧な描写を補足している。分かりやすいんですけどね。でも、書きすぎです。

     ここでコンラッド警部は上階に続く階段の事にしか触れていないけれど、一階から二階に上がる階段も、この回廊の奥の位置にある。それについては、この後、晩餐会の夜の描写で明らかになる。

    髑髏城一階の中央広間(第16章)

     フォン・アルンハイムは髑髏城を捜索した結果から犯人と犯行の一部始終を推理できたとして、関係者と世間に事実を公表するためのお膳立てとして、髑髏城内で晩餐会を開くことにする。晩餐会の夜、髑髏城は入念にライトアップされる。胸壁周辺にはかがり火が焚かれ、室内の燭台には蝋燭一つ一つに火が灯される。語り手ジェフ・マールは、晩餐会の会場である大髑髏の上階から抜け出して、ひとり胸壁の上で酔いを覚ましている。
    (原文)[第16章P.197]
     I stood on the battlements of Castle Skull, hatless in the cool breeze. Directly in the centre of the gallery whose teeth were arches, they has opened doors I had not seen before―doors which were iron, painted grey, and invisible in the light of our electric torches the other evening. But it opened up an unsuspected world, as I had seen when our party arrived here a few minutes before. . . .
    (旧訳)[P.253]
     幻想のとりこになったぼくは、髑髏城の胸壁の上で、肌寒いくらいの風に、頭髪をなぶらせながら立っていた。ここからふり返ると、廊(アーチ)がちょうど髑髏の歯のようなかっこうにみえる。その奥が大広間の中央に当るのだが、そこの鉄のとびらが開いている。以前来たとき、その鉄とびらに気が付かなかったのは、石壁とおなじように灰色に塗ってあるので、懐中電灯の乏しい光ではそれと見分けがつかなかったからだ。しかし、今夜は、いままでとうって変って、こうこうと輝く室内の灯火に、思わぬ世界がそこに顕出しているのである……
    (新訳)[P.217]
     私は帽子もかぶらずに髑髏城の胸壁で夜風にあたって涼んでいた。歯をかたどるアーチが並ぶ回廊の中央に、前には気づかなかった扉が開放されている――灰色に塗装した鉄ドアなので、前夜に持参した懐中時計の光ではわからなかった。が、数分前に一同そろって到着すると、そのドアがそれまで思いもよらなかった世界を目の前に開いてみせた……。
     ここも二度目なので簡単にすまそう。重要なのは次の一文だ。

    (原)Directly in the centre of the gallery whose teeth were arches, they has opened doors I had not seen before―doors which were iron, painted grey, and invisible in the light of our electric torches the other evening.
    (旧)その奥が大広間の中央に当るのだが、そこの鉄のとびらが開いている。以前来たとき、その鉄とびらに気が付かなかったのは、石壁とおなじように灰色に塗ってあるので、懐中電灯の乏しい光ではそれと見分けがつかなかったからだ。
    (新)歯をかたどるアーチが並ぶ回廊の中央に、前には気づかなかった扉が開放されている――灰色に塗装した鉄ドアなので、前夜に持参した懐中時計の光ではわからなかった。
     大髑髏の手前にある回廊の中央には、大髑髏と隣接する側面の壁に鉄製のドアがあり、それが今は開け放たれているという描写だ。

    (原文)[第16章P.198]
    Cressets burned on the battlements around me now. Down at the end I saw duskily the green uniform and black helmet of a policeman. I turned and went back into that central hallway, revealed when the iron doors were open. The hallway with the coloured window and the curved stair, which we had seen the other night, I now knew for only a small side-effect in this house.
    (旧訳)[P.254]
     胸壁の上、ぼくの右と左に、かがり火がめらめらと燃えていた。はるか城壁の下、薄暗くおぼろにかすんでいるあたりには、緑色の制服と黒のヘルメット帽とがうろついている。あれは、警戒に立っている巡査にちがいない。
     ぼくはふり返り、鉄のとびらをくぐって、広間に通じる中央の廊下にはいっていった。先夜、ぼくらはこの廊下を通って、五色のステンドガラスに彩られた、窓とらせん階段とに、怪奇趣味を満喫させられたものであったが、広間に灯がはいった今夜にあっては、けっしてそれは、この古城の舞台装置の中心ではなく、それ以上に人目を引くものが新たに現出したのであった。
    (新訳)[P.218]
     そして今、私が立つこの胸壁にはかがり火がいくつも燃えていた。緑の制服に黒いヘルメットの警官が一人、端っこの薄闇で歩哨をつとめている。私はきびすを返し、あの鉄ドアが開いたときに姿をあらわした中央通路へと向かった。前の夜歩きで目にした多色ガラス窓と弧を描いた階段が付属しているが、今ではこれが城全体からすればほんの添え物にすぎないとわかっていた。
     ここからは詳しく見ていこう。

    (原)I turned and went back into that central hallway, revealed when the iron doors were open.
    (旧)ぼくはふり返り、鉄のとびらをくぐって、広間に通じる中央の廊下にはいっていった。
    (新)私はきびすを返し、あの鉄ドアが開いたときに姿をあらわした中央通路へと向かった。
     胸壁からライン川方面に顔を向けていたジェフは「きびすを返し」て、回廊の中央の鉄製のドアをくぐる。そこにはthat central hallwayがあるので、回廊と大髑髏との間には通路のようなものがあるのかと思い、冒頭に載せた「髑髏城外観図」にはhallway=passage(通路)を付けてみた。ただ、どうやら、このhallwayは一階の広間(high hall)に正面から入った際のエントランス部分を指しているようだ。実際には回廊と大髑髏との間に隙間はない。それが分かるのが次の文だ。
    (原)The hallway with the coloured window and the curved stair, which we had seen the other night,
    (旧)先夜、ぼくらはこの廊下を通って、五色のステンドガラスに彩られた、窓とらせん階段とに、怪奇趣味を満喫させられたものであったが、
    (新)前の夜歩きで目にした多色ガラス窓と弧を描いた階段が付属しているが、
     the hallway(中央通路)には多色のステンドガラスと弧を描いた階段とが備え付けられていると書かれているので、広間の手前側が中央通路と表現されていることになる。

    (原文)[第16章P.198]
     This central hall was large, but severe. At the back was a broad staircase, dividing into two galleries at a landing far up against the wall. Floor and staircase were muffled in thick black carpet. Candles burnt in wall-brackets along the length of the galleries, but here below were no lights. Against the wall at the stairhead stood a suit of black Milanese armour, fifteen century, gilded and inlaid. The candlelight glimmered in the slits of its visor. It leaned on a broadsword and looked at me.
    (旧訳)[P.254]
     中央の廊下は、驚くほどひろびろとしているが、装飾はいたって簡単をきわめていた。正面に、幅の広い階段が見えている。それを登ると、広間に出る。床にも階段にも、黒い絨毯がふかぶかと敷きつめてあった。壁に添って、燭台が張り出している。そこに燃えているろうそくが、この広間のただひとつの照明で、ほかには火のはいるものはなにもない。階段の途中に、十五世紀のミラノの甲冑が一対ならべてある。その眉庇に、ろうそくの火が映えて、キラキラと明るく輝いている……
    (新訳)[P.218]
     この中央通路は広いが簡素なつくりで、奥には大階段があり、はるか上の壁際の踊り場で二手に分かれた回廊へと続いている。床と階段はふかふかの黒い絨毯が足音を消している。回廊の壁にはずらりと蝋燭受けが並んでいるものの、低層階のここまでは照らしきれない。階段を上がったところの壁際に十五世紀のミラノ式金象嵌の黒甲冑一式が立っていた。内部にともした蝋燭の炎が兜の透き穴に揺れ、大剣を杖がわりにしてこちらを見ている。
     この段落で一階の様子がすべて分かるので、特にじっくりと検討していこう。

    (原)This central hall was large, but severe.
    (旧)中央の廊下は、驚くほどひろびろとしているが、装飾はいたって簡単をきわめていた。
    (新)この中央通路は広いが簡素なつくりで、
     前日の捜査では単にhigh hall(吹き抜けのある天井の高い広間)だったが、中央につながる鉄製のドアが開いたことでcentral hall(中央広間)に言い換えられた。ドアをくぐるエントランス部分をhallway(中央広間につながる通路)とも表現されている。

    (原)At the back was a broad staircase, dividing into two galleries at a landing far up against the wall.
    (旧)正面に、幅の広い階段が見えている。それを登ると、広間に出る。
    (新)奥には大階段があり、はるか上の壁際の踊り場で二手に分かれた回廊へと続いている。
     ああ、なるほどね。Carr Graphicで二階に広間がある事になっていたのは、この旧訳の記述のせいだ。ここは「中央広間の奥に大階段があって、壁際のかなり上にある踊り場で、右と左の2方向に回廊が分かれている」という意味だ。宇野さん自身が、例のthe big hallを二階の広間と勘違いしたという事だろうか。

    (原)Floor and staircase were muffled in thick black carpet. Candles burnt in wall-brackets along the length of the galleries, but here below were no lights.
    (旧)床にも階段にも、黒い絨毯がふかぶかと敷きつめてあった。壁に添って、燭台が張り出している。そこに燃えているろうそくが、この広間のただひとつの照明で、ほかには火のはいるものはなにもない。
    (新)床と階段はふかふかの黒い絨毯が足音を消している。回廊の壁にはずらりと蝋燭受けが並んでいるものの、低層階のここまでは照らしきれない。
     「床と階段は黒い絨毯が敷きつめてあり、足音がしない」とあるが、この床(floor)はどこを指しているのだろうか。確か前日に木製のドアをくぐった際には、弧を描いた階段には黒い絨毯が敷かれていたが、床は黒瑪瑙(onyx)が敷かれていたはずだ。二階の回廊の床を指しているようにも見えるが、まだ語り手ジェフは一階の広間から階段を見上げている。という事は、一階の手前半分は黒瑪瑙の床で、奥の階段周辺の床は黒い絨毯が敷かれているという事かもしれない。大階段を上ると、壁際に踊り場が出てくる。そこから壁づたいに燭台が張り出していて蝋燭の灯が階段を照らしている。だが、ジェフが今いる階段を上る手前(here below)には灯がない(から暗い)と描写されている。

    (原)Against the wall at the stairhead stood a suit of black Milanese armour, fifteen century, gilded and inlaid. The candlelight glimmered in the slits of its visor. It leaned on a broadsword and looked at me.
    (旧)階段の途中に、十五世紀のミラノの甲冑が一対ならべてある。その眉庇に、ろうそくの火が映えて、キラキラと明るく輝いている……
    (新)階段を上がったところの壁際に十五世紀のミラノ式金象嵌の黒甲冑一式が立っていた。内部にともした蝋燭の炎が兜の透き穴に揺れ、大剣を杖がわりにしてこちらを見ている。
     結構、惑わされる描写だ。さきほど大階段を上るとlanding(踊り場)が出てきて、そこから左右の回廊に分かれると書かれていたので、当然ながら左右にも階段が出てくる。そこを上りきったところ(stairhead)の壁際に甲冑があるとしたら、甲冑は2体なければならない。ところが、どうやらa suit of black Milanese armour(ミラノ式の甲冑一式)と書かれているので、置かれているのは大階段をあがったlandingに無ければならない。であれば甲冑は一式で足りる。

     それにしてもstairhead(階段の頂上)が踊り場だなんて事はあるだろうか。まあ、うっかりカーの筆がすべったのかなと思っていたのだが、ようやくもうひとつの解決策に気づいた。landingの方が踊り場ではないんだ。ランダムハウス英和大辞典を調べると、「(1)(階段の)踊り場 (2)階段を上りつめた[降りきった]床面」と書かれている。それならば甲冑は一式なのはもちろんの事、他のもろもろの事の辻褄があう。例えば
    (原)At the back was a broad staircase, dividing into two galleries at a landing far up against the wall.
    (私訳)奥に大階段があって、壁際のはるか上の方にある床まで上ると、右手と左手の2方向に回廊が分かれる。
     踊り場から左右に上り階段が出ているとすると、2方向の回廊とはイメージが食い違うなと思っていたのだ。それと踊り場の位置がfar up(はるか上の方)という表現にも違和感があった。踊り場は中二階の位置にあるから、それほど上ではないんじゃないかと思っていたのだが、直接二階に届く大階段であるならば、a landing=a stairheadは「はるか上の方」と表現してもおかしくない。
    (原)Floor and staircase were muffled in thick black carpet. Candles burnt in wall-brackets along the length of the galleries, but here below were no lights.
    (私訳)二階の床も大階段も、足音がしないようにふかふかの黒い絨毯で覆われている。回廊はぐるっと壁に燭台が張りだしていて、蝋燭に火が点いているが、今いる下の方には灯りが届いていない。
     さきほどは一階の床と大階段だと考えたが、ジェフがすでに大階段を途中まで上っていると考えれば、今いる位置から大階段と二階の床の絨毯や、回廊の壁にぐるっと張りだしている燭台などが見えるだろう。その上で、回廊は蝋燭で明るいが、今いる大階段の足もとは灯りが届いてないので暗いと言っていると解釈できる。

     という事で、ようやく髑髏城の一階と二階の平面図を提示できる。
    髑髏城一階平面図.jpg
     まず、髑髏城の一階は二階まで吹き抜けている天井の高い中央広間(central hall)だ。入口は2箇所。鉤型になった回廊(gallery)の左端まで行くと、木製のドア(wooden door)がある。そこから入ると、右手に弧を描くように大髑髏の手前の壁面に沿った階段(curved staircase)があり、二階に上がれる。もう一つの入口は回廊の中央にあり、大髑髏と隣接する方の側面に鉄製のドア(iron door)がある。これを通り抜けると中央広間(central hall)に正面から入る事ができる。その奥には大階段(broad staircase)があり、こちらも二階につながっている。ちなみに、平面図の大階段の両脇の斜線をかけた部分は壁で仕切られていて内部には何も存在しない(上階を支える土台になる)。これ以降の斜線はその意味で用いる。

    髑髏城二階平面図.jpg
     次は髑髏城二階だ。二階は回廊(gallery)がある。あらかじめ断っておくが、髑髏城自体はドーム型になっているので、上階に行くほど面積が狭くなっていく。一階から二階でもそれを考慮すべきだったが、失念して同じ面積で図を書いてしまった。書き直す根気がもうないので、そのつもりで小さめに想像してください。

     これまでに分かった事のみを解説する。弧を描いた階段(curved staircase)が二階にたどり着くと右手には右の塔に入るドア(the door leads to one of the towers)がある。左手には長い回廊(long gallery)があり、髑髏城正面側に紫檀で作られた彫り欄干(carved balustrade of roosewood)が奥まで続いている。回廊の先には、元の持ち主だった魔術師メイルジャアの使っていた居室が数室ある(some rooms)。居室の位置や個数については書かれていないので、回廊の外側に3室用意した。一階から大階段(broad staircase)を上がると、二階の床(landing)につながり、回廊が左右二手に分かれるので、図のように回廊がぐるっと一回りする構造にした。大階段を上がりきったところにミラノ式の甲冑一式(a suit of black Milanese armour)が置かれている。

     補足として?を付けた部分について説明する。まずは右側の2部屋(room?)だ。回廊が一周する部分の構造が左右対称になると思われるので、右側にも回廊の外側に部屋が用意できる。原文には何も書かれていないので僕の妄想だ。それと、二階から三階に上がる階段があると書かれているのだが、どのような構造の階段なのかはまったく書かれていない。なので、これも推測だが大階段の両脇から左右2つの中階段が上につながっていると考えた。

    髑髏城二階(回廊)再び(第18章)

     さきほどの髑髏城二階平面図で解説していない部分が存在する。それは終盤の第18章での記述を元にして考えた。そこについても触れておこう。
    (原文)[第18章P.231]
     We went out into the narrow hall at the side, where a corkscrew stair descended under the dome; we went down another staircase to the gallery overlooking the main hall.
    (中略)
    And at the side of the gallery we paused. All the candles had burnt low, though none had gone out; sodden masses of wax raised trembling flames on the iron chandelier behind the window of yellow glass which was the death's-head nose. . . . The gallery made three sides of a square, with the broad staircase, carpeted in black, in the centre. A draught ran along the candles in the wall-brackets at the back of the staircase. The suit of black Milanese armour seemed to clasp its gauntlets more tightly about its broad-sword; its giltwork shimmered, but it remained impassive. Down in the huge gulf of the hall we saw a procession descending the stairs.
    (旧訳)[P.298]
     ぼくたちは、せまいホールを通り、らせん階段を降りて、階下の大広間を見おろすギャレリイに出た。
    (中略)
     ギャレリイにはいると、バンコランは足をとめた。ここでもろうそくはほとんだ全部燃えつきようとしていたが、まだ消えきってはいなかった、髑髏の鼻にあたるあの黄色ガラスの窓のうしろ、鉄製のシャンデリアの上、ろうそくの火が最後の炎をおののかせていた……ギャレリイの一方は広い階段になっていて、中央には、真っ黒な絨毯が敷きつめてあった。階段を吹き上げる風が、しきりにろうそくの火をゆらめかしている。中世紀の甲冑が、広刃の剣をかたく握りしめているようだった。
    (新訳)[P.253]
     みんなで狭い脇の間へ出ると、らせん階段がそこからドームの下へ降りていた。階段をもう一階分くだり、大広間を見渡す回廊へ出る。
    (中略)
    回廊の端で止まった。燭台の蝋燭はあらかた短くなっていたが、まだ一本も消えていない。死者の鼻をかたどった黄色いガラス窓の奥では、鉄製の吊り燭台で溶けた蝋の塊がゆらめく炎をあげている……。正方形の空間の三辺を形づくる回廊の中央に、黒い絨毯を敷きつめた大階段があった。階段の背後の壁に並んだ蝋燭を、風がなでていく。心なしかミラノ式黒甲冑が、大剣を握る籠手によけい力をこめたようだ。金象嵌は鮮やかだが、やはりまったくの無表情だった。はるか下の大広間から階段をくだる行列が見えた。
     この文章は、髑髏城の最上階(四階)から二階分降りてきて「階下の大広間を見渡す回廊」、つまり髑髏城二階に降りてきた場面だ。ここも数少ない室内の記述なので、じっくりと見ていこう。

    (原)And at the side of the gallery we paused.
    (旧)ギャレリイにはいると、バンコランは足をとめた。
    (新)回廊の端で止まった。
    at the side of the galleryを新旧ともにうまく訳せてないように思う。このあとジェフは、階下の中央広場、というよりも壁面の上の方にある黄色ガラスの窓を見ているので、「回廊の中央広間側で立ち止まった」と解釈すべきだ。

    (原)All the candles had burnt low, though none had gone out; sodden masses of wax raised trembling flames on the iron chandelier behind the window of yellow glass which was the death's-head nose. . . .
    (旧)ここでもろうそくはほとんだ全部燃えつきようとしていたが、まだ消えきってはいなかった、髑髏の鼻にあたるあの黄色ガラスの窓のうしろ、鉄製のシャンデリアの上、ろうそくの火が最後の炎をおののかせていた……
    (新)燭台の蝋燭はあらかた短くなっていたが、まだ一本も消えていない。死者の鼻をかたどった黄色いガラス窓の奥では、鉄製の吊り燭台で溶けた蝋の塊がゆらめく炎をあげている……。
     ここは、正直言って鼻に見立てた窓と鉄製のシャンデリアの位置関係が分からない。中央広間を照らすシャンデリアなので、ほぼ中央寄りの天井に取り付けられていると思うのだが、大髑髏の壁面にある黄色ガラスの窓の後ろ(behind the window of yellow glass)にシャンデリアがあると書かれている。ジェフの視点からの描写だとすると辻褄が合わない。ここだけ髑髏城正面から見た描写になっているのではないかとも考えたのだが、結論は出ない。とりあえず先送りする。

    (原)The gallery made three sides of a square, with the broad staircase, carpeted in black, in the centre.
    (旧)ギャレリイの一方は広い階段になっていて、中央には、真っ黒な絨毯が敷きつめてあった。
    (新)正方形の空間の三辺を形づくる回廊の中央に、黒い絨毯を敷きつめた大階段があった。
     どこに修飾節がかかるか分かりにくい文なので、新旧とも若干ニュアンスに違いがある。僕が直訳すると「四角形の三辺が回廊になっていて、もう一辺には大階段がある。階段は回廊の中心にあって黒い絨毯が敷きつめてある。」という感じだろうか。いずれにしても、ジェフが今いるところは回廊の三辺のうちの髑髏城正面側なのだから、四角形の部分は吹き抜けになっていて二階から見渡せている事になる。さきほど提示した髑髏城二階の平面図で、回廊の内側の側面にも彫り欄干を取り付けたのは、そういう意味だ。この次の文でもthe draught(すきま風)が階段の奥(つまり一階)から吹き上がってきたと書かれているので、吹き抜けになっているのは間違いない。ただし、さらに三階まで吹き抜けになっているかは定かではない。すでに中央広間も二階までの吹き抜けである事が分かっているので、おそらくは階段の吹き抜けも二階までだろう。

     という事で、今回はここまで。さらに髑髏城の三階、四階については次回に散策する。
    posted by アスラン at 11:31 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年04月30日

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その14)

     今回はまたまた寄り道。例の「マイロン・アリソンは、はたして転落したか否か」を考える。

     すでに僕の髑髏城散策では「転落していない」という結論が出ている。旧訳は髑髏城の胸壁、というより髑髏城の回廊の上部の狭間胸壁から城壁(90フィート)の下まで落下している。一方、新訳は、同じく回廊の上部の狭間胸壁から回廊の下すなわち城壁の上に落下している。しかし、原文をよくよく読み込んでいくと、回廊の上部には胸壁はなく、そもそも上部に上がる階段もない。炎に包まれたアリソンは回廊の通路を走りまわる。その光景が、対岸のアリソン邸から回廊の壁面にある尖頭アーチの隙間越しに目撃されたに過ぎない。そして「どこかに落下した」のではなく、その場に倒れた。ただ、髑髏城に向かった執事らが見つけたのが回廊の通路ではなく、髑髏城の胸壁(battlements)である事から、回廊のアーチ型の隙間からよろけて、胸壁、いや厳密には塁(rampert)に転げ落ちたというのが、僕の考えだ。くわしくは(その8)に書いた。

     今回は違うアプローチで検討してみたい。そもそもは「転落した」というのは原文の解釈の問題に過ぎない。では、本国のアメリカあるいはイギリスでは『髑髏城』のアリソン惨殺の場面をどのように取り上げているのだろうか。日本と同じように衝撃的な場面として「転落」というキーワードは現れるだろうか。それを調査してみた。まずは、日本の方から始める。創元推理文庫の旧訳(宇野利泰)と新訳(和爾桃子)の順に引用する。創元推理文庫では裏表紙のあらすじと、表紙をめくった扉のあらすじの2通りがある。どのように使い分けられているのか、明確には分からないが、ウェブなどで紹介されるあらすじは裏表紙の方が使われている。ぱっと見で本に興味を持ってもらうためのあらすじがこちらで、表紙をめくって扉に書かれているあらすじは、もうちょっとツッコんだ内容になっている。文庫を手にした人にさらに興味をもってもらうためのあらすじという事なのだろう。

     まずは旧訳のあらすじを2つ並べて引用する。
    [旧訳]
    (裏表紙のあらすじ)
     ライン河畔にそびえる古城、髑髏城。その城主であった稀代の魔術師、メイルジャアが謎の死を遂げてから十数年。今また現在の城主が火だるまになって城壁から転落するという事件が起きた。この謎に挑むのは、ベルリン警察のフォン・アルンハイム男爵とその宿命のライヴァル、アンリ・バンコラン。独仏二大探偵が真相を巡ってしのぎを削る。

    (扉のあらすじ)
     ローレライで名高い絶景のライン河畔にそそりたつ不気味な髑髏城を、稀代の魔術師メイルジャアが入手して、のぞみどおりの幻想の城に改築した。しかし城の持主はライン川に変死体となって浮び、あとをついだ俳優マイロン・アリソンは全身を火炎につつまれて城壁から転落。あいつぐ惨死事件の真相をさぐるべく、パリの名探偵バンコランとベルリン警察のフォン・アルンハイム男爵とのあいだに、しのぎをけずる捜査争いが展開する! 本格派の巨匠カーが、魔術の世界を背景に、怪奇と不可能犯罪を描いた初期の代表的傑作。
     前から思っているのだが、このあらすじの文責者は誰なのだろう。翻訳者なのか出版社なのか。文面を見る限り、「火だるま」だとか「しのぎを削る」「しのぎをけずる」(統一されていない!)など、多少時代がかった表現は宇野調と言えない事もない。気になったのは「謎の死を遂げてから十数年」という記述。これは、この後検討するあらすじに頻出する「17年前」というキーワードと比べると正確さに欠ける。「十数年」で17年を思い浮かべる人はいないだろう。

     それはともかく、重要なのは「現在の城主が火だるまになって城壁から転落する」あるいは「マイロン・アリソンは全身を火炎につつまれて城壁から転落」という記述だ。90フィート(27.4m)もある城壁から下に落ちたというのだから豪快だ。ただし、この髑髏城散策ですでに見てきたように、宇野さんは城壁や胸壁などを取り違えたり、あまり区別していないので、この「城壁」は回廊の上部にある(と思い込んでいる)狭間胸壁である可能性がある。というのも、その後のストーリーでアリソンの死体が城壁の上にある事は自明だからだ。その意味では、旧訳出版当時(1959年)の出版社の校閲がきちんと機能していなかったと思われる。

     次は新訳のあらすじだ。新訳は2015年に出版されている。
    [新訳]
    (裏表紙のあらすじ)
     ドイツ・ライン河畔に聳える奇城髑髏城=B城の持ち主であった稀代の魔術師マリーガーが、走行中の列車内から身を投げてから十七年が経った。そして今、城を継いだ男が火だるまになって胸壁から転落、凄絶な最期を迎える。魔術師の遺産を共同相続していた富豪から依頼を受けて、予審判事アンリ・バンコランは死の影が漂う城へと捜査に赴く。そこで彼は、ベルリン警察の主任捜査官にして好敵手フォン・アルンハイム男爵と邂逅を果たす――。古城を舞台に火花を散らす仏独二大名探偵の推理、新訳決定版。

    (扉のあらすじ)
     巨大な石造の頭蓋骨にぽっかり開いた眼窩、歯を模した狭間胸壁、両脇には双塔の耳。ライン河畔に聳える奇怪な髑髏城の胸壁から、ある夜、炎に包まれて落下したのは、対岸に別荘を構える著名な俳優アリソンだった。十七年前には、城の元所有者でアリソンの友人でもあった魔術師マリーガーが走行中の列車から忽然と姿を消し、数日後、死体で発見される事件も起きていた。関係者の依頼を受けて現地に乗り込んだアンリ・バンコランと、ベルリン警察のフォン・アルンハイム男爵、仏独の名探偵が事件解決に火花を散らす。バンコラン・シリーズ第三作。
     さすがに「十七年」はちゃんと押さえてある。旧訳との大きな違いを見ていくと、旧訳は「怪奇と不可能犯罪を描いた」と書いている割には「不可能犯罪」が目立たない。新訳では「マリーガーが走行中の列車から忽然と姿を消し、数日後、死体で発見される」と書かれていて、マジックのような不可能犯罪を際立たせている。また、扉のあらすじの方は、髑髏城の外見をきちんと描写しているのが意欲的で好感がもてる。ただし「歯を模した狭間胸壁」と書いてしまった事の是非は問われるだろう。せめて「三角形の鼻」について書いた方が良かったのではないか。

     ちょっと回り道をしすぎた。大事なのはもちろん「城を継いだ男が火だるまになって胸壁から転落」と「奇怪な髑髏城の胸壁から、ある夜、炎に包まれて落下したのは…」の部分だ。こちらはちゃんと胸壁と書いている。ただし城壁の上部が胸壁になっていてそこから「落下」したとすると、結局は旧訳と同じ事になる。そして回廊の上部にある(あると思い込んでいる)狭間胸壁から落下したとなると、髑髏城の城壁(の上部)に落ちた事になる。こちらは旧訳の豪快さには見劣りするが、回廊の高さ(2〜3メートル?)だけ落下した事になる。いずれにしても、日本のカー愛好家の間で『髑髏城』の名シーンと言えば、「髑髏城で火だるまになった男が落下して死ぬ」というド派手で壮絶な目撃シーンという事になる。

     それでは本国アメリカの出版物ではどのようなあらすじになっている(いた)のか。それらを以下にたどっていくことにしよう。それらはもちろん英文なので、私訳を併記する(拙い英文なので大ポカをかましているかもしれないが、ご容赦を)。

     まずは、現在、ネットでも購入できる最新のCastle Skullだ。出版社はBritish Library Publishing。大英図書館の出版事業らしい。ちょっとビックリだ。British Library Crime Classicsという古典ミステリを選りすぐって出版するシリーズがあるようだ。
    Castle Skull (British Library Crime Classics).jpg
    [British Library Crime Classics(2019年に出版)のあらすじ]
    'That is the case. Alison has been murdered. But his blazing body was seen running about the battlements of Castle Skull.' And so a dark shadow looms over the Rhineland where Inspector Henri Bencolin and his accomplice Jeff Marle have arrived from Paris. Entreated by the Belgian financier D'Aunay to investigate the gruesome and grimly theatrical death of actor Myron Alison, the pair find themselves at the imposing hilltop fortress Schloss Schädel, in which a small group of suspects are still assembled. As thunder rolls in the distance, Bencolin and Marle enter a world steeped in macabre legends of murder and magic to catch the killer still walking the maze-like passages and towers of the keep. This new edition of John Dickson Carr's spirited and deeply atmospheric whodunit also features the rare Inspector Bencolin short story 'The Fourth Suspect.'

    (私訳)
    「それこそがまさに事件なんだ。アリソンは殺されてしまった。だが、彼の体が、炎に包まれながら髑髏城の胸壁あたりを駆け抜けた場面が目撃されているんだ」
     そうした暗い影がドイツ・ライン地方をおおっているところに、アンリ・バンコラン警部とその友人ジェフ・マールがパリから到着した。二人はベルギーの資産家ドオネイから、俳優マイロン・アリソンが何故あのように身の毛もよだつような、ひどく芝居がかった殺され方をしたのかを調べてほしいと懇願され、丘の上の、人目を引く城塞「髑髏城」へと赴く。そこには今なお容疑者たちが足止めされている。遠雷が鳴りひびく中、バンコランとマールは殺戮と魔術からなる恐怖の伝説に満ちた世界に入り込み、迷路のような通路と天守閣とを闊歩する殺人鬼を捕まえようともくろむ。
     異常な高揚感と重苦しい雰囲気に満ちたジョン・ディクスン・カーの本格ミステリを新版でお届けするにあたって、バンコラン警部が活躍する貴重な短編「第四の容疑者」も同時掲載する。
     冒頭の引用は、ドオネイがバンコランに捜査を依頼しようと、アリソンの殺され方がどれほど異常だったかを説明している言葉だ。日本の翻訳のあらすじと違って「転落」「落下」という描写はない。それよりも「炎に包まれながら…駆け抜けた」という部分が、なにより向こうの人を惹きつける描写のようだ。それと、やはり重要なのは、恐怖の源泉となっている殺人と魔術が醸し出す雰囲気が特に強調されている点だろう。

     次に、British Library Publishingの新版を紹介するサイトの紹介文を3件取り上げる。最初はPostScript Books。イギリスのオンライン書店で、ディスカウントが当たり前なのでブックオフのようなサイトかもしれない。
    [PostScript Booksの紹介文]
    A Rhineland Mystery
    Intro. Martin Edwards, John Dickson Carr

    In a Gothic fortress steeped in dark Rhineland legend, an actor plunges to his death from the battlements and, in a sealed room, the great magician Maleger is murdered within his own castle. This 1927 novel by John Dickson Carr (1906–1977) introduces inspector Henri Bencolin and his friend Jeff Marle. This edition includes a Bencolin short story, The Fourth Suspect.

    (私訳)
    ドイツ・ライン地方を舞台としたミステリ
     序文 マーティン・エドワーズ、著者 ジョン・ディクスン・カー

     ライン地方に伝わる暗黒の伝説につつまれたゴシック様式の城塞で、一人の俳優が胸壁から落ちて死ぬ。一方、偉大な魔術師メイルジャアは、自身が所有する城の中で密室状況で殺される。本書は1927年にジョン・ディクスン・カー(1906〜1977年)が生み出した小説であり、アンリ・バンコラン警部と友人ジェフ・マールが登場する。新版ではバンコランの活躍する短編『第四の容疑者』を含む。
     おお、plunges to his deathと書かれている。この成句は「飛びおりて死ぬ、落ちて死ぬ、墜落死する」などの意味があるので、自殺・他殺・事故いずれの表現にもなり得るようだ。『髑髏城』の内容から言って自殺ではなく事故(火をつけられた事が原因の事故)のように訳した。やはり「転落」しているのかぁ。と思ったが、この紹介文、結構いい加減だ。例えば、メイルジャアは列車から忽然と姿を消していて、他の客や乗務員の目をすりぬけて失踪した事が密室の状況と言えない事もない。だが、その後、ライン川で死体が発見されるのであって、決して髑髏城内で殺されたわけではない。また1931年初版の作品なのに1927年になっている。となると「落ちて死ぬ」も鵜呑みにしていいのか疑わしい。そもそも原文のfallが「落ちたのか、倒れたのか」は文脈に依る。もちろんネイティブでも文脈で判断しているはずだ。この文面のいい加減さからすると、ざっと斜め読みして書いたのではないだろうか。

     2番目の紹介文は、Publishers Weeklyだ。アメリカの本の出版に関する情報誌で、購読者は出版社、司書、書店などを対象としている。言わばプロ向けの情報誌だ。こちらの紹介文は期待できそうだ。
    [Publishers Weeklyの紹介文]
    First published in 1931, this excellent whodunit from Carr (1906–1977) makes the most of its creepy setting. French investigating magistrate Henri Bencolin and his Watson, Jeff Marle, travel to the Rhine at the request of Jérôme D’Aunay, a Belgian financier, following the murder of English actor Myron Alison, who was shot and set on fire at Castle Skull, D’Aunay’s home on the Rhine. Witnesses saw Alison running around the battlements before he collapsed. Alison’s own home was across the river from the castle, which once belonged to a legendary magician, Maleger, who was in business with Alison and D’Aunay. Seventeen years earlier, Maleger’s body was recovered from the Rhine shortly after he disappeared from a train car that was under constant observation. Carr’s gift for evoking atmosphere is very much in evidence: the castle’s facade “resembles a giant death’s head, with eyes, nose, and ragged jaw. But there are two towers, one on each side of the skull, which are rather like huge ears; so that the devilish thing, while it smiles, seems also to be listening.” Golden age fans will hope that the British Library Crime Classics series continues to make more from Carr available.

    (私訳)
     カー(1906〜1977年)が1931年に出版した本格ミステリの傑作である本書は、忌まわしい舞台を効果的に活用している。フランスの予審判事アンリ・バンコランと、ワトソンのような相棒ジェフ・マールは、ベルギーの資産家ジェローム・ドオネイの要請でライン川を下ってくる。英国の俳優マイロン・アリソンが、ライン河畔に建っているドオネイ所有の髑髏城で銃撃され、火をつけられて殺されたからだ。目撃証言によると、アリソンは胸壁周辺を走った後に倒れたと言う。アリソン自身の住まいは城の対岸にある。かつて髑髏城は伝説の魔術師メイルジャアが所有していて、アリソンとドオネイの二人とは仕事上の付き合いがあった。17年前にメイルジャアが衆人環視の状況で列車から姿を消し、まもなくライン川から彼の死体が発見された。情景を生き生きと描き出すカーの才能は顕著だ。例えば、髑髏城の正面は「まるで大きな頭蓋骨のようで、目も鼻も、ギザギザした歯や顎まであった。ところがその上に2本の塔まであり、髑髏の両脇に一本ずつ建っていて、どちらかと言えば巨大な耳に見える。そのせいでおぞましきものが嘲笑いながら聞き耳を立てているようにも見える。」と書かれている。 ミステリ黄金期のファンならば、ブリティッシュ・ライブラリ社のクライム・クラシックシリーズが今後もカーの小説を続けて出版してほしいと思うだろう。
     文句のつけようがない文章だ。髑髏城の内容を簡潔にまとめている。1931年に最初に出版したという点も正確だ。「17年前」というキーワードも忘れていない。アリソンの死の描写は、やはり何よりも「火をつけられて殺された」という部分にある。それ以外には「胸壁周辺を走った後に倒れた」とだけ書かれている。before he collapsedなので「倒れる、崩れ落ちる」という意味であって「落ちる」とは考えにくい。髑髏城の描写も、小説全体で唯一「耳」の形状について触れた一文を引用していて、作品の勘所を押さえているように感じられる。

     最後の紹介文は、Goodreadsだ。Goodreadsは書籍情報や注釈、批評を閲覧できるウェブサイトで、あらすじだけでなく、プロや一般の読者による批評・感想などが掲載されている。まずは以下の文を読んでほしい。
    930184.jpg
    [Goodreadsの紹介文]
    A witches' brew ... in a castle on the Rhine.
    Three inexplicable murders lead world-famous sleuth Bencolin into a strange case of twisted revenge. It was a case complicated by ghosts, old legends, werewolves, magic ... and by a fascinating list of suspects: a mad duchess, an actor with a Hamlet complex, a virtuoso who likes to play his violin in the dark, a glamorous young lady who paints in the modern manner, a dynamic Belgian financier and his beautiful, weak-willed wife, and a newspaperman whose job is to report on Europe's haunted castles. Here is a sizzling witches' brew of murder and mayhem, seasoned with the typical Carr wit, and served up in an eerie Gothic setting.

    (私訳)
    ライン河畔に建つ城で、魔女のビールを…。
     3件の不可解な殺人が、世界的名声を恣にする探偵バンコランをして、ねじれた復讐劇へと誘(いざな)っていく。それは幽霊、古(いにしえ)の伝説、狼男、魔術などが複雑に絡み合い、さらには魅力的な容疑者たちもが絡み合った事件だった。容疑者は、向こう見ずな公爵夫人、ハムレット・コンプレックスを病む俳優、暗闇でバイオリンを弾きたがる名演奏家、現代風の絵を描く魅力的な若き女性画家、精力的なベルギーの資産家と美しくもか弱き妻、幽霊伝説が伝わるヨーロッパの城を訪ねては記事を書くのが仕事の新聞記者、という顔ぶれだ。本書では、殺人と暴力を醸造してできあがった、焼け付くような魔女のビールが、お決まりのカーのウィットで味付けされ、陰鬱なゴシック風の食卓にて振る舞われる。
     なんというか紋切り型の煽り文句を並べ立てているような、まさしく「盛った」文章だ。殺人が3件起こる事が強調されているが、番人の殺害まで他の2件と一律に扱うのは「看板に偽りあり」という気がする。「狼男」なんて出てきたかなぁと眉につばをつけたい気分になったが、そういえば第4章の章題が"For Fear of the Werewolf―"なのを思い出した。「おおかみ憑きの恐怖(旧訳)」「狼男出現という気が―(新訳)」とあるが「狼男でもでてきそうで怖い」という意味だろう。新訳はちょっと中途半端な訳し方だ。旧訳の方が分かりやすいが、「おおかみ憑き」という表現が今や古くさくて伝わらないかもしれない。そもそも非常にもったいぶった章題なのは確かで、著者カー自身も話を「盛った」ような感じだ。

     第4章を読めばわかるが、アリソン邸の客人で音楽家のルヴァセールがアリソンに「何故髑髏城を見せてくれない」と迫る場面で、今夜は髑髏城でパーティを開きましょうと提案して、I feel sure we should see a werewolf(狼男が出たっておかしくない)という一言が出てくるだけなのだ。旧訳は「運よく、おおかみ憑きでも現われてくれれば、こんな愉快な見ものはまたとありませんぞ」と原文以上に盛っているが、ルヴァセールの言いたい事は言い当てている。新訳は「幽霊出現、狼男出現が必至という気がいたします」と訳していて、なるほどタイトルが中途半端なのも納得できる。直訳しただけでルヴァセールの気持ちがまったく伝わってこない。

     それにしても、こんなに「盛った」紹介文を誰が考え出したのだろう。画像が古いペーパーバックの表紙だったので、このペーパバックに書かれたあらすじの可能性も考えたが、そうでもなさそうだ。というのも、ちょっと調べた限りではCastle Skullの古い版には、この紹介文が軒並み掲載されているからだ。Goodreadsがひねり出した文章というわけでもないようだが、肝心な事は何一つ書かれていない。

     もう少しまともなあらすじをないものかと探したところ、手もとにあるPocket Booksのペーパーバック(1947年に出版された新版)と、INTERNET ARCHIVEで閲覧できるZebra Booksのペーパーバック(1957年に出版された新版)のあらすじが入手できた。順を追って見ていこう。
    CIMG8234.JPG
    [Pocket Books(1947年出版)の裏表紙のあらすじ]
    The Corpse Danced
    Myron Alison had been an idol of the stage, famous for his amorous conquests and his flair for the dramatic. But he exceeded himself the night he flared to his death in flaming kerosene, with three bullet holes in his chest. The stage for his final act was a castle built in the shape of a death's-head, high on a bluff over the Rhine. When Alison danced his grisly way to doom, he touched off an investigation which revealed the secrets of Castle Skull, reopened the mystery of its late owner, the magician Maleger, unearthed the affairs of Alison's dubious assortment of house-guests, and matched the great French detective, Benclin, against an old enemy.
     Following the clues provided by a pair of muddy shoes, an illicit love affair, and a body that hung in chains, Bencolin led a chase which ended in one of the most terrifyingly eerie climaxes in his weird career.

    (私訳)
    死体は踊る
     マイロン・アリソンは、かつては人気の舞台俳優だった。異性から熱烈な愛情を勝ち取り、芝居の才能に秀でていると評判だった。しかし事件当夜、アリソンは限界を超えてしまった。胸に三発の銃弾をうけ、石油で火をつけられて焼け死んだ。彼の役者としての最後の舞台は、頭蓋骨の形をしてライン川の断崖に高くそびえる城だった。アリソンがおぞましい姿で踊った挙げ句に死んでいった事がきっかけで、捜査が始まる。髑髏城の秘密が暴かれ、髑髏城の元の持ち主である魔術師メイルジャアの謎が再び取り沙汰され、アリソン邸にそろった胡散臭い客たちのスキャンダルが白日の下にさらされ、偉大なるフランスの探偵バンコランと、古くからの仇敵とが相まみえる。
     一組の泥だらけの靴、許されぬ情事、鎖で吊された死体、各々が指し示す手がかりに従ってバンコランは捜査を続けるが、これまで扱った奇怪な事件と比べてもとりわけ陰惨な結末を迎える事になる。
     ペーパーバックらしい煽り文句が並んでいる。かつては才能にあふれ、女性と浮き名を流す事も多かった人気俳優の悲惨な末路という切り取り方が、いかにも大衆向けのゴシップ記事を思わせる。「灯油で火をつけられた俳優が火だるまで踊り、そして死ぬ」。原作にはアリソンの死をdance(踊る)と形容する記述は一切無いにもかかわらず、舞台俳優の最後を死のダンスに見立てている点が重要だ。「転落」「落下」の表現はやはり出てこない。また、メイルジャアの死が密室のような不可能犯罪であるという点は、ペーパーバックとしてはポイントが高くないのか、単なる「謎」という言葉で済まされている。

    castle_skull.jpg
    [Zebra Books(1959年出版)の裏表紙のあらすじ]
    FLAMES OF DEATH
    The burning body of actor Myron Alison performed a sparkling danse macabre on the castle battlement before plunging to the earth below in a final blaze of glory. Had the legendary magician Maleger―dead for seventeen years―matched his greatest trick of all from beyond the grave?
    ENTER HENRI BENCOLIN
    The hand might be quicker than the eye, but ghost stories didn't hoodwink world-famous Henri Bencolin, head of the Paris Police. To Bencolin, phantoms in old castles were figments of overactive imaginations. A very real murderer was afoot in Castle Skull, and it was up to Europe's foremost law enforcer to smoke out the deadly firebrand before he struck again.

    (私訳)
    死の炎
     燃え上がったマイロン・アリソンの体は、髑髏城の胸壁の上で異常な活気を帯びながら「死の舞踏」を繰り広げ、人生最後の「輝かしき栄光」に包まれながら地面へと倒れ込んだ。17年前に亡くなった伝説の魔術師メイルジャアが、墓の下から自身最大のトリックを仕掛けたとでも言うのだろうか。
    アンリ・バンコラン登場
     魔術師の手は人の目を欺くというが、幽霊話ごときで、パリ警察の英雄にして世界的に著名なアンリ・バンコランの目を欺く事はできなかった。バンコランにとって古城の怪人などは馬鹿げた作り話にすぎない。髑髏城には、二本の足で歩く生身の殺人鬼がいた。いまや見過ごす事のできない火種を収めるのは、ヨーロッパ随一の法の執行者の手腕にかかってきた。そしてまたもや彼は真相にたどり着くのだった。
     ある意味、とてもバランスのとれたあらすじになっている。アリソンが「炎に包まれた」事、「死の舞踏」を演じた事、「地面へと倒れ込んだ」事、これらがかつての人気舞台俳優が人生最後に演じた「輝かしい舞台」であるという、残酷で皮肉な結末。このあらすじを読むと、誇大広告とまでは言わないが、二十代のカーが充分に生かし切れなかったモチーフがあたかも作品に実現されているかのように感じられる。

     このあらすじの最大のポイントはplunging to the earth belowをどう考えるかだ。例のPostScript Booksの紹介文に出てきたplunges to his death(飛びおりて死ぬ、落ちて死ぬ、墜落死する)と似ているが、胸壁と地面との位置関係でplungeの日本語訳が変わってしまう。ネイティブの人たちは原文を見て、果たして「落ちる」「倒れる」のどちらを思い浮かべるのだろうか。僕としては「倒れ込む」を選択したいが、難しいところだ。

     いずれにしても、これまで見てきたように、出版社や批評サイトが用意したあらすじ、紹介文では「胸壁から落下する」という記述は少なく、「火だるまになった胸壁で踊る」という記述に重心が置かれている。「落下」が重視されていないのか、それとも「落下」自体が原文にはない事なのかは今ひとつ区別がつかない。さらに別のアプローチとして、ミステリファンは『髑髏城』をどう読んだのかをチェックしてみた。

    [Tipping My Fedora(ミステリファンのブログ)]
    Henri Bencolin visits the Rhine in his third novel, and appropriately enough there are a trio of killings to solve: the impossible attack on a magician in a train carriage under constant supervision, apparently thrown out by an unseen assailant; the burning of an old Shakespearean actor on the battlements of the eponymous castle; and the shooting and chaining up of the castle’s watchman in one of its dungeons. Bencolin is hired in a private capacity and squares off against two local policemen – who will find the solution first?
    (中略)
    The plot includes several secret passages in and around the castle but Carr never cheats in terms of his plot, which is great fun in its Gothic way. Seventeen years earlier a famous magician, who owned the skeletal castle, was thrown off a train where no one could apparently get to him. Now, so many years later, one of his heirs, an actor, has been shot and burned to death and the rest of his family and friends, who live in the large house across the river, are suspects. Bencolin is hired by the other heir to the magician’s estate to get to the bottom of the mystery. The atmosphere of horror is very thick and perhaps a bit overdone but there is much to enjoy here as we follow the duelling detectives sift through the clues and reach bizarre but entertaining and very unexpected solutions (yes, Carr_Castle-Skull there is more than one).

    (私訳)
     アンリ・バンコランは三作目にしてライン川を訪れる。3件の殺人を解き明かさねばならないというのも、彼にとって不足はないところだろう。列車に乗った魔術師が衆人環視の中、あり得ないにもかかわらず何者から危害を加えられ、車外へと投げ出された事が明らかになる。また、かつてのシェークスピア俳優が、本の題名の由来となる城の胸壁の上で焼き殺される。最後に、城の番人が銃殺され、天守閣の一つに鎖で吊される。バンコランは私立探偵として雇われ、地元の警察官二人と競う事になる。どちらが先に真相にたどり着けるか。
    (中略)
     本書の企みとして、髑髏城の内部や周辺に秘密の通路が用意されている。ただ、カー自身は企んだだけで、読者をだまそうとしているわけではない。こういった筋立てはゴシック文学としてはとても楽しいものだ。17年前に、髑髏城を所有する有名な魔術師が、列車の中で誰とも顔を合わせる事無く車外へと投げ出された。それから17年という長い年月を経て、彼の遺産相続人の一人である俳優が銃で撃たれ、炎に焼かれて死んだ。残された俳優の家族と友人たちはライン川対岸の邸宅に足止めされる。彼らが俳優殺しの容疑者だ。バンコランは、魔術師の地所を受け継いだ別の相続人から雇われ、殺人事件の真相を突き止める事になる。作品全体に漂う恐怖感が半端ない。いや、ちょっとやり過ぎかもしれない。でも、つばぜり合いを続ける二人の探偵に付き従って、二人が手がかりを篩にかけ、奇怪ではあるが楽しくてとびきり意外な真相にたどり着くのを見届けた時には、この上ない喜びが待ち受けているのだ。

     さすがにミステリファンだけあって、作品をよく読み込んだ上で詳細に感想が書かれている。『髑髏城』の面白さがゴシック調の怪奇趣味と、不可能犯罪との2つにある事をちゃんと押さえている。そんなコアなファンの文章でも、アリソンの死を「城の胸壁の上で焼き殺される」「銃で撃たれ、炎に焼かれて死んだ」とだけ書かれていて、「落下」の記述がないのがわかる。

    [The Green Capsule(密室ミステリのファンブログ)]
    The story finds Bencolin and ever-present narrator Jeff Marle lured to Germany with the promise of a baffling mystery, retold by a wealthy investor: From across the banks of the Rhine, the occupants of a mansion witness a horrific act. A man flails about burning on the ramparts of Castle Skull before collapsing, dead from his burns and three gun shots. Witnesses report that shortly after the murder, a motor boat was heard crossing the river, returning to the mansion from the castle. This suggests that the killer returned to the house and is amongst the inhabitants. The plot follows two threads of investigation, as Bencolin interviews the potential suspects and investigates the maze-like confines of the castle.

    (私訳)
     あらすじはこうだ。バンコランとおなじみの語り手ジェフ・マールは、富豪の投資家から手を変え品を変え「不可解な謎である事、請け合いだ」と口説かれて、ドイツまでまんまと誘い出される。ライン川の対岸にある邸宅の住人が、恐ろしい出来事を目撃する。一人の男が髑髏城の胸壁の上で、炎に包まれながらよろめくように歩いて、遂に倒れる。男はやけどと3発の銃弾によって死ぬ。証言によれば、殺人が起きてまもなく、モーターボートが川を渡り、城から邸宅へと戻る音が聞こえたようだ。この証言が物語るのは、犯人が邸宅に戻った事、すなわち住人の一人に違いないという事だ。物語は二人の探偵による二通りの捜査をたどっていくが、バンコランは容疑者とおぼしき人間から話を聞き、髑髏城の迷路のような内部を捜索する。
     ブログのタイトルからカーの愛好家である事は一目瞭然だ(カーの『緑のカプセルの謎』に由来すると思われる)。そんなゴリゴリのファンも「一人の男が髑髏城の胸壁の上で、炎に包まれながらよろめくように歩いて、遂に倒れる」と書いている。特にbefore collapsingという表現は、前に取り上げたPublishers Weeklyの紹介文のbefore he collapsedとまったく同じなので、影響をうけているのかもしれない。読者の率直な感想としては、「落下した」というよりも「倒れた」という印象になるという事か。

     最後にまとめると、今回の検証ではアリソンが「落下した」のか「倒れた」のか、ハッキリとした結論は出なかった。「落下して死んだ」と書いているあらすじや紹介文もあるし、「倒れた」と書いている紹介文やファンのブログもあったが、いずれの記述もないものが一番多かった。記述がないからといって「落下」していない事の証明にはならない。作品を愛読するファンのブログを重視したいところだけれど、僕の印象操作になりかねないので確定とまでは言えない。ただ、今回の検証で明らかになったのは「火だるまになって胸壁を歩く」という部分を「死の舞踏(ダンス)」に見立てているという点だ。日本でそういう観点のあらすじや紹介文は見たことがない。原文にもそういう記述はないので、あくまで西洋の文化的意匠なのだろう。Wikipediaには、普遍的な死の表現として「死の舞踏」が取り上げられているので、それを念頭にして『髑髏城』を再読してみるのも面白いかもしれない。
    posted by アスラン at 04:40 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年04月16日

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その13)

    (今回も、多少ストーリー後半のネタを割ります。犯人を直接示すようなネタバレではないが、前もって知っておくとストーリーの面白さを損なう可能性があるので、未読の方は読まないで下さい。)

    ダンスタンの回想(第13章)

     今回は予告通り、別荘の客の一人ダンスタン卿が人妻イソベル・ドオネイと密会を企て、髑髏城まで赴いてアリソンの悲劇に遭遇した時のことを回想するところから始める。ここは髑髏城の外観や内部の構造とはまったく関係のない場面だが、ダンスタンの語りを聞いている内に、ジェフはある重要な事に思い至る。

     ジェフは、ダンスタンとイソベルの二人が、事件当夜、髑髏城にボートで向かったかどうかを聞き出そうとする。ダンスタンが普通では口を割らないとみたジェフは、ダンスタンにボートでどこかに出かけないかと持ちかける。それを断ったダンスタンとともに別荘脇の険しい坂を登って山上の空き地へとたどり着く。
    (原文)[第13章P.162]
     "Pleasant place to bring a woman, this, if it weren't such steep going to get here. . . ."
     "Oh! . . . I dare say," he replied. He turned his head away; he thought that a vulgar remark.
     "Much easier to go across the river, though," I pointed out, thoughtfully. "If you had a boat, there's doubtless a little cove over there somewhere."
    (旧訳)[P.208]
    「婦人を連れてくるには、絶好の場所ですね。ただちょっと道がけわしすぎますが――」
    「そうですね……まあ、そういうわけだが――」 かれはそう言ったまま、顔をそむけた。ぼくのことばを、ぶしつけだと思ったのであろう。だが、ぼくは澄ました顔でつづけた。
    「そのためには、川の向う岸へ渡ったほうが、適当な場所があるんじゃありませんかね。ボートさえ利用すれば、向う岸には、どこか静かで、適当な入江かなにか見付かるでしょうね」
    (新訳)[P.179]
    「女連れなら最高の場所だね。ここまでがあんな険しい道でなければの話だけど……」
    「ああ……それは言えるね……」と、若者は顔をそむけた。今のをぶしつけな言葉と取ったのだ。
    「でも、川を渡るほうがうんと楽だね」私が思案のふりで指摘した。「ボートがあれば、対岸のどこかに小さな入江が絶対あるだろうし」

     ここで重要なのはジェフの次の一言だ。
    (原)"Much easier to go across the river, though," I pointed out, thoughtfully. "If you had a boat, there's doubtless a little cove over there somewhere."
    (旧)「そのためには、川の向う岸へ渡ったほうが、適当な場所があるんじゃありませんかね。ボートさえ利用すれば、向う岸には、どこか静かで、適当な入江かなにか見付かるでしょうね」
    (新)「でも、川を渡るほうがうんと楽だね」私が思案のふりで指摘した。「ボートがあれば、対岸のどこかに小さな入江が絶対あるだろうし」
     何か違和感を感じないだろうか。「対岸のどこかに小さな入江(新訳)」と書かれているが、女性を連れてくるのに適当な場所って「入江」の事だったか。今いるような険しい空き地ではなくて、もっと対岸に静かな空き地がないのかという話だったはずなのに、なぜか「入江(cove)」の話になっている。それに海や湖じゃあるまいし、ライン川に入り江などあるだろうか。ここに注目しながら次を見ていこう。

     狙いに気づいたダンスタンは怒り出すが、ジェフになだめられて、ボートでイゾベルと髑髏城に向かった夜の話を打ち明ける。
    (原文)[第13章P.166]
     "Well, the night―the night of the murder, old D'Aunay took his drug and she knew he was asleep. She came downstairs. At First, you see, we'd only intended to sit on the porch and talk. Then I―I rather went out of my head. I said, 'Let's take the boat and go across the river.' You see, there's a path which leads to a little grove on the hillside, and easy to reach. We took the boat. . . ."
    (旧訳)[P.214]
     で、あの晩――殺人の起きた夜、ドオネイが睡眠薬をのんでから熟睡したのを見すまして、彼女は階下に降りてきました。最初はむろん、ポーチに腰を降ろして話しあうだけの気持ちでした。ところが、ぼくはそのとき、たぶん頭がどうかしていたのでしょう。こんなことを言ってしまったのです――ボートで、川を渡ってみようではありませんか。さっきあなたがお察しになったように、向う岸に小さな入江があって、そこから山の中腹の木立までたどりつける小道があるのです。これは女の足でも楽に登れるものなのです。で、ぼくたちはモーター・ボートを出して……」
    (新訳)[P.183]
     でね、あの晩――殺人のあったあの日の晩だけど、ドネイのじじいが眠り薬を飲んで、絶対起きないと彼女は知っていた。それで階下(した)へ降りてきた。で、初めは二人でポーチでただ話すだけのつもりだった。そこでぼくは――われながら、どうかしていたよ。こう言ったんだ。『あのボートに乗って、川向こうへ行こうよ』君も見た通り、あそこからは小道づたいに山腹の小さな森を通って川辺へ簡単に出られるんだ。それであのボートに乗っていった」
     マイロン・アリソンの妹アガサの回想場面のところでも書いたように、旧訳と新訳とでは同じ人物の性格や口調がずいぶん違っている。このダンスタン卿という青年は、お坊ちゃんにして神経質な人物なのだが、新訳ではアガサ同様かなりきつい口調になっている。

     ここで重要なのは以下の一文だ。
    (原)You see, there's a path which leads to a little grove on the hillside, and easy to reach.
    (旧)さっきあなたがお察しになったように、向う岸に小さな入江があって、そこから山の中腹の木立までたどりつける小道があるのです。
    (新)君も見た通り、あそこからは小道づたいに山腹の小さな森を通って川辺へ簡単に出られるんだ。
     ここでYou seeの解釈が微妙に違う。旧訳は「さっきあなたがお察しになったように」とあるが、これは先ほどの「川の向う岸へ渡ったほうが、適当な場所があるんじゃありませんかね」というジェフの推察を指している。それに対し、新訳は「君も見た通り」と訳しているが、これは「君もゆうべ実際に見てきたから知っているだろう」というような意味だろう。これはあきらかに旧訳の方が正しい。

     その後の訳が新旧ともにグダグダなのは「入江」とどう折り合いをつけようかと考えた結果なのだと思う。「入江(cove)」と言ったのはジェフであってダンスタンではないのに。there's a path which leads to a little grove on the hillside, and easy to reach. は「対岸には小道があって、丘の中腹にある小さな森へとつながっている。簡単にたどり着けるんだ。」という意味で、そこには「入江」もなければ「川辺」もない。そもそも「山腹(the hillside)」にある小さな森に至る小道を行くと「川辺」に逆戻りするのは何故だろう。新訳は矛盾している。旧訳は一見よさそうだが、ボートを小さな入江に乗りつけないのは何故かという疑問が生じる。わざわざ船着場にボートを留めてから、小さな入江に歩いていき、さらに山の中腹の木立まで小道をたどるという道のりが「簡単」とは思えない。

     結局、問題は最初に引用した"If you had a boat, there's doubtless a little cove over there somewhere."のa little coveの誤訳ではないかと思われる。coveはランダムハウスによると「1. 小湾、入り江」なのだが、それ以外に「2.奥まった場所,入り込んだ場所。 3.山の中のくぼ地、谷間;洞穴。 4.(森・山の中の)狭い道 5.山林・丘に囲まれた場所、山陰」などがある。リーダーズには「(山陰の)平坦地」という訳語もあり、研究社新英和に至っては「《米》山林地帯に入り込んだ草地」とある。要するに著者はほぼgrove(小さな森、木立)と同じ意味でcoveを使ったとしか思えない。ジェフが「丘にちょっとした(密会に適当な)場所があるんじゃないか」と聞いたのに対して、ダンスタンは「小さな森(木立)があるんだ」と答えているのだ。結論として、入り江も川辺も密会場所には存在しないという事になる。

     この直後にジェフは、アリソン邸から対岸の髑髏城へ行くのに、ライン川底を通る秘密の地下道がある事に気づく。それで辻褄があうかを反芻してダンスタンの話など上の空で聞いていると、ダンスタンは意外な事を話し出す。
    (原文)[第13章P.169]
     ". . . Lord knows who he was or what he was doing," I heard Dunstan say, "but when I saw that man come up out of the ground, I―"
     I whirled on him. "When you saw what?"
     "The man who came up out of the ground. It put the wind up me, I can tell you! For a minute I was frightened out of my wits. He was dragging some kind of bundle. Probably a poacher. I suppose he didn't come up out of the ground, really, but―"
    (旧訳)[P.218]
     ダンスタンはことばをつづけた。
    「だれだかわからぬ、そしてなにをしているのかわかりませんが、ぼくはそのとき、怪しい男が、地の中から出てくるのを見たんです。ぼくは――」
    「えっ? いつ、なにを見たんですって?」
    「地の中から出てきた男があるんです。ぼくは驚きました。驚くのが当然ですが、一瞬、気を失うかと思うばかりに驚きました。それが、なにか大きなものを引きずっているんです。密猟者かな――そのときはそう思いました。よもや地の底から人間がわき出るはずもありませんが、しかし、たしかに――」
    (新訳)[P.186]
    「……やつが何者か、何をしていたのかはさっぱりですが」ダンスタンの言葉が耳に入った。
    「でも、地中から出てきたあの男を見かけた時はもう――」
     私はくるりとそちらに向いた。「いつ、何を見たんだって?」
    「男が地面からひょっこり出てきたんだ。今だから言えるけど、肝をつぶしたよ! 一分ほどは怖くて気が変になりそうだった。何かの束のようなものを引きずっていて。密猟者じゃないかな。本当は地面から出てきたわけでもないだろうけど――」
     ジェフは秘密の地下道の考えに気を取られて、このダンスタンの言葉に不意を突かれる。When you saw what?(いつ、なにを見たって?)と聞いたのに、ダンスタンはジェフの驚きをよそに、思いついた事を並べ立てていく。
    (原)"The man who came up out of the ground. It put the wind up me, I can tell you! For a minute I was frightened out of my wits. He was dragging some kind of bundle. Probably a poacher. I suppose he didn't come up out of the ground, really, but―"
    (旧)「地の中から出てきた男があるんです。ぼくは驚きました。驚くのが当然ですが、一瞬、気を失うかと思うばかりに驚きました。それが、なにか大きなものを引きずっているんです。密猟者かな――そのときはそう思いました。よもや地の底から人間がわき出るはずもありませんが、しかし、たしかに――」
    (新)「男が地面からひょっこり出てきたんだ。今だから言えるけど、肝をつぶしたよ! 一分ほどは怖くて気が変になりそうだった。何かの束のようなものを引きずっていて。密猟者じゃないかな。本当は地面から出てきたわけでもないだろうけど――」
     ちょっと微妙に旧訳も新訳も腑に落ちないところがある。I can tell you(君には話すけど)とか、for a minute(1分きっかりの意味では無く、ちょっとの間の事)とか。あるいはbundle(包み)を持っているように見えたから密猟者ではないかと推測しているところなどがうまく伝わらない。自分で訳してみる。
    (私訳)「その男は地面から上がってきたんだ。ビックリしたよ、ここだけの話だけど。一瞬、あまりの恐ろしさにひどく取り乱してしまった。そいつは何か包みのようなものを引きずっていたんだ。おそらく密猟者だろうな。まさか本当に地面から上がってきたわけじゃないだろうが…」

     この言葉を受けて、ジェフはその時の様子を何もかも話してくれとダンスタンに迫る。イソベルとの秘め事を洗いざらい話せと言われたと勘違いしたダンスタンが声を荒げる。この場面は、その後のカーがユーモアとサスペンスとを、飴と鞭のように使い分ける手管の萌芽のようなものが感じられるところなので、あえて取り上げておく。
    (原文)[第13章P.169]
     "Tell me about it. The whole thing."
     Colour crept into the young man's face. He looked at me pleadingly, and then his jaw hardened with anger. "But―No, I'm hanged if I do! What good can it do you? Confound you, it's―it's sacred," he blurted, "and it's none of your―"
     "I understand all that," I told him as patiently as I could. "Never mind the details of the beautiful romance. What I want to know about is the man who came up out of the ground."
     "Oh!―Well, you see," Dunstan explained, after several false starts,
    (旧訳)[P.218]
    「もっとくわしく聞かせてください。できるだけ具体的に――」
     青年貴族の顔が、みるみる真っ赤になった。はじめ、訴えるような表情を見せていたが、急にそれが憤怒の色に変って、ほおの筋肉がぴりぴりと引きつった。
    「どうしてぼくが、そんなことまで話す必要があるんです! それを聞いて、なんの役に立つというんです! ばかなことだ――恋愛ってものは、もっと神聖なものです。きみたちのかかわり知ったことではないんです」
     ぼくはあわてて、できるだけかれの興奮をさまそうとして言った。
    「むろん、そうですとも。それはよくわかっています。詳細に聞きたいといったのは、あなたがたの美しいロマンスをという意味ではなかったんです。地中から現われたという男のことが、もっとくわしく聞きたかったのです。それだけうかがえば、それで充分なんですが――」
    「それなら話がわかります。申し上げますとも―
    (新訳)[P.187]
    「その件を話してくれないか、初めから終わりまで」
     若者の顔が次第に赤く染まってきた。すがるように私を見たかと思うと、怒りに歯を食いしばった。「でも――嫌だ、死んだって話すもんか! そんなことをして君に何の役に立つ、こんちくしょうめ。あれは――神聖なできごとなんだぞ」ぼそっと吐き捨て、「それに君の知った――」
    「それは何もかもよくわかっている」力の及ぶ限り、辛抱強く説いてきかせた。「美しいロマンスの詳細ならまったく触れなくていいよ。ぼくがどうでも知りたいのは、地面から現れた男の話だ」
    「ああ、そっちか――まあね、その」ダンスタンは何度か関係ない話を言いかけた末に、ようやく説明してくれた。
     なんだろうなぁ。二人の会話が噛み合わないところの可笑しさが伝わるのは旧訳。でもダンスタンの思慮が足りないところが伝わるのは新訳だ。おそらくは若き著者の書きっぷりがまだ成熟していないせいで、盛り上がりに欠けているのかもしれない。

     ダンスタンは気を取り直して話し出す。
    (原文)[第13章P.169]
    "we were in a little grove, as I was telling you, a very little way up the hillside. It was bright moonlight. We were―were sitting in the shadow of a huge beech tree, on a kind of sloping bank, and I was―O God! I was crazy, and shaky inside, and the whole place turned around in front of my eyes! . . . D'you know?" he demanded, fiercely.
    (旧訳)[P.219]
    ぼくたちはそのとき、小山の中腹にある小さな林のなかに休んでいました。そこまでは、さっき一度話しましたね。月の明るい晩でした。ぼくたちふたりは――大きなぶなの木の下で、だらだらした傾斜にからだを横にしていたのです。ぼくは幸福に酔っていました。
    (新訳)[P.187]
    「二人で小さな森の中にいた。さっきも言ったけど、山腹をほんの少し登ったらすぐ出られる場所にあるんだ。きれいな月だったなあ。ぼくたち――なだらかな土手みたいなところに立つ大きなブナの木陰に座って、ぼくが――ああ! 本当におかしくなってしまって、心の中はがたがた震えてるんだ。その場所がぼくの目の前でぐるぐる回ってた!……知ってる?」
     hillsideは丘の中腹の事だろう。それにbankは土手というよりは河岸の事だ。新訳は同じフレームの中に「山腹」と「土手」が同時におさまる。ちょっとイメージが出来上がっていないような感じがする。それに「月が明るくて綺麗だったよ」ではなくて、月で明るすぎるので、ロマンティックな雰囲気を求めて暗がりに座ったのだと思う。
    (私訳)さっき話したように、僕らは小さな森にいたんだ。丘の斜面をちょっと登ったところにあるのさ。月が明るかったので、河岸の斜面に生えた大きなブナの木が影を作っているところに、二人ならんで腰を降ろしていたんだよ。
     新訳はどうもロマンティックとはほど遠い。「知ってる?(D'you know?)」ではなくて「君も覚えがあるだろ?」ではないだろうか。

     いずれにしろ、hilltop(丘の上)に建っている髑髏城に至る道はあれほど険しかったのに、このhillside(丘の中腹)にある小さな森に至る道はどうやらなだらかな小道になっているようだ。なかなかイメージがしにくいけれど、髑髏城への道は河岸の切り立った斜面を上る必要があるが、河岸のふもとの方は斜面がまだ緩やかなので、女連れでも行きやすいという事だろうか。


    次はいよいよ怪しい男が地面から姿を現す場面の描写だ。
    (原文)[第13章P.170]
     "It was horrible. About twenty feet away, behind some bushed, a man seemed to come right up out of the ground. His back was towards me and he was bent over a bit. I could hear him dragging something heavy along the ground―it tore and dragged in the brambles―and the man was humming a tune to himself.
     "Then he disappeared. I don't know where he went. I thought for a second my heart had stopped. And Isobel was afraid somebody had seen us; she was nearly crying, and she was moaning, 'We've got to go back, we've got to go back.' But we were even afraid to do that. We waited and waited, talking about all sorts of terrible possibilities, when we heard those screams. . . .
     "That finished us. We could hear them plainly, and we looked up and saw that ghastly blazing thing running.
    (旧訳)[P.220]
     思わずぼくは慄然としました。二十フィートばかり離れたところに、ちょっとしたくさむらがあるのです。そしてそのうしろに、いま、地の底から出てきたといわんばかりに、ひとりの男が立っているのです。ぼくたちのほうに背中を向けて、腰をかがめたようなかっこうを見せていました。なにか重いものを、地上に引きずっているようすです――いばらの茂みにひっかかり、ひきちぎられ――それでもかれは、なにか歌のようなものを口ずさんでいました。
     驚いて見ていると、急にまた、かき消すように消えてしまいました。どこへいったかわかりません。そのとたん、ぼくの心臓は止まったかと思われました。イソベルも、だれかに見られたものと、恐れおののきました。叫び声こそあげませんでしたが、泣き出したいような表情でした――帰らなければなりませんわね。できるだけ早く……彼女が言い、ぼくもまたそう思うのですが、ぼくたちふたりとも、動くこともできなかったのです。ぼくたちはそのままじっとしていました。いつまでも、いつまでも――いろいろと怒り得る可能性を苦に病みながら……
     そのときでした、あの恐ろしい悲鳴を聞いたのは――
     恐怖の感情は、そちらのほうにうつりました。ぼくたちの耳には、けたたましい絶叫が、はっきりと聞えたのです。見上げると、城塞の上を、おそろしい火に包まれた人間が、走りまわっているのです。
    (新訳)[P.188]
     ぞっとしたよ。二十フィートぐらい先の茂みの地面から、男がいきなり出てきたみたいだった。背中をこちらへ向けて、ちょっと前かがみで。なにやら重いものを地べたに引きずるのが聞こえた――黒苺の茂みの中をめちゃくちゃに引きずっていた――そのあいだ、ずっと男は鼻歌を歌っていたんだ。
     やがてそいつは見えなくなった。行き先は知らない。ほんのしばらく心臓が止まったかと思った。それに、一緒のところを誰かに見られたんじゃないかとイゾベルが怖がって、繰り返し半べそをかくんだ。『二人とももう帰らないと。二人とももう帰らないと』って。だけど、怖くてそれさえできない。そうやってひたすら待ちながら、ありとあらゆる恐ろしい可能性を話し合っているうちに、あの悲鳴が聞こえてきた……。
     あれがとどめだったね。悲鳴がはっきりと聞こえ、顔を上げてみればあの燃える人間が走り回るのが見えた。

     こまかく見ていこう。
    (原)About twenty feet away, behind some bushed, a man seemed to come right up out of the ground.
    (旧)二十フィートばかり離れたところに、ちょっとしたくさむらがあるのです。そしてそのうしろに、いま、地の底から出てきたといわんばかりに、ひとりの男が立っているのです。
    (新)二十フィートぐらい先の茂みの地面から、男がいきなり出てきたみたいだった。
     20フィート(6.1メートル)なので、ほんの目と鼻の先から男が突然出現している。フィート単位に慣れていないと、ちょっと遠目に見ているような気になってしまう。新旧訳ともに正確さに欠けるように感じるので私訳を入れていく。
    (私訳)僕らからほんの20フィートしか離れていないところに茂みがあって、その後ろで男がまさに地面からあらわれたように見えたんだ。


    (原)His back was towards me and he was bent over a bit. I could hear him dragging something heavy along the ground―it tore and dragged in the brambles―and the man was humming a tune to himself.
    (旧)ぼくたちのほうに背中を向けて、腰をかがめたようなかっこうを見せていました。なにか重いものを、地上に引きずっているようすです――いばらの茂みにひっかかり、ひきちぎられ――それでもかれは、なにか歌のようなものを口ずさんでいました。
    (新)背中をこちらへ向けて、ちょっと前かがみで。なにやら重いものを地べたに引きずるのが聞こえた――黒苺の茂みの中をめちゃくちゃに引きずっていた――そのあいだ、ずっと男は鼻歌を歌っていたんだ。
     be bent overなので自ら「かがめた(かがんだ)」訳じゃないだろう。
    (私訳)そいつは僕らに背を向けていたが、背中がちょっと曲がっていた。何か重いものを引きずっている音がしたんだ。茨(いばら)のトゲに引っかけては引き離しているように聞こえた。その間にも、そいつはずっと鼻歌を歌っていたんだ。


    (原)Then he disappeared. I don't know where he went.
    (旧)驚いて見ていると、急にまた、かき消すように消えてしまいました。どこへいったかわかりません。
    (新)やがてそいつは見えなくなった。行き先は知らない。
     ランダムハウスの解説によるとdisappearは「突然にまたはしだいに見えなくなる」のだそうだ。だから、ここは解釈しだいだ。出てくるときは突然に感じた表現だったので、旧訳の「急にまた、かき消すように」というのもあながち盛りすぎとも言えない気がする。だが、やはり言い過ぎだろう。
    (私訳)すると、また見えなくなってしまった。どこに消えたかはいまだに謎だよ。

     この後、イソベルは誰かに密会の現場を見られたと思って動揺し、早く帰ろうとダンスタンに懇願するが、ダンスタンはいろんな可能性を考えては恐怖が先に立って動けない。
    (原)…,when we heard those screams. . . . That finished us. We could hear them plainly, and we looked up and saw that ghastly blazing thing running.
    (旧)そのときでした、あの恐ろしい悲鳴を聞いたのは―― 恐怖の感情は、そちらのほうにうつりました。ぼくたちの耳には、けたたましい絶叫が、はっきりと聞えたのです。見上げると、城塞の上を、おそろしい火に包まれた人間が、走りまわっているのです。
    (新)…、あの悲鳴が聞こえてきた……。あれがとどめだったね。悲鳴がはっきりと聞こえ、顔を上げてみればあの燃える人間が走り回るのが見えた。
     ここは新訳が正確なので私訳は不要だ。悲鳴が聞こえて顔を上げると、例の惨劇がはっきりと目に飛び込んできたわけだ。つまり、この小さな森(the grove)は髑髏城の正面城壁の手前にある事になる。それにしても、ここで遭遇した人物が重い包みを引きずりながら、髑髏城の胸壁(battlement)までたどり着くには相当な時間がかかったはずだ。その間に、あれやこれやを済まさねばならないはずで、ロマンスに浸り損ねた二人は一時間以上は足止めを食らわされたような気がするのだが…。いやはや、カーの登場人物になるのは大変な事だ。
     もう一つ気になるのは、ダンスタンが見たのは「何か燃えたものが走りまわっている」様子だけだ。ああ、人間とも言っていない。やはり私訳が必要だ。
    (私訳)そのとき、例の悲鳴が聞こえたんだ。あれには本当に参ったよ。悲鳴がはっきりと聞こえたので、そちらを見上げると、得体の知れない炎の塊が走っているのが見えたんだ。
     ここであえて言いたいのは「(炎のようなものが)走っている」ところしかダンスタンは見ていないという点だ。落ちてないんだよなぁ、やっぱり。これについては、ちょっと思いついた事があるので、次回あらためて言及しよう。

    アリソン邸、マイロンの書斎(第14章)

     バンコランはすでにジェフよりも、そしてライバルのアルンハイムよりも先にライン川底の秘密の地下道の存在に気づいていた。しかし、ついにアルンハイムの知るところになり、バンコランに詰め寄るとあっさり認めるが、アリソン邸からの入口がどこにあるかは明かさない。アルンハイムはなんとか見つけようと、マイロンの書斎を調べるがついに見つからず、こんな言葉をバンコランらに投げつける。
    (原文)[第14章P.182]
    The end of this passage is on the other side of the river. There is another passage going from there up into the castle. They could hardly tunnel one underground burrow all the way over and up the hillside; the weight of the hill would bring down its roof. Now―for the other side."
    (旧訳)[P.234]
     この地下通路の出口は、川の対岸にあるにちがいない。そこからまた、別の秘密路が、城内に通じておるんだ。おなじ手で、川底を通る地下道を掘り、それを丘陵の上まで掘り上げるというのは、たいへんな仕事で、まず困難なことだと言ってよいだろう――で、問題を向う側の検討に移すとすると――」
    (新訳)[P.201]
     この隠し通路の端は川向こうに出るんだ。そこから別の道を通って城内へ行くんだな。地下をずっと掘り進んであの山腹へ出られるはずはない。そんなことをしたら、丘の重みでトンネル自体が潰れてしまう。さて――対岸へ行くぞ」

     これも新訳がほぼ正しいのだろうか。それにしても、ここに書いてある事が、通路を2本に分けた事の正当な理由になっているのか、僕にはよく分からないんですけど。
    (私訳)この通路の出口はライン川の対岸にあるんだ。そこから城内には別の通路を通って行くんだな。何故って、1本の地下道で川底をわたり、丘の斜面をあがっていくように掘り進めていくなんて出来たものじゃないからだ。丘の重さに通路の天井が持ちこたえられないに決まってる。では、対岸の出口を探しに行くとしよう。
     うーむ。やっぱり分からないなぁ。あの謎の人物が地下道を通って、小さな森に出て、さらに別の通路を通って城内に入るとしよう。その2つの通路の出入り口が、あの小さな森に隣接しているのならば、これはもう1本の通路と言ってもいいんじゃないかなぁ。それとも、地上に出ることなく最短距離を進むとなると、丘の斜面の奥深くまで掘り進めなければならなくなるので、天井が持ちこたえられないという理屈だろうか。いずれにしてもアルンハイムは、まだ見てもいない秘密の通路の構造をよくもまあ推測できるものだ。

    髑髏城にて。晩餐会会場の広間(第18章)

     本書の最終盤にワープする。犯人や謎解きには一切触れず、秘密の通路の構造についての引用にとどめる。アルンハイムは捜索の結果、アリソン邸から髑髏城へと続く2本の秘密通路を見つけ、それについて晩餐会の出席者全員の前で説明する。
    (原文)[第18章P.226]
     "It is beneath a skillfully concealed stone slab on the hillside. Steps go down to a stone-arched passage entirely under the river―it is not very deep at that point, you know; but how those masons in the fifteenth century must have labored! They built those things to last, in that day.
    (旧訳)[P.293]
     丘の中腹に、たくみに隠された石の広ぶたがあった。それをのけると、階段が地下に降りていて、天井に石をたたんだ抜け穴が川の下へと通じていた――あまり深いところを掘り抜いてはいないが、十五世紀ごろのものとしては、ずいぶん大がかりな工事だったにちがいない。なにしろ、いまだにくずれもせずに厳存しているんだからな。
    (新訳)[P.248]
     城側の入口は、目立たぬよう山腹に巧妙にはめこまれた石の一枚板の下にあった。階段をおりてみると、石造アーチの通路が完全に川床の下を通っている――川のあの辺りはさほど深さがないんだよ。だが、十五世紀の石工たちはさんざん骨折ったに違いない! あの当時にあれほど長持ちするものを作ったんだから。

    (私訳)丘の中腹に板状の石がうまく隠されていて、その下に通路がありました。階段を降りると、天井が石のアーチになった通路が川底をつたって対岸まで続いていました。ご存じの通り、あの辺りの川底はそれほどの深さはありませんが、十五世紀当時の石工たちにはさぞかし大変な仕事だったに違いありません。その甲斐あって、彼らはいまだに壊れもせずに使えるものをあの当時に作り上げた事になります。
     こちらはもちろん1本目の秘密の通路の説明だ。通路の天井がきちんとアーチ型になっているというのが新情報だ。それと石の蓋が出入り口にあるらしい。ダンスタンは6m程度の近くにいて、重そうな石の蓋を開け閉めする様子に気づいていなかったのか。いや、いや、それよりも、どうして、例の怪しい人物が姿を消した後に、彼が急に姿を現して再び消えたあたりを調べてみなかったのだろうか。よっぽどの恐怖で動けなかったのだろうな。やはりカーの作品の登場人物になるのは大変…。

     続いて、おとなしくアルンハイムの説明を聞いていたジェフが、たまらず2本目の秘密の通路の事を聞こうとする。以下、文章の一部を伏せ字にした。人物名が入るので、仮にXXXとしておく。
    (原文)[第18章P.228]
     "One moment, please!" I interposed. "There are two secret passages, are there not? One leading from the castle itself down the hill, and then the other from the hillside under the river"
     Von Arnheim nodded, sabouring his brandy. "You recall, " he told me, " that passage between the walls―the one with the dummy window―which Ben―which we discovered the night we found the watchman's body? The entrance to the underground tunnel going down the hillside is in the close of the watchman's room. [怪しい人物の名XXX] came down between the dummy walls (that was where [XXX] found the kerosene-can) to the watchman's closet. Then [XXX] descended, first under the hill, and then the river. …(中略)…In any case, [XXX] entered the lowest passage."
    (旧訳)[P.295]
    「さきに聞いておきたいことがある! たしかに、ここには秘密の抜け穴が二つあると思うんだが――ひとつは城内から丘の中腹に抜けているもの。いまひとつは、丘の中腹から川の底に通じているもの」
     フォン・アルンハイム男爵はうなずいて、ブランディをちょっとなめた。
    「お説のとおりだ。ご記憶と思うが、この髑髏城には、壁が二重になっていて、そのあいだに階段がある。内部から見る窓は、みせかけだけのものだ。そのことは、番人の死骸に出会った夜、バンコラン君が発見したとおりだ。丘の中腹に出る抜け穴は、番人の部屋の戸だなが入口になっている。[怪しい人物XXX]は、番人の部屋からその二重階段を抜けた。石油罐につまずいたのは、そのときのことだ。[XXX]はそれからまず丘の下に出て、さらに川の底をくぐった。…(中略)…いずれにしても、とにかく[XXX]は、地下道に入っていった」
    (新訳)[P.250]
    「隠し通路は二本あったんでしょう? 一つは城から山腹へ出るもの、もうひとつは山腹から川の下を通るんですよね?」
     フォン・アルンハイムがブランデーを味わいながらうなずいた。「思いだしなさい」と私に言った。「あの二重壁にひそんでいた城の隠し通路を、見せかけの窓がついていて――バンコ――われわれが城番の死体を見つけたあの晩に発見しただろう? 山腹へ下る地下トンネルの入口は、城番の住まいの物入れにあった。[怪しい人物XXX]は二重壁の裏階段を通って、城番の物入れにでた(そこで石油缶を見つけた)、それから地下通路に入って、まずは丘のふもとへ出てから川の下をくぐった。…(中略)…まあとにかく、あのいちばん下の通路へ入っていったわけだ」
     前半で、髑髏城の正面右の塔から大髑髏の壁の内部に秘密の通路がある事と、発見までの経緯とが、アルンハイムの口から語られる。途中で「バンコ」と口走って「われわれ」と言い直すところはクスッと笑うところだ。バンコランが発見した手柄なのに、二人の手柄にしようとしている。旧訳は何故か正しくバンコランの手柄にしている。日頃は書かれていない事まで書いてしまう宇野さんにしては変だ。いや、結局書かれてない事を書いてるんですけどね。

     そしていよいよ、2本目の通路の説明だ。
    (原) The entrance to the underground tunnel going down the hillside is in the closet of the watchman's room. [怪しい人物の名XXX] came down between the dummy walls (that was where [XXX] found the kerosene-can) to the watchman's closet. Then [XXX] descended, first under the hill, and then the river. …(中略)…In any case, [XXX] entered the lowest passage."
    (旧)丘の中腹に出る抜け穴は、番人の部屋の戸だなが入口になっている。[怪しい人物XXX]は、番人の部屋からその二重階段を抜けた。石油罐につまずいたのは、そのときのことだ。[XXX]はそれからまず丘の下に出て、さらに川の底をくぐった。…(中略)…いずれにしても、とにかく[XXX]は、地下道に入っていった
    (新)山腹へ下る地下トンネルの入口は、城番の住まいの物入れにあった。[怪しい人物XXX]は二重壁の裏階段を通って、城番の物入れにでた(そこで石油缶を見つけた)、それから地下通路に入って、まずは丘のふもとへ出てから川の下をくぐった。…(中略)…まあとにかく、あのいちばん下の通路へ入っていったわけだ

     「石油罐につまずいたのは、そのときのことだ」とは、また宇野さん、余計な事をと思うが、解釈は正しい。新訳は番人の部屋の物置で見つけた事になっている。やはり私訳を付けよう。
    (私訳)丘の中腹に下りる地下道の入口は、番人の部屋にある物置にありました。XXXは二重になった壁の間にある階段を下り、途中で石油缶を見つけ、番人の物入れの裏側にたどり着きました。それから地下に下りて、最初に丘のふもとまで行き、さらに川底を通って行きました。…(中略)…いずれにしても、XXXはどこと比べても一番下にある通路を通ったわけです。
     いやあ、簡単なものだ。「番人の部屋にある物置にあった(in the closet of the watchman's room)」と書いてあるだけだが、たぶん物置の床板を外すと階段が出てくるという構造なのだろう。物置(クローゼット)だから横長だろう。階段も横向きに下りていくはずだ。向きはどっちだろう。そして結局は髑髏城の正面に向けて地下通路が伸びていくはずだ。そこらへんも少しはきちんと書いていて欲しかったなぁ。これで終わりなのか。残念。そういうわけで丘のふもとの小さな森まで通路は続き、いったんそこで地上に出ます。出なくてもいいのかもしれないが、僕としては、とりあえず城外に出る通路を最初に作って、さらに脱出路として対岸までの地下通路を作ったというのが、2本あることの正当な理由なんじゃないかなと思います。ごくごく個人的な意見ですが。

     という事で、次回、「転落したか否かエピソード再び」をはさんで、いよいよ大髑髏の内部構造を確かめる。大団円近し?
    posted by アスラン at 00:02 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年04月12日

    どうして北村さんは『髑髏城』を評価しないのか

     今回も篠田真由美著『ミステリな建築 建築なミステリ』出版記念の企画だ。著者が十代の頃から魅了されてきた作品『髑髏城』は、どうやらミステリ愛好家やカー愛好家からもあまり評価されてこなかった事に、著者はずいぶんと悔しい思いを抱いてきたようだ。著書の第二部「ミステリを建築で読む」の第4章「ディクスン・カー『髑髏城』」の冒頭で、本格ミステリを誰よりも愛し、カーへの愛を惜しげも無く開陳してきた江戸川乱歩と北村薫という、作り手にして読み手である二人がそろいもそろって『髑髏城』を褒めていない事を嘆いている。僕自身も最近はずっと『髑髏城』のことばかり考えている日々を送っているので、知らず知らずのうちに人並みならぬ愛着が湧いている作品を、どうしてこの二人が評価していないのかが気になった。なので、どちらの評価も詳しく吟味していこうと思う。

     なかでも特に気になったのは北村薫さんの一言だ。KAWADE夢ムック『江戸川乱歩』(河出書房2003年)の中の特別対談にて「大人向けの訳で読んで辟易しちゃいまして」と発言したそうなのだ。北村さんのミステリの愛読者でもあり、北村さんの本格ミステリへの愛を受け止めてきた歴史も長いので、その発言に信頼を置いてきた僕としてはちょっと意外な感じがした。これは是非とも内容を確かめなければと思い立って、最寄りの図書館に当たってみたが蔵書にはなかった。ネットで誰か詳しく引用していないだろうかと思って調べたら、Web東京創元社マガジンというサイトで、前述のとは別の対談で同様の発言をしている事がわかった。
    創元推理文庫創刊50周年記念対談〈第1回:ミステリ編 北村薫×桜庭一樹〉(1/3) (2/3) (3/3) [2009年12月]

     詳しくは、この対談を読んでもらえば書いてある通りなのだが、最初に言ってしまえば『髑髏城』の低評価は「言いがかりもはなはだしい」という事になる。自分なりにまとめてみた。

     北村薫さんは1949年生まれ。自らを「戦争を知らない子供たち」と歌った杉田二郎より数年年下であり、後の新本格の雄・綾辻行人の10歳上の世代。僕から見てもちょうど一回り違う。そういう年代の北村さんがどのようにミステリと出会い、どのようなミステリを、どんな本で、どのように読んできたか。そういう事が北村さんの読書にどんな影響を与えてきたか、僕にはとても興味深かった。対談相手の桜庭さんは1971年生まれで、北村さんとはおよそ二回り違う。自分とはどれほど違う環境でミステリを読んできたかを大先輩からうかがいながらも、北村さんの個人的体験からくる感想を、時に受け止めかねている桜庭さんの戸惑う様子が途轍もなく面白い。

     北村さんとミステリの出会いは小学校二年生。まずは乱歩の『少年探偵団』シリーズ。学校の図書館(図書室)で読みあさっては友達に講談のように話して聞かせていた。『少年探偵団』の洗礼を受けるのは僕らの世代までは当たり前だった。小学校の図書室と言えば、『少年探偵団』とホームズ物とルパン物が山とあり、僕もまずはそこからだった。北村少年はホームズよりもルパンが好きだったようだ。ルパン物は「歌舞伎のようで華やかさがある。絢爛豪華な活劇調が良い」と絶賛する一方で、何故かホームズとはいい出会いをしてこなかったと語っている。『バスカヴィル家の犬』は最初にラジオで聴いてつまらないと思ったらしい。『緋色の研究』はミステリとして読むと不満が多く、『四つの署名』に至っては、インド人が吹き矢で人を殺す場面を小学校高学年で読んで「高学年にもなって読むもんじゃない」という感想を抱いている。ホームズ愛を貫いてきた桜庭さんが「ルパン物も相当いいかげんじゃないですか」とツッコむと、そこがいい、歌舞伎だからそのくらいの方がいいと言って桜庭さんを呆れさせている。この部分を読む限り、「愛は盲目」の言葉通り、好きになったのに理由などはいらないが、嫌いというのには理由(屁理屈)が必要ならしい。

     ルパン物は南洋一郎・訳の全集を読んだようで、これまた僕も同じだ。『棺桶三十島』『813』などを絶賛しながら『八点鐘』の結末は子供には分からず、大人のあやしい話になってしまったと言っている。それでも「ルパンが通れば道理が引っ込む」というダジャレでごまかしているが、どうやら北村少年は歌舞伎のような活劇に大人のロマンスは求めていなかったようだ。

     初な少年を自称する北村さんは、ことミステリに関しては早熟だった。小学校高学年になって大人向けのミステリに手を出すようになる。カーの最初の作品は『皇帝のかぎ煙草入れ』。そしてクイーンの悲劇四部作のうち『X』『Y]』『Z』までを新潮文庫で読んだそうだ。何故か『レーン最後の事件』だけは新潮文庫から出版されず、その頃はまだ角川文庫の『最後の悲劇』も出版されていない。そこで中学一年生になって初めて読んだ創元推理文庫が『レーン最後の事件』なのだが、なんと前述の新潮文庫の三冊では巻末の解説で四作目の犯人をネタばらししていたらしい! なんたる「悲劇」だ。つくづく悲劇四部作を創元推理文庫で読んでおいて良かったと僕は思う。

     北村さんのクイーン愛はよく知られているが、この後も国名シリーズを創元推理文庫で読み継ぐ事で最高の出会い方をしたと言えるだろう。一方、新潮文庫で読んだカーの『皇帝のかぎ煙草入れ』は、カーらしさを気に入ったというよりは作品の出来に感心している。それでカーの作品をたくさん読むぞと意気込んだところで、次に出会った作品が『髑髏城』だった。
    北村 どんな作品に感心できるか、それはやっぱり時期によって違うと思いますよ。さっきの『813』の話もそうですけど、ミステリに触れていない一番最初のころだと、『皇帝のかぎ煙草入れ』にはすごく感心しましたね。「カーらしいなあ」というよりも「よくできてるなー」って。それが先でした。それから創元推理文庫を知って、じゃあカーをいっぱい読むぞと思って、『髑髏城』なんかを読むと楽しめない。あれ面白いって人もいるけどね、それでも意地になって最後まで読みました。「バンコランは笑う」とかなんとか、目次を今でも覚えてますよ。
     まさにこれが、KAWADE夢ブック『江戸川乱歩』での対談での発言「大人向けの訳で読んで辟易しちゃいまして」とつながる。夢ブックの対談が2003年で、こちらの対談が2009年。小学生当時の記憶をさらに頑なに強化していったような感じだ。おまけに目次の指摘から、この「大人向けの訳」が創元推理文庫の旧訳、つまりは宇野利泰さんの訳だという事が判明してしまった。

     ここからどんな事が言えるか。まずは北村さんはホームズ物とルパン物との出会い方の違いと同じように、クイーンとの幸せな出会い方と比べると、カーとは幸せな出会い方をしてこなかったのではないだろうか。クイーンは『レーン最後の事件』の悲劇はあったものの、最上の初期作品と出会う事で十分に「愛は盲目」状態になっていた。しかし、カーについていえば最上のミステリ作品の一つと出会いはしたものの、カーらしい作品とはまだ出会っておらず、まだ十分な状態ではなかったのではないだろうか。

     では『髑髏城』のどこに北村少年は気に入らなかったかと言えば、まずは明解な外連味に欠ける点だろうか。ルパン物を最上と考えていた時期に、髑髏城の物語はどこか少年の心をかき立てるような仕掛けも活劇も無かった(いや、無いと感じられた)。早い話がルパン物のエッセンスはあるが物足りない。北村少年にはルパン物の劣化版に見えてしまったのかもしれない。

     また、バンコランを主人公とした長編小説の中でも、唯一バンコラン自身がメフィストフェレス的な意匠をまとわず、ある意味非常に行儀良くて、むしろ人当たりのよい人物に描かれている作品だった事も災いしたかもしれない。これはその後に書かれた『蝋人形館の殺人』の傲慢で傍若無人なバンコランとはまったく違っている。そのせいで、作品全体にメロドラマを許容するかのような雰囲気が醸成されてしまったのは確かだ。当時、歌舞伎のような外連をまとった活劇調を期待し、大人のロマンスの怪しげな雰囲気に嫌悪を抱いていた北村少年には、宇野訳の『髑髏城』はフィットしなかったのだろう。しかも、髑髏城という現実離れした虚城を描いた部分を除けば、登場人物の男女の色恋が描かれているところはミステリとしては消化不良だったかもしれない。

     そもそも『バスカヴィル家の犬』もつまらないと言い放つ北村少年は、ゴシックホラー調のミステリあるいは読み物がお気に召さなかったのかもしれない。どこか本格ミステリの王道的な路線から外れているという嗅覚が働いたのだろうか。しかし、だ。あくまでそれは、当時の北村少年が感じた感想でしかないのではないだろうか。北村薫ともあろう方が、何故大人になってから『髑髏城』を再読して、現在の読み手巧者としてあらたに見直すという事をしないのだろうか。もはや1930年代のロマンスなど免疫ができているどころの年齢ではない。今こそ、あらためて読めば、中世の騎士たちの伝説に裏付けられた、まさに古城が醸し出すロマン小説である事が見えてくるのではないか。カーらしいという意味では、密室だけが、不可能犯罪だけが、カーの特徴ではない。この対談でも語っているように、歴史物もいいと言っている。『ビロードの悪魔』『火よ燃えろ!』『恐怖は同じ』などは「物語作者カーの面目躍如」だと。さらにはあの『魔女が笑う夜』までも「他の人じゃ書けない」と褒めている。こうまで言って『髑髏城』を切り捨てるのは、やはり最初の出会い方の悪さにこだわっているだけではないだろうか。
    posted by アスラン at 08:53 | 東京 ☀ | Comment(2) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年04月06日

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その12)

    ミステリな建築にして建築なミステリの『髑髏城』を散策する

     前回の終わりで、次は「ダンスタンとイゾベルとの逢い引きの場面」と書いたのだが、状況が変わった。ついに髑髏城中毒を標榜する方の本が出版されたのだ。その名も『ミステリな建築 建築なミステリ』(篠田真由美)。もちろん髑髏城は、この本の中で紹介される建築にしてミステリの一つに過ぎない。ただ、僕自身が『Yの悲劇』あるいは『グリーン家殺人事件』の章を待ち望んだように、いやもちろん、それよりも数十倍の想いを込めて、幼い頃から愛読してきた『髑髏城』を紹介する機会を著者が待望してきた事は、その文章からひしひしと伝わってきた。そんな一章をまずは何よりも先に読んで、味わって、刺激を受けた。いや、受けたどころの話ではない。これは、寄り道をしてでも刺激を形にしなければならないと思い立った。なので、今回はスピンオフ的散策になる。

     まずは冒頭の引用にショックを受けた。これは第1章でベルギーの大富豪ジェローム・ドオネイが、シャンゼリゼのレストランでバンコランらと会食し、マイロン・アリソンの謎の死を解決するように説得しようとする場面での一コマ。僕は何故かドオネイが髑髏城を描写する部分をスルーして、この散策文を始めてしまった。しかし、かの本の著者・篠田さんは是が非でもこの場面の引用から章を書き出さねばならなかった。それは髑髏城の名の所以となる「しゃりこうべ」のシルエットが、この文に端的に表現されているからだ。しかし、僕がショックを受けたのはそれだけではない。これが「耳」についての言及がある唯一の文章だからだ。

     ぼくの散策文では、これまでに髑髏城の頭蓋骨(大髑髏)、2つの眼窩、彩色ガラスの欠け鼻、先の尖ったアーチ型からなる歯並び、城壁の上端に位置する狭間からなる顎を、原文からあぶり出していった。しかし大髑髏の両脇に立つ2つの塔については、カーの原文では当然の如く耳に見立てられていて、それ以上の言及は見当たらなかった。ただ、書いてない事がかえって空想をかき立てる。いったい塔はどのように「耳」らしいのだろうか。円塔(the round tower)である事は分かっている。しかし、上端がとんがり屋根なのか、狭間仕立てなのか、まったく分からない。塔の内部の描写では屋上への階段は書かれていない。それはとんがり屋根の証拠になるだろうか。

    (原文)[第1章P.18]
     "Monsieur, that is literally true. The name is not a fancy. Its central portion is so weirdly constructed that the entire façade resembles a great death's head, with eyes, nose, and ragged jaw. But there are two towers, one on each side of the skull, which are rather like huge ears; so that the devilish thing, while it smiles, seems also to be listening. It is set high on a crag, with its face thrust out of the black pines. Below it is a sheer drop to the waters of the river.
    (旧訳)[P.21]
     きみたちはあの古城の名を、ただのこけおどしと思っているかもしれんが、それはとんだ考えちがいで、実際に、髑髏そっくりのかっこうをしておるんだ。正面から見ると、たしかにしゃりこうべそのものだ。目も鼻も、歯をむき出した大きな口もとも、残らずちゃんと備わっている。その両側に、ぬっと突き立っている二つの塔は、大きな耳をぴんと張ったところだ。ぶきみな髑髏が、人間どもを嘲笑しながら、なにか下界の動物のうごきに聞き耳を立てるといったかっこうなのだ。このグロテスクな古城が、見上げるような懸崖の上に建って、あたりに黒松の樹林をあしらいつつ、数十丈の脚下では、ラインの激流が白いあわをかんでいるといった寸法さ……
    (新訳)[P.23]
     ムッシュウ、誇張でもなんでもないよ。髑髏城の名はだてじゃない。気色悪い建築の粋を凝らした館の正面は、眼窩や鼻や乱杭歯の顎骨にいたるまで巨大な髑髏そのままなんだ。しかも塔を両脇にひとつずつあしらい、一対の大耳になかなかうまく似せてある。さしずめ聞き耳立てて笑う悪魔ってとこかな。そいつがひときわ高い崖に陣取り、黒い松林をかきわけてぬっと顔を出す。下はたぎりたつ暴れ川だ。
     『ミステリな建築…』で引用されているのは旧訳だが、新訳と比べるとかなりの誇張が含まれているのが分かる。ただし新訳も微妙に原文とニュアンスが違うのも気になる。いつものように詳しく見ていこう。

    (原)Its central portion is so weirdly constructed that the entire façade resembles a great death's head, with eyes, nose, and ragged jaw.
    (旧)正面から見ると、たしかにしゃりこうべそのものだ。目も鼻も、歯をむき出した大きな口もとも、残らずちゃんと備わっている。
    (新)気色悪い建築の粋を凝らした館の正面は、眼窩や鼻や乱杭歯の顎骨にいたるまで巨大な髑髏そのままなんだ。
     典型的なso that構文。旧訳はざっくりと分かりやすく訳しているし、新訳は相変わらず連体修飾節に文表現を圧縮しているので、ややフォーカスがぶれる。「髑髏城の中央部分はかなり不気味に作り込まれているため、正面全体がまさに巨大な髑髏そのままで、目も鼻も、ギザギザの歯と顎まで備わっている。」という意味だ。どちらもcentral portionを「中央部分」と訳していないのは解せない。何故なら、その次が中央部分以外の言及になるからだ。

    (原)But there are two towers, one on each side of the skull, which are rather like huge ears; so that the devilish thing, while it smiles, seems also to be listening.
    (旧)その両側に、ぬっと突き立っている二つの塔は、大きな耳をぴんと張ったところだ。ぶきみな髑髏が、人間どもを嘲笑しながら、なにか下界の動物のうごきに聞き耳を立てるといったかっこうなのだ。
    (新)しかも塔を両脇にひとつずつあしらい、一対の大耳になかなかうまく似せてある。さしずめ聞き耳立てて笑う悪魔ってとこかな。
     この文は何故butで始まるのだろう。新訳は「しかも」と訳しているのでニュアンスが真逆だ。これはさきほども書いたようにcentral portion(中央部分)とtwo towers(中央部分以外)との対照になっている。何故butかというと、前半が髑髏だからだ。中央部分が髑髏ならば、本来「耳」は存在しない。それを踏まえてカーは「ところが」のニュアンスを付け加えているのだ。直訳だと「ところが、髑髏の両脇に1本ずつ塔が建っている。これはこれで大きな耳にかなり似ている。そのせいか、悪魔があざ笑いながら我ら人間の行いに聞き耳を立てているようにも見える。」となる。2文をまとめて私訳とする。
    (私訳)髑髏城の中央部分はかなり奇怪な建築が施されているので、正面全体がまさに巨大な髑髏だ。目も、鼻も、ギザギザの歯と顎までもが備わっている。ところが、髑髏の両脇には塔が1本ずつ建っている。これはこれで大きな耳にかなり似ている。そのせいか、悪魔があざ笑いながら、我ら人間の行いに聞き耳を立てているようにも見える。
     旧訳のような見事な外連味はすべてそぎ落としてしまい、「幽霊の正体見れば」的な味も素っ気も無い訳文にしてしまったのは、僕の拙い英語力のせいだ。これは勘弁願うとして、問題にしたいのはlike huge earsの部分だ。旧訳は「大きな耳をぴんと張った」と訳していて、これが「とんがり屋根の塔」の印象につながってしまう恐れがある。新訳は「一対の大耳になかなかうまく似せてある」としてフラットな印象に戻しているが、「似せてある」と訳されると前半のweirdly constructedの一部であるかのような印象につながる恐れがある。何を言いたいかというと、2つの塔は「単に大きいだけで、耳に見せようと造られたものではない」という事を言っておきたいのだ。

     『ミステリな建築…』では、続いて江戸川乱歩の『カー問答』における『髑髏城』の酷評や、あの北村薫さんにしてまでもが対談で「辟易」したと話していたという、大変に興味深い、というかはなはだ見過ごしがたいエピソードが書かれている。これは是非とも詳細に吟味したいところだが、この散策文の範囲外だ。改めて書評で検討したい。その後に、著者が幼い頃のヒーローだったルパン物のような醍醐味を『髑髏城』に感じていたという記述も我が意を得たりというところで、まさに○○を見つけては探索したりするなどという描写に、大人向きのミステリで出会えるとはという感慨があった。という話も、また稿を改めて書きたい。先を急ごう。

     その後に、今回の髑髏城のイラストをどのように思いついたかという記述が出てくる。もちろん「ミステリな建築」と違って「建築なミステリ」に出てくる建築物のほとんどが文章のみで形作られている。中でも髑髏城は描写があいまいで、はっきりとしない。篠田さんも書かれているように、カーは前年のライン川巡りの旅の体験を活かして、髑髏城のイメージを形作った事は間違いない(くわしくは(その5)を参照の事)。ただし、ライン川沿いの古城は数多くあり、カーが参考にしたというルーラントの『ライン川の伝説』からも、それらしき城は特定できなかった。僕の最有力としたのはシュトルツェンフェルス城である(くわしくは(その6)を参照の事)。この城の塔の上部は「狭間仕立て」だ。

     篠田さんの着想は、この散策文でもお世話になっているCarr Graphic vol.1に基づいている。P.30に、森咲郭公鳥さんが髑髏城外観図を描く際に参考にした城のイラストと写真が掲載されている(城の名前は明かされていない)。写真の方は城の正面入口にあるcauseway(石畳の通路)とthe gates(城門)の参考としたようだが、これはエルツ城だろう。森の中に建つ城で、髑髏城本体の参考にはならないが、城の正面入口としては非常に整っている。問題はイラストに出てくる城で、篠田さんはカッツェ城だと明かしている。ネコ城と呼ばれている城だ(下図参照)。
    ネコ城.jpg
     ネットに出回っているたいていの画像は遠方に城をおさめたものが多くて、判断が難しい。この2本の突き出た塔と、間の曲線的な屋根と目のような窓の組み合わせがネコのように見えるのだろうか。これを髑髏に見立てるのは難しいのではないかと僕は考えた(くわしくは(その5)を参照の事)。ただ、篠田さんの着想はそれとは違っていて、この画像の後方に見える太い円筒状の建物が、ライン河岸から見上げると、2本の塔の間から突き出た大髑髏に見えるのではないかというものだ。なるほど非常に面白い。これに旧訳の「大きな耳をぴんと張った」という描写を加えると、さらに説得力のあるとんがり屋根の塔のイメージが出来上がりそうだ。

     僕は当初、塔の上部がどのような形なのかを確定する事はできないと結論づけようとしていたのだが、like huge earsを根拠に「狭間仕立ての塔」のイメージで考えてみる事にした。原文のtower,towersをすべて当たってみたが、これ以外にtowerに関する外観の形容はround(円筒の)以外は何もない。ではhuge ears(大きな耳)だけで何が言えるだろうか。例えば「大きさ」についてどれだけの事が考えられるか。大髑髏は4階建てだと分かっている。正面右手の塔は3階建てだった。ただし大髑髏の2階から右手の塔内部に入り、そこから3階建てだったので、都合4階建てという点では一致している。通常だと塔の一階分の高さはメインの建築物の一階分よりも短い可能性があるが、塔の部屋はlofty(天井が高い)という記述があったので、ほぼ同じと考える事もできそうだ。だとすると、とんがり屋根がなくても十分に大きな耳に見える高さがあるのではないだろうか。

     また、ライン川に沿って古城を調べていくと、とんがり屋根の塔を持った古城よりも狭間仕立ての塔を持つ古城の方が数多く存在する。こちらを一つ一つ丹念に追っていけば、髑髏城に類似した古城が見つかるのではないか。そう考えて実際にやってみて、一つの可能性に行き着いた。エーレンフェルツ城だ。17世紀にフランス軍に攻撃され、修復不可能となり、廃墟となった。ただ2本の塔が当時の威勢を物語っている。この間に大髑髏が建てられれば、まさに髑髏城と言えるのではないか。すると、おあつらえ向きにドオネイが髑髏城について語る言葉が見つかったではないか。
    (原文)[第1章P.15]
    "because we are going there. He spent a year transforming that weird ruin into a place of the nightmare. I do not know many of its secrets, and I am glad. Not that I believe―monsieur sees! But every trick of his ingenuity was expended on devices to make the average man fear for his wits.
    (旧訳)[P.16]
    メイルジャアは、一年あまりの月日を費して、あの廃墟にすっかり手を入れて、かれの希望どおりの幻想の城に改築してしまったのだ。
     内部の構造が、どんな奇怪な秘密をはらんでいるか、そこまではわしたちにはうかがい知れん。しかし、とにかくかれは、あの奔放な想像力を駆使して、ひとを驚かせ、かつ恐れさせるために、ありとあらゆる仕組みを考案し、くふうを凝らしたことだけは疑いないのだ。
    (新訳)[P.19]
    「同行先だからな。あいつは一年かけて、あの風変わりな廃墟を悪夢の巣に変えた。あそこの秘密はあまり知らんし、知らぬが花だと思っている。言わずと知れた、例のあれ―を信じているからじゃない。が、やつの天才と創意を凝らした仕掛けからくりは、どれをとっても並みの男を錯乱させるに足る恐怖だ。
     髑髏城は元々は廃墟だったものを魔術師メイルジャアが買い取って、一年もかけて思い通りの改築を施した。まさにエーレンフェルツ城はかっこうの物件だったはずだ。引用元のサイトには「南側は絶壁で北側には深い堀が彫られています。二つの角櫓を持ち高さ20mの城壁が建てられています。」と書かれていて、絶壁、堀(濠)、2つの角櫓(塔)、20mの城壁(髑髏城は27m)のように類似点が多い事がわかる。

     もちろん、僕個人の妄想に過ぎないのは間違いない。ただ、この妄想を後押ししてくれたのも、やはり『ミステリな建築…』なのだ。篠田さんは上記の同じ箇所を引用して、髑髏城の「円筒形の天主と、尖った耳に見立てられる左右の双塔」は土台の上に再建されたものではないかと考えている。そうであれば、組積造では難しい天主のさまざまな意匠や仕掛けを鉄筋コンクリート造で叶える事ができたはずだと。この記述に僕自身も魅せられてしまった。なるほど、そうであるならば、僕の髑髏城もエーレンフェルツ城を土台にして大髑髏を中央に設え、両脇の塔を大きな耳に見立てる事ができるだろう。冒頭に新訳の「一対の大耳になかなかうまく似せてある」をたしなめた理由もここにある。元からあった双塔に鉄筋コンクリートの大髑髏をあわせる事で、結果的に「大きな耳に似る」事になったのだ。
    髑髏城外観図(3D)-3.jpg 髑髏城外観図-4.jpg

     『ミステリな建築…』では、この後、晩餐会の夜にライトアップして偉容の姿を見せた髑髏城の描写や、天主である大髑髏の最上階の描写などが見事に再構築されていくが、そちらは僕の散策ではまだ未見である(という体になっている)ので、この後の回で逐次取り上げる機会がくると思う。とりあえず、僕の髑髏城の外観は、ささやかながらその姿を変えた。次こそは「ダンスタンとイゾベルとの逢い引きの場面」になる。

    『ミステリな建築 建築なミステリ』の著者からのコメントに答えて

    (2024/4/7追記)
     コメント欄に著者・篠田さんから丁重なお礼の言葉と共に、貴重なご指摘をいただいた。それに対する回答をここに追記する。
     まず私訳の「建築が施されている」はis so weirdly constructedの訳で、元々は「奇怪に作り込まれている」と訳したが、あまりに変なので手を入れた。ただし手を入れた後も気になっていたので、まことにごもっとな指摘だと思う。weird(超自然的な、この世のものとは思えない、不気味な)の派生副詞とconstructed(建造する、造る)とが日本語としてうまく落ち着かない。そこが問題なのだ。「不気味に造られている」「この世のものとも思えないように造られている」とすれば意味は通じるが、日本語らしくない。英語では建造物なのでconstructという動詞を使っているが、日本語にするならば、いっそ「かなり不気味(な様子)だ」と言い切ってしまうのもいいかもしれない。ちょっと日和って「髑髏城の中央部分はかなり不気味な造りになっていて」ぐらいにしておこう。
     もう1点は「図像学的に悪魔の耳は尖っている」というご指摘だ。なるほど、確かに悪魔の耳は尖っているのが定番。バンコランの髪が、両耳が立っているかのように整髪されているイメージがあるのもそれなのだろうか。などと別の妄想に耽ってしまう。この件については、まったく争うつもりはなく、塔の屋根が円錐(とんがり)か円柱(狭間胸壁がついた平ら状)かは、あくまで読者のイメージに属する部分としか言えない。篠田さんの愛着ある髑髏城のイメージを損なう事はしたくないので、こちらが正しいと強弁するつもりはまったくない。
     その上で、ご指摘をあらためて考えて「髑髏城の髑髏は悪魔なのだろうか」という疑問が湧いてきた。原文には、髑髏城は髑髏の意匠を身に纏っているという説明しかなく、塔の唯一の形容が「like huge ears(大耳のよう)」である。しかもbutの解釈から塔は本来の意匠ではなく、余分なもの、たまたま大きな双塔が添えられて耳に見えたという順番なのではないかと僕は考えた。もちろん、この考え方自体が誤解に基づいているかもしれないので、あくまで個人的な見解にすぎない。
     でもお前は私訳に「悪魔が」と書いてるじゃないか、とツッコまれそうだと気づいた。それでさらに考えたのだが、原文はthe devilish thingと書かれている。devilではないのだ。「悪魔が」と訳したのは新訳をそのままパクったのだ。でもdevilishは「悪魔のような、邪悪な」という意味はあってもthe divilish thingが悪魔そのものになる事はたぶんない。よくよく見れば旧訳は「ぶきみな髑髏」と訳していて、こちらを採用すべきだった。
    (私訳改訂版)髑髏城の中央部分はかなり不気味な造りになっているので、正面全体がまるで巨大な髑髏だ。目も、鼻も、ギザギザの歯と顎までもが備わっている。ところが、さらに塔が2本ある。髑髏の両脇に1本ずつ建てられているので、大きな耳に思いの外似ている。そのせいか、不気味な髑髏があざ笑いながら、我ら人間の行いに聞き耳を立てているようにも見える。
     ちなみに、私訳を変えたからといって「大きな耳に…似ている」という部分が、塔の上部が平らである事の根拠になるわけではない。ただ、「大きい耳」という事であれば、円錐、円柱のいずれの可能性もありうると言う意味しかない。
    posted by アスラン at 18:40 | 東京 ☁ | Comment(2) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年04月05日

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(目次)

     後追いになるが、目次と内容についてまとめようと思う。

     自分でも驚くくらいに長々と書き綴ってきたおかげで、自分でも何がどこに書かれているか確かめるのが難しくなりつつある。もし奇特な人がいて、『髑髏城』を再読する際にこの文章を読んでみようと思っても、いったい何がどうなっているのか分からなくなると思う。まだ、散策は完結していないのだが、書き継ぐ度に目次の方も書き足していく事にする。

    [目次]
    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その1) 
     はじめに
      カーの原文が読みたい。髑髏城の構造を明らかにしたい。
      Castle Skull (by John Dickson Carr,1931)【ZEBRA Books版、1987年出版】
      ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』(創元推理文庫)【旧訳(宇野利泰)、新訳(和爾桃子)】をお伴に。
      Carr Graphic vol.1(モリワック・晃、森咲郭公鳥、kashiba@猟奇の鉄人)を羅針盤に。  
     髑髏城遠景1(第2章)
      ジェフ・マールがマインツからライン川を下り、夕景の中、髑髏城を遠景に臨む。

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その2)
     髑髏城遠景2(第2章)
      ジェフ、ライン川直下から髑髏城を見上げる。
      battlement(狭間胸壁)とのファーストコンタクト。
     アリソン邸1(第2章)
      コブレンツの埠頭で迎えのボートに乗り、髑髏城対岸のアリソン邸へ。
      川岸からヴェランダ、ポーチ、そして玄関(ファサード)。東洋ふうの灯籠がお出迎え。

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その3)
     事件当夜のアリソン邸〜アガサの回想〜(第2章)
      マイロン・アリソンの妹アガサが事件当夜、対岸から目撃した内容を回想する。
     アリソン邸から見た髑髏城〜アガサの回想〜(第2章)
      対岸から見た髑髏城の外観とは?歯並び(teeth)の正体は?どこからどこへ墜落した?
     アリソン邸から見た墜落場面〜アガサの回想〜(第2章)

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その4)
     アリソン邸船着場〜執事ホフマンの回想〜(第3章)
      ホフマン、運転士フリッツを伴い、髑髏城へと手漕ぎボートで向かう。川の途中で城壁に火がついた何かを目撃。
     髑髏城へ至る坂道〜執事ホフマンの回想〜(第3章)
     息を切らしながら坂道を上る。城壁の真下で胸壁で燃える何かと、たいまつを持った不気味な姿を見かける。 
     城門前、城内、中庭、胸壁〜執事ホフマンの回想〜(第4章)
      the gates(木戸?門?)に到着。causeway(わき道?土手?)
      城内に入り、石造りの通路を抜けて、あっという間に中庭に上がる。
      battlement(狭間胸壁)で燃える人間を発見。狭間胸壁の上?胸壁の上?

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その5)
     ライン川を巡る旅
      前年に友人と行ったライン川巡りの旅で、カーはどの城を『髑髏城』のモデルとしたか。
     『ライン川の伝説』
      ヴェルヘルム・ルーラント著『ライン川の伝説』から何を参考にしてカーは『髑髏城』を書いたか。

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その6)
     ライン川の渡河〜髑髏城探索〜(第8章)
      バンコラン一行、ついに髑髏城へと赴く。
      冒頭の嵐のライン川渡河。ストーリーテラーたるカー面目躍如の描写。
     桟橋、敷石道、九十九折り、頂上〜髑髏城探索〜(第8章)
      回想では見えなかった行程が見えてくる。急坂の小道が意外にも敷石道だとは。
     石畳の通路、城門、城壁内部、通路、くぐり戸、装置〜髑髏城探索〜(第8章)
      「わき道あるいは土手」が「石畳の通路」へ、「木戸あるいは門」が「城門」へと化ける。
      たいまつが床に放り出されていた通路とは?
     「シュトルツェンフェルス城」との類似
      絵画「シュトルツェンフェルス城」の正面入口が髑髏城の描写とそっくりなのでは?
      

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その7)
     通路と階段〜髑髏城探索〜(第8章)
      30ftの通路、右に折れて階段、右に折れて再び30ftの通路。すると元の向きに戻る?
      階段の壁にしつらえた矢狭間、敵の侵入を防ぐ落とし格子戸。
      60ftの通路をまっすぐ行き、突きあたりの階段を上がると、そこに中庭が…。
     通路と階段の見取り図
      ありえない矢狭間の謎。
      胸壁と狭間胸壁とは別物ではない?

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その8)
     ふりだしに戻る
      「アリソンはどこからどこへ落ちたか」を再度検証する。
     battlement,parapet,gallery,teethをたどる散策1(第1〜2章)
      城壁、胸壁、狭間胸壁の使い分け。
      fellは落ちるか?倒れるか?
      battlemented、battlementsとは何か?parapetとは何か?
     battlement,parapet,gallery,teethをたどる散策2(第2〜3章)
      髑髏の歯並びとは何を指すか?
      tumble acrossは墜落するか?けつまづくか?
      ホフマンとフリッツは城壁を見上げて何を見たのか?
     battlement,parapet,gallery,teethをたどる散策3(第4章)
      ホフマンらは中庭からどこへたどり着いたのか?
      アリソンはどこに倒れていたのか?
      サリイ・レインは対岸のアリソン邸から何を見たか?

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その9)
     中庭、石畳、外階段〜髑髏城探索〜(第8章)
      城壁に囲われている中庭とは?
      中庭から外階段を上がるとどこに出る?
     狭間胸壁、回廊〜髑髏城探索〜(第8章)
      狭間胸壁から見おろす。髑髏城はどちらを向いている?
      妄想が行き着いた果てに…。回廊の上には上がれない。
     狭間胸壁と回廊との位置関係〜髑髏城探索〜(第8章)
      ジェフ、胸壁から覗き込んで怖じ気づき、アーチにしがみつく。
      アルンハイム、回廊の床の血痕を調べる。
      髑髏城の大髑髏正面の外観 

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その10)
     回廊、木製ドア、吹き抜けのホール、彩色ガラスの窓、弧になった階段〜髑髏城探索(第8章)
      回廊のはずれにある木製ドアを開けると、ホールが現れる。
      大髑髏の内部の曲面に沿って階段が2階へと続く。途中に彩色ガラスの窓が見える。
     胸壁、回廊、中央玄関〜髑髏城探索(第16章)
      晩餐会の夜にワープ。ジェフは再び胸壁に立つ。
      回廊の側面にあった鉄製の扉が開き、中央玄関への道が開ける。
      髑髏城の外観図

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その11)
     吹き抜けのホール、白しっくいの大髑髏、絨毯、紫檀の階段、ステンドグラスの窓、2階の回廊〜髑髏城探索〜(第8章)
      紫檀の階段は大髑髏の正面手前側に沿っているのか、正面背部側に沿っているのか?
      窓はどちら側についているのか?
      ステンドガラスは黒いのか?暗いのか?
     塔に入るドア、塔内部〜髑髏城探索〜(第8章)
      鏡板に覆われた部屋はロフト仕立てなのか?特大サイズなのか?天井が高いのか?
      鏡板もなくむき出しの部屋。
      3階にして最上階の部屋。
     番人の詰所〜髑髏城探索〜(第8章)
      城門を入ってすぐの番人の詰所まで戻る。
      髑髏城内部の見取り図(大髑髏の2階以上は除く)

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その12)
     ミステリな建築にして建築なミステリの『髑髏城』を散策する
      大髑髏の両脇の塔の屋根はとんがり屋根か、それとも狭間胸壁仕立てか? 
     『ミステリな建築 建築なミステリ』の著者からのコメントに答えて
      著者・篠田さんからのご指摘に答えて、再度、耳の事、屋根の事を考えてみた。

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その13)
     ダンスタンの回想(第13章)
      入江(cove)とは? 小さな森(grove)とは?
      ダンスタンは小さな森で何をみたのか?
     アリソン邸、マイロンの書斎(第14章)
      秘密の通路は1本だけじゃない?
     髑髏城にて。晩餐会会場の広間(第18章)
      あっけないほど描写がない2本目の通路

      
    posted by アスラン at 02:30 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年04月01日

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その11)

    吹き抜けのホール、白しっくいの大髑髏、絨毯、紫檀の階段、ステンドグラスの窓、2階の回廊〜髑髏城探索〜(第8章)

    (今回以降は、多少ストーリー中盤のネタを割る事になる。犯人を直接示すようなネタバレではないが、前もって知っておくとストーリーの面白さを損なう可能性があるので、未読の方は読まないで下さい。)

     前回はついに髑髏城の外観を目の当たりにする事ができた。もちろん僕個人の目に映った髑髏城である事を断っておく。僕にはこう見えた(読めた)に過ぎない。今回は髑髏城の内部を探索する。と言っても髑髏城の本体、石造りの大髑髏は「4階建て」で、その詳細は晩餐会が開かれる終盤の章を同時に検討しないと見えてこないので、とりあえず第8章〜第9章だけで見えてくる塔と番人の詰所とを散策するとしよう。

     (その10)で一度見てきたが、石造りの大髑髏の手前にある回廊(gallery)からコンラッド警部が道案内に立ち、大髑髏の内部に入っていく場面から始めよう。
    (原文)[第8章P.103]
     Motioning Fritz to throw the bull's-eye aheads, he turned to the right. At the end of the gallery was a heavy wooden door, which Konrad opened with one of a big bunch of keys. Our probing lights found a high hall inside the curving head of the skull. Its walls were whitewashed, and far up in the curve was a pointed window of many-coloured glass. A staircase of rosewood, carpeted in black, followed the contour of the wall down to a black floor which reflected the lights in dazzling patches.
    (旧訳)[P.123]
     フリッツにあごでしゃくって、目玉ランプを手に、先に立たせた。コンラッド警部自身は、その右手に従った。回廊のはずれは、がんじょうな樫のとびらになっていた。警部は大きなかぎ束を取り出すと、がちりとあけた。懐中電灯の光が、なめるように内部をはいまわった。そこはちょうど、頭蓋骨の内側にあたる部分か、広いホールのかたちになっていた。天井も見上げるように高く、壁は真っ白に塗られていた。ずっと高いところに、とがった窓がぽつんとひとつ付いている。さまざまの色彩のステンドガラスがはまっていた。
     空洞は頭上ばかりではない。見おろすと脚下も深く沈んでいる。紫檀の階段が、真っ黒な絨毯を敷きつめて、壁に沿いながら、くるくると穴のなかに降りていく。いちばん底は真っ黒な床のように見えるが、懐中電灯の光をあてると、きらきらとまばゆく照り返した。
    (新訳)[P.116]
     角灯で足もとを照らせ、と手振りでフリッツに指示して右に行く。回廊の端で頑丈な木製ドアを大きな鍵束の一本で開けた。めいめい内部に探りを入れる懐中電灯が照らしたのは、丸い髑髏の頭部にしつらえた大広間だった。白しっくいの壁の上方、曲面部分にとがった形の多色ガラス窓がある。黒い絨毯を敷いた紫檀の階段が壁沿いにしつらえてある。漆黒の床が懐中電灯の光をまばゆくはじいた。

     今度は内部の様子をもう少し詳しく見ていこう。回廊を右に曲がった突きあたりは大髑髏の左端で、そこに木製のドアがある。そこから内部に入る。
    (原)Our probing lights found a high hall inside the curving head of the skull. Its walls were whitewashed, and far up in the curve was a pointed window of many-coloured glass.
    (旧)懐中電灯の光が、なめるように内部をはいまわった。そこはちょうど、頭蓋骨の内側にあたる部分か、広いホールのかたちになっていた。天井も見上げるように高く、壁は真っ白に塗られていた。ずっと高いところに、とがった窓がぽつんとひとつ付いている。さまざまの色彩のステンドガラスがはまっていた。
    (新)めいめい内部に探りを入れる懐中電灯が照らしたのは、丸い髑髏の頭部にしつらえた大広間だった。白しっくいの壁の上方、曲面部分にとがった形の多色ガラス窓がある。
     最初の方では「ドーム」とか「丸屋根」と表現された大髑髏だが、ここでは「曲線を帯びた頭蓋骨」と表現される。その内部が吹き抜けのホール(high hall)であり、壁はしっくいで白く塗られている。far up in the curve was a pointed window of many-coloured glassは、「髑髏の曲面のかなり高い位置に、先が尖った窓があり、色とりどりのガラスがはめ込んであった。」と書かれている。旧訳は「さまざまな色彩のステンドガラス」、新訳は「多色ガラス」と書いている。stained glassは「(広くは)彩色ガラス」という訳もあるし、ODEでは「coloured glass used to form decorative or pictorial designs」などと書かれているから、これはもう旧訳のように訳していいのではないかと思う。 ちなみに、この時点では、このステンドグラス仕立ての、先の尖った窓が丸屋根のどの方向にあるのかは分かっていない。

    (原)A staircase of rosewood, carpeted in black, followed the contour of the wall down to a black floor which reflected the lights in dazzling patches.
    (旧)空洞は頭上ばかりではない。見おろすと脚下も深く沈んでいる。紫檀の階段が、真っ黒な絨毯を敷きつめて、壁に沿いながら、くるくると穴のなかに降りていく。いちばん底は真っ黒な床のように見えるが、懐中電灯の光をあてると、きらきらとまばゆく照り返した。
    (新)黒い絨毯を敷いた紫檀の階段が壁沿いにしつらえてある。漆黒の床が懐中電灯の光をまばゆくはじいた。
     紫檀の階段はfollowed the contour of the wall down to a black floorと書かれていて、「壁の輪郭に沿って黒い床に降りてきている」。この輪郭とは、すなわちthe curving(曲面)の事だが、これが木製のドアを入って右側(つまり正面側)か左側(背面側)なのかは、やはりこの時点では分からない。

     コンラッドが階段についた血痕の位置を示しながら、事件当夜の検証報告をする場面。
    (原文)[第8章P.104]
      "Here at the foot of the stairs is a bloodstain. On the carpet three treads up is another―so. Now come up a little way. Here are some bloody finger-marks on the wall, where the victim tries to steady himself. Near the top of the flight there are more. We know he must have been shot about the top of the stairs, for there are no other stains. When the fire was applied, he broke from his captor and ran downstairs, staggering. I wrote it so in the notes I read you. . . ."
    (旧訳)[P.124]
    「お尋ねの血痕は、階段の真下からはじまります。まず、この辺にべっとりついていました。それから三段ほど登ったところで、絨毯がまた血に染まっていました。――またすこし登ってもらいましょう。こんどはこの辺の壁です。血によごれた指の跡が、ほら、こんなぐあいについております。被害者が手を当てて、よろめくからだをささえたものでしょう。登りきったところは、もっとひどい血の海でした。そこで撃たれたにちがいありません。銃弾をくらったので、あわてて相手の手をのがれて、よろめきながら階段を駆け降りたとみえます。以上のことは詳しく報告書にしたためておきましたが……」
    (新訳)[P.117]
    「血痕はこちらの階段下にありました。三段上がった絨毯の上に別のが――それです。もうちょっと上がってみてください。そっちの壁に血染めの手形がついています。被害者が手をついて支えようとした跡です。そんな手形が上の階段口近くにもあります。階段の上付近で撃たれたのはそれで知れます。他に血痕はありませんので。火をかけられると、被害者は犯人の手を振りほどいてよろよろと階下へ逃げました。
     旧訳は「血の海」とか盛っているところがあるので、おおよそ新訳が原文に近いようだ。ただ「手を振りほどいて」もちょっと言い過ぎかも。要するに階段には下から上まで血痕があり、壁には手形が残されている。そこからコンラッド警部は、階段上つまり2階でアリソンは撃たれたと推測した。さらに犯人が火をつけたので、アリソンはそこから逃れるように階段を駆け降りたと考えた。原文には火をつけられた位置まではハッキリと書かれていないが、逃げる前なので撃たれたのと同じ場所だと仄めかしている。

     しかし、このコンラッド警部の検証にバンコランは異を唱える。フォン・アルンハイムも同意見だ。
    (原文)[第8章P.104]
     "He didn't run. Did you take a glass to these marks? I thought not. They are the fingers of a right hand, and a man going down this stair would have to put his left against the wall. They point obliquely down, as you would know if you had ever looked at a fingerprint. There are scratches dug into the wall at their tips, with torn bits of finger nail in them. In short, Alison was carried over somebody's right shoulder, feet first, down the steps, and he was seizing at the wall to retard his captor's progress. . . ."
    (旧訳)[P.125]
    「アリソンは駆け降りなどしてやせん。おまえはこの壁の血痕をどう見たんだ、拡大鏡を使わなかったな。そんなことで、調べたといえるか。いいか、これは右手の指あとだぞ。アリソンが、駆け降りながら付けたとすれば、左手の跡でなけりゃならんはずだ。それに、拡大鏡さえあてれば、壁面を上から下まで、爪で付けた傷跡がつづいているのがわかったはずだ。つまりアリソンは、だれかの右肩に、足を上に、頭を背後にしてになわれておったのだ。階段を下に運ばれるあいだ、なんとかして相手の歩みをさえぎろうと、むなしく壁面にすがりつこうとしたのだ……」
    (新訳)[P.]
    「逃げたわけではない。この血痕をちゃんと拡大鏡で見たのか。たぶん、そうじゃなかろう。これはすべて右手の指なのに、この階段をおりる人間がいたら、壁につくのは絶対に左手でなくてはならない。この手形はどれも斜め下を向いている。ちゃんと調べていればわかったはずだ。指先が引っかいたように壁面に食いこみ、爪の切れっぱしがちぎれて中に残っている。要は、アリソン氏は足を前にして誰かの右肩に担がれ、階段を担ぎおろされる途中でどうにか少しでも足止めしようと、必死のあがきで壁にしがみついた……」
     このアルンハイムの説明は推理というものではない。なにしろ、これ以前にどちらの手の跡かという描写はないからだ。どちらかというとシャーロック・ホームズがお決まりのようにワトソンを驚かせる「観察に基づく演繹推理」の場面を再現したに過ぎない。だが、この推理を開陳してくれたおかげで、階段の配置が確定した。駆け降りたアリソン自身が付けた手形ならば「左の手形」でなければならないと、原文にも書かれている。つまり、階段は大髑髏の正面側の曲面に沿って弧を描くように配置されているのだ。

     そして(その10)でも引用したように、階段を登り切った場面に再びたどり着く。
    (原文)[第8章P.106]
    We were in a long gallery with a fantastically carved balustrade of rosewood; the side stretching to our left was lost in shadows, but at the right―just at the stairhead―was another door.
    (旧訳)[P.127]
     階段の上は、紫檀材に目もあやな精緻な彫刻を施した欄干をめぐらして、長い回廊がつづいていた。左手はやみのなかに沈んでいる。右手にはまた新しいドアが見える。
    (新訳)[P.119]
    外は、見事な紫檀の彫り欄干を巡らした長回廊だ。左手ははるか先の闇の中へ伸びていたが、右手には――階段を上がってすぐ別のドアがあった。
     左手の闇に隠れている2階の様子は次回以降に改めて見ていく事にするが、一点だけ気になるのは階段の上にあると言う「彫刻を施した欄干(carved balustrade)」だ。研究社新英和辞典によるとbalustradeとは「(手すり子(baluster)の付いている)手すり、欄干」の事。おまけに挿絵まで掲載されていたので、転載する。
    balustrade.JPG
     これは階段の手すりの図になっているが、原文に描かれているのは、左手に伸びる回廊と手前にある吹き抜けとの間を隔てる欄干がbalustradeになっているという事だろう。ちなみに原文では階段を登る前の描写に以下の一文がある。the newel-post(欄干の柱、階段柱)のイメージが湧いてきて非常に有り難い。
    (原)A sconce of carven ebony, standing as tall as a man and containing six tall candles, stood beside the newel-post.
    (旧)階段の欄干の柱のそばの壁面に、ぼくたちの頭ほどの高さで、黒檀の精巧な彫刻を施した燭台が突き出して、六本の太いろうそくを受けていた。
    (新)人の背丈ほどある、黒檀彫りの燭台が長蝋燭を六本立てて階段柱の手前に控えていた。


     このあと、コンラッド警部は右手のドアが塔とつながっていて、塔の上の階にある部屋で番人の死体が見つかったと説明して、一行を案内しようとしてから、バンコランの姿を確認しようと階段の方へふり返る。(その10)でも引用したが、こちらも再度引用する。
    (原)He broke off to look down at Bencolin, who was standing on the stair before the window of dark and coloured glass, staring at it curiously.
    (旧)かれはことばを切ってうしろをふり返った。バンコランは階段を登りきったところで、窓にはめた黒っぽいステンドガラスを見つめていた。その目は異様な光に燃えていた。
    (新)そこで言葉を切って見おろすと、バンコランはまだ階段の途中で濃いめの多色ガラスの窓を興味津々で見ていたが、
     階段が大髑髏の正面手前側にある事が確認されたが、それと同時にバンコランが階段の途中で立ち止まった位置も判明する。ここまでの原文では明言されていないが「先の尖った色とりどりのステンドグラス」とは外部から見たときに鼻に見立てられた三角窓で間違いない。バンコランはちょうど大髑髏の正面真ん中の位置で立ち止まり、このステンドグラスを興味深げに見上げている。
     この記述はCarr Graphic vol.1でも取りざたされている(P.33)。the window of dark and coloured glassを旧訳は「窓にはめた黒っぽいステンドガラス」、新訳は「濃いめの多色ガラス」とそれぞれ訳しているが、ここは「黒いんじゃなくて暗いんだよ。」というモリワック・晃さんの指摘に同意。つまり外から光が入ってこないために「色とりどりのステンドグラスがはまっているが暗いままの窓」という意味になる。「黒っぽい」はギリギリ伝わらない事もないが「濃いめの」は真逆の意味になっていると感じる。そして、この「暗い」が重要な伏線になっている。何故なら、さっきまで表にいたときには雷鳴とともに稲光がなんども走っていたはずだからだ。

    塔に入るドア、塔内部〜髑髏城探索〜(第8章)

     さて、ここからようやく(その10)でたどり着いた2階右手のドアの先、塔へと進んでいく。
    (原文)[第8章P.106]
    But at von Arnheim's summons Bencolin joined us, and Konrad opened the right-hand door. . . . Good God! Here were more stairs! I despaired ever of seeing an end to them.
    (旧訳)[P.128]
    それでも、フォン・アルンハイム男爵から声をかけられると、すなおにぼくたちのそばに寄ってきた。コンラッド警部は右手のとびらをあけた……
     畜生め! またしても階段だ。どこまで行ったら果てがあるのだ!
    (新訳)[P.119]
    フォン・アルンハイムに呼ばれてみなに追いつき、コンラートが右手のドアを開けると……。いやはや、勘弁してくれ! まだ階段か! どこまで行ったら終わりになるのか、もう心がへし折れそうだった。
     この文をあえて引用するのはジェフの「絶望」を共有するためだ。うっかりすると忘れがちだが、これ、本当に髑髏城散策に立ち会ったならば、行き帰りでへとへとになってもおかしくはない。「こんなに城って大変なの?」と思わずにはいられないほどの道行きだ。

     右側の塔内部の描写。
    (原文)[第8章P.106]
     This round tower was built out from the side of the head. It was about twenty feet in diameter, one very lofty room for this floor. Our lights gave us only a glimpse of the Savonnerie carpets, of the silver fire-screen, and of those haut-lisse Gobelins which were woven, one yard a year, to glorify Louis Quatorze. Walnut panelling had been superimposed on the stone, as I saw when we mounted the staircase. . . . The floor above it was stone walls and archers' slits, in sharp contrast. On the third and last, Fritz, going ahead, let out a cry.
    (旧訳)[P.128]
     この円塔は、髑髏の片側に近接してそびえている。直径わずか二十フィートに過ぎぬが、頂上が部屋になっているらしく、階段がそこまで見上げるほどの高さに伸びている。まず階下のホールを懐中電灯に照らし出すと、暖炉の前にすえられた銀の衝立と、ゴブラン織りの絨毯とが目を驚かせた。
     この貴重な織物は、いうまでもないことだが、ルイ十四世の治世を祝うために、一年に一ヤードずつ織り上げていったと伝えられるものだ。階段を登りはじめると、くるみ材の鏡板で、荒々しい石壁は、たくみに隠してあった……
     頂上の部屋は敷物もない裸の床で、石の壁面に射手の空隙があけてあった。とつぜん、フリッツが、二度めの叫び声をあげた。
    (新訳)[P.120]
     この円塔は頭の脇に建てられていた。直径およそ二十フィートで、各階に特大サイズの一室だけが設えている。ちょっと光を向けただけで、サヴォヌリー工場製の絨毯や、銀細工の火よけついたて、ルイ十四世の栄光を讃えて年に一ヤードずつ織り進んだかの有名なゴブラン織りタベストリーなど名品づくしの調度が見えた。階段をさらに上がれば、石壁を隠しているのは上等なウォールナット材の鏡板だと判明した……。すぐ上の階は石壁に矢狭間をうがって殺風景この上なく、ひとつ下とはえらい違いだ。最後の三階で、先頭のフリッツが思わず大声を上げた。


     なかなか塔の内部の描写は手強い。粘り強く検討していくとしよう。
    (原)This round tower was built out from the side of the head. It was about twenty feet in diameter, one very lofty room for this floor.
    (旧)この円塔は、髑髏の片側に近接してそびえている。直径わずか二十フィートに過ぎぬが、頂上が部屋になっているらしく、階段がそこまで見上げるほどの高さに伸びている。
    (新)この円塔は頭の脇に建てられていた。直径およそ二十フィートで、各階に特大サイズの一室だけが設えている。
     円塔が大髑髏の脇に建っているのは問題ないだろう。直径が20フィート(6.1m)で、旧訳のように「わずか」と言っていいかどうか。その後のone very lofty room for this floor.の解釈が新旧で食い違っている。最初に考えたのは「この階には部屋が一つだけあって、天井がとても高い」という訳だ。旧訳はlofty(そびえたつ、非常に高い)を住宅のロフトのイメージで捉えて「頂上が部屋になっているらしく、階段がそこまで見上げるほどの高さに伸びている」としているが、うーん、どうだろうか。loftyを「高い位置にある」と解釈したのだろうが、「階段が…伸びている」という描写はない。しかも直後に部屋の調度品の描写が書かれているのは、すでに目の前に部屋があるからじゃないのか。
     新訳の方は、この後に出てくる2階、3階にも一室ずつあるという訳になっている。ランダムハウスによるとthisには話し言葉として「ある、一つの、一人の」という不定冠詞aの強調の意味があるようだ。確かに塔の概要を説明している場面ならばそれもあり得る。でも、これは語り手であり一行の一人でもあるジェフ・マールが目の前で見ている光景の描写のはずなので、やはり「この階には部屋が一つある」が正しいようだ。さらに新訳の「特大サイズの」は明らかにおかしい。直径6.1mの円に納まる部屋が「特大」とは思えない。そういう意味では旧訳の「わずか」という形容の方が妥当だろう。これは普通に「天井がとても高い」と解釈すべきではないだろうか。僭越ながら自分の解釈も含めて三つどもえ状態になってしまった。先に進もう。

    (原)Our lights gave us only a glimpse of the Savonnerie carpets, of the silver fire-screen, and of those haut-lisse Gobelins which were woven, one yard a year, to glorify Louis Quatorze.
    (旧)まず階下のホールを懐中電灯に照らし出すと、暖炉の前にすえられた銀の衝立と、ゴブラン織りの絨毯とが目を驚かせた。この貴重な織物は、いうまでもないことだが、ルイ十四世の治世を祝うために、一年に一ヤードずつ織り上げていったと伝えられるものだ。
    (新)ちょっと光を向けただけで、サヴォヌリー工場製の絨毯や、銀細工の火よけついたて、ルイ十四世の栄光を讃えて年に一ヤードずつ織り進んだかの有名なゴブラン織りタベストリーなど名品づくしの調度が見えた。
     「懐中電灯を向けると、〜がおぼろげに見えた」という場面。of …が3つ連続する、いわゆる共通関係の構文だ。
     Savonnerie carpetsは、ジーニアス英和大辞典に「サヴォヌリーカーペット(17世紀のパリ起源の堅く織ったパイル地カーペット)」とある。リーダーズによるとSavonnerieはセーヌ川近くにかつてあった石鹸工場を意味し、そこで製作された事に由来するらしい。だから新訳の「サヴォヌリー工場製」は冗長表現だろう。旧訳は何故か省略。というより3つめのof…に出てくるゴブラン織りのタペストリーと同じものだと勘違いしたのか。
     「銀の火よけ衝立」は旧訳のように「暖炉」のためのものだろうか。だとすると塔の一室の暖炉の排煙はどのようにしていたのか。ちょっと気になる。
     Gobelinsは「ゴブラン織り(タペストリー)」の事。マイペディアによると、「広義にはタペストリーすべてをさすが、本来はフランスのゴブラン家のアトリエで織られた作品をいう。」と書いてある。だからここでも絨毯とは別物でタペストリー(装飾用の壁掛け)を指しているので、旧訳はやはり勘違いしている。ちなみにルイ十四世はゴブラン家の工房を買収して王立工場にしたので、「ルイ十四世を讃えて…」うんぬんという形容が挿入されているようだ。haut-lesseはフランス語だと思われるが正確には意味がとれなかった。「高級で精緻な」なのか「とてもすべすべした」なのか。

    (原)Walnut panelling had been superimposed on the stone, as I saw when we mounted the staircase. . . .
    (旧)階段を登りはじめると、くるみ材の鏡板で、荒々しい石壁は、たくみに隠してあった……
    (新)階段をさらに上がれば、石壁を隠しているのは上等なウォールナット材の鏡板だと判明した……。
     いやぁ、まいった。この歳になるまで「鏡板」が何なのか知らなかったのか。「きょうばん」と読んでいたから姿見のような鏡が壁にはめ込んであるのかと思っていた。「鏡板(かがみいた)」だった。鏡板とは「鏡のような平らな板。框(かまち)や額縁などにいれ、天井、壁、建具などに用いる」とブリタニカに書かれていた。要は羽目板、化粧板だろう。
     ここまでは分かったとして、as I saw when we mounted the staircaseの訳が「階段を登りはじめると」(旧訳)、「階段をさらに上がれば」(新訳)となっているが、どういう状況なのだろう。ここは「階段を登った(登りだした)際に見てとれたように」という事だろう。1階の部屋を俯瞰で見たら「クルミ材の鏡板が石の壁を隠しているのが見えた」という事か。

    (原)The floor above it was stone walls and archers' slits, in sharp contrast. On the third and last, Fritz, going ahead, let out a cry.
    (旧)頂上の部屋は敷物もない裸の床で、石の壁面に射手の空隙があけてあった。とつぜん、フリッツが、二度めの叫び声をあげた。
    (新)すぐ上の階は石壁に矢狭間をうがって殺風景この上なく、ひとつ下とはえらい違いだ。最後の三階で、先頭のフリッツが思わず大声を上げた。
     itはthe staircaseなので、「階段を登って上の階(2階)は鏡板もなくむき出しの石壁で、矢狭間があけてある。下の階とはえらい違いだ。」となり、新訳のとおり。「3階にして最上階に上がると、先を歩いていたフリッツが悲鳴をあげた。」となって、塔は3階仕立てだとわかる。旧訳はなぜか石壁と矢狭間がある階を頂上の階(3階)とみなしている。おそらく例のロフトのような部屋があるのが2階で、その上の階が3階という勘定だろう。「1階は?」というと、大髑髏の右手ドアから塔に入ってジェフが”階段”に絶望したところという事になるが、やはり、ちょっと苦しい解釈だと思える。 one very lofty room for this floor.がthis floorのロフトだとしたら、ロフトに伸びている階段も含めて一つの階のはずだ。やはり、ここまでで「1階は鏡板で石壁を隠した、天井の高い部屋、2階は石壁のままで矢狭間がある部屋、3階が最上階」というイメージで先に進もう。
     ああ、そうだ。大事な事を忘れてた。旧訳の「二度めの叫び声」ってなんだ?もしかしてgoing aheadを「以前に上げた叫び声に続いて」と読んだのだろうか。ちなみに何故フリッツは叫び声を上げたのだろうか。そこに注意しながら次に進もう。

    (原文)[第8章P.107]
     The top had been divided into two parts. We stood on a narrow landing. Before us was a stone wall, pierced by an arched doorway. The door had been thrown back, and, as the rays of Fritz's lamp fell inside, a cold sickness of horror crawled up to my throat. . . . The watchman's body. . . .
    (旧訳)[P.129]
     部屋というほどのことはないが、とにかくそこは、二つの部分に区画されている。ぼくたちはそのあいだの狭い仕切りに立った。目の前の石の壁には、弓なりのとびらがついている。ドアをあけて、フリッツがランプの光をなかに差し入れたとたん、えたいの知れぬ恐怖の叫びが、ぼくののどもとまでこみ上げて来た。
     ……番人の死体!……
    (新訳)[P.120]
    最上階は二つに仕切られ、私たちがたどりついたのは狭い踊り場だった。目の前に石壁をうがったアーチ状のドアがある。そのドアを開けてフリッツの角灯の光がさしこむと、胸の悪くなるような冷たさがじわりと喉もとを這う……。城番の死体だ……。
     「部屋というほどのことはないが」とは口が過ぎます、宇野さん。おそらく上に続く階段が不要なので、きちんと仕切り付きの部屋に設えたと考えるべきで、塔の中では一番「部屋らしい」のではないだろうか。a narrow landingは「狭い踊り場」で新訳が正しい。まずいのはThe door had been thrown back.の訳だ。新旧ともに「ドアをあけて」るが、「ドアはすでに開け放たれていた」。だからこそフリッツは自らの角灯で照らした先を、誰よりも早く見てしまい叫び声をあげたのだ。

     このあと、ジェフを残してバンコランとアルンハイムだけが部屋に入って捜査を続けるが、この散策ではその詳細に関心はないのでスキップしよう。なにしろ10日間ちかく前には殺されていた番人の死体など、ジェフ同様近寄りたくはないものだ。捜査を終えて出てきた二人はジェフと合流し、元来た道を戻る。
    (原文)[第9章P.111]
     When we had descended two flights to the room of walnut panels, we found it glittering with candles. Konrad had kindled every taper in the massive silver brackets around the walls, and the lights were doubled by their reflections in fragile mirrors behind them. Above them stretched the tapestries, blue-green scenes of the riding hunt. Konrad himself sat glumly in a chair beside the marble table, but he sprang to attention when von Arnheim entered.
    (旧訳)[P.133]
     階段を、二つ降りて、くるみ材の鏡板をはりまわした部屋にはいった。数多くのろうそくがきらめいている。壁から大型の銀燭台がいくつも張り出しているのに、コンラッド警部がいちいち火をともして歩いたので、その数々のろうそくが壁の鏡に映えて、部屋は一気にさんぜんと輝いた。
     つづれ織りの壁掛けも、金糸銀糸が同時に光りきらめいた。濃いみどり色の布地に、騎馬での狩猟のさまがくっきりと浮きでている。
     コンラッド警部は、大理石のテーブルのわきに椅子を引きつけて、苦虫をかみつぶしたような顔で控えていたが、フォン・アルンハイム男爵の姿を見ると、さっと立ち上がって、気を付けの姿勢をとった。
    (新訳)[P.124]
     みなで階段二階分を降りてさっきのウォールナットの鏡板の部屋へ戻ると、蝋燭があかあかとついていた。四方についた重厚な銀の壁燭台をコンラートが全部つけて回ったので、みごとな鏡板に灯が映りこんで二重に明るくなっていた。さらに上の壁面にかかったタベストリーは、ブルーグリーンを基調に織りだした弓矢の狩猟風景だった。コンラート本人は大理石テーブルの席のひとつでふて腐れていたが、上役を見たとたん直立不動になった。
     When we had descended two flights to the room of walnut panels(2階分の階段を降りて、クルミ材の鏡板で覆われた部屋に戻った)と書いてあるので、旧訳のロフト解釈は否定された。下で待機を命じられたコンラッド警部が、壁から張り出した燭台に付いてあった小さなろうそくに火をともしておいたので、非常に明るくなっていたという場面だ。鏡板は「鏡」ではないと知ったばかりなのに、mirrors(鏡)が出てくるのでアレ?となるところだ。
    (原)Konrad had kindled every taper in the massive silver brackets around the walls, and the lights were doubled by their reflections in fragile mirrors behind them.
    (旧)壁から大型の銀燭台がいくつも張り出しているのに、コンラッド警部がいちいち火をともして歩いたので、その数々のろうそくが壁の鏡に映えて、部屋は一気にさんぜんと輝いた。
    (新)四方についた重厚な銀の壁燭台をコンラートが全部つけて回ったので、みごとな鏡板に灯が映りこんで二重に明るくなっていた。
     fragile mirrorsを旧訳は「壁の鏡」と言ってしまっているのは誤解を招く。どうやら僕自身も旧訳に誤解させられたようだ。新訳の方は「みごとな鏡板」と書いていて、これはこれで不適切ではないだろうか。このmirrorsは見立てになっていて、「平らな鏡板が、頼りないけれど鏡のようにろうそくの光を反射して」という意味だろう。鏡のように反射するくらい「みごとな鏡板」と言えない事はないけれど、話が飛躍してる。

     バンコランは鏡板で覆われた部屋でおもむろに窓をながめる。窓! 窓があったのか。
    (原文)[第9章P.111]
     Bencolin was regarding a window high up in the outer side of the tower; that is to say, on the side opposite the door entering from the main hall.
    (旧訳)[P.135]
     城塔の外側に向いて、窓がひとつ、高いところに開いていた。バンコランは、目をすえるようにして、それを見つめていた。大ホールから、とびらを通ってこの部屋にはいってくると、真正面に見える位置にある窓だ。
    (新訳)[P.124]
    バンコランは塔の反対側についた高窓をじっと見ていた。大広間からの入口とは、いってみれば向かい合わせの位置だ。
     on the side opposite the door entering from the main hallをどう訳すかで、ずいぶんと状況が変わってしまう。新訳の「向かい合わせ」という言葉は原文通りであるように見えて、とても微妙な言葉だ。正直言うと、大髑髏のメインの広間から入ってきたドアと向かい合わせなのは、塔側から見て同じドアの上部についている窓のように感じる(広間から塔へのドア→←塔の窓)。あくまで塔側から見たドアと向かい合わせという意味で書かれているのだろう(塔のドア⇔塔の窓)。ただ、どちらの解釈も出来てしまうところに分かりにくさが生じている。そこへいくと旧訳は完璧と言っていい。直訳から離れて読者に噛んでふくめるように説明してくれているのだ。

    (原文)[第9章P.112]
    Bencolin turned. His narrowed eyes wandered slowly about the room. They paused on the door to the hall, which was, as I have indicated, at the corner of the room.
     "You recall," he continued, "that when we were coming up that curved staircase in the hall, I stopped to examine that window of dark-coloured glass?"
    (旧訳)[P.135]
     バンコランはふり向いて、室内をじろじろながめまわした。その目は、ホールに向いたとびらのところでくぎ付けになった。
     バンコランはぼくたちに向かって言った。
    「諸君は覚えておいでかな? さっきわれわれが、この円塔をめぐる階段を登って来たとき、ホールでわたしは立ち止まって、あの濃いガラスをはめた窓をじっとながめていたのを――」
    (新訳)[P.125]
     バンコランが向きを変え、閉じぎみの目を部屋のそこかしこにゆっくりと這わせた。その目が止まったのは広間へ出るドアで、さきほど述べたように部屋の隅にあった。
    「覚えているだろう。広間の弧を描いた階段を上がっていく時、私は濃い多色ガラスのあの窓をじっくりと見ていた」
     鏡板で覆われた部屋に、大髑髏の広間から入ってきたドアがある。やはり旧訳のロフト仕立ての解釈は完全に間違っている。Carr Graphic vol.1の髑髏城見取り図(P.28-29)の塔は旧訳準拠で書かれているので、原文との辻褄が合わなくなっている。
     バンコランは大髑髏の曲面に沿った階段の途中で、多色ガラスのはまった窓を興味深げに眺めていた。その意味を説明しようとしているが、that window of dark-coloured glass(濃い多色ガラスの窓)と書かれている。前の描写ではthe window of dark and coloured glass(暗いままの多色ガラスの窓)と書かれていたが、今度は「dark(濃い)」と書かれてしまっている。うーむ、同じ事なのかなぁ。いずれにしてもステンドガラス特有の採光による発色が見られないという事を言いたいのだと思う。

     バンコランは多色ガラス窓の色合いだけでなく、外の嵐の音についても指摘する。
    (原文)[第9章P.112]
     "Because," Bencolin said, gently, "though the window faced the storm, I heard against it no sound of rain."
    (旧訳)[P.136]
    「いかにも、わたしは興味を引かれました。塔外では、あれだけ激しいあらしが吹きつのっているのに、あの窓に耳をあてても、全然、雨の音が聞こえなかった」
    (新訳)[P.125]
    「あの窓は嵐をまともに受けていたのに、雨音がまるで聞こえなかったからだ」
     ここでバンコランが言っているthe windowはもちろん大髑髏の階段の上にあった多色ガラスの窓の事だ。「今、この鏡板の部屋にある窓からは風の音、嵐の音が聞こえてくるのに、あちらの窓からは何も聞こえなかった」と言っている。そしてようやくアルンハイムもバンコランの言いたい事を理解した。壁と壁の間に通路があるのだと。

    (原文)[第9章P.112]
     Bencolin went over to the wall which stood at right angles to the door into the hall. He raised the tapestry hanging there, disclosing the walnut panelling. He had only to push the nearest panel and it swung open.
     "It follows, you see, the curve of the skull downwards," said Bencolin.
    (旧訳)[P.136]
     バンコランは、ずかずかと、ホールに面したとびらの、右手に当たる壁に歩みよった。たれ下がった壁掛けをはねのけると、くるみ材の鏡板が現われた。手近の板を、ぐっと押すと、ぴんとはねるように開いた。
    「なかは階段になっている。城の、髑髏に当たる部分を曲がりくねって、地下までも降りているようだ。
    (新訳)[P.125]
     バンコランは広間に出るドアと直角をなす壁際に行った。そこのタペストリーをめくってウォールナット材の鏡板をさらし、手近な板を押したとたんに隠し入口がぱっと開いた。
    「つまりは、髑髏の曲線なりにくだる道なんだ」
     旧訳の一箇所を除くと新旧ともにほぼ同じ事が書かれている。旧訳はat right angles to the door into the hallを「ホールに面したとびらの、右手にあたる」と書いているが、このright anglesは「直角」の事なので新訳が正しい。直角と言っても左右あるけれど、ここは構造上ドアに向かって左側の壁になる。タペストリーをめくらないと鏡板が見えないというのは、ここで初めて知ったが、あとはルパン物のような醍醐味で鏡板の奥の通路が現れる。「これをたどれば髑髏の曲線に沿って下に降りていく」と。
     この大髑髏の2階と塔をつなぐドアのすぐ脇の壁に隠し通路がある事の意味は大きい。つまり大髑髏の玄関ホールにある階段と同じ高さで、隠し通路の階段が併走しているという事だ。

    (原文)[第9章P.113]
     We took our flashlights and followed Bencolin through the opening in the wall. It was a narrow, enclosed stair curving down between stone walls, damp and musty.
     "The head of the skull is double along this side," said Bencolin, "and of course it far antedates Maleger's time." He knocked against the wall on the left. "This is the real outer wall. You see? There is a corresponding window of opaque glass just opposite the dummy one we saw on the staircase. Nobody could look through it."
    (旧訳)[P.137]
     ぼくたちは懐中電灯を手に、バンコランのあとについて、壁のなかの空間にはいっていった。せまい、頭がつかえるような階段が、ゆるいカーヴを描きながら、石の壁のあいだを縫って下っていた。湿ったかびのにおいが鼻を打った。
     バンコランがつぶやいた。
    「髑髏の頭にあたるこの部分で、壁が二重になっているのだ。もちろん、メイルジャアの時代より、はるかむかしに作ったものにちがいない」
     かれは、左手の壁をこつこつたたいてみせて、
    「この左手が実際の塔の壁なのだ。あそこに窓が見えるだろう。曇りガラスのはまった窓だ。さっきの部屋で見たのは、窓のかっこうをしているだけで、いま見えるあの窓に向かいあって作ってあるのだ。だから、そこからのぞいてみたって、なにも見えはしないのだ」
    (新訳)[P.126]
     あとの者は懐中電灯を持ち、バンコランについて壁の入口をくぐった。石壁にはさまれて息詰まる狭い階段がうがたれ、なかは湿ってかびくさい。
    「こちら側の髑髏の頭部は二重構造なんだよ」バンコランが言った。「そして言うまでもなく、マリーガーよりはるか前の時代のものだ」左の壁をこつこつ叩いた。「本物の外壁はこっちだ、わかるかね? あの階段から見えた偽物の窓の真向かいに、不透明なガラスをはめた窓がある。そうやって、絶対のぞけないようにしてあるんだ」
     ここまで来ると、いずれの翻訳で読んでも疑問の余地はないだろう。大髑髏のドーム(丸屋根)は二重構造になっていて、間に狭い階段が下に向かって降りている。吹き抜けの玄関ホールで見かけた窓は見せかけ(dummy)で、この通路から見ると向かい合わせに本物の窓がある(本物の窓←隠し階段→偽物の窓)。本物の窓は曇りガラスになっていて光を通さない(通しにくい?)。
     通路を隔てた偽物の窓が多色ガラスである事は確かだが、darkが「暗いのか、(色が)濃いのか」についてもここで決着をつけよう。「ステンドグラス」と訳したのは旧訳のサービス精神ゆえの事だが、ステンドガラスならば光を透過して発色する。本物の窓が光を完全に通さないのであればそれでもいいのだが、opaque(不透明)であるからには濃い色の多色ガラスでさらに光を通しにくいという効果を加えているのかもしれない。ただ、いずれにしても「暗く見える多色ガラス窓」である事は確かだろう。それはひとえに大髑髏の二重構造から来ているという事だ。

     バンコランの推理にアルンハイムが同意する。
    (原文)[第9章P.113]
     "And of course it explains why we found no bloodstains past the top of the stair," nodded the German. "Look sharp! There's one on these steps―get your light on it. See? Alison must have been carried up here before he was taken down the other one. And if we trace this passage, we shall find where Alison was really shot. . . ."
    (旧訳)[P.137]
    「さきほどの階段の上部に、血痕が見られなかったのも理由はそこにあるのだな。ほら! そこについているのは血痕だろう――懐中電灯をあててくれ。まちがいなく血痕だ。アリソンは、この階段にかつぎあげられて、それからさっきの階段に出たのだ。ここをたどっていけば、アリソンが撃たれた場所が発見できるにちがいない……」
    (新訳)[P.126]
    「だから、むろん、階段の上部に血痕がなかったわけだ」ドイツ人がうなずいた。「よく見たまえ! ここの階段に血痕があるぞ――君の懐中電灯をあててみたまえ、な? アリソンはこの階段を担ぎあげられ、もうひとつの階段から担ぎおろされた。この抜け道をたどれば、アリソンが実際に撃たれた現場が見つかるはずだ……」
     犯行の動線を明らかにしようとしている。アリソンは階下で撃たれて、隠し階段を担ぎ上げられて、鏡板で覆われた部屋に出て、大髑髏の2階へつながるドアを通って、吹き抜けの玄関ホールに据えられた階段を担ぎ降ろされたという事だろう。だが、そうすると血痕が階段の上部(大髑髏の2階)には無かったというのは少々手前過ぎないかと思わないでもない。まあ撃たれた場所には血だまりができているはずで、もっと痕跡があってもいいはずなのに見当たらないという事か。

    (原文)[第9章P.113]
     His voice was muffled and hollow as we descended the curve, picking our path carefully to avoid treading on possible bloodstains. You breathed with difficulty in the cramped place. I had a feeling that this whole wild case was nothing but a nightmare of stairs.
    (旧訳)[P.138]
     壁と壁とのあいだの狭い空間は、フォン・アルンハイムの声をうつろに響かせた。階段に血痕がついていると思うと、ぼくたちの足どりも、証拠を踏み荒らさぬように注意しなければならぬ。その暗さ、そのせまさに、息づまる思いだった。考えれば、この事件はすべて、階段の悪夢といってよいであろう。
    (新訳)[P.126]
     くぐもって虚ろに響くその声を聞きながら、われわれ一同は血痕らしきものを慎重によけて曲線のくだり階段をたどった。こんな狭苦しいところでは呼吸もままならない。途方もないこの事件全体が、階段にまつわる悪夢という気がしてきた。
     ここはジェフの「今回の恐ろしい事件は『階段の悪夢』以外の何ものでも無い」という絶望感を共有するのも大事だが、ポイントはwe descended the curve(弧を描いた階段を下った)という部分だ。例の吹き抜けの玄関ホールの階段と同じ高さ、同じ曲線をたどってからというもの、隠し階段の形状についてはこれ以外何一つ言及されない。そして…。

    (原文)[第9章P.114]
     The stair ended at last, in a closed wooden door. Bencolin opened it , poking his light cautiously ahead. At first we could see only frowsy coats and a tangle of pails, brooms, and mops.
    (旧訳)[P.138]
     階段が終わった。つきあたりは、木のドアが、ぴたりと閉ざされていた。バンコランはそれを押して、懐中電灯の光を投げかけた。薄ぎたない仕事着と、手おけ、ほうき、長柄のぞうきんの類が浮かび上がった。
    (新訳)[P.127]
     ようやく階段が尽きると、行き止まりは閉じた板戸だった。バンコランが開け、用心しながら光を前へかざした。まっさきに見えたのは薄汚れた作業着のたぐいと、ごちゃごちゃ置かれたバケツ類やらほうきやらモップなどの掃除用具一式だった。
     階段が終わってしまった。ここから結論づけられるのは、隠し階段は大髑髏の曲線に沿って玄関ホールの階段と併走した後も、らせん階段状にただひたすら狭くてかび臭い階段を降りていくという事だ。これは確かに「階段の悪夢」としか言いようがないかもしれない。

    番人の詰所〜髑髏城探索〜(第8章)

    (原文)[第9章P.114]
     "It's the back of a closet," the detective explained. "The outer closet door is here, and it's locked. Wait."
     He put the lamp in his pocket, poised himself, and crashed his shoulder against that locked door. Another lunge, and the lock splintered; the door flapped back against the wall with a crash, and rebounded. Tripping over pails, we emerged.
     Bencolin was opening the low door on our right. "Watchman's rooms, all right," he said. "Here is the passage by which we entered the castle." The Frenchman walked slowly back to the middle of the room, glancing at his watch.
    (旧訳)[P.138]
    「戸だなの裏側だな」探偵は言った。「ふーん、外側の戸にはかぎがかかっている。いや、待てよ」
     かれは懐中電灯をポケットに押しこんで、からだをなかにもぐりこませると、肩をどんと、かぎのかかった戸にぶつけた。二度めに、はげしくきしんで、戸は開いた。手おけを蹴とばして、ぼくたちは突進した。よごれたぞうきんとみがき粉が、くさったようなにおいを浴びせた。
     バンコランは右手の小さな木戸のようなものをあけて、「思ったとおり番人の部屋だ。この外の通路は、さっき通ったところだ」
     フランスの名探偵は、また部屋の中央にもどって、腕時計にちらっと目をやると、
    (新訳)[P.127]
    「物入れの裏側だ」バンコランが説明した。「物入れの表側のドアがこっちで、鍵がかかっている。待て」懐中電灯をポケットにしまって身構え、鍵のかかったドアに肩ごと体当たりした。さらに肩をぶつけると錠がはじけ飛び、反動でドアがばたんと跳ね返った。バケツを蹴飛ばして外へ出る。
     バンコランが右手の低いドアを開けにかかった。「城番部屋はこのへんにして、こちらはわれわれが城に入った大手通路だよ」そしてゆっくりと部屋の中央へ引き返し、腕時計を一瞥した。
     隠し階段を下りきると、the back of closet(戸だな、物入れの裏側)にたどり着く。そこから表側に出ると番人の部屋だった。この髑髏城探索で正面城壁にある城門を入って通路を数フィートほど行くと、左手に低いくぐり戸が出てきた((その6)を参照の事)。そこが番人の詰所だったはずだ。だとすると、やはり隠し階段をらせん階段状に降りていき、地上についた時には、ちょうど大髑髏の左手の木製ドアの真下あたりにいると考えてもおかしくないだろう。要するに正面から見て左側の塔の真下あたりだ。
     ちなみに右側の塔は今見てきたように詳しい描写が出てくるが、左側の塔については何も言及がない。普通に考えれば左右対称になっていて、吹き抜けの玄関ホールの階段をあがって2階から、左側の塔への連絡ドアがあってもよさそうだが、2階の回廊の構造は左右非対称になっているようなので、一体どうなっているのだろうと思わずにはいられない。まあ、別の話だ。

     すっかり長くなってしまったが、これで大髑髏の玄関ホールと、弧を描いた階段と、暗いままの多色ガラス窓と、2階右手のドアから入る右側の塔と、隠し階段と、その行き着く先である番人の詰所との位置関係が一通り分かった事になる。毎度下手な図で恐縮だが、髑髏城の見取り図を出して終わる事にする。塔の内部の見取り図は立体的には描けそうにないので省略。この見取り図では、邪魔なので大髑髏手前の回廊と狭間胸壁はどいてもらった。
    髑髏城見取り図2.jpg

     次回は、Carr Graphicのお三方も重視しているダンスタンとイゾベルとの逢い引きの場面。何か原文から分かる事があるかどうか。
    posted by アスラン at 01:50 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年03月23日

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その10)

    回廊、木製ドア、吹き抜けのホール、彩色ガラスの窓、弧になった階段〜髑髏城探索(第8章)

     ついに(その10)になってしまった。こんなに続ける事になるとは当初は思ってもみなかったけれど、カーの原文を手探りしながら、調べ物しながら、図を書きながらと、いろんな事に手を出していたら、こんな始末になってしまった。特に今は図を書くのに時間がかかっている。いよいよ今回で髑髏城の外観図が完成するからだ。いままで仕事でもパワーポイントはずいぶん使ってきたつもりだけれど、体裁のいいグラフや図を駆使するところまで凝った事はない。だから髑髏城の立体図を描くなんて事をつい夢見てしまったおかげで、下手な図形を何度となく書き直す羽目になった。最初と比べるとずいぶん上達したが、元々がド下手だったのが、ようやく下手になったに過ぎない。まあ、どこかで早々に手を引く事にしないとキリが無い。

     前回は中庭から階段で狭間胸壁(battlements)に上がり、胸壁(parapet)越しに90ft(27.4m)はあるという城壁の真下を見おろし、腰を抜かさんばかりに、胸壁の隣に建っている回廊(gallery)の側面のアーチにしがみついたというジェフ・マール(語り手)の描写を追体験した。ベルリン警察の捜査主任であるアルンハイムは早々に回廊の中に避難していて、床に血痕が見あたらない事に疑問を抱き、配下のコンラッド警部を問い詰める。「血痕が見あたらないが、どこでアリソンは撃たれて、ここまで走って逃げてきたのか」と。それにコンラッドが答える場面から始める。(その9)でも指摘したが、どうも旧訳の誤訳が目立つ。
    (原文)[第8章P.103]
    The magistrate's teeth were chattering so much that he could hardly reply. He started to speak in German, but corrected himself after an abrupt, savage look from von Arnheim. He said:
     "If you willl all follow me, I will show you. . . ."
    (旧訳)[P.123]
     警部の歯は、がちがち鳴って、満足な返事は出なかった。フォン・アルンハイム男爵の、すさまじいまでにするどい目に射すくめられて、すっかりおどおどとして、やっとの思いで言ったことばはドイツ語であった。
    「ではご案内いたします」
    (新訳)[P.116]
     コンラート判事はろくに歯の根が合わず、返事もままならなかった。ドイツ語でしゃべりかけてフォン・アルンハイムのきついひと睨みをくらい、フランス語に切り替えた。
    「ご一同がついてきてくだされば、現場をお見せいたします……」
     旧訳はafter an abrupt, savage look from von Arnheim(アルンハイムから急に容赦なくにらみ付けられたせいで)をHe started to speak in Germanにもかけてしまったせいで因果関係が逆転してしまっている。これは新訳が正しい。第7章で、コンラッドはフランス語が話せるのでフランス語で受け答えさせると、アルンハイムがバンコランに確約する場面が出てくる。それを踏まえれば、ドイツ語でうっかり話し出したコンラッドをアルンハイムがたしなめるのは当然だろう。

     それに続く描写だ。
    (原文)[第8章P.103]
     Motioning Fritz to throw the bull's-eye aheads, he turned to the right. At the end of the gallery was a heavy wooden door, which Konrad opened with one of a big bunch of keys. Our probing lights found a high hall inside the curving head of the skull. Its walls were whitewashed, and far up in the curve was a pointed window of many-coloured glass. A staircase of rosewood, carpeted in black, followed the contour of the wall down to a black floor which reflected the lights in dazzling patches.
    (旧訳)[P.123]
     フリッツにあごでしゃくって、目玉ランプを手に、先に立たせた。コンラッド警部自身は、その右手に従った。回廊のはずれは、がんじょうな樫のとびらになっていた。警部は大きなかぎ束を取り出すと、がちりとあけた。懐中電灯の光が、なめるように内部をはいまわった。そこはちょうど、頭蓋骨の内側にあたる部分か、広いホールのかたちになっていた。天井も見上げるように高く、壁は真っ白に塗られていた。ずっと高いところに、とがった窓がぽつんとひとつ付いている。さまざまの色彩のステンドガラスがはまっていた。
     空洞は頭上ばかりではない。見おろすと脚下も深く沈んでいる。紫檀の階段が、真っ黒な絨毯を敷きつめて、壁に沿いながら、くるくると穴のなかに降りていく。いちばん底は真っ黒な床のように見えるが、懐中電灯の光をあてると、きらきらとまばゆく照り返した。
    (新訳)[P.116]
     角灯で足もとを照らせ、と手振りでフリッツに指示して右に行く。回廊の端で頑丈な木製ドアを大きな鍵束の一本で開けた。めいめい内部に探りを入れる懐中電灯が照らしたのは、丸い髑髏の頭部にしつらえた大広間だった。白しっくいの壁の上方、曲面部分にとがった形の多色ガラス窓がある。黒い絨毯を敷いた紫檀の階段が壁沿いにしつらえてある。漆黒の床が懐中電灯の光をまばゆくはじいた。
     

     この段落はかなり重要なので1文ごとにきちんと見ていこう。まずは最初の文。
    (原)Motioning Fritz to throw the bull's-eye aheads, he turned to the right.
    (旧)フリッツにあごでしゃくって、目玉ランプを手に、先に立たせた。コンラッド警部自身は、その右手に従った。
    (新)角灯で足もとを照らせ、と手振りでフリッツに指示して右に行く。
     なんだろうなぁ。どちらももっと髑髏城の構造がわかるように注意して訳してほしいものだ。ここは「角灯で先を照らすように身振りでフリッツに指示を出して、コンラッドは右に曲がった」という文だ。Motioningが「手振り」なのか「あごでしゃくっ」たのかは判然としないが、コンラッドならあごでしゃくりそうな気がする。それはいいとして旧訳の「フリッツを先に立たせた」は誤解を招く。コンラッドは照明が欲しかっただけで、道案内は彼自身が先導しないと「血痕の在処」は分からないはずだ。おまけに旧訳はturned to the rightを「(フリッツの)右手に従った」と訳していて、進む方角を示す言葉ではなくなっている。
     一方、新訳が「角灯で足もとを照らせ」となっているのも勝手な振る舞いで、ここから「血痕に注意しろ」とフリッツに念押ししてるわけではない。要は、この後の記述から分かるように髑髏城の内部に案内したいだけなのだ。さらに「(フリッツに指示して)右に行く」と描いているのもマズい。今立ち止まっているところは髑髏城正面の回廊のどこかだ。そこから「右に行った」と書かれると「回廊のどちらに足を踏み出したか」という二択になる。まあ、語り手ジェフの視点で考えると、胸壁から回廊側面のアーチ、回廊内部という動線になるので、髑髏城に正対して右(つまり中庭がある側)に行ったように読めてしまう。Carr Graphicもそういう読み方をしているようだが、ここは「右に曲がった」のだから、中庭側から回廊を歩いて右手に折れる事を意味している。

    (原)At the end of the gallery was a heavy wooden door, which Konrad opened with one of a big bunch of keys.
    (旧)回廊のはずれは、がんじょうな樫のとびらになっていた。警部は大きなかぎ束を取り出すと、がちりとあけた。
    (新)回廊の端で頑丈な木製ドアを大きな鍵束の一本で開けた。
     鉤型に回廊が右に折れ曲がり、そのはずれに「重い木製のドア」が見えてくる。「樫のとびら」とは書かれていないが、まあいいだろう。問題はドーム型の大髑髏の左端にドアがあるという点だ。

    (原)Our probing lights found a high hall inside the curving head of the skull.
    (旧)懐中電灯の光が、なめるように内部をはいまわった。そこはちょうど、頭蓋骨の内側にあたる部分か、広いホールのかたちになっていた。
    (新)めいめい内部に探りを入れる懐中電灯が照らしたのは、丸い髑髏の頭部にしつらえた大広間だった。
     ドアを入ってすぐにhigh hallがある事がわかった。新訳は「大広間」と訳しているが、上階に別の大広間が出てくる。第15章で開かれる晩餐会の会場も最上階の大広間なので、区別が必要だ。high hallと書いているのは2階まで吹き抜けになっているからだろう。これは通常ならば「吹き抜けのロビー、あるいは玄関ホール」となるところではないだろうか。旧訳の「広いホールのかたちになっていた」はそのあたりを考慮した訳になっている。

    (原)Its walls were whitewashed, and far up in the curve was a pointed window of many-coloured glass.
    (旧)天井も見上げるように高く、壁は真っ白に塗られていた。ずっと高いところに、とがった窓がぽつんとひとつ付いている。さまざまの色彩のステンドガラスがはまっていた。
    (新)白しっくいの壁の上方、曲面部分にとがった形の多色ガラス窓がある。
     大髑髏は外は石造りだが、内部の壁はwhitewash(水しっくい)で塗られている。「漆喰(しっくい)」とは「「石灰と水」あるいは「白亜とサイズ(陶砂)と水」を混ぜた溶液で、壁や建物の木造部などを白く塗るのに用いる」とランダムハウスには書かれている。旧訳はざっくりと「白く塗られ」、新訳は「白しっくい」と書いている。
     旧訳は「天井も見上げるように高く」と書いているのは宇野さんのサービス精神だが、ここに至っては余計なお世話だ。本当にそれほど高いのかどうか。要は1階、2階を合わせた吹き抜けなのか。3階以上は吹き抜けているのかどうか。ちゃんと上階の構造を踏まえた上でないとうかつな描写は入れて欲しくない。新訳は相変わらず文構造を変更していて「壁はしっくいで塗られていて、その曲面のかなり上の方に…ガラス窓がある」となるところを前半を修飾句に圧縮している。関係代名詞や分詞構文を駆使して修飾部が過剰になる英文1文を、2文以上の日本語に分割して翻訳するのは理解できるが、あえて2文を1文にまとめる意味がよくわからない。フォーカスを当てる部分が変わってくるので、肯けない訳だ。しかも多色ガラス窓の位置を「白しっくい壁の上方」と書いていて「かなり(far)」を訳し損ねている。

    (原)A staircase of rosewood, carpeted in black, followed the contour of the wall down to a black floor which reflected the lights in dazzling patches.
    (旧)空洞は頭上ばかりではない。見おろすと脚下も深く沈んでいる。紫檀の階段が、真っ黒な絨毯を敷きつめて、壁に沿いながら、くるくると穴のなかに降りていく。いちばん底は真っ黒な床のように見えるが、懐中電灯の光をあてると、きらきらとまばゆく照り返した。
    (新)黒い絨毯を敷いた紫檀の階段が壁沿いにしつらえてある。漆黒の床が懐中電灯の光をまばゆくはじいた。
     この段落最後の文。「吹き抜けの玄関ホール」に入って、目線は大髑髏内部の壁の曲面に向けられ、かなり高い位置にある多色ガラス窓を見ていたが、ようやくにして「階段」をとらえる。これを直訳すると「黒い絨毯を敷いた紫檀製の階段が、壁の輪郭に沿って黒い床へと降りてきていた。床は懐中電灯の光をキラキラと反射した。」という感じだ。キラキラの正体は、この直後にアルンハイムが明かすようにオニキス(縞瑪瑙)だ。この場合は黒のオニキスという事になる。
     それにしても旧訳は何故階段が階下の空洞に降りていくと思い込んでしまったのか。「空洞は頭上ばかりではない。見おろすと脚下も深く沈んでいる。」「くるくると穴の中に降りていく。いちばん底は真っ黒な床のように見えるが」などは、原文のどこにも書かれていない。あえて言えばfollowed the contour of the wall down to a black floor のdownがそれらしき「穴のなか」なのかと思える。ただし、これは普通に考えて「階段が上階から壁の曲面に沿って黒い床に着地する」としか考えられないし、降りてくるからdownが副詞的に使われているとしか思えない。玄関ホールの下に降りられるとは書かれていない。
     ちなみに(その8)でも書いたが、このように余分な副詞(あるいは前置詞)を挿入するのはカーの書きぐせなのではないかと思う。hurry on through to the courtyardとかover on the battlements of the castleの時もそう感じたが、見慣れない書き方に戸惑わされる。

     とにかく紫檀の階段は、木製のドアを入ってすぐ右側にしつらえており、大髑髏内部の曲面にそって弧のよう上に上がっていくと考えてよいだろう。階段は吹き抜けの玄関ホール(high hall)を壁沿いに上がっていき、髑髏城正面から見て右端に接続するはずだ。この後はコンラッドは階段に血痕がどのようについていたか、そこからどのようにアリソンが犯人から逃げてきたかについて説明するが、そこらへんは今回は省略する。髑髏城内部の詳細については次回以降に検討するとして、今回は髑髏城の外観に関係する部分のみを見ていこう。

     階段の上までたどり着いた場面から。
    (原文)[第8章P.106]
    We were in a long gallery with a fantastically carved balustrade of rosewood; the side stretching to our left was lost in shadows, but at the right―just at the stairhead―was another door.
    (旧訳)[P.127]
     階段の上は、紫檀材に目もあやな精緻な彫刻を施した欄干をめぐらして、長い回廊がつづいていた。左手はやみのなかに沈んでいる。右手にはまた新しいドアが見える。
    (新訳)[P.119]
    外は、見事な紫檀の彫り欄干を巡らした長回廊だ。左手ははるか先の闇の中へ伸びていたが、右手には――階段を上がってすぐ別のドアがあった。
     階段を上がりきった位置から見た描写なので、髑髏城正面から見た「左手」「右手」になる。ここらへんの描写はCarr Graphic Vol.1の髑髏城見取り図(P.28-29)にずいぶん助けられているが、とにかく大髑髏の内部は手前が吹き抜けの玄関ホールになっていて、奥の方が回廊や居室になっているようだ。この文で描写された長い回廊は、ちょうど吹き抜けを上がって2階から1階を見おろせる端から端を指していて、そこには欄干(balustrade)が付いている。左手奥の方は光が届かないのか「やみのなかに沈んでいる」が、右手にはドアがある。

    (原文)[第8章P.106]
     "On the left, Herr Baron," Konrad said, very humbly, "the gallery goes to some rooms formerly occupied by Herr Maleger, and furnished. Another staircase goes up, for there are two floors above this one. The door on the right, however, is the one we want. It leads to one of the towers at the side of the skull, and there is the watchman's body. I―"
    (旧訳)[P.127]
    「男爵閣下!」
     コンラッド警部はかしこまって、丁重慇懃な口調で報告した。
    「回廊の左手は部屋になっておりまして、むかしメイルジャア氏が居室に使っておられました。この奥にも階段がありまして、その上にも部屋があり、そこからまた階段で、上の部屋に通じています。それぞれみな、以前のままの調度が備えつけてあります。
     しかし、わたしがご案内しますのは、右手のドアのほうであります。その先は髑髏の片側の円塔に通じておりますが、そこが例の番人の死体の発見された場所でして、わたしは――」
    (新訳)[P.119]
    「左手に回りますと、男爵閣下」コンラートが思い切り低姿勢で、「回廊から元はマリーガー氏の私室があった家具調度づき数部屋へ出られます。そこから別の階段が上へのびております。この上にまだ二階ぶんございますので。ですが、めざす場所はこちらの右手ドアです。髑髏の両脇の塔の片方に出られ、城番の死体はそちらでございます。それと――」
     ここもかいつまんで確認しておきたいのは「回廊を左手に行くと、(元の所有者だった)メイルジャアの居室がいくつかある」という点と、視野には入ってこないが「別の階段で上に上がれて、もう2階ほどある」という点だ。すなわち大髑髏内部は四階建てという事になる。そして右手を行くと「片側の円塔に通じて」いる。ここは大髑髏の右端だから、このドアを通ると耳に見立てられた塔の内部に入る事になる。
     詳細は次回にもう一度検討するとして、ここでは長い回廊(a long gallery)の位置関係を把握しておくだけで十分だ。大事なのは階段がもう一つある点だ。Another staircase goes upと書かれているが、実は1階にもつながっている。そこに注意しておこう。

     続く場面。コンラッドは右手のドアに進む前にバンコランに確認しようと姿を探して階段の方へふり返る。
    (原文)[第8章P.106]
     He broke off to look down at Bencolin, who was standing on the stair before the window of dark and coloured glass, staring at it curiously.
    (旧訳)[P.128]
     かれはことばを切ってうしろをふり返った。バンコランは階段を登りきったところで、窓にはめた黒っぽいステンドガラスを見つめていた。
    (新訳)[P.119]
     そこで言葉を切って見おろすと、バンコランはまだ階段の途中で濃いめの多色ガラスの窓を興味津々で見ていたが、
     「バンコランは、暗くなっている多色ガラスの前で階段を立ち止まり、興味深げに見つめていた。」と書かれている。位置関係としては大髑髏内部の曲面に沿った階段を通ると、ちょうど上もしくは脇に「多色ガラスの窓」が目に入るという事になる。つまり、鼻に見立てられた三角形の窓を内側から見ているという体裁だ。実は外側の窓そのものではないのだが、これについても次回にしよう。

    胸壁、回廊、中央玄関〜髑髏城探索(第16章)

     ここで第8〜9章の髑髏城探索はいったん打ち切って、一挙に第16章にワープしよう。アルンハイムが自ら事件解決を高らかに宣言するための、華やかな舞台。髑髏城での晩餐会に。
    (原文)[第16章P.197]
     I stood on the battlements of Castle Skull, hatless in the cool breeze. Directly in the centre of the gallery whose teeth were arches, they has opened doors I had not seen before―doors which were iron, painted grey, and invisible in the light of our electric torches the other evening.
    (旧訳)[P.253]
     幻想のとりこになったぼくは、髑髏城の胸壁の上で、肌寒いくらいの風に、頭髪をなぶらせながら立っていた。ここからふり返ると、廊(アーチ)がちょうど髑髏の歯のようなかっこうにみえる。その奥が大広間の中央に当るのだが、そこの鉄のとびらが開いている。以前来たとき、その鉄とびらに気が付かなかったのは、石壁とおなじように灰色に塗ってあるので、懐中電灯の乏しい光ではそれと見分けがつかなかったからだ。
    (新訳)[P.217]
     私は帽子もかぶらずに髑髏城の胸壁で夜風にあたって涼んでいた。歯をかたどるアーチが並ぶ回廊の中央に、前には気づかなかった扉が開放されている――灰色に塗装した鉄ドアなので、前夜に持参した懐中時計の光ではわからなかった。
     対岸のアリソン邸からすべての関係者が髑髏城の最上階で開かれる晩餐会へと赴く。髑髏城探索の翌日の夜の事だ。語り手のジェフ・マールは再び髑髏城にやってきて、すでにbattlementsに立っている。ようやくここの描写で、髑髏城の外観が分かる事になる。

     そこで、この記述にあわせて髑髏城外観図を提示しておこう。
    髑髏城外観図(3D)-1.jpg 中庭方面-2.jpg 城門〜中庭-2.jpg
     一番左が「髑髏城外観図」だ。前もって断っておくが、マヌケな泥棒のような色になってしまったのは僕の作図スキルがマズいせいだ。3Dに描いて角度を付けるとなんだか変な色合いになってしまっただけで、本意ではない。それと各パーツの大小はつり合ってない。デフォルメした図だと思ってもらいたい。

     それでは外観図を見ながら確認していこう。I stood on the battlements of Castle Skull(髑髏城の狭間胸壁の上に立っていた)というのは、もちろん構造物としての胸壁を指している。galleryの手前の通り抜けがいわゆる塁(rampart)であり、構造物としてのbattlementsの一部を構成している。以前、rampartを辞書で調べた時に「城壁、塁、壁垣:上部は人馬や火器が通れるほど広く、胸壁がついている」と書かれていた。つまり胸壁だけならparapetで、塁を込みにして初めてbattlementsになる。rampartは「城壁」とも訳されるように、髑髏城が乗っかっている城壁上部全体を指す場合にも使われるようだ。

     ジェフはどちらを向いて涼んでいたかわからないので、旧訳のように「ここからふり返」ったかどうか分からない。高所恐怖症気味だったので、ぼくとしては最初から胸壁を背にして涼んでたんじゃないかと思う。目の前には回廊(gallery)が見えるわけだ。Directly in the centre of the gallery whose teeth were arches, they has opened doors I had not seen beforeは、直訳すると「歯がアーチ型になった回廊のまさに中央部分に、夕べは気づかなかったドアが開いている」となる。つまり回廊の手前の壁はアーチ型のスリットが髑髏の歯のように並んでいるが、向こう側の壁にはスリットはない。向こう側の壁の中央にある「鉄製のドア」は壁と同系色の灰色で塗られていたため、夕べ訪れた際には懐中電灯でも判別がつかなかったという訳だ。

     さらに続き。
    (原文)[第16章P.198]
    Cressets burned on the battlements around me now. Down at the end I saw duskily the green uniform and black helmet of a policeman. I turned and went back into that central hallway, revealed when the iron doors were open. The hallway with the coloured window and the curved stair, which we had seen the other night, I now knew for only a small side-effect in this house.
    (旧訳)[P.254]
     胸壁の上、ぼくの右と左に、かがり火がめらめらと燃えていた。はるか城壁の下、薄暗くおぼろにかすんでいるあたりには、緑色の制服と黒のヘルメット帽とがうろついている。あれは、警戒に立っている巡査にちがいない。
     ぼくはふり返り、鉄のとびらをくぐって、広間に通じる中央の廊下にはいっていった。先夜、ぼくらはこの廊下を通って、五色のステンドガラスに彩られた、窓とらせん階段とに、怪奇趣味を満喫させられたものであったが、広間に灯がはいった今夜にあっては、けっしてそれは、この古城の舞台装置の中心ではなく、それ以上に人目を引くものが新たに現出したのであった。
    (新訳)[P.218]
     そして今、私が立つこの胸壁にはかがり火がいくつも燃えていた。緑の制服に黒いヘルメットの警官が一人、端っこの薄闇で歩哨をつとめている。私はきびすを返し、あの鉄ドアが開いたときに姿をあらわした中央通路へと向かった。前の夜歩きで目にした多色ガラス窓と弧を描いた階段が付属しているが、今ではこれが城全体からすればほんの添え物にすぎないとわかっていた。


    (原)Cressets burned on the battlements around me now.
    (旧)胸壁の上、ぼくの右と左に、かがり火がめらめらと燃えていた。
    (新)そして今、私が立つこの胸壁にはかがり火がいくつも燃えていた。
     相変わらず旧訳も新訳もbattlementsがどうなっていてジェフがどこにいるのか、ちゃんとは掴めてないように思える。旧訳は明らかに回廊の上に狭間胸壁があると思っていて、そこにもかがり火が配置されている。新訳は「私が立つこの胸壁」と書いているが、今ジェフがどこにいると考えているかが怪しい。

    (原)Down at the end I saw duskily the green uniform and black helmet of a policeman.
    (旧)はるか城壁の下、薄暗くおぼろにかすんでいるあたりには、緑色の制服と黒のヘルメット帽とがうろついている。あれは、警戒に立っている巡査にちがいない。
    (新)緑の制服に黒いヘルメットの警官が一人、端っこの薄闇で歩哨をつとめている。
     down at the endも、やや曖昧な表現だが、「(battlementsの)端の奥の方」という感じだろうか。downだから上から降りてきたかのように「はるか城壁の下」とまで書いてる旧訳はやり過ぎだ。downは「奥の方、先の方、中心から離れて、〜のはずれ」などの意味があるので、ここは右か左かは不明だが「端の方に」を強調した言い方だろう。旧訳は「緑色の制服」と「黒のヘルメット帽」の二人以上がうろついてるように読めるなぁ。

    (原) I turned and went back into that central hallway, revealed when the iron doors were open.
    (旧)ぼくはふり返り、鉄のとびらをくぐって、広間に通じる中央の廊下にはいっていった。
    (新)私はきびすを返し、あの鉄ドアが開いたときに姿をあらわした中央通路へと向かった。
     おやおや、I turned and went backだから、やはりライン川の方を向いていたのか。いや、端の方の暗がりにいる警察官を見ていたのだから、そこから「きびすを返し」あるいは「ふり返り」したのかもしれない。went backは「戻った」なので、すでに一度は通った通路なのかもしれない。この後、アリソン邸の客の一人サリイ・レインが迎えに来てWhy did you ran out?(どうして逃げ出したの?)とジェフに聞いてるからだ。
     ところでcentral hallwayとは何だろう。旧訳は「広間に通じる中央の廊下」、新訳は「中央通路」と訳している。これは僕の作成した外観図によると、大髑髏1階のhigh hall(吹き抜けの玄関ホール)につながる通路でもあるし、high hallそのものでもあるはずだ。そもそもランダムハウスによると「1.(建物などの)通路、廊下。2. 玄関、入口の広間、玄関の間」と書かれている。まさに「玄関ホール」ではないか。しかもthat central hallway(例の中央玄関)と書かれている。前日夜にはhigh hall(吹き抜けのある広間)に見えたが、central hallway(中央玄関)だったのかという気持ちが込められた表現だろう。

    (原)The hallway with the coloured window and the curved stair, which we had seen the other night, I now knew for only a small side-effect in this house.
    (旧)先夜、ぼくらはこの廊下を通って、五色のステンドガラスに彩られた、窓とらせん階段とに、怪奇趣味を満喫させられたものであったが、広間に灯がはいった今夜にあっては、けっしてそれは、この古城の舞台装置の中心ではなく、それ以上に人目を引くものが新たに現出したのであった。
    (新)前の夜歩きで目にした多色ガラス窓と弧を描いた階段が付属しているが、今ではこれが城全体からすればほんの添え物にすぎないとわかっていた。
     新訳がほぼ忠実に訳している。ただ、原文が仄めかしているのは何かと言えば「このcentral hallwayこそが真の主役なんだよ」という事だろう。前の夜は脇の扉から入ったし、懐中電灯のみの暗がりだったから演出効果に気づかなかったのだ。
     旧訳の手数の多さを一応持ち上げておくが「五色のステンドガラスに彩られた、窓とらせん階段とに」のような読点の打ち方は褒められたものではない。「ステンドガラスに彩られた」のは「窓」だけでなく「らせん階段」も含むように読めてしまう。ところで「五色の」は「ごしきの」と読むべきところだろう。でも5種類の色が使われていると誤解する人が出てきそうだ。

     さらに中央玄関の描写が続く。
    (原文)[第16章P.198]
     This central hall was large, but severe. At the back was a broad staircase, dividing into two galleries at a landing far up against the wall. Floor and staircase were muffled in thick black carpet. Candles burnt in wall-brackets along the length of the galleries, but here below were no lights. Against the wall at the stairhead stood a suit of black Milanese armour, fifteen century, gilded and inlaid. The candlelight glimmered in the slits of its visor. It leaned on a broadsword and looked at me.
    (旧訳)[P.254]
     中央の廊下は、驚くほどひろびろとしているが、装飾はいたって簡単をきわめていた。正面に、幅の広い階段が見えている。それを登ると、広間に出る。床にも階段にも、黒い絨毯がふかぶかと敷きつめてあった。壁に添って、燭台が張り出している。そこに燃えているろうそくが、この広間のただひとつの照明で、ほかには火のはいるものはなにもない。階段の途中に、十五世紀のミラノの甲冑が一対ならべてある。その眉庇に、ろうそくの火が映えて、キラキラと明るく輝いている……
    (新訳)[P.218]
     この中央通路は広いが簡素なつくりで、奥には大階段があり、はるか上の壁際の踊り場で二手に分かれた回廊へと続いている。床と階段はふかふかの黒い絨毯が足音を消している。回廊の壁にはずらりと蝋燭受けが並んでいるものの、低層階のここまでは照らしきれない。階段を上がったところの壁際に十五世紀のミラノ式金象嵌の黒甲冑一式が立っていた。内部にともした蝋燭の炎が兜の透き穴に揺れ、大剣を杖がわりにしてこちらを見ている。
     ここは次回に詳しく検討するが、さきほど注意喚起しておいたように、回廊の中央ドアから中央玄関に入ると、奥に大階段がある。城や大邸宅におなじみのアレだ。奥に登ると踊り場があって右と左に階段が分かれて上の階に続く。これが「弧を描いた階段」を登りきると出てくる例の回廊とどう結びつくか。すでに腹案はあるけれど、非常に分かりやすい間取りになっていそうだ。

     これでようやく髑髏城の外観として原文から分かる事はすべて味わい尽くしたと思う(実はまだちょっとだけ残っているが、それはおいおい検討する機会があるだろう)。塔の屋根がネコ城のようにとんがり屋根なのか、シュトルツェンフェルス城のように狭間胸壁があるのかも気になるが、どこにも記述がない(あるいは僕が気づいていないだけ?)。屋上があるとは書かれてないので、やはりとんがり屋根が正解なのか。でも耳らしく見えるのはどっちだろう。まだまだ「尽くした」とは言ってはいけないようだ。
     次回は髑髏城の内部、塔の内部などなどを散策していく予定だ。
    posted by アスラン at 01:40 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年03月18日

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その9)

    中庭、石畳、外階段〜髑髏城探索〜(第8章)

     前回の(その8)で仕切り直しをした。そこで確認したのは「マイロン・アリソンはどこにも落ちていない」という事だった。そこで、再び城壁内部の通路と階段をぐるりと巡った終着地courtyard(中庭)にたどり着く事になる。そこから散策を再開しよう。

     ところで、今、非常に後悔しているのは、(その7)の終わりに髑髏城の城壁上部を俯瞰した図を出してしまった事だ。もちろん、あの図を出す事で、城門からどのように内部の通路と階段を歩いたかが一目瞭然だと考えたからだ。後悔しているのはcourtyardとbattlementsの位置関係だ。いろいろと誤解が誤解を生んで、あのような上部を書いてしまったのだが、実は全然違っていた。だが、それには理由がある。原文を読んでも分からない事だらけなのだ。しかも旧訳も新訳もそれぞれに地雷を踏みまくっていて、あてにならない。どう解釈したらいいのか分からない事が多すぎるのだ。Carr Graphicの外観図、見取り図とも全然違っているのだが、それにも理由がある。まずは原文主義。原文でどれだけの事が分かるかを試してみて、その上でCarr Graphicに頼る。とりあえずは自分の脚で歩くことが重要なのだ。

     とりあえず言い訳を言わせてもらってから、(その7)の終わりの場面から始めよう。バンコランとアルンハイム一行は90フィートはあると言われた城壁の上部にようやくの事でたどり着いた。
    (原文)[第8章P.101]
     We emerged at last into a courtyard paved with stone flags. It was impossible to see the surrounding walls, but Fritz led us with sure instinct to an outer staircase going up the front one near the centre. Again we fought the storm; along the battlements it was terrific, for they stood higher than any point in the countryside.
    (旧訳)[P.121]
     廊下を通りきると、中庭へ出た。そこは板石が敷きつめてあった。見上げるような壁が周囲をすっかり包んでいた。その中央に近い階段を、フリッツは先に立って、ぼくたちを導いた。登るにつれて、強い風がぼくたちをまっこうから吹きつけた。胸壁まで登りきると、あらしのはげしさはすさまじいばかりだった。いまやぼくたちは、ラインの中流地方を一望の下に見渡せる高所に立っているのである……
    (新訳)[P.114]
     ようやく出た先は、石畳の中庭だった。壁に囲まれてまったく勝手がわからないが、フリッツによどみなく案内されて城の正面中ほどへ出る外階段へたどりついた。またしても嵐に抗うことになったが、狭間胸壁沿いの眺めは絶景だった。


    (原)We emerged at last into a courtyard paved with stone flags.
    (旧)廊下を通りきると、中庭へ出た。そこは板石が敷きつめてあった。
    (新)ようやく出た先は、石畳の中庭だった。
     城壁(the walls)の内部は、(その7)で見てきたように住居らしきものは、入ってすぐの番人の詰所以外は一切無く、ただ城壁の内側にそって通路(passage)と階段(staircase)があるだけだった。上り詰めたら上部が中庭(courtyard)であるという事に違和感はない。ただpaved with stone flagsというのが「板石が敷きつめてあ」り、「石畳」だというのが意外だった。(その6)でも船着場からの坂道がa stone-flagged pathと描写されていたように、歩く部分だけに敷石が置かれているのではないだろうか?いくらなんでも城壁の上部全体が石畳って事はないよなぁと考えた。
     ついでに「courtyardとは何か」ということでランダムハウスを引くと、「(特に四方を建物・塀で囲まれた)中庭;(城・大きな建物の)前庭[裏庭]」と書かれている。この記述から僕が頭に描いたのは、「丸屋根仕立ての大髑髏と両脇の塔」の前側あるいは後ろ側に中庭(前庭あるいは裏庭)があるというイメージだ。次に進もう。

    (原)It was impossible to see the surrounding walls, but Fritz led us with sure instinct to an outer staircase going up the front one near the centre.
    (旧)見上げるような壁が周囲をすっかり包んでいた。その中央に近い階段を、フリッツは先に立って、ぼくたちを導いた。
    (新)壁に囲まれてまったく勝手がわからないが、フリッツによどみなく案内されて城の正面中ほどへ出る外階段へたどりついた。
     前半を直訳すれば「(中庭の)周囲を取り囲んだ城壁を見ようとしても無理だった」って事だろう。結果的には「まったく勝手がわからない」って事にはなるんだろうけど、城壁を見ようとするのには意味がある。そこに何か(通路か階段)があるはずだから。そして後半はそのとおりにフリッツが無造作に外階段に案内してくれる。

     ここのan outer staircase going up the front one near the centreが本当に難しい。the front oneもthe centreも何を指示するのかちゃんと書かれてはいない。おそらくはthe front wall(前側の壁)とthe centre of the courtyard(中庭の中央)だろう。何も難しい事はないじゃないか。いやいや、そうじゃない。城壁のthe front(前側あるいは正面)とはどちらの壁だろう。中庭はどの壁の手前にあるのだろう。そもそも髑髏城は城壁上部のどの位置に建っているのだろう。何も分からないのだ。

     実はここまで迷走してしまったのはいくつかの原因がある。いちおうそれを列挙しておく。
    (A)the front wall(前側の壁)は、城門のある側の壁とイコールではないのではないか。
    (B)城門はライン川とは逆向きにあるのではないか。
    (C)城壁上部の中央にそびえる髑髏城および双塔の手前がすべて中庭ではないか。
    (D)中庭を囲う城壁に沿って塁(rampart)が盛られていて、階段で上がったところがすなわちbattlements(狭間胸壁)なのではないか。
    (E)gallery(回廊)は中庭に建てられていて、城壁を突き出る形の高さがあるのではないか。
     というような事を考えていた。一つ一つはそれなりに理由があったのだが、(その8)で「battlements,parapet,gallery,teethをたどる散策」を一通り終え、その後に第9章の髑髏城内部の散策もすませ、ついでに一部確認のために第15章の晩餐会の序盤の描写を確認して、ようやく髑髏城の外観の全貌が見えてきた。そうなると、Carr Graphic Vol.1の髑髏城外観図(P.26)の中庭が結局は正しかったのかと思わずにはいられない。ただ、当初は、髑髏城脇にある中庭だけが城壁に囲われていて、城壁上部の下層に位置しているという意味が分からなかったのだ。しかし、今はこれしかないと思えるようになった。そもそもcourtyardという構造物には歴史的に形状や文化があるのだろう。やはり素人が素手で立ち向かうのは難しい。

     とにかく、僕がこれだと思うイメージの中庭からの外観図をここで提示しておこう。これがうまく当てはまるかどうかを原文と照らし合わせる事にする。
    城門〜中庭-2.jpg 中庭方面-2.jpg
     左側が正面城門から中庭に至るまでの通路と階段の見取り図だ。城壁上部からは少し下がった位置にある中庭にたどり着く。それを右側面から見た図が右の図だ。左図で、最後の階段(the staircase)は城門から奥の右端にたどり着く。右図では中庭への出入り口を右手前に書き入れた。雨除けの描写はないので想像だ。ここから再び先ほどの原文と照らし合わせてみよう。
    (原)We emerged at last into a courtyard paved with stone flags.
    (旧)廊下を通りきると、中庭へ出た。そこは板石が敷きつめてあった。
    (新)ようやく出た先は、石畳の中庭だった。
     中庭は「敷石で舗装されている」。フリッツの角灯や他の人の懐中電灯で足もとの様子は確認できただろう。
    (原)It was impossible to see the surrounding walls, but Fritz led us with sure instinct to an outer staircase going up the front one near the centre.
    (旧)見上げるような壁が周囲をすっかり包んでいた。その中央に近い階段を、フリッツは先に立って、ぼくたちを導いた。
    (新)壁に囲まれてまったく勝手がわからないが、フリッツによどみなく案内されて城の正面中ほどへ出る外階段へたどりついた。
     四方は城壁で囲まれているので、嵐の夜では先がまったく見えなかっただろう。中庭を取り囲んだ城壁から先へ行くにはどうすればと戸惑う一行をよそに、フリッツだけは慣れているので「無造作に」外階段へと連れて行く。an outer staircase going up the front one near the centre(中庭の中央近くにある、正面城壁へと登っていく外階段)だ。実は城壁(the walls)と上部との関係が結構面倒だ。the wallsは、四方の合計四枚の「城壁」を指すが、四枚の壁に囲まれた領域(特に上部)を指す事もある。built on the walls(城壁に建てられた)のように。the wallだと「(一枚の)城壁」を指すが、一枚の城壁寄りの領域(特に上部)を指す事もあるようだ。

     そこで思い出して欲しいのが、(その8)でも採りあげた執事ホフマンの回想に出てきた以下の一文だ。
    (原)We hurry on through to the courtyard, up stairs to battlements, through arches to the teeth of the skull,
    (私訳)「城門からの通路を通り抜けて中庭に出て、狭間胸壁へ至る階段を上り、回廊を通り抜けて髑髏の歯にたどり着いた」
     階段を上るとbattlementsが出てくる。battlementsは(その8)でも辞書を引いたが、「(狭間)胸壁」を表すだけでなく「胸壁で囲われた屋根」も指すと書かれていた。だから階段を上がった先の城壁上部がすべてbattlementsとも考えられるが、さすがに上に何かが立っていればbattlementsとは言えないだろう。僕の右図ではgalleryの左脇、正面城壁沿いの通り抜けがbattlementsの範囲だと考える。
     archに関しては『髑髏城』では2種類のものを指している。一つは歯並びに見立てられるgallery(回廊)の側面のarchesであり、もう一つはgalleryの天井の形を表すarchesだ。the teeth of the skullが側面のarchesだから、上記の原文のarchesは「天井のアーチ型」すなわち回廊を意味している事になる。ホフマンは回廊を通って、燃えているアリソンの死体を見つけたわけだ。ただし、アリソンは下から見るとparapet(城壁)から片手が突きだしていたはずなので、死体そのものは側面のアーチ状の隙間越しにbattlements(城壁と回廊の間の通り抜け)に横たわっていたのが見えた事になる。
     「見えた事になる」と書いたが、galleryに付属した側面のarchesが通り抜け可能なのかどうなのかは実はよく分からない。ただ、そうでないと辻褄が合わない記述がこれから出てくるので、そこのところを注目しながら引き続き、場面を見ていこう。

    狭間胸壁、回廊〜髑髏城探索〜(第8章)

    (原)Again we fought the storm; along the battlements it was terrific, for they stood higher than any point in the countryside.
    (旧)登るにつれて、強い風がぼくたちをまっこうから吹きつけた。胸壁まで登りきると、あらしのはげしさはすさまじいばかりだった。いまやぼくたちは、ラインの中流地方を一望の下に見渡せる高所に立っているのである……
    (新)またしても嵐に抗うことになったが、狭間胸壁沿いの眺めは絶景だった。
     先ほどの中庭の外観図(右図)に結構自信があったのだが、この文を読んでちょっとショックを受けた。外階段を登り切った時点か、あるいは外階段に案内された時点か、そこから「嵐と再び格闘した」と書かれている。少なくとも外階段までは屋根が付いていたという事か。いや、中庭は城壁に囲われているので吹きさらしではなかったのが、battlementsまで上がった途端にすさまじい嵐の影響を受けたという事か。注意してほしいのはalong the battlements(狭間胸壁に沿って)と書かれていて、ジェフたちはあきらかに外階段を登り切った後、回廊ではなく胸壁沿いから周囲を見おろしているという点だ。

     同じ場面の続き。
    (原文)[第8章P.102]
     As I have indicated, the walls must have been nearly ninety feet thick. The skull of stone, as nearly as I could judge by our befogged lights, was built up entirely upon the front wall itself, in the fashion of a gigantic tower. It appeared to be rather larger than a good-sized house, and on closer inspection its resemblance to a death's head was lost. Just at the end of the beams we shot up over it, I could discern a huge triangular window which might have been mistaken for a nose, but the upper part was only a blackened dome lost in rain. The teeth resloved themselves into pointed stone arches shielding a gallery from the battlements. As we stood there huddled, clinging to the parapet and fighting for breath, the whole sky suddenly went white with lightinig. . . .
    (旧訳)[P.121]
    前にも言ったと思うが、城壁の高さは九十フィートに近かった。髑髏のような石造ドームが城壁の上からさらに空に向けて、巨大な塔のように、そびえ立っている。広大なやしきほどの規模があるのだが、こうしてすぐそばからながめると、髑髏のかっこうとは考えられない。階段から、胸壁の上へ飛び上がると、すぐ目の前に、三角形の窓があいている。遠くからこの古城をながめたとき、鼻のかたちに見えるのがこれであろう。大きな窓だった。上部は高く、円蓋のかたちになっているらしいが、雨のなかにけぶってやみに消えている。
     胸壁を離れて奥に進むと、建物内部の回廊にはいろうとするあたりに、とがった石の欄干がぎざぎざのかたちを見せて並んでいる。
     これが髑髏の歯にあたるところなのだ。
     真正面から顔にたたきつけてくる烈風に堪えかねて、思わずぼくたちは、からだを丸くしてその場にうずくまった。欄干にとりすがらんばかりにして、ほっと一息つくと、そのとたん、全天が一瞬、真昼の明るさに輝いて、いなずまがするどく宙を走った。
    (新訳)[P.115]
     さきに述べた通り、城壁は九十フィートはある。ぼやけた光で判別可能な限りでいうと、石造の頭蓋骨はまるごと正面城壁に載り、それ自体が天主という構造だ。どうやらそんじゅそこらの屋敷よりはるかに大きいらしく、近づいて細かく見れば、死者のされこうべとは似ても似つかない。光を当てれば鼻の穴に見えなくもない巨大な三角窓が梁の端にのぞいているが、頭のいただきは雨に隠れてただの黒ずんだドーム屋根になっている。歯は狭間胸壁から内回廊をへだてる石の尖頭アーチへと変わった。一同その場で前かがみに防壁へしがみつき、なんとか息を入れようとしていると、ふいの稲妻が天を見渡す限り白く染めた……。

     この段落で重要なのは次の文だ。
    (原)The skull of stone, as nearly as I could judge by our befogged lights, was built up entirely upon the front wall itself, in the fashion of a gigantic tower.
    (旧)髑髏のような石造ドームが城壁の上からさらに空に向けて、巨大な塔のように、そびえ立っている。
    (新)ぼやけた光で判別可能な限りでいうと、石造の頭蓋骨はまるごと正面城壁に載り、それ自体が天主という構造だ。
     さきほどちらっと触れたが、The skull of stone … was built up entirely upon the front wall itselfの解釈が悩ましい。旧訳は「城壁の上から」なんてとぼけて済ましているが、新訳はずばりド直球、「まるごと正面城壁に載り」だ。これで済むなら警察はいらない。いや翻訳家は要らない。どういう意味ですか、「正面城壁に載る」って。on the wallsならば「城壁(上部)に載る」って事だが、on the front wallは分からない。実はこれが、さきほど列挙した迷走リストの大きな要因となっている。onは「接触のon」だから「正面城壁に接して(寄って)」という意味ではないか。でもそうなるとbattlementsの通り抜けやgalleryが邪魔だ。では実は「髑髏の背中を正面城壁と接して」という意味ではないか。ならば髑髏は後部城壁(the rear wall)の方を向いているのではないか。すると城門がある正面はライン川に向いてない事になる。きっと船着場から急坂を登ってきた時に正面に回り込んだのだろう。

     そういえば『ラインの伝説』がカーの元ネタだという話を(その5)で取り上げたが、髑髏城にまつわる幽霊話の基になったのは「シュトルツェンフェルス城」の伝説ではないかと書いた。さらに(その6)では、この城を描いた絵画を見ると、城門まわりの様子がまるで髑髏城そのものだとも書いた。しかも、城門はライン川に背を向けているのだ。さらに調べてみたら、なんとこのシュトルツェンフェルス城は、コブレンツの先でライン川とモーゼル川とが合流する地点から数マイル戻ったあたりに存在する。つまり、まさに髑髏城があるはずの河畔に建っているのだ。ただし、合流地点から戻る(つまり川を昇る)と右手に見えてくるので、正確には同じ川岸にはない。そうそう何もかも辻褄が合うわけではないが、十分に信憑性があるのではないか。などと妄想に次ぐ妄想を膨らませてしまったのだ。

     妄想はとりあえず大事に心の中にしまっておくとして「正面城壁に寄って」という考え方でとりあえず考えてみた。その際、回廊(gallery)は大髑髏の歯並びだから一部と考えれば、そこに並ぶように髑髏が建っていればbuilt upon the front wallと言ってもいいのではないかと、とりあえず指摘しておく。あとで再び検討する。ただ、今この文章を書いていて、もう一つの解釈を思いついてしまった。どのみちon the walls(城壁上部)に建っているのは間違いない。the frontは単純にthe skull of stoneの向きを示しているのかもしれない。つまり「石造りの髑髏は正面城壁の方を向いて建っている」という事だ。そうだとすると新訳の「まるごと正面城壁に載り」では言葉足らずという事になる。「完全に正面城壁を向いて建っていた」ならば良さそうだ。こちらも第二案として取っておこう。

     その後は「幽霊の正体見たり…」という描写が続く。その中で旧訳のある一文が非常に物議を醸す事になる。それは以下の文だ。
    (原)Just at the end of the beams we shot up over it, I could discern a huge triangular window which might have been mistaken for a nose, but the upper part was only a blackened dome lost in rain.
    (旧)階段から、胸壁の上へ飛び上がると、すぐ目の前に、三角形の窓があいている。遠くからこの古城をながめたとき、鼻のかたちに見えるのがこれであろう。大きな窓だった。上部は高く、円蓋のかたちになっているらしいが、雨のなかにけぶってやみに消えている。
    (新)光を当てれば鼻の穴に見えなくもない巨大な三角窓が梁の端にのぞいているが、頭のいただきは雨に隠れてただの黒ずんだドーム屋根になっている。
     itは直前の文に出てきたa death's head(頭蓋骨)の事だ。旧訳も新訳もそれぞれ地雷を踏んでいる。beamsは「梁」ではない(確かにbeamの第一義は「梁」なのだけれど、髑髏城のどこに梁があるのか?)。バンコラン一行が手持ちの懐中電灯を頭蓋骨に向けた際の「光線」の事だろう。それがかろうじて届いたところがat the end of the beamsで、改めて見ると「遠くから見たら鼻のように見えたが巨大な三角窓だった」というわけだ。問題は旧訳だ。もしかしたら旧訳も梁だと思ったのか。回廊の梁(すなわち屋根にあると思い込んだ胸壁)に階段から飛び上がったように書かれている。直接には書いてないが、読者がそう読み間違えてもおかしくない。しかも「すぐ目の前に、三角形の窓があいている。」と書いてしまった。おそらく回廊の上部に上がったならば、三角窓は鼻の位置にあるから「目の前」だと書いたのだろうが、原文にはそんな描写はまったくないのだ。Carr Graphicで回廊の上がbattlementsであり、そこからアリソンが落ちたと考えた外観図(P.26)が書かれているが、旧訳の一文がそう思わせてしまったかもしれない。

    (原)The teeth resolved themselves into pointed stone arches shielding a gallery from the battlements.
    (旧)胸壁を離れて奥に進むと、建物内部の回廊にはいろうとするあたりに、とがった石の欄干がぎざぎざのかたちを見せて並んでいる。これが髑髏の歯にあたるところなのだ。
    (新)歯は狭間胸壁から内回廊をへだてる石の尖頭アーチへと変わった。
     旧訳はfrom the battlementsをresolvedにかけて「胸壁を離れて奥に進むと」と解釈しているが、これは新訳のようにshieldingにかけるのが正しい。ただでさえ原文には髑髏城の各パーツの位置関係を示す描写が少ないのに、勝手に「奥に進むと」と書かれてしまうと、それこそ髑髏城が「変形(resolved)」してしまう。ただし、歯並びに見えるところがa pointed stone arches(石の尖頭アーチ)だと言う新訳の説明よりも、旧訳の「とがった石の欄干がぎざぎざのかたち」の方が読者には分かりやすいか(いや、しかしアーチはスリットの方でアーチとアーチの間に欄干があるのか)。shielding a gallery from the battlementsが単に「へだてる、隠してる」のか、それとも「守っている」のかは一考に値する。battlementsは敵からの攻撃にさらされるだろうから、防備のためにアーチがあるという意味かもしれない。

    狭間胸壁と回廊との位置関係〜髑髏城探索〜(第8章)

    (原)As we stood there huddled, clinging to the parapet and fighting for breath, the whole sky suddenly went white with lightinig. . . .
    (旧)真正面から顔にたたきつけてくる烈風に堪えかねて、思わずぼくたちは、からだを丸くしてその場にうずくまった。欄干にとりすがらんばかりにして、ほっと一息つくと、そのとたん、全天が一瞬、真昼の明るさに輝いて、いなずまがするどく宙を走った。
    (新)一同その場で前かがみに防壁へしがみつき、なんとか息を入れようとしていると、ふいの稲妻が天を見渡す限り白く染めた……。
     ここで出てくるthe parapetと直前の文のthe battlementsとに注目して欲しい。新訳は「防壁」と「狭間胸壁」に統一されているので、別々に胸壁があるような誤解が生まれやすい。parapetはハッキリ言えば「欄干、手すり壁」で、battlementsは狭間胸壁上部に当たる。どちらかと言えば塁(rampart)と言った方が合ってるかもしれない。この場所にいるのならジェフでなくても欄干にしがみつきたくなるだろう。

     さらに続き。
    (原文)[第8章P.102]
     For one instant I had the terrifying sensation that I was being hurled from the battlements, and my wet skin grew hot with fear. We were balanced at an incredible height. Far below, the black pines tumbled outwards, down to a narrow river which leapt out boiling grey under the lightning. So vivid was the flash that we could see our tiny boat bobbing at the pier, and we could see on the other bank the chimneys of the Alison house, with its windows as pin-pricks of light. The sky went black. Thunder crashed in an appalling blow behind our heads. I found myself clinging to one of the arches, half sick at the stomach, and it seemed to me that all the arches quiverd to the thunder-peal.
    (旧訳)[P.122]
     ぼくたちはくらくらとくらめく思いで、胸壁からころげ落ちるかのような錯覚をおぼえた。胸壁からこわごわ下をのぞくと、恐怖で肌がじいんと燃えた。足もとから震えが、全身に、はいのぼってくる感じだった。黒松が小さくうずくまった間から、さしもの大河も帯のように細くのぞいて、いなずまのきらめくたびに、白いあわをおどらせている。あわ立つ波の間に間に、いま乗ってきたボートが、船着き場につながれたままで揺れている。対岸に立つアリソン邸の煙突も、そのガラスの窓も、もちろんやみに沈んでいるが、きらっと電光のきらめく一瞬に、あざやかに眼下に浮かび上がった。いなずまが消えると、暗い雲がますます空を包み、うなるような雷鳴がいつまでも耳に響いている。
     胸のむかつく思いで、ぼくたちは門(アーチ)のひとつにしがみついていた。門そのものまでが震えおののいている感じだった。
    (新訳)[P.115]
    ほんの一瞬だが、叩き落とされるのではないかと怖れおののき、雨にぐっしょり濡れた肌が恐怖でかっかとほてった。われわれは信じがたいほどの高みでバランスをとっていた。はるか下では黒松がてんでに枝を張り出してうずくまり、狭い川が稲妻の下で灰色にわきたって暴れている。稲妻が、船着場で上下するちっぽけなモーターボートや、ほうぼうに煙突を立てて針先でつついたほどの灯を窓にともす対岸のアリソン邸をくっきりと照らしだした。空が一転して黒ずみ、背後の頭上に雷霆が振りおろされて茫然とする。ふと正気づいてみれば、アーチのひとつにしがみついて吐きそうになっており、心なしかアーチ全体が雷鳴でビリビリ震えていた。
     細かい検討は不要だろう。「battlementsから叩き落とされたかのような恐ろしい衝撃」や「信じがたいほどの高みでなんとかバランスをとっていた」とか、ジェフが今置かれた状況がよくわかる。はるか下の方でライン川が「白いあわをおどらせ」、「灰色にわきたって暴れている」のが見える。こんなに厳しい状況にもかかわらず、ジェフはbattlementsから真下を覗き込んだようだ。

    (原)I found myself clinging to one of the arches, half sick at the stomach, and it seemed to me that all the arches quiverd to the thunder-peal.
    (旧)胸のむかつく思いで、ぼくたちは門(アーチ)のひとつにしがみついていた。門そのものまでが震えおののいている感じだった。
    (新)ふと正気づいてみれば、アーチのひとつにしがみついて吐きそうになっており、心なしかアーチ全体が雷鳴でビリビリ震えていた。
     この段落の最後の1文が決定的だ。ここのone of the archesは回廊側面のアーチだ。さっきまでparapet(胸壁)の一つにしがみついていたのに、ふと気がつけば回廊側面のアーチの一つにしがみついていた事になる。つまり回廊はbattlementsと同じ高さにある。というより塁(rampart)の上に乗っているという言い方が正しいのか。

     さらに同じ場面の続き。
    (原文)[第8章P.103]
     "I don't see any signs of blood," said von Arnheim's level, business-like voice. "A hemorrhage of the lung would bleed badly, too. But then the rain would wash them out."
     He was standing within the arched gallery throwing his light along the floor. He addressed Konrad, still in his exquisite French:
     "Speak up! You were over the ground. Were there bloodstains? Where was Alison shot before he ran out here?"
    (旧訳)[P.123]
     フォン・アルンハイム男爵は、事務的な口調で言った。
    「どこにも血痕が見当たらぬようだが、肺からの出血だけでも相当のはずだぞ。雨に洗い流されたのかな」
     天井が弓なりになった回廊に立って、フォン・アルンハイムは懐中電灯の光を床に這わせていたが、コンラッド警部にこう話しかけた。流暢なフランス語であった。
    「コンラッド、なぜ黙っておる。おまえは城内をくまなく調査したというが、どこかで血痕を見ておろう。アリソンはたしか、ほかの部屋で撃たれて、それからここへ逃げ出して来たのだったな?」
    (新訳)[P116]
    「血痕はまったく認められない」フォン・アルンハイムは平気だ。「肺の出血は相当なものだったはずだ。その後に雨ですっかり洗い流されてしまったのだろうな」
     迫持造りの回廊で雨を避けていた男爵が、懐中電灯をずいっと床に這わせた。達者なフランス語でコンラートに命じる。
    「さっさと言うのだ! この場はすっかり調べ終えたのだろう。血痕はあったか? アリソンがここへ走り出る前に撃たれた場所はどこだ?」
     ここの記述もbattlementsとgalleryの位置関係を補強する描写になっている。

    (原)He was standing within the arched gallery throwing his light along the floor.
    (旧)天井が弓なりになった回廊に立って、フォン・アルンハイムは懐中電灯の光を床に這わせていたが、
    (新)迫持造りの回廊で雨を避けていた男爵が、懐中電灯をずいっと床に這わせた。
     いつの間にかアルンハイムは回廊の中に立っている。ジェフは胸壁(parapet)、回廊のアーチ型の側面(one of the arches)にしがみついていた。やはり、battlementsとgalleryは同じ高さで往き来可能だと考えて間違いないだろう。

     しかも、アルンハイムは回廊の通路に血痕がない事を気にしている。アリソンがここを通らなかったという事ではなく、ホフマンやアガサの回想から回廊を通ったのは間違いないとして、「何故回廊に血痕がないのか」を気にしているのだ。しかし、僕たちが今、気にしなければならないのは「アリソンは落ちたのか、倒れたのか」だ。描写は一切ないので想像に過ぎないのだが、おそらく火炎に包まれてよろけるように回廊を歩いたアリソンは、つまづいて側面のアーチからbattlementへと倒れ込んだ。回廊の通路は雨よけでもあるからbattlementsの面よりも一段二段くらいは高さがあるだろう。そこから「ころげ落ちた」という可能性はありそうだ。

     さて、今回はここまで。このあと、アルンハイムはコンラッド警部を叱咤してアリソンが本当はどこで撃たれたのかを問い、いよいよ石造りの髑髏の内部に入っていくのだが、とりあえずここまでで分かった髑髏城の外観を示しておく。ただし、回廊はコンラッド警部が内部に入る際の描写で少し姿を変える事になると予告しておこう。
    中庭から回廊.jpg
    posted by アスラン at 01:30 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年03月10日

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その8)

    ふりだしに戻る

     緊急事態だ。

     (その7)で僕らは髑髏城の正面入口である城門から城壁の内部に入った。そのまま通路と階段を経巡り、ついには城壁の屋上とでも言うべき中庭(courtyard)にたどり着いた。そして、そこで見たのは狭間胸壁(battlements)への階段であり、回廊はまだ見あたらない。その階段を登ればやがて回廊は見えてくるのだが、肝心の回廊の屋根にあたる位置に別の狭間胸壁など見あたらないのだ。では、いったい炎に包まれたマイロン・アリソンは「どこからどこへ落ちたのか」。考えあぐねた末、ある仮説に行き着いた。「アリソンはどこにも落ちていない」のだと。

     Carr Graphicでは、旧訳は「城壁90フィート(27.4メートル)を落ちる」のに比べて新訳は「せいぜい2.5メートル程度」なので、「気持としては、旧訳的に落ちてほしい」とカー愛好家ならではの感想を吐露している。「それどころか全く落ちていない」などと僕が言ったら、日本全国のカーファンから糾弾されて、日本カー学会を追われかねない(あるのかどうか知らんけど)。でも、とりあえずこそっと真実を確かめるために、もう一度時を戻そう。僕の仮説が単なる妄想なのか、真実なのか。そこで僕はすごろくの骰子を振る。出た目を進むとそこにはこう書かれていた、「ふりだしに戻る」と。

     ふりだしに戻る、ふりだしに戻る、ふりだしに戻る。「ふりだし」とは一体どこだろう。悪夢にうなされるように僕は髑髏城の中庭からはるかライン川の水面に戻される。(その1)の書き出しがそうだったように、ジェフとともに蒸気船でライン川下りの旅路に出るところがふりだしだろうか。いや、違う。もっと遡るのだ。

     そもそも『髑髏城』を散策する上で最も重要な言葉はbattlementだ。通常は「狭間胸壁」と訳される。その言葉が最初に出てきたところ。そこがふりだしだ。この散策で使用している原書は『CASTLE SKULL』(ZEBRA Bookより1980年に出版)で、INTERNET ARCHIVEで閲覧が可能だ。見られるのは原書の画像だが、テキストはデータ化されて検索可能だ。この検索機能を使うとbattlementsは25件ヒットする。battlementやbattlementedは検索されないので、分かち書きされた単語をそのまま検索すればいいというわけではないのか。それにしても複数形は検索できて単数形はヒットしないって変だなと思ったら、行末で単語を折り返す場合に挿入するハイフン記号を込みで検索すればヒットするものがあるようだ。battleでたまたま検索したらbattle-mentedも検索できた。これらを含めるとbattlement,battlements,battlementedで全28件ヒットした。これを最初からたどっていけばよさそうだ。

     と同時に、parapetという単語も一緒にふり返っていく必要がある。これが出てくるせいで、城壁の頭部にはparapet、城壁が取り囲む中庭の上にはbattlements(狭間胸壁)という二段ロケット型の建築を思い描いてしまったからだ。検索するとparapetは5件ヒットする。その他にも「回廊」がどのようなもので、どこにあるのかを知る必要がある。galleryが重要だ。7件出てくる。他にも髑髏城の歯並びは何をもとにして見立てているのか。teethを調べないと。18件ヒットしたが、バンコランやアルンハイムやその他登場人物が笑みを浮かべる場面が多く、見立てのteethは8件のみだ。

     要するに、ふりだしに戻って始めるのは「battlement,parapet,gallery,teethをたどる散策」になる。

    battlement,parapet,gallery,teethをたどる散策1(第1〜2章)

     まず最初のbattlementsは第1章P.16に出てくる。マイロン・アリソンの友人にしてベルギーの大富豪ジェローム・ドオネイが、パリのレストランでバンコランに事件解決に乗り出して欲しいと依頼する場面だ。伝聞ながらドオネイはこんな風に言う。
    (原文)[第1章P.16]
    …Alison has been murdered. His blazing body was seen running about the battlements of Castle Skull."
    (旧訳)[P.17]
    名優マイロン・アリソンは殺されたのだ。それもまた大時代に、そのからだを火炎につつまれながら、髑髏城の城壁から転落していったのだ」
    (新訳)[P.20]
    アリソンは殺された。火だるまで髑髏城の城壁を駆け回る姿を目撃されている」
     running about the battlements of Castle Skull(髑髏城の狭間胸壁あたりを走っている)と書かれている。旧訳・新訳ともに「城壁」と書いている。wallsとbattlementsを区別する必要があるならば、これはおかしな話だ。新訳の和爾さんは区別が必要ないと思ったのだろうか。旧訳の宇野さんはフライングしすぎだ。まだ、火炎に包まれて走りまわっているだけで転落などしていない。

    (原文)[第1章P.16]
    He had been shot three times in the breast, but he was alive when the murderer poured kerosene on him and ignited it. He actually got to his feet and staggered out in flames across the battlements before he fell.
    (旧訳)[P.17]
    胸に弾丸を三発も食いながら、なおも負けずに抵抗したらしい。そこで、相手はかれに、石油を頭からぶっかけてそれに火をつけた。残酷なことをしたものだ。さすがのかれも、それには思わずよろめいて、全身から大きな炎をあげながら、城壁をまっさかさまに墜落していった――」
    (新訳)[P.20]
    胸に三発の弾を食らっても死なず、犯人に灯油をぶっかけて放火されるまでは生きていたんだから。そこから本当に自力で立ち上がってよろよろと炎から逃れようとし、胸壁を横切っていって転落した」
     旧訳は相変わらず「城壁」だが、新訳は「胸壁」に変わった。ただ狭間胸壁とは言っていない。問題は、この一文だ。
    (原)He actually got to his feet and staggered out in flames across the battlements before he fell.
    (旧)さすがのかれも、それには思わずよろめいて、全身から大きな炎をあげながら、城壁をまっさかさまに墜落していった
    (新)そこから本当に自力で立ち上がってよろよろと炎から逃れようとし、胸壁を横切っていって転落した
     旧訳はすでに「転落した」とフライングしたが、この文で新訳も追従している。だが、fallは「落ちた」の意味だけではない。「倒れる」とも解釈できるのだ。だからその直前がどのような描写なのかを慎重に読まなければならない。got to his feetのところは新訳のように「なんとか自力でたちあがる」でいいだろう。その後のstaggered out in flame across the battlementsだが、新訳はout in flameを「炎から逃れて」と解釈したのだろうか。stagger out(よろめいて〜に出ていく)という解釈になるのではないだろうか。どこにかというとacross the battlementsだ。これを旧訳は「飛び越えて」と考えている。新訳は「横切って」と書いているが、実質飛び越える事になりそうだ。しかし、以前にも書いたが、「walk across the bridge(橋を歩いて渡る)」のように「端から端に」という意味にも解釈できる。「よろける」とbattlementsを飛び越えてしまうものなのだろうか。問題はそこだ。

     場面は変わって、ジェフ・マールがライン川下りの蒸気船で、アリソンの事件に詳しい記者ガリヴァンと出会って話を聞くところ。
    (原文)[第2章P.28]
    Did you hear the story of the shadow they saw standing on top of the battlements when Alison ran around all on fire?
    (旧訳)[P.32]
    アリソンが全身を火炎に包まれて、髑髏城からころげ落ちたときも、怪しい者の影が、胸壁の上に現われていたそうじゃないか。
    (新訳)[P.33]
    火だるまのアリソンがころがり回った胸壁に人影がいたって話は聞いてるだろ?
     ここでようやく旧訳・新訳そろって「胸壁」と訳すようになった。ここで注意すべきなのはstanding on top of the battlements(胸壁の上に立っている)で、battlementsは立ったり走ったりよろめいたりする事ができる上部があるという事だ。そして、またしてもran around all(そこらじゅうを動き回る)を旧訳は「ころげ落ちた」とし、新訳も「ころがり回った」としている。先ほどのドオネイの話では「よろけた」後に「落ちた(倒れた)」のだから、「ころげ」たり「ころがり回った」りする時間はなかったはずだ。新訳・旧訳ともに訳文が矛盾している。

     続いて、蒸気船が髑髏城に近づいてきた場面。
    (原文)[第2章P.29]
    Then Castle Skull grew in size, though it seemed even farther above our heads. Massive walls, battlemented and fullly a hundred feet high, were built into the hillside. I bent over the rail and craned my neck to look up. In the centre of the walls, built so that the middle of the battlements constituted the teeth of the death's head, reared the vast skull of stone.
    (旧訳)[P.33]
     みるみるうちに、髑髏城の姿は、眼前に迫って来た。狭間造りの城壁が、百フィートにちかい高さで、丘陵のすそを囲んで延びていた。ぼくは甲板の手すりから、首を伸ばしてそのようすをながめやった。城壁の中央に、ずらりときばのような歯を並べて、銃眼が開いている。その背後には、巨大な石造の丸屋根が、頭蓋の形で盛り上がっている。
    (新訳)[P.34]
    どうやらまだ遠そうな場所から、髑髏城がはやばやと顔をつきだしてきた。なだらかな山腹にかぶさる狭間胸壁付きの城壁、高さ百フィートはありそうだ。手すり越しにうんと首を伸ばせば、城壁の中ほどでされこうべのをかたどる中央胸壁の奥に巨大な石造の頭骨が控えている。
     すでに(その2)で通ってきた場面だ。しかし、その時とは全然違った相貌を髑髏城は見せている。
    (原)Massive walls, battlemented and fullly a hundred feet high, were built into the hillside.
    (旧)狭間造りの城壁が、百フィートにちかい高さで、丘陵のすそを囲んで延びていた。
    (新)なだらかな山腹にかぶさる狭間胸壁付きの城壁、高さ百フィートはありそうだ。
     最初に来た時、なぜbattlementedをちゃんと読めなかったのだろう。battlementsがどんなものであろうとも、城壁(walls)に施されたものであって、城壁とはセパレートした構造物と考えるのはおかしいと思うべきだったのだ。

     ここからは少し用語を詳しく見ていこう。battlementedの意味がちゃんと書かれている英和辞典は、リーダーズと研究社の新英和大辞典のみだ。
    battlemented
    (リーダーズ)
     to furnish with ramparts(rampartsを取り付ける事)
    (新英和)
     battlemented = battled1 (胸壁を設けた狭間のある)
    ここでrampartという言葉が出て来た。リーダーズとランダムハウスには以下のように書いてある。
    rampart
    (リーダーズ)
     塁壁、城壁《上部は通路になっていてしばしば胸壁(parapet)が設けてある》、防護壁(となるもの)
    (ランダムハウス)
     城壁、塁、壁垣: 上部は人馬や火器が通れるほど広く、胸壁がついている。
     こういう時、細部を考えれば考えるほど、語の定義が循環してしまうので注意が必要だ。以下にランダムハウスでbastion(稜堡)と呼ばれる構造に付された図を挙げる。形は五角形の特殊な構造物だが、パーツで出てくるrampartとparapetが参考になる。
    bastion.JPG
     ついでにparapetも調べておこう。
    parapet
    (リーダーズ)
     欄干、ひめがき;《壁上の》手すり壁
    (ランダムハウス)
     1.胸壁
     2.(城壁の上に)盛り上げた防御壁

     ここまでで僕の考えをまとめると、battlementedとは「城壁で囲われた上部の平地に城壁に沿って塁(rampart)を築く。この塁を守るために城壁の上に壁(parapet)を作る。これは防護壁でもあり胸壁でもある。あるいは欄干、手すり壁とも言える。このような構造物を取り付ける事」を言う。いわゆる銃を構えるための狭間がないではないかと思われるだろうが、リーダーズ・ランダムハウスの共闘だと「狭間」が出てこない。ただし、研究社新英和大辞典では、胸壁と狭間はペアになっている。
     とりあえずはリーダーズ・ランダムハウスの解釈に従うとして、battlementedで取り付けられた構造物自体がbattlementsだという事になるはずだ。そのつもりで、battlementの訳語を見ていこう。
    battlement
    (リーダーズ)
     銃眼付きの胸壁、狭間胸壁、銃眼(狭間胸壁)付きの屋根
    (新英和)
     1.狭間胸壁、銃眼付き胸壁《塔・城壁の上に設けられたparapet》
     2.胸壁で囲まれた屋根
    (ジーニアス)
     [通例〜s]銃眼付きの胸壁[狭間];(塔や城の)胸壁で囲まれた平たい屋根
    (ランダムハウス)
     1《しばしばbattlements》頂銃眼、(塔上)狭間胸壁、銃眼付き胸壁
     2《しばしばbattlements》1を設けた屋根
      ◆embattlementともいう。
     ここでまたしてもbattlementとparapetの意味が循環するような記述があるのは厄介だ。それには目をつぶるにしても、先ほど考えたbattlementedと、その結果出来たbattlementsには食い違いがあって、名詞の方は明らかに銃眼(狭間)が現れる。それ以外は先ほどの定義が使えると思う。一方、parapetは胸壁しか指さない。それがたとえ狭間があったとしても壁だけならparapetなのだ。それをまとめると、こうなる。
    battlements
     城壁で囲われた上部の平地に城壁に沿って塁(rampart)を築く。この塁を守るために城壁の上に胸壁(parapet)を作る。通常、兵士が塁の上から銃を構える事ができるように胸壁に狭間を付けた狭間胸壁を作る事が多い。このような構造物を指す。
    parapet
     城壁で囲われた上部の平地を取り囲むように作る防禦壁の事。一般的には手すりや欄干と同じ目的の胸壁を指す。要塞化のために狭間を付ける事もあるが、胸壁だけを指す場合はparapetと呼ぶ。

     さて、この定義が使えるかどうかは、この場面の後半の文でさっそく試される。
    (原)In the centre of the walls, built so that the middle of the battlements constituted the teeth of the death's head, reared the vast skull of stone.
    (旧)城壁の中央に、ずらりときばのような歯を並べて、銃眼が開いている。その背後には、巨大な石造の丸屋根が、頭蓋の形で盛り上がっている。
    (新)城壁の中ほどでされこうべのをかたどる中央胸壁の奥に巨大な石造の頭骨が控えている。
     語り手ジェフの視線はライン川の蒸気船から上方にある髑髏城を見上げているはずだ。(その7)で中庭にたどり着いて分かったのは、胸壁に囲われていて外側は一切見えないという事。逆に俯瞰で見ない限り、髑髏城の中庭は見えない。見えるのは、下から「城壁・胸壁・髑髏城と両脇の塔」だ。川の中央から髑髏城を望むと銃眼(狭間)がよく見えるだろう。ここの文は(その2)でも書いたように倒置構文で、the vast skull of stone reared in the centre of the walls(城壁の中央に巨大な石造りの髑髏がそびえる)という文と、その結果としてthe middle of the battlements constituted the teeth of the death's head(胸壁の中央部分が髑髏の歯を構成する)という描写になっている。つまり、奥に位置する髑髏型の丸屋根と手前の狭間胸壁とが重なった部分が歯のように見えるという事だ。やはり、ここの描写では回廊の事は一切語られていないので、果たしてこれで歯に見えるのだろうかと思ってしまう。

     それと「battlementsを使ってparapetを使わないのは何故か」については、胸壁がどう見えるかに依存しているように思える。ある程度遠くから城壁を見ると、上部には銃眼(狭間)が付いた胸壁(battlements)が見える。一方、間近から城壁を見ると、上部には手すりや垣の役目をした胸壁(parapet)が見える。そういう使い分けがあるように感じられる。

    battlement,parapet,gallery,teethをたどる散策2(第2〜3章)

     次は、対岸にあるアリソン邸から事件を目撃したアガサ・アリソンの回想だ。
    (原文)[第2章P.35]
    "All of a sudden something all in flames ran out of the place where the teeth should be. It was very tiny at that distance, but it looked like a man on fire, and it was screaming. You could hear the screams over the water. It started to run along the battlements in the jaws of the skull wildly; and, damn it! I'll never forget that it almost seemed to be dancing in time to that 'Amaryllis,' that tune. Then it tumbled across one of the battlements and lay there, burning. H'm."
    (旧訳)[P.42]
    すると、とつぜん、しゃりこうべののあたりから、からだじゅう火炎に包まれたものが飛び出して来たの。あんな遠くのことだから、ごく小さくしか見えないんだけど、たしかに人間に違いないの。それが全身炎に包まれて、甲高い悲鳴をあげて飛び出して来たの。川の面を越えて、それがはっきりと聞こえてきたわ。そして、あのしゃりこうべのあごにあたるあたりを、さも苦しそうに走りまわっていたんだけど……
     あたし、いまでも考えるとぞっとするわ。まるで、階下のルヴァセールさんがひいている、あのアマリリスの曲に合わせて、踊り狂っているみたいなのよ。そのうちに、何もかもが燃えつきたように、踊っていたそのからだが、がっくりとくずれるようになって、胸壁から下の城壁に墜落していきました。そして、あとはそのまま、そこに横たわってしまったというわけなの」
    (新訳)[P.41]
    そしたらいきなり、炎に包まれたものがダーッと髑髏の歯並びへ走り出てきた。あんだけ遠くでうんと小さかったけど、どうやら火だるまになった男らしくてすごい声を上げてた。あの悲鳴なら川向こうへも届くよ。で、そいつが下あごの胸壁沿いにめちゃくちゃに走りだして、それから、ああ、ちくしょう! このさき忘れようにも忘れられないよ、まるであの『アマリリス』に合わせて燃えながら踊ってるみたいだった。やがて胸壁の一つから転がり落ち、倒れて動かなくなった、燃えながらね。ふむ」
     ここもbattlements2箇所とteeth1箇所で殺人現場を描写している。

    (原)All of a sudden something all in flames ran out of the place where the teeth should be.
    (旧)すると、とつぜん、しゃりこうべののあたりから、からだじゅう火炎に包まれたものが飛び出して来たの。
    (新)そしたらいきなり、炎に包まれたものがダーッと髑髏の歯並びへ走り出てきた。
     一つ前のライン川からの描写で、結局のところbattlements(狭間胸壁)の中央部分が歯のように見えるという事だった。そして、ここでも「何かが歯のようにみえるところから飛び出してきた」と書かれている。歯並びの正体がbattlementsならば上部にあたる塁(rampart)を走っている事になり、辻褄があう。新訳の「歯並びへ走り出てきた」はちょっと変だ。

    (原)It started to run along the battlements in the jaws of the skull wildly
    (旧)それが全身炎に包まれて、甲高い悲鳴をあげて飛び出して来たの。川の面を越えて、それがはっきりと聞こえてきたわ。そして、あのしゃりこうべのあごにあたるあたりを、さも苦しそうに走りまわっていたんだけど……
    (新)で、そいつが下あごの胸壁沿いにめちゃくちゃに走りだして、
     ここでthe battlements in the jaws of the skullという描写は、やはりライン川での描写の「奥に位置する髑髏型の丸屋根と手前の狭間胸壁とが重なった部分」を別の言い方で表現している事になりそうだ。run along the battlementsは、塁(rampart)を狭間胸壁に沿って走っているイメージになる。

    (原)Then it tumbled across one of the battlements and lay there, burning.
    (旧)がっくりとくずれるようになって、胸壁から下の城壁に墜落していきました。
    (新)やがて胸壁の一つから転がり落ち、倒れて動かなくなった、燃えながらね。
     そしてついに問題の場面が出てくる。Carr Graphicの外観図や見取り図でも取り上げられている描写だ。tumbleの訳は「倒れる、転げる、真っ逆さまに落ちる」なので、旧訳は「胸壁から墜落」し、新訳は「胸壁の一つから転がり落ち」ている。だが、落ちる場合は「tumble off/from/out of〜(〜から落ちる)」「tumble into/down〜(に落ちる)」になるようだ。ではtumble acrossは?
    tumble_across-1.jpg
     ネットのフリーのonline dictionaryで調べたらto trip on something with one's foot.(〜にけつまづく)と書いてあった。これまでの描写とあわせると、アリソンは「なんとか自力で立ち上がって、炎に包まれながらよろめいて胸壁(状況的に塁の上)に飛び出し、胸壁沿いに走っていき、胸壁の一つにけつまづいた」という事になる。胸壁に「蹴躓く」ものか疑問が残るけれど、よろよろと右へ左へぶれながら走っていったとしたら、どこかで胸壁に引っかかって躓く事はありうるだろう。「転落/墜落」しなかった最大の根拠はlay there(その場に倒れた)だ。旧訳は訳さず、新訳は「転がり落ち」と辻褄をあわせるように「倒れて動かなくなった」と書いているが、thereはどうしたってbattlementsだろう。落ちた先が書かれてないのだから。

     次は執事ホフマンの回想だ。ホフマンと運転手フリッツが手漕ぎの舟で髑髏城へと向かう途中で何事かを目撃する。
    (原文)[第3章P.47]
    I said, 'Row like the very hell, Fritz!' For we could see a thing lying on the walls, over one of those parapet, burning.
    (旧訳)[P.56]
    「わたくしはフリッツに言いました。大急ぎでこぐんだぞ―フリッツ! ほら、見ろ。城壁の上に、だれかの姿が見えるじゃないか。からだじゅうに火がついて、いまにも城壁からころげ落ちそうだ。
    (新訳)[P.54]
    「それでフリッツに、わ、わた、私はこう命じました。『死ぬ気で漕げ、フリッツ!』城壁の上にひとが倒れているのが目に入ったからでございます。あの防壁の向こうで燃えておりました。
     a thing lying on the walls(城壁の上に何かが横になっている)と言っている。もうすでに分かった事ではあるが、城壁から内側は俯瞰しない限り何も見えない。城壁の上に何かが見える場合、塁(rampart)に立っているか、胸壁(parapet)に乗りかかっているかのいずれかだ。
     その後にover one of those parapetという修飾句が続く。ここを「胸壁の一つに覆いかぶさって」と解釈すれば確かにホフマンから人の姿が見えただろう。そう解釈すれば旧訳の「いまにも城壁からころげ落ちそうだ」と整合する。ただ、そうなると前半の「何かが横になっている」という描写と辻褄が合わない。ここは新訳の解釈が正しくて「胸壁の一つの向こう側で」がよさそうだ。そうか。胸壁の向こう側で燃えているので「人」とは書かず「何か(a thing)」と書かれていたのか。本来、塁に立っていなければ何も見えないはずだが、燃えていたので「何か」が見えたわけだ。

     ホフマンとフリッツはあえぎながらも険しい坂道を半分ほど登って「倒れ込む(旧訳)」。いや「ほとんど倒れそうになる(新訳)」。
    (原文)[第3章P.47]
     "Half up I was panting; I almost fell. I seize a bush, and then look up. High! High over me I see that big wall go, till I grow dizzy looking at it over the trees. Below it is dark, but the moon shines on the top through trees. It is pale; you see the rough stones and the battlements. I saw a man's hand in flames stick out over one parapet, and nearly I am sick.
     "But something else! Beside that I see something else, for just one moment. A huge thing, like a shadow. Like a shadow on the while sky. The shape of a man, with a burning torch in his hand, looks down from the battlements. And then, while I watch, it it gone."
    (旧訳)[P.57]
     で、あえぎあえぎ半分ほど登りまして、そこでばったりと倒れてしまいました。でもやっとのことで起き上がりまして、生い茂った木々のこずえのあいだから、頭の上をのぞいてみますと、わたくしどものすぐ鼻の先に、切り立ったような髑髏城の壁がそそり立っているのでした。わたくしどものまわりは、木の葉の影で真のやみなのですが、はるか高く、夜の円塔の上には月光がいっぱいにふり注いでいまして、石をたたんだ城壁のはだが、きらりきらりと青白い光を放っているのでした。
     そのときでした。――ひとみを凝らして見上げているわたくしの目に、ふいに胸壁の上に、怪しいものの姿が浮かび上がるのが写りました。手には、燃えしきるたいまつをかざして、雲ひとつない夜空に、ときならぬ火花を散らしているのでした。わたくしは思わずぞっとして、その場に立ちすくんでしまいました。
     しかし、それもほんの一瞬間のできごとでした。でも、わたくしはたしかに、それを見ました。なにかおそろしく大きいものの姿に写りました。たいまつを持った黒い影が――さようでございます、真昼のように月光の明かるい夜空に、ぶきみなくらい大きな黒い影が、くっきりと浮かんでいるのです。男の姿のように思われました。たいまつから、ぱっぱっと火花を飛ばせながら、胸壁の上から下界を見おろしているのです。が、わたくしがはっとして、よく見直そうと目を見はったとき、それはもう、姿を消していました」
    (新訳)[P.55]
    「中ほどで息が切れてしまい、危うく倒れかけました。それで手近な茂みにつかまって見上げました。高い高い! あの大きな城壁が頭上はるかな森の上にたつのを見ておりますと、目がくらくらして参ります。下を見ればまっくらではありますが、月の光が木々の枝越しに川へ届いております。青白い光でございました。ごつごつした石壁と狭間胸壁はご覧になりましたでしょう。燃える男の片手が防壁ごしに突き出ているのが見えて、吐きそうになりました。
     ですが、それだけではございません! その横に何か別のものがほんの一瞬だけ見えました。大きな影絵のようなものです。白む空に映る影絵のような。男の姿をして、片手に燃えるたいまつを持ち、狭間胸壁から見おろしておりました。そして、じっと見守るうちにかき消えました
     この場面の冒頭、I almost fell.(ほとんど倒れそうになった)と書かれている。fallが「転落する、墜落する」とは限らない実例がここにもあった。と指摘しておいて、battlements2箇所とparapet1箇所を見ていこう。

    (原)It is pale; you see the rough stones and the battlements.
    (旧)はるか高く、夜の円塔の上には月光がいっぱいにふり注いでいまして、石をたたんだ城壁のはだが、きらりきらりと青白い光を放っているのでした。
    (新)青白い光でございました。ごつごつした石壁と狭間胸壁はご覧になりましたでしょう。
     坂道から頭上を見上げるとはるか上に髑髏城の城壁が見えるという状況。月光が背後から照らしているので、たぶん城壁の上側が「青白い光」で浮かび上がって見えるのだろう。旧訳の「石をたたんだ城壁」というのは意味不明。「城壁」としているのもマイナスポイント。新訳の「ごつごつした石壁と狭間胸壁」は良さそうだ。僕の解釈では「城壁のごつごつした石と狭間胸壁(とが見えた)」となる。

    (原)I saw a man's hand in flames stick out over one parapet, and nearly I am sick.
    (旧)そのときでした。――ひとみを凝らして見上げているわたくしの目に、ふいに胸壁の上に、怪しいものの姿が浮かび上がるのが写りました。
    (新)燃える男の片手が防壁ごしに突き出ているのが見えて、吐きそうになりました。
     (その4)で一度検討しているが、旧訳は誤解している。ここは怪しい男の描写ではなく、アリソンの描写。胸壁(parapet)ごしにアリソンの手が突き出ているのが見えている。直前でbattlementsと書いておきながらここではparapetになっているのは、おそらくは「胸壁」よりも「手すり、欄干」から手が突き出ていると強調したかったからではないだろうか。それと当然ながら倒れているアリソンの体は、この位置からは見えないので言及がない。

    (原)The shape of a man, with a burning torch in his hand, looks down from the battlements.
    (旧)たいまつから、ぱっぱっと火花を飛ばせながら、胸壁の上から下界を見おろしているのです。
    (新)男の姿をして、片手に燃えるたいまつを持ち、狭間胸壁から見おろしておりました。
     今度は謎の男の描写。looks down from the battlements(battlementsから見おろしている)。またもやbattlementsに戻っているのは、塁に立って狭間胸壁越しに下を見おろしているから。つまりbattlementsは、単なる胸壁ではなく塁を合わせ持った構造物としての意味で使われている。ちなみに、ここの「見おろして」という描写は非常に罪作りだ。(その4)の髑髏城散策では、回廊上部にいる男が、転落したアリソンを見おろしている描写なのだと思い込んでいた。でもよくよく考えると回廊から下(おそらく塁)に落ちたとすると、この男の姿はホフマンたちからは見えないはずだ(まあ、ギリギリ見えたかもしれないが)。では何故男は「見おろして」いたかというと、ホフマンたちが近づいてくるのを確認して出くわさないように逃走する事を考えていたからだろう。

    battlement,parapet,gallery,teethをたどる散策3(第4章)

     次はホフマンとフリッツが丘の上の城門にたどり着き、あっという間に中庭に上がっていった場面だ。
    (原文)[第4章P.49]
     "The gates of wood across the causeway, they are closed, but not locked. We open them. I wonder where to find old Bauer, who does not answer our call. Beyond is a very long passage of stone, running through the wall many feet. On the floor in the middle is lying the burning torch, left behind. We hurry on through to the courtyard, up stairs to battlements, through arches to the teeth of the skull, and we find―
    (旧訳)[P.59]
    「わき道の木戸はしまっていましたが、錠はかかっていませんでした。わたくしどもは、あけるのももどかしく飛び込みましたが、いくら呼んでも、バウワーの姿が見えません。入口から石畳み道が、城壁を抜けて、奥までつづいているのですが、その石床の上に、まだ燃えているたいまつが落ちていました。わたくしどもはいそいで、胸壁の裾あたりまで登ってみました。すると、そこに、わたくしどもは――」
    (新訳)[P56.]
    「土手むこうの森へ出る門はどれも閉じておりますが、鍵はかかっておりませんので、どれも開きます。バウワーを呼んでもあらわれず、どこへ行ったかと思いました。城の大手門のさきにはかなりな長さの舗装道路が城壁を貫通して何フィートも伸びております。中ほどに、あのたいまつがつけっぱなしで放り捨ててありました。あたふた中庭を抜けて狭間胸壁への階段を登り、アーチをくぐって髑髏のに出ると、そこで目にしたのが――
     最後の1文が特に重要だ。battlementsとteethが1箇所ずつ出てくる。

    (原)We hurry on through to the courtyard, up stairs to battlements, through arches to the teeth of the skull,
    (旧)わたくしどもはいそいで、胸壁の裾あたりまで登ってみました。
    (新)あたふた中庭を抜けて狭間胸壁への階段を登り、アーチをくぐって髑髏のに出ると、
     今となっては中庭にたどり着くのがどれほど大変なのかを知っているので、一段落でこんなにあっさりとたどり着いてしまうなんて「カー先生、ひどいよ」と言わずにはいられない。その大胆な端折り方のせいで、この文の解釈を完全に間違えた。
     (その4)で「hurry on through to the courtyardの語順がおかしいので、ここは倒置構文になっている」などと書いたのは間違いだった。城壁内部の階段を登り切るとまず中庭(courtyard)が出てくるので、最後に「中庭に出る(to the courtyard)」という解釈は成立しない。もう一度仕切り直して考えてみよう。解釈は2つある。

     解釈Aは、toがタイポでhurry on through the courtyardが正しいとする考え方だ。新訳はそう解釈して「中庭を抜けて」と訳している。これも悪くはないのだが、もう一つの解釈Bが考えられる。throughの後に目的語が抜けているという考え方だ。例えばhurry on through that passages to the courtyard(城門から先の通路を抜けて中庭に出る)という感じだ。こちらがしっくりくる理由は、直前の文が「たいまつが放り捨てられて」あった通路の描写で終わっているからだ。解釈Aだと城門から城内に入ってすぐの位置から中庭にいきなりワープしてしまう。解釈Bならばまがいなりにも「通路を抜けて」という一言が入るのでワープした感じはしなくなる。
     目的語が抜けているのはタイポなのか、それとも意図したものなのか、どちらだろう。日本語だと文脈に依存したフレーズは省略可能だが、英語では許されない。でも、もし「hurry on through [ ] to the courtyard」のように空白に何かが入っていると思わせる省略表現が可能なのであれば、ここの訳は「城門からの通路を通り抜けて中庭に出て、狭間胸壁へ至る階段を上り、回廊を通り抜けて髑髏の歯にたどり着いた」と訳せる。結果的には新訳とほぼ同じ解釈だ。

     解釈論議は置いておくとしても、原文の解釈はこれでよさそうだ。すると城壁の上部は「中庭→階段→塁→回廊→歯(中央の狭間)」という順番にたどれるようだ。だとすると回廊は塁の上にのっている事になる。回廊を通り抜けて中央付近でbattlementsの狭間にたどり着く。そこにはアリソンの遺体があるからだ。うーむ。隔靴掻痒の感がある。なかなか痒いところに手が届かない。

     ホフマンたちは燃えている人間を見つけ、火を消し止める。
    (原文)[第4章P.50]
     "And I feel like a pudding, and Fritz, who is brave, he sits down on a parapet and he shakes, and I see by the moon that he is crying."
     Hamlet, lying on his back on the windy battlements, his clothes still smouldering; two shaking servants crouched beside him, the moon above and the Rhine flowing below, overshadowed by the great stone skull...
    (旧訳)[P.59]
     それを見てわたくしは、へたへたとそこへすわり込んでしまいました。あの勇敢なフリッツも、胸壁の上に腰を降ろしたまま、身をよじって泣いておりました」
     往年のハムレット役者は、夜あらしの吹きしきる胸壁の下に、月光を満身に浴びて横たわっているのだ。着ているものはまだいぶって、煙がかすかに立ちのぼっている。そのかたわらには、ふたりの召使がひざまずいて泣き悲しみ、はるか脚下で、ラインの流れが激しい水音を立て、頭上には、巨大な石の髑髏が、おおいかぶさるように深い影を投げている…
    (新訳)[P.57]
     私はもう手も足も出ませんでした。フリッツは本当に大した度胸の持ち主ですが、防壁に腰をおろして身を震わせ、月明かりでもわかるほど泣き濡れておりました」
     風吹きすさぶ狭間胸壁に安置されたハムレット、着衣はまだくすぶっている。かたわらにはおののく召使二名がうずくまり、月をいただく眼下にラインの流れ、頭上を石の巨大髑髏にさえぎられて…。
     parapet1箇所、battlements1箇所。

    (原)Fritz, who is brave, he sits down on a parapet and he shakes, and I see by the moon that he is crying.
    (旧)あの勇敢なフリッツも、胸壁の上に腰を降ろしたまま、身をよじって泣いておりました
    (新)フリッツは本当に大した度胸の持ち主ですが、防壁に腰をおろして身を震わせ、月明かりでもわかるほど泣き濡れておりました
     なんと! parapet(胸壁もしくは手すり壁)に腰を降ろすとは。向こう側には90フィートの奈落が待ち受けているというのに。ただ、この記述でparapetは腰を降ろすことができる高さだという事が分かった。

    (原)Hamlet, lying on his back on the windy battlements,
    (旧)往年のハムレット役者は、夜あらしの吹きしきる胸壁の下に、月光を満身に浴びて横たわっているのだ。
    (新)風吹きすさぶ狭間胸壁に安置されたハムレット、
     lying on his back on the windy battlements(狭間胸壁に仰向けになって横たわっている)と書かれている。正確には塁(rampart)に横たわっている事になる。

     アリソン邸の客の一人サリイ・レインが事件当日に対岸から目撃した内容をバンコランに語る場面。
    (原文)[第4章P.60]
    So I came down and stood on the porch. Over on the battlements of the castle I could see figures milling about―Hoffmann and Fritz. That's all."
    (旧訳)[P.74]
     で、しかたがないので、あたしはそのまま階下に降りて、ポーチに立って対岸を見ていました、お城の胸壁のあたりを、人影が二つ登っていくのが、小さな点のように見えました。ホフマンとフリッツにちがいありません。これだけですわ、あたしが知っていますのは。これで全部よ」
    (新訳)[P.69]
    それで階下のポーチへ出てみたの。そしたら、えっちらおっちらとあっちの胸壁へ登って行く人が見えたわ――ホフマンとフリッツだった。それで全部よ」
     over on the battlements of the castle(城の狭間胸壁の上と向こうに)と書かれている。Over and on the battlementsとなるところではないだろうか。文法に則ってないけれど分かるという書き方をしているみたいだ。こういうところに当時のカーの若さが出ているのか、あるいは彼本来の癖なのか。先ほどのhurry on through to the courtyardといい、ちょっと癖強めなところが文章に出ているような気がする。
     milling aboutは「あたりを右往左往する、動き回る」の意味で、燃える人間の火を消し止めようとホフマンたちがあわてふためいている場面と描写が対応している。

     さて、ここまでが(その7)で最後にたどり着いた中庭の場面に至るまでのbattlement,parapet,gallary,teethをたどる散策のすべてだ。次回は(その7)の続きから散策を再開する。今度こそ、gallaryとteethの謎を解き明かさねば。
    posted by アスラン at 04:30 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年03月05日

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その7)

    通路と階段〜髑髏城探索〜(第8章)

     (その6)で城の正面の城門を通って幅の広い石敷きの通路(a wide passage of stone)に出た。城門を入ってすぐ右手には低いくぐり戸(a low door)があって、中は番人の詰所になっている(はず)というところまで来た。謎の人物が城壁の上で持っていたたいまつが通路に放り出されていたのをホフマンとフリッツが見つけたのも、この場所だ。ここには城門の上から溶かした鉛を敵の頭上に流す装置があり、鉄製の桶を火にかけるために、たいまつが通路の両脇の棚にストックされているのだ。
     今回はそこから奥へと城内を進む。正確には通路伝いに進んでいくので、城壁の内側というイメージだ。城壁ははるか90フィート(27.4メートル)の高さがあるので、これを上っていかなければ髑髏の丸屋根と2本の塔がそびえたつ中庭にはたどり着かない。しかし、中庭にたどり着く頃には髑髏城の少なくとも外観図は描けるはずだ。と思ったのだが、衝撃の事実が待ちかまえているとは…。いや、今は言うまい。とにかく前に進むのみ!

     アルンハイムはコンラッドに先を歩くよう促し、コンラッドを先頭にして通路を歩いて行く。 
    (原文)[第8章P.101]
    Konrad's distorted shadow rose in a vast blur and bent across the roof as he lumbered towards the back. Thirty feet farther the passage turned at right angles, and at the turn a flight of stone stairs led up to its continuation on a higher level. Von Arnheim's light indicated narrow slits at the base of the treads.
     "Archers' slits," he explained. "They gave the enemy a whole bellyful of arrows in those days. And the turn in the passage―admirable for defence. Admirable!"

    (旧訳)[P.119]
    奥に進むにつれて、先に立ったコンラッドの影が、大きくゆがんで天井に映るのが、なんともいえず不気味に見える。
     三十フィートごとに通路は右に折れる。そのたびに石の階段があって、それを登りきると、また通路がつづいている。フォン・アルンハイムは、懐中電灯の光を壁面のすそにあてて、ぼくたちに説明した。
    「見たまえ。そこかしこに、すきまが付いておりましょう。ここがむかし、射手が敵軍をねらって、雨あられと矢玉を浴びせかけたところですよ。通路が曲がりくねっているのも、つまり防禦の目的から出たことなんです。よくもまあ、考えたものと思いますな」

    (新訳)[P.114]
    コンラートのゆがんだ影が奥へ向かうにつれて広がり、曲がって天井にかかった。通路はその三十フィート先で右へ折れ、曲がり角に上層階への石段があった。フォン・アルンハイムの灯が、階段下の狭い裂け目を示す。
    「矢狭間だ」と説明した。「往時はここから、いやというほど敵に矢を浴びせてやった。それにあの曲がり角――守備にもってこいだ。すばらしい!」

    (原)Konrad's distorted shadow rose in a vast blur and bent across the roof as he lumbered towards the back.
    (旧)奥に進むにつれて、先に立ったコンラッドの影が、大きくゆがんで天井に映るのが、なんともいえず不気味に見える。
    (新)コンラートのゆがんだ影が奥へ向かうにつれて広がり、曲がって天井にかかった。
     ここは簡単なようで意外と難しい。「コンラッドが通路の奥の方へと通路をふさぐにつれて、彼のゆがんだ影がかすんだように大きく立ち上がり、天井に曲がって映った。」という事だろうか。よくよく訳を考えてみて分かったのだが、コンラッドが持っている懐中電灯の光が、ジェフたちの方に抜けてコンラッドの影が手前に映しだされるという場面だ。語り手のジェフがコンラッドの真後ろにいるからか、コンラッドの体が邪魔して光は天井へと抜けてゆがんだ影を大きく映しだす。重要なのは天井があるという点だ。左側は城壁だが右側についての言及はない。ただし通路であるからには壁があるはずで、おそらく城壁を上に上るまで左側は壁しかない。つまり、城壁の内側に通路があり、その内側は中庭から上の髑髏城本体を支える土台なのだろう。

    (原) Thirty feet farther the passage turned at right angles, and at the turn a flight of stone stairs led up to its continuation on a higher level.
    (旧)三十フィートごとに通路は右に折れる。そのたびに石の階段があって、それを登りきると、また通路がつづいている。
    (新)通路はその三十フィート先で右へ折れ、曲がり角に上層階への石段があった。
     直線で30フィート(9.1メートル)の通路(the passage)を歩ききると右に折れる。at the turn a flight of stone stairs led up to its continuation on a higher level.が重要だ。旧訳は性急にも「三十フィートごとに通路は右に折れる」と書いているが、これだと正四角柱のまわりを回っていくイメージになるが、実は階段の高さも橋渡し(水平方向の距離)も書かれていない。そもそも「通路は」と書かれているが、通路はpassage、階段は a flight of stairsのように区別されている。ランダムハウス英和大辞典ではflightとは「踊り場までの一続きの階段」または「階から階までの一続きの階段」を意味すると書かれている。its continuationは「(建物などの)継ぎ足し、建て増し、延長部分」を指す。このitsはthe passageだろう。つまり一続きの階段が上層階(on a higher level)にある通路の続きに繋がるという事になる。

    (原)Von Arnheim's light indicated narrow slits at the base of the treads. "Archers' slits," he explainded. "They gave the enemy a whole bellyful of arrows in those days. And the turn in the passage―admirable for defence. Admirable!"
    (旧)フォン・アルンハイムは、懐中電灯の光を壁面のすそにあてて、ぼくたちに説明した。「見たまえ。そこかしこに、すきまが付いておりましょう。ここがむかし、射手が敵軍をねらって、雨あられと矢玉を浴びせかけたところですよ。通路が曲がりくねっているのも、つまり防禦の目的から出たことなんです。よくもまあ、考えたものと思いますな」
    (新)フォン・アルンハイムの灯が、階段下の狭い裂け目を示す。「矢狭間だ」と説明した。「往時はここから、いやというほど敵に矢を浴びせてやった。それにあの曲がり角――守備にもってこいだ。すばらしい!」
     ここで問題となるのは「矢狭間(archers' slits)」は一体どこに付いているのかという点である。僕らはまだ階段の途中にいる。アルンハイムが指し示す先はnarrow slits at the base of the treadsだ。このtreadは「(階段の)踏み板、踏面(ふみづら)」を意味する。ちょうど研究社新英和大辞典のflightの項でおあつらえ向きの図が掲載されていたので、以下に示す。
    階段の部分.JPG
     だとすると疑問の余地はない。階段の踏み板(treads)の近くに城壁に開けられた狭いスリットがいくつも付いていて、ここから攻めてくる敵を矢で射たと考えるしかない。しかし、これはありえない。不可能なのだ。それについては追って分かるだろう。

    (原文)[第8章P.101]
     Another thirty feet, and once more the passage turned back to its first course. On the last stretch ran nearly twice the distance, so that our lights barely picked up the staircase at the end.
     "Have you noticed the ceiling along the way?" von Arnheim asked me in English. "At four places they could drop a portcullis to cover retreat. The castle is as strongly fortified as any I ever saw. I wonder who needed such elaborate defences?"

    (旧訳)[P.120]
     それからほぼ三十フィートばかり進むと、廊下はふたたび曲って、最初とおなじ方向になった。そこから先は、いままで歩いた距離に比べて、ゆうに二倍はあった。突きあたりは階段になっているようすだが、ぼくたちの懐中電灯の光はそこまでは届かない……
    「諸君はこの長い廊下をここまで歩いて来られて、天井のしかけにお気が付かれたかな?」
     フォン・アルンハイム男爵は、僕をふり返って、英語で問いかけた。
    「つるし門が四ヵ所も設置してあったですな。ちょっと見ると、なんの変哲もない廊下のようであるが、いざ敵の侵入を受けたとなると、いきなり天井から、がらがらとがんじょうな孔子後がすべり落ちて来て、この廊下をびたっとふさいでしまう。それから先は一歩も敵に踏み込ませぬ、というしかけなんです。ここに限らず古城というと、いたるところ、このとおり要害堅固のものでしてね。

    (新訳)[P.114]
     もう三十フィートほど行くとまたしても折れ、最初の向きになった。あとの道は今までの長さの倍近くあり、手持ちの灯で照らしても、通路の先の階段にぎりぎり届くか届かないかだ。
    「途中の天井に気がついたかね?」フォン・アルンハイムが英語で私に話しかけてきた。「四ヶ所に退却援護の落とし戸が仕掛けてあってね。これまで見たどの城よりも堅固な防御設備だ。

     ここは飛び切り重要なところだ。ここをきちんと読み解くと、髑髏城の中庭に至るまでの見取り図がすべて分かってしまうからだ。
    (原)Another thirty feet, and once more the passage turned back to its first course. On the last stretch ran nearly twice the distance, so that our lights barely picked up the staircase at the end.
    (旧)それからほぼ三十フィートばかり進むと、廊下はふたたび曲って、最初とおなじ方向になった。そこから先は、いままで歩いた距離に比べて、ゆうに二倍はあった。突きあたりは階段になっているようすだが、ぼくたちの懐中電灯の光はそこまでは届かない……
    (新)もう三十フィートほど行くとまたしても折れ、最初の向きになった。あとの道は今までの長さの倍近くあり、手持ちの灯で照らしても、通路の先の階段にぎりぎり届くか届かないかだ。
     Another thirty feetは、当然ながら城門を潜って奥に進んだ際のThirty feet farther the passageに対してAnother thirty feet passage(もう一つの30フィートの通路)を指している。この時点でバンコラン一行が進んでる向きは、「最初とは完全に逆向き」である事に注意しよう。つぎのand once more the passage turned back to its first course.を、旧訳は「廊下はふたたび曲って、最初とおなじ方向になった。」、新訳は「(もう三十フィートほど行くと)またしても折れ、最初の向きになった。」と訳している。いずれも曲がっただけで「最初と同じ向き」になったと訳しているが、それは正しくない。城壁の内側に沿って右へ右へと折れているのだから直角に曲がっているはずで、時空がゆがんでいない限り、「ふたたび曲がっ」ただけでは同じ向きにはならない。
     そして、よくよく見ると原文はちゃんと書いているではないか。「もう一度30フィートの通路を進み、右に折れてまたしても出てきた通路を進むと最初の向きに戻った。」と。辻褄がようやく合ったところで、on the last stretchだ。これは競馬中継でもおなじみだろう。最終コーナーを回って最後の直線部分をストレッチ(stretch)と言う。最初と同じ向きになった上でtwice the distanceというのだから、60フィート(18.3メートル)ほど直線の通路を進むと、「突きあたりの先にある階段(the staircase at the end)」がかすかに見えてくる。

    (原)"At four places they could drop a portcullis to cover retreat. The castle is as strongly fortified as any I ever saw. I wonder who needed such elaborate defences?"
    (旧)「つるし門が四ヵ所も設置してあったですな。ちょっと見ると、なんの変哲もない廊下のようであるが、いざ敵の侵入を受けたとなると、いきなり天井から、がらがらとがんじょうな孔子後がすべり落ちて来て、この廊下をびたっとふさいでしまう。それから先は一歩も敵に踏み込ませぬ、というしかけなんです。ここに限らず古城というと、いたるところ、このとおり要害堅固のものでしてね。
    (新)「四ヶ所に退却援護の落とし戸が仕掛けてあってね。これまで見たどの城よりも堅固な防御設備だ。
     ここは、今回の主眼からは外れているけれど、portcullisが天井から降りてくる仕掛けになっているという説明。相変わらず旧訳の講釈はすさまじい。portcullisをそのまま日本語に訳したところで読者には分かるまいという、訳者の配慮だ。ランダムハウスには、portcullisは「(特に中世の城砦の)鬼戸、落とし格子戸:門の側溝にはめ込んで上から落として通行を止める丈夫な格子戸」と書かれている。以下はランダムハウスに掲載されていた図だ。
    portcullis.JPG
    普通は「門の側溝にはめ込んで」とある。意外と色々な映画で見てきたような気がするが、名前を知ったのは初めてだ。4箇所という事は、階段を上がりきったところから各曲がり角に仕掛けられているのだろうか。詳しくは何も書かれていないので想像するしかない。

    通路と階段の見取り図

     そしてついに階段の先は屋外へと繋がるのだ。
    (原文)[第8章P.101]
     We emerged at last into a courtyard paved with stone flags. It was impossible to see the surrounding walls, but Fritz led us with sure instinct to an outer staricase going up the front one near the centre. Again we fought the storm; along the battlements it was terrific, for they stood higher than any point in the countryside.

    (旧訳)[P.121]
     廊下を通りきると、中庭へ出た。そこは板石が敷きつめてあった。見上げるような壁が周囲をすっかり包んでいた。その中央に近い階段を、フリッツは先に立って、ぼくたちを導いた。登るにつれて、強い風がぼくたちをまっこうから吹きつけた。胸壁まで登りきると、あらしのはげしさはすさまじいばかりだった。いまやぼくたちは、ラインの中流地方を一望の下に見渡せる高所に立っているのである……

    (新訳)[P.114]
     ようやく出た先は、石畳の中庭だった。壁に囲まれてまったく勝手がわからないが、フリッツによどみなく案内されて城の正面中ほどへ出る外階段へたどりついた。またしても嵐に抗うことになったが、狭間胸壁沿いの眺めは絶景だった。

     この段落の散策は次回に回す。とりあえず中庭に出て、そこは回りを城壁に囲われていて外の風景が見えないという事がわかった。

     ここまでで分かった事を図にまとめてみた。
    髑髏城見取り図(城門〜中庭).jpg
    これを見ると、さきほど「矢狭間」が手前の階段の踏み板(treads)の近くの城壁に開けられているということがあり得ない事だと分かるだろう。おそらく城壁内部の土台と土台の隙間に作られたのが手前の階段なので、向こう側が城外ではないのだ。もちろん、僕の読み間違いで、この見取り図自体が誤りである可能性はある。ただし、次回に中庭での狭間城壁、回廊、石の大髑髏、2つの塔などを配置してみると、下部構造の見取り図とピッタリ合うのだ。

     最後に「衝撃の事実」を書いておこう。この最後の段落で、中庭から狭間胸壁(battlements)に上がると「狭間胸壁沿いの眺めは絶景だった」と書かれている。つまり、これって城壁に作られた狭間胸壁であって、(その4)で考えたような回廊の上部にある狭間胸壁ではないのだ。こうなると、(その4)で考えた歯並びの問題、上あごと下あごの問題などがすべて間違っていた事になる。そして、carr graphicで取りざたされていた「和爾訳で落ちた位置」と「宇野訳で落ちた位置」についても、「和爾訳で落ちた位置」に軍配が上がったとしても、そもそもそこにしか狭間胸壁は無かったことになるのだ。ではどこからどこへ落ちたのか。それを理解するためには、中庭の見取り図、引いては髑髏城本体の見取り図を作らねばならない。ところがこれがとてもややこしいのだ。
    posted by アスラン at 02:50 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2024年03月02日

    ジョン・ディクスン・カー『髑髏城』を散策する(その6)

    ライン川の渡河〜髑髏城探索〜(第8章)

     8章「THE BODY IN THE TOWER」(旧訳「塔上の死体」、新訳「塔の死体」)で、バンコランとフォン・アルンハイムが連れ立って髑髏城に向かう。7章の終わりでバンコランはジェフに「レインコートを用意した方がいいぜ。びしょぬれになるおそれがたぶんにある……」と言い切っているので、外は暴風雨の嵐のようだ。ライン川巡りのサイトや書籍を見ると悠々とした流れの画像ばかりで、とてもじゃないが暴風雨で荒れたライン川を想像しにくい。ただ、(その5)で紹介した『ラインの伝説』にも、主人公が嵐に翻弄される伝説がいくつかあった。

     例のケルンの大聖堂を建立する棟梁と紳士の姿をした悪魔との話もそうだったし、「29 『うるわしの城』の七人の処女」もそうだ。騎士たちを手玉にとる七人姉妹の娘が、求婚しにきた騎士たちをまとめて嘲ったあげくに、城を捨て伯母を頼って舟に乗って出発すると、突然の嵐で「(七人を乗せた)小舟がゆらぎ、たまぎるような叫び声とともに七人の笑いは消し飛んでしまった」。ここでも「たまぎる」が出てきた。新訳のどこかで「魂切る」が使われていたはずだ。要は油断がならないのがライン川の流れのようだ。そして、8章の出だしで、カーは飛び切り力こぶを入れて、暴風に荒れるライン川の渡河を描いている。まずはそこから始めよう。

    (原書)[P.98]
     Bright rain-needles flew in gusts across the beam of the searchlight. That white light rocked unsteadily on a foaming Rhine, a muddy torment whose writhings made our launch stagger in midstream. Through the motor's roar you could hear the deep, sullen rushing, the crashes, the splashes, and plungings of the headlong river; and you could hear the hollow whoom of the wind tearing at the tarpaulin over our heads. That tarpaulin thrummed and rattled on its posts, and the sharp rain stung into my eyes from a blackness which was everywhere save in the path of the searchlight. Under my feet the deck was bobbing until I had to kneel and hold to the side of the boat. Dim figures were about me, sheathed in water-proofs. The flying launch seemed to skip, its prow clearing the water; then it heeled and plunged with an impact which flung a ghostly mane of water up past the reeling searchlight. My knees were trembling with the motion; I was gasping and half-blinded. . . .

    [ランダムハウス英和大辞典を引く]
    in gusts(突風で)、rock(前後に揺れ動く)、unsteadily(ぐらぐらと)、muddy(どんよりとした)、torment(拷問の苦しみ・責め苦)、writhe(もだえ苦しむ、のたうつ)、stagger(はげしく揺れる)、sullen(陰鬱な)、plunge(浸す、沈める、つっこむ)、headlong(大急ぎの、せっかちな、険しい)、tarpaulin(防水帆布)、thrum(うなり音を出す、こつこつたたく)、rattle(ガタガタ鳴る)、save(〈古語〉〜を除いては)、bob(小刻みに上下に動く)、dim(ほの暗い、おぼろげな)、sheath(おおう)、prow(へさき)、clear(切り開く)、heel(傾く)、gostly(影のような、ぼんやりとした)、mane(たてがみ)、fling(ほうり投げる)、past(〜が及ばないところに)
     もうトンデモなく辞書を引きまくった。特に擬音や擬態を表す名詞や動詞、形容詞、副詞を多用していて、ちゃんと調べないと意味が繋がらない。対岸に着くまでのわずか1〜2段落程度の文章なので、翻訳を読むだけだとさらっとやり過ごしてしまうところだが、カーは髑髏城へ行く雰囲気作りを入念にしてくれているのだ。ならば、それに一読者も応えねばならない。

    (私訳)
     突風の中で針のような雨が、サーチライトに照らされて白く輝いていた。ライン川の泡立つような急な流れにあわせて、サーチライトが放つ白光がぐらぐらと揺れる。重苦しい責め苦にその身を打たれ、さしものモーターボートも川の中途ではげしく揺れた。モーターがうなりを上げ、腹にズシンと響くように急流に突進し、波頭にぶつかっては水しぶきをあげ、舳先(へさき)が沈んだ。私たちの頭上をおおう防水布ごしに、風を引き裂くようなウーという虚ろな音が聞こえた。防水布がうなり、支柱がガタガタと揺れた。何もかもが闇の中にあるにも関わらず、唯一の例外であるサーチライトの光に照らされて、鋭く尖った雨が私の目に刺さってくる。足もとの甲板が小刻みに上下するので膝がガクガクとふるえ、しかたなく私はボートの縁につかまった。私のまわりでは、防水布におおわれた数人の人影がぼんやりと映った。先へ先へと急ぐボートは水面を飛び跳ねているらしい。その度に舳先が水を引き裂いた。影のようなたてがみ状の水を、サーチライトの光が届かない上方へ跳ね上げた衝撃で、ボートは傾き、沈み込んだ。そのせいで私は膝がふるえ、あえぎながら酔っ払いも同然の状態となった。
     まるで海の沖で嵐に遭遇した小型の漁船に乗り合わせたかのような凄まじい描写だ。ただ残念ながら僕の英語力では辞書に頼らざるをえないし、辞書の訳語にも限界があるため、やたらと「揺れたり」「震えたり」「唸ったり」する。オノマトペを多用しているとはいえ、単調な描写になってしまうのは致し方ない。それを本業の方はどう乗り越えているかを見ていこう。

    (旧訳)[P.116]
     銀の矢のように、サーチライトの光にきらめきながら、雨が水面をたたいていた。そのサーチライトそのものも、あわ立つ流れの上にはげしく揺れている。中流まで出ると、泥をまじえた水流はますます急に、さしも最新式を誇るモーター・ボートも、木の葉のように踊らされる。うるさいくらいのエンジンのうなりを縫って、舳(みよし)に砕ける波の音が、耳をつんざくように響き渡る。頭上をおおった防水天幕(カンバス)も、ちぎれんばかりに風にはためき、ささえの柱がたえず鳴っている。
     激しいボートの動揺に、ぼくたちはとうてい立ってはいられず、そろって船べりにかじりついた。頭から雨外套をかぶって、そうしてうずくまっている姿が、やみのなかににじんでみえる。明るいのは、波間に踊るサーチライトの光だけだ。ぼくはただ、目がくらんだようにたえず大きく、あえぎつづけた。

    (新訳)[P.111]
     向かい風の雨がサーチライトで白銀の針になる。ぶれない白光が照らす先にたぎりたつ濁流が身をよじり、川に出た船をさらおうとする。濁流の深みが不穏なとどろきを発し、モーターの轟音すらかき消してしまう。逆巻く波がぶつかり、しぶきを上げてみじんに散り、船体に噛みつく。うつろな唸りをあげる風が防水シートの屋根を乱打して引っぱがそうとし、これでもかと支柱ごとゆさゆさ揺すぶる。サーチライトの細道がぬばたまの闇を貫き、雨の針が目に刺さる。足もとは上下して立っていられず、膝立ちで船ばたにしがみつくしかない。水上を跳ね飛びながら、へさきが波を切る。やがて、幽霊馬のたてがみにも似た横波がくるくる回るサーチライトにかぶさり、直撃されて船体が傾いた。両膝が笑い出し、呼吸も視野もままならない。
     細かくは見ていく余裕はないが、お二方とも流石に豊富なバリエーションで語彙やフレーズを選択していて、同じ表現は一つとしてない。相変わらず宇野さんの旧訳は、ざっくりとすっ飛ばすところは潔くすっ飛ばし、著者がサラサラと書き流したところは、見てきたかのように細かく描写する。「木の葉のように踊らされる」や「耳をつんざくように」「船べりにかじりついた」などは、講釈師の張り扇が鳴るのが聞こえてきそうだ。
     一方、和爾さんの新訳もその意味では負けていない。この場面は演出の効かせどころなので「逆巻く波が」「みじんに散り」「乱打してひっぱがそうとし」「ゆさゆさ揺すぶり」と誇張し、コスチュームプレイのように「ぬばたまの闇を貫き」「幽霊馬のたてがみにも似た」と中世の伝説に合わせた言葉が出てくる。
     サーチライトの光が「激しく揺れている」のか「ぶれない」のか、モーター(エンジン)の音は「うるさいくらい」なのか「かき消」されてしまうくらいなのか。やや描写に食い違いが見られる箇所もあるけれど、ここでは問わない事にして、先を急ごう。

    桟橋、敷石道、九十九折り、頂上〜髑髏城探索〜(第8章)

     続く段落で、一行はなんとか髑髏城の真下に位置する小さな桟橋にたどり着く。これもひとえにフリッツの見事な操船技術(manoeuvering)によるものだと書かれている。ロープと鎖でしっかりとボートを固定したのち、フリッツが大型の半球レンズ付き角灯(bull's-eye lantern)をもち、他の全員が懐中電灯(flashlight)を手にして、いよいよ髑髏城へと上っていくのだ。
    (原文)[第8章P.99]
    Fritz led the way, with Konrad following; van Arnheim was next; I was after him, and Bencolin brought up the rear. The ray of the bull's-eye smeared with rain, swung across a wooden dock, and moved to a stone-flagged path ascending the slope among dwarfed shrubs. At fist glance it seemd almost too steep to climb. The rain had already carried down deposits of gritty black soil and churned mud which made the path slippery underfoot; in a rattle of small stones, a bowlder came bouncing down the slope, struck the dock with a thud, and disappeared into the water. All above us shouted a wild creaking and straining of trees. . . .

    (旧訳)[P.117]
    フリッツが先頭に立った。つぎはコンラッド警部、それからフォン・アルンハイム男爵、ぼくがそのつぎに従い、しんがりはバンコランが引き受けた。
     目玉ランプの光が、雨煙りのなかににじみながら、桟橋から石畳みの上を照らし出し、斜道の入口にかかった。木々の茂みが左右から枝をのばしているあいだを登っていくのだ。ひと目みれば、いかにそれが、けわしい坂道であるか見当がつく。ものすごい雨量が、真っ黒な土を押し流しているので、靴がすべって危険きわまりない。足もとで小石が鳴る。一足ごとに、くずれて散って桟橋に当り、はね返って水に落ちる。頭上では、木々のこずえがひゅうひゅうと、はげしいうなり声を立てている。

    (新訳)[P.111]
    フリッツが先頭に立ち、続いてコンラート、お次がフォン・アルンハイム、背後に私が続き、しんがりはバンコランだ。角灯の光が雨に阻まれて板桟橋の上をふらつき、藪のはざまに砂利を敷いた細い坂へと移った。見た感じでは登れっこないほどの急勾配だ。早くも雨で小石ごと粗い黒土がごっそり落ち、ぬかるみがこね回されて足もとがずるずるする。小石が音をたててあちこちぶつかりながら転げ落ち、いったんそうぞうしく桟橋にぶち当たって川へ落ちていく。枝をいっぱいに広げた木々が頭上いたるところでぎしぎしと怒り、声を限りにわめいている……。
     前もって触れておくが、原文のP.99に2回「フォン・アルンハイム」という単語が登場するが、いずれもvanもしくはVanになっている。意味はvonと変わらない。vonがドイツ式で、vanがオランダ式。元々は出身(from…)を示す前置詞が接頭辞化したものだ(Leonardo da Vinciのdaと同じ)。ここだけオランダ式にする意味がないので、誤植だろう。

    (原)The ray of the bull's-eye smeared with rain, swung across a wooden dock, and moved to a stone-flagged path ascending the slope among dwarfed shrubs.
    (旧)目玉ランプの光が、雨煙りのなかににじみながら、桟橋から石畳みの上を照らし出し、斜道の入口にかかった。木々の茂みが左右から枝をのばしているあいだを登っていくのだ。
    (新)角灯の光が雨に阻まれて板桟橋の上をふらつき、藪のはざまに砂利を敷いた細い坂へと移った。
     フリッツが手に持った角灯が、木製の桟橋をなめるように、これから上っていく坂道を照らしていく場面。a stone-flagged pathとdwarfed shrubsがどのような関係にあるのか。stone-flaggedはランダムハウス英和大辞典にはなかったが、flagは「板石で舗装する」という動詞になる。flagstoneというと「(敷石用の)板石、敷石」の意味だそうだ。だとすると旧訳の「石畳み」が正しいように思えるが、ちょっと整いすぎている感じがする。新訳の「砂利を敷いた」はイメージが違ってくる。
     一行はdwarfed shrubs(低木、茂み)の間をすり抜けていくので、これも旧訳のイメージと合致している。新訳もそう言ってるのかもしれないが、ちょっと分かりにくい。これまで坂道は舗装されていないと想像していたのだが、多少は石が敷かれていたのか。ちなみに以下は a stone-fllaged footpathの画像例。ちょっと整いすぎだし、茂みがない。坂道もかなり緩やかだ。
    stone-flagged footpath.jpg

    (原)The rain had already carried down deposits of gritty black soil and churned mud which made the path slippery underfoot; in a rattle of small stones, a bowlder came bouncing down the slope, struck the dock with a thud, and disappeared into the water.
    (旧)ものすごい雨量が、真っ黒な土を押し流しているので、靴がすべって危険きわまりない。足もとで小石が鳴る。一足ごとに、くずれて散って桟橋に当り、はね返って水に落ちる。
    (新)早くも雨で小石ごと粗い黒土がごっそり落ち、ぬかるみがこね回されて足もとがずるずるする。小石が音をたててあちこちぶつかりながら転げ落ち、いったんそうぞうしく桟橋にぶち当たって川へ落ちていく。
     deposits of gritty black soilは直訳すると「砂利混じりの真っ黒な土の堆積」だ。そう言えば第3章で執事ホフマンが回想する場面で、「先年、ライン川が氾濫したとき、このあたりまで洪水に洗われまして(旧P.57)」と言っていた。つまり、これはライン川の堆積(土砂)という事になる。これが雨で下へと押し流されてきて、churned mud(泥をかき混ぜる)。つまりはぬかるんでいて滑るわけだ。極めて勾配があるのでなおさら歩きにくいのだろう。

     さらに一行は上がっていく。歩くのが大変だとは書かれているが、特に敷石の事は書かれていない。普通に考えれば桟橋からずっと上までstone-flagged pathであって欲しいものだが。
    (原文)[第8章P.99]
    I could hear Bencolin's panting breath behind his flashlight, and I could hear the rush of the Rhine far below. Up and up! So many times we turned and twisted that all sense of direction was lost. The shrubs merged into thick dark trees, where our ghost-lamps danced. A torn branch slithered past my head, and Bencolin's hand whirled it over his shoulder down the path.

    (旧訳)[P.117]
    やみのなかから、バンコランの苦しそうな息づかいが聞こえてくる。そのまたはるか先には、ラインの激湍が、すさまじい音をとどろかせている。
     もう一息だ! 斜道はまがりくねって、方角もつきかねるが、灌木の茂みがすでに喬木の林に変って、懐中電灯の光だけが心細く踊っている。ときどき風に吹き折られた小枝が、ぼくたちの頭上をかすめて飛ぶ。

    (新訳)[P.112]
    懐中電灯をかざしたバンコランの息遣いがあがり、はるか下ではラインの怒濤が響く。とにかく上へ、上へ、上へ! しょっちゅう道が折れたりよじれたりするので、しまいに方角までさっぱりわからなくなった。うっそうたる黒い木立からはみだした低い藪へ、この世ならぬ感じに灯がちらつく。ちぎれた声だが私の頭をかすめてすべり落ち、バンコランの手で肩越しに路上へはたき落とされた。
     「はるか先には、ラインの激湍が」というところまで上がってきた。それでも「すさまじい音をとどろかせてい」たり、「怒濤が響」いていたりする。暴風雨が吹き荒れる嵐だとはいえ、はるか下に「怒濤が響く」なんて、これはもう台風が来てませんかね、カーさん。

    (原)So many times we turned and twisted that all sense of direction was lost. The shrubs merged into thick dark trees, where our ghost-lamps danced.
    (旧)斜道はまがりくねって、方角もつきかねるが、灌木の茂みがすでに喬木の林に変って、懐中電灯の光だけが心細く踊っている。
    (新)しょっちゅう道が折れたりよじれたりするので、しまいに方角までさっぱりわからなくなった。うっそうたる黒い木立からはみだした低い藪へ、この世ならぬ感じに灯がちらつく。
     ようやく坂道の情景が出てきた。turned and twistedなので、右へ左へ九十九折りのようになっているかと思えば、ヘビのようにクネクネとねじれていたりするという事のようだ。「方角がつきかねる」というので、dwarfed shrubs(低木、茂み)が一行の視界をある程度遮っている事になる。さらにはThe shrubs merged into thick dark trees(茂みが鬱蒼とした木々に合流した)とあるので、もう森を歩いているのと変わらない状況になっているようだ。それにしても新訳の「木立からはみ出した低い藪へ」は変ではないだろうか。

    石畳の通路、城門、城壁内部、通路、くぐり戸、装置〜髑髏城探索〜(第8章)

    (原文)[第8章P.100]
     Winded and none too steady, we emerged at the top. Fritz's light disclosed that we were at the stone parapet of a moat, from whose depths issued a hissing of water. A stone causeway led across to the tall gates. Throwing my own light upwards, I saw the dark walls soar into gloom.
     "You have the keys?" von Arnheim was yelling. 
     We stood before gigantic wooden doors bound with arabesques of rusty iron. Konrad, in the brightness of four lamps, was unlocking them. It took a heave of his big shoulder to push them inward. Once inside and the gates slammed shut, Konrad staggered against the wall.

    (旧訳)[P.118]
     やっとの思いで頂上に達した、フリッツの目玉ランプの光で、ぼくたちはいま往時の外濠までたどりついたのを知った。すでにおびただしい雨量が、音を立てて濠のなかに流れ込んでいる。石をたたんだ道路が橋となって、丈高い城門に導かれている。懐中電灯の光でふり仰ぐと、やみのなかになお黒々と、垂直の城壁がそそり立っている。
    「かぎを持っておるか?」
     フォン・アルンハイム男爵は叫んだ。
     ぼくたちは見上げるように巨大な城門の前に立っていた。門扉は二重になっていて、分厚い樫材の上に、唐金作りの唐草模様が、いまは真っ赤に錆びついていた。コンラッド警部は、四人の懐中電灯の光を浴びながら、門扉のかぎを、ちからをこめてあけて、大きな肩で思いきりぶつかっていった。

    (新訳)[P.112]
     なにもかも一筋縄ではいかない細道をよじのぼり、頂上に出た。フリッツの角灯を頼りに私たちが立つ場所は濠を囲む石の防壁、はるかな眼下では深い淵が荒れ狂っている。そこから城の大手門へと伸びた石畳の通路がある。懐中電灯を上へ向けると、はるか上に闇にまぎれた黒い城壁の一部が見えた。
    「鍵はあるか?」とフォン・アルンハイムが声を張り上げた。
     目の前の巨大な門扉は、板戸をアラベスク文様の錆びついた鉄金具で補強してあった。四つの灯で手もとを明るく照らされながらコンラートが門扉の鍵を開け、大きな方で力任せに城門を押し開けた。入ってしまうと扉はひとりでにバタンと閉じ、ついでにコンラートを壁へはじき飛ばした。


    (原)Winded and none too steady, we emerged at the top. Fritz's light disclosed that we were at the stone parapet of a moat, from whose depths issued a hissing of water.
    (旧)やっとの思いで頂上に達した、フリッツの目玉ランプの光で、ぼくたちはいま往時の外濠までたどりついたのを知った。すでにおびただしい雨量が、音を立てて濠のなかに流れ込んでいる。
    (新)なにもかも一筋縄ではいかない細道をよじのぼり、頂上に出た。フリッツの角灯を頼りに私たちが立つ場所は濠を囲む石の防壁、はるかな眼下では深い淵が荒れ狂っている。
     坂道が終わって頂上(the top)に出た。この「頂上」は丘もしくは山の頂上という事だろう。ようやく平らなところに出た事になる。そこには驚くべき事にmoatがあった。moatは「(外敵に備えて都市・要塞・城などの周囲に巡らされた)堀、濠(ごう)」の事だ。旧訳は「外濠」とだけ書いているが、正確なのは新訳の方で、「濠を囲む石の防壁(the stone parapet of a moat)」にたどり着いた事になる。さんずいの濠であるからには水がなくてはならないが、a moat, from whose depths issued a hissing of waterという描写から「おびただしい雨」が流れている音が聞こえている。issue fromは「〜から流れ出る」なので「濠の底の方からシャーという音が聞こえてくる」という意味だろう。新訳の「はるか眼下では深い淵が荒れ狂っている」では、濠が奈落のような深さになっていて、ちょっと現実的ではない。

    (原)A stone causeway led across to the tall gates. Throwing my own light upwards, I saw the dark walls soar into gloom.
    (旧)石をたたんだ道路が橋となって、丈高い城門に導かれている。懐中電灯の光でふり仰ぐと、やみのなかになお黒々と、垂直の城壁がそそり立っている。
    (新)そこから城の大手門へと伸びた石畳の通路がある。懐中電灯を上へ向けると、はるか上に闇にまぎれた黒い城壁の一部が見えた。
     ようやくcausewayと再会できた。(その4)で執事ホフマンの回想に出てきたcausewayだ。あのときは「(旧訳)わき道」だったり「(新訳)土手」だったりしたのだが、ずいぶんと立派な姿になってしまっている。gatesも「木戸」とは似ても似つかない。それぞれが「石畳の通路(a stone causeway)」と「丈高い城門(the tall gates)」に変身してしまった。
     さらには、懐中電灯を上に向けると、黒々とした城壁(the dark walls)が見えるではないか。(その4)では、坂を登り切ると城壁の上部に出るはずだと書いてしまったが、大ハズレ。髑髏城の足もとにたどり着いたに過ぎなかった。

    (原)We stood before gigantic wooden doors bound with arabesques of rusty iron. Konrad, in the brightness of four lamps, was unlocking them. It took a heave of his big shoulder to push them inward. Once inside and the gates slammed shut, Konrad staggered against the wall.
    (旧)ぼくたちは見上げるように巨大な城門の前に立っていた。門扉は二重になっていて、分厚い樫材の上に、唐金作りの唐草模様が、いまは真っ赤に錆びついていた。コンラッド警部は、四人の懐中電灯の光を浴びながら、門扉のかぎを、ちからをこめてあけて、大きな肩で思いきりぶつかっていった。
    (新)目の前の巨大な門扉は、板戸をアラベスク文様の錆びついた鉄金具で補強してあった。四つの灯で手もとを明るく照らされながらコンラートが門扉の鍵を開け、大きな方で力任せに城門を押し開けた。入ってしまうと扉はひとりでにバタンと閉じ、ついでにコンラートを壁へはじき飛ばした。
     今や城門となったthe gatesは「木製の巨大な門扉(gigantic wooden doors)」となった。ここでも僕はgatesの複数形の意味が気になっている。旧訳も複数形にこだわって「門扉は二重になっていて」と書いている。ひょっとして「唐金作りの唐草模様(の門扉)」とで二重になっているという意味かと思ったが、wooden doorsと整合しない。しかも、その後のコンラッド警部が門扉と格闘する描写では、どう考えても門扉が二重になっているようには見えない。これも想像に過ぎないが、ひょっとして両開きの門(double doors)の事を言ってるのだろうか。
     さらにコンラッドが力を込めて門を押し開けて中に入ると、重い城門はピシャリと閉じてしまう(the gates slammed shut)。いったい、どういう仕掛けなのでしょう、カー博士。それはともかくも、コンラッド警部は「よろけて壁にぶつかってしまう(staggered against the wall)」。壁(the wall)とは? ここではすでに城内に入っているのか?だとすると、よろけて門扉の脇の城壁にぶつかるという事か。さっぱりわからない(実におもしろい。いや、そんな事はない)。とにかく、先に進もう。

    (原文)[第8章P.100]
     We were in a wide passage of stone, cold and very damp. Here the noise outside was only a murmur. Wet of face but not at all ruffled, von Arnheim stood in the middle and directed his light about, peering from under the brim of his soft black hat.
    (中略)
    There were iron link-brackets on the walls, and at our right a low door, which presumably led to the quarters occupied by the watchman. Above the gates was a shapeless, rusty apparatus, which resembled an enormous vat on wheels and pulleys.
     "A quaint conceit of our ancestors," said von Arnheim, playing his light over it. His voice boomed back in startling echoes. "Thus you poured boiling lead on the heads of the impertinent. And this torch, which the butler and our guide found lying here in the passage after the murder……"
     He exchanged words with Fritz, who indicated a spot about the middle of the passage.

    (旧訳)[P.118]
     城門の内は、石を敷きつめた広い廊下だった。湿った空気が肌にひややかだった。一歩城内にはいると、さしものあらしも忘れたように遠のいた。びしょぬれの顔で、フォン・アルンハイム男爵は、廊下の中央に突っ立って、懐中電灯の光を投げかけながら、黒いソフト帽の下から、するどい視線を四方に馳せた。
    (中略)
     右手に低いくぐり戸があって、その奥はおそらく、番人の詰所になっているらしい。城門の上には、途方もなく巨大な鉄製の容器が、やはり赤錆びになったままつるしてある。くさりと滑車で回転するタンクに似た桶であった。
    「むかしのやつらは、とっぴょうしもないことを考え出したもんですな」
     フォン・アルンハイム男爵は、その鉄桶(てっとう)に懐中電灯を差し向けながら言った。声を出すと、びっくりするようなこだまになって反響した。
    「諸君、これがなんだかおわかりですか? 敵の襲撃がはじまると、あの桶のなかで、鉛を煮立てておくんですよ。さあ、城門が撃ち破られたぞ、と聞くと、ながれこんでくる敵軍の頭から、その鉛の熱湯を浴びせかけたものなんです。それに、この上にたいまつがいっぱい貯蔵してある。例の殺人事件のあとで、ここにいるフリッツと執事ホフマンとが、ちょうどこのあたりで発見したたいまつです……」
     男爵がフリッツにことばをかけると、かれは敷石道の中ほどを指で示した。

    (新訳)[P.113]
     ここは石畳の広い通路で、やたら底冷えがする。外の騒ぎはあらかた締め出されて、ざわめきにしか聞こえない。顔じゅう濡れても平然としたファン・アルンハイムが中央に立って四方八方へ光を投げかけ、黒いソフト帽のつばの陰からうかがい見た。
    (中略)
     どちらの壁にも鉄のたいまつ受け、右手の低いドアは城番の住まいに通じているらしい。正門の上に車輪と滑車を取りつけた巨大な桶そっくりの、なんだかよくわからない錆びついた装置があった。
    「われらがご先祖は、味なはからいをしたものだ」フォン・アルンハイムがそちらに灯を動かし、ぎょっとするほどこだまを響かせた。「先陣切った出しゃばり者の頭上に、ああして溶けた鉛を浴びせかけてやったのだよ。そして、このたいまつは殺人後に通路のここに落ちていたのを、執事と我らが案内人が見つけた……」
     と、通路の中ほどの地点を指さすフリッツと言葉をかわした。


    (原)We were in a wide passage of stone, cold and very damp. Here the noise outside was only a murmur.
    (旧)城門の内は、石を敷きつめた広い廊下だった。湿った空気が肌にひややかだった。一歩城内にはいると、さしものあらしも忘れたように遠のいた。
    (新)ここは石畳の広い通路で、やたら底冷えがする。外の騒ぎはあらかた締め出されて、ざわめきにしか聞こえない。
     城門をくぐったので城内に入ったのは確かだろう。ただ、そこはいわゆる城壁の内なのか外なのか、よくわからない。いやいや、分かるだろ。(その4)で検討した執事ホフマンの回想でちゃんと説明されていたはずだ。
    (原)Beyond is a very long passage of stone, running through the wall many feet. On the floor in the middle is lying the burning torch, left behind.
    (旧)入口から石畳み道が、城壁を抜けて、奥までつづいているのですが、その石床の上に、まだ燃えているたいまつが落ちていました。
    (新)城の大手門のさきにはかなりな長さの舗装道路が城壁を貫通して何フィートも伸びております。中ほどに、あのたいまつがつけっぱなしで放り捨ててありました。
     つまり、この石畳の広い通路(a wide passage of stone)は城壁を通り抜けるのだ。それで、この通路には天井があるのか無いのかの疑問も解決してしまった。さらには、コンラッドが門扉を力をこめて押し開けた後に「よろけてぶつかった」のも、この通路の両脇の壁のいずれかだという事になる。

    (原)There were iron link-brackets on the walls, and at our right a low door, which presumably led to the quarters occupied by the watchman.
    (旧)右手に低いくぐり戸があって、その奥はおそらく、番人の詰所になっているらしい。
    (新)どちらの壁にも鉄のたいまつ受け、右手の低いドアは城番の住まいに通じているらしい。
     最初のiron link-bracketsがどうしても分からなかったのだが、何故か新訳は「鉄のたいまつ受け」と書いている。それでようやくlinkが「たいまつ」だという事実にたどり着いた。ランダムハウスには「(特に麻くずと松やにで作られた)たいまつ」とある。何故linkかというと、「たいまつが鎖のような形に撚り合わされた撚り糸でできていたらしいことから」という説明も書いてあった。つまり、両側の壁には「たいまつをストックするための(腕木で支えられた)張り出し棚」が設えてあるという事になる。旧訳はここをすっ飛ばしているのだが、宇野さん、忘れたわけではなく、この後の仰天訳につながる。
     右手の壁には低い位置にドアがある。低いから「くぐり戸」か。旧訳、悪くないかも。

    (原)Above the gates was a shapeless, rusty apparatus, which resembled an enormous vat on wheels and pulleys.
    (旧)城門の上には、途方もなく巨大な鉄製の容器が、やはり赤錆びになったままつるしてある。くさりと滑車で回転するタンクに似た桶であった。
    (新)正門の上に車輪と滑車を取りつけた巨大な桶そっくりの、なんだかよくわからない錆びついた装置があった。
     城門には上にスペースがあるようだ。そこに「車輪と滑車を取りつけた巨大な桶そっくりの、なんだかよくわからない錆びついた装置」が置かれている。旧訳の「つるしてある」は「くさり(?)と滑車」からの連想だが、これは桶を移動したり傾けたりするための仕掛けだろうから、宇野さんの勘違いだ。そう言えばAbove the gates was a shapeless, rusty apparatusと書かれているので、城門が二重になっているとか、通路の端と端に2つあるという考えは完全に消えた。やはり両開きの門という事らしい。
     それにしても新訳は「大手門」と言ったり「城門」と言ったり「正門」と言ったりと、落ち着かないなぁ。

    (原) "Thus you poured boiling lead on the heads of the impertinent. And this torch, which the butler and our guide found lying here in the passage after the murder……"
    (旧)「諸君、これがなんだかおわかりですか? 敵の襲撃がはじまると、あの桶のなかで、鉛を煮立てておくんですよ。さあ、城門が撃ち破られたぞ、と聞くと、ながれこんでくる敵軍の頭から、その鉛の熱湯を浴びせかけたものなんです。それに、この上にたいまつがいっぱい貯蔵してある。例の殺人事件のあとで、ここにいるフリッツと執事ホフマンとが、ちょうどこのあたりで発見したたいまつです……」
    (新)「先陣切った出しゃばり者の頭上に、ああして溶けた鉛を浴びせかけてやったのだよ。そして、このたいまつは殺人後に通路のここに落ちていたのを、執事と我らが案内人が見つけた……」
     いやあ、ここも新訳どおりに装置の役目を1文で説明できるのに、旧訳はどういう状況で使われたのかを見てきたように僕ら読者に伝えてくれる。そして例のiron link-bracketsの描写を
    「この上(壁の事)にたいまつがいっぱい貯蔵してある」と書く事で有効活用している。すごい!(不適切にもほどが…)
     適切か不適切かの議論は置いておくとしても、何故ここに謎の男がたいまつ(torch)を置いていったのかは分かった。元々、ここのストックから持ち出したたいまつだったのだ。きっとこれは、あとあと犯人の動線を考える際の重要なエビデンスになるはずだ。

    「シュトルツェンフェルス城」との類似

     このあと、いよいよ例の中庭へとズンズンと歩いていく事になるのだが、それは次回にしよう。その前に(その5)で詳細に紹介した吾孫子豊著『ラインの伝説』にもう一働きしてもらおう。
     記者ガリヴァンがジェフ・マールに髑髏城にまつわる幽霊話をしたが、それは、この本の「36. 侍従の娘(シュトルツェンフェルス)」という伝説を参考にしたのではないかと(その5)に書いた。錬金術師が代官をたぶらかそうとして天罰が下る話だ。「闇の中で城の真下の崖から落ちて頭蓋骨が割れて死ぬ」というのも、なにやら妄想をかき立てられる。この城、シュトルツェンフェルス城が『ラインの伝説』の表紙になっている。実物ではなく絵画だ。本文にはモノクロの写真が掲載されていて、P.ベッカー画「シュトルツェンフェルス城」(1973年 ウィースバーデン博物館蔵)と書かれている。
    CIMG8396.JPG
    モノクロなので分かりにくいのだが、これはもうアプローチに関する限り、髑髏城そのものじゃないかと思ってしまった。表紙はカラーなので、そこに独断で各パーツ名を書き込んでみた。本当は、本文掲載の画像の方が本のタイトルが邪魔してないので、髑髏城の上あごと下あごの様子を説明できそうなのだが致し方ない。ネットでも探したが元の絵画の画像はなかった。
     僕が考えるに、こんな感じだ。
    『ラインの伝説』表紙(用語付き).jpg
     次回の散策で城壁を内部から時計回りに上っていく事になるので、おそらく、causewayとgatesは城の正面左側に位置すると思われる。
    posted by アスラン at 01:45 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする