ふりだしに戻る 緊急事態だ。
(その7)で僕らは髑髏城の正面入口である城門から城壁の内部に入った。そのまま通路と階段を経巡り、ついには城壁の屋上とでも言うべき中庭(courtyard)にたどり着いた。そして、そこで見たのは狭間胸壁(battlements)への階段であり、回廊はまだ見あたらない。その階段を登ればやがて回廊は見えてくるのだが、肝心の回廊の屋根にあたる位置に別の狭間胸壁など見あたらないのだ。では、いったい炎に包まれたマイロン・アリソンは「どこからどこへ落ちたのか」。考えあぐねた末、ある仮説に行き着いた。「アリソンはどこにも落ちていない」のだと。
Carr Graphicでは、旧訳は「城壁90フィート(27.4メートル)を落ちる」のに比べて新訳は「せいぜい2.5メートル程度」なので、「気持としては、旧訳的に落ちてほしい」とカー愛好家ならではの感想を吐露している。「それどころか全く落ちていない」などと僕が言ったら、日本全国のカーファンから糾弾されて、日本カー学会を追われかねない(あるのかどうか知らんけど)。でも、とりあえずこそっと真実を確かめるために、もう一度時を戻そう。僕の仮説が単なる妄想なのか、真実なのか。そこで僕はすごろくの骰子を振る。出た目を進むとそこにはこう書かれていた、「ふりだしに戻る」と。
ふりだしに戻る、ふりだしに戻る、ふりだしに戻る。「ふりだし」とは一体どこだろう。悪夢にうなされるように僕は髑髏城の中庭からはるかライン川の水面に戻される。(その1)の書き出しがそうだったように、ジェフとともに蒸気船でライン川下りの旅路に出るところがふりだしだろうか。いや、違う。もっと遡るのだ。
そもそも『髑髏城』を散策する上で最も重要な言葉はbattlementだ。通常は「狭間胸壁」と訳される。その言葉が最初に出てきたところ。そこがふりだしだ。この散策で使用している原書は『CASTLE SKULL』(ZEBRA Bookより1980年に出版)で、INTERNET ARCHIVEで閲覧が可能だ。見られるのは原書の画像だが、テキストはデータ化されて検索可能だ。この検索機能を使うとbattlementsは25件ヒットする。battlementやbattlementedは検索されないので、分かち書きされた単語をそのまま検索すればいいというわけではないのか。それにしても複数形は検索できて単数形はヒットしないって変だなと思ったら、行末で単語を折り返す場合に挿入するハイフン記号を込みで検索すればヒットするものがあるようだ。battleでたまたま検索したらbattle-mentedも検索できた。これらを含めるとbattlement,battlements,battlementedで全28件ヒットした。これを最初からたどっていけばよさそうだ。
と同時に、parapetという単語も一緒にふり返っていく必要がある。これが出てくるせいで、城壁の頭部にはparapet、城壁が取り囲む中庭の上にはbattlements(狭間胸壁)という二段ロケット型の建築を思い描いてしまったからだ。検索するとparapetは5件ヒットする。その他にも「回廊」がどのようなもので、どこにあるのかを知る必要がある。galleryが重要だ。7件出てくる。他にも髑髏城の歯並びは何をもとにして見立てているのか。teethを調べないと。18件ヒットしたが、バンコランやアルンハイムやその他登場人物が笑みを浮かべる場面が多く、見立てのteethは8件のみだ。
要するに、ふりだしに戻って始めるのは「battlement,parapet,gallery,teethをたどる散策」になる。
battlement,parapet,gallery,teethをたどる散策1(第1〜2章) まず最初のbattlementsは第1章P.16に出てくる。マイロン・アリソンの友人にしてベルギーの大富豪ジェローム・ドオネイが、パリのレストランでバンコランに事件解決に乗り出して欲しいと依頼する場面だ。伝聞ながらドオネイはこんな風に言う。
(原文)[第1章P.16]
…Alison has been murdered. His blazing body was seen running about the battlements of Castle Skull."
(旧訳)[P.17]
名優マイロン・アリソンは殺されたのだ。それもまた大時代に、そのからだを火炎につつまれながら、髑髏城の城壁から転落していったのだ」
(新訳)[P.20]
アリソンは殺された。火だるまで髑髏城の城壁を駆け回る姿を目撃されている」
running about the battlements of Castle Skull(髑髏城の狭間胸壁あたりを走っている)と書かれている。旧訳・新訳ともに「城壁」と書いている。wallsとbattlementsを区別する必要があるならば、これはおかしな話だ。新訳の和爾さんは区別が必要ないと思ったのだろうか。旧訳の宇野さんはフライングしすぎだ。まだ、火炎に包まれて走りまわっているだけで転落などしていない。
(原文)[第1章P.16]
He had been shot three times in the breast, but he was alive when the murderer poured kerosene on him and ignited it. He actually got to his feet and staggered out in flames across the battlements before he fell.
(旧訳)[P.17]
胸に弾丸を三発も食いながら、なおも負けずに抵抗したらしい。そこで、相手はかれに、石油を頭からぶっかけてそれに火をつけた。残酷なことをしたものだ。さすがのかれも、それには思わずよろめいて、全身から大きな炎をあげながら、城壁をまっさかさまに墜落していった――」
(新訳)[P.20]
胸に三発の弾を食らっても死なず、犯人に灯油をぶっかけて放火されるまでは生きていたんだから。そこから本当に自力で立ち上がってよろよろと炎から逃れようとし、胸壁を横切っていって転落した」
旧訳は相変わらず「城壁」だが、新訳は「胸壁」に変わった。ただ狭間胸壁とは言っていない。問題は、この一文だ。
(原)He actually got to his feet and staggered out in flames across the battlements before he fell.
(旧)さすがのかれも、それには思わずよろめいて、全身から大きな炎をあげながら、城壁をまっさかさまに墜落していった
(新)そこから本当に自力で立ち上がってよろよろと炎から逃れようとし、胸壁を横切っていって転落した
旧訳はすでに「転落した」とフライングしたが、この文で新訳も追従している。だが、fallは「落ちた」の意味だけではない。「倒れる」とも解釈できるのだ。だからその直前がどのような描写なのかを慎重に読まなければならない。got to his feetのところは新訳のように「なんとか自力でたちあがる」でいいだろう。その後のstaggered out in flame across the battlementsだが、新訳はout in flameを「炎から逃れて」と解釈したのだろうか。stagger out(よろめいて〜に出ていく)という解釈になるのではないだろうか。どこにかというとacross the battlementsだ。これを旧訳は「飛び越えて」と考えている。新訳は「横切って」と書いているが、実質飛び越える事になりそうだ。しかし、以前にも書いたが、「walk across the bridge(橋を歩いて渡る)」のように「端から端に」という意味にも解釈できる。「よろける」とbattlementsを飛び越えてしまうものなのだろうか。問題はそこだ。
場面は変わって、ジェフ・マールがライン川下りの蒸気船で、アリソンの事件に詳しい記者ガリヴァンと出会って話を聞くところ。
(原文)[第2章P.28]
Did you hear the story of the shadow they saw standing on top of the battlements when Alison ran around all on fire?
(旧訳)[P.32]
アリソンが全身を火炎に包まれて、髑髏城からころげ落ちたときも、怪しい者の影が、胸壁の上に現われていたそうじゃないか。
(新訳)[P.33]
火だるまのアリソンがころがり回った胸壁に人影がいたって話は聞いてるだろ?
ここでようやく旧訳・新訳そろって「胸壁」と訳すようになった。ここで注意すべきなのはstanding on top of the battlements(胸壁の上に立っている)で、battlementsは立ったり走ったりよろめいたりする事ができる上部があるという事だ。そして、またしてもran around all(そこらじゅうを動き回る)を旧訳は「ころげ落ちた」とし、新訳も「ころがり回った」としている。先ほどのドオネイの話では「よろけた」後に「落ちた(倒れた)」のだから、「ころげ」たり「ころがり回った」りする時間はなかったはずだ。新訳・旧訳ともに訳文が矛盾している。
続いて、蒸気船が髑髏城に近づいてきた場面。
(原文)[第2章P.29]
Then Castle Skull grew in size, though it seemed even farther above our heads. Massive walls, battlemented and fullly a hundred feet high, were built into the hillside. I bent over the rail and craned my neck to look up. In the centre of the walls, built so that the middle of the battlements constituted the teeth of the death's head, reared the vast skull of stone.
(旧訳)[P.33]
みるみるうちに、髑髏城の姿は、眼前に迫って来た。狭間造りの城壁が、百フィートにちかい高さで、丘陵のすそを囲んで延びていた。ぼくは甲板の手すりから、首を伸ばしてそのようすをながめやった。城壁の中央に、ずらりときばのような歯を並べて、銃眼が開いている。その背後には、巨大な石造の丸屋根が、頭蓋の形で盛り上がっている。
(新訳)[P.34]
どうやらまだ遠そうな場所から、髑髏城がはやばやと顔をつきだしてきた。なだらかな山腹にかぶさる狭間胸壁付きの城壁、高さ百フィートはありそうだ。手すり越しにうんと首を伸ばせば、城壁の中ほどでされこうべの歯をかたどる中央胸壁の奥に巨大な石造の頭骨が控えている。
すでに(その2)で通ってきた場面だ。しかし、その時とは全然違った相貌を髑髏城は見せている。
(原)Massive walls, battlemented and fullly a hundred feet high, were built into the hillside.
(旧)狭間造りの城壁が、百フィートにちかい高さで、丘陵のすそを囲んで延びていた。
(新)なだらかな山腹にかぶさる狭間胸壁付きの城壁、高さ百フィートはありそうだ。
最初に来た時、なぜbattlementedをちゃんと読めなかったのだろう。battlementsがどんなものであろうとも、城壁(walls)に施されたものであって、城壁とはセパレートした構造物と考えるのはおかしいと思うべきだったのだ。
ここからは少し用語を詳しく見ていこう。battlementedの意味がちゃんと書かれている英和辞典は、リーダーズと研究社の新英和大辞典のみだ。
battlemented
(リーダーズ)
to furnish with ramparts(rampartsを取り付ける事)
(新英和)
battlemented = battled1 (胸壁を設けた狭間のある)
ここでrampartという言葉が出て来た。リーダーズとランダムハウスには以下のように書いてある。
rampart
(リーダーズ)
塁壁、城壁《上部は通路になっていてしばしば胸壁(parapet)が設けてある》、防護壁(となるもの)
(ランダムハウス)
城壁、塁、壁垣: 上部は人馬や火器が通れるほど広く、胸壁がついている。
こういう時、細部を考えれば考えるほど、語の定義が循環してしまうので注意が必要だ。以下にランダムハウスでbastion(稜堡)と呼ばれる構造に付された図を挙げる。形は五角形の特殊な構造物だが、パーツで出てくるrampartとparapetが参考になる。

ついでにparapetも調べておこう。
parapet
(リーダーズ)
欄干、ひめがき;《壁上の》手すり壁
(ランダムハウス)
1.胸壁
2.(城壁の上に)盛り上げた防御壁
ここまでで僕の考えをまとめると、battlementedとは「城壁で囲われた上部の平地に城壁に沿って塁(rampart)を築く。この塁を守るために城壁の上に壁(parapet)を作る。これは防護壁でもあり胸壁でもある。あるいは欄干、手すり壁とも言える。このような構造物を取り付ける事」を言う。いわゆる銃を構えるための狭間がないではないかと思われるだろうが、リーダーズ・ランダムハウスの共闘だと「狭間」が出てこない。ただし、研究社新英和大辞典では、胸壁と狭間はペアになっている。
とりあえずはリーダーズ・ランダムハウスの解釈に従うとして、battlementedで取り付けられた構造物自体がbattlementsだという事になるはずだ。そのつもりで、battlementの訳語を見ていこう。
battlement
(リーダーズ)
銃眼付きの胸壁、狭間胸壁、銃眼(狭間胸壁)付きの屋根
(新英和)
1.狭間胸壁、銃眼付き胸壁《塔・城壁の上に設けられたparapet》
2.胸壁で囲まれた屋根
(ジーニアス)
[通例〜s]銃眼付きの胸壁[狭間];(塔や城の)胸壁で囲まれた平たい屋根
(ランダムハウス)
1《しばしばbattlements》頂銃眼、(塔上)狭間胸壁、銃眼付き胸壁
2《しばしばbattlements》1を設けた屋根
◆embattlementともいう。
ここでまたしてもbattlementとparapetの意味が循環するような記述があるのは厄介だ。それには目をつぶるにしても、先ほど考えたbattlementedと、その結果出来たbattlementsには食い違いがあって、名詞の方は明らかに銃眼(狭間)が現れる。それ以外は先ほどの定義が使えると思う。一方、parapetは胸壁しか指さない。それがたとえ狭間があったとしても壁だけならparapetなのだ。それをまとめると、こうなる。
battlements
城壁で囲われた上部の平地に城壁に沿って塁(rampart)を築く。この塁を守るために城壁の上に胸壁(parapet)を作る。通常、兵士が塁の上から銃を構える事ができるように胸壁に狭間を付けた狭間胸壁を作る事が多い。このような構造物を指す。
parapet
城壁で囲われた上部の平地を取り囲むように作る防禦壁の事。一般的には手すりや欄干と同じ目的の胸壁を指す。要塞化のために狭間を付ける事もあるが、胸壁だけを指す場合はparapetと呼ぶ。
さて、この定義が使えるかどうかは、この場面の後半の文でさっそく試される。
(原)In the centre of the walls, built so that the middle of the battlements constituted the teeth of the death's head, reared the vast skull of stone.
(旧)城壁の中央に、ずらりときばのような歯を並べて、銃眼が開いている。その背後には、巨大な石造の丸屋根が、頭蓋の形で盛り上がっている。
(新)城壁の中ほどでされこうべの歯をかたどる中央胸壁の奥に巨大な石造の頭骨が控えている。
語り手ジェフの視線はライン川の蒸気船から上方にある髑髏城を見上げているはずだ。(その7)で中庭にたどり着いて分かったのは、胸壁に囲われていて外側は一切見えないという事。逆に俯瞰で見ない限り、髑髏城の中庭は見えない。見えるのは、下から「城壁・胸壁・髑髏城と両脇の塔」だ。川の中央から髑髏城を望むと銃眼(狭間)がよく見えるだろう。ここの文は(その2)でも書いたように倒置構文で、the vast skull of stone reared in the centre of the walls(城壁の中央に巨大な石造りの髑髏がそびえる)という文と、その結果としてthe middle of the battlements constituted the teeth of the death's head(胸壁の中央部分が髑髏の歯を構成する)という描写になっている。つまり、奥に位置する髑髏型の丸屋根と手前の狭間胸壁とが重なった部分が歯のように見えるという事だ。やはり、ここの描写では回廊の事は一切語られていないので、果たしてこれで歯に見えるのだろうかと思ってしまう。
それと「battlementsを使ってparapetを使わないのは何故か」については、胸壁がどう見えるかに依存しているように思える。ある程度遠くから城壁を見ると、上部には銃眼(狭間)が付いた胸壁(battlements)が見える。一方、間近から城壁を見ると、上部には手すりや垣の役目をした胸壁(parapet)が見える。そういう使い分けがあるように感じられる。
battlement,parapet,gallery,teethをたどる散策2(第2〜3章) 次は、対岸にあるアリソン邸から事件を目撃したアガサ・アリソンの回想だ。
(原文)[第2章P.35]
"All of a sudden something all in flames ran out of the place where the teeth should be. It was very tiny at that distance, but it looked like a man on fire, and it was screaming. You could hear the screams over the water. It started to run along the battlements in the jaws of the skull wildly; and, damn it! I'll never forget that it almost seemed to be dancing in time to that 'Amaryllis,' that tune. Then it tumbled across one of the battlements and lay there, burning. H'm."
(旧訳)[P.42]
すると、とつぜん、しゃりこうべの歯のあたりから、からだじゅう火炎に包まれたものが飛び出して来たの。あんな遠くのことだから、ごく小さくしか見えないんだけど、たしかに人間に違いないの。それが全身炎に包まれて、甲高い悲鳴をあげて飛び出して来たの。川の面を越えて、それがはっきりと聞こえてきたわ。そして、あのしゃりこうべのあごにあたるあたりを、さも苦しそうに走りまわっていたんだけど……
あたし、いまでも考えるとぞっとするわ。まるで、階下のルヴァセールさんがひいている、あのアマリリスの曲に合わせて、踊り狂っているみたいなのよ。そのうちに、何もかもが燃えつきたように、踊っていたそのからだが、がっくりとくずれるようになって、胸壁から下の城壁に墜落していきました。そして、あとはそのまま、そこに横たわってしまったというわけなの」
(新訳)[P.41]
そしたらいきなり、炎に包まれたものがダーッと髑髏の歯並びへ走り出てきた。あんだけ遠くでうんと小さかったけど、どうやら火だるまになった男らしくてすごい声を上げてた。あの悲鳴なら川向こうへも届くよ。で、そいつが下あごの胸壁沿いにめちゃくちゃに走りだして、それから、ああ、ちくしょう! このさき忘れようにも忘れられないよ、まるであの『アマリリス』に合わせて燃えながら踊ってるみたいだった。やがて胸壁の一つから転がり落ち、倒れて動かなくなった、燃えながらね。ふむ」
ここもbattlements2箇所とteeth1箇所で殺人現場を描写している。
(原)All of a sudden something all in flames ran out of the place where the teeth should be.
(旧)すると、とつぜん、しゃりこうべの歯のあたりから、からだじゅう火炎に包まれたものが飛び出して来たの。
(新)そしたらいきなり、炎に包まれたものがダーッと髑髏の歯並びへ走り出てきた。
一つ前のライン川からの描写で、結局のところbattlements(狭間胸壁)の中央部分が歯のように見えるという事だった。そして、ここでも「何かが歯のようにみえるところから飛び出してきた」と書かれている。歯並びの正体がbattlementsならば上部にあたる塁(rampart)を走っている事になり、辻褄があう。新訳の「歯並びへ走り出てきた」はちょっと変だ。
(原)It started to run along the battlements in the jaws of the skull wildly
(旧)それが全身炎に包まれて、甲高い悲鳴をあげて飛び出して来たの。川の面を越えて、それがはっきりと聞こえてきたわ。そして、あのしゃりこうべのあごにあたるあたりを、さも苦しそうに走りまわっていたんだけど……
(新)で、そいつが下あごの胸壁沿いにめちゃくちゃに走りだして、
ここでthe battlements in the jaws of the skullという描写は、やはりライン川での描写の「奥に位置する髑髏型の丸屋根と手前の狭間胸壁とが重なった部分」を別の言い方で表現している事になりそうだ。run along the battlementsは、塁(rampart)を狭間胸壁に沿って走っているイメージになる。
(原)Then it tumbled across one of the battlements and lay there, burning.
(旧)がっくりとくずれるようになって、胸壁から下の城壁に墜落していきました。
(新)やがて胸壁の一つから転がり落ち、倒れて動かなくなった、燃えながらね。
そしてついに問題の場面が出てくる。Carr Graphicの外観図や見取り図でも取り上げられている描写だ。tumbleの訳は「倒れる、転げる、真っ逆さまに落ちる」なので、旧訳は「胸壁から墜落」し、新訳は「胸壁の一つから転がり落ち」ている。だが、落ちる場合は「tumble off/from/out of〜(〜から落ちる)」「tumble into/down〜(に落ちる)」になるようだ。ではtumble acrossは?

ネットのフリーのonline dictionaryで調べたらto trip on something with one's foot.(〜にけつまづく)と書いてあった。これまでの描写とあわせると、アリソンは「なんとか自力で立ち上がって、炎に包まれながらよろめいて胸壁(状況的に塁の上)に飛び出し、胸壁沿いに走っていき、胸壁の一つにけつまづいた」という事になる。胸壁に「蹴躓く」ものか疑問が残るけれど、よろよろと右へ左へぶれながら走っていったとしたら、どこかで胸壁に引っかかって躓く事はありうるだろう。「転落/墜落」しなかった最大の根拠はlay there(その場に倒れた)だ。旧訳は訳さず、新訳は「転がり落ち」と辻褄をあわせるように「倒れて動かなくなった」と書いているが、thereはどうしたってbattlementsだろう。落ちた先が書かれてないのだから。
次は執事ホフマンの回想だ。ホフマンと運転手フリッツが手漕ぎの舟で髑髏城へと向かう途中で何事かを目撃する。
(原文)[第3章P.47]
I said, 'Row like the very hell, Fritz!' For we could see a thing lying on the walls, over one of those parapet, burning.
(旧訳)[P.56]
「わたくしはフリッツに言いました。大急ぎでこぐんだぞ―フリッツ! ほら、見ろ。城壁の上に、だれかの姿が見えるじゃないか。からだじゅうに火がついて、いまにも城壁からころげ落ちそうだ。
(新訳)[P.54]
「それでフリッツに、わ、わた、私はこう命じました。『死ぬ気で漕げ、フリッツ!』城壁の上にひとが倒れているのが目に入ったからでございます。あの防壁の向こうで燃えておりました。
a thing lying on the walls(城壁の上に何かが横になっている)と言っている。もうすでに分かった事ではあるが、城壁から内側は俯瞰しない限り何も見えない。城壁の上に何かが見える場合、塁(rampart)に立っているか、胸壁(parapet)に乗りかかっているかのいずれかだ。
その後にover one of those parapetという修飾句が続く。ここを「胸壁の一つに覆いかぶさって」と解釈すれば確かにホフマンから人の姿が見えただろう。そう解釈すれば旧訳の「いまにも城壁からころげ落ちそうだ」と整合する。ただ、そうなると前半の「何かが横になっている」という描写と辻褄が合わない。ここは新訳の解釈が正しくて「胸壁の一つの向こう側で」がよさそうだ。そうか。胸壁の向こう側で燃えているので「人」とは書かず「何か(a thing)」と書かれていたのか。本来、塁に立っていなければ何も見えないはずだが、燃えていたので「何か」が見えたわけだ。
ホフマンとフリッツはあえぎながらも険しい坂道を半分ほど登って「倒れ込む(旧訳)」。いや「ほとんど倒れそうになる(新訳)」。
(原文)[第3章P.47]
"Half up I was panting; I almost fell. I seize a bush, and then look up. High! High over me I see that big wall go, till I grow dizzy looking at it over the trees. Below it is dark, but the moon shines on the top through trees. It is pale; you see the rough stones and the battlements. I saw a man's hand in flames stick out over one parapet, and nearly I am sick.
"But something else! Beside that I see something else, for just one moment. A huge thing, like a shadow. Like a shadow on the while sky. The shape of a man, with a burning torch in his hand, looks down from the battlements. And then, while I watch, it it gone."
(旧訳)[P.57]
で、あえぎあえぎ半分ほど登りまして、そこでばったりと倒れてしまいました。でもやっとのことで起き上がりまして、生い茂った木々のこずえのあいだから、頭の上をのぞいてみますと、わたくしどものすぐ鼻の先に、切り立ったような髑髏城の壁がそそり立っているのでした。わたくしどものまわりは、木の葉の影で真のやみなのですが、はるか高く、夜の円塔の上には月光がいっぱいにふり注いでいまして、石をたたんだ城壁のはだが、きらりきらりと青白い光を放っているのでした。
そのときでした。――ひとみを凝らして見上げているわたくしの目に、ふいに胸壁の上に、怪しいものの姿が浮かび上がるのが写りました。手には、燃えしきるたいまつをかざして、雲ひとつない夜空に、ときならぬ火花を散らしているのでした。わたくしは思わずぞっとして、その場に立ちすくんでしまいました。
しかし、それもほんの一瞬間のできごとでした。でも、わたくしはたしかに、それを見ました。なにかおそろしく大きいものの姿に写りました。たいまつを持った黒い影が――さようでございます、真昼のように月光の明かるい夜空に、ぶきみなくらい大きな黒い影が、くっきりと浮かんでいるのです。男の姿のように思われました。たいまつから、ぱっぱっと火花を飛ばせながら、胸壁の上から下界を見おろしているのです。が、わたくしがはっとして、よく見直そうと目を見はったとき、それはもう、姿を消していました」
(新訳)[P.55]
「中ほどで息が切れてしまい、危うく倒れかけました。それで手近な茂みにつかまって見上げました。高い高い! あの大きな城壁が頭上はるかな森の上にたつのを見ておりますと、目がくらくらして参ります。下を見ればまっくらではありますが、月の光が木々の枝越しに川へ届いております。青白い光でございました。ごつごつした石壁と狭間胸壁はご覧になりましたでしょう。燃える男の片手が防壁ごしに突き出ているのが見えて、吐きそうになりました。
ですが、それだけではございません! その横に何か別のものがほんの一瞬だけ見えました。大きな影絵のようなものです。白む空に映る影絵のような。男の姿をして、片手に燃えるたいまつを持ち、狭間胸壁から見おろしておりました。そして、じっと見守るうちにかき消えました
この場面の冒頭、I almost fell.(ほとんど倒れそうになった)と書かれている。fallが「転落する、墜落する」とは限らない実例がここにもあった。と指摘しておいて、battlements2箇所とparapet1箇所を見ていこう。
(原)It is pale; you see the rough stones and the battlements.
(旧)はるか高く、夜の円塔の上には月光がいっぱいにふり注いでいまして、石をたたんだ城壁のはだが、きらりきらりと青白い光を放っているのでした。
(新)青白い光でございました。ごつごつした石壁と狭間胸壁はご覧になりましたでしょう。
坂道から頭上を見上げるとはるか上に髑髏城の城壁が見えるという状況。月光が背後から照らしているので、たぶん城壁の上側が「青白い光」で浮かび上がって見えるのだろう。旧訳の「石をたたんだ城壁」というのは意味不明。「城壁」としているのもマイナスポイント。新訳の「ごつごつした石壁と狭間胸壁」は良さそうだ。僕の解釈では「城壁のごつごつした石と狭間胸壁(とが見えた)」となる。
(原)I saw a man's hand in flames stick out over one parapet, and nearly I am sick.
(旧)そのときでした。――ひとみを凝らして見上げているわたくしの目に、ふいに胸壁の上に、怪しいものの姿が浮かび上がるのが写りました。
(新)燃える男の片手が防壁ごしに突き出ているのが見えて、吐きそうになりました。
(その4)で一度検討しているが、旧訳は誤解している。ここは怪しい男の描写ではなく、アリソンの描写。胸壁(parapet)ごしにアリソンの手が突き出ているのが見えている。直前でbattlementsと書いておきながらここではparapetになっているのは、おそらくは「胸壁」よりも「手すり、欄干」から手が突き出ていると強調したかったからではないだろうか。それと当然ながら倒れているアリソンの体は、この位置からは見えないので言及がない。
(原)The shape of a man, with a burning torch in his hand, looks down from the battlements.
(旧)たいまつから、ぱっぱっと火花を飛ばせながら、胸壁の上から下界を見おろしているのです。
(新)男の姿をして、片手に燃えるたいまつを持ち、狭間胸壁から見おろしておりました。
今度は謎の男の描写。looks down from the battlements(battlementsから見おろしている)。またもやbattlementsに戻っているのは、塁に立って狭間胸壁越しに下を見おろしているから。つまりbattlementsは、単なる胸壁ではなく塁を合わせ持った構造物としての意味で使われている。ちなみに、ここの「見おろして」という描写は非常に罪作りだ。(その4)の髑髏城散策では、回廊上部にいる男が、転落したアリソンを見おろしている描写なのだと思い込んでいた。でもよくよく考えると回廊から下(おそらく塁)に落ちたとすると、この男の姿はホフマンたちからは見えないはずだ(まあ、ギリギリ見えたかもしれないが)。では何故男は「見おろして」いたかというと、ホフマンたちが近づいてくるのを確認して出くわさないように逃走する事を考えていたからだろう。
battlement,parapet,gallery,teethをたどる散策3(第4章) 次はホフマンとフリッツが丘の上の城門にたどり着き、あっという間に中庭に上がっていった場面だ。
(原文)[第4章P.49]
"The gates of wood across the causeway, they are closed, but not locked. We open them. I wonder where to find old Bauer, who does not answer our call. Beyond is a very long passage of stone, running through the wall many feet. On the floor in the middle is lying the burning torch, left behind. We hurry on through to the courtyard, up stairs to battlements, through arches to the teeth of the skull, and we find―
(旧訳)[P.59]
「わき道の木戸はしまっていましたが、錠はかかっていませんでした。わたくしどもは、あけるのももどかしく飛び込みましたが、いくら呼んでも、バウワーの姿が見えません。入口から石畳み道が、城壁を抜けて、奥までつづいているのですが、その石床の上に、まだ燃えているたいまつが落ちていました。わたくしどもはいそいで、胸壁の裾あたりまで登ってみました。すると、そこに、わたくしどもは――」
(新訳)[P56.]
「土手むこうの森へ出る門はどれも閉じておりますが、鍵はかかっておりませんので、どれも開きます。バウワーを呼んでもあらわれず、どこへ行ったかと思いました。城の大手門のさきにはかなりな長さの舗装道路が城壁を貫通して何フィートも伸びております。中ほどに、あのたいまつがつけっぱなしで放り捨ててありました。あたふた中庭を抜けて狭間胸壁への階段を登り、アーチをくぐって髑髏の歯に出ると、そこで目にしたのが――
最後の1文が特に重要だ。battlementsとteethが1箇所ずつ出てくる。
(原)We hurry on through to the courtyard, up stairs to battlements, through arches to the teeth of the skull,
(旧)わたくしどもはいそいで、胸壁の裾あたりまで登ってみました。
(新)あたふた中庭を抜けて狭間胸壁への階段を登り、アーチをくぐって髑髏の歯に出ると、
今となっては中庭にたどり着くのがどれほど大変なのかを知っているので、一段落でこんなにあっさりとたどり着いてしまうなんて「カー先生、ひどいよ」と言わずにはいられない。その大胆な端折り方のせいで、この文の解釈を完全に間違えた。
(その4)で「hurry on through to the courtyardの語順がおかしいので、ここは倒置構文になっている」などと書いたのは間違いだった。城壁内部の階段を登り切るとまず中庭(courtyard)が出てくるので、最後に「中庭に出る(to the courtyard)」という解釈は成立しない。もう一度仕切り直して考えてみよう。解釈は2つある。
解釈Aは、toがタイポでhurry on through the courtyardが正しいとする考え方だ。新訳はそう解釈して「中庭を抜けて」と訳している。これも悪くはないのだが、もう一つの解釈Bが考えられる。throughの後に目的語が抜けているという考え方だ。例えばhurry on through that passages to the courtyard(城門から先の通路を抜けて中庭に出る)という感じだ。こちらがしっくりくる理由は、直前の文が「たいまつが放り捨てられて」あった通路の描写で終わっているからだ。解釈Aだと城門から城内に入ってすぐの位置から中庭にいきなりワープしてしまう。解釈Bならばまがいなりにも「通路を抜けて」という一言が入るのでワープした感じはしなくなる。
目的語が抜けているのはタイポなのか、それとも意図したものなのか、どちらだろう。日本語だと文脈に依存したフレーズは省略可能だが、英語では許されない。でも、もし「hurry on through [ ] to the courtyard」のように空白に何かが入っていると思わせる省略表現が可能なのであれば、ここの訳は「城門からの通路を通り抜けて中庭に出て、狭間胸壁へ至る階段を上り、回廊を通り抜けて髑髏の歯にたどり着いた」と訳せる。結果的には新訳とほぼ同じ解釈だ。
解釈論議は置いておくとしても、原文の解釈はこれでよさそうだ。すると城壁の上部は「中庭→階段→塁→回廊→歯(中央の狭間)」という順番にたどれるようだ。だとすると回廊は塁の上にのっている事になる。回廊を通り抜けて中央付近でbattlementsの狭間にたどり着く。そこにはアリソンの遺体があるからだ。うーむ。隔靴掻痒の感がある。なかなか痒いところに手が届かない。
ホフマンたちは燃えている人間を見つけ、火を消し止める。
(原文)[第4章P.50]
"And I feel like a pudding, and Fritz, who is brave, he sits down on a parapet and he shakes, and I see by the moon that he is crying."
Hamlet, lying on his back on the windy battlements, his clothes still smouldering; two shaking servants crouched beside him, the moon above and the Rhine flowing below, overshadowed by the great stone skull...
(旧訳)[P.59]
それを見てわたくしは、へたへたとそこへすわり込んでしまいました。あの勇敢なフリッツも、胸壁の上に腰を降ろしたまま、身をよじって泣いておりました」
往年のハムレット役者は、夜あらしの吹きしきる胸壁の下に、月光を満身に浴びて横たわっているのだ。着ているものはまだいぶって、煙がかすかに立ちのぼっている。そのかたわらには、ふたりの召使がひざまずいて泣き悲しみ、はるか脚下で、ラインの流れが激しい水音を立て、頭上には、巨大な石の髑髏が、おおいかぶさるように深い影を投げている…
(新訳)[P.57]
私はもう手も足も出ませんでした。フリッツは本当に大した度胸の持ち主ですが、防壁に腰をおろして身を震わせ、月明かりでもわかるほど泣き濡れておりました」
風吹きすさぶ狭間胸壁に安置されたハムレット、着衣はまだくすぶっている。かたわらにはおののく召使二名がうずくまり、月をいただく眼下にラインの流れ、頭上を石の巨大髑髏にさえぎられて…。
parapet1箇所、battlements1箇所。
(原)Fritz, who is brave, he sits down on a parapet and he shakes, and I see by the moon that he is crying.
(旧)あの勇敢なフリッツも、胸壁の上に腰を降ろしたまま、身をよじって泣いておりました
(新)フリッツは本当に大した度胸の持ち主ですが、防壁に腰をおろして身を震わせ、月明かりでもわかるほど泣き濡れておりました
なんと! parapet(胸壁もしくは手すり壁)に腰を降ろすとは。向こう側には90フィートの奈落が待ち受けているというのに。ただ、この記述でparapetは腰を降ろすことができる高さだという事が分かった。
(原)Hamlet, lying on his back on the windy battlements,
(旧)往年のハムレット役者は、夜あらしの吹きしきる胸壁の下に、月光を満身に浴びて横たわっているのだ。
(新)風吹きすさぶ狭間胸壁に安置されたハムレット、
lying on his back on the windy battlements(狭間胸壁に仰向けになって横たわっている)と書かれている。正確には塁(rampart)に横たわっている事になる。
アリソン邸の客の一人サリイ・レインが事件当日に対岸から目撃した内容をバンコランに語る場面。
(原文)[第4章P.60]
So I came down and stood on the porch. Over on the battlements of the castle I could see figures milling about―Hoffmann and Fritz. That's all."
(旧訳)[P.74]
で、しかたがないので、あたしはそのまま階下に降りて、ポーチに立って対岸を見ていました、お城の胸壁のあたりを、人影が二つ登っていくのが、小さな点のように見えました。ホフマンとフリッツにちがいありません。これだけですわ、あたしが知っていますのは。これで全部よ」
(新訳)[P.69]
それで階下のポーチへ出てみたの。そしたら、えっちらおっちらとあっちの胸壁へ登って行く人が見えたわ――ホフマンとフリッツだった。それで全部よ」
over on the battlements of the castle(城の狭間胸壁の上と向こうに)と書かれている。Over and on the battlementsとなるところではないだろうか。文法に則ってないけれど分かるという書き方をしているみたいだ。こういうところに当時のカーの若さが出ているのか、あるいは彼本来の癖なのか。先ほどのhurry on through to the courtyardといい、ちょっと癖強めなところが文章に出ているような気がする。
milling aboutは「あたりを右往左往する、動き回る」の意味で、燃える人間の火を消し止めようとホフマンたちがあわてふためいている場面と描写が対応している。
さて、ここまでが(その7)で最後にたどり着いた中庭の場面に至るまでのbattlement,parapet,gallary,teethをたどる散策のすべてだ。次回は(その7)の続きから散策を再開する。今度こそ、gallaryとteethの謎を解き明かさねば。