何が変わっているかと言うと、シングル6枚のうち3曲もアルバムに収録しなかったという点だ。そのうちの2曲「22才の別れ」「ささやかなこの人生」は風の代表曲なのだ。逆もまたしかりで、アルバムの収録曲でその後の代表曲となった作品もシングルカットしなかった。「海岸通」「君と歩いた青春」「海風」などがそうだ。言わば、大きくブレイクすることを拒否しながら、正やんの好き勝手に曲を作り、唄い、そして解散したことになる。もちろん、僕としては自分やフォークソング仲間の間でブレイクしていた風の曲を聴き、ギターで弾き語りして楽しんでいたので、実は世間でどれほど注目されているかどうかなんて、これっぽっちも気にしてなかった。ただ、何故こんな良い曲がアルバムに収録されないのかと思っていただけだ。今にして思えば音楽界のセオリー通りに、売れ線の曲をシングルとしてヒットさせ、ヒットしたシングルをアルバムに収録して売り上げを伸ばしていたならば、もっと風は長続きしていたかもしれない。とはいえ、漱石の『草枕』の一節ではないが「情に棹させば流される。意地を通せば窮屈」かもしれないが、意地を通さなかったら正やんにとって風はさらに窮屈だったかもしれないので、所詮は「たられば」の話だ。
「22才の別れ」がアルバムに入らなかった理由は、ひとえにこの曲が「かぐや姫」の曲としてアルバムに収録されていたからだと、正やんは言っていた。風としてデビューする際に「22才の別れ」をセルフカバーした事になるが、当時は自分が作った曲だとは言っても納得はいかなかったようで、結局ファーストアルバムには収録しなかった。その信念は最後まで揺らぐ事はなく、解散の年に出したベスト盤「Old Calendar〜古暦〜」にも遂に収録することはなかった。2枚目のシングル「あの唄はもう唄わないのですか」は、2枚目のアルバム「時は流れて…」に別アレンジで収録されたが、3枚目のシングル「ささやかなこの人生」は、3枚目のアルバム「WINDLESS BLUE」には収録されなかった。「ささやかなこの人生」は風の代表曲中の代表曲という存在なので、当然ながら収録すれば必ずそのアルバムは当たるはずだったが入れなかった。代わりに「WINDLESS BLUE」から「ほおづえをつく女」をシングルカットしている。ハッキリとした理由は知らないが、正やんが「WINDLESS BLUE」で、従来の素朴で叙情的なフォークからフュージョン系のシティ・ポップに舵を切った時期だったので、「ささやかなこの人生」がアルバムの統一感とは相容れなかったからのようだ。風としての最後のフォークソングである「ささやかなこの人生」は以後のアルバムに収録されず、かろうじてベスト盤「Old Calendar」には入った。ただし、新録音された「ささやかなこの人生」には、もはやフォークソングのテイストは感じられない。
「夜汽車は南へ」は「ほおづえをつく女」に次ぐ5枚目のシングルとして6ヶ月後に発売された。さらに5ヶ月後に発売された4枚目のアルバム「海風」には、またしても収録されなかった。これが何故なのかと言えば、よく分からない。おそらくは、この曲が、これまでの瀬尾一三編曲ではなく、佐藤準編曲である事が関係しているのかもしれない。アルバム「海風」はロサンゼルスで全曲レコーディングされており、瀬尾一三が全曲を編曲している。当時流行していた西海岸のサウンドを意識しており、音作りは完全に前作の「WINDLESS BLUE」とは違っている。だから「夜汽車は南へ」をアルバムに入れるには、あらたに編曲し直して録音し直す必要があったわけで、その手間をかけるよりは収録しないという選択をしたという事だろう。そういう意味では「夜汽車は南へ」は音作り的にはアルバム「WINDLESS BLUE」ともアルバム「海風」とも違っていて、浮いているように感じられる。
詞の内容としては「ささやかなこの人生」のようなフォークソング特有の力強いメッセージのようなものは感じられない。どちらかというと日常の一こまを切り取ってエッセイのように感慨を吐露するところが「少しだけの荷物」や「そんな暮らしの中で」と共通しているように感じられる。当時シングル盤を購入したのが高校生ぐらいだったが、「ささやかなこの人生」のように分かりやすくはないが心に残る不思議な曲だと感じた。当然ながら風や伊勢正三としての代表曲ではないにも関わらず、ずっと自分の中では好きな一曲として刻まれてきた。
さて、ここまでが長い前ふりだ。先日、息子を乗せた車を運転しながら、日頃妻が同乗していると気兼ねして流せない70年代のフォークやニューミュージックの曲をシャッフルして思う存分聴いていたら、この曲が流れてきた。心地よく聴いてるうちに四十数年ぶりに、僕はこの歌の詞の解釈を間違っていた事に突然気づいてしまった。その話をしようと思う。
愁いを残して夜汽車は南へ走るこれが一番の歌詞だ。南へ走っていく夜汽車に乗っている主人公は、「愁い」をどこかに残して、夜の、夜汽車の「静けさ」に身を任せている。その静けさを破るように泣く赤ん坊のけたたましい泣き声も、むしろ心地よい。そういった心情を抱えながら「またいつか君に出逢うだろう」と独白する場面を、僕はずっと「君=彼女」との別れを描いたラブソングだと思ってきた。つまり、夜汽車に乗る前の「愁い」とは、彼女とまさに別れてきたばかりの主人公の心情に違いないと。そう思ったのは「ささやかなこの人生」の歌詞からの類推によるところが大きい。
時の流れとすれ違うように走る
静けさが今 友達なら
黙って窓にもたれよう
どこかで目覚めたばかりの
赤ん坊の声がよく響く
そのけたたましいほどの泣き声を
誰も憎むことはできない
ああ 人生がくり返すものなら
またいつか君に出逢うだろう
誰かを 愛したその日には赤ん坊の泣き声は「街角の唄」なのだと思ったのだ。突然気づいてしまったのは、この「君」が赤ん坊だという解釈だ。人生がくり返すならば、また同じように夜汽車に乗って「幸せ」というささやかな日常に出会えるかもしれない。その時には「君」は成長していて、僕自身は彼もしくは彼女となったその人の「時の流れとすれ違う」事があるだろう。いや、きっと「またいつか君に出逢うだろう」という夢想を描いていたのだ。こんな壮大なロマンを日常の風景として描いていた事にあらためて驚いたのだ。
たとえば ちっぽけな絵葉書にも心がうごき
愛をなくしたその日には
街角の唄にも ふと足を止めたりする
それにしても何故「君」を別れた彼女と思ったのかと言えば、二番の歌詞にも彼女らしい「君」が出てくるからだ。
走りゆく列車の網棚の上に置かれた二番の後半は少し分かりにくい。菓子箱を持って帰る人と、その帰りを待ちわびている人。そういう美しい絆を「ぼく」は身近に感じながら夜汽車にゆられている。「ひとりの人生」が抱えている絆を「ほどきながら汽車はゆく」のでは、絆が失われていくようで変だなとずっと思っていた。しかし、これもまたしても読み違いで、夜汽車にはいくつもの人生が交差していて、それぞれが抱えている「美しすぎる絆」を「ぼく」は身近に感じる事ができる。そしてやがてはひとりまたひとりと、帰りを待つ人々のもとに帰って行く。これが「ほどきながら汽車がゆく」の意味だ。そして菓子箱を携えて「ぼく」から遠ざかっていけばいくほど、「君」は僕の心の中に刻み込まれて近づいてくる。そう考えれば、やはり一番同様に「君」は別れた彼女ではなく、人生の美しさの比喩である事がわかるのだ。
誰にもなじみの菓子箱がひとつゆれてる
その帰りを待つ人々達
そして帰ってゆく人
ひとりの人生は
いくつかの絆で結ばれている
その美しすぎるほどの絆を
ほどきながら汽車はゆく
ああ 遠ざかるほど君は近づく
ぼくの心のレールを走って





