2008年06月08日

魔術師 ジェフリー・ディーヴァー(2008/3/2読了)

 Wikiの「ジェフリー・ディーヴァー」の項の記述を信じるとすると、〈リンカーン・ライム〉シリーズは、1999年に出版された「ボーン・コレクター」から昨年2007年の「ウォッチメイカー」に至るまで日本では7作出版されている。

ボーン・コレクター (1997/1999邦訳)
コフィン・ダンサー (1998/2000邦訳)
エンプティ・チェア (2000/2001邦訳)
石の猿 (2002/2003邦訳)
魔術師 (2003/2004邦訳)
(クリスマス・プレゼント (2003):短編集)
12番目のカード (2005/2006邦訳)
ウォッチメイカー (2006/2007邦訳)


 本国アメリカで次の作品がすでに出版されているのかいないのかは、最新作「ウォッチメイカー」の訳者あとがきを読めば知れるのだろう。著者に劣ることなく読者へのサービスを怠らない訳者・池田真紀子は必ず著者の近況を書いているからだ。しかし、なにぶんにも立川市の図書館で予約してから3ヶ月を過ぎてまだ24人待ちという状況なので、もう少し辛抱しなければならない。

 それにしても前作「12番目のカード」を読んでなければ始まらない。「魔術師」を今年の3月に読了している今、唯一の懸案事項は前作を読み終えておくことだったが、それもつい最近果たした。もちろん、一つ一つの作品はミステリーとしては独立しているから、特に順番に読まなければならないという制約はない。だが本作の楽しみはそれだけではない。「ボーン・コレクター」を読んで、ライムとサックスの魅力的な人物像と二人の息苦しいまでの恋愛に惹きつけられたとしたならば、二人のドラマに寄り添わずにはいられないだろう。順番に読むことは制約というよりむしろ必然と言える。

 ファンにはよく知られているように、著者ディーヴァーにはリンカーン・ライムを主人公にしたミステリーをシリーズ化するつもりはなかった。「ボーン・コレクター」一作で使い捨てにするキャラクターだったようだ。しかし思いの外好評だったからか、単なる気まぐれかは知らないが、とにかく続編「コフィン・ダンサー」を書いた。著作リストによると翌年に出版されているから、シリーズ化するつもりはなかったというのは、単なる伝説に過ぎないのかもしれない。

 とにかく、書きたい題材やキャラクターをいくつも抱えて多忙な著者は一つのルールを作る。一年おきにシリーズ作品を世に送るというものだ。「コフィン・ダンサー」(1998年)、「エンプティ・チェア」(2000年)、「石の猿」(2002年)と、著者はルールに忠実にライム作品を出版している。しかし本書「魔術師」に関してはルールを自ら破って「石の猿」の翌年2003年に出版した。その理由を著者は「どうしても書きたい題材ができたから」と説明している。

 「書きたい題材」というのはタイトルが示すように〈魔術師〉がマジックを駆使して殺人や偽装や逃亡を演出するというものだ。この題材が、どういうひらめきから著者の執筆動機を掻きたてたのかは想像するしかないが、そもそもイリュージョンのように読者を驚かせ続けるのが本シリーズの特徴だから、犯人が凄腕のマジシャンだろうがディーヴァー作品に慣れた読者にとってはいまさら意外でもなんでもない。とは言っても、冒頭から音楽学校で人質をとって立てこもる犯人が警官の前から忽然と姿を消してしまうという大胆なストーリー展開を違和感なく描くことができるのは、魔術師が犯人という題材を選んだからこそだ。著者はマジックの手際を駆使して思う存分、大胆などんでん返しを演出したかったのだろう。

 そのせいか本書は非常に玄人受けしたようで、2004年の「このミステリーがすごい!」では2位にランキングされた。「12番目のカード」の解説では、ミステリー書評家の村上貴史が「あざとさと紙一重とまでいわれるディーヴァーの語りのテクニックが存分に発揮された作品」と書いているし、「ディーヴァーが最も得意とするどんでん返しの連続に彩られたジェットコースター・ノベル」だとも書かれていて、手放しに絶賛している。

 で、ようやく本題というか僕の感想を書くわけだが、一言で言って「あまりよろしくない」というのが率直な感想だ。たしかにどんでん返しに驚かされるエンターテイメント性の高い作品にはなっているが、一方でやり過ぎと感じる展開が待ち受けている。決して「あざとさと紙一重」などというものではない。最大の問題は、どんでん返しのためのストーリーを追求したがゆえに、何故犯人がそうしたのかという理由がまったくわからなくなってしまう点にある。魔術師の最大の特徴はミスリーディング(誤導)であり、最後の最後に読者を導いた誤導のテクニックはミステリーの玄人をうならせるかもしれない。しかし、そこまで手間暇を掛けて誘導しなくても、それ以前にいくらでも犯行を果たせる機会があったはずなのにと思えてしまう。

 さらに僕にとって致命的な事をもう一つ挙げれば、ライムとサックスの物語になんら付け加えるものを持たないという点だ。本書の前作「石の猿」で二人に訪れた心の痛みと癒しはシリーズ屈指の余韻のあるエンディングを読者に与えてくれたのだが、本作ではなんらの余韻も残さない。つまり著者の言う「書きたい題材」は十分すぎるほど作品に反映しているけれども、ライムとサックスの物語を描く「題材」の手持ちは一切なかったように思える。

 超特大のパフェを与えられて喜ぶ子供のように「どんでん返しに次ぐどんでん返し」に驚嘆する事しか芸のないミステリー書評家が、ディーヴァー作品に薄っぺらな解説を書いて欲しくはないと言っておきたい。「魔術師」は、シリーズ作品の中でもバランスのとれた作品ではないのだ。

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posted by アスラン at 03:46| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「魔術師」のさまざまなトリックは江戸川乱歩の怪人二十面相シリーズを連想してしまいます。
シリーズも長く続くと疲れが見えてくるものです。
Posted by よっちゃん at 2008年06月08日 15:36
よっちゃんさん、コメントありがとうございます。

怪人二十面相ですか。確かにそう見えなくもないですね。いきなり犯人は布一枚で音楽学校の片隅に姿を隠しているなんて、よくよく考えると信じがたいですよね。

乱歩との違いがあるとすると、乱歩のトリックの使い方・描き方が非常に素朴なところじゃないでしょうか。ディーヴァーの方はさすがに書き方に工夫があるし、単純ではないように思えます。
Posted by アスラン at 2008年06月13日 01:54
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