2005年11月24日

ワープロで私家版づくり 栃折久美子

 「装丁ノート」を読んだとき、小口とかノドとか天金とか花切れとか寒冷紗とか折丁とか、著者は装丁における専門用語をビシバシ使っていて、これ門外漢が読んで分かるかなぁって実は思った。たぶんあの本はいろんな連載やら単発エッセイなどをまとめたものなので、この順で読むと装丁のイロハがわかるって内容じゃなかった。だから知ってる人は面白いけれど知らない人は読み進めるとなんとなく分かってくるみたいなところが正直あった。決して面白くないというわけじゃなくて、そういう突き放した部分があったとしても内容はわかりやすく書かれていて、門外漢が読んでももちろん面白い

 で、何故僕が門外漢ではなかったかというと、本作を読んでいたからだ。初版が1996年というからもうかれこれ10年も前になるのか。これを神保町の書肆アクセスで見つけた時の心躍る気持ちはいまでも覚えている。こんな本と言っては失礼だが、この手の本に遭遇するのにこの店ほどふさわしいところはないだろう。地方出版物専門書店で、大手が出す本と違ってひっそりと特定のコーナーに埋もれてしまうような本ばかりが並んでて、本好きにはフラッと立ち寄るのが楽しみな書店の一つだ。

 アクセスの紹介は置いて、本の紹介だった。それまで実はワープロで本が作れるんじゃないかと夢見ていたのだ。念のため言っておくが、ここでいうワープロは専用機の事だ。当時はまだワープロ専用機健在で、年賀状はワープロで作る人も多かった。僕もそのくちだ。だが僕の野望は本を作る事だった。

 「大いなる遡行」ブログで紹介している映画評もずいぶん溜まっていたので、いつかは印刷して本にまとめたいと思っていた。これはまだ実現していない。実現したのは小林秀雄の「感想」だ。先頃ようやく全集に入った未完のベルグソン論であるが、この当時は小林秀雄の幻の評論だった。ところが会社の同僚に小林秀雄フリーク(そんなもんがよくいるなぁ)がいて、なんと趣味が高じて国会図書館で新潮連載当時の「感想」のコピーを入手していた。それを頼み込んで借りてはワープロで入力する毎日。何ヶ月かかかってテキストにしてから、どうやって本にしようかと考えた。当てはあって大きな文房具店に行くと資料などを製本する簡易製本機と製本用表紙のセットが売っているのを知っていたのだ。これは使える。

 もっとも製本機というのは製本用表紙についているラバー状の接着剤を加熱して溶かし、製本する印刷物を表紙に糊付けし、同時に挟みこんでプレスする機械にすぎない。だったら表紙だけ買ってホットプレートを使えば製本できるのではと思った。あとは本のサイズをきめて紙を用意し、文字の大きさ、行数と桁数などをきめて、一ページのどの位置におさめるかレイアウトを考え印刷した。400ページを越える本文を印刷するためにインクリボンを何十本つかったことか。

 この初めて作った本にはちゃんと解説(解題かな)がついている。当時文藝春秋から出ていた「ノーサイド」という雑誌に掲載された郡司勝義の「”一冊入魂”達人・小林秀雄の読書法」という小文を巻末に載せた。タイムリーというか著者がベルグソン論執筆当時の小林秀雄との思い出を語ったものが掲載されていたのだ。

 作った本の最後のページには、

 初出掲載 「新潮」昭和三十三年五月号〜昭和三十八年六月号

の文字を入れた。思えばこのときに初めて「初出」の使い方を学んだのだった。

 ただ残念な事に、僕は製本のやり方も装丁の手法も何ひとつ知らずにやっつけで作ったため、後で知る事になる「無線とじ」の欠点そのままに、非常にページが脱落しやすく、しかも開きが悪い本ができてしまっていた。使った紙も会社で廃棄する予定だった表面がツルツルの用紙だったため、非常にめくりにくい。要は本としては失敗作だったが、僕としては世の中に二つとない自分だけの本を手に入れた事に満足だった。

 後年、本書に出会った時に、ここに書かれている事を学んでおけばもっといい本になったのにと残念に思った。しかもここで紹介されている私家版づくりに利用されているワープロが僕の使っている専用機と同じだったのは、まさに天恵だった

 もう一度「感想」を作り直すというさらなる野望を実現する計画も立てたのだが、そのころ僕の一番の関心事は手帖だった。毎年、会社にもプライベートにも使える手帖を購入していた。僕は例の黒革の手帖が嫌いだ。だから年末年始には大きな文具屋に出向いては、ちょっとオシャレでかつ実用に向いている手帖を探し歩いた。毎年ぴあダイアリーで済ました事もあったが、ある年に前年までのレイアウトを突然変えたので、それからは既成の手帖を探した。僕は見開き2ページに1ヶ月のスケジュールが見えるタイプの手帖以外は使わない。これは単純に僕の好みだが譲れないポイントだ。

 本書の私家版づくりでは簡単な手帖を作る方法を紹介しているが、僕がやりたかったことは厚表紙の簡易製本による本格的な手帖作りだった。それはこの本の趣旨からすると無茶なやり方だったかもしれない(読んでもらえばわかるが、いわゆる角背で厚表紙の製本にはある程度の印刷物の量つまり中身の厚みが必要。たかがか折丁4つぐらいの中身で角背にするのは無謀だと言われそうだ。)

が、そこは怖い物知らずの素人の事。とにかくまず作ってしまおうと渋谷の東急ハンズに行っては製本用の材料や道具を揃えた。花切れやしおり、寒冷紗もこの時買い込んだ。製本用の先が曲がった針やかがり糸。それにかがり穴を開けるための目打ちなども。紙はOA用紙(素人ですから。汗、汗)を使い、見返し用にカラーのOA用紙を多数購入し、最初の手帳の表紙は色の付いた厚手の和紙に決めた。

 1996年の年末年始から僕の手帖作りは始まった。本文は本書の手法に従って折丁を作るところから始まる。順繰りに印刷していき、そのまま背を閉じる無線とじと違って、折丁は見開きを半分に折って4枚かさねて16ページをひとまとまりに糸でかがって作る。だから印刷順は、(1,16)(2,15)(3,14)…のようにあらかじめ入れ替えて印刷しなければならない。著者が目をつけたワープロには、レイアウト機能という独自機能が用意されていて、ページ順を指定したとおりに入れ替える事が簡単にできたのだ。

 僕の手帖におけるこだわりは単に見開きが1ヶ月のスケジュール表というだけではない。もうひとつは表の余白(例えば月名などを印字の下は空きエリアになる)を利用して、何か気の利いた文字や絵柄、または画像を挿入する事だった。しかも何か毎年テーマを決めて統一した意匠を織り込む事にした。最初の記念すべき第1作ではテーマを漱石にとった。題して「漱石手帳」。1月から12月まで、漱石作品から気に入った1フレーズを切り出して印刷したのだ。いまから思うとたいした工夫ではないが、それでも自分だけの手帳だということ、しかも自分のお気に入りの作家の文章にあふれた手帳が出来ることに感動した。

 実は装丁に関しては悪戦苦闘だった。本書は素人にも分かるように易しく図解入りで手順が説明されている。しかしやってみると何故かうまくいかないのだ。それほど栃折先生には当たり前の事ができない。出来の悪い通信講座の生徒と言ったところだろうか。その年の年末年始はほぼ手帳作りについやされた。いや正確に言うと、仕事始めから成人式(当時は1月15日)ぐらいまで、会社から帰ると手帳作りに明け暮れる毎日だった。だから完成した時には感慨もひとしおだった。

 残念ながら現物は実家におきざりなので今回は画像は載せられないが、いずれこのブログで紹介したいと思う。その後5年ぐらいは手帳作りを続けたのでさぞかし上達したかと思われるだろうが、毎年本文のレイアウトを変え、趣向となるテーマを変え、最後の方では画像を取り込んで印刷したりと中身の凝りようもグレードアップしたため、やはり年末年始はずっと手帳作りに費やす毎日は毎年変わりなかった。

 今は忙しくて手帳作りは中断してしまったが、いずれまた再開したいと思っている。そのときはもっとグレードアップした手帳を作る野望を抱いてしまうのだろうなぁと思いつつ、とにかくこの本に出会えた幸運と、この本をよくぞ書いてくれた栃折久美子さんに感謝の言葉を捧げたいと思う。

 栃折さん、僕もあなたの生徒です。ありがとうございます。
(1996年読了)


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posted by アスラン at 02:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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