2005年11月21日

1998年8月10日(月) 「SF サムライ・フィクション」

 年休。病院の帰りに神楽坂で食事をして、有楽町に出てシネ・ラ・セットで「SFサムライ・フィクション」(no.120)を観る。

 監督の中野裕之は、音楽ビデオの映像作家として有名な人だそうだ。

 黒澤明の映画が好きというだけあってあきらかに娯楽映画としての黒澤時代劇からの影響が見られる。「用心棒」や「椿三十郎」で用いられた切れ味の鋭い殺陣や、善悪がはっきりした紋切り型の人物造形などは意図的に模倣している。

 違うのは黒澤が60年代の劇画調を意図したのに対し、中野は90年代の劇画調を意図し、それにロックやラップなどの音楽と音楽ビデオによくあるスタイリッシュなオブジェ風の映像美を持ち込んだところにある。それは冒頭の襖ごしのシルエットでおこなわれる殺陣などに典型的に表れている。

 ただ岩井俊二のように映像美ばかりというわけではなく、娯楽を旨とした映画作りに徹しているところがいい。風間杜夫谷啓といった配役が楽しいし、意外な事に布袋寅泰も下手だがいい味が出。

カチンコ
 当時の映画評には主役の男女について何も言ってないことに今回気づいたので、以下蛇足。
 主役の吹越満演じる若侍の初々しさとばか正直さが、正しく「椿三十郎」や「赤ひげ」の加山雄三のようだ。ただし加山のそれは演技というより地だったのだが、吹越の方は監督の意図どおりのせられやすい一本気の若者を好演している。

 それに緒川たまきだ。彼女の持つ不思議な浮遊感は今回の映画でも遺憾なく発揮されている。しかも見た目とは違って気丈夫であるところなどもまさに「赤ひげ」の加山雄三を慕う元許嫁の妹のような存在を感じさせる。

 そうか、こう考えるとどこまでも黒澤明へのオマージュが感じられる映画だったんだな。
(ブログ「大いなる遡行」2005/10/10記事より転載)


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posted by アスラン at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画評(1998年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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