2005年11月16日

007 カジノ・ロワイヤル イアン・フレミング

 ジェームス・ボンドが代替わりだそうだ。6代目ボンドは初のブロンドということで話題になったり、ピアーズ・ブロズナンがあまりにもボンド役にハマっていたのに比べて地味すぎるとの手厳しい声が上がってる。

 2代目ジョージ・レイゼンビーや4代目ティモシー・ダルトンが良くなかったから偶数はダメというジンクスめいた事を言う人もいる。

 いずれにしてもまだ作品が出来てもいないのにかまびすしい事だ。さぞかし今度のボンド役(って名前が出てこない。やっぱり地味?あぁ、ダニエル・クレイグか)はストレスがたまる事だろう。

 ところでボンドらしくないと一作で降ろされた2代目レイゼンビーだが、イアン・フレミング原作の007シリーズの主人公にもっともイメージが近いのは彼だと言ったら意外だろうか?

 一般にあれほど知られている映画だが、いまや原作を読んでいる人はよほどのミステリー・冒険小説ファンか007フリークに限られるだろう。

 ひとつには原作が古すぎるという事がある。フレミングが第一作「カジノ・ロワイヤル」を書いたのが1953年。50年以上前になる。第二次世界大戦後、ソビエトは急速にイギリスやアメリカにとって驚異となりつつあった。ボンドたち諜報部員の目的はロシア(作中ではソビエトと言わずロシアと旧国名で言っている)などの敵対国のスパイ、二重スパイの撲滅だが、スパイが組織の金を使い込んで娼館を経営しているとか、経営不振の穴埋めをカジノで果たす計画をくじくためにボンドが大勝負を持ちかけるとか、食うか食われるかの作戦であるはずなのにどことなくのんきな雰囲気が敵にも味方にも漂っている。そこが古めかしい。今や人間関係も世知辛いし国際関係もたえずのっぴきならぬ状況に追い込まれている現代のスパイとは段違いだろう。

 もうひとつは映画がいかにも映画にしか出来ない娯楽に満ちていて、リゾートありギャンブルあり美女とのアバンチュールありアクションありサスペンスあり、そして何より万人が抱くスパイのイメージそのままの様々な武器を携えた不死身のヒーローが出てくる。この視覚効果に富む作品をなんでわざわざ小説で読む気がするだろうか。

 だが、今なお原作が古びないで輝きを放っているところがある。それはヒーローである007の人物像だ。映画のオールマイティでいつでも余裕綽々の分かりやすいヒーロー像と比べると、原作に描かれたジェームス・ボンドは遙かに人間くさい。そして絶えず迷えるヒーローなのだ。「迷える」と書くと、石森章太郎の生み出した数々のヒーローがそうだったようにヒーローである自分とかつての普通の自分とのギャップに苦悩するという人間の本質に迫る迷いを想像しがちだが、ボンドにとっての悩みは単に自分がこの仕事に向いているかどうかであり、そうであるからこそ途中で仲間に「もう自分はこの仕事を降りたい、スパイから足を洗いたい」と泣き言めいたセリフを吐くのだ。

 そして、ここが重要なのだが、原作のボンドは女性に偏見を持つ意固地な諜報部員なのだ。連絡役として派遣された美女にボンドは露骨に嫌悪感をもつ。それは単に足手まといになるだとか職務遂行の障害になりかねないという杞憂ばかりでなく、自らが抱く美女に対する肉欲・征服欲に対する嫌悪でもある。さらに言えば万が一女性とのロマンスが芽生えた場合でも女性を満足させるあれやこれやの段取りさえもがボンドには無意味であると思える。これが果たしてあの映画シリーズと同じヒーローであろうか

 いやボンドは、女性だけでなく同僚や上司に対しても心底気を許すことはない。信じるものは自分の経験と直感そして本作に限って言えばギャンブラーとしての腕前しかない。そして何よりも慎重すぎるくらいに慎重な諜報のイロハを実践して気を緩めない。それが自分を生かしてきたただ一つの理由であると分かっているからだ。そして自分は一つ一つの手順を実践する事を苦にしない、かえって好きなくらいだと、いささか「英国諜報活動実践部すぐやる課」に所属する仕事一筋の公務員のような独白さえも吐露している。

 北上次郎をして「不信のヒーロー」と言わしめたジェームス・ボンドは、だから描きようによっては現代的なヒーローに生まれ変わる。現代のヒーローとはなにか?生まれついての使命もなければ大義もない。守るべきものもなければ愛する者ももたない。ただ命じられれば職務を遂行するだけだ。生きるため生き延びるためには降りかかる火の粉ははらわねばならない。そうまでしてヒーローであり続ける事が果たしてできるか?

 本作でボンドは自らはヒーローであるという自覚もないまま一諜報部員として任務を遂行する。そしてボンドがまさしく杞憂したように一人の女性で躓くのだ。そこでかいま見せるジェームス・ボンドという人間の本質。非情なのは国家でも組織でもない。愛する者を持たない「不信のヒーロー」であるからこそ、ボンド自らが非情になれるのだ。

 先にレイゼンビーの007が原作のイメージに近いと言った。「女王陛下の007」でレイゼンビー扮するボンドは初代ショーン・コネリーのようにマッチョでもないし、3代目ロジャー・ムーアのような女たらしでもない。ただの線の細い悩める青年諜報部員である。そしてこの映画でもボンドは躓く。一人の女性を愛し、生涯でたった一度きりになるであろう結婚をしてしまう。その結末がボンドをさらに非情へと駆り立てる事になる。それが原作通りかは分からないが、少なくとも歴代ボンドの中でもっとも「不信のヒーロー」像に近づいた俳優である事も確かなら、もっとも原作の雰囲気をたたえた作品である事も確かだろう。

 6代目ボンドの初主演作は、この「カジノ・ロワイヤル」に決定したようだ。果たして新しいボンドは、フレミング原作のシリーズ第一作の映画化にあたって、原点に戻ったボンド像を提供してくれるかどうか
(2005/11/12読了)


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posted by アスラン at 16:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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