2008年03月24日

石の猿 ジェフリー・ディーヴァー(2008/2/15読了)

 

 「ボーン・コレクター」の書評でも書いたが、3年越しでついに読み切った。そのせいかハードルを越すまでに、中国からの密航者たちと凶悪な蛇頭を乗せた漁船を追跡する冒頭のシーンから、同じく漁船に密航者と偽って乗船した中国公安局の刑事ソニー・リーが様々な波乱の果てにライムの捜査に非公式に加わるところまでを、それこそ3、4度繰り返し読んでいる。

 ハードルを越せなかったのはおもしろくなかったからではない。その逆で、あまりにめまぐるしい展開なのに密航者たちそれぞれの身の上も心理も手際よく書き込まれている見事な導入部だったから、先を急いで読むのがもったいなかった。要するに、腰を据えて読むには悪い時期に読んでばかりいたとしか言えない。結局3年越しで読み終えて、かなりこの作品が気に入った。その理由は後で詳しく述べるが、一言で言うと結末の余韻の良さに尽きる。

 たかが密航者20人ほどを乗せた漁船を拿捕するために、〈我らがライム〉が駆り出されたのには訳がある。密航を先導する蛇頭・ゴーストの凶悪な手口に移民局もFBIも頭を悩まされ続けてきたから、今回は合同捜査を行い、なかなかしっぽをださない狡猾な男を捕まえるのにライムの叡智がぜひとも必要とされたのだ。

 ライムが期待通りにわずかな手がかりから密航計画を事前にキャッチしたせいで、ゴーストにしてみれば周到に計画したにもかかわらずアメリカ本土遙か沖で追っ手がかかっていることに愕然とする。しかしここからが他のディーヴァー作品らしく一筋縄ではいかない。ゴーストは密航計画を断念し、密航者を閉じこめたまま漁船を爆破・沈没させ、証拠隠滅と逃亡をはかる。

 漁船の船長の誘導でかろうじて沈没船から抜け出す生存者と、船に飲み込まれる死者を分けるものは、ほんの少しの運にすぎない。船長さえも、密航者の女性の手から譲りうけた乳飲み子をさらに〈生存者〉に託して、渦巻く水に飲み込まれてしまう。

 タイタニックばりの無名の人間の勇気と、死にものぐるいの人間たちの執念を見せつけながら、ドラマティックな序盤が展開していく。現場に駆けつけることができず、自ら企図した拿捕計画がゴーストの狡知に阻まれて多大な犠牲者を出したことに歯噛みするライムと、ライムの心情を十分理解しつつ、いち早く現場近くの海岸に駆けつけてゴーストと密航者たちの足取りを探ろうとするサックス。二人のプライベートな物語もドラマティックな展開の中にきちんとはまりこんでいく。

 今回の二人の関係は非常に安定している。思えば「ボーン・コレクター」で始まった二人の関係は、最悪の中の奇跡のような組み合わせであって、決して将来的な展望が期待できるような楽観的なものではなかった。それを裏付けるように、その後の「コフィン・ダンサー」や「エンプティー・チェア」で、いつでも絶望と隣り合わせのライムの心に寄り添おうとするサックスの心情もまた不安定を余儀なくされた。

 だから久々に読んだ第4作での二人の悩みが「子供をもうける」ことができないか、という幸せなカップルであれば誰しも持つありきたりの悩みであることが意外だった。そこまで二人の関係が確固たるものになったことがほほえましくもあった。

 もちろん、あらゆる意味で読者へのサービス精神を欠かさない著者が、自殺願望を抱えた四肢麻痺の探偵にやすやすと安住の地を与えるわけはない。もっかのところ、子供を作るためにはどちらかに問題があることがわかり希望が叶うかは微妙だ。しかし、かつてはライムが安楽死を補助する闇の医師の手を借りようとしていたことを思えば、なんと彼らの関係は前進したことだろう。

 この子供を授かるという精神的なテーマにふさわしいのが、中国の密航者たちがもたらした東洋的な実践哲学だ。サックスが海岸で助けた密航者の一人は東洋医学の医者で、彼女の関節炎や不妊には漢方や鍼灸が有効だと諭し、報われないサックスに希望を抱かせる。一方、非公式に捜査に加わったソニーはなかなか進展しない捜査にいらだつライムに中国のゲーム・囲碁を手ほどきする。頭脳を駆使する捜査だけが自殺願望を慰撫する唯一の手だてである哀しき探偵に、ソニーはひとときの慰安を与える。

 いつものように事件は意外な方向へと進んでいき、ライムやサックスにとって過酷な結末を迎える。今回は一読者としても「やめてくれ、やめてくれ」と心から願いながら読んでいた。何をやめてくれと著者に願っていたか。それはあえて言うまい。しかし、もし著者がライムにとっても読者にとっても過酷な選択をしないでいてくれたならば、その後のシリーズで魅力的な常連が一人付け加わったのではないか。そんな事が読後、頭から離れなかった。

 そして、その可能性を惜しげもなく捨て去った著者は、代償としてシリーズの中でも特に余韻のあるエンディングを用意した。例えば、あからさまにメロドラマを持ち込まず、いつも飄々として姿を消す金田一耕助を描き続けた横溝正史が、唯一の例外として「悪魔の手毬唄」のエンディングでロマンティックな台詞を金田一耕助に語らせたように、ラストのライムとサックスのやりとりは、物語が終わってしまうことを一読者に惜しませるに足る名場面となった。

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posted by アスラン at 02:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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