2005年10月28日

僕が批評家になったわけ 加藤典洋

 副題に「ことばのために」とあり、ずいぶん啓蒙的な色合いのあるサブタイトルを選んだなぁと思ったら、全6巻からなる岩波書店の企画本の一冊で副題と思ったのは企画名だった。

 編集委員は以下の5名で、それぞれが一冊づつ本を書く予定になっている。

 荒川洋治,加藤典洋,関川夏央,高橋源一郎,平田オリザ

 個人的には関川夏央,高橋源一郎がどんな本を書いてくれるかも興味がある。どんな企画かを一応岩波書店のHPから引用する。

いま〈ことば〉を使うということは,どんな経験なのか.生きた〈ことば〉はどこにあるのか.詩,小説,演劇,批評といったさまざまな表現領域の最前線でユニークな活動を展開している5人が,めまぐるしい変化にさらされている私たちの生と表現の問題を,誰にでも開かれた〈ことば〉の経験として考える.


 なるほど岩波だから啓蒙書と言ってもいいのだが、加藤典洋の本書に限って言えば、批評や評論のたどってきた道をわかりやすく道案内し、さらには批評とは何かを平明な言葉で書きつづった一種のガイドブックになっている。

 と同時に、平明な言葉で書くことの意義を現在の批評の置かれている立場から考えて、著者自身が批評をどう考えるか、どう批評してきたかをも説明しつくしているので、加藤典洋とは何者かという自己批評にもなっているところが面白い。

 著者が批評を始めたきっかけが柄谷行人の「マクベス論」だったとはちょっと意外だった。というのも加藤の批評のスタイルは柄谷やそれに続くポストモダン批評のそれとは違って、どちらかと言えばしごくオーソドックスな文章という感じがしたからだ。それは言ってみれば言葉の現実感覚を失わないで批評するという事だ。

 「100冊の本を読まずに、読んだ相手と対等にわたりあう」というスタンスを手放さずにきた著者が、そのきっかけとして柄谷の批評がまさに100冊の本を読んで書いた文章として立ち現れた。著者は素直に関心を抱く。

「ゲーデル、エッシャー、バッハ」を種本の一つに、新しい知的意匠をまとって圧倒的な影響力を行使しているのを見ると、…(柄谷の)本を読んでみようという気になった」

と言っている。そこで思い知らされるのは、何事かを言うのに引用される本の多さ、知的意匠の多さであった。

 ゲーデルの不確定性定理を援用した有名な「形式上の一問題」を含む「隠喩としての建築」で、柄谷は西洋思想を古代から現代まで縦横に渡り歩く。

 こういったスタイルの批評に対して何かを言うには、やはり勉強してからでないとダメなのか。それは著者の素朴な疑問というだけでなく、大多数の一般読者、いや本さえ読まずに日々を暮らしている人々にまで届く疑問と言える。

 そこで著者は柄谷の「ソクラテス論法」への批判に目を向ける。要約すると、柄谷は「自分は無知であることを知っているという、あのソクラテス的論法が嫌いだ」と書く。「無知はたんに無知だ」と言う。

 ここに柄谷らしいレトリックを見て、当時のポストモダンかぶれたちは痺れた。つまりは形而上学を生み出すおおもとなった原理、知の知たる由来「無知の知」をあっさり否定してしまったからだ。

 しかし著者は柄谷の感覚に違和感を抱く。著者は「知る」という行為をこのように理解するつまらなさ、平板さを指摘して「勉強していなければ批評はできないものか?」と、逆にそんなことはないという確信にとらわれた。ここにも著者の「言葉の現実感覚を失わない批評」が見てとれる。

 かつて読んだ著者の短文にサッカーのオフサイドについての素朴な疑問が述べられていた。サッカーを知ったばかりの人はオフサイドが何故反則なのか、わからない。ゴール前に詰めた味方に大きくパスする事自体、基本的なルールになんら違反していないからだ。しかし著者は思い至る。

 著者は、批評行為に例えてボールを奪いあっている現場が、まさに「言葉の現実感覚」が生きている場所つまりは批評が生きる場所であって、その地点を大きく離れたゴール前にいきなりボールを飛ばす行為を、批評が現実感覚を見失い理論が先走りする姿と見る。

 この短文を読んだとき、著者の現実感覚は信頼できると思った。批評がどんなにあか抜けなかったり知的意匠が不足していようが、現実に対する感覚さえあれば批評は活きるのだと教えられた。

 本書では、批評を「山の広さと高さ」にたとえる。つまり難しい事を言うばかりが批評ではなく、アクセスのしやすい平明な批評もあるのだと著者は言う。どこにでも「批評の酵母」(著者)はあるのだ。

 だから本書にはやさしい批評から難しい批評までカタログのように紹介されている。著者は難しい批評も難しく語られる必然(戦争や死の実体験)があると擁護する。だが今の批評はぼんやりと書かれているものに良さがかんじられる。今の読者に届く言葉で書かれているからと、内田樹などを紹介している。

 他にも長谷川宏や養老孟司などもとりあげる。一見お勉強のためのガイドに見えなくもないが、きちんと著者が寄り添ってナビゲートしてくれるところが、単なる知的意匠でなく分かりやすい
(2005/10/25読了)

posted by アスラン at 12:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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