となれば、主役である女性図書隊員・笠原郁と堂上教官との運命的な結びつきが、果たしてロマンスに発展するのか。その結末を見定めない限りは、途中で読むのをやめるわけにはいかない。それがやっぱり一番の理由と言えるか。
ちょっと歯切れの悪い言い方をしたのには理由がある。「プチナショナリスト」を自称する著者は、政治性を抜きにしたお気軽な「戦争もの」を書くのは得意らしいが、本シリーズのヒロイン同様に、熱烈なラブストーリーを思い描くとなると「中学生レベル」(いや今や早熟な彼女らからすると「小学生レベル」か)と揶揄されんばかりのド純情な恋愛しか書けそうにない。そのことは、主役の二人のロマンスの前哨戦とも言うべきエピソードでもあった、小牧と聾唖の女子高生・毬江とのきまじめでもどかしい恋愛を描いた第2巻で、既に想像がついていた。
だから、全3巻で完結予定が第4巻に延長された際に、もうちょっと郁と堂上のラブストーリーを盛り上げる野心と手だてでもあるのかと思ったのだが、実質的にこの最終巻もそれまでの構成とさして変わることはない。導入部で関東図書隊を脅かす事件が発生し、それに毅然と対処するおなじみのレギュラー陣の姿が描かれる。敵側の攻勢でいったんは窮地に追い込まれる彼らではあったが、最後には図書隊の知略が効を奏す。典型的な〈起承転結〉作品だ。安心して読めるが驚きは少ない。
それに第一巻と第二巻の書評でも書いた事を蒸し返す事になるが、図書館を軍隊に見立てたアイディアから図書館や出版文花に関連した様々な現実を浮き彫りにしていけば、読みごたえのある連作になるかもと指摘したのだが、結局最後まで取り上げる題材は、とば口でうろうろしたという印象で終わった。太平洋戦争下の「大政翼賛会」的な、言論や出版に対する弾圧という構図と、社会の表層をたびたび覆うカビのような〈差別表現〉の問題の二つのみと言っていい。カビに例えたのは、拭っても拭ってもまたしばらくたつと顕れるのが〈差別表現〉の話題だからだ。
なにが言いたいかというと、それほど著者に社会問題への意識があるわけではないということだ。問題の取り上げ方もかなり紋切り型で深さはない。今回は、自身の著作がテロの参考にされたと噂される作家を拘束することで、作家の創作活動自体を取り締まろうとするメディア管理委員会との激しい攻防が描かれるが、この趣向はすでに前作・前々作の使い回しにすぎない。はっきり言ってしまうが、出版にまつわる様々な問題は、魅力的な登場人物たちを思う存分暴れさせる方便だろう。
もちろん「方便」で何が悪いという意見もあるだろう。そんな事より「魅力的な登場人物」の痛快なストーリーの方を見るべきではないのか。確かにそう言われてしまえば、それまでだ。しかし、もう少しだけ言わせてもらえば、前作で稲嶺司令が一線を退いたことで、ますます図書隊の大義名分が曖昧になった事によって、このシリーズの始まりでは機能していた方便が、ほとんど機能しなくなったように感じられる。やはり全3巻で終わらせた方がよかったのではないかと邪推してしまう。
となると、描き残された郁と堂上のロマンスへの期待は否が応でも高まる。なにせ本作の冒頭の喫茶店でのデートで、なんと二人は唐突にも極甘な恋人同士の会話を繰り広げているのだ。堂上の負傷をクライマックスにもってくれば、非常にドラマティックな月9の最終回あるいは一週前の回として見応えがありそうだが、本作では、そこまで描き切ろうとはしていない。そもそも、この二人に感動的なラブストーリーを期待する方が間違いなんだろうか。
狙われた作家を安全に保護するために郁が思いつきで言った一言は、関東図書隊を全力で当たらせる奇策へと昇格する。堂上は重傷を負い、郁が作家を引き連れて孤軍奮闘する終盤の展開は、それなりにスリリングなゲーム感覚を味わえる。ただし、何せ宿敵であるはずのメディア管理委員会を「知略に長けた手強い組織」として描いてこなかったツケが、最後まで残った。どうしても郁に命がけのミッションという緊張感が感じられないし、息をもつかせぬドンデン返しも一切ない。
どんでん返しはない代わりに、僕らには待ちかねたお約束の展開が待ち受けている。ミッション終了後に、堂上と郁のちょっと恥ずかしくなるような再会のシーンが用意されているからだ。月9というよりは、かつて70年代に石立鉄雄(70年代を生きた人でないとわからないか)が主役を張っていたホームドラマの最終回かのような、うぶではずかしげてもどかしくてちょっとときめくような盛り上げ方で二人は恋人同士になる。もうとっくに恋人だよ、だれが見てもね。
エピローグは、さらにお約束の展開だ。これはネタばらししない方がいいだろう。青春映画にはよくある展開だ。誰もが成長していくということだ。まだ未読の方は、ここまでたどり着くまでにはぜひとも4冊を順番に読まねばならないとだけ言っておこう。
(2008年1月31日初出)
[追記]
なんだかんだ言って、当時の僕は結末の展開に満足しているようだ。ところが、未読の人にネタバレにならないように配慮して、エピローグの内容は伏せている。いや、配慮したというよりは、先に結末を読んだ者としての特権で、未読の読者をじらしていたんだろうな。ところが、今やどんなエピローグだったか思い出せない。あれだったかな?仕方ない。もう一度最初から読むか、全4巻!




見て 気分悪くするひともいると思うから、
おそらく最後まで僕のこの本に関する書評を読んだ奇特な方だと思うので、あえてことわっておきますが、僕のうざったいほどの文章におつきあいいただける人はそれほど多くはありません。ですから、あなたの「気分を悪くする人もいるかも」という思いこみは杞憂にすぎないと思われます。
万が一僕の多少なりとも〈批判的な書評〉を読んで憤慨する方がいたとして、ちょっと検索すれば肯定的な意見はいたるところで見かけるでしょう。口直しは簡単にできます。僕は同じような読後感想は持たなかったので、同じようには「面白かったね」とは書けません。それだけのことです。
正直、ゆさんの忠告がどういう意図によるものなのか理解に苦しむところがあります。これが「あなたの否定的な文章を読んで、気分が悪くなりました。」というコメントならば、「それはご愁傷様でした。」とお詫びすることも可能なのですが、ゆさんは「見えない誰か」を代弁して忠告しています。これは間接的な、あるいはソフトな僕の書評への「否定」ではないかなぁと思えます。
だとすると不思議なことが起こるのです。「否定するくらいだったら、書かない方がいいと思う」という部分に、ゆさんのコメント自体が該当しないだろうか。ただし明らかなことがあります。この場合、気分を害するのはおそらくブログのオーナーである僕しかいないことになり、それを代弁するのはやはり僕しかいないのです。
そこで僕なりの代弁を書きましたが、僕はゆさんのコメントに気分を害してなどいません。ただ、決定的な誤解があることを伝えておきましょう。僕は「図書館」シリーズを否定したことなどありません。否定するくらいなら最初から読みません。期待してるから読む。たとえ裏切られてもまた期待してしまう。そういう本の読み方もあるということです。