2008年01月23日

初期クイーン論 法月綸太郎(「現代思想」1995年2月号に収録、2006年4月19日読了)

 この評論の目的を著者は次のように冒頭で書いている。

 柄谷行人の思考の軌跡を追いかけることではない。柄谷行人という鏡に、アメリカの推理作家エラリイ・クイーンの作風の変遷を映し出し、クイーンの諸作においてくりかえし危機的にあらわれる「形式化の諸問題」を浮き彫りにすることである。

 まず柄谷行人の思考なり戦略なりを鵜呑みにしている事が気に食わない。もちろん今が80年代ならば、つまりポストモダン全盛の思想状況のただ中であれば歓迎された内容であることは想像できる。しかし1995年に「ゲーデル問題」と声高に語ることが、あまりにも盲信的で安易でもあることにもっと自覚的であってもいいのではないか。

 僕のようなやからの〈口撃〉をあらかじめ予想してか、著者は自らこの評論を「野暮の骨頂」と言い、本文を「啓蒙的」に読まれるのを初めから禁じている。つまりは思想的なバックボーンは柄谷の受け売りそのものだという事を暗に認めている。その割りには用意周到に論を進める著者の手つきからは、まったく逆に読まれることを期待しているしたたかさが見てとれる。そもそも雑誌「現代思想」に掲載すること自体からして著者の意図は明白だ。

 数学者ゲーデルが「不完全性定理」で証明したのは、数学体系内部で体系そのものが〈無矛盾〉であることを証明できないという事だった。〈無限〉という概念が引き起こす数学の矛盾を回避するためにヒルベルトがもくろんだ「数学の基礎付け」は、このゲーデルの定理によって破綻する事が明らかになった。これに当時の数学者が驚愕したのは事実だが、そこから様々な形式化には体系そのものを脅かすクリティカルな部分が付き物となるという議論が蔓延することになる。柄谷行人の代表作『建築という意志』で取り沙汰される「ゲーデル問題」というのも、まさに「不完全性定理」の変奏のひとつだ。

 いまでこそ「不完全性定理」を数学や論理学以外に応用する事のいかがわしさを誰もが指摘できるが、ポストモダン思想全盛の80年代には文学や哲学などおよそ思想的な課題を検討する仕草が伴うジャンルには、かならずこの「ゲーデル問題」のバリエーションが立ち顕れた。かく言う僕自身も、当時のポストモダン批評の代表格である柄谷行人や蓮見重彦の言説に酔わされた一人だ。

 この二人は思想的に一くくりにできるわけではないが、共通点はある。彼らの批評的手法(しばしば〈戦略〉と言い換えられる)は真似はできるが応用が利かないという点だ。一方は〈形式化された体系内部〉から外部に出ようと志向するし、もう一方は〈表層〉と戯れる事で〈深さ=真なるもの・美なるもの〉とする説話論的装置からとりあえず逃れようとする。

 いずれもレトリックとしてしか彼らの思想に近づき得ない。その思想を是とした瞬間から、その思想自体を非とするしか前進も後退もできないのが彼らの批評の特徴だった。真剣に考えれば考えるほど行き詰まり、真似をする者だけが批評の快楽をむさぼり、現実的な問題を先送りするのだ。

 だからこそ本論のように柄谷行人のレトリックを丸ごといただいて「真似」をする行為は、まさに〈批評の快楽〉をむさぼる事に他ならない。「野暮の骨頂(愚の骨頂では?)」だと言うのなら確かにその通りだろう。そうであれば、せめて芸人のようにあからさまにバカ話だとわかるように著者は語るべきだったのだ。

 とはいえ、著者がここで言わんとしようとする初期クイーン作品がかかえる構造的問題は、確かにクイーンの愛読者を惹きつける内容ではある。ただしクイーン自身が、かつてラッセルやヒルベルトが直面した数学の危機的状況と同質の危機を自らの作品に見ていたかは大いに疑問の余地がある。そもそもクイーンに同時代の数学や論理学の基礎付けという問題への関心があったとは到底思えない。

 というような事を読後の感想として長々と書こうと思って、すでに読了から1年9ヶ月も経ってしまって、細かい内容を忘れてしまった。そもそもバカ話として書いてくれれば、ここまで後を引かせる事もなかったのだが、つい最近、小森健太朗「探偵小説の論理学」という本を面白く読ませてもらって、バカ話がバカ話ではないらしい事に思いいたった。そちらの趣旨は難しい論理学や哲学の話をすっとばせば、なかなか説得力がある。そちらの感想を書きたいと思ったら、まずこちらについて文句の一言も言っておかないと気がすまない。

 つまりは「初期クイーン論」はアプローチがよくないのだ。比喩としてなら初期クイーン作品に〈ゲーデル問題〉を適用できる、とは小森健太朗の控えめで適切なる主張だ。ようやく気楽にバカ話を聞く事ができる。

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posted by アスラン at 13:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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