2008年01月21日

ねにもつタイプ 岸本佐知子(2007/12/29読了)

 岸本佐知子という翻訳家は一体どんな翻訳家なんだろう?どんな本を訳しているのか思わずウィキってしまいました。あれ?「ググる」(googleる)とは言うけど、「ウィキる」(Wikiる)とは言わない?

 Wikipedia曰く「現代アメリカ作家、ニコルソン・ベイカーの翻訳などを手がける。」だそうです。今度はニコルソン・ベイカーを検索しなければならない。キリがない。現代アメリカ作家になじみがないから調べても意味がないか。ジョン・アーヴィング「サーカスの息子」の訳者だという事だけは分かった。書棚にある「サイダーハウス・ルール」の訳者ではないんだろうな。

 通常、翻訳家というのは言葉に対する関心やこだわりが強い以外は、非常にまじめで地味なイメージを勝手に抱いていた。つまり裏方に徹するのが本来の仕事だから、「俺が俺が」「私が私が」みたいな自己主張が強くて個性的な人間には向かない職業だと思っていた。もちろん本書の著者・岸本佐知子が自己主張が強いかどうかはエッセイからは伝わってこないが、とびきり個性的な人間であることは本書を読んだ人には異論がないだろう。

 タイトルの「ねにもつタイプ」というのは前作「気になる部分」と語感が似ているというだけで思いつきで決めたと、著者がNHK−BS「週刊ブックレビュー」の対談で答えていた。だから決して自分自身が〈ねにもつタイプ〉というわけではないとも語っていたが、本書の面白さは世の中の〈気になる部分〉に著者が過剰に反応してしまうところだ。その〈過剰さ〉がときに妄想を生み出す。その妄想が常人にはハンパでないくらい残酷だったりするから、決して〈ねにもつタイプ〉ではないという著者の言葉を額面通りには受け取れない。エッセイや翻訳書は読ませてもらうとして、お近づきになるのは遠慮させていただこう。

 対談での〈変人ぶり〉に興味を抱いて書店でパラパラめくった時に目に入った一節がけっきょく読後にも頭に残った。「あれ(食パンの包装をとめるプラスチック製の留め具)は一体なんという名前なんだろう」。その一分後か数分後には「あんなんで本当に留め具としての役割を果たしているんだろうか」と迷走は続く。それが昼食にカレーが食べたい。残りご飯がないので〈カレーを食べたい〉という欲求があえなく頓挫してがっかりするという、もはや分刻みの妄想が描かれていく。

 このばかばかしくも思いっきり共感してしまう偏執的な文章から逆に浮かび上がってくるのは、翻訳家という仕事が、退屈な日常に飼い慣らされることなく〈言葉の森〉の非日常性にどれほど深く踏み入る行為であるかという点だ。やはり凡人にはできない職業のようだ。

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posted by アスラン at 02:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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