2005年10月05日

「空中ブランコ」「イン・ザ・プール」 奥田英朗

 直木賞受賞作「空中ブランコ」の方から読んでしまった。読み終わってから、これが「イン・ザ・プール」の続編であることを知ったのだった。結果的には、この順序で読んでよかったのかもしれない。何故かは後で述べる。

 内容は非常に荒唐無稽だ。伊良部総合病院の精神科医・伊良部一郎という一言でいうと変人が主人公だ。そこにストレスによる極端な強迫症にかかった人達がやってくる。それも笑ってしまうくらい極端で、例えば空中ブランコをうまく飛べなくなったベテランブランコ乗りだとか、先端恐怖症でドスすら抜けないヤクザ、はたまた自分の身分を保証してくれるはずの大教授である義父のヅラをどうしても引っぺがしたい強迫観念を抑えられない男などなど。

 どれもこれも徹底的に紋切り型の強迫症で誰もが一度は聞いたことのあるような症例を、誰もが面白がるように極端に戯画化している。

 例えば京極夏彦の「宴の支度・始末」に出てくる視線恐怖症の男は、恐怖の裏返しで面前に現れる女性達の目玉をくり抜いては殺してしまう。つまり症例によっては笑い事ではすまない事態になりかねないわけだ。

 もちろん京極の方も強迫症をもう一方の極端に連れていっているだけで、本当はその中間に人にも言えず病気とするには大事すぎるかと悶々とした悩み(ストレス)を抱えている人々がたくさんいるのだ。

 だからこそ、ここで描かれている精神科医と患者の関係やその解決法をきまじめに批評するのはナンセンスだ。ここで作者は「悩まず気楽に治しましょうよ」という患者への癒しを意図しているわけではないからだ。では作者のねらいは何か?

 「現代人の抱えるストレス」という抽象的な表現を使えば、ここで描かれている患者たちが強迫症に至るきっかけに似たような体験は誰だって大なり小なりあるはずだ。それは登場人物たちほど切実ではないにしても、思い出したくないとか、触れられたくない、もしくは無くせるものなら無くしたいといった、社会生活のあらゆる場面で人それぞれをつまづかせる心の「こわばり」だ。

 でも、それを人ごとのように笑い飛ばせるならば、読者にある種のカタルシスをもたらす事は確かだろう。そのためにはこれだけの極端な設定が必要なのだ。

 もう一つの仕掛けは、精神分析という言葉が僕ら素人にもたらす怪しげな魅力にあると思う。

 心理テストという安直極まりない分析がそれなりに僕らの心をくすぐるのは、意識と無意識とがあたかもアミダクジのように一対一に対応しているという明解な謎ときがあるからだ。もちろん明解と言っても「ああ、そうかもしれない」と腑に落ちる程度に過ぎないのだが、素人にはそれで十分なのだ。

 つまりここで行われるのはしかつめらしい精神分析ではなくミステリーにおける謎ときの醍醐味なのだ。そうみると、果たして伊良部は意図的に変人ぶって強迫症の深層を解きほぐしているのか、はたまた単なるホンモノの変人なのかが重要なポイントになってくる。実は最初に「空中ブランコ」を先に読んでよかったと書いた理由はこの点に関わっている。

 今回「イン・ザ・プール」を読み終えて、続編の「空中ブランコ」では微妙に著者のスタンスが変わっている事に気づいた。それは伊良部の変人さと謎解きの神がかりさがパワーアップされている点だ。

 実は「イン・ザ・プール」では、伊良部の言動にはどこか変人ぶっていると感じさせる知性が残されている。だから患者の強迫観念に歯止めをかけずにむしろ助長するかのように伊良部自らが積極的に荷担していくのも、強迫症の患者が無意識に目を背けているストレスの根っこに患者自身が意識を向けるようにするための方便だと言えない事もない。もちろんそう言い切ってしまうのは詰まらない。だから答がでない程度に著者は伊良部の変人さを強調してもいる。

 何かに似ているなぁと思ったら「刑事コロンボ」そのものなのだ。コロンボは一見風采のあがらないぼんくら刑事のようでいて、犯人のあなどりはやがて後悔に変わる。あのコロンボ自身の持つ人なつっこさは天然のものか策略なのか区別がつかないように描かれるところに、作品の魅力があった。あれと同じなのだ。

 ところが「空中ブランコ」では、もう伊良部は変人以外の何者でもない。単に患者の治療そっちのけで患者のもとに押しかけて、ごねてはやりたいことをやりたい放題にやりまくる。だから飛べないブランコ乗りに代わってブランコを飛ぶ伊良部は、もう初心者の怖い物知らずという程度を大きく越えていて神がかりの域に入っている。

 このスタンスの差は、要するに著者が続編では謎解き(ミステリー)のつじつま合わせの必要を感じなくなったという事から来ている。一作目では伊良部という人物造形にどこか変人だけど名医(名探偵)というつじつまを持たせないと読者はついてこないのではないかという躊躇か感じられるのだが、続編ではもはや著者のとまどいはなくて吹っ切れているのだ。

 それは例えば毎回注射を打つ時に太ももをあらわにする看護婦のキャラクターにも言える。前作のようなどこか伊良部の治療の手段めいた意味づけは一切なく、とにかく注射を持ち出してはバカな男の患者たちの目を癒すためだけに姿を現す。ここまでくれば続編の骨格はもうテレビの「水戸黄門」に近い。マンネリ・紋切り型の快楽である。シリーズものの続編が直木賞をとるという事に意外な感じがしたのだが、突き抜けた文体と過剰なキャラクター造形が出来上がったからこそ、シリーズ続編でありながら「空中ブランコ」は一個の作品として評価できるものとなった。

 その意味では「空中ブランコ」はもう意味もなく面白い。痛快という一言がよく当てはまる。だからこそ、逆に「イン・ザ・プール」は伊良部というキャラクターのタネあかしを見たようで、なるほどと思わず手を打ってしまった。そう思う一方でタネを知らず読んだからこそ「空中ブランコ」の痛快さが際だっていたことに気づいたのだった。
(『イン・ザ・プール』2005/09/29読了)
(『空中ブランコ』2005/08/03読了)

 

posted by アスラン at 02:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。
わたしは律儀に(?)『イン・ザ・プール』を先に読んでしまいましたが、こちらの感想を読んで、これは『空中ブランコ』もぜひ読まねば!と思いました。
伊良部=刑事コロンボ説って、すごい発見だと思います。そういえばコロンボ刑事も犯人の職業や趣味に興味を持って、自分で楽しんでしまうところがありますね。
また今後の読書の参考にさせていただきます。
Posted by シーナ at 2006年07月04日 16:03
シーナさん、コメントありがとう。

いいんですよ「イン・ザ・プール」から読んで(笑)
僕の考え方がねじ曲がってるだけですから。

ところでコロンボの手法は犯人の気持ちになりきるというホームズ以来の名探偵の極意のニューバージョンだったんですよね。コロンボ好きの三谷幸喜さんもきちっと古畑に極意を守らせてるし。

伊良部が果たして天然か策士か、今度の新作でどう描かれてるのかも気になるところです。

Posted by アスラン at 2006年07月06日 12:30
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