以前に書店で見つけた折から、借りて読んで(見て)みようと思っていた写真集だ。あの〈新解さん〉とのコラボだというのでかなり期待していた。一度長く待たされて図書館の取り置き棚までやってきたのに、どうしても忙しくて立ち寄れず流してしまい、悔しい思いをした。だから今回はリベンジだ。
読んでみて、いや読んで見て、結論から言うと「物足りない」。昔から写真集を見るか見ないかの基準は、情報量が多いか否かで決めてきた。要するに読み出があることが僕にとっての絶対条件だ。写真はパッと見てしまえばいつでも次のページに進める。文章のように確実に読む時間というものがかかるわけではない。とすると分厚い写真集を期待するか、もしくは一枚一枚が鑑賞に堪える内容を持っている必要がある。
なにも難しいことではない。写真が絵画のようであれば、しげしげとその美しさないしは芸術性や社会性を読みとくことが要請されるだろう。一枚一枚にドラマが封じ込まれている場合もある。岩合光昭の動物写真からなかなか目が離せないのも、一枚のなかに対象となる動物の外側の生活が垣間見られるからだ。そこにいろいろと想像力の働かせどころがある。
では今回の「うめ版」はどんなだろう。どうも写真から見えてくるのは、対象となる人物の人柄というよりは、撮る側の人柄の方だ。写真家梅佳代自身が対象に封じこめられているようにしか思えない。表紙を飾る小憎らしい女の子の言わば〈キモカワイい変顔〉や、晴れ着の袖をはしたなくも振って無邪気にエロスを振りまく孫に向けて、笑顔で答えているおじいさんという取り合わせなどが、違和感なく切り取られていく。
これらの写真は明らかに私小説もしくはエッセイと言える。単に対象への共感があるだけではなく、言ってみればちょびっと底意地の悪い人間観察のまなざしが同居している。
一方で、新明解国語辞典から選ばれた見出し語は案外面白味に欠ける。たとえば「恋」よりも「愛」の語義の方がおもしろいし、「動物園」などの語義の方が〈新解さん〉らしくきわめて穿っている。新明解国語辞典の本領は、非常に穿っているくせに決して明解ではない語義であったり、語義を補う用例がいやにリアルで生々しかったりする点にある。その本領があまり感じられない見出し語が写真とペアになっている。なぜ〈新解さん〉とのコラボなのか、あまり必然性が感じられない。
新明解国語辞典の愛読者からすると、辞典の抜粋でいいからそれなりの分量の見出し語を面白いものから挙げて、それにいちいち写真をつけるというのが理想的だ。決して無理を言ってるわけではない。作者は僕以上に〈新解さん〉を読み込んでいる節がある。装丁用に挿入された写真に、大量の付箋が付けられた辞典が写っている。これがおそらく作者・梅佳代愛用の〈新解さん〉だろう。これだけ読み込んでいるならば、これからも「うめ版2」「うめ版3」などを作って楽しませてくれないでしょうかね。
人気記事
2007年12月30日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック



