2007年12月23日

十角館の殺人(新装改訂版) 綾辻行人(2007/12/11読了)

 1987年というと社会人になった年だ。入社直前までは大学の研究室で論文を仕上げるために連日終電で帰宅したり、時には寝泊まりするタイトな生活だったのが一転してゆるくなった。もちろん研修はそれなりにストレスがたまる毎日だったが、いざ配属されると試用期間中は残業させない決まりだったため、8時に出社して5時に退社していた。そのまま帰宅するのもつまらないので、会社周辺をぶらぶらしたりお茶をして帰ることが多くなった。こんなんで給料もらっていいのかなぁと少々後ろめたくもあったが、あとから考えれば心配する必要はまったくなかった。覚えるにつれて仕事はあっという間に忙しくなったからだ。

 ゆるい社会人生活を送っていた頃は、毎日のように書店に寄り道しては「何か面白い本」を探していた。好きな本を読む時間はたっぷりあった。確かミステリーコーナーの平積み台に「十角館の殺人」と2作目の「水車館の殺人」が並んでいるのを見かけたのではなかったかと思う。ということは翌88年を迎えてミステリー界は〈新本格〉という新たなムーブメントに沸き立ち始めた時期という事になる。日頃は気にもとめないノベルスにも関わらず、気になった本は書うものだとばかりにまとめ買いの中の一冊として本書もすべりこませた。

 作品の舞台がアガサ・クリスティーの代表作「そして誰もいなくなった」をふまえている事に興味を持ったのはもちろんだが、なんといっても登場人物がミステリー研究会のメンバーで海外ミステリーの巨匠たちの名前で互いを呼びあっているという無邪気で憎めないアイディアにまず惹きつけられた。

 あだ名に出てくる作家名を見れば、著者がどんな作家を敬愛し、どんな作品を好んでいるかは自ずと明らかだ。横溝正史が旧来の時代もの・探偵ものから戦後に本格推理小説の作家としてやっていこうと決意した記念すべき作品「本陣殺人事件」の中で、被害者の弟と金田一耕助との間で欧米の本格ミステリーのトリックについての問答が交わされる。横溝ですら最初は一ファンとしての無邪気な愛情を隠さなかったのだ。

 一方で、綾辻の文章は結構読ませる文章ではあったが、まだプロの書く文章とは言えなかった。ミステリー研究会出身のアマチュアらしさが感じられた。たとえばどんなところがと言うと、まるでクイーンの作品の出だしをまねたかのように、本書では重々しい雰囲気を醸し出す凝った表現がいたるところで見受けられる。若くて人生経験もない作家が、明らかに背伸びして思わせぶりな表現を駆使していた。思わせぶりは惨劇を呼び込むハッタリとしては効果があったが、表現にリアルな内実は感じられなかった。僕自身が当時まだ20代前半だったから偉そうなことを言えた義理ではないが、こと読書に関しては経験を積んでいたから、そういう〈背伸び〉は目についた。

 ただし、ミステリー好きの単なる頭でっかちとは思えない実力はデビュー作から感じられた。やがて文章は書きたいことに追いつくだろう。心配や非難するには当たらない。この作家は伸びる、そう直感した。その後「緋色の囁き」に始まる〈囁きシリーズ〉で、著者は内容にみあった文体を作りあげていった。

 本作はデビューから20年たった今になってオリジナルの文章に手を入れた新装改訂版である。あとがきに書かれているように、特に新しい内容が盛り込まれたり、ミステリーとしての重要な変更を持ち込んだりしているわけではない。単に〈文章に手を入れた〉だけのようだ。どこをどう修正したかは比べてみたわけではないが、確かに初読の時に感じられた素人らしさは薄められている。それでいて内容そのものから放たれた無邪気さは当時のままだ。改めて懐かしく読ませてもらった。

 犯人が明かされる場面は印象があまりに強烈だったので、読みだしてすぐに思い出した。忘れたふりはできないので、今回は伏線をどう仕込んだかなどを確かめる読み方をした。

 クリスティの「そして誰もいなくなった」については、解説で鮎川哲也が「全体が平板で盛り上がりに欠ける」とか「孤島を舞台にした必然性が感じられない」などの欠点を指摘し、本作がそれらをうまく修正していると絶賛している。言うまでもなく「そして…」では〈閉鎖空間で全員が死んでしまう〉というサスペンスを優先した結果として、最後の最後に探偵が謎を解くというカタルシスが訪れない。その点、本書では離れ小島と本土とを交互に描く構成にしたことで、探偵が解決を導くエンディングを作りだすことに成功している。確かにうまい発想だ。交互に描いていく意味はそれだけではないが、ここでは触れない。

 もうひとつ今回読んで気になったのは、「そして…」に関して若島正が指摘している巧妙な叙述トリックについてだ。「そして…」で事件を描写する語り手は三人称だ。三人称の語り手はいわゆる〈神の視点〉を持ち合わせている。語り手が登場人物の心理を描写したら、そこに嘘があってはならない。語り手の陳述に嘘があればフェアなミステリーにならないからだ。そしてクリスティは語り手に登場人物すべての心理を描写させているにも関わらず、読者には誰が犯人か分からないという巧妙なトリックを仕込んだと、若島正は分析した。

 では本作で著者は語り手の問題について自覚的に対処したのかというと、実は対処している。著者らしく非常にストイックな対処というべきかもしれない。すなわち、心理が描写された人物は必ず殺される。殺害される直前の被害者の心理のみを描写することによって、三人称の語りの問題を回避している。重要なのは犯人の心理描写が冒頭とエンディングにしか現れないという点だ。冒頭は名前が伏せられているし、エンディングはすでに名前があかされている。それ以外に犯人である人物の心理描写は一切ない。ここに注目して読めば、実は犯人の見当は早い段階でついてしまうと今回の再読でわかった。ただし初読の人にはオススメしない。こんなつまらない読み方はせずに意外な結末を楽しんでほしい。

 さてオリジナルの「十角館の殺人」をキッカケにして、後続する〈新本格〉系の新人たちの作品を読みあさることとなった。〈新本格〉とは何かなんて議論は関係ない。面白くて出来がいいものだけが心に残るだけだ。講談社ノベルスや東京創元社の「鮎川哲也と十三の謎」シリーズで、この時期に読んだ主な作品を挙げてみる。


十角館の殺人 綾辻行人(講談社ノベルス,1987.9)
五つの棺   折原一(東京創元社,1988.5)
長い家の殺人 歌野晶午(講談社ノベルス,1988.9)
密閉教室   法月綸太郎(講談社ノベルス,1988.10)
月光ゲーム Yの悲劇'88 有栖川有栖(東京創元社「鮎川哲也と十三の謎」,1989.1)
空飛ぶ馬   北村薫(東京創元社「鮎川哲也と十三の謎」,1989.3)


 いずれも今や日本のミステリーの中核をなす作家たちだが、出来不出来はそれぞれ違う。綾辻の文章がまがいなりにも成長を期待させるものだったから、金鉱を掘り当てるつもりで当時はいろんな新人を試してみた。

 法月の「密閉教室」は内容は良いが文章は良くなかった。〈内容は良い〉を頼りに、その後「雪密室」や「誰彼」「頼子のために」あたりまではつきあった。歌野の「長い家の殺人」は内容も文章もよくなかったので、一作で見限った。まさか後年「葉桜の季節に君を想うということ」で再会するとは思わなかった。そしてようやく北村薫に出会う事になる。僕が当時掘り当てた金鉱は、綾辻行人と北村薫の二人だった。

 その後かなりたって、ジャンルは違うがもう一つの金鉱を見つける事になる。「十二国記」シリーズの小野不由美だ。彼女と綾辻はいずれも京都大学推理小説研究会に所属していて、実生活でのパートナーでもある。好きな作家どうしが夫婦であると後から知ってずいぶん驚いたが、今回も一つサプライズが用意されている。本書のメイントリックは小野不由美の発案なのだそうだ。まったく夫婦してつくづく驚かしてくれる。

↓クリックの応援よろしく!
banner_04.gif
人気ブログランキング
posted by アスラン at 02:15| Comment(1) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
読書メーターの『十角館の殺人(新装改訂版)』感想欄に、小野さんの『白色結晶』という長編が紹介されています。『十角館』の原型作品のようです。小野さんがメジャーデビューする前の話なので、恐らくですが、京大ミステリ研が外部向けに発刊している小説誌『蒼鴉城』に載ったものではないかと。
Posted by 通りすがり at 2016年04月27日 09:52
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。