まず大森が原作のイメージどおりに映像化しているなあと思った。
斎藤由貴演ずる「おタカ」が、男まさりでべらんめいだが実はロマンチストという設定から始まって、「緑子」はずうずうしいが実は非常に甘えん坊で、「汀子」のクールで何を考えているのかわからないが実は情熱家というメインキャストの人物造形は言うに及ばず。その他ワキ役の「勝」「絹子」「神崎」に至るまで、すべてがベストキャストだったように思えるほどだ。
もちろんそれは大森の適切な演出と場面構成があったからこそなのだが、それにしても、ここまで原作のイメージを損なっていないのはオドロキだ。たぶん原作が描くキャラクターのどれもが立っている事が真の要因なのかもしれない。見かけと中身が食い違っている「実は…」式の性格付けは複雑でもなんでもなく、ある意味型にハマった人物像ではある。
だが、これが自主性を重んじる地方都市の公立高校という空間にギュッと圧縮されて配置されると、何か一回限りの奇跡とでも言うような高校時代のかけがえのなさが立ちのぼってくる。そう考えると、自らの高校時代を踏まえた上でキャラクターを作り上げていった氷室の手際も冴えている(あっ!別にダジャレじゃないよ)。
強いて言えば、原作のおタカはもうちょっとスレている女の子だ。著者があとがきでも書いているように、彼女らの高校生活は都会で管理されていた僕たちの当時とは比較にならないほど”不良”じみている(もちろん今の高校生と比較したら可愛いものかも知れないが…)。
それこそ沓掛勝が「置き屋の遣り手ババア」と面と向かって思わず言ってしまうのが原作のおタカなら的ハズレなレトリックではないが、映画のおタカではまだ初々かった斎藤由貴がかわいそうだ。だからこそ直後の心外そうなふくれっつらが映画の中でも一際鮮やかな印象をもたらす事になるのだが…。
大森は、おタカの姉の恋と別れという原作にないエピソードを持ち込み男性らしいロマンチックな作品に仕上げている。(こう書いてから、ひょっとして続編にあるエピソードなのかしらと思いついたが、取りあえずこのままにしておく)。
しかし氷室のタッチは、もうちょっと登場人物との距離を保ったまま「輝ける高校時代」を描いている。それは映画とはまた違った雰囲気をもつ「がんばっていきまっしょい」の原作と同様に、氷室が自伝的色合いの濃いこの作品のどの位置を占めていたかによる。
「がんばって…」の著者が悦ネエではないように、氷室がおタカではなく緑子や汀子でもまったくの脇役でもありうるわけで、憧れや気はずかしさその他もろもろの感情を抱えこんだ高校時代を描くには、ロマンやノスタルジーを感じてばかりはいられない。生々しさを対象化するための距離感が本書の著者には必要だったのだろう。
それでなくても読者や映画・ドラマを見る人たちは十分すぎるほどに自らのノスタルジーに重ね合わせて作品を著者の手から奪い取っていくのだから。
(1998年8月18日読了。直後の感想に加筆)



