今年の春先にみゆき座が無くなるというニュースが飛び込んできて、居心地のいい映画館が一つ消える寂しさを味わった。もちろんここで言う居心地が、座り心地や観やすさ、便利さに集約される昨今のシネコンの居心地とは同じものではない。ここに来ればいい映画に浸れるという安心感と言えばいいか。
ニュース直後の3月一杯で閉館と言うあっけなさ。そのあとは芸術座ともどもビルごと取り壊されたはずだから、今頃は新しいビルの工事中だろうが、日比谷に1年近く足を運んでないから今度出向いた時は、素晴らしいしかしどこかよそよそしいビルと周辺に変わっていることだろう。
そして今度は三百人劇場の閉館のニュース。まだ来年の事だが残念だ。あそこで催された渋い映画特集の企画に何度か通い詰めた。
今はなきアート・シアター・ギルド(ATG)の秀作の数々に出会ったのもここだ。たぶん相米慎二の『台風クラブ』を名画座(今となっては懐かしい死語だ)で見て、あまりのデタラメさと稚拙さに怒った直後に高校の無二の親友にあれはすごい映画だと逆にやりこめられて、もう一度この劇場の特集で見直した。
よかった。何故デタラメさばかりに眼が行ったのだろう?
こんなに台風を象徴的に描いた映画はなかった。象徴的? そうか、例によって僕は「見えるものだけをただ見える」と声高に言いつのるだけだったのだ。
詩の才能のあった友人はアッケラカンと「デタラメだからいいんだ」と台風で学校に足止めされた少年少女たちの踊りを褒め、同じ踊りの稚拙さに僕はダメ出しをした。曰く感性がないと。今なら言えるが相米の骨太の演出に「感性」という批評ほど似合わない言葉はない。
しかも名画座で見た『台風クラブ』はラストの重要な部分がカットされている事を知って、改めてこの劇場の企画のありがたさを理解したのだ。
同じくタルコフスキーのソビエト時代の作品の数々を見たのもここだった。僕が大学生の頃は、TSUTAYAもないしレンタルビデオも個人経営がほとんど。タルコフスキーが店頭に並ぶビデオ屋など数が知れているし、置いていたにしても当時すでにカルト扱いされていた「惑星ソラリス」短縮版があれば御の字だった。水草が池の中を漂い眠りを誘うシーンもほとんどワンカットだったし、伝説となった首都高を未来カーが疾走するサイバーパンクなシーンもばっさり切られたバージョンしかなかった。だからタルコフスキーを見たければ三百人劇場のような特集を組む劇場に直接足を運ぶしかない。
三百人劇場で確実に見た記憶があるのは「アンドレイ・ルブリョフ」と「ローラーとバイオリン」だ。「ルブリョフ」の方はイコンという宗教画を描いた15世紀のロシアが生んだ芸術家の生涯を描いた作品だが、タルコフスキーらしく人生そのものが晦渋に満ちた旅であったひとりの芸術家を徹底的に描いていた。余談だが「ローラー」の方は、僕と友人は内容を見るまでずっと「ローラ」という少女とバイオリンのイメージを持ち続けていたので、整地するローラーが出てきた時は二人で唖然としたものだった。
そのほかちょっと日記を調べてみると、
大林宣彦「廃市」
石井聰互「狂い咲きサンダーロード」
隹洋一「十階のモスキート」
長谷川和彦「青春の殺人者」
トリュフォー「緑色の部屋」
「真夏の夜の夢」(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー版)
ヴィスコンティ「山猫」
などを見ている。
それと、この劇場は劇団「昴」の拠点でもある。海外ドラマ『ER』のカーターの声でおなじみの平田広明が所属している劇団だ。一度だけ「アルジャーノンに花束を」の舞台を見に行った事がある。すでに彼がカーターの声をやり始めていた頃だったから、彼のチャーリー見たさに女性ファンで会場が満員だったのをよく覚えている。
もうひとつ思い入れを付け加えるとすると、三百人劇場は僕の母校である高校のちょうど裏手にある。高校在学の頃は非常に地味でひっそりとしたたたずまいの劇場に足を運ぶ事はなかったのだが…。
残念だが、時の流れとはそういうものだ。僕と友人が三年間通った校舎も今はない。



