2007年11月22日

迷路 フィリップ・マクドナルド

 「推理の練習問題」という副題をつけたと、著者は序文に書いている。さらには「読者に与えられないものは、何ひとつ探偵に与えられない」と書き、「これはフェアな小説である」と豪語している。しかも裏表紙には「錯綜する謎また謎―知的ゲームの醍醐味」なんて、本格ミステリー好きを煽るような言葉が書かれているのだから、これはもう読むしかない。川崎の図書館の返却棚で見つけて手に取っただけなのだが、思わず借りてしまった。

 著者はフィリップ・マクドナルド。本格ミステリーの黄金期に米国で活躍したイギリス人ミステリー作家だ。ただし一冊も読んだことがない。なんとなく名前の語感からハードボイルド作家だと勘違いしていたのか、これまで縁がなかった。本格ミステリーあるいはパズルミステリーを書く作家だと知ってちょっとしまったなぁと思った。大切な作家を見落としていたかもしれない。でも本当におもしろいのかは実際に読んでみなくてはわからない。

 探偵はゲスリン大佐というからいわゆる素人探偵のようだ。警察が頼りにするくらいだから名探偵なんだろう。しかし今回は事件を直接捜査するのではない。事件の現場のはるか遠方に休暇に来ていて、送られてきた検死裁判の記録を読むだけだ。あとがきにも指摘があるように安楽椅子探偵の趣向で書かれているとも言えるが、実は解決編の第4部に入るまで探偵は姿も現さないし語り手にもならない。第3部までは探偵不在のまま、読者はひたすら検死裁判の記録を読まされるだけだ。

 これは語り手や探偵といった存在が介入することで、主観が混入したり探偵だけが特定の情報を知ったりすることを回避するための配慮だと考えた方がいい。つまり解決に至るまでに探偵が読むのも読者が読むのも裁判記録に限られるわけだ。よって記録から知れる事実から推理を演繹して犯人を特定できれば、読者は探偵なみの知力の持ち主ということになる、はずだ。

 裁判記録は現実を模して少々まだるっこい。どの証人も必ず証言の前に宣誓を行う。ひとりふたりの後は省いてもよさそうだが、著者は探偵が目にするものは何一つ読者に対して省かないと序文で宣言した手前、宣誓もそうだが検死官と証人とのまだるっこいやり取りも決して語り手にまかせない。すべてが記述されるので少々退屈だ。ただし逆に書き手にとっては伏線をすべりこませやすいのではないだろうか。特にどうってことのないやりとりが延々と続くからだ。

 殺人当夜に居合わせた人々すべてに同じような質問をし、同じような回答を引き出し、繰り返し繰り返し同じ時刻の同じ場面の人物の動きや印象などを蒸し返していく。当然ながら、ここにはヴァンダインの20則のような些末なルールは適用されない。すなわち、犯人としてはふさわしくない執事や小間使いにいたるまで、事件当夜に居合わせたすべての人間の証言が裁判で記録され、同様にすべての証言者が容疑者となる。

 さてひとしきり裁判記録に目を通した探偵と読者は、裁判で陪審員が「犯人不明」の評決にいたった場面に立ち会い、第3部は唐突に終わる。第4部はゲスリン大佐から警察関係者に向けて送られた手紙の文面だ。当然ながら解決編になるが、いきなり犯人はだれだれだと名前を明かしてしまったのには面食らった。もっともったいつけるものだとばかり思っていたから、受け止める準備ができていなかった。エラリー・クイーンばりの〈読者への挑戦〉は期待しないとしても、もうちょっと盛り上げてほしかった。

 〈推理の練習問題〉という副題をつけたくらいなので、あまりサスペンスの効果とか読者を楽しませるエンターテインメントという要素には関心を払わなかったようだ。いや、もしかすると著者は元々そういう作風なのかもしれない。犯人を明かすときもゲスリン大佐に「Xは○○○だ。絶対に間違いない。では、ムッシュー、これから謎解きにかかるとしよう。」などと気の抜けた台詞を吐いている。一生懸命に裁判記録につきあってきた読者の気持ちなど、探偵も著者も一向にお構いなしなのだろう。

 緊張感0というだけでなく、推理自体ずいぶん腰砕けで穴が目立つ。いわゆる推理クイズ形式の本なので、ネタバレするようなことはここに書きたくない。ただ、一言言っておくと、クイーンのような厳密な論理的推理を期待するとがっかりするだろう。たとえば大佐は、事件で異常だと思われることをいくつか列挙する。異常な点が多すぎるとも指摘する。その上で、異常な点に該当する容疑者に注目するのではなく、異常さがない証言もしくは証人に注目すべきだとゲスリン大佐は断言する。しかしこれは、事件を見かけで判断してはいけない・先入観をもってはいけないという、いわば犯罪捜査の定石に過ぎないのではないか。この探偵が独断的なのは、通常の見方を裏返したら、それが真実だと断定してしまうところだ。単に裏返しただけでは、それも一つの先入観にすぎない。

 しかも列挙した異常な点の一つに該当するのは犯人以外にない。こういう指摘は普通は切り札に用いるべきだ。すなわち犯人と対峙した際に、探偵の推理に説得されない犯人を落とすための切り札にとっておくべきだ。しかし本書ではすでに犯人の名前を明かしているから、切り札もへったくれもない。

 もう一つ重要なことを指摘すると、探偵は裁判記録からすべてを演繹していると著者は冒頭で豪語していたが、核となる動機の解明については、著者の憶断を持ち込んでいる。しかも、現代ならば偏見あるいは差別だと指摘されてもやむを得ない憶断を持ち込む。「このタイプの人間はこういう性格の持ち主だ」「こういう犯罪を犯しやすい」と、まことしやかなデタラメを語っている。たとえば血液型性格判断などは、くちさがない現代人の座興だと笑えるうちは罪がないが、それで性格を断定したりしたら、たちどころにブラハラ(ブラッド・ハラスメント)だと苦情を持ち込まれるに決まっている。

 著者の臆断はもちろんこの当時の社会状況を考慮すべきだが、しかしやはり論理的・合理的推理とは言いがたい。つまりは〈推理の練習問題〉としてはまずまずだが、本格ミステリーとしては及第点をつけるわけにはいかないという事になる。

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posted by アスラン at 12:44| Comment(0) | TrackBack(1) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Excerpt: 安楽椅子探偵安楽椅子探偵(あんらくいすたんてい、アームチェア・ディテクティブ、Armchair-Detective)とは、ミステリの分野で用いられる呼称で、狭義では安楽椅子(語意通りなら肘掛け椅子だが..
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