2005年09月11日

ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18 小森収 編 (その3)

 さてこの書評もその3まで来てしまった。いいかげん片づけないとだらだら書いていてもつまらない。もう一つの双生児について述べておしまいにするつもりだが、その前にいったいケチばかりつけて面白い部分はあったのかという点を、ざっと書き綴ってみたい。

 瀬戸川猛資「影の薄い大探偵<ポアロ>」。クリスティ作品は人気があるのに何故ポアロは人気がないのかを、女性が書いた男の探偵だからと分析していて面白い。もちろん女に男の毒気ある個性が書けないわけではなく、やはりクリスティの資質や育ちからくるものという気がするが。

 続いて「ヴァージル・ティップス」。名作映画「夜の大捜査線」でシドニー・ポワチエが演じた黒人刑事である。アカデミー賞までとった映画の原作がやはり賞をとるほどの作品だったとは知らなかった。「黒人らしからぬ黒人」というのは失礼な言い方だが、それでも確かに映画のポワチエはかっこよかった。ニューヨークでは人種を超えた敏腕捜査官だが、南部の田舎町では偏見に邪魔されて次々に妨害が入る。だから当然ながら「黒人らしからぬ」という部分にこだわらないとこの映画の良さはないに等しい。ところが瀬戸川は本格ミステリーに人種問題はいらない、謎と論理のサスペンスのみが重要だと断言している。いやはやどうして本格ミステリー批評家には偏屈な人が多いのか。でも原作はシリーズ3作目で終わっているらしい。瀬戸川は本格に社会問題を持ち込んだ設定に無理があったと書くが果たして本当か。

 法月綸太郎「『わが子は殺人者』解説」。パトリック・クェンティンの作品のために書かれた解説らしい。当然ながら特定の作家の解説を載せるには理由がなければならない。こういったミステリーファンのためのミステリー論集なら尚更だ。クリスティ、クイーンクラスの作品の解説ならまだしもクェンティンって、それほど魅力的な作家ですか?僕が未読なので魅力を感じないだけかもしれないが。

 あるいは内容がミステリー全般についての批評にもなっていると作家や作品を知らなくてもそれなりに読めるだろうが、この解説はあくまでクェンティンのキャリアと作品批評しかない。本格の論客でもある法月の文章は微に入り細をうがつ念の入れようだが、当然ながら未読の読者にはつまらない。事細かに書かれていればいるほど読む気が失せる。邪推すれば法月綸太郎だから載せたという気がする。さらに邪推すると別のクェンティン作品に編者が解説を書いている事が法月の文章で知れるからには、ミステリー文壇の馴れ合いかとも思ってしまう。

 丸谷才一「冒険小説について」。1962年EQMM連載のエッセイからなので、時評的な意味合いもあったのだろうが、最新ミステリーと50年前の作品を比較して、冒険小説の核となる部分が全然変わっていない点を軽妙にひもといている。「軽妙」という点が著者らしいのであって、怠惰な青年の一人称小説が冒険小説の条件だというのは今やいささか古いだろう。

 だから各務三郎「誤解された冒険小説」「アイ・スパイ」でちっとは今風の冒険小説について気の利いた話がきけるのかと思いきや、エリック・アンブラーというスパイ小説の大家の1962年作「真昼の翳」だから、一体何事だと思う。丸谷も1962年の時評、そしてこちらも1962年作。しかも各務の2文はどちらも「真昼の翳」についてのこだわり。この作品が正統派冒険小説か、はたまた冒険小説のファルスであるか。そんなことはどうでもいいことなんですよ、読者には。

 北上次郎「不信のヒーロー」「フランシスの復活」。文句のつけようもない。いっそのこと北上さんの文章で埋め尽くされた方がミステリーへの愛着がわくというものだ。「不信のヒーロー」ではイアン・フレミングのジェームス・ボンドシリーズを取り上げているから、なんだまた古い作品じゃないかと言えるのだが、北上の文章のうまいのは現代エンターテインメントとしてどこを面白く読むかという読み直しをしている点だ。映画では深読みしにくいが原作を読むとボンドは何一つ信じる物を持たない「不信のヒーロー」と言えるというのだ。まさにガンダム世代には「めぐり逢い宇宙編」のアムロを彷彿させる魅力的なヒーロー像ではないか。

 同様にディック・フランシスの作品論では、80年代に復活したヒーローが立ち向かう相手が弱音を吐く自分自身であったという視点も思わずフランシスの作品を読んでみようかという気にさせる。

 中条省平「夢野久作『瓶詰地獄』 書簡体を用いる」。『文豪に学ぶテクニック講座』からの一文だが、文体論としてもミステリー批評としても読める。一度で二度おいしい文章だ。北上の文と同様、取り上げた作品をつい読んでみたくなる文章だ。

 石上三登志「女嫌いの系譜、又は禁欲的ヒーロー論」。編者のまえがきいわく「エンターテイメントのあらゆるジャンルを、ヒーローの物語として見直す」という石上の視点が今なお面白いかどうかはひとえに書き方にかかってくる。僕はこの文章で判断する限り、つまらないと思う。なぜならハードボイルドの作家たちを読み解くのに、心理学に依拠しすぎているからだ。あえて言うならエディプス・コンプレックスもエレクトラ・コンプレックスも眉につばをつけながらでなければ素人がむやみに使えるものではない。フロイトの学説ですら今や誤りだらけとの批判がある時代に「ヒーローの物語とは、自らの母胎回帰願望を打破するための、僕ら自身の寓話であり神話である」と書き出す文章をまともに読めるだろうか。

 小鷹信光「ポイズンヴィルの夏」。ミステリー翻訳家として著名な作者のエッセイ。これも間接的に作品に対する、そして作家に対する愛着がダイレクトに伝わってくる文章だ。ハメットの「赤い収穫」を訳すために舞台となったアメリカの田舎町を旅する小鷹の、まさにハードボイルド調の簡潔な文章から立ちのぼってくる当時の風景のまぼろしが、読者をハメット作品へと向かわせる。

 さてようやくあと残すところ二人の小文。これがもう一つの双生児であるのだが、これは次回にまわそう。
(続き)

参考
 ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18 小森収 編(その2)
 ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18 小森収 編(その1)

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posted by アスラン at 02:52| Comment(0) | TrackBack(1) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Excerpt: エディプスコンプレックスエディプスコンプレックス(独語:''Oedipuskomplex'',英語:''Oedipus complex'')は、ジークムント・フロイトの創始した精神分析における自我発達..
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