2007年11月19日

『坊っちゃん』の秘密 五十嵐正朋

 本書は箱根・精進池にある多田満仲の墓から始まる。多田満仲って誰だろう?いったい漱石の「坊っちゃん」とどんな関係にあるというのか?不思議な出だしではあるが、なにやら楽しげで気楽な『坊っちゃん』をめぐる旅になりそうなことは著者の文体からして感じられる。数多ある研究本とは一線を画した肩の凝らない内容なのがうれしい。特に江戸東京博物館で開催中の「文豪・夏目漱石」展を先月見てきて、久々に漱石ファンとしてのミーハー度を新たにしたばかりだ。こういう同好 の士の語る漱石本は、まさにグッドタイミングではないか。

  ところで多田満仲とは源氏興隆の祖として有名な歴史上の人物だそうだ。そして「坊っちゃん」の主人公が、生徒を前にして「自分は多田満仲の子孫だ」みたいなたんかを切る場面があるらしい(だそうだ・らしいばかりで恥ずかしいが…)。江戸っ子の主人公が例のバッタ騒動の直後に頭に血がのぼってつい口からだしてしまう。そのほかにも他校の生徒との争いに巻き込まれて新聞に「教師の某(なにがし)」と書き立てられて、自分にはれっきとした姓も名もあるぞと多田満仲の家系図を持ち出す。

 歴史上の人物とは言え、二度までも主人公に言わせているところに著者は何か秘密がありそうだとあたりをつける。それも作品や主人公の設定にではなくて、〈漱石自身の秘密〉ではないかと詮索する。実は漱石自身が、多田満仲の弟から連なる家系なのだそうだ。つまり漱石本人が多田満仲を誇りにしていた。そこから主人公の〈坊っちゃん〉が漱石自身だとするのは安直すぎるが、そういう部分があることは確かだろう。そして〈坊っちゃん〉に漱石を含めて複数のモデルがいると予想されるように、ほかの登場人物たちにも様々なモデルがいることが本書では明らかにされる。

 もちろんこうしたモデル探しはそれほど面白いわけではない。漱石の研究は様々になされているので、漱石の創作方法を解く上でモデルの存在は興味深い研究対象となりうる。しかし漱石の脳の中を解剖するかのようなそんな分析はあくまで解釈の問題にすぎない。研究とか評論とか偉そうな体裁をとっている分、眉につばをつけにくいが、うさんくさい事に変わりはない。漱石研究の第一人者・江藤淳がこだわった嫂・登世と漱石との関係なども、正直ついていけない解釈だった。

 本書でも『坊っちゃん』限定ではあるが、主要な登場人物のモデルについて諸説を取り上げている。著者の詮索が面白いのは、読者が自由に〈眉に唾をつけられる〉ところにある。つまり非常にオープンな姿勢で様々なモデルに言及しているのだ。著者には実証しようと魂胆があるわけではない。一ファンとしてできれば知りたいという一途な思いに貫かれている。その証拠に、モデルだけでなく作品にちりばめられた様々な謎についても、ご当地で出会った人々から次々と思いがけない話を著者は聞き取ってくる。そういった場面がとっても愉快だ。

 これは著者の人徳と言うべきだろう。作品に描かれたその場所に足を赴かせて素直に自分の興味の対象を語る事で、出会った人々は警戒することなく口を開いてくれるのだ。そうした現地の人々との出会いから得られた最大の収穫が〈マドンナ〉の新たなモデルだろう。道後で開業していた女医さんだと言う。事実かどうかよりも新たにロマンティックな空想が名作に付け加わったのだと、気楽に読めばいい。

 気楽と言えば、漱石の書く〈坊っちゃん〉の表記には「っ」が入っているという話も楽しい。僕自身も以前から気になっていたのだ。かな漢で変換すると「坊ちゃん」となることが多く、あとで「っ」を足さなければならなかった。広辞苑では漱石作品と同じ表記を採用していると知ってなおビックリ?ならば何故かな漢の方が対応しないのだろう。と思ったらジャストシステムのATOKでは「坊ちゃん」「坊っちゃん」どちらにも対応していた。さすがだ。

 「第十章 赤シャツの正体」では、またしてもモデル探しだ。もちろん〈赤シャツ〉のモデルの事だ。著者は「赤シャツ」の〈赤〉は、東大の「赤門」からきていると推理している。これは非常に重要な指摘だ。こんなことを考えた人はこれまでいるのだろうか?僕自身はいろいろと漱石本を読んできたが見かけたことがない。そもそも「坊っちゃん」の登場人物のモデル探しをここまで追求した本を僕は知らない。

 『坊っちゃん』の登場人物たちにモデルが諸説出てくるには理由がありそうだ。それは登場人物のどれもこれもがステレオタイプな人間だからだ。漱石のように人間観察にすぐれた作家ならば、モデルを持ち込むことなくこの手の人物を軽々と描けるだろう。逆も言える。ステレオタイプに当てはまるあらゆる人間を易々とモデルにできる。だからこそモデルに該当する人物が漱石に周辺にごろごろ出てくるのだ。

 それにしても〈東大をイメージさせる人物が赤シャツのモデル〉という推理は明晰だ。ただし「東大の教授、或いは、東大の重苦しい封建的な因習の擬人化」というモデルの当てはめ方はどうだろう?当時の東大(帝大)には〈封建的〉とか〈因習〉という言葉は当てはまらないのではないだろうか?それよりも一等国になることをひたすら目指して、国を挙げて近代化・西洋化に突き進む現代人エリートの姿こそ、東大のイメージではなかっただろうか?

 そこからすると、著者が想像する〈赤シャツ〉=〈功利的でこざかしい人間〉という考えを漱石はもっていなかったのではないかと思う。そもそも漱石自身がかつてはそこに居場所を求めて、エリート然としていたはずだ。野に下ったからと言って全否定できるものではない。ただし、「私の個人主義」でも主張していたように急速に近代化を目指すあまり、西洋の思想を批判的に摂取することなく実だけを取り入れる「和魂洋才」の考え方に危惧を抱いていたことは確かだ。

 その点を徹頭徹尾戯画化して描いたのが『坊っちゃん』だと言えそうだ。その意味では〈坊っちゃん〉こそが近代日本にとっての「封建時代の遺物」だったのではないだろうか。漱石は坊っちゃんにも赤シャツにも肩入れせずに、一定の距離を置いているように僕には感じられる。もしかすると、著者の「何故、野だいこには卵を投げつけて、赤シャツには卵を投げつけないのか」という答えは、こんな漱石の内面と関係があるのかもしれない。まあこれも僕の気楽な想像にすぎない。

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posted by アスラン at 02:12| Comment(3) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
アスラン様
綺麗なお名前ですね。「明日蘭」とも書けますし・・・。この「カンガルーは荒野を夢見る」での貴殿の的確なる書評、嬉しく拝見しています。ありがとうございます。
さて、この度、『漱石のミステリー』と題して、電子書籍で発行いたしました。「試し読み」だけでもお読みくださると嬉しいです。
五十嵐正朋
Posted by 五十嵐正朋 at 2012年11月29日 22:32
五十嵐正朋様、ご丁寧なコメントありがとうございます。

著者御本人からコメントをいただけるなんて思ってもいなかったので驚きました。思わず失礼な事を書いていないか、拙文を読み返してしまいました。偉そうな事を書いてますね。すみません。

漱石好きで、数多ある漱石研究本も結構読んできましたが、この本は楽しく読めました。

「漱石のミステリー」の電子書籍のページも、ちょっと見に行きました。「試し読み」すごいですね、分量が。2章分丸々とあり、読み応えがありそうです。じっくりと読ませていただきます。
Posted by アスラン at 2012年12月04日 13:01
アスラン様
 早速のお返事、嬉しく拝見いたしました。ご存知かと思いますが、「『坊っちゃん』の秘密」を出版してくださった出版社は、大変親切で、良心的な立派な出版社でしたが、この本の出版直後に倒産されました。従がってこの本の出版も僅かな部数のままに終ってしまいました。そのような事情もあり、是非、読んでいただきたいと思う箇所は、『漱石のミステリー』に重ねて書く事にしました。内容のダブリはお許しください。
 なお、『漱石のミステリー』では、勝山一義先生(上越市関根学園高校の元・校長)の「坊っちゃんのモデルは新潟県人」という新説を紹介させて頂きました。確実な根拠に基づく信頼すべき新説です。勝山先生には、一度だけお会いしましたが、もっと沢山のお話が聞きたくて、再び、会いに行こうと考えています。この新説につきましても、アスラン様のご高説をお待ち申し上げます。ありがとうございました。 五十嵐正朋
 
Posted by 五十嵐正朋 at 2012年12月04日 22:17
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