2005年09月01日

通勤電車で座る技術! 万大

 「南武線で座る技術」という記事を書いたのが6月29日。ちょうど2ヶ月たった。お待たせしました。期待のホープ登場だ。これでなんとか南武線のゲキ混み状況を解消しよう!

 と意気込んで読んだものの、あれっ?、あっ、そう。ふ〜ん。嘘だろ。おいおい、やれやれ。と、つまりそんな本なのだ。(どんな本だって?)

 まず冒頭「毎日が椅子取りゲームなあなた」のために本書は書かれたみたいな前振りだが、通勤地獄という言葉を侮っている書き方が気になる。確かに「地獄」や「生きるか死ぬか」のような例えで戯画化されやすい風景ではあるが、通勤の苦痛を共有しているとは言っても苦痛の度合いは人それぞれに違う。個人的な事情も加味すれば、これは決して見かけどおりのゲームが展開しているのでもなければ、著者が推奨する脳天気なポジティブシンキングで一律に乗り切れる代物でもない。

 そういう姿勢で書かれている本なので、実は本論の方もゲーム感覚で書かれている項目が多い。もちろんそれ自体が悪いわけではない。そもそも混雑を極めている通勤電車では魔法のように座れる方法などあるわけがない。少しでも座れるように努力するには、ゲーム感覚を取り入れて「座る技術」を磨こうという著者の主張と視点はうなづける。

 だから「イチャイチャするカップルの後ろに並ぶな(手をつないで乗車するので邪魔)」だとか「あえて混んでる車両をねらえ」とか戦略的な考え方を取り入れている部分はそれなりに読ませる。

 また、ドア横のスペースに対して座席に対峙したスペースを「2軍席」と定義して、ここを陣取るように勧めたり、持ってる本の重さや読んでる雑誌などを読むスピードから座れる可能性を判断するなどは、戦略的というよりは合理的な思考なので応用しやすい。

 意外と見過ごしていたのは会話の分析だ。携帯で「あと○○分で着きます」などは考えてみればバカでも分かる手がかりなのに、実際には携帯の車内使用への反感ばかりが先に立ってしまって理詰めの精神がおろそかだったと気づかされた。

 その一方で、ゲーム感覚が過ぎると途端に読み甲斐のない内容になる。その分量が結構多い。

・毎日同じ電車に乗るお馴染みさんの顔と降車駅を憶える
・降客リストを作る
・折り返しで寝ている客を駅員の口調で起こす
・ゴミだらけの席に座るために汚物回収セットを携帯
・社章や制服さらには私服で判断せよ
・カップルはくっついてすわるはずだから、隣りをねらえ
などなど。

 ご丁寧に降客リスト用メモを巻末に用意してあるにいたっては呆れるというよりも著者の思慮のなさに不愉快になった。もちろん頭の中で何を考えるのも自由だが、技術として伝える以上は物見高い眼差しは時として相手を貶めかねない

 だいたい著者の紋切り型の思考も鼻につく。私服から学生を見極めるのに、国立と私立で「貧富の差は否めない」とか予備校生は服装にこだわらないとか、一体いつの時代の話をしてるのか。

 また前書きで「老若男女すべてに読んでいただきたい」としているわりに自分と同じ心持ちの男以外への目配せがないのはどうしたことだろう。「スレンダー美女の前に立ちたい気持ちはわかる」だとか寄りかかる男性を「ちょっとふくよかな美人が寄りかかっていると自分を騙せ」とか、およそ男性限定のイイグサだろう。

 さらには「オフピーク通勤のすすめ」では、フレックスタイム・時差出勤・早番遅番・半休・代休と、諸制度を書き連ねる投げやりさ。サラリーマンなら知らぬ者などいない制度を並べるだけで、はて著者は何が言いたいのか。

 著者の不用意なゲーム感覚は「他人を貶めかねない」と書いたが、まさに自分以外の「老若男女」への配慮を欠くどころか逆に差別的な記述も目につく。

 「妊婦を労れ」という理由付けとして、現在の深刻な少子化を憂えて「妊婦の役割」が重要だと著者は指摘する。噴飯物である。妊婦に席をゆずろうという当然のモラルを言うべきところなのに口が滑ったではすまされない。くれぐれも言っておくが妊婦は「役割」なんかではない。ましてや少子化社会に抗うために存在しているわけでもない。社会的問題意識と個人の問題をはき違えてはいけない。

 同様にストレス社会がもたらす病気として「過敏性腸症候群」を取り上げている。最近では「パニック障害」という病気が知名度を上げつつあるから、その中の症状のひとつと言えば通りがいいかもしれない。確かに著者が言うようにストレス社会が抱える社会問題であることは確かだが、ストレスを意識しないように「心に余裕をもて」で解決するほど簡単な病気ではない。たぶん素人なりに難しいと言えるのは、同じ病名でありながら一人一人症状の度合いが違うからだ。当然ながら心療内科という診療科があって専門医がその人の症状にあった療法をアドバイスし、その人に合う薬を処方する。つまりはれっきとした病気なのだ。素人がどうこう言えると考えると痛い目に会う。

 しかし、こういった事の責任を著者だけに負わせるのはちょっと酷な気もする。どうやら元々は個人で始めたホームページで配信するメルマガに連載していた記事が元ネタだという事だから、そこまでは公のメディアとまでは言い難い。いろんな考え方が出来るウェブという無法地帯での一個人のアジビラのようなものだ。無視しようと思えば無視できる。

 しかし出版物ともなれば話は別だ。こうして立派に公立図書館蔵書の仲間入りもできるし、迂闊なメディアがまともに取り上げてもくれるだろう。だとすると出版社の責任は大きい。手間を惜しまなければ、問題の箇所を指摘して書き直してもらう、もしくは削除する事は事前にできたはずだ。「かんき出版」という聞き慣れない出版社だが、新書はどうせ使い捨てとでも思っているのだろうか、それとも編集部の目と頭は節穴だらけだったのか。

 いやもう言うまい。こうして僕があげつらえばあげつらうほど、ますます物見高い本好きの目に留まる事は間違いないのだから。もちろん毒をくらわば皿まで。読んでください、あなたの目と心で。僕の意見はあくまで一個人の意見です。
(2005/08/29読了)


 

posted by アスラン at 01:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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