それはひたすら体を鍛え込むことであったり、三年生を送り出してみずから部に対して責任をもつことであったりする。そして何より重要な事は時間が限られているという事だ。先輩を送り出した瞬間から、神谷たちに残された月日はあと一年しかない。その間に〈速く走る事〉を形にしなければならないのだ。
そのためのアプローチはとてつもなく単調で重苦しくてウンザリするような反復だ。たとえばこんな調子だ。
こんなんじゃないな。もっと前に体重かけて…。んーと、そうだ、このほうが進む。ぐんと進む。(P.182)
日が落ちてまだ宵の口の公園で、神谷がひたすら自分の脚力を鍛え上げるために坂道走を繰り返すシーンだ。とにかく〈しんどさ〉が伝わってくる。そして読む側もまた主人公とともにひたすら忍耐の読書になる。
その上、親友の連が4継(リレー)の予選で故障してしまう。ところが連は、本戦には代わりを立てるという顧問のみっちゃん(三輪先生)の決定に承服せずに無理な練習を続けては周囲をハラハラさせる。そうかと思えば神谷は神谷で、密かに恋心をいだく女子部員の谷口から短距離から中距離に変わることを相談されて頭を悩ます。速く走る事だけに専念したいのに、部長として部全体に対して責任を負わされ、さらには禁じられた部内恋愛(の可能性)に悶々とする一方で、一向に〈一瞬の風〉への滑空につながらない。神谷の恋愛成就あるかなしかは気になるところだとは言え、〈がんばった人にはそれだけの成果が確実に現れる〉わけではない競技のリアルな展開がとにかくもどかしい。
たとえが妙だが、映画「ベスト・キッド」で主人公の青年が空手の師匠から車のワックスがけや塀のペンキ塗りといった雑用を命じられて腐るシーンと似ている。本書の前半は起承転結で言えば”承”に当たるのだ。後半が”転”ならば、めきめきと脚力をつけて記録を伸ばす神谷の姿が見られると、読者はタカをくくっている。それはもしかしたら3作目までおあづけで、ひょっとして神谷のほのかな恋愛の決着がクライマックスなのかもしれないと、これまた油断しながらぬるい青春物語を楽しもうとする。
しかし、”転”は読者に大きな衝撃となって訪れる。予期していた爽やかな〈部活小説〉の枠を大きく踏み出す事になるような意外なドラマが本書の終盤で待ち受けている。サッカーの天性の才能に恵まれた兄・健が事故に遇い、再起が危ぶまれるほどの重傷を負ってしまう。神谷は立ち直れないくらいのショックを受け、部長の責務も谷口への恋心も走ることへの情熱もかなぐり捨ててしまう。
本書のクライマックスは、谷口の〈ぜひ自分が中距離を走る姿を見てほしい〉という言葉に引き寄せられて、神谷は競技会場に向かい再び走る情熱を取り戻すところまでだ。感動的なのは言うまでもない。ただしちょっと残念なのは、僕が期待していたリアルな〈部活小説〉をはずれて、小説としてのドラマが少しだけ過剰になってしまった事だ。
単に高校生活3年間を〈速く走る〉ことだけに一喜一憂する、そんな小説を最後まで期待していた。少なくとも1作目はそういう作品だったからなおさらだ。取り立てて何もない高校生活で、ただ部活をリアルに描くだけで1作目は十分面白かったのだ。しかし2作目で著者はドラマチックな展開を導入してしまった。3作目ではどういう展開になるのか、僕にはちょっとわからない。願わくば1作目のような、普通の高校生の、普通の部活の、普通にがんばってきた神谷と連を描き抜いてほしい。



