『おそ松』執筆当時、赤塚は、時間の経過や場面転換を、「そして―」というネームで表現していた。最近の赤塚ギャグでは「そして―」のかわりに、夜のシーンを挿入するようになっている。
ネームの時、赤塚は、そのシーンを「夜」とだけ書き、そのコマに何を描くかは、古谷任せにしていた。そして、赤塚は調子がいいと、「夜」のシーンに、片手倒立したイヌとか、「ニャロメ」と鳴いているネコを描き加えた。
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赤塚は、夜のネコに「ニャロメ」と一言喋らせている。僕は、二本足で立つ、この痩せっぽちのネコが、何故か気にかかっていた。デラサンのアイデアの時、僕は、漫画の主人公を、この夜のネコにしようと提案してみた。
何かを感じとった赤塚が言う。
「よし、それでやってみよう」(本書より引用)
平成8年10月11日、僕は上野の森美術館で『赤塚不二夫展―これでいいのだ!』の初日を見に行っている。きっちり一時間前に着いたら誰もいなくて寂しい思いをしてたら、後からくるわくるわ、たちまち長い行列ができた。何かわがことのように嬉しかった。入場者数は一ヶ月で4万人を越え、同美術館の新記録を樹立したそうだ。「鉄人28号論」でも書いたが、赤塚不二夫は僕にとって横山光輝と並んで輝ける漫画家のベストワンだ。二人は比較しようがない。赤塚でギャグに満ちた低学年を送り、高学年になって横山のストーリーに触れた。だから僕のランキングに2位はない。
小学5,6年の頃、学校に短期で雇われた大学生とおぼしき二人の青年がいて、僕は昼休みによく仕事場の小さな部屋に顔を出した。何故いりびたったか全く記憶にないのだが、漫画の話をしたのだろう、当時好きだったバビル2世やバカボンのパパを書いては見せに行った覚えがある。彼らはある朝校門前でビラを配りいなくなった。ビラにはチェ・ゲバラという文字とひげづらの外国人の写真の青刷りが見えた。意味はわからなかったが二人は辞めさせられたのだとなんとなく思った。
そういう時代だった。高度成長期という子供にとってそれなりに平穏な時代の影には、親や先生たちが隠しようのない社会や体制の歪みが満ちていた。赤塚のナンセンスはまさにそんな時代を駆け抜けた。よど号をハイジャックした日本赤軍のメンバーが残した「オレたちは明日のジョーだ」というメッセージを著者はセンスがないとあげつらう。何故「バカボンのパパだ」と言わないかと。今なら僕にも分かる。彼らはマンガを読むセンスもなかったのだ。
本書は少年サンデーの編集部で「おそ松くん」の頃から赤塚の担当についた著者が、赤塚漫画と赤塚の人生の裏の裏までも書き上げた作品だ。僕は藤子不二雄「まんが道」を読んでいるから赤塚の若き日の不遇を知っている。ほぼ同年の石森章太郎のアシスタントをやって何とか食いついでいた日々。他の仲間が次々にチャンスを物にしていく中でひとり取り残される孤独。
生意気の「なまちゃん」の連載とともに赤塚はヒットを連発する。と思っていたのだが、意外と一つ一つの作品は短命だ。その理由が人気の下降とか作者の行き詰まりではなく、ひとえに雑誌編集部の方針によるのだと聞いて、赤塚の書き急いだ訳があながち本人の資質だけに帰せられないと感じた。漱石が修善寺の大患によって朝日新聞に「まるごと買い取られた」と江藤淳は書いたが、まさに赤塚は少年サンデーと少年マガジンの綱引きに利用され「買い取り合戦」に振り回される。
マガジンで「天才バカボン」の連載が始まり、サンデーは「おそ松」を終わらせ「もーれつア太郎」をぶつける。さらに奇作「バカボン乗っとり事件」で「バカボン」はサンデーに移る。そして「ア太郎」との食い合いに終わって「バカボン」の打ち切りが決まる。後に「バカボン」はマガジンに復活するのだが、ここら辺の裏事情は一ファンからするとまことに見苦しい。赤塚の才能を縮めたと考える所以だ。
赤塚作品の魅力の一つに多彩なキャラが挙げられる。その多くが赤塚本人の創作ではないと知って正直ショックだった。例えばイヤミやチビ太、ダヨーンなどは当時のチーフアシスタント高井研一郎(後に「総務部総務課山口六平太」を書く)の絵だった。他にもアイデアブレーンは長谷邦夫、ペン入れは古谷三敏(後に「ダメおやじ」でデビュー)などの分業体制をとっていた。赤塚はアイデア検討からネーム(コマ割りとセリフ)、さらに鉛筆で人物の"当たり"をとるところまでが売れっ子当時の仕事だった。つまり赤塚不二夫はフジオ・プロのプロジェクト名とも言える。ただ総指揮は赤塚であり、有力なメンバーを揃えたのも赤塚の手腕なのだ。本書で興味深いのは、しきりに手塚治虫が比較の対象となるところだ。やれ担当いじめで有名、やれアシスタントで育っていった漫画家はいない、などなど。本当の事だろう。担当もアシスタントも育てた赤塚とあまりに対照的だが、どちらにしても人間臭いエピソードだ。
さて僕はといえば中学でお定まりの「ガキデカ」にハマり赤塚ギャグから卒業する。まことにファンというのは非情なものだ。僕は「レッツラゴン」も見届けていないから著者と赤塚のコラボがどこまでナンセンスを極めて行ったか知る由もない。あまりいいファンではなかったかもしれない。赤塚はその後酒浸りになり癌にかかりそれでも死ななかった。僕には年老いていくに従ってますますバカボンのパパに容貌が似てゆく赤塚は、パパ同様永遠に死なないのではと思えてきた。
そして今、赤塚は眠っている。
諸事に忙しくしているうちに、赤塚が脳内出血で倒れていたことを迂濶な事に知らずにいた。昏睡のまま今も意識を取り戻さない。死んではいない。表舞台から去っただけだ。寂しいと言ってはいけない、悲しいと言ってはいけない。それでも涙が出た。
赤塚はバカボンのパパよろしく夢の中で大暴れしているはずだ。そして今日もあの多彩な登場人物の”当たり”をとるためにHBの鉛筆とネーム用紙を携えているだろう。そしていつかもう一度、長い夢の中で毎日毎日考えたギャグで僕らを楽しませに帰ってくるに違いない。
僕が赤塚のことを言うなら、こうかな、と思う。
「女好き、大酒を飲む子供、小心者、歩く幼稚園、泣き虫、マザコン、人情家、天才漫画家」
そして最後は、「不死鳥」と結ぼう。(本書より引用)




トラックバック有難うございました。
「あまりいいファンではなかったかもしれない。」と書いておられますが、私からみれば、十分に赤塚を愛し理解しておられるファンの方のように見えます。
こちらからもトラバさせてください。
この本とは関係なく文庫版の「天才バカボン」の全巻セットというのをだいぶ前に買ってあるんですが、まだ読んでません。当然ながら当時はリアルタイムで読んでたので読めば内容は知ってると思うんですよね。それに安心しちゃったのかもしれません。やっぱりいいファンじゃないかもしれない(笑)
これからもよろしく。