2005年08月18日

1998年10月6日(火) 「プライベート・ライアン」

 昼食後、有楽町に出て日劇東宝で「プライベート・ライアン」(no.145)を観る。

 平日にも関わらず結構大入りでほぼ満員状態

 何故大受けなのか訳が分からない。スピルバーグでアカデミー最有力候補という謳い文句が効いたのだろうか。

 内容は、戦地で同時に二人の息子を失った母親に報いるために、末息子のライアン二等兵を戦場から救出する命令をおびた部隊の物語だ。そもそもがあまっちょろいヒューマニズムなのだが、一人を助けるために何人もの人々が命を賭けるという不条理なシチュエーションを持ち込む事でヒューマニズムを際立たせようとしている。

 そのためにスピルバーグが取った戦略はドキュメンタリーのように生々しい戦場の映像を冒頭から嫌というほど見せつける事だ。腕はもげ、内臓が腹から飛び出る。リアルというよりスキャンダラスな映像だ。恐らくは手持ちのカメラを望遠にして撮影していて、手振れの激しさが一層の臨場感を誘う。

 圧倒的な存在感のある戦争映画をスピルバーグは作ったのだろうか。あるいはそうかもしれない。だがスピルバーグらしさはどこに見られるのだろう。映像のマジックを様々な形で見せてくれた彼の想像力のきらめきはどこにあるというのか

 いびつではあったが限りなく戦闘機への憧れをあらわにした少年を描いた「太陽の帝国」の方が、同じ戦争映画でありながら全編にスピルバーグらしい無邪気さを見いだす事ができたというのに。
posted by アスラン at 00:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画評(1998年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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