2005年08月06日

1998年10月31日(土) 「フラワー・オブ・シャンハイ」「河」「エル・スール」

 秋に入ってから新作のロードショー・ラッシュが続いている。あっという間に上映期間が終ってしまう映画も多いので、今週末は観たい映画を見損なわないようにと気合いが入る。

 まず渋谷シネパレスで「フラワー・オブ・シャンハイ」(no.153)を観る。

 候孝賢の新作ならばぜひとも観たい1本だ。

 今回は19世紀の中国・上海で栄えていた遊廓の女性たちの物語を描く時代劇だ。「恋恋風塵」や「童年往事」で息を飲むような新鮮な地方の風景と純粋な人々を描き出してきた候作品とは一変して全編室内撮影である。

 上海でのロケの許可が降りずやむを得ず室内撮影だけにしたとの事だが、逆にその事が映像に独特の緊張感と遊廓の怪しげな雰囲気を与える事に成功している。外界ではアヘン戦争後の欧米の脅威に晒されて不安定な状況にありながら、内部では官僚や実業家が入りびたり遊女との濃密な情愛を繰り広げる独自の時間が流れている。

 だからこの空間には因習と金に縛られた男女の力関係だけしか存在しない。金と力のある男は享楽にうつつをぬかし、男に依存することでしか生きられない女たちは様々な形でしたたかに生きてゆかざるを得ない。

 ストーリに派手さはないが、冒頭の男どもの馬鹿騒ぎを10分間1シーン1カットで撮るなど今回は非常に意欲的な演出をしていて見応えがある。

 昼食をとったサンドイッチ屋でハロウィンを祝ってクッキーがついてきた。ハロウィンも日本に定着しつつあるのかな。

 ユーロスペースで「河」(no.152)を観る。

 蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)監督は、候孝賢監督と同じ台湾の監督。

 前作の「愛情萬歳」を観た時、都会で生きる孤独な男女の姿をうまく描いていると思った。ドラマチックな演出は一切廃し1つの場面をリアルに切り取りずっと何も起らないシーンやずっと女が泣きじゃくるシーンを固定カメラで撮り続ける。緊張に絶えられず思わず溜め息をついてしまった。

 本作でもその手法は変わっていないが、今回は登場人物たちのリアリティと存在感の方が優っていて息を呑むように食い入るように映画を観ていた。

 無職の青年シャオカンとその父、その母の物語は、それぞれの孤独を互いに共有することがないだけに前作の男女の関係より一層複雑で救いようがない。その凍えるような孤独は、シャオカンがかかるクビが坐らなくなる奇病や、中華飯店に努める母が勤め先から持ち帰る残飯や、父の部屋の天井から止めどなく流れおちる雨漏りなどで鮮やかに象徴的に描かれる。

 引き続いてユーロスペースで「エル・スール」(no.151)を観る。

 スペインの映画作家ヴィクトル・エリセの特集。ほぼ10年に1本の間隔で映画が作られ、これまでに「ミツバチのささやき」「エル・スール」「マルメロの陽光」の3本しか作られていない。

 どれも珠玉の1本ばかり。思えば12,3年前にこの作品を観て映画の見方が大きく変わった。映画はストーリよりも何よりも映像感覚で見せるものである事を知った。どんなに風景と表情とカメラワークだけで人を感動させる事ができるかを教えてくれた。1986年当時の僕の感想を記そう。

 「すべてが語られてはいないのに、ささいな仕草や言葉や風景や構図に、すべてが影のように織り込められている。クライマックスをもつことを周到に避けているこの作品で、唯一涙が堪えられなくなる場面がある。ホテルで娘と父が語り合う場面だ。隣室で催される結婚式の賑やかな宴。そこに流れる曲が、むかし初聖体拝受式の日に幼い娘と踊った時の曲だと父が気づき、娘に促すが、娘はそっけない返事を返す。この時、父は何もかも取り戻せない事に気づき寂しげに微笑む。このわずか数十秒のショットが素晴らしい。」
posted by アスラン at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画評(1998年) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。