2007年09月16日

鉄塔武蔵野線(新潮社版) 銀林みのる

 今年の夏はとびきり暑かった。照りつける日射しが暑ければ暑いほど、頭の芯を焦がせば焦がすほど、「鉄塔武蔵野線」を読み返そうという気になってくる。また今年も〈鉄塔の夏〉がやってきて終わろうとしている。

 忘れもしない。1997年の暑い夏にテアトル新宿で映画「鉄塔武蔵野線」を見た 。印象的なエスニックの音色のイントロから始まるおおたか静流の「SAJA DREAM 」が、ジリジリと焼かれた頭の中を何度も駆け巡って止むことがなかった。誰かと気持ちを共有したくて会社の同僚に勧めたが、陽炎立ち上る真夏の少年の気持ちを共有してくれなくてガッカリした覚えがある。まるでアキラに「帰ろう」と言われた見晴の裏切られた気持ちのように…。

 映画化から4年後の2001年の夏にようやく文庫で原作を読んだ。かつて読んだことのない鉄塔を題材にした物語は確かに面白かった。著者の無類の鉄塔オタクぶりは、見晴たちが遭遇する個性的な鉄塔たちの分類に如何なく発揮されている。例えば、3本が一組になる送電線をつなぐために鉄塔からは3つの継手が横に出ているのが基本だ。継手と電線を絶縁するために碍子という棒状の連結部品がある。この碍子が前と後ろに開いているのが「女性型鉄塔」で、下にぶら下がっているのが「男性型鉄塔」だと著者は名づける。鉄塔に性別があるという着想自体がユニークだ(しかしその理由もかなりユニークなのだ)。

 それ以外にも、電線を前後に送らずに急角度で曲げる場合は鉄塔の左右対称がくずれて変な形になることが多いので「婆ちゃん鉄塔」と呼ぶ。さらには別系統の電線を繋ぐための継手を増設したりした鉄塔は、なにやら〈仮面ライダーの世界〉を思わせるように「改造鉄塔」と名付けている。婆ちゃん鉄塔だらけの真賀田変電所周辺の謎に対して、68号鉄塔と69号鉄塔の間にあとから変電所を作ったので、送電線を迂回させるために婆ちゃん鉄塔が取り囲む事になったという見事な推理を見晴に語らせている。圧巻は、並外れて長身で紅白に塗り分けられている「怪獣鉄塔」だ。あまりの異形さに幼いアキラが思わずそう叫ぶのだ。

 見晴とアキラの冒険の決まりごとは、武蔵野線の鉄塔を番号が若い方へとさかのぼっていくこと。鉄塔の4つの足場で区切られた正方形の領域「結界」の中心に、王冠をつぶして作ったメダルを埋めていくこと。そして1号鉄塔の先にあるはずの〈原子力発電所〉を探索すること。これだけだ。

 だが冒険を魅力あるものにしているこれらの決まりごとを、容赦ない真夏の日射しと道なき武蔵野の田園が阻もうとする。ここが本書の面白さの核心であり、それは映画でも変わらない。ただし、映画では次から次と姿を現す鉄塔たちをモンタージュすれば見晴やアキラの憔悴は十分伝わったが、原作では1本も跳ばすことなくすべての鉄塔との格闘を描写していく。そのせいで、どうしても中盤の読書が中だるみしてしまう。

 特にアキラの自転車のパンクを直した直後の38号鉄塔から33号鉄塔までの記述は単行本にしてわずかに5ページしかない。そのあいだに鉄塔の写真が20枚近く挿入されているので、書く方の律義なこだわりに読む方が付き合わされているようにも思えてしまう。

 では何故著者は物語に必要な鉄塔だけを描いて、いらない鉄塔を省かなかったのだろう?

 答えは簡単だ。「いらない鉄塔」などないからだ。こうも言える。本書は「鉄塔を題材にした物語」ではない。「鉄塔を語るために作られた物語」と言った方が正確だ。

 そう考えると文庫版の書評で書いた「映画と違って何故4号鉄塔から1号鉄塔まで見晴自身でたどらなかったのか」という不満も言い掛かりに過ぎない事がわかる。見晴が一人で最後までたどるかどうか、それが亡くなった父への郷愁なのかどうか。そんな事は「鉄塔を語る」というモチーフの前にはどうでもいいことなのだ。映画の呪縛が長く解けずにいた僕には、それがなかなか理解できなかった。

 実は原作にも問題がないわけではない。昨年初めて単行本を読む機会があり、その際に単行本と文庫との違いをそうざらいした。文章の一部挿入や結末の大幅削除によって文庫版は中途半端な印象を与える事は文庫版の書評で書いたが、それ以外に鉄塔の写真やレイアウトの大幅な変更をおこなっている。これらの変更を詳しく調べているうちに、「鉄塔を語る」うえで写真が重要な位置付けにある事に気づいた。しかも単行本・文庫いずれにしても写真の扱いに問題がある事も分かった。

 単行本には全部で342枚もの写真が使われている。文章の途中に挿入されるか、あるいは頁上部に余白を多めにとって配置されるので、読者は鉄塔の姿かたちを確かめながら物語を読み進めることができる。ただし写真はモノクロだし小さい。「怪獣鉄塔」の紅白や「女性型鉄塔」を特徴であるジャンパー線のふくらみなども写真からはよく見えない。この点では、文庫の方が何枚か鉄塔の拡大写真を掲載しているので、女性型・男性型の違いや碍子連の形状などが見やすい。先ほど書いた真賀田変電所と婆ちゃん鉄塔の位置関係は、写真ではなく図を新たに入れるなどの工夫をしている。

 しかし文庫の良いところはここまでだ。単行本以上に制約が多いため、同じ数の写真を同じ配置で掲載することはかなわないのだろう。「武蔵野線全鉄塔」と題して〈鉄塔・結界・番号表示板〉の3枚一組の写真を巻末に集めて並べている。趣向としては悪くない。ただし、単行本では文章と写真とで立体的に構成されていた鉄塔の臨場感が、文庫版では失われてしまった。

 さらに言うと全鉄塔の3枚一組の写真では臨場感を再現しきれていないのだ。単行本では「結界から直前の鉄塔を見る」と「結界から次の鉄塔を見る」の2枚を加えた5枚一組で1本の鉄塔の風景を再現している。昔の素朴なアドベンチャーゲームのように前後に視線を切り替わるアイディアは面白いが、そうなると342枚では数が合わない。武蔵野線の鉄塔は81号まであるので、それだけで400枚を超えるはずだ。

 鉄塔以外に変電所などの写真も掲載されているから、5枚の写真をすべて載せていない鉄塔がかなりあることになる。ひとつの理由として、342枚もの写真を一般の小説に載せるという事が破格であるということが言える。もうひとつは先ほどの38号から33号のように1本の鉄塔の記述が短いと写真だらけのページができてしまうということ。さらには、僕が最初に感じたように、ドラマもないのに鉄塔一本一本の描写につきあわされるのがかったるいと感じる読者への配慮だ。〈結界から見える前後の鉄塔の写真〉などは省略しても構わないと出版社側が判断した可能性は高い。

 しかしこの夏に再読して思ったのは全く逆のことだ。映画の記憶から離れて改めて単行本の文章を読むと、鉄塔に関する文章は飽きを感じさせない。記述が短い鉄塔にしても、前後の鉄塔との違いを微細に語って尽きることのない著者のイマジネーションに感心してしまう。残念なのは単行本の写真では物足りないという点だ。減らせばスッキリするのではない。現地に同行して案内して貰っているかのような臨場感を得るにはあまりに鉄塔が小さく、色彩に乏しく、そしてすべての鉄塔の風景が揃っていない。まさにそこに原作の問題点がある 。

 もうすぐ僕ら〈鉄塔武蔵野線〉ファンが心待ちにしている新刊がSB文庫から出版される。「本の雑誌」8月号掲載のインタビューによると案の定、著者は単行本の写真には不満で、今回の再出版にあたっては出版社にオリジナルの原稿を見せて「こういうのをやりたい」と熱く語ったらしい。結果として文庫にもかかわらず500枚を超える写真が掲載されることになった。「小さいですけどね」とまだまだ本意ではないところもありそうだが、文庫として〈完全版〉を目指した著者の野心は期待したい。

 気がかりがあるとすると、今回の新刊の底本は単行本・文庫のいずれになるのかという点だ。オリジナル原稿(文章と写真)の再現を目指したという事であれば単行本が底本になりそうだし、僕自身もそれを期待したい。その理由も含めて単行本版と文庫版の文章の違いを最後に検討してみよう。大きく分けて以下の3点が文庫版との違いになる。正確に言えば、映画に触発された著者が、文庫化にあたって単行本版から変更した箇所だ。

(1)第33号鉄塔探索にアキラより幼いヤスオという子供が同行する。(文庫P.173〜P.182)

(2)ゴルフ場を追い出された直後に、見晴は挫折感から13号鉄塔を目の前にして国道を走るバスに乗って帰ろうとする。(同P.226〜P.228)

(3)日向丘変電所の地下に〈地球鉄塔〉が隠されているという極めてファンタジックな描写が削除された。(削除箇所および追加箇所は同P.268〜P269)


 これ以外に本文に変更は見当たらないので、物語の大筋は単行本と文庫で変わらない。ではこれらはどういった意図で追加・削除されたのだろう。

 実は今回の書評を書き出すまで(1)の変更の意図がどうしても分からなかった。ヤスオという新たな登場人物を用意して、たかだか1本の鉄塔の探索だけに同行させる。これに何か伏線があるかというと何もない。エンディングで4号鉄塔から1号鉄塔へと遡る見晴が黒塗りの車の窓越しにヤスオらしき人影を確認するだけだ。

 そこで思い当たったのは、ヤスオが同行する33号鉄塔が一つ一つの鉄塔の描写が短くて写真がたてこんでいた箇所にあたるということだ。しかも僕が最初に読んだ際に中だるみしてしまった、まさにその部分なのだ。中だるみの原因は38〜33号鉄塔をたどる数ページにドラマらしいドラマがなくて鉄塔の説明に終始しているからだった。しかも文庫では写真すらない。ならばと、著者はここに〈小ドラマ〉を用意したのではないだろうか(ちなみにヤスオは映画には登場しない)。しかし中だるみの真の原因は先にみてきたように写真の問題に帰するのが正しい。そうであれば(満足のいく写真が挿入されていれば)、ヤスオのエピソードは蛇足に過ぎない。

 (2)は映画オリジナルの演出に従っている。伊藤敦史演じる見晴はカントリー・クラブを追い出されて、ショックのあまり思わずバスに乗ってしまう。なるほどこのシーンはエモーショナルなシーンで、著者が原作に取り入れたくなる気持ちはよくわかる。確かこのシーンではなかっただろうか。原作にもある見晴の名独白が観客の胸を打つ。

 
鉄塔を見たい、鉄塔の足許に行きたい、鉄塔の結界に入りたい―そうわたしは願っているだけなのに、何故さまざまな柵や塀や壁が行手を遮るのでしょう?


 これは原作にある見晴の独白だが、映画の独白では〈無理解な大人たち〉も行手を遮る対象として加えられていたような記憶がある。そのいじらしいまでに切ない願いがひしひしと観る者に伝わってくる。とっても良いシーンなので文庫版の変更で唯一許せるところだ。

 (3)の大幅削除については、単行本と文庫を読み比べた事がある読者には賛否両論あるような気がする。その是非を問うには、やはり文庫版書評で提起した「映画と違って何故4号鉄塔から1号鉄塔まで見晴自身でたどらなかったのか」という疑問から始めなければならない。

 映画版の物語と結末を良しとする者(以前の僕)にとっては、4号鉄塔から1号鉄塔までを自らたどらないと見晴の成長物語は完結しないと思える。だとすると変電所に着いてからの見晴たちと所長との交流場面だけを削除しても意味はない。所長の招待に応じて黒塗りの車に乗った時点から、以降の物語は原作オリジナルのファンタジー(白昼夢)になってしまうからだ。映画とは物語が違うのだから結末は変えようがない。

 その上でなお、単行本の結末が冗長だという指摘はありうる。なにしろ黒塗りの車が見晴の自宅を訪れるところから見晴の白昼夢(ファンタジー)は始まり、81号鉄塔から1号鉄塔まで逐次遡っていき、所長から日向丘変電所が原子力発電所ではないと言い渡されるまでで見晴の夢見る結末はすべて果たされている。さらに言えば、著者の目的が「鉄塔を語る」事にあるという点でも、変電所構内にある1号鉄塔の結界にメダルを埋めたところで終わるのが妥当だと思う人もかなりいるだろう。

 文庫の解説でも「なるほど冒険の結果が…報われるくだりは、いっそはじめから割愛した方が、小説のテーマを際立たせるためにはかえって得策だったかもしれない。」と、解説者は結末の大幅改訂に無条件に賛同している。言わせてもらえば、こういうのを〈大人の言い分〉というのだ。鉄塔の存在を発見した文学性は評価するが、テーマから逸脱した〈地球鉄塔〉のくだりは著者の脱線だといとも間単に退けている。

 映画のモチーフに引きずられた著者が、現実から大きく逸脱しすぎて見晴の白昼夢におさまりにくい〈地球鉄塔〉のエピソードを割愛しようと決めたのは、おそらくこのような〈大人の言い分〉に自ら説得されたからに違いない。

 しかし単行本にあった〈地球鉄塔〉のエピソードをすべて削ってしまうのは惜しい。所長が何度もクビになりかけながら仕事の合間に鉄塔のパノラマを作り続けてきたことや、ホットチョコレートに酔ってイタズラで日向丘変電所一帯の停電を引き起こすことや、最後に武蔵野線全鉄塔が電線を含めて光に包まれるところなどは、〈小説のテーマ〉などというつまらぬ言い分抜きでイマジネーションに満ちたファンタジーだと言える。惜しむらくは〈地球鉄塔〉の原理を説明するためにあまりにSF色が強くなってしまった点だ。現実に存在する鉄塔たちと〈地球鉄塔〉を切り結ぶのは、あくまで子供らしいロマンティックなつじつまでもよかったのでないか。その点を除けば全部削除してしまうのは、僕は反対だ。

 さて、なんとか新しい文庫の出版に間に合った。これで現時点で観たり読んだりできる3つの「鉄塔武蔵野線」についてすべて検討したし言いたい事はとりあえず言い尽した。4つめの「鉄塔武蔵野線」はどんな姿になって僕らのもとに帰ってくるのか。今から本当に楽しみだ。

(参考)
 鉄塔武蔵野線(新潮文庫版) 銀林みのる
 「鉄塔武蔵野線」あるいはもうひとつの「電車男」

(関連作品)
 



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posted by アスラン at 01:16| Comment(1) | TrackBack(1) | 鉄塔武蔵野線 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
突然のコメント失礼いたします。
ブログ拝見しました。とても素晴らしいブログですね。
これ、作るのすごい時間かかったんじゃないでしょうか?
内容も充実してますし、ブログ作るのも大変ですからね。
私もブログ作っていますので、ブログ作りの大変差も楽しさも
わかってます。すごく良いブログだったので、思わずコメント
してしまいました。また、じっくりと過去の記事なども読ませていただきます。
Posted by ナンパ師 at 2007年09月16日 14:34
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