2007/09/09(土)
今日は久しぶりに自宅でノンビリする時間があったのでDVDレコーダーに録りだめしてあった番組を見た。なにしろ録っても見る暇がない。暇がないのに見たいと思ったら録ってしまう。これって積ん読本とまったく同じじゃないか。
積んどいた番組でも保存版にするつもりで消せないものもあるし、保存するにしても映画などは1本でDVDメディアを一枚ずつ消費してしまうし、たとえメディアはあってもいったん退避してしまうと積んどく度(見なくなる度とも言う)が高くなってしまうこともあって、なかなか録りだめが減らない。見たら消すつもりの番組はなおさらメディアに退避するのはおっくうだ。ならばとにかく「見たら消す番組」からずんずん見ていくしかない。
音楽番組は何かしながらでも見られる(聴ける)ので、そこから手をつける。見ると「吉田拓郎&かぐや姫inつまごい2006総集編」がなかなか手付かずで残っているし、BSフジで撮った「今井美樹20周年記念プレミアムライブ」は全部見たら消せるはずが、途中でムッシュかまやつがゲストで出てきて名曲「20才のころ」をディエットしたのを聴いたら消しがたくなった。
同じく昨年末の小田和正の「クリスマスの約束」だって見たら消す覚悟だったのに、遅ればせながら年を越してゆっくり見てみると、いつになくゲストがよくて小田和正自身も張り切っていて見ごたえがあった。松たか子とのデュエットもよかったが何といっても斎藤哲夫とのセッションが圧巻だった。「今の君はピカピカに光って」のCM曲のイメージしかなかったので、あんなに繊細な詩としなやかで魅力的な歌声が出るシンガーだと今まで気がつかなかった。「グッドナイト・ミュージック」は最高だった。斎藤の「いままで歌ってきて本当によかった」のひと言が胸を打った。その後に続く親子のような年の差のスキマスイッチと小田和正との曲作りのドキュメントは、斎藤由貴の絶妙なナレーションもあって面白い。〈遅ればせ〉ばかりで情けないが「絶対少年」にもしびれた。で、結局消せない。
本日見たのは消せるものばかり。BS「フォークの達人・泉谷しげる」(いったいいつのだ?)は、暴力的なボーカルとハニカミを交えたひとなつっこさが変わらない泉谷の曲を久々に聴く。とくにファンでもないが、むかし高校の友人の家でよく聴かされた。「旅立て女房」みたいなナンセンスソングやボソッとつぶやくように心情を吐き出す「眠れない夜」などが印象に残っているが、真面目に今回聴くと、やっぱり照れ屋で根は真面目な性格が反映した非常に優しい曲がほろっとさせる。
続いてNHKスペシャル「松田聖子」。こちらは歌番組のつもりでは聞けず。要するに女性が社会進出するようになった1980〜1990年代のさきがけ的存在だった彼女の生き方を分析したドキュメントだ。ライブにくるほとんどが30代、40代の女性で、松田聖子から社会で生きていく際の希望や自信を得ているところにフォーカスしていた。
僕自身、学生時代に松田聖子はよく聴いていた。ファンというよりは楽曲のよさと伸びやかな歌声が好きだったので、アイドルとしての当人はどうでもよかった。その頃は斎藤由貴がマイアイドルだったし。でもその後結婚して子供を産み、女性誌に叩かれ続けた時も、僕にとっては好きな歌手でありつづけた。同い年ということも彼女の肩を持ちたくなる理由のひとつだ。同級生であるかのように応援したくなる。松田聖子は僕らの世代の誇りと言っていい。
そしてようやく映画「電車男」だ。消す一方とはいかず、こういうものも思わず録ってしまう。前にテレビドラマの「電車男」の感想記事で、山田孝之の〈電車男〉は「ヲタクの皮をかぶせただけ」ではないかと書いた。もちろん映画だけでなく舞台や漫画などほとんどがそうで、ドラマの伊藤敦史が唯一例外だったと言いたかった。
子供に「きかんしゃトーマス」などを録ってあげる必要からBSフジをなんとなく見る機会が増えて、見るつもりも録るつもりもなかった映画「電車男」の出だしをつい見てしまった。
やっぱり山田版〈電車男〉は変だ。着膨れさせてブカッコウなメガネをかけてオドオドさせる。まったくオタクのイメージに近づかない。大杉漣の酔っ払いはなかなか良いが、テレビの泉谷しげるがあまりに強烈だったので物足りない。まあ、脚本と演出の責任が大きい。
子供を風呂に入れてから再び見ると〈電車男〉が化けてる。いや、山田孝之に戻ってる。どう考えても山田と中谷美紀の普通のドラマになってる。でも山田ばかりを責められない。中谷美紀は少々大人の女性過ぎないか。確かに〈エルメス〉は中谷美紀似だと、現実の〈電車男〉はスレッドに書いている。だからと言って中身も中谷本人でいいわけではないだろう。シャレとしては面白い配役だったが、あそこまで年の差と精神年齢の違いを見せつけられると、かなり現実離れしたラブロマンスに見える。そもそも最後に〈エルメス〉にもオタク的素養があることが明かされるはずだが、映画ではまったく触れられていない。
そんな不満を抱えつつも観てしまうのは、やはり元々の話の持つパワーだろう。エルメスと二人っきりで食事をするために予約した会員制のスペースが手違いで使えずパニックになる〈電車男〉が、エルメスを置いて慌ててインターネットで仲間の指示をあおぐシーンは映画オリジナルの演出だが、なかなかじれったくて良い。
子供を寝かしつけるので残りは録画。そして観終わったのが今日。ドラマ版と違って2ちゃんねるのスレッドの臨場感を再現することをあきらめた脚本は、大甘な現実離れしたファンタジーとして電車男とエルメスのロマンスを描いた。その代わり、バランスをとるように、電車男をサポートするスレッドのみんなの抱える一人ひとりの事情が妙に現実的で生々しい。
クライマックスは秋葉原電気街ど真ん中での人目もはばからない告白シーン。ファンタジーとしては精一杯の演出だ。だが、〈エルメスが電車男を〉と言うより、中谷が山田を子供扱いして「頑張って!」と励ますところに、ファンタジーにもロマンスにもなりにくい中途半端さを感じた。
もちろん、こんな事はあらかじめ予想されていたので長々と書く必然はなかったのだが、ラストでちょっとした監督のいたずらがあって、それに触れたかった。
エンディングの電車の中で並んで座る電車男とエルメス。既に恋人となったのでタメグチをきく電車男。次の瞬間、エルメスと出会うまえの電車男が寝入った幼稚園児に寄っかかれながら彼女が落とした定期を拾ってあげようとする場面に切り替わる。これは冒頭に描かれたシーンの再現。
そっと渡そうとして園児に驚かれ、電車男は思わず途中下車してしまう。ところが園児は隣に座る女性に定期を渡す。それがエルメスなのだ。この場面をあっけにとられて観た人も多かったのではないか。少々わかりにくい演出だったから。
要するに二人は最初から〈赤い糸〉で結ばれていたと監督(あるいは脚本家)は言いたいのだ。結ばれるべくして結ばれたのだと。なかなか粋なシーンだが、僕が監督のいたずらだと言うのはモトネタがあるからだ。香港映画「ラブソング」のエンディングをそっくりいただいてる。
すれ違いを重ね十年の時をへだててドラマチックに再会する主人公二人は、そもそも大陸(中国)から香港にやってきた列車で隣りにいて、互いに寄りかかって眠っていた、というのがエンディングだった。監督ピーター・チャンの狙いはドンピシャで、湿りがちな二人の紆余曲折を観客の笑顔で締めくくる粋な演出だった。「電車男」の方はドンピシャとはいかなかった。けれど映画好きだけには分かる〈いたずら〉と考えれば悪くはない。
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誤解があるかもしれないので敢えて長々と書きますが、僕は中谷美紀が伊東美咲よりエルメスにふさわしくないという比較をしたつもりはありません。
ドラマ版の「電車男」の成功は、オタクらしさを発揮できる伊藤敦史をオタクそのままに描いた演出の妙と、オタクを題材にするリスクを回避するためにあえてエルメスをもう一人の主役に据えたテレビ局のしたたかさにあると以前書きました。
それに対して映画版の「電車男」は配役についてとっても安易な選択をしたか、あるいはかなり危険な選択をしたのではないかと考えています。
〈安易〉という意味は山田〈電車男〉に中谷〈エルメス〉という狙いどころを考えれば納得されるかは置いても私の言わんとするところは本文から分かると思います。
もう一つの〈危険〉というのは、中谷似のエルメスを中谷美紀に演じさせて、はたして監督みずからの考えるエルメスを創造することができたのかということです。役者・中谷美紀のイメージを超えられなくなる危険性が高くなるわけですから。
僕は映画版を不当に貶める意図はありませんが、やはり配役も演出も難しい選択をしてしまったなあという感想を持ちました。