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    2026年01月14日

    漱石全集を買った日: 古書店主とお客さんによる古本入門   山本 善行、清水 裕也(夏葉社)

    漱石全集を買った日.jpg こんな世界があって、こんな人がいるんだ。正直、ビックリした。当たり前の話だが、本を読みたい人、文章を書きたい人、日本語を読みたい人、日本語(詩や小説など)を書きたい人、読みたい人、そしてそして、何よりも売りたい人がいる事は知っているし、理解できる。
     だが、古本を買いたい人がいる、そういう世界がある事には気づいていなかった。「本を買いたい」には売りたい(商売にしたい)、蒐集したいがつきものだと思っていたのだが、どうやら、それとは違った世界に生きている人がいる事に、この本は気づかせてくれた。

     僕は好きな作家の作品を読みたいから買う。時には好きな作家の作品を蒐集することはあるが、ただ「買う」という事はない。だが、本書の著者たちは、ひたすら「買う」。そこに「本を買いたい」につきものの何かはない。いや、何かがあるとすれば本への愛情、古書店への愛情だろう。だから、様々な古書店を巡り、時に地方にわざわざ出向いてまで本を探す。
     驚いた事に、均一台(古書店の店舗前に置かれた安価な古本の台)から、欲しい本以外にも愛情をこめて数冊の本を拾っていく。本好きとして共感はできるが、理解はできない。でも何か文句があるわけでもない。ただ、本好きとして生きていってほしい。おそらく、こういう人たちの多くが僕ら「読みたい」人間の楽しみを支えてくれているのだろうから。

     正直言って紹介されている古書店のひとつも知らなかったし、扱っている小説や詩のほとんどが読んでいない。なので大変申し訳ない事ではあるが、面白くはなかった。要するに「本を読みたい」人にはマニアックすぎるのかもしれない。
     もちろん、彼らも本を読まない訳ではない。読まないどころか、圧倒的に本を読むのだ。ただ、それは僕とはまったく違う目的、違う欲望を原動力にしている。自らを「病気」だと位置づけている所以である。

     本書で唯一楽しめた文章は、あとがきにかえて書かれた著者・清水さんの小文だ。ある古書店で勧められた地方紙を買って帰ると、あるはずの詩の一頁が破り取られていた。そのことが本の瑕疵ではなく、あるべき形として受け入れる事も古書を買う事の楽しみだと言っていい。そう思いつつ、今回は詩を読んでみたいという気持ちもあって、代わりの古書があるか確認して交換してもらったというエピソードだ。そこには理解しがたいが、圧倒的な共感が感じられる続きがあるのだが、それはミステリの言わばネタバレになるので、そこまでにしておこう。

     それとは別に、何故この本を読むにいたったかを是非書いておきたい。タイトルに「夏目漱石全集」が出てくるので興味をもったからだが、著者(清水さん)が購入した「筑摩全集類聚 夏目漱石全集」を僕自身も購入していたからだ。僕の場合は、若い頃に作家の全集を買っておくべきだと思い、「太宰治全集」と「漱石全集」を買っておいた。太宰は高校生の頃にのめり込んだし、漱石は読書感想文のために読んだ「こころ」がはいった全集を買っておこうと思ったというくらいの思い入れだった。
     ところが、清水さんは、人生とは何かについて答えてくれる考えて購入してひととおり読んだ。そして、全集には「答え」は書いてない事に気づいた。「自分自身から逃げようとしても、逃げられるわけではない」という事を思い知らされた」。するとぽっかりと穴が相手しまった事から本を読むようになり、古書店を歩きまわるようになった。

     僕は結果的に購入した全集ではなく「ザ・漱石 全一冊」を買って、まるまる一冊読み通した。そして穴が充満して満たされた。ますます漱石にのめり込んだ。漱石の愛読者になったし、漱石から多くのものを受け取った。その分岐点に僕と清水さんは別々の方向に足を踏み出したのかもしれない。そこだけは共感も理解もできた。
    posted by アスラン at 03:02| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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