『黒死館殺人事件』でミステリ界に知られる作家・小栗虫太郎。おそらく読んだのは本作が初めてだろう。1933年に執筆し、甲賀三郎の推薦も得られて、雑誌〈新青年〉に投稿予定だった横溝正史の代わりに採用されたという。1933年というと、横溝が〈新青年〉の2代目編集長を務めながら『蔵の中』のような美文調の耽美小説を書いていたが、ついに〈新青年〉は廃刊。自身も肺結核で死を自覚して長野県で療養生活に入る時期にあたる。乱歩は、明智小五郎もののように本格推理小説を指向する小説と、怪奇趣味を押し出した小説を書き継いできたが、限界を感じだした頃だ。そんな中、華々しく登場したのが小栗虫太郎という規格外の才能の持ち主だった。
と、分かったような事を書いているが、ほとんどWikipediaの受け売りだ。目的は日本の推理小説の3大奇書として名高い『黒死館殺人事件』という高峰を登るための足慣らしだ。幸いな事に角川文庫版にはデビュー作『完全犯罪』と『黒死館殺人事件』の二作が収められている。驚いた事に、『黒死館』は『完全犯罪』発表の翌年(1934年)に、同じく〈新青年〉に発表している。才能の出口を与えられて、一気呵成に書きあげたという感じだろうか。
正直、自らの体調のせいで頭が回らない事もあり、なかなか頁が進まない。独特な言葉の使い方をしていて、単に漢字書きが多いのではなく、ルビを漢字表記に直していると言った方が正しいか。「遊撃(ゲリラ)」「轍音(きしり)」「碧空(あおぞら)」などなど、自由自在なかき回しに慣れるには、かなりの労力を必要とする。それに加えて、博覧強記と化したペダンチズムが僕ら読者を圧倒させる。例えば「八仙賽(はっせんさい)」は道教の八人の仙人を元にして創造された街の名前だ。どこからが著者の創造の産物か分からないのと、そもそも何故道教なのか八仙なのかが分からないという、ペダンチズムの魔に取り付かれてしまうというわけだ。
しかし、最大の問題はニヒリズムで充満された登場人物たちの抱える世界観であり、それに伴う不可解趣味だ。探偵役として割り当てられたソヴェートのザロフ指揮官と他の首脳たちが人類学者ローレル教授の娘エリザベスの住まいに投宿した際に、下士官のためにどこからか連れてこられた山ほどの娼婦たち。それを「官能が空腹を感じた時に与える食糧」だと平気で差別的発言をし、さらにその中の一人が殺された事件を、あたかもクイズか何かのように首脳たちが競う。
現代ならば決して出来ないような振る舞いをし、蔑視的発言を繰り返す首脳たちには、著者による一種の統制・操りが感じられる。もっと言えば、戦争という時代背景がなければ決して扱えない題材を、戦時下という背景が描かせていると言えば、著者を擁護しすぎだろうか。僅か80頁からなる中篇に、長篇一冊分の労力と時間をかけてたどり着いた結論と動機を最初に読んだ時には、何を言っているのか皆目わからなかった。
何度か読み直して「なるほど、この結論と動機に着地するために、あのような差別的な発言を繰り返す必要があったのだな」と理解できた。理解はできたが、納得はできない。したくないというのが正直な感想だ。とにもかくにも、『黒死館殺人事件』を読む足慣らしはできた(できたと信じたい)。
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2026年01月11日
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特に女性差別思想については、昭和戦後のミステリを読んでも「うわあ」となるものが多々あるので、そのへんはある程度切り離して読まないと、げんなりさせられるだけの、労多くして、の読書になってしまいますね。
そして優生主義については、黒死館でも尾を引いていますから、その点どうぞ心の準備を。自分はあの作品を大変好きですが、無論のことロンブローゾの生来犯罪者説を信奉しているわけではありません。
近年も多様化の名の下に、かつては名作、名匠とされた作品や作家が糾弾される事に否定的であるにも関わらず、アンビバレンツな思いを持たざるを得ない。難しいです。『完全犯罪』は無邪気な思想は正されるべき(もはや正せませんが)で、根幹にある作風は評価されるべきだと考えます。
体調が良くないのでなかなか進みませんが、今のところ非常に好感触な作品です。