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    2025年10月31日

    エラリー・クイーン『ローマ帽子の秘密』を散策する(その2)

     (その1)ではgoogleマップを駆使してクイーン父子の動線を追う事で、「パズラーに無縁なものは何一つない」(『エラリー・クイーン パーフェクトガイド』)事を検証した。だが、実は「パズラーに無縁なもの」はちゃんと存在しているのだ。それは、論理的な推論を語るときには饒舌なエラリーが、ときおり話の腰を折るように口を突いて出てくるペダンティックな知識だ。
     エラリーの小生意気な態度から皮肉が込められている事は十分に伝わってくるのだが、何を言わんとしているかを理解している者は、父を含めて作中には誰もいないのではないか。当然ながら読者さえもがついていけない。まさにペダンティックな趣向を言葉の端々に織りこんで相手を煙に巻いている。これが「パズラーに無縁なもの」である事は明らかだろう。しかし、著者エラリー・クイーンにとっては必要不可欠な趣向だったはずだ。なぜなら、当時の彼らにとっての「パズラー」イコール「S・S・ヴァン・ダイン風のパズラー」だったからだ。

     では、〈ヴァン・ダイン風〉とはどのようなものだったか。1923年にデビュー作として出版された『ベンスン殺人事件』から引用してみよう。『ローマ帽子』も新訳なのにあわせて、『ベンスン』も新訳(日暮雅道)の文章を用いる。ちなみに探偵はファイロ・ヴァンス。ヴァンスの法律顧問を務め、小説の語り手でもあるのがヴァン・ダインだ。探偵の相棒役と著者とが同名なのにインスパイアされて、作家エラリー・クイーンは著者と探偵とを同名にした。クイーンの小説が三人称であるのとは違い、ヴァン・ダインの小説は一人称であり、ヴァンスの言葉だけなく、描写や解説をするヴァン・ダインの言葉も、ともに著者のペダンティック趣味が色濃く反映されている。(翻訳の丸括弧内は訳注である)。

    [翻訳](1章P.13)前日の午後、ヴァンスはヴォラール(印象派絵画の蒐集で知られる、パリの画商)のセザンヌ水彩画コレクション内覧会を見にケスラ−画廊へ出かけたのだが、(略)
    [翻訳](1章P.17)「このヴォラールって男だが」ヴァンスはずいぶんたってから口を開いた。「芸術を畏敬してやまないこの国に、ずいぶん気前のいいところを見せてくれたんだな。所有しているセザンヌの中でも、なかなか悪くないコレクションをこっちへ送ってくれている。きのうはそこそこ感心しつつも、なにしろケスラーに目をつけられていたから、つとめて平然と拝見したんだがね。今朝画廊が開いたらすぐに、きみに買ってきてもらいたいものにしるしをつけておいたよ」
     新訳では人名などの直後に簡潔な訳注が挿入されている。日本の読者がとまどわないようにという配慮なのだが、ペダンティック趣味の単語が多数羅列されている場合には、訳注が文章の流れの邪魔になる。あるいは、せっかく勿体ぶって書いているのに、訳注を挟む事でペダンティックな雰囲気が損なわれてしまう。そもそも本国でも「ヴォラール」を知っている人が少なかったとしたならば、わざわざ訳注を挿入する意味があったのかも疑問だ。
     いずれにしろ、著者S・S・ヴァン・ダインのペダンティックな趣向の原点は、彼が美術評論家ウィラード・ハンティントン・ライトだという事にあった。評論家としては大成しなかったライトは、美術や哲学に一家言ある事をヴァン・ダイン名義のミステリの中で表現しようとしたのだ。

    [翻訳](5章P.77) ヴァンスはものうげに言い訳した。「いやいや、ヴァン、僕は感情的に、いや、最近は言葉の使い方が間違っているほうの人間的になるつもりはないよ。テレンティウス(ローマの喜劇作家)に同調して、『私は人間だ。人間に関して私に無関係なことは何ひとつない』なんて、僕には言えないな。(略)」
     ヴァンスが常日頃とは違ってベンスンの殺人事件についての新聞記事を読みあさっているのに、ヴァン・ダインが驚きを示す場面。日国によると、テレンティウスは「古代ローマの喜劇作家。カルタゴ生まれ。」で、「私は人間だ。人間に関することは他人事とは思えない」などの名句を残したそうだ。また、ニッポニカによると、この句を「カール・マルクスが終生の信条とした」と書かれているところを見ると、単にトリビアな知識をひけらかした訳ではなさそうだ。

    [翻訳](5章P.79) (私注:地方検事マーカスに向けて)「やあ、リュクルゴス(紀元前九世紀ごろのスパルタの立法者)君」と、ヴァンスが迎え入れる。
     日国によると「古代スパルタの立法者。スパルタの国制や生活規定を定めたといわれる。伝説的な人物とする説もある。」と書かれている。古代ローマやギリシャの偉人については、僕を含めた多くの日本人にはなじみがない。だが日本人が中国の偉人を知るように欧米人にとっては当たり前のようになじみがある名前なのかもしれない。あるいは欧米の知識人しか知らない名前かもしれない(こちらの方がありそうだ)。

    [翻訳](1章P19) 東三十八丁目にあるヴァンスのアパートメント(略)は、東洋と西洋、古代と現代の稀少な美術の実例で埋め尽くされているものの、決して詰め込みすぎとはなっていない。絵画は広くルネサンス以前のイタリア美術からセザンヌやマティスまで、オリジナルの素描コレクションの中にはミケランジェロからピカソのものまで広範囲の作品がちりばめられていた。ヴァンスの集めた中国の版画は、この国随一のすばらしい個人コレクションになっており、李龍眠(北宋の画家)、李安忠(南宋の画家)、高克明(北宋の中国画家)、夏珪(南宋の山水画家)、牧𧮾(南宋の水墨画家)らの佳品が含まれている。
     美術評論家ライトの面目躍如たるところは、このようなヴァンスのアパートメントの描写に現れる。専門家や好事家でもないと理解不能な中国画家の名前がズラズラと並び、次から次へとペダンティックな知識が盛りこまれる。「決して詰め込みすぎとはなっていない」とは言うけれど、このような文章が全編にわたって続くと、度を超しているとしか言いようがない。

    [翻訳](9章P.133)「(略)マーカム――それに、いい助言ってのはどれもそうだけど、しゃれた言い回しじゃないか。…まったくね、最後に頼りになるのは忍耐――ほかにどうしようもないとき、とるべき手段は忍耐だ。(略)忍耐は”悲しみの奴隷"であり、”形を変えた苦悩への特効薬"でも、"偉大な勇者の唯一の受難"でもある。ルソーは、『忍耐は苦いが、その実は甘い』と書いている。(略)ヴェルギリウスいわく、『すべての不運は耐え忍ぶことによって告白される』。ホランティウスもこの主題で言ってるな。『難しいが、訂正の不可能なものは耐え忍ぶことによって容易になる』」
     ジャン・ジャック・ルソーはフランスの作家にして啓蒙思想家、ヴェルギリウス(ウェルギリウス)は古代ローマ最大の詩人、ホランティウス(オウィディウス)はローマ帝政初期の詩人だ。美術だけでなく美学の評論家でもあったライトは、「忍耐」について一言物申すために、くどいほどの知識をひけらかす。
    ルソー La patience est amère mais son fruit est doux.(忍耐は苦いが、その実は甘い)
    ウェルギリウス Superanda omnis fortuna ferendo est, quoth Vergil.(すべての運命(不運)は、耐え忍ぶことによって乗り越えられる)
    オウィディウス Durum! said he, sed levius fit patientia(それは厳しいが、忍耐によって軽減される)
     くどいことはくどいが、原文をきちんと引用している点は評価できる。当初想像していた以上にペダンティックな趣向を律儀に盛りこんでいる。
         ♥♠♦♣
     ではエラリー・クイーンは、この〈ヴァン・ダイン風〉をどのようにアレンジしたのだろうか。それを一箇所一箇所見ていこうと思う。幸いな事にクイーンの小説は三人称の語り手を採用しているので、ペダンティックな趣向はエラリーの会話の中にしか現れない。

    [翻訳](2章P.44)「正直に言うと」エラリー・クイーンは休みなく視線を動かしながら言った。「こっちはお愛想を返す気になれないね。愛書家の至上の楽園から急に引きずり出されたんだから。あの店主からファルコナーの貴重きわまりない初版本を売ってもらえそうになったんで、本部にいる父さんから金を借りるつもりだったんだ。(略)」
     父クイーン警視からローマ劇場に呼び出された若き自信家エラリーの初登場シーン。ブリタニカ国際大百科事典によると「フォールコナー(Falconer, William)(1732-1769)はイギリスの詩人。スコットランド出身。船員として経験したギリシア海岸での遭難を歌った長詩『難船』(1762)などで知られる。インドへの航海途上で船が難破し、三十代の若さで亡くなった。」と記載されている。つまり、知名度としては海洋文学や18世紀の詩を専門とする一部の人に限定されるようだ。このような作家の初版本は入手がかなり困難だ。美術の専門家ではない二人の若者が選んだ道は「愛書家の探偵が活躍するミステリ」だった。後にフレデリック・ダネイは書籍収集を趣味とするようになったが、すでにこの頃から愛書家の素養があったのかもしれない。

    [翻訳](2章P.61)「わかった、フリント、待機するように」
     刑事は重い足どりで歩き去った。エラリーがゆっくりと言った。「若きディオゲネスがシルクハットを見つけてくるなんて、本気で思ってたわけじゃないだろうね」
     百科事典マイペディアによると、ディオゲネスは「古代ギリシアの哲学者。キュニコス学派の代表的人物。禁欲・自足・無恥を信条とし、因習から解放された自由生活を実践。」とある。奇行が多く「裸同然の風体、公衆の面前での性交、白昼に明かりを手に〈人間はおらぬか〉とよばわった」という逸話がある。サラッと書かれているが、かなり"ヤバい"哲学者だったようだ。当のフリントは「若くたくましい私服の刑事が…」「きみの若々しい筋肉を働かせて、腹這いでシルクハットを探してもらいたい。」(P.56)と描写されるように筋肉が自慢の刑事というだけだ。奇行が過ぎる哲学者にたとえるのは行き過ぎだろう。

    [翻訳](3章P.66)「大昔の肉屋の不幸な過ちを繰り返さないように用心してもらいたいな。四十人も弟子のいた親方が、いちばん大切な包丁を探して、みんなでそこらじゅうを引っ掻きまわしたあげく、包丁ははじめから親方の口におさまってたっていう話だよ」
     どうやら出典は中国の『笑府』などの笑話集らしい。これが19世紀末〜20世紀初頭に英訳され、ジャイルズ『Chinese Anecdote(東洋笑話)』の中の「Butcher and the Knife」として紹介された。念には念を入れて劇場内を捜索した方がよいという教訓話を垂れているのだが、エラリーの皮肉もたっぷりと込められている。

    [翻訳](3章P.75) ジェス・リンチはしばらく真剣に考えてから、言い切った。「十分くらいでした。(略)ぼくが瓶を持って劇場にはいったときには、女の子がギャングのアジトでつかまって、悪者にきびしく責められる場面になってましたから、十分くらいだとわかるんです」
    「目端が利く若きヘルメスよ!」エラリーはつぶやき、急に笑顔になった。
     頼まれたジンジャエールを被害者に手渡した時刻を売り子ジェスに確認した場面。ヘルメスは「ギリシア神話の神。商業、牧畜、旅人、盗みなどをつかさどる」。ただし、逸話が多く、日国・広辞苑の語釈を読んでも今ひとつ本文の説明がつかない。マイペディアには「アポロンの牛を盗んだ話、竪琴の発明、百眼の怪物アルゴスの殺害など、その機知と抜け目なさにまつわる多様な伝承がある。」と書かれているので、売り子をヘルメスと呼んだ理由がようやくわかった。

    [翻訳](4章P.92)「ささやかな幸運にも感謝しなきゃね」エラリーは微笑した。「ひとつの過ちは二十の過ちを生む」
     小悪党"牧師"ことカザネッリに「最後に(被害者)フィールドと会ったのはいつだ」と警視が質すと、思わず「モンティ・フィールドなんて知らない」と答えてしまう。その事を指して「ささやかな幸運」と表現しているのだが、「ひとつの過ちは二十の過ちを生む」の出典は分からない。日本語の「二度あることは三度ある」という格言と同じ事を表現したのかもしれない。二十の過ちとは少し誇張が過ぎるので著者の創作の可能性もある。

    [翻訳](7章P.153)「理性を失わないでもらいたいな、平和の守護者どの(ムシュー・ル・ガルディアン・ド・ラ・ペ)」エラリーは声をあげて笑った。
     エラリーが劇場の案内係マッジ・オコンネルから重要な証言を聞き出したと知ったクイーン警視は、自分が聞いたときには話さなかったと癇癪をおこす。直後のエラリーの台詞だ。ムシュー・ル・ガルディアン・ド・ラ・ペ(Monsieur le gardien de la paix)はフランス語で、それを直訳したのが「平和の守護者どの」だ。市民が警察官に対して敬意を込めて呼びかける際の言い回しらしい。
     この場面では、エラリーが敬意と愛情を込めて父に呼びかけているのだが、同時に自らの知識をひけらしているとも言える。警察官である警視には言葉の意味は伝わっているし、同時に著者クイーンはこの表現の意味が伝わる読者に意図的な演出を行っているとも考えられる。残念ながら日本にはこのフランス語は伝わっておらず、本来ならば原註が必要なところだ。

    [翻訳](7章P.155)「父さんはあれこれ考えて手いっぱいだったけど、ぼくはソクラテスみたいに突っ立ってればよかったんだから」
     エラリーは、演繹的推理を駆使して「犯人が逃走する事無く劇場にいた」事を証明してみせる。クイーン警視は「もっとしっかり考え抜かなかった」自分を卑下するが、エラリーは珍しいことに父をやさしく慰める。
     ここで引き合いに出されるのが、おなじみのソクラテスだ。マイペディアでは「世に盛んなソフィスト流の知や徳に異を唱え、〈無知〉の自覚(〈汝自身を知れ〉)のもとに、厳密な論理と方法とをもって真の知=徳に至る道を説いた。」と書かれている。これは弟子のプラトンがソクラテスの死後に書いた数々の文章で、師ソクラテスの教えを評価したからだ。
     しかしマイペディアでは、続けて「その哲学は、ソフィストたちの多様な意見や自由な主張の展開を、ことごとく〈知・無知〉〈知るとは何か〉という抽象的・根本的な問いに収斂させてしまうものであり、現代では西欧哲学の観念論・主知主義、悪しき知性主義の伝統の祖ともいえるとの批判もなされている。」とも書かれている。『ローマ帽子』執筆当時の著者がどのように考えていたかは分からないが、この場面のエラリー(ソクラテス)は「厳密な論理と方法とで真の知に至」ろうとはするが、クイーン警視(ソフィスト)のようには汗水たらして考えていないと自虐的に言う事で、父をなぐさめている。
    (続く)

    posted by アスラン at 01:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(エラリー・クイーン) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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