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    2025年05月12日

    The exorcist (William Peter Blatty)を読む(その2)

     チャイハナ(茶屋)から場面は変わって、遺跡からの出土品を管理する責任者の仕事部屋。原作には書かれていないが、発掘作業を取り扱う事務所もしくは博物館そのものの一室かもしれない。
    [原文]( プロローグP.5) The painstaking inventory was finished by ten after six. The Mosul curator of antiquities, an Arab with sagging cheeks, was carefully penning a final entry into the ledger on his desk. For a moment he paused, looking up at his friend, as he dipped his penpoint into an inkpot. The man in khaki seemed lost in thought. He was standing by a table, hands in his pockets, staring down at some dry, tagged whisper of the past. The curator observed him, curious, unmoving; then returned to the entry, writing in a firm,very small neat script. Then at last he sighed, setting down the pen as he noted the time. The train to Baghdad left at eight. He blotted the page and offered tea.

    [私訳] 出土品の目録作りは骨が折れる作業で、6時10分にようやく終わった。モスル遺跡の出土品管理者は頬がたるんだアラブ人で、最後となった出土品の記載事項を机の上にある台帳に慎重に書き入れていた。ふとペンを止めて目の前の友人を見上げてから、インク壺にペン先を突っこんだ。カーキ色の服を着た老人は心ここにあらずといった様子だった。テーブルの脇に立ってポケットに手を入れたまま、タグが付いてややそっけなく自らの過去をささやいている物を見下ろしていた。管理者は興味を持ってじっと友人を観察した。そして目録の記入に戻ると、とても小さくそろえた文字で整然と書き続けた。最後にため息をひとつつくと、時刻を書き入れてペンを置いた。バグダッド行きの列車は8時出発だった。管理者は吸い取り紙で余分なインクを拭き取り、友人にお茶を勧めた。
     writing in a firm,very small neat scriptという表現もずいぶん変則的だ。in a firm and very small neat scriptという並列関係になるところだろうか。初見では形容詞firmの直後に副詞のveryが出てくるのでちょっとドキッとさせられる。ブラッティの文章の癖に慣れてくればなんてことはないのだろうが、冒頭を読み出したばかりでは、変則的な書き方に「えっ?」と戸惑ってばかりだ。映画での管理者は目録作りに勤しんでいるわけではなく、ノートに出土品の特徴を書き記していて、決して「小さくそろえた文字で整然と書」いてはいない。

    [原文]( プロローグP.6) The man in khaki shook his head, his eyes still fixed upon something on the table. The Arab watched him, vaguely troubled. What was in the air? There was something in the air. He stood up and moved closer; then felt a vague prickling at the base of his neck as his friend at last moved, reaching down for an amulet and cradling it pensively in his hand. It was a green stone head of the demon Pazuzu, personification of the southwest wind. Its dominion was sickness and disease. The head was pierced. The amulet's owner has worn it as a shield.
     "Evil against evil," breathed the curator, languidly fanning himself with a French scientific periodical, an olive-oil thumbprint smudged on the cover.


    [私訳] 老人は首を振って、テーブルの上のあるものをじっと目で捉えていた。アラブ人は友人を見て、何事かといぶかった。この雰囲気は何だろう。何かが感じられる。管理者は立ち上がって友人に近づいた。友人がようやく動きだした時、管理者は首元に何かちくりと痛みのようなものを感じた。テーブルの上のお守りにたどり着き、何事か思案しながら手に取った。そのお守りは緑の石でできた悪魔パズズの頭部だった。パズズは南西風の化身だ。その力はあらゆる病に及ぶ。頭部は穴が穿たれていた。かつての持ち主は、それを盾として身につけていたのだ。
     「悪魔には悪魔を」 管理者は息を吐き、気怠げにフランスの科学定期刊行誌であおいだので、指に付いていたオリーブ油で表紙が汚れた。
     映画では、出土品管理者とのやり取りはごくごくあっさりとしたシーンになっている。管理者がノートにメモ書きしている間、メリン神父は当日に発掘された出土品に見入っている。特に最後に自らが掘り出した小さな像(頭部のみ)に向けて「悪魔には悪魔を」とつぶやく。これは原作では管理者が言った事になっていて、パズズをかたどったお守り(amulet)であることが管理者の独白で明らかになるのだが、映画の神父はそんな事はとうにお見通しのようだ。映画では説明的な部分は一切省略されているが、神父が放つ「悪魔には悪魔を」という一言の直後に、時の流れが一瞬止まったかのように柱時計の振り子が止まる。この一瞬の緊張感がすべてを物語っている。

     『エクソシスト』が従来から映画や小説で描かれてきた悪魔とは違ったイメージを提示したのは明らかで、いわゆる堕天使と呼ばれるルシファーなどのキリスト教的悪魔ではなく、異端(異教徒)が生み出す異形の存在が「悪魔」として描かれている。と言うことは異教徒にとっては神でもあるという事になる。カソリックの神父やエクソシストが描かれる映画ではあるが、従来の「善と悪」「神と悪魔」という枠内には収まっていないのは、原作がイラク北部で始まり、異教徒の神パズズとの邂逅を描くというブラッティの着想が素晴らしかったという事だろう。ちなみにパズズとはどのような悪魔(神)なのだろうか。英語版WikipediaではPazuzuの項に解説が書かれている。以下に訳文(文責Chat-GPT)を掲載する。
     パズズ(Pazuzu)は、古代メソポタミアの宗教における風の悪霊の王であり、特に南西の風を象徴する存在です。彼は神ハンビ(Hanbi)の子とされ、アッシリアやバビロニアの文化圏で紀元前1千年紀を通じて広く知られていました。パズズは通常、犬のような顔、異常に大きく突き出た目、鱗状の体、鳥の鉤爪、二対の翼、サソリの尾、蛇の頭を持つ陰茎など、さまざまな動物と人間の特徴を組み合わせた姿で描かれます。
     彼は一般的には邪悪な存在と見なされていましたが、同時に病気をもたらす風から人々を守る守護者としての側面も持ち合わせていました。特に、出産時に母子を害すると信じられていた女悪霊ラマシュトゥ(Lamashtu)から守る存在とされ、彼の姿を刻んだ護符やアミュレットが住居や妊婦の身につけるものとして使用されました。

     パズズは、1971年の小説『エクソシスト』およびその1973年の映画化作品で悪霊として登場し、西洋の大衆文化においても広く知られるようになりました。
     この解説によると、ブラッティの小説およびフリードキンの映画のヒットにより、イラク周辺の古い神の名前が広く世界中に知れ渡る事になったようだ。残念ながら辞書に見出しが立つまでにはいたらなかったようで、僕の電子辞書の範囲ではPazuzu(パズズ)は見当たらない。なお、英語版Wikipediaでは以下のようなパズズの姿が見られる。
    250px-British_Museum_Bronze_head_Pazuzu_B_27072013.jpg

    [原文]( プロローグP.6) His friend did not move; he did not comment.
    "Is something wrong?"
    No answer.
    "Father?"
    The man in khaki still appeared not to hear, absorbed in the amulet, the last of his finds. After a moment he set it down, then lifted a questioning look to the Arab. Had he said something?
    "Nothing."
    They murmured farewells.
     At the door, the curator took the old man's hand with an extra firmness. "My heart has a wish, Father: that you would not go."
     His friend answered softly in terms of tea; of time; of something to be done.
    "No, no, no, I meant home."


    [私訳] 友人の反応は何もなかった。聞き返してもこない。
    「何か問題でも?」
    返事はない。
    「神父?」
    老人は相変わらず話を聞いてないようで、最後に発掘されたお守りに気を取られていた。しばらくして落ち着いてくると、今度は自分からアラブ人に物問いたげな視線を向けた。"彼は何か言ってたな。"
    「何も問題はない。」
    二人は小声で別れの挨拶を交わした。
     ドアまで来て、管理者は老人の手をいつも以上に堅く握り返した。「神父。正直なところ、あなたに行って欲しくない。」
     友人は、お茶を断る時、時間がない時、片づけねばならぬ事がある時と同じような言い方でやさしく答えた。
    「いや、いや、どうしても帰国しなければなりません。」
     映画では帰国を思いとどまって欲しいという管理者の問いかけに、神父は「やることがあるから」と答えている。

    [原文]( プロローグP.7) The man in khaki fixed his gaze on a speck of boiled chick-pea nestled in a corner of the Arib's mouth; yet his eyes were distant. "Home," he repeated. The word has the sound of an ending.
     "The States," the Arab curator added, instantly wondering why he had.
     The man in khaki looked into the dark of the other's concern. He has never found it difficult to love this man.
     "Good-bye," he whispered; then quickly turned and stepped into the gathering gloom of the streets and a journey home whose length seemed somehow undetermined.


    [私訳] 老人は、アラブ人の口の端にひよこ豆の煮物を食べた汚れが残っているのに気づいた。しかし両方の目はいまだはるか遠くを見据えていた。「帰国せねば」と繰り返した。その一言で話は終わりだと言っているように聞こえた。
     「お国は米国でしたね」 アラブ人の管理者は即座に、神父が帰国を余儀なくされている理由はなんだろうと考えながら言った。
     老人は目の前の男がどれだけ自分を気に掛けてくれているかを知った。この男に好意を持つのは難しいと思った事は、これまで一度もなかった。
     「お別れだ」 老人は小声で挨拶し、すぐに踵を返して憂鬱な雑踏へと足を踏み入れた。家路につく旅は果たしてどれほどなのかはっきりしていない。
     原作では神父の深刻な様子に対して、管理者の人間らしい側面をスパイスのように利かせている。学術論文誌をうちわ代わりに使って、手に付いていたオリーブ油が表紙を汚したと書かれていたが、その正体は昼食にたべた「ひよこ豆の煮物」だったようだ。チャイハナの主人には心を通わす事はできなかった神父だが、この出土品管理者には親愛の情を抱くことができた。それを端的に示す描写だと思うが、ブラッティは情緒的な表現は極力排除しているので、アラブ人の所作を微笑ましく思っているのか違和感を感じているのかは、一文だけでは判断しにくい。その後で神父の独白があって、初めて親愛の情を抱いていると知れるのだ。

    [原文]( プロローグP.7) "I will see you in a year!" the curator called after him from the doorway. But the man in khaki never looked back. The Arab watched his dwindling form as he crossed a narrow street a an angle, almost colliding with a swiftly moving droshky. Its cab bore a corpulent old Arab woman, her face a shadow behind the black lace veil draped loosely over her like a shroud. He gussed she was rushing to some appointment. He soon lost sight of his hurrying friend.

    [私訳] 「一年以内にまたお目にかかりましょう」 戸口から管理者が呼びかけた。しかし老人は二度とふり返らなかった。管理者は遠ざかって小さくなっていく人影を見ようと狭い通りを斜に横切ると、急いで近づいてきた馬車にぶつかりそうになった。馬車は太ったアラブ人の老女をひとり乗せていた。屍衣のように黒いレースの布が老女をゆったりと包んでいて、顔は布に隠れて見えなかった。あの老女は何か約束があって先を急いでいたのだろう。まもなく管理者は、慌ただしく出ていった友人の姿を見失った。
     この場面は映画にはない。正確には、この馬車のエピソードもメリン神父の身に起きた事に変更されている。管理者がいみじくも独白しているように馬車が急いでいたのは何か急ぎの用があったからだろう。しかし神父の身に起きていたならば、それは何事かのオーメン(兆し)だと考えても不思議ではない。映画では管理者の出番を減らしてでも神父の抜き差しならぬ状況を描き出そうとしている。

    [原文]( プロローグP.7) The man in khaki walked, compelled. Shrugging loose of the city, he breached the outskirts, crossing the Tigris. Nearing the ruins, he slowed his pace, for with every step the inchoate presentiment took firmer, more horrible form. Yet he had to know. He would have to prepare.

    [私訳] カーキー色の服を着た老人は、何かに強いられるように歩いた。町から離れると両肩をすくめ、チグリス川を渡って町外れを通り抜けた。遺跡に近づくと速度を緩めた。何故なら一歩近づくたびに、始まりの予感がより揺るぎなく恐怖に満ちたものへと変わっていったからだ。だがしかし、老人は知らなければならなかった。何ものかに備える必要があるのだろうと。
     遺跡は事務所から歩いていける距離にある事になっているが、映画ではジープで乗りつけている。

    [原文]( プロローグP.8) A wooden plank that bridged the Khosr, a muddy stream, creaked under his weight. And then he was there; he stood on the mound where once gleamed fifteen-gated Noneveh, feared nest of Assyrian hordes. Now the city lay sprawled in the bloody dust of its predestination. And yet he was here, the air was still thick with him, that Other who ravaged his dreams.

    [私訳] コスル川は泥のように濁った川で厚い木の板が渡してあり、渡ると重みでギーギーときしんだ。そうして老人はそこにいた。アッシリア人の軍勢の根城として恐れられ、15箇所もの出入り口がある都市ニネベがかつては栄華を極めた丘に、老人は立っていた。いまやニネベの町は、血に塗れた自らの運命の元に身を投げ出して横たわっていた。それでも老人はここにいた。老人を取り巻くように空気はいまだ濃密なままだった。そこに確かに存在する"何者"かが老人の夢を食らいつくそうとしていた。
     土地勘がないのでgoogleマップに手助けしてもらう事にする。
    イラク北部-1.jpg
     都市モスル周辺では、チグリス川の西側にモスル博物館がある。これがどうやらメリン神父と出土品管理者とが会話をする場面のモデルとなった場所らしい。チグリス川を渡ると小さな支流であるコスル川が見える。これは本当に小さな川で板を渡せば渡れるぐらいの川だ。これを北側に渡ると、その先にニネヴェの丘やアシュール・バニパニの図書館が現われる。ニネヴェの丘は現在の地名とは別にアッシリア人が築いた古代都市ニネヴェがあった丘であり、これが原作の記述と一致する。

    [原文]( プロローグP.8) A Kurdish watchman, rounding a corner, unslung his rifle and began to run toward him, then abruptly stopped and grinned with a wave of recognition and proceeded on his rounds.

    [私訳] クルド人の衛兵が角から飛び出して、肩に提げたライフルを構えて老人の方に走り寄ろうとした。だが、それが誰なのか気づくと、即座に立ちどまり笑みを浮かべて、見回りを再開した。
     映画はジープで乗りつけ、原作では徒歩でたどり着くという違いはあるが、角から衛兵が飛び出してくるという映画のシーンは原作どおりだ。ただし、映画では神父の方から軽く手を上げて会釈すると衛兵が奥に引っ込む。しかも衛兵の一人は無表情で神父を注視していて原作のような顔見知りへの笑顔は一切無い。やはり全体的に異教徒の住む土地にいる事に神父が違和感を感じているという点が映画では強調されている。

    [原文]( プロローグP.8) The man in khaki prowled the ruins. The Temple of Nabu. The Temple of Ishtar. He sifted vibrations. At the palace of Ashurbanipal he paused; then shifted sidelong glance to a limestone statue hulking in situ: ragged wings; taloned feet; bulbous, jutting, stubby penis and a mouth stretched taut in feral grin. The demon Pazuzu.
     Apruptly he sagged.
    He knew.
    It was coming.


    [私訳] カーキー色の服を着た老人は遺跡をあちこち見て回った。ナブの神殿、イシュタルの神殿。直観を篩にかけていく。アシュール・バニパル王の宮殿で立ち止まった。そして、本来いるべき場所に大きな姿で現われた石灰岩の像を横目で捉えた。崩れ落ちた両翼、鉤爪がついた両脚、膨らんで突き出た、切り株のような陰茎、残忍そうな笑みで緊張感を振りまく、大きく開いた口。これこそ悪魔パズズだ。
     老人はすぐに力が抜けていった。何もかもわかった。こいつがやって来たのだ。
     神父は遺跡を歩きまわって、自らの恐怖の源泉が何かを探り当てようとしている。この場面はプロローグのクライマックスで、映画でも遺跡を歩きまわるシーンがあるが、どれがどの神殿かを分かりやすく描いてはいない。それもそのはずだ。
    イラク北部-2.jpg
     このマップで一目瞭然であるが、ナブの神殿もイシュタルの神殿もモスルからは遠く離れたところにある。どちらもモスルからチグリス川を南下した先にあり、古代都市遺跡ニムルド(Nimrud)の一部として見つかっている。原作者ブラッティがモスルとニムルドを混同したか、あるいは知っていてフィクションの都合をあえて優先したかのいずれかだが、後者である可能性が高そうだ。というのも「アシュール・バニパニ王の宮殿」という記述も不正確だからだ。アシュール・バニパニ王の宮殿は該当するものが見当たらず、モスルには「アシュール・バニパニの図書館」と呼ばれる遺跡がある。この王は図書館を建設した業績で知られているらしいが、ブラッティはここでも世界史的な正しさよりもフィクションとしてのわかりやすさを優先していると思われる。

     そして何よりもこの段落で描写されるパズズは、Wikipediaの解説と比較すると「似て非なるもの」という感じがする。動物と人間のパーツを組み合わせた存在という意味では「切り株のような男根(陰茎)」を持つ神(悪魔)であるが、実際は蛇の頭部をモチーフにした男根からなる。尻尾はサソリ、両脚は鳥のかぎ爪を採り入れている。なにより顔は犬のそれなので、忌まわしいというよりも一見すると愛らしい存在にも感じられる。それをキリスト教的な色眼鏡で見ると「残忍そうな笑みで緊張感を振りまく」悪魔となるのだろう。

    [原文]( プロローグP.8) He stared at the dust. Quickening shadows. He heard dim yappings of savage dog packs prowling the fringes of the city. The orb of the sun was beginning to fall below the rim of the world. He rolled his shirt sleeves down and buttoned them as a shivering breeze sprang up. Its source was southwest.
     He hastened toward Mosul and his train, his heart encased in the icy conviction that soon he would face an ancient enemy.


    [私訳] 老人は土ぼこりの風景をにらみ付けた。闇が迫っている。野犬の群れが町外れをうろつき廻って、虚ろに吠え合っているのが聞こえた。太陽という天体が、この世界の縁に沈もうとしていた。身震いするほどの風が急に吹いてきたので、老人はシャツの袖を下ろしてボタンを留めた。風は南西からやってくる。
     老人はモスルに、そこから出る列車に急いだ。老人は心の中で冷ややかに確信していた。まもなく、いにしえの敵に相まみえるのだと。
     プロローグ最後の描写と映画の映像とは完璧と言ってよいくらいに一致している。まさに原作・脚本のブラッティと監督フリードキンとのコラボレーションの賜物だ。野犬の群れは出てこないが、痩せて気が立っている二頭の犬が争うカットが挿入され、焼け付くような太陽が闇へと落ちていこうとするタイミングで、南西から強い風が吹きあれ、神父と”残忍な”パズズの立像とが対峙するのだ。
    posted by アスラン at 03:10| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 評論・エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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