[原文]( 7章P.57) "Don't you want to hear―!" I protested, and paused as I saw the book he had put on the table; then I said, "Why, what the devil, Bencolin! 'The Murders at Whispering House, by J. J. Ackroyd. . . .'"バンコランが夢中になって読んでいる推理小説とは、著者名からも分かるようにアガサ・クリスティ『アクロイド殺し』が元ネタである事は間違いない。原文を見ると推理小説のタイトルは” The Murders at Whispering House”となっている。既に読んだことのある人ならば「囁く家」という表現の意味がすぐに分かるだろう。ちなみにだが、The Murders …というタイトルの作品がクリスティには多いと思う。the Murder Caseとは違って、本来殺人が起こりそうにない片田舎で起きた「殺人」それぞれに光を当てているというニュアンスが感じられる。特にハヤカワ文庫(およびクリスティ文庫)では『オリエント急行の殺人』『牧師館の殺人』『メソポタミアの殺人』のような「〜の殺人」式タイトルが多い(もちろん『ゴルフ場殺人事件』『ABC殺人事件』のような例外もあるが)。
[新訳]( P.106) 「聞きたくないって――!」出かかった文句は彼がテーブルに置いた本を目にして、ひっこんだ。やがて、「おいおい、いったいどうしたんだ!『囁く家殺人事件』、J・J・アクロイド著…」
今回、元となった作品はThe Murder of Roger Ackroydのように場所ではなく被害者(目的語)を示しているので、ハヤカワ文庫では「〜殺し」という和語表現を使っている。ちょっと珍しい。一方、創元推理文庫では『アクロイド殺害事件』というタイトルを使っている。「殺人事件」だと場所なのか人名なのかの区別が付きにくい、あるいはアクロイドが被害者かどうかの区別が付きにくい事に配慮したのだろう。新訳は創元推理文庫なので『囁く家殺人事件』という訳になっているが、もしハヤカワ文庫の翻訳であれば『囁く家の殺人』となっていたのだろう。
著者名のJ・Jで思いつくのは、エラリー・クイーンがデビュー以来、いわゆる国名シリーズの冒頭で必ず登場させている人物J・J・マックだ。彼はエラリー・クイーンの友人であり、エラリーの父リチャード・クイーンがニューヨーク市警の警部だった頃から旧知の仲であった。エラリーが家族とともにイタリアの片田舎に引っ込んだ際に、かつて解決した事件の顛末を小説にするように盛んに勧めた人物である。なぜカーがJ・Jをアクロイドに冠したのかは容易に類推できる。そもそも作家エラリー・クイーンがJ・Jを用いたのは、当時心酔していたS・S・ヴァンダインの名前を模したからだ。作家ヴァンダインは探偵ファイロ・ヴァンスの活躍した事件の顛末を世間に公表する人物として、友人のS・S・ヴァンダインを冒頭および作中に登場させているのだ。そして、カーもまた、クイーンに倣ってJ・Jを用いたと思われる。ただし、クイーンと同じように心酔していたからではなく、今回は彼を揶揄する意図で用いたのだろう。
そもそもカーは何故『アクロイド殺し』を思わせる推理小説をバンコランに読ませる場面を挿入したのだろうか。それは『絞首台の謎』(1931年)の出版を遡る事5年前に、クリスティが『アクロイド殺し』(1926年)を出版した際に「驚愕の真相でミステリ界に大きな波紋を投じた」(クリスティ文庫のあらすじより)からであった。作家兼批評家の笠井潔は同作の解説で「英米の探偵小説界は賛否両論で沸騰した。」と書いている。当時いち早く”否定派"である事を表明したのが、S・S・ヴァンダインだった。ヴァンダインは美術評論家ウィラード・ハンティントン・ライト名義で書いた「推理小説論」の中で、ポアロの探偵手法をかなり辛辣に批判している。言いたい事を言うためにライト名義で書いたのかもしれない。この小論はライト編のアンソロジー"The Great Detective Stories"(1927年)の序論として書かれたもので、『ウインター殺人事件』(創元推理文庫)にも収録されている。
エルキュール・ポアロはアガサ・クリスチィのもったいぶった、小男のベルギー人の探偵であるが、探偵論法家の部類に属する。その手法はこれまた透視に近いほど直感的で、そのおどろくほど正確で、奇跡的な推理は《小さな灰色の細胞》の強烈な作用の結果だと口癖のように主張している。… 彼が登場する物語はしばしば人工的であり、その問題はいかにも不自然で、いっさいの現実感が失われ、従って、解決にたいする興味が減殺されている。笠井潔によればドロシイ・L・セイヤーズは肯定派を表明したようだが、カーは当時どのように考えていたのだろうか。手がかりは1963年にEQMMに一部が掲載された「地上最大のゲーム」にあった(ちなみに完全版は『グラン・ギニョール』(翔泳社)に収録されている)。
(中略)
《アクロイド殺害事件》で読者をぺてんにかけたトリックは、推理小説作者の正当な手口とはとうてい言えない。この小説でのポワロの働きぶりは、ときとして、なかなか有能だが、その効果は、結末によって帳消しにされている。
アガサ・クリスティはいわば、十六弦のジャックの女性版、創意に富んだ、巧妙な策士である。女史からは、一瞬たりとも目をはなしてはならない。そして『アクロイド殺し』についてはさりげなく不満を指摘しながらも、カー自身は肯定派である事を表明して「クリスティ女史は、われわれが〈××××××××〉と呼ぶところのトリックを用いて、何度も何度も得点をあげる。」と書いている。1963年の評論ではあるが、当然ながら『アクロイド殺し』がミステリ界を騒がせていた当時から、条件付き肯定派だったに違いない。だから、カーは『絞首台の謎』でクリスティの『アクロイド殺し』の批評を行うと同時に、否定派の急先鋒だったヴァンダインの批判に物申すつもりで、J・J・アクロイド著『囁く家殺人事件』の挿話を盛りこんだと見て間違いない。
(中略)
かつてディテクション・クラブの晩餐会で、出席者のうちの何人かが不満をぶちまけているなか、ポアロの創造者が「あの小男には、もううんざり!」と不平を漏らしたことがあった。だが、この発言が一時の感情に流されたものにすぎないというのは、だれしもわかっていた。… なぜなら、女史をのぞけば、だれもエルキュール・ポアロにはうんざりしていなかったし、そうなることも考えられなかったからだ。
のんきに推理小説を読んでいるバンコランに腹を立てたジェフは、目の前で起きている殺人事件を指して「事実は小説よりも奇なり」だと言おうとする。バンコランはそれを遮ってジェフの考え違いを批判して言う。少し新訳には疑問があるので私訳を付け加えた。
[原文]( 7章P.58) It is probably the only ancient maxim which nobody thinks of doubting in this skeptical world, and what we need is some fearless iconoclast who will come out boldly against this damnable tyranny, saying, 'Fiction is stranger than truth.'"
[新訳]( P.107) …この懐疑の世の中で、誰にも疑われずに残った古くさい格言はこれだけだろう。誰か大胆な偶像破壊者が出て、そのいまいましい権威にあえて逆らい、『小説は事実より奇なり』と言ってやるがいい」
[私訳] 今のように懐疑的な考え方に満ちた世の中であっても、古くから誰一人疑おうともせずに生き延びた格言は、おそらく他にはないだろうな。だからこそ、我々に必要なのは恐れを知らぬ因習打破主義者なんだ。彼らならきっと、この格言が果たしている忌まわしい圧政に大胆にも立ち向かい、「小説は事実より奇なり」だと声をあげるだろう。
さらに具体的に"否定派"の言い分を一蹴しているのが、次のパラグラフだ。
[原文]( 7章P.58) "But Jeff, the harm it has done! We taunt fiction-writers with that obscene jeer―and then we fall into a great state of rage when they write something strange to answer us. We challenge them to a wrestling-match, no holds barred, and then we cry 'Unfair!' the moment they enter the ring. We think it very bad, by some twisted process of logic, that fiction should fulfill its manifest purpose. By the use of the word 'improbable' we try to scare away writers from any dangerous use of their imaginations. . . . And yet, of course, truth will always be inferior in interest to fiction. When we want to oay any tale of fact a paricularly high compliment, we say 'It is as thrilling as a novel.' "前半は「大衆」を相手取って言い返しているが、後半の「あれこれ屁理屈をこねて」とか「危うい想像力の使用をことごとく禁じてしまう」などとは、一々ヴァンダインの主張に当てはまるようにも読める。「推理小説作法の二十則」などはカーにとってはあくまで原則であって、それこそヴァンダインが求めるような厳密に守らねばならぬ法律であってはならぬ。カーにとって何より重要なのは「小説本来の目的完遂」であり、それはどんなに危うくても「想像力を駆使して面白いものを創り出す」事に優先するものではないのだ。
[新訳]( P.107)「だがな、ジェフ、弊害は現にあるのだぞ! 大衆は小説家にそんないやらしい嘲り言葉をぶつけるくせに――受けて立って目新しいものを書けば怒り狂う。レスリングの試合で、自分はどんなホールドも禁じ手にせず、相手がリングに入ったとたんに『反則!』とやらかすに等しい。あれこれ屁理屈をこねて、小説本来の目的完遂を悪いと決めつける始末だ。『現実離れ』という決まり文句で脅して、危うい想像力の使用をことごとく禁じてしまう…。それでもやはり面白さでは、真実はつねに小説の後塵を拝する。ことのほか感銘を受けた実話を、『小説のようにスリルに富む』と評するのだから」
もちろん作品自体がよく出来ているからこそ許されたのだと補足する事も忘れていない。
[原文]( 7章P.59) But here at Whispering House I am not deceived. My fine nightmare is not bounded by any dull probability, nor yet by the discouraging fact that it really happened. The detective never errs, which is exactly what I want. I could never understand why writes wanted to make their detectives human beings, patient workers, liable to error, but through sheer doggedness―bah! The reason, of course, is that they have not the wit to create a really clever character, and so they must try to bulldoze us with makeshifts . . ."さきほどのヴァンダインの評論では、ポアロを「その手法はこれまた透視に近いほど直感的で、そのおどろくほど正確で、奇跡的な推理」とか「彼が登場する物語はしばしば人工的であり、その問題はいかにも不自然で、いっさいの現実感が失われ」などと批判していたが、ここでカーが言う「よくできた悪夢を野暮な蓋然性に結びつけたり、実際に起きてもいないことに意気阻喪させられたり」というのはファイロ・ヴァンス批評であり、ヴァンダインを揶揄しているようにも読める。
[新訳]( P.108) だが、この『囁く家』は私の期待を裏切らなかった。よくできた悪夢を野暮な蓋然性に結びつけたり、実際に起きてもいないことに意気阻喪させられたりしない。探偵は一度もしくじらない。それこそ、まさに私の求めるものだ。作家がなぜ探偵を凡人に仕立てたがるか理解に苦しむよ。こつこつと足で稼ぎ、しくじりかねないのに頑固一徹という―ばかばかしい! むろん、本物の頭脳明晰な人物造形の才に欠けるために代用品で押し切る魂胆なのだろうが…」
そして数頁をいたずらに『アクロイド殺し』批評に費やしたカーは、いきなり話を終わらせる。以下は、まるで漫才のようだ。ジェフのツッコミに対して、バンコランがオチを返して批評は終わる。
[原文]( 7章P.59) "How long," I asked, "is this sermonizing to continue?"
[新訳]( P.109) 「いつまでやるの、この長話?」私はそう訊いてやった。
[原文]( 7章P.59) ". . . in brief, life lacks all the fascination, the drama, the tidy working out of plot which I find here. I relpy to your last quetion, I may say that you had better go on up to bed. I want to finish my tale."
[新訳]( P.109) 「…早い話が、実人生に人を引きつける魅力やドラマはなく、この小説のように筋立てに沿ったきれいな動きもない。今の問いに対する答えだが、さっさと寝たまえ、でよかろう。私のほうはこの話を読み終えてしまいたい」



