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    2025年03月29日

    ジョン・ディクスン・カー『絞首台の謎』を散策する(その1)

     ディクスン・カーの長篇デビュー作にしてアンリ・バンコランシリーズ第一作の『夜歩く』は新訳・旧訳あわせて何度も読んでるし、あまりに有名な密室トリックは忘れようもない。だが、第二作の『絞首台の謎』ときたら、そもそも読んでいた事すら忘れていたくらいだからどんな内容だったかも思い出せなかった、という話は書評で書いた。メインとなるトリックの「古さ」が論われ、作品自体の評価もカー・マニアの間でも低いらしい。僕もことさら、この作品を擁護しようとまでは思わないが、カーを敬愛する横溝正史が、戦後の怪しさが残る銀座界隈を暗躍する殺人鬼たちを描いてみせたりしたのは、明らかにバンコラン物の影響ではないのかと思ったのだ。金田一が駆け巡る「銀座」や「四谷」「六本木」「浅草」などは、東京でありながら僕らの見知った都会とは異なる、もう一つの「東京」だ。そう感じながらも、やはり僕らがよく知る地名が出てくる事にエキセントリックな興奮をおぼえる。そういう読書体験をカーの作品でも味わう必要があるのではないだろうかと、常々思ってきた。手始めに試みたのが『帽子収集狂事件』を新訳で読んだ時なのだが、最近では『髑髏城』でもやってきたばかりだ。この『絞首台の謎』でも同じ事をやってみたいと思う。

     本作に関して言えば、トリックの内容を取り沙汰するのではなく、バンコランとジェフ・マールが遭遇する事になる事件現場のダイナミズムを地図上で再現してみようという、言ってしまえばそれだけの事だ。手元にあるのは創元推理文庫版『絞首台の謎』の2017年初版の新訳(和爾桃子訳)であるが、原書としてINTERNET ARCHIVEで閲覧可能な"The LOST GALLOWS" (1960年出版 Berkley Medallion Books)を使用し、必要ならば新訳ではなく私訳を試みる。まずは、フランス・パリの予審判事という立場のアンリ・バンコランがイギリス・ロンドンを訪れる経緯は次のように書かれている。
    [翻訳](1章P.12) そもそもパリからバンコランと私が出てきたのは、ヘイマーケット劇場の「銀の仮面」初日のためだった。ご記憶かもしれないがエデュアール・ヴォートレル作のこの戯曲は、それに先立つ四月のサリニー事件解決のおぞましい決め手となった曰くつきだ。
     なんと! サリニー事件とは『夜歩く』の事件であり、エデュアール・ヴォートレルは登場人物の一人だったのだ。つまり第一作と第二作とはほんの少しではあるが関連がある。俄然、『夜歩く』を読み返したくなってきた。まったく厄介な性分だ。それはともかく、二人は宿泊場所をブリムストーン・クラブとし、そこを住まいとしているジョン・ランダーヴォン卿と落ち合う手はずになっていた。ジョン卿はバンコランとは旧知の仲で、かつてはスコットランドヤードで活躍した人物だ。

     とりあえず『絞首台の謎』に出てくる主要な場所を現代のgoogleマップ上に記した全体図を示す。
    絞首台の謎全体図.jpg
     地図の中央やや下にバッキンガム宮殿があり、さらに下の方にヴィクトリア駅がある。ジョン卿が二人を駅まで出迎えにくるのだが、果たしてバンコランはどのようにフランスからやってきたのか。こういう時に生成AIは気の効いた回答を出してくれる。どうやらパリ北駅から列車で港町カレー(Calais)まで移動し、そこからフェリーで海を渡ってイギリス・ドーバー(Dover)に到着。さらにドーバー駅から列車でヴィクトリア駅まで移動するという経路だ。と、まるで自分の手柄のように書いたが、本文にもちゃんと書かれていた。
    [翻訳](1章P.13) 今回の用も用だが、どんよりした寒中に荒れすさぶドーヴァーを渡ったせいで滅入っている。
     ヘイマーケット劇場で戯曲の初日を迎えるこの日は11月16日だ。秋も深まった頃だが、ドーバーは嵐もよいで「寒中」という気候だ。こういう日の夜に、まさに霧が立ちこめるのが当時のロンドンだったろう。

     ヴィクトリア駅からおそらくタクシーに乗ってブリムストーン・クラブまで向かう。直線で1.2km程度の距離だ。セント・ジェームズ街近辺を拡大した図を示す。これは、この後、例のリムジンが街中を疾走する場面を再現するのに用いる事になる。しかし、まずはブリムストーン・クラブの場所を特定するのが先決だ。
    疾走するリムジン.jpg
     2章の冒頭でブリムストーン・クラブの様子が描かれる。
    [原文]( 2章P.12) Now the Brimstone Club is one of the most curious, and certainly the most disreputable, institution of the West End. It used to stand at the eastern corner of Pall Mall and St. James's Street; four floors of dun-coloured granite, grimy, bay-windowed, and sedate.
    [私訳] ブリムストーン・クラブはロンドン・ウェストエンドにある団体のなかでも、断トツでえり好みが激しく、世間からの評判が悪いのは疑いようがない。建物は昔からパル・マルとセント・ジェームズ通りがまじわる交差点の東の角にあった。灰褐色の御影石で化粧された四階建てで、煤けていて、出窓が付いており、地味な印象だ。
     セント・ジェームズ宮殿が下の方に見えている。この宮殿は聖ジェームズ(イエスの使徒の一人ヤコブ)の名を冠した宮殿で、通りもそれにちなんで名付けられたのだろう。一方、今はパル・マル(Pall Mall)と表記される通りが斜めに走っている。研究社新英和大辞典によると「ペルメル」は古風な発音だそうだ。元々はpall-mallという球技があり、その競技場があった事から、それにちなんで名づけられたようだ。パル・マルは社交クラブが多数あることでも知られている。戦前は英国陸軍省があったことも関係しているのかもしれない。1930年代が舞台なので「ペルメル(街)」と書くべきだったかもしれないが、googleマップの現在の表記に引っぱられてパル・マルとしたので、このままでいく。

     ここで重要なのは「建物は昔からパル・マルとセント・ジェームズ通りがまじわる交差点の東の角にあった。」という記述だ。地図を見てもわかるように、パル・マルとセント・ジェームズ通り(街)が交わる地点は、いわゆる交差点というよりも四辺形の角でしかない。すると角は通りの内側と外側の2つしかない。しかも四辺形は斜めに傾いでるので「東の角」とは一体どちらを指しているのかという疑問は残るが、まあ常識的に考えて四辺形の内側だろう。「四階建て」という描写が見えるが、これについては「ブリムストーンは何階建てか」問題として、あとで取りあげよう。

     まずは、バンコランとジェフ・マールはクラブに宿泊し、すでにクラブに長逗留しているジョン卿とともに、ヘイマーケット王立劇場へと出かける。先に降りてきたジェフは、ロビーで二人を待つ間にラウンジの窓ごしにエル・ムルクが自前のリムジンに乗って出かけるところを目撃する。
    [原文]( 2章P.6) The fog had lifted somewhat, and the lights from the club shone out through a thinner brown dinginess across the pavement. A long Minerva limousine, of a peculiarly violent shade of green loomed up duskily at the kerb. I saw El Moulk saunter down the steps, slapping at the balustrade with his stick. A gigantic chauffeur, who looked like a negro, opened the door from him, saluting. The door slammed, and presently the Minerva's tail-light moved away into the stream of traffic.
    [私訳] 霧が多少晴れてきて、霧よりは薄くて茶色に煤けた窓越しにクラブの灯が舗道を照らし出した。車体が長く、風変わりな事に鮮やかな緑色をしたミネルバ社製のリムジンが、縁石あたりから薄ぼんやりと姿を現した。エル・ムルクが手すりを杖で叩きながらゆっくりと階段を降りていく様子が見えた。大柄の運転手はどうやら黒人らしく、会釈して自分からドアを開けた。ドアがバタンと閉まると、ほどなくミネルバのテールランプは車の流れへと飲み込まれていった。
     ミネルバ(Minerva)はベルギーの自動車会社で、高級車のブランドでもあったようだ。1927年に発表されたタイプAMというのが、ここに出てくるリムジンではないだろうか。
    リムジン(ミネルバ).jpg
    これならば確かに「色鮮やかな緑色」と言っていい。当時としては「風変わりな」と形容されそうだが、現代人から見るとパステル調というか、取っつきやすい配色で好感がもてる。

     この後にバンコランとジョン卿が降りてきて出かける事になる。夜の7時すぎの事だ。上演まで時間があるのでバンコランの提案でオクスフォード街のレストランでディナーを取ることになった。オクスフォード街は全体図(広域図)のDにあり、今回の一連の事件に関係する場所としてはもっともクラブから離れている。夕食後にタクシーでヘイマーケット劇場へと三人で移動する。ヘイマーケットとは、Wikipediaによれば「飼料やその他農産物の市場として使われていた」事に由来した通りの名前で、かつては干し草(hay)などを積んだ荷車を使っての販売が許されていたそうだ。その後、17世紀には劇場が作られ、劇場街として知られるウエスト・エンドの一角を占めるまでになった。今現在は「数多くのレストラン」や多くの劇場、映画館が建ち並んでいる。ジョン卿の友人である青年ダリングスと劇場内で遭遇し、終演後にクラブで一緒に飲もうという話になった。
    [原文](2章 P.18) When Dallings joined us, we walked out to the street in silence. (中略) We walked up almost to Piccadilly Circus in the hope of finding one.
    [私訳] ダリングスが合流して、私たちは言葉も交わさず通りに出た。…私たちは、タクシーが見つからないかと探してるうちにピカデリー・サーカスの辺りまで歩いてしまった。
     地図に引いた青い線が、四人がタクシーを探して歩いた道筋だと思われる。ヘイマーケットを北上して左折するとピカデリー・サーカスとぶつかる。「サーカス」と表記すると、あの見世物のサーカスと思いがちだが、どうやらcircusの語源はラテン語の「円、輪」で、この場合は円形広場を意味する。ランダムハウス英和大辞典では「《英》(いくつかの街路が集まる)円形広場」を指す。ここでジョン卿がタクシー探しをあきらめてクラブまで歩こうと提案する。ヘイマーケットと一本隔てた通りだが、googleマップにはハッキリとした名称が出てこない。どうやらリージェント街と繋がるセント・ジェームズ界隈の通りという意味で「リージェント・ストリート・セント・ジェームズ」と読み慣わすようだが、翻訳ではなんと書くべきなのか。やがて四人はジャーミン街との交差点の手前まで来る。
    [原文](2章 P.18) At that moment we were at the corner of Jermyn Street, on the side towards Piccadilly.
    [私訳] その時、私たちは、ジャーミン街の交差点の角でピカデリーに近い側にいた。
     ピカデリー(街)はジャーミン街の一本外側(地図では上側)にある通りだ。ニッポニカによると「イギリスの首都ロンドンの繁華街。ピカデリー・サーカスからハイド・パーク・コーナーまでの約1.6キロにわたる。高級専門店、ホテル、クラブ、会社事務所などが連なり、大英博物館の一部門である人類博物館、王立芸術アカデミーがある。」と書かれている。

    [原文](2章 P.18) Traffic was halted―but one of the cars had paid no attention to the policeman's signal. It loomed up out of Jermyn Street soundlessly.
    [私訳] 通行は一時停止中だった。ところが一台の車だけは警官の制止を気にも留めなかった。その車は霧の中を音もたてずにジャーミン街からぼんやりと現われた。
     当時はまだ信号はないので、交通量の多い交差点には巡査が立って交通整理をしていたようだ。そこにジャーミン街から突然「音もたてずに」車が現われる。エンジンの音は隠しようがないから「音もたてずに」はあり得ないが、霧が視界だけでなく音さえも飲み込んでしまうかのように描写している。霧を意匠として怪奇趣味を掻きたてるカーの手際が見てとれる場面だ。

    [原文](2章 P.18) Then the great green limousine swept past me into the Haymarket.
    [私訳] 緑色の大型リムジンは私たちのそばをサッと通り過ぎてヘイマーケットに向かった。
     地図に引いた赤い線がリムジンの動線だ。まさにバンコランたちの目の前をリムジンが疾走する。霧から飛び出た後は、急にエンジンの音を取り戻すかのような場面だ。しかも、この時に語り手・ジェフは、リムジンの運転手が死んでいるのを目撃してしまう。喉を掻き切られていたのだった。バンコランは車列にいる空車のタクシーをつかまえて乗りこみ、追跡劇が始まる。

    [原文](2章 P.19) From the cavern darkness of the interior I saw a segment of buildings reel round in a blur of lights as we turned into the Haymarket.
    [私訳] 洞窟のように暗い車内から見えたのは、タクシーがヘイマーケットに乗り入れた際に、横に並んだ建物がにじんだ光の中でグルッと旋回していく光景だった。
     タクシーの運転手をせき立ててスピードを緩めずに右折させて、先を行くリムジンを追っていくという臨場感が感じられる。

    [原文](2章 P.19) "There! 'E's turnin' into Pall Mall. . . ."
    [私訳] 「あそこだ! やっこさん、パル・マルに入っちまいましたよ…」
     さっきまで戯曲を鑑賞していた劇場を通り過ぎようとする事にも触れずに、もっぱら「対向車に衝突寸前」なのを「かろうじて回避」した事や、それでもなおバンコランが先を急がせる描写が続いて、運転手が弱音を吐く場面。'E's というのは「エル・ムルク(のリムジン)」を指すのかと思ったが、ここはどう考えてもタクシーの運転手の台詞。どうやらHe's をロンドン訛り(Cockney)のまま表記すると'E'sになるようだ。そして当然ながらリムジンを追ってタクシーも右折してパル・マルに入る。

    [原文](2章 P.19) We flashed past Waterloo Place and straight on. The corpse on its grisly ride was breaking all speed laws.
    [私訳] タクシーはあっという間にウォータールー・プレイスを通り抜けて、そのまま直進した。身の毛もよだつような運転を続ける死体はあらゆる交通規則を破っていった。
     ウォータールー・プレイスというのは地図で指した交差点を指すのではなく広場を指すようだ。元々ジョージ四世の皇太子時代の邸宅カールトン・ハウスがあったが、その後広場となり、フランスとの戦いに勝利した「ウォータールーの戦い」を記念して名前がついたようだ。この広場でもおそらくは巡査による交通整理があっただろうが、リムジンは一切を無視して疾走していく。

    [原文](2章 P.19) Past the Carlton Club, only gathering speed!
    [私訳] カールトン・クラブを通り過ぎる頃には、車は一段と速度を増すばかりだ!
     カールトン・クラブは1831年に創設された保守党議員の社交クラブだ。今も存続しており、場所を調べるとセント・ジェームズ街にある。ただし、それだと文章と辻褄が合わない。英語版Wikipediaによると、どうやら1930年ごろにはパル・マル94番地にあったようで、パル・マルの直線のちょうど真ん中あたりに位置する。地図では「旧カールトン・クラブ」と表記した。

    [原文](2章 P.20) Now the limousine was slowing down, and Bencolin's fingers clenched. We were almost to St. James's Street when it suddenly swerved across to the right.
    [私訳] ようやくリムジンが速度を落としてきたので、バンコランは手を握りしめた。私たちのタクシーがセント・ジェームズ街にたどり着こうとしたその時、リムジンは突然右折した。
     リムジンはパル・マルの端で止まるのかと思った途端に、案に相違して右折してセント・ジェームズ街に入ってしまった事になる。

    [原文](2章 P.20) "He―he's going to the Brimstone."
    [私訳] 「あの死体、ブリムストーン・クラブに行くつもりだぞ。」
     これはジョン卿の言葉だ。ブリムストーン・クラブはちょうど角にあるが、正面玄関はセント・ジェームズ街に面している。

    [原文](2章 P.20) As we turned to the right after it , the Minerva came to a slow stop. I could distinguish its outline dimly, and on the right the light from the door of the club made a haze along its green side. We swept in and ground to a stop only a few feet behind it. The dead man had placidly come home.
    [私訳] 後を追って右折すると、先を行くミネルバがゆっくりと止まるのが見えた。車体の輪郭がはっきりとは見えず、右側からクラブの正面玄関の灯りが、車体の緑色の側面に沿ってかすんで見えた。私たちのタクシーはそっと近づいて、リムジンの後ろをほんの2,3フィートあけて止まった。死者は満足したかのように自らの居場所に戻ったのだ。
     ようやくにして追跡劇(カー・チェイス)は終わった。この描写にたどり着いた時、Carr Graphicのイラストが如何に生々しく頭の中に再現されたことか!

     ちなみにこの追跡劇。パル・マルの直線が550mぐらい。ジャーミン街近くで霧の中から現われたリムジンを追ってタクシーに飛び乗り、ブリムストーン・クラブで追いつくまでが1km足らずの道のりだ。あっけない程の距離と時間だったろうが、そうは思わせないくらいにスリリングな時間を拡大してみせた若きカーの手際を、バンコランたちのタクシーに同乗させてもらって味わう事ができたように思う。というわけで、いつもの事だが興が乗って長くなってしまった。続きは(その2)で書く事にしよう。
    posted by アスラン at 00:35| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(ディクスン・カー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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