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    2025年03月16日

    ヴォイニッチ写本の謎 ゲリー・ケネディ/ロブ・チャーチル(青土社)

     恥ずかしながら、いや別に恥ずかしがる事でもないだろうが、つい最近まで「ヴォイニッチ写本」あるいは「ヴォイニッチ手稿」と言われる文献の存在を知らずにいた。知ったのは昨年の12月の事で、書店の新書コーナーで『ヴォイニッチ写本 世界一有名な未解読文献にデータサイエンスが挑む』(星海社新書)という本を見かけたのがきっかけだ。「ヴォイニッチ」というカタカナ表記のどこか禍々しい見た目と響き、それと「世界一有名な未解読文献」という惹句に、持ち前のミーハー心がくすぐられた。その上、「データサイエンス」という取り合わせにも興味がそそられた。最新のデータマイニング手法を用いて未解読文献に対してどの程度真実に迫れるかという理系的なアプローチに好奇心が湧いたのだ。

     さっそく最寄りの図書館の蔵書を検索したが、件の『ヴォイニッチ写本』は新しすぎて蔵書になっていなかった。そこで他の蔵書を調べたところ、一冊だけヒットしたのが本書だった。著者のふたりは著者紹介ではいずれも作家だと書かれているが、どうやらヴォイニッチ写本に関するBBCの番組の構成をケネディが担当し、その翌年にBBCで制作された「ヴォイニッチの謎」というドキュメンタリーの監修をチャーチルがつとめたという間柄のようだ。しかも、ケネディ自身が書いたまえがきには、この謎の写本の名前の由来となったヴォイニッチという男がケネディの遠縁に当たることが明かされている。ところが、このまえがきに書かれた文章が非常に勿体をつけていて分かりにくい。含みを持たせた曖昧な表現は、その後のヴォイニッチ写本の謎を解き明かしていくアプローチにも反映しているように思われるので、細かいところではあるけれど、ここで採り上げておこう。

     謝辞に続くまえがきは、次のような段落で始まる。
     この本のテーマは、ある一冊の書物である。しかも奇妙なことに、それは誰にも読めず、理解も出来ない書物なのだ。この九十年というもの、そして恐らくはそれよりも遙か以前から、その書物は数多の学者や知識人、そして暗号の専門家たちを悩ませ、苛立たせ、そして最終的には打ち負かしてきた。
     (中略)
     その写本に関する議論の余地のない事実のひとつは、最初にその写本に世界の耳目を集めることとなった男の名がウィルフリド・マイケル・ヴォイニッチであるということだ。静かな池に投じられた小石のように、ヴォイニッチが一九一二年に発見したこの書物はあらゆる方面に波紋を呼び起こした。
     (中略)
     本書の著者のひとりであるゲリー・ケネディは、一般人と同様、この書物の存在など全く与り知らぬところだった。…だが、親類縁者の集まりで偶然そのことを聞かされた彼は、以後三年にわたってその書物に取り組むこととなった。その研究の成果が、本書というわけだ。
     ここまでは共著である性質上、著者二人の目線で文章が書かれている。重要なのは、ヴォイニッチ写本が世間に知れ渡ったのが1912年以降だという点だ。確かに今となっては100年以上前になるが、この年は明治天皇が崩御した年、つまり明治45年であると同時に大正元年にあたる。読者である我々とは無縁の「遠い遠い時代」とまでは言えないだろう。著者にとってもそうであるに違いない。

     そして、次の段落からはケネディの目線で文章が書かれる。つまりは「私(=ケネディ)」が登場する。ケネディの叔母の葬儀が2000年12月の執り行われ、一族郎党が集まる場面が描写される。
    …叔母が住んでいた家に戻ると、二人の従兄弟とその大きな子供たちがいた。私はしばらく、ティーカップを手にその子供たちのひとりローリーと話していた。彼は訊ねた、「そういえば、僕たちの遠い遠い祖先にウィルフリド・ヴォイニッチって人がいたのを知っていますか。有名な写本を発見した人ですけど」。
     誰でも350頁以上もある本を読もうという時に、こんな些細な文章に拘ることなどないだろうが、よくよく読むと違和感がある。叔母が大往生を遂げたとして70代。ケネディ自身や従兄弟が50代とする。「その大きな子供たち」は30代だろうか。2000年に30代ならば1970年代に生まれたローリーが「遠い遠い祖先」だとヴォイニッチの事を言うだろうか。確かにヴォイニッチの生年は1865年で自分より100年前に生まれたご先祖ではあるが、「有名な写本を発見した人」として認知されたのは1912年なのだ。身近ではないにしても「そう遠くはないご先祖」ではないだろうか。
     その異国風の名前には全く心当たりがなかった。…とはいうものの、確かヴィクトリア時代の陳腐な先祖にブール(母方の祖母の旧姓)というのがいて、何やら偉い人だったらしいということを思い出した。私の兄はこの先祖についてはほとんど知らなかったが、昔、別の叔母が持っていたという手垢の付いた家系図を引っ張り出してきた。この長さ一ヤードもある横断幕には、一八五一年の大博覧会の頃に相次いで死んだジョンとメアリのブール夫婦を起点として、その子孫たちの家系図が精巧なモビールのように書かれていた。こんな家系図があったなんて全く知らなかったが、まさしくその末端には私が連なっていたのだ。
     段々と分からなくなってきた。「異国風の名前」はもちろんヴォイニッチの事だが、「ヴィクトリア時代の陳腐な先祖」にブールという人がいたという。「陳腐な先祖」って何?よく知らない先祖が陳腐だったなんて、込み入った事情を知らないかぎり出てこない言葉だ。次の文で「私の兄」が知らなかったという「この先祖」はヴォイニッチとブールのどちらの事だろう。ケネディはブールの事は多少は知っていたのだから兄も知っている可能性は高い。やはりヴォイニッチの事か。なんて事をいちいち考えねばならないとは、やはり翻訳に瑕疵がある疑いが濃くなってきた。
     ジョンとメアリ夫妻の息子であるチャールズ、ウィリアム、ジョージの三人を起点とする三つの系列があり、私はウィリアムの系統の末端にいた。チャールズは多産だったが、特に変わった子孫は出してはいないようだ。問題の人物に繋がっていたのはジョージだった。そういえば、有名な数学者のジョージ・ブールってのがいた。近代論理代数学の発明者だ――それほど陳腐ということもなかったわけである! 彼は一八九四年に死んだが、同じ年、妻のメアリは末娘のエセルを産んだ。このエセルが、ウィルフリド・ヴォイニッチの妻となるのである。
     1951年頃に相次いで亡くなったジョンとメアリ夫妻には三人の息子がいる。そこからブール家の家系樹は3つに枝分かれしていく。ちなみに先祖の物語なのに「亡くなった」ではなく「死んだ」と書いている。翻訳に黄色信号が灯った。ブール夫妻の息子ジョージの家系樹のどこかにヴォイニッチが出てくるようだ。ところで突然、あの「ブール代数」で有名なジョージ・ブールの話が出てくる。「私(=ケネディ)」はこの有名な数学者についてはよく知っているような口ぶりだ。ということは自分のご先祖様は「陳腐だった」と聞かされてきたが、有名な数学者と同姓同名の人間がいるくらいだから「それほど陳腐な家系とは言えないだろう」と言っている(ように読める)。つまり同姓同名の数学者の方は刺身のツマであって、本題のジョージとは直接関係ないのだろう。

     さらに次の「彼は一八六四年に死んだ。」「(彼の)妻のメアリは末娘のエセルを産んだ。」「(彼の末娘の)エセルがウィルフリド・ヴォイニッチの妻となる。」に出てくる「彼」とは、ジョンとメアリの息子の方のジョージという事になる。紛らわしいのは、ジョンの妻もジョージの妻もともにメアリだという点だ。ジョンの妻は確かに1951年近辺に亡くなっているので、エセルを産んだメアリはジョージの妻の方に決まっているではないかと言われそうだが、こういうところって普通は一々確かめながら読む事はないので、読んだ瞬間にジョンの妻だと思い込んでしまう。英文の人称代名詞をそのまま「彼」と訳したり、あえて訳さなかったりするだけでは、日本語として「誰の」に関する配慮が足りないと思う。結局、Wikipediaなどを利用してヴォイニッチの家系について調べ直さなければならなくなった。そこで驚いたのは、やはり例の「ジョージ・ブール」は同姓同名ではなく、まさにジョンとメアリの息子のジョージこそが数学者のブールであり、かつヴォイニッチの義理の父となる人物だったという点だ。

     何故こんな思い違いをしたのか。原因はよくわかっている。「そういえば、有名な数学者のジョージ・ブールってのがいた。」という訳文のせいだ。ここだけ「〜ってのがいた」というように、べらんめえ口調になるのが変だなと思っていたのだ。ここは「そういえば、〜ってのがいた(なぁ)」という他人事のようなケネディの回想だと読めるのだが、Wikipediaの調査後に遡ってもう一度読み直すと「(家系図のここに)〜ってのがいた(ぞ。)」と言いたかったようだ。これは果たして原文が悪いのか翻訳が悪いのか。翻訳がまずいのは明らかだ。状況をもっと分かるような日本語をチョイスすべきだった。とは言え、原文も「ジョージが数学者」だとはっきり分かるように書いてあればよかったのにとは思った。すったもんだはあったが、著者ケネディの「陳腐な先祖にブール(母方の祖母の旧姓)というのがいて」を読み解いて、結局以下のような家系図ができた。
    家系図.jpg
     ケネディから見ると、数学者のジョージ・ブールは「曾祖伯父(そうそはくふ)」または「曾祖叔父(そうそしゅくふ)」で5親等、ヴォイニッチは「族伯祖父/族叔祖父(いとこおおおじ)」で6親等になる。海外の通念とは異なるだろうが、日本の民法では6親等までを親族とみなすので、「遠い遠い祖先」とは言えない事がわかった。事実、ケネディもヴォイニッチの謎の写本について関わる事になったし、その後、数学者のブールに関する本まで書いている。

     ずいぶん回り道をしてしまった。まだヴォイニッチ写本に関する事は何一つ書いていない。そちらについては最寄りの図書館の蔵書となった新書『ヴォイニッチ写本』の書評で詳しく解説するとしよう。本書で分かったのは、リトアニアで生まれたヴォイニッチは紆余曲折の末、古書店を経営し、稀覯本を蒐集し、その中にヴォイニッチ写本と呼ばれる正体不明の書物があったという事だ。挿画の意味も意図も不明で、添えられた文章すら全く読めないときている。既存の文字ではないし、言語なのかどうかの判別もつかないという代物だ。当初は、暗号文ではないかと専門家が解読を試みたがうまくいかなかった。解読の見通しがついたとの主張も存在したが、その後徹底的に批判された。そのため、ヴォイニッチ写本は学術的な研究対象としては敬遠される事になり、現状ではアマチュアの研究者によるアプローチが続いている状況だ。

     どうやらヴォイニッチ写本は手書き故に文字セットを同定する事が難しく、一体何種類の文字からなるのかが判然としない。さらには、ロゼットストーンのような比較対象が存在しないので、最新の技術をもってしても解読は困難であるようだ。また、暗号ではなく未知の言語だと考えたとしても、あまりに単語やフレーズの繰り返しが多いので文章と見なすのは不自然なようだ。一方、挿画には植物や薬学、占星術に分類されそうな絵もあれば、非常に不可解でオカルト的な(あるいは性的な)絵もある。植物の絵はほとんどが何の植物なのか同定できていない。単に学術的な文献というわけではなさそうだ。このようにオカルト的な挿画がある事、ある種の世界観が見られる事などから、今は絶えてしまったカルト的な宗教教団が作りだし門外不出にしてきた書物なのではないかとか、精神的な障害を抱えた個人の幻覚がなしえた書物なのではないかなどの主張も詳しく検討している。さらには、ヴォイニッチ自身や、ヴォイニッチ以前の持ち主が作った偽書である可能性についても言及している。最後は、今なおヴォイニッチ写本に対する興味を失わない多くの人々が参加するヴォイニッチ・メーリングリストのメンバーに、率直な意見を聞いている。その多くが推測ながら「文章はおそらくデタラメ」だろうと言っている。制作者についての主張は百花繚乱だ。しかし、上手すぎもせず、かといってまったくのデタラメでもない不思議な魅力をもった挿画と未解読のテキストという取り合わせに、ロマンを感じる人々は跡を絶たないらしい。

     本書の感想だが、BBCのドキュメンタリーが契機になって書かれたというので、サイモン・シンのノンフィクションのような内容を期待したのだが、あれほど要領よくまとまっているとは言いがたい。あらゆる方面に気を配って詳細に説明されているのは確かだが、けっきょく何がどうなっているのかという点では読後の感想が希薄だ。詳細ではあるが、とりとめのない内容になってしまっている。そのため、入門書としては敷居が高いし、その後に読む本としては結局すべてが藪の中としか感じられなかった。
    posted by アスラン at 11:01| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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