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    2025年02月22日

    フランシス・M・ネヴィンズJr.『エラリイ・クイーンの世界』を散策する(その12)

     (その11)で原註について検討するのを忘れていたので、そこから始めよう。

     フレデリック・ダネイの自伝的小説『ゴールデン・サマー』の主人公ダニー少年は、知り合いの本屋の店主から新刊で発売されたばかりの『恐怖の谷』を貸してもらう。汚すこと無く新品のままに返す事が条件だったが、不注意からヨレヨレに型崩れしてしまい買い取る事になる。
    [原文](INTRODUCTION P.10)
    He displays the ghost of Long John Silver for a two-cent admission fee, raffles off a damaged copy of the brand-new Sherlock Holmes novel The Valley of Fear[3], organizes the Great Lolla paloosa Bi-Plane Company, and even adds a dime to his hoard through a splendiferous one-upmanship contest with his city cousin Telford (a thinly disguised Manfred).

    [翻訳](プロローグ P.27)
    彼はロング・ジョン・シルヴァーの幽霊を見せ物にして二セントの入場料を取り、傷がついた新品のシャーロック・ホームズの小説『恐怖の谷』(原註3)一冊をラッフル販売で売り(購入希望者から少額のお金を集めて、くじ引きに当たった人に品物を渡す売り方)、グレート・ローラパルーザ・バイプレーン・カンパニー(偉大なすばらしい複葉機部隊というような意味)を組織している。そのうえ、都会育ちの従兄テルフォード(わずかにマンフレッドに似せた人物)と華やかな優位競争をして五セント硬貨一枚を自分の貯えに加えさえする。

    [私訳]
    例えば、2セントの入場料を取って「(『宝島』に出てくる)ロング・ジョン・シルバー」の幽霊の見世物を出したり、シャーロック・ホームズの『恐怖の谷』(原註3)の新品を傷物にしてしまったので景品にして富くじを売ったり、「途轍もなく素晴らしい複葉機カンパニー」を設立したり、さらには都会に住む従兄のテルフォード(リーにそっくりなのが見え見えの少年)との間にライバル心を燃やし、最後には10セント硬貨を1枚、隠し場所に加えている。

     原註3はThe Valley of Fear要するに『恐怖の谷』に付いている。
    [原文](INTRODUCTION P.215)
    3. Those who have learned from Queen to read with infinite care may wonder how a 1915 Holmes novel crept into the life of a boy who, as we've seen earlier, did not encounter Holmes until 1917. In real life the book which the ten-year-old Danny raffled off was not The Valley of Fear but L. Frank Baum's The Scarecrow of Oz. But the editors at Little, Brouwn who read The Golden Summer thought the Oz book was too childish for a ten-year-old to be reading, so Dannay substituted the Holmes title.

    [翻訳](プロローグ P.32)
    原註3 クイーンから深く注意をしながら読書するように訓練された人は、すでに見てきたように、一九一七年まではホームズを知らなかった少年の生活になぜ一九一五年に出版されたホームズの小説が、はいってきたのか、不思議に思われるかもしれない。実生活で十歳のダニーがラッフル販売をした本は『恐怖の谷』ではなく、L・フランク・ボームの「オズのかかし」だった。しかし、『ゴールデン・サマー』を読んだリトル・ブラウン社の編集者がオズの本は十歳で読むものとしてはあまりにも子供っぽいと言ったため、ダネイがホームズの本に入れかえたものである。

    [私訳]
    原註3 細心の注意を払って本を読む事をクイーンの作品から学んできた読者であれば、いったいどうすれば、1915年に出版されたホームズの新作が一人の少年の人生と関わる事になるのかと首を傾げるかもしれない。すでに見てきたように、少年がホームズと出遭うのは1917年の事なのだから。実際には、当時10歳だったダニーが富くじで売りさばいた本は、『恐怖の谷』ではなくL・フランク・ボームの『オズのかかし』だった。だが、『ゴールデン・サマー』を読んだリトル・ブラウン社の編集者が、10歳の少年が読む本にしては『オズの魔法使い』シリーズは幼稚すぎると主張したので、ダネイはホームズ物のタイトルに差し替えたのだ。

     翻訳に関してだが、「クイーンから深く注意をしながら読書するように訓練された人」というのは、あくまで上っ面の理解しかしていない。クイーンの小説を読めばわかるが、一つ一つの描写にはキッチリとした著者の設計がある。単に犯行現場を描写としているだけではなく、犯人やトリックを指し示す重要な事物が隠されているのだ。だからこそ一つも見落とすことなく読み進める必要がある。クイーンが読者に「訓練」を強いた訳では無く「読者が自然と学んでいく」ものなのだ。また、creep intoはランダムハウス英和大辞典では「〈感情・思想・風習などが〉(…に)知らず知らずに入り込む、〈欠点・性格などが〉じわじわとにじみ出る《in/into…》」とあるが、翻訳のように「少年の生活に〜ホームズの小説がはいってきた」では何の事か分からない。もうちょっと日本語として馴染みのある表現に差し替える必要があるだろう。

     それにしても、飽くまで小説に出てくるダニー少年の物語なので、編集者の言い分を聞いて本のタイトルを差し替えるのは理解できるが、フレデリック・ダネイともあろう人がこんな単純なミスを犯すとは意外だ。クイーンの聖典であれば起こりえないだろうが、『ゴールデン・サマー』に関して言えばダネイ自身が楽しんで書いていたからかもしれない。ひょっとしたら、知っていて故意に見過ごした可能性もある。シャーロック・ホームズの物語に魅せられて読みあさった少年時代の話が読者にとって印象的なエピソードであるからこそ、出版されたばかりの『恐怖の谷』の新刊本をきずものにしてしまうという筋立ては、当時の僕を含めた読者にさらに強烈な印象を与える事になったからだ。

     続いて『ゴールデン・サマー』には構成上の欠点があったので批評家からは不評だったという話が続く。
    [原文](INTRODUCTION P.9)
    And to most of its reviewers this double meaning seemed to be a basic flaw in the novel's purpose and structure―we are supposed to delight in Danny's adventures as in the exploits of Tom Sawyer or Penrod, but these adventures portray him as little more than a money-hungry wheeler-dealer, junior division. Whether the reviewers were right or wrong, The Golden Summer was a thumping failure commercially[4].

    [翻訳](プロローグ P.25)
    そして、たいていの批評家にとっては、この二重の意味は小説の目的と構成には基本的な欠点になるものと思われた――われわれはトム・ソーヤーとかペンロッド(ブース・ターキントンの小説)の手柄を楽しんだと同じようにダニーの冒険を楽しむことになっているのだが、いろんな行為から浮かび上がってくるダニーは、金に飢えた敏腕事業家の子供版以外の何ものでもない。批評家たちが正しかったか間違っていたかはともあれ、『ゴールデン・サマー』は商品的には途方もない失敗作だった(原註4)。

    [私訳]
    そしてタイトルが二つの意味に解釈できるという事が、多くの批評家の目には小説の目的と構成における根本的な欠点に映ったようだ。愛読者の私たちならば、(マーク・トウェインの生み出した)トム・ソーヤー少年や(ブース・ターキントンの生んだ)ペンロッド少年が成し遂げた事に喝采をおくるのと同様に、ダニーの冒険にも喝采をおくるだろう。だが、この冒険譚はダニーを「お金を欲しがる策略家の子供部門代表」も同然に描いてしまった。批評家たちの言い分が正しいかどうかはともかく、『ゴールデン・サマー』は商業的には途方もない失敗に終わった(原註4)。

     欠点ゆえに『ゴールデン・サマー』は全くと言っていいほど売れなかったという箇所に原註4が付けられている。
    [原文](INTRODUCTION P.215)
    4.In 1956, in a last attempt to stir up some interest in The Golden Summer, Dannay devised a stratagem worthy of little Danny himself. He reprinted three chapters of the novel in Ellery Queen's Mystery Magazine, one each in the June, August and October numbers for that year, the chapters being prefaced with a page of ecstatic commentary on The Golden Summer as a whole by mystery writers Anthony Boucher, Stanley Ellin and Jame Yaffe. The text of the stories was revised so as to keep readers from suspecting the true identity of Daniel Nathan; thus Ellery Herman the shoemaker becomes Old Man Herman. Coincidentally (or was it?), EQMM for October 1956 also contains "Tough Break," a story by Dannay's eldest son, Douglas, disguised under the byline Ryam Beck. Mary Beck was the maiden name of Dannay's first wife.

    [翻訳](プロローグ P.33)
    原註4 一九五六年、最後にもう一度『ゴールデン・サマー』は何とか関心を集めてみようとして、ダネイは戦術として、ダニー少年自身の価値に工夫をこらした。彼は本の中の三つの章をその年の《エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン》六月、八月、十月の各号に一章ずつ掲載し、ミステリ作家のアンソニー・バウチャー、スタンリイ・エリン、ジェイムズ・ヤッフェの『ゴールデン・サマー』全体に対する、夢中になりそうな講釈の序文を一ページ加えた。物語の内容は改訂して、ダニエル・ネイサンの本当の素性を読者が想像できないようにしてある。同様に、靴職人エラリイ・ハーマンもハーマン爺さんに変わっている。申し合わせたように(あるいは申し合わせたのか?)、一九五六年のEQMM十月号には、ダネイの長男ダグラスが書いた短篇"Tough Break"がライアム・ベックというペンネームを使って掲載されている。ダネイの最初の妻は結婚前の名前をメアリー・ベックといった。

    [私訳]
    原註4 ダネイは最後にもう一度『ゴールデン・サマー』に関心をもってもらおうとして、1956年に、まさにダニー少年自身がやりそうな工夫をした。小説から3つの章を選んで、その年のEQMM6月号、8月号、10月号にそれぞれ一章ずつを再度掲載した。ミステリー作家のアントニー・バウチャー、スタンリイ・エリン、ジェイムズ・ヤッフェの3人からは『ゴールデン・サマー』全般についての1ページからなる賛辞をもらい、各章の序文として載せた。
     本文にも手を入れて、読者が著者ダニエル・ネイサンの素性に疑問を抱かないようにした。こうして、靴職人のエラリー・ハーマンは「ハーマン老人」となった。偶然にも(あるいは偶然ではないのか?)、1956年10月号のEQMMには、ダネイの長男ダグラスが書いた『その手はくわない(Tough Break)』という作品が掲載されているが、本名は伏せてライアム・ベックというペンネームが使われていた。ダネイの最初の妻メアリーの旧姓がベックだったのだ。
     「最後にもう一度『ゴールデン・サマー』は何とか関心を集めてみようとして」の「『ゴールデン・サマー』は」は「『ゴールデン・サマー』に」の誤植だろうか。devised a stratagem worthy of little Danny himselfの訳として「(ダネイは戦術として、)ダニー少年自身の価値に工夫をこらした」は明らかに誤訳だ。ここは「ダニー少年ばりの工夫をおこなった」という意味で書かれている。また、a page of ecstatic commentary on The Golden Summerを「『ゴールデン・サマー』全体に対する、夢中になりそうな講釈の序文を一ページ加えた」としているが、「夢中になった」のは序文を書いた3人でないと辻褄が合わない。ここは「1ページからなる賛辞をもらった」という意味だ。さらに原註4の後半は、エラリー・クイーンの片割れフレデリック・ダネイが著者だとバレないように「本文にも手を入れた」という話が続くが、Coincidentallyを「申し合わせたように」というは意味が逆で、「偶然にも」でないとおかしい。

     それにしても再掲にあたって、無名のダニエル・ネイサンという作家に箔を付けるために3人もの友人に賛辞を依頼したというのは、いかにもダニー少年のやり口に思えるが、クイーンの片割れが書いたという事実をあくまで隠しとおすという工夫は、果たしてダニー少年らしいかどうか。何故なら「箔を付ける」という意味ではクイーンが書いたというのが何よりの「箔」だと思うからだ。ただし、現実に出版当時(1953年)はまったく売れなかったのだから、ほとぼりがさめた3年後の1956年に無名の作家の作品として掲載すれば、まっさらな気持ちで作品を読んでくれる読者がいるかもしれないという事だったのだろうか。

     ここからはIntroductionの続き。いよいよクイーンの第4期の説明だ。この文章に取りかかる前に第4期の作品をリストアップしておこう。
    [第四期(9作品)]
    盤面の敵(1963)
    第八の日(1964)
    三角形の第四辺(1965)
    恐怖の研究(1966)
    顔(1967)
    真鍮の家(1968)
    孤独の島(1969)
    最後の女(1970)
    心地よく秘密めいた場所(1971)

    [原文](INTRODUCTION P.11)
     After The Finishing Stroke (1958) Queen seemed to have closed the circle of his work and hung up the gloves. Dannay spent a semester teaching creative writing at the University of Texas and ended up selling the University his entire collection of priceless first editions of books of detective short stories. But after five years of silence Queen in 1963 inaugurated a fourth period, which will be examined in Chapters Eleven and Twelve. The hallmarks of Period Four are, on the one hand, an undiminishied zest for radical experiment within the strict deductive tradition, and on the other hand, a retreat from attempts at naturalistic plausibility coupled with a reliance on stylization of plot and character and the repetition of dozens of motifs from the earlier periods. The risks of such an approach are obvious and the audience for recent Queen novels seems to have diminishied. Only time will tell whether the death of Manfred Lee in April 1971 marks the end of Period Four. But Dannay has announced that he will carry on, and millions of grateful readers hope as I do that he will never retire.

    [翻訳](プロローグ P.28)
     『最後の一撃』(一九五八)の出版後、クイーンは仕事の範囲を狭めて、引退したように見えた。ダネイはテキサス大学で創作について一学期間教えたあと、それまでに蒐集していた貴重な初版本の探偵小説の短編集すべてを大学に売って辞任している。しかし、五年間の沈黙の後、一九六三年にクイーンは第四期の活動を始めるので、十一章と十二章でそれを調べてみよう。第四期の特徴は、一方で厳密に伝統的な推理を進めながら革命的な試みを行っている点で衰えない面白味がある反面、もう一方では、構成と人物像の様式化をよりどころとし、以前に使った数多くのモティーフを反復使用しているために、写実的なもっともらしい感じを持たせる試みがあまりなされていないという点にある。このような取り組み方では危険が伴うのは明らかで、後年のクイーンの小説は愛読者が減っているように思われる。一九七一年四月にマンフレッド・リーが死亡しているが、それが第四期の終わりとなるかどうかは時がたってみなければわからない。それにしても、ダネイは書き続けると発表しているし、わたし同様、数百万の愛読者たちは彼が決して引退しないよう望んでいる。

    [私訳]
     『最後の一撃(1958年)』の出版後、クイーンは毎年続けていた出版をやめてしまい、引退したかのように見えた。ダネイは一学期かけてテキサス大学で文章講座の授業を受け持ったが、その後、値の付けようがない推理小説の初版本のコレクションをすべて大学に売却した後に講師を退いた。しかし、クイーンは『最後の一撃』の出版から5年間の沈黙を破って、1963年に第4期の活動を開始した。この時期については11章、12章で検証しよう。第4期の特徴は何かと言えば、これまでのように本格ミステリーの形式を厳密に踏襲しつつも、斬新な試みに取り組もうとする情熱だけは衰える事がないという点だ。しかし、その反面、現実をもっともらしく描こうとはしなくなり、もっぱらプロットや登場人物をパターンに当てはめるようになった。さらには以前の作品で用いた数多くのモチーフを再利用するようになった。このような手法にはリスクが伴うのは明らかだ。近年、クイーン作品の読者は減ってきたように感じる。1971年4月にマンフレッド・リーが亡くなったが、それで第4期が終わりを迎えたのかは今少し時が経ってみないと分からない。しかし、ダネイはこれからも書き続けると公言しているし、私を含め、クイーン作品を心底愛している何百万もの読者は、ダネイが現役を続ける事を願っている。

     翻訳を見ていくと、冒頭から引っかかる。
    (原)After The Finishing Stroke (1958) Queen seemed to have closed the circle of his work and hung up the gloves.
    (翻)『最後の一撃』(一九五八)の出版後、クイーンは仕事の範囲を狭めて、引退したように見えた。
    (私)『最後の一撃(1958年)』の出版後、クイーンは毎年続けていた出版をやめてしまい、引退したかのように見えた。
     close the circleの解釈だが、circleを範囲・領域と捉えたとしてもcloseを「狭める」と考えるのは無理がある。ここはcircle=cycleで「仕事の周期を閉ざす」と考えるべきだろう。第3期までは一年に1作のペースで新作を出してきたが、『最後の一撃』出版後はそれをやめた事を指している。実際、本書の本文では『最後の一撃』を最後にクイーンは引退を考えていたのではないかという記述がある。その理由は、この作品にはこれまでのクイーンの様々なモチーフが盛りこまれている事や、若きエラリーが遭遇した事件が、未解決のまま28年後にようやく真実が明るみに出るという物語自体がクイーンの集大成を示唆しているからだ。ただし、実際には5年の沈黙を破ってクイーンの二人は執筆を再開する。その後8年間続く第4期の特徴を著者ネヴィンズは以下のように概括している。
    (原)The hallmarks of Period Four are, on the one hand, an undiminishied zest for radical experiment within the strict deductive tradition, and on the other hand, a retreat from attempts at naturalistic plausibility coupled with a reliance on stylization of plot and character and the repetition of dozens of motifs from the earlier periods.
    (翻)第四期の特徴は、一方で厳密に伝統的な推理を進めながら革命的な試みを行っている点で衰えない面白味がある反面、もう一方では、構成と人物像の様式化をよりどころとし、以前に使った数多くのモティーフを反復使用しているために、写実的なもっともらしい感じを持たせる試みがあまりなされていないという点にある。
    (私)第4期の特徴は何かと言えば、これまでのように本格ミステリーの形式を厳密に踏襲しつつも、斬新な試みに取り組もうとする情熱だけは衰える事がないという点だ。しかし、その反面、現実をもっともらしく描こうとはしなくなり、もっぱらプロットや登場人物をパターンに当てはめるようになった。さらには以前の作品で用いた数多くのモチーフを再利用するようになった。
     zest for…は「…に向けられた熱意」という意味だから「…を行っている点で衰えない面白みがある」という解釈は違和感がある。後半の「…モティーフを反復使用しているために、〜試みがあまりなされていない」というのもちょっと誤解を招く書き方だ。「構成と人物像の様式化」さらには「モティーフの反復使用」が原因で「写実的な…試みがあまりなされていない」という結果を招いたように読めてしまうが、状況の説明を「やったこと・やらなかったこと」の両面で書いただけだろう。

     ここで注意したいのは「何故か」という点だ。実は本書では明記されていないが、大幅に改訂した『エラリー・クイーン 推理の芸術』では明らかにされている点がある。クイーンファンにはもはや周知の事実であるが、この時期、マンフレッド・B・リーは小説家としてスランプに陥っていた。だから第4期の最初の作品『盤面の敵』からリーに変わって別の作家による代作が続くのだ。この事実を初めて知ったのは『名探偵読本4 エラリイ・クイーンとそのライヴァルたち』(1979年)を読んだ時だから、本書『エラリイ・クイーンの世界』(1980年)とほぼ同時期だと言っていい。原作『Royal Bloodline』が1974年初版なので、その頃には伏せられていた事実だった。『エラリイ・クイーンとそのライヴァルたち』では「エラリイ・クイーン関係資料」という探偵エラリーの登場作品リストが巻末に記載されているが、『盤面の敵』には「(シオドア・スタージョンの代作と判明)」という記述が付されていて、当時はかなりのショックを受けた記憶がある。SFには疎かったので「シオドア・スタージョンって誰?」と思ったし、なによりあの傑作がクイーンが書いたものではないなんて到底受け入れる事ができなかった。

     しかし、近年ではクイーンの二人がどのように作品を作りあげていったかの詳細が分かってきたので、「代作」という表現は使われなくなったようだ。フレデリック・ダネイが作品の骨格やトリックを考えて梗概(シノプシス)を分担し、そこからマンフレッド・リーが文章を起こす。この辺の事情については、ジョセフ・グッドリッチ編『エラリー・クイーン創作の秘密』で詳しく書かれているし、二人が激論を戦わした手紙の引用が残っており、単に分担とは言えないような共同制作であったことが分かっている。また小説化はされなかったが『間違いの悲劇』という作品のシノプシスが残されていて、ダネイの作ったシノプシスだけでも過剰なほどの文章が書かれる事までもが知られている。そういうわけで、5年の沈黙の間にダネイはシノプシスの準備を進めていたが、肝心のリーがスランプのために文章を書くことができなくなってしまった。そこでリーの役目を果たす代筆者が必要になったわけだ。飯城勇三著『エラリー・クイーン パーフェクトガイド』によると、リーに代わって小説化を別の作家が担当した作品は以下のとおりだ(小説化のコメントがない作品はリー自身が書いている)。
    盤面の敵(1963) (小説化:シオドア・スタージョン)
    第八の日(1964)  (小説化: エイブラム・デイヴィッドスン)
    三角形の第四辺(1965)  (小説化: エイブラム・デイヴィッドスン)
    恐怖の研究(1966)  (〈作中作〉の小説化: ポール・W・フェアマン)
    顔(1967)
    真鍮の家(1968) (小説化: エイブラム・デイヴィッドスン)
    孤独の島(1969)
    最後の女(1970)
    心地よく秘密めいた場所(1971)
     いずれもSF作家を起用したのは、同業のミステリー作家には手の内を明かしたくなかったからだろうか。理由はいまだによく分からないが、飯城さんも『ガイド』で書いているようにスタージョンの力量があったこそ『盤面の敵』は素晴らしい文章だったが、デイヴィッドスンの担当した作品は多分に影が薄い。小説化担当に起用した作家によって作品の優劣に差が出るところが、まさしく第4期の特徴と言えるだろう。そう考えると「現実をもっともらしく描こうとはしなくなり、もっぱらプロットや登場人物をパターンに当てはめるようになった。さらには以前の作品で用いた数多くのモチーフを再利用するようになった。」という部分は、リーの文章に頼れなくなったがための苦肉の策が原因だったのかもしれない。リーが本格的に復帰した『顔』では、上記のようなネガティブな特徴は当てはまらないからだ。
    (原)The risks of such an approach are obvious and the audience for recent Queen novels seems to have diminishied. Only time will tell whether the death of Manfred Lee in April 1971 marks the end of Period Four.
    (翻)このような取り組み方では危険が伴うのは明らかで、後年のクイーンの小説は愛読者が減っているように思われる。一九七一年四月にマンフレッド・リーが死亡しているが、それが第四期の終わりとなるかどうかは時がたってみなければわからない。
    (私)このような手法にはリスクが伴うのは明らかだ。近年、クイーン作品の読者は減ってきたように感じる。1971年4月にマンフレッド・リーが亡くなったが、それで第4期が終わりを迎えたのかは今少し時が経ってみないと分からない。
     リーのスランプからなるべくしてなってしまった「第4期の特徴」ゆえに、クイーンの新作を読もうとする読者は次第に減っていったのであって、翻訳のように「愛読者が減っている」わけではないだろう。愛読者(ファン)というものはいかなる状況においても作品を追いかけるものだと思うからだ。そして第4期の掉尾に位置する『心地よく秘密めいた場所』が出版された1971年にリーは天に召された。翻訳は相変わらず敬意も払わず「一九七一年四月にマンフレッド・リーが死亡している」などと書いている。1974年に出版された本書ではダネイが執筆は継続すると公言していると書いてあるが、結局「時が経って」分かったのは、リー亡き後にクイーン作品を続ける事などできなかったという現実だ。

     さきほど触れた『間違いの悲劇』というシノプシスは『心地よく秘密めいた場所』の次の作品として準備を進めていたものだそうだ。リーに宛てた手紙もあるので、1971年以前には完成してリーに送られていた。リーの死後に作家を立てて小説化を目指したらしいが、ダネイが1982年に亡くなって、それも叶わなかった。歴史に「もしも」はないのだが、現在大流行の生成AIがさらなる進化を遂げて、仮想リーと仮想ダネイを作りあげた後に、シノプシスをたたき台にして長篇『間違いの悲劇』を完成させるなどという大それた事を構想しているミステリー好き・クイーン好きのエンジニアはどこかにいないのだろうか。すでにプロジェクトは水面下で動き出しているのではないだろうか。一ファンの頭の中には、モラルというものは時として存在しなくなるものらしい。
    posted by アスラン at 11:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(エラリー・クイーン) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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