[原文](INTRODUCTION P.10)
The reality was harsher. Personal tragedy stalked Dannay through the years and caught him more than once, the decisive blow being the birth of his youngest son, Stephen, with incurable brain damage which led to his death at the age of 6. The birth-death motifs in such diverse novels as Cat of Many Tails, Inspetor Queen's Own Case, The Finishing Stroke, and A fine and Private Place can probably be attributed at least in part to Stephen's short and unhappy life, but none of these novels was the most direct literary outgrowth of the tragedy. Shortly before the child's death Dannay for therapeutic reasons began work on a completely personal book uncontributed to in any way by Manfred Lee. The novel was called The Golden Summer and was published by Little, Brown in 1953 under Dannay's birthname, Daniel Nathan.
[翻訳](プロローグ P.26)
現実はもっと厳しかった。ダネイは長年にわたって個人的な悲劇に悩まされてきた。それも一度だけではない。末息子のスティーヴンが生まれつきの脳障害で六歳で死亡したのは決定的な打撃であった。誕生や死亡の題材は『九尾の猫』、『クイーン警視自身の事件』、『最後の一撃』、それに『心地よく秘密めいた場所』などに見られるが、それは少なくともある程度までスティーヴンの短くて不幸な一生に根ざしたものがあると考えられる。とはいっても、これらの作品はどれも、悲劇的な経験をしたためにそれが自然に現れた、というものではない。息子が死ぬ少し前、ダネイは自己治療のために、マンフレッド・リーの手をまったく借りずに、一人っきりで本を書きはじめている。その小説には『ゴールデン・サマー』という題がつけられ、一九五三年にリトル・ブラウン社によって出版された。著者名はダネイの誕生名ダニエル・ネイサンとなっている。
[私訳]
しかし、実際のダネイの暮らしはそれほど安らいだものとは言えなかった。ダネイはこの時期に個人的な悲劇に何年間も苦しめられた。しかも一度だけではなかった。とりわけ末っ子のスティーヴンが生まれた事が疑いようのない痛手となった。スティーヴンは生まれつき脳に障害があり、わずか6歳でこの世を去ってしまったのだ。「生と死」というテーマは、『九尾の猫』『クイーン警視自身の事件』『最後の一撃』『心地よく秘密めいた場所』など多岐の作品に現われるが、ほんの一部であるにせよ、わずか数年で亡くなったスティーヴンの不幸な一生が反映している可能性は否定できない。とは言え、ここに挙げた作品はいずれも、ダネイの身に起きた悲劇を直接題材にして生み出されたものではない。
スティーヴンが亡くなる少し前になるが、ダネイは癒やしを求めて、リーには何ひとつ頼らずにあらゆる意味で個人的な小説を書きはじめた。その小説は『ゴールデン・サマー』というタイトルで、1953年にリトル・ブラウン社から出版された。著者名は、出生時のダニエル・ネイサンを使用した。
まずは翻訳について。この段落は致命的な間違いはないけれど、迂闊な訳し方は相変わらず多い。
(原)The reality was harsher.前の段落では「作家としても私生活でもやりたい事をやっていた(充実していた)」という件が書かれていたので「もっと厳しかった」では舌足らずだ。
(翻)現実はもっと厳しかった。
(私)しかし、実際のダネイの暮らしはそれほど安らいだものとは言えなかった。
(原)Personal tragedy stalked Dannay through the years and caught him more than once, the decisive blow being the birth of his youngest son, Stephen, with incurable brain damage which led to his death at the age of 6.後半のスティーブンの話。相変わらず関係詞節を前方の名詞に連体修飾させたまま日本語を組み立てているので、「決定的な打撃」が「スティーブンが死亡した」事になってしまっているが、正確には「スティーブンが生まれた」事のはずだ。もちろん結果的には亡くなった事が最大の打撃には違いないが、スティーブンが障害をもって生まれてきた事、亡くなるまでの暮らしなど全部が「決定的な打撃」だったと書かれている。そこを順序立てて理路整然と翻訳されてはいない。
(翻)ダネイは長年にわたって個人的な悲劇に悩まされてきた。それも一度だけではない。末息子のスティーヴンが生まれつきの脳障害で六歳で死亡したのは決定的な打撃であった。
(私)ダネイはこの時期に個人的な悲劇に何年間も苦しめられた。しかも一度だけではなかった。とりわけ末っ子のスティーヴンが生まれた事が疑いようのない痛手となった。スティーヴンは生まれつき脳に障害があり、わずか6歳でこの世を去ってしまったのだ。
(原)Shortly before the child's death Dannay for therapeutic reasons began work on a completely personal book uncontributed to in any way by Manfred Lee.今なら「セラピー」で通るが当時は概念がなかったかもしれない。それにしても「自己治療」では意味不明だ。それと確かに相方のマンフレッド・B・リーに頼らずに一人で『ゴールデン・サマー』を書き出したには違いないが、privateは「一人っきり」の意味ではない。
(翻)息子が死ぬ少し前、ダネイは自己治療のために、マンフレッド・リーの手をまったく借りずに、一人っきりで本を書きはじめている。
(私)スティーヴンが亡くなる少し前になるが、ダネイは癒やしを求めて、リーには何ひとつ頼らずにあらゆる意味で個人的な小説を書きはじめた。
内容について検討しよう。「生と死」にまつわるテーマが初めて持ち込まれた作品は『九尾の猫』である。ただし、ダネイの末っ子スティーヴン・ダネイが生まれたのが1948年で、翌1949年に『九尾の猫』が出版されているので、ダネイの私生活上の重大事がこの作品に投影されているわけではなさそうだ。それよりも『九尾の猫』よりも前の作品『フォックス家の殺人』や『十日間の不思議』で、既に父と子のテーマあるいは宗教的なテーマが持ち込まれているから、キリスト教における「生と死」をテーマにした作品が増えていくのは作家クイーンとしての必然だったのかもしれない。そして『ガラスの村』を出版した1954年にスティーヴンは短い一生を終える。その2年後の1956年には『クイーン警視自身の事件』が、さらに二年後の1958年には『最後の一撃』』が出版される。この2つの作品にはひょっとしたらスティーヴンの事が反映している可能性もありそうだ。
そして『ゴールデン・サマー』だ。障害のある子供の親になり、その死を見届けるという事がいかに重大な事かを、若い頃の自分は想像できていなかったと思う。だからクイーンの愛読者として『ゴールデン・サマー』がどんな位置づけにある小説だったのかを考える事などなかった。単にクイーン好きが高じて購入していた雑誌EQに掲載された文章を楽しく読んだ記憶しかない。それはもちろんクイーンの聖典のような本格ミステリーの醍醐味を味わうものではなかったが、作家クイーンの一人がどのような少年時代を送ったかを知るための興味深い読み物だった。
[原文](INTRODUCTION P.10)
Danny's therapeutic strategy was to evoke the contentment of his own blissful vanished childhood―"the lovely past"―as a means of at least partially erasing from his mind the anguish of his middle life. The Golden Summer is set in Elmira and tells how ten-year-old Danny spent the summer of 1915. Although Danny is slight, skinny, shy, bespectacled and physically the weakest in his peer-group, he is shrewd and nimble-witted enough to think or talk himself out of any spot, and to manipulate his playmates to his own advantage. Most of the novel consists of a series of unrelated "business adventures" in each of which Danny winds up with a few coins net profit. He displays the ghost of Long John Silver for a two-cent admission fee, raffles off a damaged copy of the brand-new Sherlock Holmes novel The Valley of Fear[3], organizes the Great Lolla paloosa Bi-Plane Company, and even adds a dime to his hoard through a splendiferous one-upmanship contest with his city cousin Telford (a thinly disguised Manfred). Thus The Golden Summer turns out to be a book-length double entendre: the season of incredible innocence and security and peace, the season the precocious little entrepreneur Danny Nathan made $4.73 from his playmates. And to most of its reviewers this double meaning seemed to be a basic flaw in the novel's purpose and structure―we are supposed to delight in Danny's adventures as in the exploits of Tom Sawyer or Penrod, but these adventures portray him as little more than a money-hungry wheeler-dealer, junior division. Whether the reviewers were right or wrong, The Golden Summer was a thumping failure commercially[4]. But even if as an independent work the book suffers from the conflict between nostalgia and brutal honesty, as a product of the same mind that sharped the Queenian universe it it not only not a failure but in many senses the key to the entire structure. The intellectual games Queen has always played with readers, the recurrent theme of "the lovely past," the origin of the names Ellery and Barnaby and a host of other elements of Queenland are dazzlingly illuminated by The Golden Summer, which also contains the only specimens of Danny's poetry ever published anywhere. Whoever has savored even a few Ellery Queen novels should haunt the second-hand bookstores for a copy of this impossibly rare volume. And now that literary nostalgia has again become a highly marketable commodity, we may perhaps even hope someday for a new and better-selling edition.
[翻訳](プロローグ P.27)
ダネイの治療作戦は、彼自身の幸福感に満ちあふれた遠い子供時代の心の和らぎを呼び起こすことだった――”懐しい過去”によって少なくとも彼の心から中年期の苦悩をいくぶんでも消そうとしたのだ。『ゴールデン・サマー』はエルマイラが舞台で、一九一五年の夏を十歳のダニーがどう過ごしたかを物語っている。ダニーは貧弱なやせっぽちの内気な少年で、眼鏡をかけ、同年輩の子供たちの中ではいちばん体力に劣るが、抜け目がなくて機転のきく知恵があるので、どんな場合でも考えたり意見を言ったりできるし、自分の利益のために遊び友だちをうまく操縦できる。小説の大半はそれぞれに関係のない”投機”の連続で、どの場合もダニーは二、三枚の硬貨を純益にして結末がつく。彼はロング・ジョン・シルヴァーの幽霊を見せ物にして二セントの入場料を取り、傷がついた新品のシャーロック・ホームズの小説『恐怖の谷』(原註3)一冊をラッフル販売で売り(購入希望者から少額のお金を集めて、くじ引きに当たった人に品物を渡す売り方)、グレート・ローラパルーザ・バイプレーン・カンパニー(偉大なすばらしい複葉機部隊というような意味)を組織している。そのうえ、都会育ちの従兄テルフォード(わずかにマンフレッドに似せた人物)と華やかな優位競争をして五セント硬貨一枚を自分の貯えに加えさえする。このように『ゴールデン・サマー』は始めから終わりまで二重の意味をもっているのがわかる。つまり、その夏は、信じられないほど無邪気で、安全かつ平和な季節であり、早熟な少年興行主ダニー・ネイサンが遊び友だちから四ドル七十三セントもうけた季節でもある。そして、たいていの批評家にとっては、この二重の意味は小説の目的と構成には基本的な欠点になるものと思われた――われわれはトム・ソーヤーとかペンロッド(ブース・ターキントンの小説)の手柄を楽しんだと同じようにダニーの冒険を楽しむことになっているのだが、いろんな行為から浮かび上がってくるダニーは、金に飢えた敏腕事業家の子供版以外の何ものでもない。批評家たちが正しかったか間違っていたかはともあれ、『ゴールデン・サマー』は商品的には途方もない失敗作だった(原註4)。しかし、この本は一つの作品としては郷愁と残酷な真実との矛盾によって失敗作になっているとしても、クイーンという人物の世界を作りあげた同じ頭脳の作品としては失敗作ではなかったばかりか、いろんな意味で構想全体を見る鍵となっている。クイーンが読者と一緒に楽しんできた知的な遊びや、繰り返し出てくる"懐しい過去"の題材、エラリイとバーナビイという名前の起源、それにクイーンの世界を構成する他の要素の主人役は『ゴールデン・サマー』によってまぶしいばかりに照らし出される。それに、『ゴールデン・サマー』によって、どんな形でも出版されたことのないダネイの詩の見本を知ることができる。たとえ二、三冊でもエラリイ・クイーンの小説を面白いと思って読んだことがある人なら、不可能といえるくらい手にはいりにくいこの本を古本屋で捜してみるべきだろう。それに、今日では昔懐しい文学作品が再びよい売れゆきを示すようになっているので、もしかするといつかこの本が再版されて以前より以上に売れるのを望めるかもしれない。
[私訳]
ダネイが癒やしとして考え出した方針は、中年の自分に降りかかる苦悶をわずかでも頭から消し去ってしまおうと、とうに失われてしまった幸せに満ちた子供時代、言わば「愛しき昔」をふり返る事で当時の心の安らぎを呼び起こすというものだった。『ゴールデン・サマー』はエルマイラを舞台にして、10歳になったダニーが1915年の夏をどのように過ごしたかを描いている。ダニーはすこし痩せていて大人しそうで眼鏡をかけている。仲良しグループの中では一番ひ弱そうに見えるけれど、実際には抜け目なくて機転が利く。だから、どんな窮地に追い込まれても、まっさきに考えたりアイディアを出したりできるし、自分の都合の良いように友だちを操る事もできる。物語の大半は、それぞれには関連がない「金儲けの話」が続く。どの話も、ダニーが最後に純益として二、三枚の硬貨を手に入れる事で落ちがつく。例えば、2セントの入場料を取って「(『宝島』に出てくる)ロング・ジョン・シルバー」の幽霊の見世物を出したり、シャーロック・ホームズの『恐怖の谷』(原註3)の新品を傷物にしてしまったので景品にして富くじを売ったり、「途轍もなく素晴らしい複葉機カンパニー」を設立したり、さらには都会に住む従兄のテルフォード(リーにそっくりなのが見え見えの少年)との間にライバル心を燃やし、最後には10セント硬貨を1枚、隠し場所に加えている。
こうして、タイトルの『ゴールデン・サマー』は全編を通じて二重の意味がある事がわかってくる。すなわち、信じがたいほどに無邪気で穏やかな夏の事でもあるし、早熟の起業家ダニー・ネイサンが遊び仲間から4.73ドルも稼いだ夏の事でもあるのだ。そしてタイトルが二つの意味に解釈できるという事が、多くの批評家の目には小説の目的と構成における根本的な欠点に映ったようだ。愛読者の私たちならば、(マーク・トウェインの生み出した)トム・ソーヤー少年や(ブース・ターキントンの生んだ)ペンロッド少年が成し遂げた事に喝采をおくるのと同様に、ダニーの冒険にも喝采をおくるだろう。だが、この冒険譚はダニーを「お金を欲しがる策略家の子供部門代表」も同然に描いてしまった。批評家たちの言い分が正しいかどうかはともかく、『ゴールデン・サマー』は商業的には途方もない失敗に終わった(原註4)。確かに単独の作品として見れば、郷愁を誘う物語と、金儲けばかり考えている少年をばか正直に描いた物語とが対立してちぐはぐであるという欠点を抱えている。にも関わらず、作家クイーンの世界を作りあげてきた知性の持ち主自らが生み出した作品として見るならば、失敗作などとは言えないし、いろいろな意味でクイーンの世界がどのようなものかを読み解く鍵となる作品でもある。例えば、クイーンが常日頃から読者を相手に繰り広げる知的なゲーム、ダネイの言う「愛しき昔」という主題の繰り返し、エラリイとバーナビーという名前の由来、さらには「クイーンの夢の国」を構成するその他多くの要素までもが、『ゴールデン・サマー』という作品を通してまばゆいばかりに光り輝いて見える。そして、この作品にだけは、現在に至るまでどこからも出版されていないダネイの詩の実例が載っている。もしこれまでにエラリイ・クイーンが登場する小説を二、三冊でも味わった事がある人なら、入手困難になっているこの稀少本を探し求めて古書店に何度も足を運んだ方がいいだろう。文学的な郷愁を誘う作品の価値が見直されてきている今ならば、新版となってもっと売れる日が来るのを今度こそ期待してもいいかもしれない。
まずは翻訳について。
(原)Danny's therapeutic strategy was to evoke the contentment of his own blissful vanished childhood―"the lovely past"―as a means of at least partially erasing from his mind the anguish of his middle life.戦争でもないのだからtherapeutic strategyを「治療作戦」とするのはさすがにないだろう。それと同格表現としてthe lovely pastが挿入されている。その直前でいったん文を切るのは良いとして、同格である事を示さないまま後半の部分を訳している。しかも「"懐かしい過去"によって…消そうとした」と言うのは正確ではない。結局は「"懐かしい過去"の心の安らぎを呼び起こすことによって…消そうとした」のように前半と同じ事をもう一度書かねばならないので、僕は二文に分けるのを断念した。
(翻)ダネイの治療作戦は、彼自身の幸福感に満ちあふれた遠い子供時代の心の和らぎを呼び起こすことだった――”懐しい過去”によって少なくとも彼の心から中年期の苦悩をいくぶんでも消そうとしたのだ。
(私)ダネイが癒やしとして考え出した方針は、中年の自分に降りかかる苦悶をわずかでも頭から消し去ってしまおうと、とうに失われてしまった幸せに満ちた子供時代、言わば「愛しき昔」をふり返る事で当時の心の安らぎを呼び起こすというものだった。
(原)Most of the novel consists of a series of unrelated "business adventures" in each of which Danny winds up with a few coins net profit.ダネイが少年時代の話だから「投機」という言葉はさすがにちょっと難しすぎる。business adventuresには「投機」という意味合いはありそうなので間違ってはいないかもしれないが、もうちょっと分かりやすく「金儲け」と訳しておく。「それぞれに関係のない」というのもやや違和感がある。金儲けという点では一貫しているので「関係」はあるが、毎回違った金儲けのネタをダネイ少年が探してくるだけで「関連」はない。
(翻)小説の大半はそれぞれに関係のない”投機”の連続で、どの場合もダニーは二、三枚の硬貨を純益にして結末がつく。
(私)物語の大半は、それぞれには関連がない「金儲けの話」が続く。どの話も、ダニーが最後に純益として二、三枚の硬貨を手に入れる事で落ちがつく。
(原)He displays the ghost of Long John Silver for a two-cent admission fee, raffles off a damaged copy of the brand-new Sherlock Holmes novel The Valley of Fear[3], organizes the Great Lolla paloosa Bi-Plane Company, and even adds a dime to his hoard through a splendiferous one-upmanship contest with his city cousin Telford (a thinly disguised Manfred).この一節の翻訳は何故か訳注ばかりなのだが、肝心の「ロング・ジョン・シルヴァー」が作家スティーブンソンの小説『宝島』の登場人物だという事を示していない。ちなみに英和辞典では「ロング・ジョン・シルバー」と紹介されているが、日本百科全書ニッポニカでは「のっぽで1本足のジョン・シルバー」と書かれている。だがブリタニカでは「片足の悪党ロング・ジョン・シルバー」と書かれているので、どちらにするかはちょっと迷う。ちなみに2004年に新訳で出版された『ゴールデン・サマー』では「のっぽのジョン・シルバー」となっていた。
(翻)彼はロング・ジョン・シルヴァーの幽霊を見せ物にして二セントの入場料を取り、傷がついた新品のシャーロック・ホームズの小説『恐怖の谷』(原註3)一冊をラッフル販売で売り(購入希望者から少額のお金を集めて、くじ引きに当たった人に品物を渡す売り方)、グレート・ローラパルーザ・バイプレーン・カンパニー(偉大なすばらしい複葉機部隊というような意味)を組織している。そのうえ、都会育ちの従兄テルフォード(わずかにマンフレッドに似せた人物)と華やかな優位競争をして五セント硬貨一枚を自分の貯えに加えさえする。
(私)例えば、2セントの入場料を取って「(『宝島』に出てくる)ロング・ジョン・シルバー」の幽霊の見世物を出したり、シャーロック・ホームズの新刊『恐怖の谷』(原註3)に傷を付けてしまい、それを景品にして富くじを売ったり、「途轍もなく素晴らしい複葉機カンパニー」を設立したり、さらには都会に住む従兄のテルフォード(リーにそっくりなのが見え見えの少年)との間にライバル心を燃やし、最後には10セント硬貨を1枚、隠し場所に加えている。
翻訳が訳注をつけているのは「ラッフル販売」だが、細かな差分にこだわらなければ「富くじ」だとか「(有料の)抽選くじ」とか言いようがある。別に「ラッフル販売」の意味を知ってほしいという文脈ではなさそうだ。それと「グレート・ローラパルーザ・バイプレーン・カンパニー」も訳注に訳語を示している。こういうときは英語の字面the Great Lolla paloosa Bi-Plane Companyに何か意味があるのかと思ってしまうが、どうやらそうでもなさそうだ。さっさと「偉大なすばらしい複葉機カンパニー」と書いて、カタカナ語はルビにでもしておけばよい。
でも、この部分で一番の問題はa thinly disguised Manfredの訳だ。「わずかにマンフレッドに似せた人物」と訳しているが逆だろう。disguised(姿を変えさせる)が足りないと言っているのだから「リーにそっくりなのが見え見え」という意味になるはずだ。ちなみに同じ文でa dimeが出てくるのだが、10セント硬貨なのに何故翻訳は半額の「五セント硬貨」になってしまうのだろう。
(原)But even if as an independent work the book suffers from the conflict between nostalgia and brutal honesty, as a product of the same mind that sharped the Queenian universe it it not only not a failure but in many senses the key to the entire structure. The intellectual games Queen has always played with readers, the recurrent theme of "the lovely past," the origin of the names Ellery and Barnaby and a host of other elements of Queenland are dazzlingly illuminated by The Golden Summer,the conflict between nostalgia and brutal honestyの後半のbrutal honestyは「残酷な真実」などではない。ノスタルジーに溢れた物語である一方で、ほんの10歳の少年が金儲けばかりを考えている。そのことを「あまりに正直に」描いた物語だと言っているのだ。 the entire structureも「構想全体」では意味不明で、このtheは直前のthe Queenian universeを指しているはずだ。
(翻)しかし、この本は一つの作品としては郷愁と残酷な真実との矛盾によって失敗作になっているとしても、クイーンという人物の世界を作りあげた同じ頭脳の作品としては失敗作ではなかったばかりか、いろんな意味で構想全体を見る鍵となっている。クイーンが読者と一緒に楽しんできた知的な遊びや、繰り返し出てくる"懐しい過去"の題材、エラリイとバーナビイという名前の起源、それにクイーンの世界を構成する他の要素の主人役は『ゴールデン・サマー』によってまぶしいばかりに照らし出される。
(私)確かに単独の作品として見れば、郷愁を誘う物語と、金儲けばかり考えている少年をばか正直に描いた物語とが対立してちぐはぐであるという欠点を抱えている。にも関わらず、作家クイーンの世界を作りあげてきた知性の持ち主自らが生み出した作品として見るならば、失敗作などとは言えないし、いろいろな意味でクイーンの世界がどのようなものかを読み解く鍵となる作品でもある。例えば、クイーンが常日頃から読者を相手に繰り広げる知的なゲーム、ダネイの言う「愛しき昔」という主題の繰り返し、エラリイとバーナビーという名前の由来、さらには「クイーンの夢の国」を構成するその他多くの要素までもが、『ゴールデン・サマー』という作品を通してまばゆいばかりに光り輝いて見える。
この部分で一番分かりにくかったのがa host of other elements of Queenlandだ。Queenlandはthe Queenian universe(クイーンの世界)とは違っている。「クイーンの世界」は作家クイーンの頭の中であり、作品に反映されている構想やアイディアや人物造形諸々を指すが、Queenlandはクイーンが作りだした作品を構成する要素すべてが盛りこまれていて、ファンがまるでディズニーランドのように楽しめる「夢の国」を指している。そして、その中にthe intellectual gamesや"the lovely past"やthe origin of the names Ellery and Barnabyなどが含まれ、さらにはother elements(その他の要素)が含まれている。それをとりまとめるのがa hostであろうが、「クイーンの世界を構成する他の要素の主人役」では何の事やらさっぱり分からない。だとしたらa hostは作家クイーン自身ではないのか。そう考えて私訳をこねくり回してはみたが、どうにもうまくいかない。電子辞書の例文検索でようやく正解にたどり着いた。hostはホスト(主人)ではなく別の語源のhostだった。そしてa host of…(大勢の、多数の)という成句だったのだ。
ここからは内容について。『ゴールデン・サマー』は1953年に出版された。それはダネイの息子スティーヴンが亡くなる前年であり、当然ながら一人で書き出したのはそれよりも前になるわけだから、あきらかに脳障害をもって生まれてきた息子の事に頭を悩ましている時期に書かれたはずだ。そしてこれが出版的にも成功していたらダネイの「癒やし」になっていただろうが、まったくと言っていいほど売れなかったようだ。それをクイーン贔屓の著者ネヴィンズは擁護して、プロローグに破格と言っていいほどの分量の文章で「失敗作」ではないと熱弁を振るっている。批評家たちは物語の構成上の欠点しか言わないが、ファンから見れば見どころ読みどころが満載なのは明らかだろうというわけだ。
ただし、ネヴィンズの言葉は少々割り引いて読まねばならない。実際に『ゴールデン・サマー』を読んでみるとわかるが、この作品の最大の問題点はダネイの作家としての力量にある。編集者でもある彼の文章が下手だと言いたいのではない。過剰なのだ。郷愁に満ちたダネイの子供時代の風景や風俗を描くだけなのに、とにかく第一期のクイーン作品と同じような調子で、事細かにダネイの生家の様子を書き連ねたりする。その中に犯人を示す鍵や伏線が紛れ込んでいるのであれば真剣に読むだろうが、単なる描写であり、その意味するところがダネイの記憶の中にある郷愁に満ちた生家の再現でしかないのだとすると、ファンであってもつき合いきれないというのが正直な感想だ。トム・ソーヤーの冒険譚のようなものを目指した、ダニーの機知に富んだ物語は、鼻につくところがあるのは確かだが、ミステリーじみた解決をきちんと用意していて楽しめる。やはり問題は構成のバランスの悪さだろう。つきあいきれないほど過剰な描写と、ごくごくプライベートな詩が抱き合わせになっている点も、作品をとっつきにくくさせている原因となっている。
とにもかくにも、プロローグで敬愛するダネイを持ち上げたネヴィンズは、本文では『ゴールデン・サマー』を一切取りあげていない。この段落で「「クイーンの夢の国」を形づくる要素が、『ゴールデン・サマー』を通じて輝きを増すだろう」と指摘している点については、実際に『ゴールデン・サマー』の感想で後日検討したい。



