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    2025年01月13日

    フランシス・M・ネヴィンズJr.『エラリイ・クイーンの世界』を散策する(その10)

     引き続き、第3期について。ただし、クイーンの二人が、最盛期と言われる第3期を私生活ではどう過ごしていたかについて語られる部分だ。
    [原文](INTRODUCTION P.9)
     These Period Three years, 1942-58, saw Dannay and Lee at the peak of their powers and popularity, selling millions of copies a year, praised as highly by critics and their fellow writers as by their immense audience. The very name Ellery Queen, like that of Holmes before him, entered common parlance as virtually a synonym for detective. But spectacular as was the success of their creation the authors' lives remained, in Anthony Boucher's words, "unspectacular and irrelevant," except in one sense which we shall shortly explore. Manfred Lee settled down in suburban Connecticut, first in Westport, later on a 63-acre estate in Roxbury, where he and his wife, a former actress who often played roles on the Queen radio show, raised a total of eight children. Lee declared his property a game preserve, added to his stamp and record and medal collections, beat a playwright neighbor named Arthur Miller in an selection to the Roxbury library board, and served as the small community's Justice of the Peace during 1957-58. Meanwhile Frederic Dannay and his family settled in Larchmont, New York about 90 minutes from Roxbury and half an hour from New York City. In whatever moments he could spare from his multitudinous Queenly duties he continued to write poetry, none of it published (one editor said it was too highly personal in nature), and to collect stamps and first editions, and all in all to give the appearance of a well-to-do gentlemen of high cultivation, living a busy but essentially tranquil existence.
    [翻訳](プロローグ P.25)
     この第三期にあたる一九四二年から五八年とかけての年月は、ダネイとリーが能力と人気の両面で全盛期にあったときで、毎年の本の売り上げは何百万冊にもおよび、数知れない読者から高い賞賛を浴びると同時に批評家や同業の作家たちからも高く評価された。エラリイ・クイーンという名前そのものが、以前のホームズと同じように、事実上、探偵と同義語として人びとの日常の会話に使われるようになった。だが、壮観だったのは二人の創作の成功面で、従兄弟作家たちは依然としてアンソニー・バウチャーの言う”壮観でもなくそれらしくもない”生活を続けていたが、ある意味では変わったところもあるので手短かに見てみよう。マンフレッド・リーはコネティカット州のいなかで、最初はウェストポートに住んだが後にロクスバリーに六十三エーカーの土地を持つ広大な屋敷に落ち着き、クイーン・ラジオ劇場によく出ていた女優を妻として、合計八人の子供を育てている。リーは自分の所有地を禁猟区として宣言し、切手やレコード、およびメダルの蒐集を趣味としたほか、ロクスバリー図書館委員選挙では近所に住んでいた劇作家のアーサー・ミラーを押さえて当選し、一九五七年から五八年にかけては同じ町の治安判事をつとめてもいる。他方、フレデリック・ダネイと彼の家族はニューヨーク州ラーチモントに居を構えた。ロクスバリーから九十分、ニューヨーク市から三十分のところである。彼はクイーンとしての種々雑多な仕事をするかたわら、時間の許すかぎり詩を書き続け、切手や初版本の蒐集をしたが、詩は一度も出版されたことがない(ある編集者によれば、極端なまでにまったく個人的な詩だという)。大体において、彼から受ける印象はいつも、教養のある裕福な紳士で、忙しくはあるが本質的には静かな生活をしているという感じだった。
    [私訳]
     第三期と言うと1942年〜1958年に該当するが、ダネイとリーの影響力、人気のいずれもが最盛期を迎えた。一年に何百万冊もの著作が売れ、批評家や作家仲間からも高く賞賛されたし、同様に無数の読者からも歓迎された。「探偵と言えば誰?」と聞かれて、まさに「エラリー・クイーン」という名前が誰の口からも突いてでるようになった。かつては「ホームズ」という名前がそうだったように。しかし、二人が生み出した作品が華々しい成功をおさめる一方で、アンソニー・バウチャーによれば、二人の私生活は以前と同様に「華々しくはないし、むしろ華々しさとは無縁」だった。とは言え、ある程度の例外がないわけではないので、手短に検討しておこう。リーは結婚後はコネチカット州の郊外に落ち着いた。最初はウェストポートに住み、後にロクスベリーに63エーカーの土地を手に入れ、そこで妻と二人で合わせて8人の子供を育てた。妻は元々は女優で、《クイーンのラジオ劇場》に度々出演していた。リーは切手やレコード、古い硬貨などのコレクションに加えて自らが所有する禁猟区も財産として申告している。ロクスベリー図書館の役員選挙にも立候補して、近所に住んでいた劇作家のアーサー・ミラーを破って当選した。1957年〜1958年の二年間は、その小さな町で治安判事をつとめたこともある。
     一方のダネイはニューヨーク州ラーチモントに家族と暮らしていた。車だとロクスベリーからは90分、ニューヨーク市からは30分程度の距離だ。ダネイは作家クイーンとしてやらねばならない無数の仕事の合間に少しでも時間ができると、詩の執筆を続けた。ちなみに詩は一編たりとも出版はされていない(ある編集者の話では、実際のところ、ごく個人的な内容だったようだ)。それ以外にも切手や初版本の収集を続けた。そしておおよそのところ、洗練された教養を身につけた一人の裕福な紳士が、仕事に追われてはいるが基本的には穏やかに過ごしているように見える生活を続けた。


    (原)These Period Three years, 1942-58, saw Dannay and Lee at the peak of their powers and popularity, selling millions of copies a year, praised as highly by critics and their fellow writers as by their immense audience.
    (翻)この第三期にあたる一九四二年から五八年とかけての年月は、ダネイとリーが能力と人気の両面で全盛期にあったときで、毎年の本の売り上げは何百万冊にもおよび、数知れない読者から高い賞賛を浴びると同時に批評家や同業の作家たちからも高く評価された。
    (私)第三期と言うと1942年〜1958年に該当するが、ダネイとリーの影響力、人気のいずれもが最盛期を迎えた。一年に何百万冊もの著作が売れ、批評家や作家仲間からも高く賞賛されたし、同様に無数の読者からも歓迎された。
     以後の文章を読むかぎり、their powerは「クイーンの影響力」でないと意味が通じない。人気が売り上げに繋がって何百万冊も売れていただけでなく、批評家や同じミステリー作家からも評価されていた事を指している。売り上げが「年間数百万冊」というのが当時どの程度の売れっ子度合いを示すのか分からないので、当時のランキングを調べてみようとしたが正直よく分からないので、最近流行りの生成AIのお世話になることにした。CoPilotは「エラリー・クイーン - 『ザ・ガルトン・ケース』(1949年)などが大ヒットしました。」などと怪しげな回答をするので、chatGPTに乗り換えた。
    [1920年代の代表的なミステリー作家]
    1. アガサ・クリスティ (Agatha Christie)
     ゴールデンエイジ・ミステリーの代表的作家で、1920年代にデビューしました。
     代表作:『スタイルズ荘の怪事件』で名探偵エルキュール・ポアロが初登場しました。その後、『ゴルフ場の殺人 』など、人気作を次々に発表しました。
     彼女の作品は、緻密なプロットと意外な結末で読者を魅了し、この時代にミステリー作家としての地位を確立しました。
    2.S.S.ヴァン・ダイン (S.S. Van Dine)
     推理小説界に「フィロファイロ・ヴァンス (Philo Vance)」という上流階級の探偵を登場させ、大きな話題を呼びました。彼の作品は推理だけでなく、知的で洗練された雰囲気が特徴でした。代表作: 『ベンスン殺人事件』  
    3.ガートルード・スタイン (Gertrude Stein)
     スタインは主にモダニズム文学で知られますが、1920年代には彼女の影響を受けた作家がミステリー小説でも新しいスタイルを試みました。
    4.メルヴィル・デイヴィスン・ポースト (Melville Davisson Post)
     「アンキタス・グリーンアブナー叔父(Uncle Abner)」シリーズで知られ、法と道徳をテーマにしたミステリーを執筆しました。
    5.エラリー・クイーン (Ellery Queen)
     エラリー・クイーンは1929年にデビューし、論理的推理の黄金期を築く存在となりました。彼らのデビュー作『ローマ帽子の秘密 』は高い評価を受けました。

    6.ダシール・ハメット (Dashiell Hammett)
     ハードボイルドの先駆者として、1920年代に短編を中心に活躍しました。彼の作品は雑誌「ブラック・マスク」で発表され、リアルな犯罪描写で注目を集めました。
     以前よりはだいぶマシな回答を出してくる。3位のスタインは直接はミステリーを書いていないし、4位のアブナー伯父シリーズも「アンキタス・グリーン (Uncle Abner)」シリーズと書かれていたり、2位の「ファイロ」も「フィロ」になっていた。ただ、作家や作品名、説明などは思いの外合っている。新人としてクイーンが入ってると同時に、ハードボイルド作家のハメットが並んでいるのも象徴的だ。これで十年ごとにランキングを見ていく(誤りは適宜手直しした。)
    [1930年代の代表的なミステリー作家]
    1.ダシール・ハメット (Dashiell Hammett)
     ハードボイルド探偵小説のパイオニアとして、1930年代に絶大な人気を博しました。彼の作品は映画化もされ、さらなる知名度を得ました。代表作『マルタの鷹』『血の収穫』  
    2.アール・スタンリー・ガードナー (Erle Stanley Gardner)
     『ペリー・メイスン』シリーズは1930年代にスタートし、短期間で大人気シリーズとなりました。彼のテンポの速いリーガルミステリーは幅広い読者層を獲得しました。
    3.エラリー・クイーン (Ellery Queen)
     エラリー・クイーン名義で執筆された推理小説は、この時代の象徴的な存在です。彼らの作品は緻密なプロットと論理的な謎解きが特徴で、多くのミステリーファンに支持されました。

    4.S・S・ヴァン・ダイン (S. S. Van Dine)
      フィロファイロ・ヴァンスシリーズで知られ、1920年代後半から1930年代初頭にかけて非常に人気がありました。彼の影響は後の作家たちにも及びました。
    5.アガサ・クリスティ (Agatha Christie)
     アガサ・クリスティはイギリスの作家ですが、アメリカでも1930年代に大きな影響を与えました。『オリエント急行の殺人 』は特にアメリカ市場でも好評でした。

    [1940年代の代表的なミステリー作家]
    1.レイモンド・チャンドラー (Raymond Chandler)
     ハードボイルド探偵小説の巨匠として、この時代に絶大な人気を誇りました。彼の主人公フィリップ・マーロウは時代を象徴する探偵キャラクターです。彼の作品は文学的評価も高く、映画化も進みました。代表作: 『さらば愛しき女よ』『大いなる眠り』『湖中の女』
    2.ダシール・ハメット (Dashiell Hammett)
     ハメットは1940年代に新作を発表していませんが、彼の過去作(『マルタの鷹』や『薄氷の殺人血の収穫』)が引き続き読まれ、映画化やラジオドラマ化によって広く支持され続けました。
    3.アール・スタンリー・ガードナー (Erle Stanley Gardner)
     法廷ミステリー『ペリー・メイスン』シリーズは1940年代も継続的に出版され、依然として高い人気を誇りました。彼の生産性は非常に高く、ペリー・メイスンシリーズだけでも40冊以上を執筆しています。テレビドラマ化(1957年から)に先立ち、1940年代にはすでに映画化され、成功を収めていました。
    4.エラリー・クイーン (Ellery Queen)
     推理小説の黄金期を代表する作家として1940年代も活躍しました。彼らの作品は論理的な謎解きと巧妙なトリックで知られ、短編・長編ともに多くの読者を魅了しました。代表作: 『十日間の不思議』

    5.パトリシア・ハイスミス (Patricia Highsmith)
     この時代の終盤にデビューし、心理的要素を重視した新しいタイプのミステリー作家として注目を集めました。彼女のデビュー作『見知らぬ乗客』も1940年代後半の執筆です。
    6.ドロシー・B・ヒューズ (Dorothy B. Hughes)
     女性作家でありながらハードボイルド・ミステリーの分野でも成功を収めた数少ない人物の一人です。『苛烈なる街孤独な場所で 』は、犯罪者の視点から描かれる斬新な心理サスペンスとして評価されました。
    7.マイクル・イネス (Michael Innes)
     イギリス出身ながらアメリカでも人気を博した作家で、知的でウィットに富むミステリーを書きました。『ハンプシャーの怪事件学長の死』などが知られています。

    [1950年代の代表的なミステリー作家]
    1.レイモンド・チャンドラー (Raymond Chandler)
     1950年代もハードボイルドの巨匠として広く読まれました。『長いお別れ』は、彼の代表作の一つで、文学的にも高い評価を受けています。
    2.アール・スタンリー・ガードナー (Erle Stanley Gardner)
     『ペリー・メイスン』シリーズはこの時代も大人気で、短期間で次々と新作を発表し続けました。また、ペリー・メイスンはラジオドラマやテレビドラマ化され、さらに知名度を高めました。
    3.ミッキー・スピレイン (Mickey Spillane)
     ハードボイルド探偵マイク・ハマー シリーズで爆発的な人気を誇りました。代表作には『裁くのは俺だ』『俺が掟だ 』などがあり、暴力的でスリリングなスタイルが話題となりました。彼の作品は商業的にも非常に成功しました。
    4.ジョン・D・マクドナルド (John D. MacDonald)
     フロリダを舞台にした犯罪小説で知られ、後に「トラヴィス・マッギー 」シリーズを手がける作家として注目を集めました。
    5.パトリシア・ハイスミス (Patricia Highsmith)
     彼女の心理サスペンスは1950年代に革新をもたらしました。代表作『見知らぬ乗客』『太陽がいっぱい 』は映画化され、大きな影響を与えました。
    6.アガサ・クリスティ (Agatha Christie)
     1950年代も依然としてアメリカでの人気が衰えず、ミステリー界の女王として君臨していました。代表作『ポアロのクリスマス 』などが出版されました。

    [1960年代の代表的なミステリー作家]
    1.ロス・マクドナルド (Ross Macdonald)
     ハードボイルド探偵小説の名手として、レイモンド・チャンドラーの後継者と呼ばれました。「ルー・アーチャー」シリーズはこの時代に最高潮を迎え、心理的深みや家族の秘密をテーマにした作品が評価されました。代表作: 『さむけ』『地下室の少年
    2.アール・スタンリー・ガードナー (Erle Stanley Gardner)
     『ペリー・メイスン』シリーズはこの時代も続き、特にテレビドラマ版(1957年開始)の成功が原作の売上を後押ししました。彼の作品は読者に幅広く愛されました。
    3. パトリシア・ハイスミス (Patricia Highsmith)
     心理サスペンス作家として、60年代も活躍。トム・リプリーシリーズの続編がこの時代に書かれ、彼女の名声をさらに高めました。代表作: 『アメリカの友人』
    4.ジョン・D・マクドナルド (John D. MacDonald)
     「トラヴィス・マッギー 」シリーズで大成功を収めました。このシリーズはフロリダを舞台にしたハードボイルドの冒険ミステリーで、エンターテインメント性の高さが人気の要因でした。代表作: 『深紅の罠
    5.エラリー・クイーン (Ellery Queen)
     60年代も活動を続け、短編や長編を発表し続けました。クラシックな謎解きスタイルが好きな読者に支持されていました。

    6.エド・マクベイン (Ed McBain)
     87分署シリーズで警察小説のジャンルを確立。このシリーズは犯罪の捜査手法に焦点を当て、現実的な警察の描写が特徴です。代表作: 『ヒート
    7.アガサ・クリスティ (Agatha Christie)
     ゴールデンエイジの女王として、この時代も世界中で高い人気を維持しました。晩年にあたる1960年代も新作を発表し続けています。代表作: 『象は忘れない』
     あらかじめ断っておくが、これらのランキングは2025年1月現在の生成AIの性能を端的に示しているだけで、それ以上でもそれ以下でもない。1960年代のランキングに登場するクリスティは「晩年にあたる1960年代も新作を発表し続け」と書かれているが、実際には1976年に亡くなる三年前までは執筆を続けていたし、『象は忘れない』は実際には1972年に出版されている。さらに言えば、同じ問いを与えても、この各年代のランキングが再現される訳ではない事も言い添えておく。それを承知の上で参考にすると、クイーンについて言えば1970年代のランキングには登場しなくなる。リーが1971年に亡くなり著作が永遠に途絶えるからだ。

     全盛期と言われる第3期に含まれる1950年代のランキングにはクイーンの名前が見られない。突然人気がなくなった訳ではなく、アメリカのミステリー界ではクイーン以外の新しい勢力が台頭してきたという事だろう。では、いっそのこと「エラリー・クイーンの著作の売り上げ動向を年代別に示せ」とchatGPTに聞いてみよう。
    1920年代:デビューと注目のスタート
    ・初期の成功
     1929年、デビュー作『ローマ帽子の謎 (The Roman Hat Mystery)』を発表。この作品を皮切りに、「国名シリーズ」として知られるエラリー・クイーン名義の本格ミステリーが注目され始めました。
    ・売上規模
     初期の作品は非常に知的で、限られたミステリーファンに支持される形でしたが、大ヒットには至りませんでした。
    1930年代:本格派ミステリーの黄金期
    ・売上が拡大
     「国名シリーズ」(例:『フランス白粉の謎』や『ギリシア棺の謎』)が順調に人気を獲得。読者はエラリー・クイーンのロジカルな推理と挑戦状形式に魅了されました。
    ・特徴
     クラシックな謎解き要素が人気で、アガサ・クリスティやS.S.ヴァン・ダインの作品と並び、売上は安定的に拡大。
    ・売上規模
     年間数十万部の売上を達成するようになり、本格派ミステリー作家としての地位を確立しました。
    1940年代:シリーズの拡大と多方面への進出
    ・売上がピークに
     エラリー・クイーンは、短編作品やラジオドラマの脚本、映画化など多方面に展開。この時期、彼らの名前はミステリーの代名詞となり、著作の売上がピークに達しました。
    ・代表作
     『災厄の町 (Calamity Town)』(1942年)は、シリーズ初の「ライツヴィル (Wrightsville)」を舞台にした作品で、心理的要素を加味した新しいスタイルが成功。
     短編集『エラリー・クイーンの冒険』などがベストセラーとなりました。
    ・売上規模
     年間で100万部以上を記録することもあり、推理小説のベストセラー作家としての地位を確固たるものにしました。
    1950年代:社会の変化と売上の安定
    ・新しい方向性と安定期
     ハードボイルドや心理サスペンスの台頭により、伝統的な本格ミステリーの需要は少しずつ減少。それでもエラリー・クイーンは安定した売上を維持しました。
    ・代表作
     『最後の一撃 (The Last Woman in His Life)』(1950年)
     『ベックの箱舟最後の一撃 (The Finishing Stroke)』(1958年)
    ・売上規模
     年間50万部前後の安定した売上。新作に加えて、過去の名作の再版も読者に支持され続けました。
    1960年代:ミステリー市場の多様化
    ・売上の変動
     1960年代には、ハードボイルドやポリス・プロシージャルの人気が高まり、エラリー・クイーンの売上は次第に減少。しかし、この時代も過去の作品が根強い人気を保ちました。
    ・代表作
     『フォックス家の殺人盤面の敵 (The Player on the Other Side)』(1963年)
      他の作家とのコラボ作品やアンソロジー編集も注力。
    ・売上規模
     年間10〜30万部程度の売上。新作よりもクラシックな「国名シリーズ」の再版が中心。
    1970年代:晩年と評価の再認識
    ・売上は低迷
     新しいミステリー作家の台頭や、エラリー・クイーンの古典的なスタイルが時代に合わなくなり、売上は低下。
    ・代表作
     1971年に発表された『80日間殺人事件 (The Tragedy of Errors)』は未完成作として後に出版。
    ・売上規模
     年間数万部規模に落ち着く。エラリー・クイーンの全体的な評価は高いものの、新しい世代の読者からは古典としての位置づけになりました。
     1940年代には「年間で100万部以上を記録することもあり、推理小説のベストセラー作家としての地位を確固たるものにしました。」と書かれていて、本書の「一年に何百万冊もの著作が売れ、…同様に無数の読者からも歓迎された。」という記述とおおよそ合致する事を確認できたところで、生成AIとのお遊びは終わる事にしよう。

    (原)The very name Ellery Queen, like that of Holmes before him, entered common parlance as virtually a synonym for detective. But spectacular as was the success of their creation the authors' lives remained, in Anthony Boucher's words, "unspectacular and irrelevant," except in one sense which we shall shortly explore.
    (翻)エラリイ・クイーンという名前そのものが、以前のホームズと同じように、事実上、探偵と同義語として人びとの日常の会話に使われるようになった。だが、壮観だったのは二人の創作の成功面で、従兄弟作家たちは依然としてアンソニー・バウチャーの言う”壮観でもなくそれらしくもない”生活を続けていたが、ある意味では変わったところもあるので手短かに見てみよう。
    (私)「探偵と言えば誰?」と聞かれて、まさに「エラリー・クイーン」という名前が誰の口からも突いてでるようになった。かつては「ホームズ」という名前がそうだったように。しかし、二人が生み出した作品が華々しい成功をおさめる一方で、アンソニー・バウチャーによれば、二人の私生活は以前と同様に「華々しくはないし、むしろ華々しさとは無縁」だった。とは言え、ある程度の例外がないわけではないので、手短に検討しておこう。
     生成AIの回答の1940年代は「彼らの名前はミステリーの代名詞となり」とある。まさに「探偵イコール誰?」と部分に該当する。しかもアメリカの読者やラジオドラマの視聴者にとって、エラリー・クイーンは探偵であると同時に作家だったのだ。それにしても翻訳で「壮観」と表現しているのは違和感があるし、「壮観でもなくそれらしくもない」というのも意味不明だ。「ある意味では変わったところもある」というのも誤解を招く表現だろう。要はセレブらしい派手なことは何一つしていないが、地味な趣味や日課にお金をかけて楽しんではいたようだと著者は言いたいのだ。

    (原)Manfred Lee settled down in suburban Connecticut, first in Westport, later on a 63-acre estate in Roxbury, where he and his wife, a former actress who often played roles on the Queen radio show, raised a total of eight children. Lee declared his property a game preserve, added to his stamp and record and medal collections, beat a playwright neighbor named Arthur Miller in an selection to the Roxbury library board, and served as the small community's Justice of the Peace during 1957-58.
    (翻)マンフレッド・リーはコネティカット州のいなかで、最初はウェストポートに住んだが後にロクスバリーに六十三エーカーの土地を持つ広大な屋敷に落ち着き、クイーン・ラジオ劇場によく出ていた女優を妻として、合計八人の子供を育てている。リーは自分の所有地を禁猟区として宣言し、切手やレコード、およびメダルの蒐集を趣味としたほか、ロクスバリー図書館委員選挙では近所に住んでいた劇作家のアーサー・ミラーを押さえて当選し、一九五七年から五八年にかけては同じ町の治安判事をつとめてもいる。
    (私)リーは結婚後はコネチカット州の郊外に落ち着いた。最初はウェストポートに住み、後にロクスベリーに63エーカーの土地を手に入れ、そこで妻と二人で合わせて8人の子供を育てた。妻は元々は女優で、《クイーンのラジオ劇場》に度々出演していた。リーは切手やレコード、メダルや勲章などのコレクションに加えて自らが所有する禁猟区も財産として申告している。ロクスベリー図書館の役員選挙にも立候補して、近所に住んでいた劇作家のアーサー・ミラーを破って当選した。1957年〜1958年の二年間は、その小さな町で治安判事をつとめたこともある。
     翻訳はちょこちょこと変だ。「63エーカーもの地所」を手に入れたからには確かに「広大な屋敷」が建っていそうだが、原文には記述がない。派手好みではない”クイーン”の一人に相応しいかどうか。それに63エーカーが全部「禁猟区」という扱いになっているが、ここでは地所の一部を「禁猟区」として申告したという事だと思うのだが。

    (原)Meanwhile Frederic Dannay and his family settled in Larchmont, New York about 90 minutes from Roxbury and half an hour from New York City. In whatever moments he could spare from his multitudinous Queenly duties he continued to write poetry, none of it published (one editor said it was too highly personal in nature), and to collect stamps and first editions, and all in all to give the appearance of a well-to-do gentlemen of high cultivation, living a busy but essentially tranquil existence.
    (翻)他方、フレデリック・ダネイと彼の家族はニューヨーク州ラーチモントに居を構えた。ロクスバリーから九十分、ニューヨーク市から三十分のところである。彼はクイーンとしての種々雑多な仕事をするかたわら、時間の許すかぎり詩を書き続け、切手や初版本の蒐集をしたが、詩は一度も出版されたことがない(ある編集者によれば、極端なまでにまったく個人的な詩だという)。大体において、彼から受ける印象はいつも、教養のある裕福な紳士で、忙しくはあるが本質的には静かな生活をしているという感じだった。
    (私)一方のダネイはニューヨーク州ラーチモントに家族と暮らしていた。車だとロクスベリーからは90分、ニューヨーク市からは30分程度の距離だ。ダネイは作家クイーンとしてやらねばならない無数の仕事の合間に少しでも時間ができると、詩の執筆を続けた。ちなみに詩は一編たりとも出版はされていない(ある編集者の話では、実際のところ、ごく個人的な内容だったようだ)。それ以外にも切手や初版本の収集を続けた。そしておおよそのところ、洗練された教養を身につけた一人の裕福な紳士が、仕事に追われてはいるが基本的には穏やかに過ごしているように見える生活を続けた。
     ここでリーとダネイの居住地の位置関係を見ておこう。
    クイーンの住居.jpg
     リーの住むロクスベリーとダネイの住むラーチモントとは直線で80km程度の距離だ。そしてラーチモントとニューヨーク市とは30km。という事は原文の「90分」「30分」というのは「車で」という但し書きがつくべきだろう。それにしても、ダネイは雑誌の編集などで度々ニューヨーク市に出向かねばならなかっただろうから、車で30分程度の位置に住居を定めたのだろうが、リーは当初から執筆に専念するために都会とは離れた土地に住むことを良しとしたようだ。考えれば、そもそもエラリー・クイーンになる前の二人は懸賞金がもらえたら「イタリアに移住して執筆しよう」という夢を抱えていたのだ。それは潰えてしまったけれど、ささやかな夢を叶えるほどには成功した事になる。それはこんな執筆生活だった。
    (左はコネチカット州ロクスベリーでのリーの書斎、右はニューヨーク州ラーチモントでのダネイの書斎)
    リーの書斎.JPG ダネイの書斎.JPG
    posted by アスラン at 01:45| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) |  書評(エラリー・クイーン) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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